神はどーだっていいとこに宿る


by god-zi-lla

おれはアタマが悪いんだよなあと実感してしまったじゃないの(裏切りのサーカスほかまとめて3本立て)

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なんだか蒸し暑いメーデーだな。

黄金週間になると映画館はクレヨンしんちゃんとかドラえもんとか、あとなんだかどれもみんな同じに見えちゃうCG映画とかそういう映画ばっかになっちゃうのでそのまえに駆け込みでなにか見とこうと思ってたら映画ファンでもないのにこの1週間で3本も見てしまった。

シネスイッチ銀座でアーティスト、神保町の岩波ホールでオレンジと太陽、それからきのう日比谷のTOHOシネマズシャンテで裏切りのサーカス。

アーティストはなかなか面白かった。
主人公のふたりはいかにもソレっぽいしタップダンスは堂に入ってるし犬の演技もかわいいしサイレントのなかでの瞬間芸的トーキー部分の使い方もシャレてるし、いちいちうまいもんだなあと思いながら最後まで飽きずに楽しんできた。

きっと古くからの映画ファンには見どころも突っ込みどころも沢山あったんたろうと思う。
映画についての経験値が低いおれみたいのにはちょっともったいない映画だったのかな。
そのせいかどうか戦火の馬のような不覚は取らずにすんだ。

そういえば戦火の馬で主人公の馬を徴発していった将校の同僚で緒戦騎馬で突撃して死んだ指揮官をやっていたのが写真左の人で、裏切りのサーカスでは写真右の主人公スマイリーの指揮のもと二重スパイをあぶり出す諜報部員だった。

そういえばそういえば戦火の馬で主人公のお母さんをやってた人がオレンジと太陽の主人公のソーシャルワーカーのおばさんをやっていた。

オレンジと太陽は19世紀から1970年代までめんめんと続いた児童移民(つか棄民)の存在を暴いた女性の実話でほんの20年くらいまえの話だっていうんだからとにかく映画がどうこうよりそのことに驚いてしまう。

英国でいろんな事情で親から引き離されて孤児院に入れられていた10歳前後の白人の子どもたちを、白豪主義で白人の労働力を求めていたオーストラリアへ向けて本人にも親権者にも承諾を得ないまま強制的かつ秘密裏に送り出された子どもたちが13万人もいたのだそうだ。

しかも受け入れ先のキリスト教の慈善団体で「娼婦の子」などと蔑まれながら自分がどこのだれかもわからないまま粗末な食事と肉体労働など虐待され続けて成人した人たちが多かったんだっていうんだな。

英豪の政府がこういう事実を認めて、この人たちに謝罪したのはつい数年前のことらしい。

戦火の馬のお母さんはお父さんが「おれにたいする愛がなくなっただろうな」と言うのに「愛はなくならないけど憎しみは増えたわ」と言い放つような「意志の人」だったけど、同じ人が演じた児童移民をあるきっかけから知ることになって、犠牲になった人々を夫とともに必死になって救おうとするソーシャルワーカーのおばさんはもっともっと強烈な「意志の人」だった。

映画としたらこれはそんなに上出来じゃないと思うんだけど、事実のイヤになるような重みが映画の出来不出来なんてことを蹴散らしてしまう感じだった、つか、そういう映画としての面白さがどうこうじゃなくってこの事実を広く知らしめることがこの映画が作られた意義なんだろうな。

しかしホント政府ってのは自国民に対してだって陰でこっそりナニしてんだかわかんない、ブキミでおっかない存在だよな。民主国家だからって中国や北朝鮮よりマシだなんてそう簡単には決められない、これはたぶんあらゆる国家ってモノが先天的に持ってるおっかなさなんだと思う。

で、どこの国の政府もいまよりずっと陰でナニやってたんだかわけわかんない冷戦時代の欧州諜報戦のある断片みたいな話が裏切りのサーカスだったりするわけか。

いやー正直いってナニがどーなってたのか、おれにはよくわからんところがけっこうあった。
ミステリーやスパイ小説、あるいはそういうジャンルの映画についての経験値が低くて、かつアタマの良くないおれなんかにはちょっともったいな映画だったんだろうな。

だけど非常に面白かった。
きっと、ものすごくたくさんの伏線を見逃したと思うんだけど、それでも面白かった。
冷徹で静かで恐くて、空気はうすら寒く張り詰めて血なまぐさい。

