神はどーだっていいとこに宿る


by god-zi-lla

桜が咲き始める前に、ここんとこのフーテン老人徘徊絵日記など。


春のはじめのうろうろ日誌_d0027243_15490590.jpg



2月某日と某日。

歌舞伎座は『猿若祭』と銘打って十八代目勘三郎の十三回忌追善公演。
早いねえ。

正面脇に貼り出されたポスターは左端が勘九郎と長三郎の『連獅子』。ちゃんと踊れるようになった次男坊もたいしたモンだが、父ちゃん毛振りに気合い入りすぎ。ムチウチになっちまうぜ。

その右は長男の勘太郎。兄ちゃんがまた折り目正しいんだ。

次は勘九郎七之助の『籠釣瓶』、右端は鶴松の『野崎村』。鶴松大抜擢のお光っちゃん。『籠釣瓶』に兵庫屋七越で七之助とともに花魁道中をやった中村芝のぶも含め、もっともっと「抜擢」し続けないと歌舞伎は滅びる。





春のはじめのうろうろ日誌_d0027243_22345677.jpg


2月某日。
夜、シアタークリエでケラの『骨と軽蔑』。

歌舞伎は男ばっかしの芝居で、こっちは女ばっかしの芝居だけど女が男やってるわけじゃなく男が出てこない。

クリエって小屋は初めて入った。もとは「芸術座」のあった場所で東京宝塚劇場の向かい。

宮沢りえに鈴木杏に犬山イヌコほか、期待してて実際面白くもあったんだけどアンプリファイドされたセリフが少し残念。できれば芝居はナマ声で見せてほしい。客寄せに演技トーシローなアイドルでも出てりゃ致し方なけれど、このキャストでなんでなんだ。

もしかしてこの小屋のそれが方針?




春のはじめのうろうろ日誌_d0027243_07510759.jpg


某日。

国際フォーラム中庭(っていうのかね?)恒例の『大江戸骨董市』。外国人観光客たしかに増えたけど、意外と遠巻きに遠慮がちなのはこういう「市」に慣れない客が多いか。日本人でも外国人でも好きなヤツらはみんな(おれも含め)気になるブツがあれば遠慮会釈なく突撃してくるからね。

ところで骨董市、ここんとこ3回に2回は手ぶらで帰ってくるけど今回は獲物あり。





春のはじめのうろうろ日誌_d0027243_11300501.jpg




武井武雄の『刊本作品』。古書を少しだけ並べてちんまりした店を出してたおじさんのところで豆本数冊のなかに混ざってるのを発見。虫喰いなど状態あんまり良くない。でもそのおかげで安いからオッケー。うふふふ。



春のはじめのうろうろ日誌_d0027243_11275903.jpg



中身こんな感じ。
革装金箔押函入り。35/265。昭和27年刊。

この骨董市で今まで陶磁器、紙物、レコードなんかは買ったことあるけど「本」はまるで初めて。

うふふふふ。




春のはじめのうろうろ日誌_d0027243_11313715.jpg


某日。
新入りの「すきまタワー」。
こんなところにはなーんの興味もないんだけど新しい本屋が出来たと聞きつけて来てみた。

タワーの手前でナナメってるのは昔からある新興宗教の大屋根。








春のはじめのうろうろ日誌_d0027243_11591383.jpg



東京タワーより少し低くて大阪のアベノなんちゃらより高いのが自慢らしいビルディングは、麻布台ヒルズという新開地にできたこれなのだった。この中にその本屋があるというんだから仕方ない入ってみるか。





春のはじめのうろうろ日誌_d0027243_11314769.jpg


一瞬本屋に見えなかったけどひと回りしてみると意外なくらい当たり前な棚の構成。

京都の大垣書店の関東初の店。リキ入ってるのはよくわかるけど、基本、このへん駅に近いわけでもなく住宅街でもなくオフィス密集地でもなくて本屋の立地として良いとは思えないから、なんとか長く続くように頑張ってほしいもんだ。

