神はどーだっていいとこに宿る


by god-zi-lla

初めての神奈川芸術劇場は鶴

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これは山下公園裏、お向かいさんのビルの窓に映り込んだ神奈川ゲージツ劇場なのでした。

なんだか、わけわからんな。

で鶴というバレエを見物してきたんだ。
鶴は、鶴の恩返しのことだけども鶴は鶴女房じゃなくて鶴乙女ということにこの舞台ではなっていて、木下順二の夕鶴でいえば「与ひょう」には最初っから奥さんがいる。鶴は恩返しのために乙女の姿で日々の糧にも事欠くほどに貧しいふたりのところにやってきて子のいない夫婦の娘になる。そして機を織る。

助けられた鶴が奥さんになるというのと娘になるというのでは、
もしかしてずいぶん違うんじゃないかと思った。

約束を破ったばかりに妻を失う夫と、
約束を破ったばかりに娘を失う夫婦。

だけど、そんなことを考えてるうちにずいぶん(つか、ものすごく)昔、木下順二の夕鶴の戯曲を読んだときにわいたまったくべつの疑問のことを突如思い出してしまったのだった。

もし与ひょうがつうとの約束を守って機を織るところを覗き見しなかったら、
つうはどうなって、この鶴と人間の夫婦はいったいどうなっていたのか。

守らなかったことによって別れがうまれたが、
守ることによっても別れがうまれたんじゃないか。

考えてみると、与ひょうが覗き見することによってつうは命を救われてないか。
つうは、というかその鶴は、与ひょうに二度までも救われたことになる。

バレエを見ていたら機を織るたびに娘=鶴は生気を失っていくように表現されている。
そこのところでむかしの疑問がむくむくとぶり返してきた。

娘のいうことに従って覗き見しなかったら、いったいどうなってたのか。

そしてこのバレエでも最後に鶴は空に帰っていく。

娘であっても妻であっても、
鶴は裏切られることによって、
傷つきながらも生きて元の世界へ帰る。

しかし裏切らなければ、娘=つう=鶴はどうなったのか。
マコトの心がひとつの命を損ない、ひとつの不実がマコトの命を救った。
のか。

んー。もうちょっと考えてみることにする。

(ほかのことを書くつもりだったんだけど、まったく違ってしまった)
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by god-zi-lla | 2012-03-18 13:17 | 物見遊山十把一絡げ | Comments(0)