たぶん恐い映画きらいなおれの、ここいらへんが限界です(笑)

だけど、もう一度見てみたいと思った。
なんか、いっぺん見ただけじゃ点と点がすべて線で結ばれずに、孤立したまま残った点がやたらめったらある気がする。

見終わってからけっこうシーンを思い出しながら今だって考えて続けてるんだけど、全体としてしっかり腑に落ちてない。いやもちろんおれのアタマの血のめぐりのモンダイってのは基本的にあると思うんだけどさ。そうは思うんですけど、も一度見たらあーなるほどってわかるかもしれないんじゃあるまいかと思うわけです。

ジョン・ル・カレの原作も読んでみようかと思ってる。
彼の代表作のひとつなんだそうですね。
Commented by 宗助 at 2012-05-03 10:29 x
アーティスト面白かったですね。
考えてみると今年のアカデミー賞は仏からのハリウッド映画へのオマージュであるアーティストと、ハリウッドからの仏映画に対するオマージュであるヒューゴの争いだった訳ですね。

かたや3D、かたやサイレントというのも面白いですが、まあ、やはりフランスの手練手管というかしたたかさにハリウッドは勝てなかったという事でしょうか。

私の若い頃、映画評論家やファンの中には、芸術作品はヨーロッパ映画(特にフランス)で、ハリウッド映画は娯楽作品として一段低いというランク付けがはっきりあったように思います。その辺のコンプレックスの名残がアーティストにアカデミー賞をとらせたのかもしれませんね。
Commented by god-zi-lla at 2012-05-05 07:58
宗助さん。やっと晴れましたね。

> 考えてみると今年のアカデミー賞は仏からのハリウッド映画へのオマージュであるアーティストと、ハリウッドからの仏映画に対するオマージュであるヒューゴの争いだった訳ですね。

なるほど。そして作品賞はハリウッドに捧げられた返礼として映画に捧げられた、ということだったのかな。

そしてまた二つの世界大戦の間の物語でもあったっていうのはぼくのここのところの思い入れだけの世界ではあるんですけど、結果としてそんなことになっているのを面白がっています。

> ハリウッド映画は娯楽作品として一段低いというランク付けが

日本だけじゃなくアメリカでもそうだったんですね。
そういえば無声映画はアートでトーキーはアートじゃないっていう主人公ジョージ・ヴァレンティンの見方も面白かった。

情報量が少ないほうが、というか説明的じゃないほうが、というか想像力を喚起する余地の多いほうが、よりゲージツ的ってことなんでしょうね。

追い落とされる側のたんなる言い訳とも取れますが、それが本当だとしたらこの世界は日に日にゲージツ的なものを失いつつあるということでもあるのかな。
Commented by 宗助 at 2012-05-05 13:15 x
>情報量が少ないほうが、というか説明的じゃないほうが、というか想像力を喚起する余地の多いほうが、よりゲージツ的ってことなんでしょうね

これは全くおっしゃる通りなんでしょうね。
説明過多の極地はTVの何とかサスペンスというドラマです、ご覧になったことがります?徹底的に説明するんですもんね。それも黒板に整理したりするんですからあきれます。ちょっとでも含みを残したり、想像に任せたりするとクレームが来るんでしょうね。

このTVの話は芸術的かどうかというレベルの問題ではなく、今や多くの人が子供の鑑賞レベルでしかドラマを見なくなっているという問題ですかね。
Commented by god-zi-lla at 2012-05-06 12:14
宗助さん。

> 今や多くの人が子供の鑑賞レベルでしかドラマを見なくなっているという問題

最近はまったくテレビを見ないので偉そうなこと言えないのですが、スポーツ中継なんかも完全に説明しすぎになってると思います。

たぶん見てわからないものを放送するとテレビ局には実際にクレームが来るのでしょうが、ほとんどの人はべつに平気で見てるんだと思うんですよね。

でもじつはそんなことテレビ屋さんも先刻承知してるんだけどクレーマーに対応するのがメンドくさいのでハナっからクレームつきにくい番組作ってラクしてるってのが実際だとおれは思います。

よーするにコトナカレってやつが説明過多の根っこにあるんじゃなかろうかと。
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by god-zi-lla | 2012-05-01 19:16 | 物見遊山十把一絡げ | Comments(4)