われらがマレーネは太平洋を越えてやってきた
2018年 05月 15日
めでたしめでたし。
いやあ、このアルバムを小田急線沿線のさる瀟洒なお邸の地下室のアヤシイ集まりで田園都市線の師匠から聴かしてもらったのが連休中の5日。それからわずか10日ではるばる太平洋を渡って緊急来日していただいたんですから、それだけインパクト大きかったってことなのよ。
そのとき師匠のお持ちになったのは白ラベルのプロモ盤でしたけど、そこまで贅沢は申し上げますまい。とはいえマト1A/1Fだから上出来というもんじゃあるまいか。なんてったって件の瀟洒な地下室オーナーより先に手にしたんですからね(って、べつに競争してるわけじゃないんですけど)。
いやー、なんかうれしい。まだ聴いてないんだけどね。
届いてしまえば、こっちのモンさ。
うふふふ。
ところで12日の時点でUSPSのトラッキング情報に〈Facility Kawasaki Port〉と表示されて、なんで川崎港なんかで道草食ってんのかとヤキモキしてたら届いた梱包に〈取扱局・川崎東郵便局〉と印字されててね。調べてみますと川崎東郵便局というのは国際郵便物を専門に取り扱う「国際郵便交換局」というところなんだそうですね。
なーるほど。
知ってても、なんの役にも立ちそうにないけどさ。
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windypapa at 2018-05-16 09:35
悔しーい!
うちのマレーネは昨日ようやく成田に到着したらしい。ホント、女運に恵まれない人生。(笑)
うちのマレーネは昨日ようやく成田に到着したらしい。ホント、女運に恵まれない人生。(笑)
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god-zi-lla at 2018-05-16 10:28
windypapaさん こんにちは。
今夜はきっと、川崎にお泊まりですね(笑)
でもトニー・ベネット翁がひと足先にご到着とのこと。おめでとうございます。
それに、そちらのマレーネ嬢はプロモ盤なんだし、いいじゃありませんか。
今夜はきっと、川崎にお泊まりですね(笑)
でもトニー・ベネット翁がひと足先にご到着とのこと。おめでとうございます。
それに、そちらのマレーネ嬢はプロモ盤なんだし、いいじゃありませんか。
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宗助
at 2018-05-17 21:08
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最近ボケのせいか、今どこにいるのか混乱することがありあちこちにご迷惑をかけてしまって恥ずかしい限りですw ご自宅のオーディオでじっくり聞くディートリッヒは如何でしたか。
私の場合は、だいぶ前になりますが、Utube でB面1曲目の「さよならと言って」(Time on my hands のドイツ語カバー)を聞きショックを受け、随分探して何年かしてこのレコードに行き着いたんです。
入手してライナーノートを読み、このLPが第二次大戦で連合国側で戦争に積極的に協力していた彼女がドイツ向けの情宣活動の手段として吹き込んだLPを、戦後再吹込みしたものであることを知りました。あの時感じた彼女の歌の底知れない深さの理由が初めて少し分かったような気がしました。
ここで歌われているのは、殆ど米国のポップスにドイツ語の歌詞をつけたものですが、不思議なことに元歌が恋の歌であっても殆どが別れの歌に書き換えられています。別れをただ悲しむんじゃない強い女の歌。ここで彼女が別れを告げているのは彼女が過去に愛したドイツなんでしょうか。
中に一曲元々悲しい歌がほぼそのままにドイツ語で歌われているのがあります。"Miss Otis regrets" コール・ポーターの曲で、どうにもちょっと不思議な歌詞です。どうしてこの歌をここに選んだのか分かりませんが、それだけがちょっと別の世界みたいです。
どうでもいい話ですが、その歌詞を読んでると、どことなくかって金子由香里が歌ってヒットした「思い出のサントロペ」というシャンソンの風景と似てるんですよ。その曲はコラ・ヴォケールが創唱したものだそうですが、コール・ポーターもちょっと前の時代にパリにいたから、シャンソンがコール・ポーターの曲に影響を受けたんじゃないのかと密かに考えています。
この辺はまた改めて。
私の場合は、だいぶ前になりますが、Utube でB面1曲目の「さよならと言って」(Time on my hands のドイツ語カバー)を聞きショックを受け、随分探して何年かしてこのレコードに行き着いたんです。
入手してライナーノートを読み、このLPが第二次大戦で連合国側で戦争に積極的に協力していた彼女がドイツ向けの情宣活動の手段として吹き込んだLPを、戦後再吹込みしたものであることを知りました。あの時感じた彼女の歌の底知れない深さの理由が初めて少し分かったような気がしました。
ここで歌われているのは、殆ど米国のポップスにドイツ語の歌詞をつけたものですが、不思議なことに元歌が恋の歌であっても殆どが別れの歌に書き換えられています。別れをただ悲しむんじゃない強い女の歌。ここで彼女が別れを告げているのは彼女が過去に愛したドイツなんでしょうか。
