神はどーだっていいとこに宿る


by god-zi-lla

野口久光 シネマ・グラフィックス

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野口久光さんが描いた洋画とくにフランス映画のポスターが懐かしいなんてことは年齢的にいったって勿論おれにはないわけなのに、じゃあなんでこういう画集というか図録を買い求めたんだというと一昨年ニューオータニ美術館というところに野口久光さんのポスター展つまりこの本の中身がほとんどそっくりそのまま展覧会になったのを見に行ったところ、野口さんという人はたいへんな人だったんだということを思い知らされたからなんだ。

野口久光の描いたポスターというんじゃなくって、日本の古い、というか戦後、昭和20〜30年代のフランス映画のポスターについておれが持ってたステレオタイプなイメージってのがつまりそっくりそのまま、それの全体が野口久光というとんでもない人が作り上げたポスターのスタイルだったんだってことに腰を抜かしそうになった。

鑑賞したり論じたりするに足る昭和中期の映画宣伝美術の業績のかなりの部分が野口久光という個人の、ほとんどひとりだけの仕事だったらしいって、それはしかしやっぱりすごいことでしょ。

でね、そんなことですから、おれが見たって懐かしいってことはないはずなんだけど、ページを繰ってみるとどれもこれも懐かしい気がするんです。

なんでかね。

スチール写真をもとに描いたであろう俳優のポートレートが、
スチール写真とはぜんぜん別の意味を持って立ち現れる。

活字や書道とはまるで隔たったところで、欧文のタイポグラフィともまるっきり違った文字なのになぜか西洋風に見えてしまう、というかそういうふうに条件反射的に思わせてしまうくらいにヨーロッパの俳優の図像と分かちがたく記憶のなかで結合してしまっている全面書き文字の浸透力の強さ。

とはいえ、

おれなんかが知ってる野口久光さんというのはスイングジャーナル誌などに登場する長老的ジャズ評論家で、じつはずいぶん長いことそもそもは映画方面の人だったってことを知りませんでした。

そうなんだよ。
野口久光だけじゃなくて植草甚一も岡俊雄も、そもそもは映画の人だったなんて若いころはぜんぜん知らなかったんだけど、ぎゃくにいうと当時映画っていうのは、そういうなんていうか新しい芸術文化の輝かしい中心で、だからそこに当時のそうそうたる秀才かつ、ちょっと不良っぽい若者たちが集まってきてたってことでもあったのかもしれないな、なんてことを少し思った。

でね、この本眺めてると野口さん。やはりと申しますかなんと申しますかジャズなどレコードジャケットの仕事もけっこうおやりになってんですな。そしてそれがまたいちいちかっこいいんだ。

んー映画ポスターのほうはともかく、
こっちはちょっとなんとかなりそうではあるぞ。
(いかんいかん)

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by god-zi-lla | 2011-08-22 23:49 | 本はココロのゴハンかも | Comments(0)