難関レコード
2006年 09月 28日
週末に仕事が入ってるから今日(27日)は休み。
もーだれもいない平日の昼間はレコード三昧だもんね。激しい雷雨もあって外出するわけにもいかんしね。まーしかし晴れてたって行くとこはレコード屋と相場が決まってんだけどさ。わはは。
てなわけで何枚もレコードやCDを聴いたんだけども、まだまだ未聴のまま放ってある盤がいくらでもあるのにこんなもん(→)を引っぱり出して聴いちまった。
ズーカーマンが弾き、バレンボイムが振ったシベリウスのヴァイオリン・コンチェルト。買ってからかれこれ25年はたってるね。
それをまた急に思い出したんだな、まともに鳴ってくれないレコード。
この盤買ったころというのは、たぶんJBL4301BにサンスイのAU-D907、カートリッジがオルトフォンのMC10で聴いてたんだと思う。まあ、クラシックのヴァイオリンをあえかな音色で聴こうてえ取り合わせじゃありませんな。
そこへもってきてシベリウスだもんな。ヴァイオリンは唸るわ、金管は吠えるわ、いやーもうね、装置全体が悲鳴あげる阿鼻叫喚の地獄絵図だったもんね。
とにかくこういうマトモに鳴ってくれないってえか、わが装置をあざ笑うかのごとくヒドイ音を発してくれたレコードというものが、どういうわけか長年にわたって忘れることができません。恨み骨髄ってやつですな。まあその何枚もある骨髄系レコードのなかの1枚なわけです。
いやそれで聴いてみたわけだけども、さすがにまあ阿鼻叫喚てことはなかったな。ちゃんと針はビるようなこともなくトレースしてくれたし、盤の内周で極端に音がキツくなるようなこともなかった。
でも、きょう初めて思ったんだけど、こりゃあんまりいい録音じゃなかったんだな。
なんていったらいいのか音の出方が行き当たりばったりというか、時間の経過につれて定位や音像のサイズ、オーケストラと独奏楽器の大きさの比率のようなものが揺れ動いて定まらない感じ。
んー、どうもおれも再生装置や使いこなしの未熟さだけが原因というわけでもなかったんだな。しかし良かったんだか悪かったんだか。
閑話休題。
アナログの「バイブル」なんてことを考えてるうちにふと思ったんだけどさ、CDが登場するまで、おれらオーディオ好きはほとんどもっぱらレコードとプレーヤーにかまけてたんだよな。
やれ適正針圧がどーの、インサイドフォースがこーの、トーンアームとカートリッジのマッチングがどーの、いやヘッドシェルとカートリッジのマッチングだってこーの、シェルのリード線がどーの、シェルのリングは外せだの、シェルのピンを磨けだの、アコースティック・フィードバックがどーの、インシュレーターがこーの、ダストカバー外しとけだの外すなだの、とにかくまあ重箱のすみを突っつくよーなことに始終かまけておりましたですな。
なんちゅうか、とにかくもうアナログは重箱のスミのカタマリ、なような気がしますね。
それがあるときCDの出現でもってアナログが駆逐され、オーディオマニアが長年慣れ親しんだあの重箱のスミがどっか行っちゃった結果、なんだかヒマになっちまったわしらマニアは、ケーブルはぶっといのがいーだの細いほうがいーだの、コンセントがどーの、ホスピタル・グレードがこーの、カーボンがいいだの、鉛はダメだの、ケーブル支える柱だの、ケーブル寝かせる枕だの、貼るだの、乗せるだの、削るだの、とにかく新しい重箱のスミをほかに見つけなきゃなんなかったんですな、いじるところのないCDプレーヤー相手じゃ。
いや、アナログだけの時代は忙しかったんだよ。あれはあれで。
しかし次から次と、新たな重箱のスミが登場しますですなあ。
もーだれもいない平日の昼間はレコード三昧だもんね。激しい雷雨もあって外出するわけにもいかんしね。まーしかし晴れてたって行くとこはレコード屋と相場が決まってんだけどさ。わはは。
てなわけで何枚もレコードやCDを聴いたんだけども、まだまだ未聴のまま放ってある盤がいくらでもあるのにこんなもん(→)を引っぱり出して聴いちまった。
ズーカーマンが弾き、バレンボイムが振ったシベリウスのヴァイオリン・コンチェルト。買ってからかれこれ25年はたってるね。
それをまた急に思い出したんだな、まともに鳴ってくれないレコード。
この盤買ったころというのは、たぶんJBL4301BにサンスイのAU-D907、カートリッジがオルトフォンのMC10で聴いてたんだと思う。まあ、クラシックのヴァイオリンをあえかな音色で聴こうてえ取り合わせじゃありませんな。
そこへもってきてシベリウスだもんな。ヴァイオリンは唸るわ、金管は吠えるわ、いやーもうね、装置全体が悲鳴あげる阿鼻叫喚の地獄絵図だったもんね。
とにかくこういうマトモに鳴ってくれないってえか、わが装置をあざ笑うかのごとくヒドイ音を発してくれたレコードというものが、どういうわけか長年にわたって忘れることができません。恨み骨髄ってやつですな。まあその何枚もある骨髄系レコードのなかの1枚なわけです。
いやそれで聴いてみたわけだけども、さすがにまあ阿鼻叫喚てことはなかったな。ちゃんと針はビるようなこともなくトレースしてくれたし、盤の内周で極端に音がキツくなるようなこともなかった。
でも、きょう初めて思ったんだけど、こりゃあんまりいい録音じゃなかったんだな。
なんていったらいいのか音の出方が行き当たりばったりというか、時間の経過につれて定位や音像のサイズ、オーケストラと独奏楽器の大きさの比率のようなものが揺れ動いて定まらない感じ。
んー、どうもおれも再生装置や使いこなしの未熟さだけが原因というわけでもなかったんだな。しかし良かったんだか悪かったんだか。
閑話休題。
アナログの「バイブル」なんてことを考えてるうちにふと思ったんだけどさ、CDが登場するまで、おれらオーディオ好きはほとんどもっぱらレコードとプレーヤーにかまけてたんだよな。
やれ適正針圧がどーの、インサイドフォースがこーの、トーンアームとカートリッジのマッチングがどーの、いやヘッドシェルとカートリッジのマッチングだってこーの、シェルのリード線がどーの、シェルのリングは外せだの、シェルのピンを磨けだの、アコースティック・フィードバックがどーの、インシュレーターがこーの、ダストカバー外しとけだの外すなだの、とにかくまあ重箱のすみを突っつくよーなことに始終かまけておりましたですな。
なんちゅうか、とにかくもうアナログは重箱のスミのカタマリ、なような気がしますね。
それがあるときCDの出現でもってアナログが駆逐され、オーディオマニアが長年慣れ親しんだあの重箱のスミがどっか行っちゃった結果、なんだかヒマになっちまったわしらマニアは、ケーブルはぶっといのがいーだの細いほうがいーだの、コンセントがどーの、ホスピタル・グレードがこーの、カーボンがいいだの、鉛はダメだの、ケーブル支える柱だの、ケーブル寝かせる枕だの、貼るだの、乗せるだの、削るだの、とにかく新しい重箱のスミをほかに見つけなきゃなんなかったんですな、いじるところのないCDプレーヤー相手じゃ。
いや、アナログだけの時代は忙しかったんだよ。あれはあれで。
しかし次から次と、新たな重箱のスミが登場しますですなあ。
by god-zi-lla
| 2006-09-28 02:24
| オーディオもねぇ…
|
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