神はどーだっていいとこに宿る


by god-zi-lla

ゴジ、ゴジを見る!(オトナになってあらためて見直してよかったわ)

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つうわけで、かねて懸案のゴジラ 60周年記念デジタルリマスター版を日比谷のTOHOシネマズシャンテで見てきたのであった。やっぱゴジラってブログやってんのにゴジラの映画見過ごすわけにいかないもんな。

ケン・ワタナベのハリウッド版新作GODZILLAじゃなくってゴジラね。たぶん東宝の思惑としたらゴジラが初めて東京を襲撃して今年で60年になるその年に、たまたま新しいゴジラ映画を配給することになったその前景気っつうかプロモーションのために上映することにしただけなんだと思うんだが、そのせいかジジイでも女でもないおれが1000円ポッキリなんだ。

ゴジラは子どものころテレビで何度か見てるんだけど、じつは映画館で見たのはこれが初めてだったんだ。東宝の怪獣映画はいっぱい見てきたけども、初代ゴジラはリアルタイムではまったく知らない。そりゃあ封切りが昭和29年(1954年)だもん。おれが生まれたのは昭和31年だからさ。ちなみにおれが封切り時に映画館で初めて見たゴジラは昭和39年(1964年)の「三大怪獣 地球最大の決戦」でした。

で、あらためてゴジラを大きなスクリーンで見てみると、その64年公開の「地球最大の決戦」と、それから遡ること10年前に作られたゴジラはまるっきり別種の映画だったんだなあとつくづく思ってしまうのだった。なんつうか、きょうびは「昭和」っつうとなんかイマの時代とダイレクトに繋がってるくせにちょっと古びた感じのイケてるようでイケてない時代みたいなニュアンスで十把一絡げに語られるようなとこがあるけどさ。このゴジラ見てると昭和29年という年が属している「昭和」ってのは太平洋戦争が終わって10年たってないニッポンていうか、すごくナマな感じで「ボロボロに負けてひどいめにあったこんどの戦争のすぐ後」っていう、当時のオトナのだれひとり戦争のことを(忘れたくても)忘れていなかった、まさにそういう昭和31年生まれのおれには知りようもない別の昭和、「戦後」の香りがスクリーン全体からもうもうと立ち昇ってくる感じがするんだよ。

映画は漁船の乗組員たちが海上に閃光を見た直後ゴジラにやられるところから始まるんだが、当時このシーンを見てまさにその年のはじめに起こった第五福竜丸の事件を思い出さないオトナが一人でもいたとは思えない。もちろんこのシーンはそれを連想させるように明示的に作られていたわけだ。しかもはっきりその姿を現す前にその巨大な足跡に向けられたガイガーカウンターの警告音によって、ゴジラがまるで暴走する原発のごとく高線量の放射能をまき散らす禍々しいバケモノだってことが明らかになったりもする。

ゴジラは東京湾深く侵入して芝浦から上陸、水際の防御陣を手もなく突破して田町から札の辻を抜けて新橋から銀座方面へ向かって街を破壊し焼き尽くしながら進む(東京タワーはまだカゲもカタチもない)。その進路をラジオや緊急無線が逐一報じていくんだけど、おそらく大戦末期、米軍のB29爆撃機による空襲の警報と重なり合って多くのオトナたちには一種悪夢の再現でもあったんじゃあるまいか。加えてゴジラが通過したあと無残な焼け野原となった東京のミニチュアセットなんて、もう東京大空襲の記憶そのものの復元としか思えない。

そしてゴジラは第一京浜(東海道)を東上、新橋駅方向から銀座の中央通りを進んで松坂屋を破壊し(松坂屋跡はいまも空き地になっているが、それはゴジラのせいではない)、服部時計店の時計塔をなぎ倒しながら中央通りから晴海通りへ左折、数寄屋橋を超えて朝日新聞社ビルをかすめ隣りの日劇(当時、ここの大劇場でも上映したんじゃないか)をブチ壊してさらに有楽町のガードを踏み潰して行くんだが、おれがこの映画を見ていたTOHOシネマズシャンテはそのすぐ脇だったから「あ、そこまで来てる」ってちょっとドキドキしたりしてね。

まあそれはともかくとしてだな。ゴジラはたぶんついこの前の戦争の記憶を、そうやって多くのオトナたちの心のなかから呼び出してったと思う。それからビキニ環礁の水爆実験に遭遇して致命的な量の放射能をかぶった第五福竜丸の乗組員の人たちの惨事をあらためて想起させ、また近い将来ふたたび起こるかもしれない「核」による惨禍をゴジラのなかに見てしまうオトナだって当時いたにちがいない。

そう考えるとこの映画は当時記録的な大ヒットだったっていうけど、見終わって映画館を出てきたお客さんに良い後味を与えたかどうかっていうと必ずしもそうじゃなくて、忘れてしまいたいことを思い出させてくれたうえにイヤな時代がまた来るかも知れないと思わせる、もしかしたら割と鬱陶しい映画のように受け取られたんじゃあるまいか。

あのね。おれが映画館で初めて見た「地球最大の決戦」は、もう「カイジュウ映画」になってたんだと思うんだよ。コドモ向けというとこまでいってなかったのかもしれないけど、だんだんとそういうジャンルの映画になってく途上の作品だったような気がする。少なくとも、もうオトナが何かマジメに考え込んじゃうような映画ではなくなってたんじゃあるまいか。

それが今回、オトナになってから初めて見直したゴジラっていう映画はじつは最初っから最後までオトナの映画だったんだな。しかもいまのエンターテインメント系邦画じゃ考えられないような非常にダイレクトにナマなメッセージを観客に送ってくるところが、かえって新鮮だったりもする。そういうメッセージを投げてくることに照れてないっていうのかな。

それから今回見てて、あー勘違いしてたなと思ったのはダヤン将軍(古いなあ)か若い頃のタモリかっていう黒い眼帯をした平田昭彦扮するところの芹沢博士が、その一瞬怪異な外見とはウラハラに正義感に満ちあふれた真っ当な科学者で、いかにも温和な老生物学者然とした志村喬扮する山根博士のほうがじつは勿体ないからゴジラを殺すなと主張してよっぽどマッドサイエンティストぽかったりしてたんだってこと。んー、ガキのころの思い込みっておっかないよなと正直思ったんだが、このヤマネ博士とセリザワ博士の人物設定にもなんらかの戦中戦後の暗い記憶みたいなものが下敷きにあるんだろうかなんて、ふと考えたりもした。いくらでもいたはずだよな731部隊の医者とか。

ところで本編始まる直前に、当然のことながら新作のハリウッド版GODZILLAの、いままで見たのより長尺の予告編が流れたんですけどそこで渡辺謙演ずる日本人学者が「ドクター・セリザワ」って呼びかけられるんだよ。おーなるほど自らの生命と引き換えにゴジラと悪魔の化学兵器オキシジェンデストロイヤーを葬り去った芹沢博士へのオマージュなわけね。で、ウチに帰ってちょっとネットで見てたらこのドクター・セリザワのファーストネームは「イシロー」なんだそうだ。名前のほうは本多猪四郎監督に捧げたのね。

ちなみに上の写真のゴジラは映画のゴジラじゃなくって、もちろん筆者近影なわけもなくて、このときのゴジラのゴジ近影でございます。いまはStudio 2aの右チャンネルの上で相変わらずのおっかない顔でもって静かに余生を送ってるんでした。
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by god-zi-lla | 2014-06-13 13:13 | 物見遊山十把一絡げ | Comments(0)