海を見下ろす山坂とぼとぼ日帰り遠足(ちょっと書き足した)
2014年 05月 30日
で、きのうは朝の家事が一段落した10時半ころ一瞬六本木に映画見に行こうと思わないでもなかったんだが、こういう上天気のときによりによって日本有数のくだらない盛り場へ映画見に行くなんておれはどうかしてるんじゃないかと思い直して、一転遠足風の足拵えをして品川駅に向かったのだった。
おれたちはガキのころから湘南電車と呼んでたもんだから今でもつい湘南電車と言ってしまうJR東海道線に乗って横浜、藤沢、茅ヶ崎、平塚を過ぎて小田原の次のつぎ。根府川駅に降りたのが午後1時の少し前だったかな。
入り口から透かして無人の改札のむこうに見えてる青いところは海です。というか海と空の境目の、ようするに水平線のあたり。なんでもこの根府川駅じたいが海抜50メートルだか60メートルだかなんだそうで、この改札の一段崖下のようなところに2本のプラットフォームがあって、そこからまたどーんと海まで落ちていっていて、そういう地形だから駅の真っ正面が水平線で、その向こうはもうアメリカ大陸だ(うそうそ、まっすぐ行ったら三浦半島か、その先の房総半島だってば)。
まあ、もともとこのあたりにこういう風景があるっていうのは知ってました。だから5月に入っていい天気が続くようになって、おれのアタマのなかにはハナっから根府川の三文字とこの赤い鉄橋があったんだった。だけど実際根府川駅に降りたことは今までに1回きりしかなくってさ。25年ちかく前にいまはもう30歳目前になっている娘(あのころはカワイかったなあ)とじいさんばあさんを連れて、横浜からえっちらおっちらここの山の上にあるログキャビンの宿泊施設へ泊まりがけで遊びに行ったことがあってね。そのとき以来の眼下に望む赤い鉄橋なのだった。
根府川鉄橋なんて勝手に呼んでたら白糸川橋梁というのがホントの名前なんだそうで、これがまたおれの大好きなトラス橋ってのがいいんだよな。タテヨコナナメの繰り返しの美しさっていうかな。やっぱり鉄橋はトラスに限るよ。
そんなわけで海をバックにして赤い鉄橋を見下ろして眺めるつもりでウチを出てきたわけなんだが、じっさいそんな景色をどこに立ったら見られるかなんてまるで調べもせずに電車に乗ったもんですから、根府川駅に降り立ってからは煙突のケムリみたくずんずんずんずん高いとこを目指して歩いた。まあ高いとこへ歩いてくってことは鉄橋からは遠ざかってくってことでもあるし、山に向かっていく道は一直線にてっぺんを目指してるわけじゃないから時折振り返って鉄橋のありかを眼下に確かめるんだけど、なかなか思ったふうに景観が開けなくてね。それでもどんどんどんどん登って行ってミカン畑のすき間のようなところから撮ったのが上の写真なんです。
きっともっときれいに眼下に広がる鉄橋と海の風景を見渡せる観光スポットみたいなとこがあるに違いないんだけど、まったくの行き当たりばったりで山坂を歩いて全身汗だくでヘトヘトだったもんだから、こんかいの遠足の目的地はここだったんだってことにして写真撮ってひと休みしたのだった。いやーでも歩くのは気持ちいいよ。そのためにここまでやって来たんだもん。ガイドブックかなんか見て一直線に目的の場所へ行くのもいいでしょうけど、ちょっと不安を感じながらあっち迷いこっち迷いして歩くほうが、おれは好きだな。
ところでこの橋が出来たのは1925年で関東大震災の少しあとのことなんだが、この根府川駅は関東大震災で土石流(あるいは山津波)に押し流され、あたかも駅にさしかかろうとしていた客車8両編成の下り列車がこれに飲み込まれて機関車と客車6両が海中に没し乗客と乗務員百数十人が亡くなるという大惨事になった(土石流の発生は本震があって4分後の余震によるものらしい)。
当時東海道線の本線は御殿場回りだったから、国府津から根府川を過ぎて真鶴まで開通していたこの線は熱海線という名前で呼ばれていたんだそうだ。その熱海線根府川駅から数百メートル真鶴方向に寄ったところに架かっていた初代の鉄橋はこの土石流で破壊され、根府川の住民数十人から数百人が震災と土石流で亡くなった(土石流と海からの津波の挟み撃ちにあった人たちもいたらしい)。その大惨事で亡くなった人たちの霊をなぐさめる碑が駅舎を入って跨線橋にかかるところ(駅舎の写真の建物すぐ左脇のあたり)にあって花が供えられていた。この事故はあまり知られてないのかもしれないけど、もしかしたら日本の鉄道史上地震がもたらした最悪の鉄道災害はこの根府川駅列車転落事故なんじゃあるまいか。
つぎは海の側から鉄橋を見上げに行ってみよう。
by god-zi-lla
| 2014-05-30 08:59
| 物見遊山十把一絡げ
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