しかし大垣書店すごいよね。もう京都に店出すとこないんだろうな。

むかし北大路の本店に何度か行ったことがありますけど、ちょっと大きめの「町の本屋さん」でとても良い感じ。





春のはじめのうろうろ日誌_d0027243_12040111.jpg


某日。
夜の歌舞伎座。

午後8時15分に始まる舞踊劇『喜撰』を見に幕見席。




春のはじめのうろうろ日誌_d0027243_12040950.jpg


開場前の幕見席入り口。
ドアには「集合 7:55」とあり。

この夜の幕見にはドイツ人のお客多し。まわりでドイツ語ばかりきこえる。

ドイツ語だってことしかわかんないんだけどね、こちとら。

肝心の『喜撰』は梅枝が良い。松緑もさすが。ちびっ子所化3人がカワイイ。




春のはじめのうろうろ日誌_d0027243_12044166.jpg


某日。

もひとつ「すきまタワー」。

いずれ近い将来この位置からタワーは見えなくなる。

麻布十番からほど近く、一の橋と二の橋の間。住所でいえば東京都港区三田1丁目。この一帯ついこないだまで低い軒の連なる東京の古い町場だったところで「再開発」のために町場は消えてなくなり更地になった。

手前の鉄パイプの「欄干」は古川にかかる橋。

数年後には上の麻布台ヒルズなんかと似たような、どこがどの「ヒルズ」だかわかんない無機的で無個性なビルディングの集合になるのは間違いない。

こんなとこばっかです、きょうびのトーキョーは。








# by god-zi-lla | 2024-03-18 14:00 | 日日是好日? | Comments(0)

つうわけでデヴィッド・ストーン・マーティンの一応続きみたいなもん。

読み終わって自分ちのレコード棚を見てみたところ、おれんちにデヴィッド・ストーン・マーティン(以下、DSM)の描いたレコードは3枚しかない。

そういえばそうだった。

ところで。本のなかでムラカミ先生も書いてるように、ノーマン・グランツは40年代から50年代はじめにクレフやノーグランから出したSP盤や10インチLPをコンパイルし、後年ヴァーヴレーベルで12インチ化した。だけどそれらにDSMのイラストレーションはほとんど使われてない。

まあ、10インチ四方のジャケットに合わせたデザインを12インチに流用してもスカスカな感じになってよろしくないってのもあるんでしょうが、そこはグランツも商売人。DSMのジャケットデザインではもう古臭くて、若いリスナーにアピールしないと判断したんじゃないかしらん。


DSMといっても、ハナシは思いっきり横道_d0027243_23211541.jpg


これはウチにある《Charlie Parker With Strings》。クレフの10インチ盤2枚を後年ヴァーヴで12インチにまとめたもので、ムラカミ先生は本文15頁でこのアルバムのことを嘆く。

”それに比べると後年一枚にまとめられたヴァーヴ12インチ盤のなんと凡庸なことか!” 

まあ「凡庸」ではありましょうが、『!』まで付けられちゃうかなあ。べつにこのジャケットにはなーんの思い入れもないんだけど、長年ウチの棚に住んでるものをクサされると意味もなく口惜しかったりして。棚子といったら子も同然。なんちて。

たしかに元になったDSMの描いた10インチ盤2枚のうちこっちのほうは結構いいかなとは思うんだけど、モンダイはもう1枚のこっち。まったくDSM以外に類を見ないイラストレーションで「凡庸」さのカケラもないってばそうでしょうけど、おれにはどうもなぁ。


ま、せっかく引っぱり出して写真まで撮ったんだからついでに「中身の音楽」のことを言いますが、おれはこのアルバム(の音楽)が大好きなのだった。

ジャズの 'ウィズ・ストリングス' 物ってクリフォード・ブラウンの有名な盤を含め、どれもあんまりグッとこない。なんかバックで鳴るヴァイオリンやチェロの「美音」に酔って、プレイヤー自身がキモチ良くなりすぎてんじゃね? なんて思ったりする。

そこいくと、このアルバムのチャーリー・パーカーは自分にもバックにも酔ってなくて(もちろんドラッグでラリってもなく)正気を保ってプレイしてる。イマドキの言い方すればここでのパーカーはいつもどおりに「攻めてる」。いやホントこのアルバムとってもいいんです。