中に一曲元々悲しい歌がほぼそのままにドイツ語で歌われているのがあります。"Miss Otis regrets" コール・ポーターの曲で、どうにもちょっと不思議な歌詞です。どうしてこの歌をここに選んだのか分かりませんが、それだけがちょっと別の世界みたいです。
どうでもいい話ですが、その歌詞を読んでると、どことなくかって金子由香里が歌ってヒットした「思い出のサントロペ」というシャンソンの風景と似てるんですよ。その曲はコラ・ヴォケールが創唱したものだそうですが、コール・ポーターもちょっと前の時代にパリにいたから、シャンソンがコール・ポーターの曲に影響を受けたんじゃないのかと密かに考えています。
この辺はまた改めて。
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god-zi-lla at 2018-05-18 11:24
宗助さん こんにちは。
なるほど、B面に収録の〈Taking A chance Of Love〉は邦題「恋のチャンス」なのに、ライナーノートによるとディートリッヒは"We will never meet again"なんて歌ってるみたいですね。
明るい恋の歌を、恋人と別れ(て戦地に赴い)た若者たちは再び生きて彼女と会えない… と厭戦気分を掻き立てる歌に改変して歌うというのが、まさに「謀略放送」の役目なのでしょう。
しかしそれを戦後もう一度レコードに吹き込む気になるというのは、なんなんだろうと思いますね。
そう思って聞くせいかディートリッヒが狭くて残響のない暗いスタジオのブースでひっそりと吹き込んでいるように、うちに新しく来た(だけどすごく古い)スピーカーでは聞こえてしまいます。
〈Miss Otis Regrets〉はもともと「死に別れる」歌だからそのままってことですかね。
なるほど、B面に収録の〈Taking A chance Of Love〉は邦題「恋のチャンス」なのに、ライナーノートによるとディートリッヒは"We will never meet again"なんて歌ってるみたいですね。
明るい恋の歌を、恋人と別れ(て戦地に赴い)た若者たちは再び生きて彼女と会えない… と厭戦気分を掻き立てる歌に改変して歌うというのが、まさに「謀略放送」の役目なのでしょう。
しかしそれを戦後もう一度レコードに吹き込む気になるというのは、なんなんだろうと思いますね。
そう思って聞くせいかディートリッヒが狭くて残響のない暗いスタジオのブースでひっそりと吹き込んでいるように、うちに新しく来た(だけどすごく古い)スピーカーでは聞こえてしまいます。
〈Miss Otis Regrets〉はもともと「死に別れる」歌だからそのままってことですかね。
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宗助
at 2018-05-19 00:27
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>しかしそれを戦後もう一度レコードに吹き込む気になるというのは、なんなんだろうと思いますね。
全く不思議ですね。彼女の自叙伝にもこの録音については全く触れられていません。彼女の驚くべきヨーロッパ戦線での慰問活動については詳細に書かれているのですが。
ネットで "Life & legend" という評伝を見つけたらそこに再録音の経緯が少し詳しく書かれていました。
”当時コロンビアのアーティスト担当ヘッドだったミッチ・ミラーに彼女が謀略放送の録音を聞かせたら、これをLPで再録音しようと提案された。彼女は全くそんな気持ちはないと拒否したが、彼女の声は戦時中の短波放送でも十分受け入れられたんだから、50年代初期のスタジオの機器を使いリハーサルをやればもっと素晴らしいものになると強く勧められ、結果モノラルのハイファイテープを使い最小限の編集で再録音された。彼女は演奏の歴史的価値より芸術的価値を大切に考えていた"
このLP番号からは発売が59年3月と言う事になるのですが、この文章だともっと前に録音されたことになりそうです。音も59年のコロンビアだったらステレオだろうし、モノラルだとしてももっといい音で録音されていてもおかしくないですね。
全く不思議ですね。彼女の自叙伝にもこの録音については全く触れられていません。彼女の驚くべきヨーロッパ戦線での慰問活動については詳細に書かれているのですが。
ネットで "Life & legend" という評伝を見つけたらそこに再録音の経緯が少し詳しく書かれていました。
”当時コロンビアのアーティスト担当ヘッドだったミッチ・ミラーに彼女が謀略放送の録音を聞かせたら、これをLPで再録音しようと提案された。彼女は全くそんな気持ちはないと拒否したが、彼女の声は戦時中の短波放送でも十分受け入れられたんだから、50年代初期のスタジオの機器を使いリハーサルをやればもっと素晴らしいものになると強く勧められ、結果モノラルのハイファイテープを使い最小限の編集で再録音された。彼女は演奏の歴史的価値より芸術的価値を大切に考えていた"
このLP番号からは発売が59年3月と言う事になるのですが、この文章だともっと前に録音されたことになりそうです。音も59年のコロンビアだったらステレオだろうし、モノラルだとしてももっといい音で録音されていてもおかしくないですね。
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windypapa at 2018-05-19 08:39
>モノラルだとしてももっといい音で録音されていてもおかしくないですね。
昨日、ふらりとやって来た彼女の歌を聴いてたまげました。モノラルとかステレオとかを忘れさせるような美音です。
歌会のお題から離れますが、2日に持参して聴いていただこうかな。
昨日、ふらりとやって来た彼女の歌を聴いてたまげました。モノラルとかステレオとかを忘れさせるような美音です。
歌会のお題から離れますが、2日に持参して聴いていただこうかな。
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god-zi-lla at 2018-05-19 11:06
ついにマレーネ嬢、町田市ご到着ですか。おめでとうございます。
2日、ぜひ大勢のひとたちに聴いてもらいましょうよ。プロモ盤とウチの通常盤の聴き比べもしてみますか?(ウチのは自慢じゃないけど、自慢したいくらいのニアミント盤ですw)
しかしホントに、自宅で聴いてもぞくぞくするようなマレーネの声に驚きますね。
> このLP番号からは発売が59年3月と言う事になるのですが、
ということは、ひょっとしてステレオ盤もあるんでしょうか。マイナーレーベルならともかくコロンビアのような大企業が、この時期にモノラルでしか録ってないとは考えにくい気がします。
あるいは50年代初めのモノラル期に収録したまま、ステレオ時代に入った59年までなんらかの事情で発売されなかったのか。
アルバムの性格が性格だけに、吹き込んだ歌手がマレーネ・ディートリヒなだけに、そこになにかしらの事情があってもまるで不思議じゃない気がして、なんか面白いなあ。
2日、ぜひ大勢のひとたちに聴いてもらいましょうよ。プロモ盤とウチの通常盤の聴き比べもしてみますか?(ウチのは自慢じゃないけど、自慢したいくらいのニアミント盤ですw)
しかしホントに、自宅で聴いてもぞくぞくするようなマレーネの声に驚きますね。
> このLP番号からは発売が59年3月と言う事になるのですが、
ということは、ひょっとしてステレオ盤もあるんでしょうか。マイナーレーベルならともかくコロンビアのような大企業が、この時期にモノラルでしか録ってないとは考えにくい気がします。
あるいは50年代初めのモノラル期に収録したまま、ステレオ時代に入った59年までなんらかの事情で発売されなかったのか。
アルバムの性格が性格だけに、吹き込んだ歌手がマレーネ・ディートリヒなだけに、そこになにかしらの事情があってもまるで不思議じゃない気がして、なんか面白いなあ。
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宗助
at 2018-05-19 12:06
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その伝記の文章だと、乗り気ではない彼女を、early fifties equipment のスタジオで録音したらもっと良くなると説得したようで、気の変わらないうちにバタバタと録音したんでしょう。
その辺りの文章(全文が載ってないんです)を読むと、推測ですが、52,3年に録音してしばらくお蔵入りしてたように感じます。
ただ、モノーラルのテープで、とはっきり書いてあるので、59年の録音だとしても残念ながらステレオは無いんじゃないかな。
その辺りの文章(全文が載ってないんです)を読むと、推測ですが、52,3年に録音してしばらくお蔵入りしてたように感じます。
ただ、モノーラルのテープで、とはっきり書いてあるので、59年の録音だとしても残念ながらステレオは無いんじゃないかな。
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宗助
at 2018-05-19 20:40
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スタンバーグ監督に見出された彼女が、’30年公開の映画の中で歌ったFalling in love again の録音が手元にあります。今回のLPの深い声と’30年録音の録音とを続けて聞くと、二つの録音の間の20数年における彼女の経験の重さがしのばれます。また彼女が世間に知られたモンローの朝鮮戦争の兵士慰問の映像を見た時に感じたであろう苦さを思います。
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god-zi-lla at 2018-05-20 07:23
なるほど、仰るとおりそもそもディートリヒがヨーロッパ戦線の慰問に行くのと、モンローが朝鮮半島へ慰問に行くのと、どちらも銀幕の「セックスシンボル」だったとはいえ、持つ意味がまるで違いますもんね。
いやしかし、このレコードは素晴らしいです。音も最高。
良いものを教えていただきありがとうございます。
ところでわが家に来たマレーネのマトは、1A/1Fでした。
いやしかし、このレコードは素晴らしいです。音も最高。
良いものを教えていただきありがとうございます。
ところでわが家に来たマレーネのマトは、1A/1Fでした。
by god-zi-lla
| 2018-05-15 12:11
| 常用レコード絵日記
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