とんだ枝線に入ってしまった。



ついでだから、枝線その2。

そんなわけでDSMジャケットのレコードを「ジャケ買い」したことはありません。

以前書きましたけど、いっとき野口久光画伯のジャケットを探し出しちゃあ何枚も手に入れたことがあった。ある特定の絵描きさんのジャケットを意識して(しかも中身の音楽を二の次にしてでも)買ったのは野口久光しかない。

アルフレッド・ライオン時代のブルーノートにはアンディ・ウォーホル画のジャケットが何枚かあって、それは欲しいと思ったことがあったけども、中身の音楽を欲しいと思わないままここまで来てしまったもんだから、ウチには1枚もない。

まあそんななかでウチにある数少ないDSM自慢タラタラ。



DSMといっても、ハナシは思いっきり横道_d0027243_07424908.jpg

ジャンゴ・ライハルトの《THE GREAT ARTISTRY OF DJANGO REINHARDT》、ムラカミ本の112頁に登場するクレフレーベル1953年録音の10インチ盤。

このアルバムは真偽未確認ながら、LPレコードとして(つまりSP盤の再発でなく)世に出たジャンゴ・ライハルト唯一の録音と言われてる。それで手に入れて聴いてみたんだけどジャケットがDSMの手になるとは現物見るまで知らなかった。

でもさ。このギタリスト、まるっきりジャンゴに似てねーじゃん。初めて見たとき、まずそう思った。DSMがどーとかじゃなく。

なにこのツルリンパとした顔は(ジャンゴはキザっぽい口髭をたくわえている)。それに、うしろに自転車コケてるし(学生かよ)。だいちギターがアンプらしきものに繋がってて、ジャンゴってセミアコ弾いてたんだっけ?

今回、ムラカミ先生の本を読んでみるとこの絵のギタリストはジャンゴじゃなく、DSMは息子をモデルに描いたとあるじゃないですか。どーりで似てないハズだよアカの他人なんだから。

ところでここでのジャンゴはピアノとベースとドラムスというリズムセクションを従えてプレイしている。ヴァイオリンはいない。これはおれの勝手な思い込みかもしれないけど、ステファン・グラッペリなどのヴァイオリンがいなくてドラムスが入ってるバンドだと(このアルバムに限ったことでなく)ジャンゴのギターがすごく「ジャズっぽく」きこえる。

ジャンゴ自身はちがうことをやってるわけじゃないのでしょうが、マヌーシュ・スイングとかジプシー・スイングとかいった風情がずっと後退して「ジャズ」になってる。

ジャンゴは53年5月16日に亡くなった。このアルバムはそのひと月前に録音されたとライナーノートにノーマン・グランツが記している。

「遺作」といっていいんだろうか。





Charlie Parker With Strings -- midnight jazz at carnegie hall(Verve ポリドール20MJ0017)LP
The Great Artistry Of Django Reinhardt(CLEF MGC-516)10inch LP





もうちょっとやるか
to be continued














# by god-zi-lla | 2024-03-14 16:10 | 常用レコード絵日記 | Comments(2)

2011年3月10日は

その日、なにを食ったか。

朝)

チーズオムレツ
ポークソーセージ
サトウサヤ
トマト
キュウリ
ご飯


昼)

けんちん汁の残りにうどん投入


夜)

デパ地下弁当


---

このブログの、本人以外には見えない「非公開」エントリに毎日三度三度食ったものを記録してた。
2011年3月10日まで毎日。

多分その夜遅くに入力して、以来、再開せず。

食ったものを書き留めておけばいろいろ役に立つこともあったんだが、あの日、そんなことをやっても虚しいだけだと思ってしまい、その気分がついに消えることなく13年が経った。

上の3食の記録が最後になった。

その日のブログの「可視部分」には前日の9日に六本木へバッドプラスのライヴに行き、青山ブックセンターで本を買ったと記してある。もちろん翌日東日本を巨大地震が襲うなんてことは書いてない。


2011年3月10日はふつうに夜になり、3月11日の朝もふつうに来た。


2011年3月11日、ふつうの夜はなかった。


---

そして、2024年3月11日の朝はふつうに来るか。

寝て起きて、明日このブログをどんな気分で見ることになるか。










# by god-zi-lla | 2024-03-10 22:15 | Comments(0)