神はどーだっていいとこに宿る


by god-zi-lla
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最後にここへ登場したのが2016年の11月だからもう3年近いんだな。テクニクスのSL-10といいます。レコードプレーヤーです。フルオートの。リニアトラッキングの。40年前の。

もう1年近くも前に故障しちゃってさ。その前にリニアトラッキングアームの駆動部のゴムベルトが切れて動かなくなったことがあって、これは自力で直した。こういう切れたり・割れたり・折れたりっつう故障は意外と直せるもんなんだが、その後しばらくして電源スイッチをオンしてもパイロットランプが点灯するだけで作動しなくなった。あーエレクトロニクスはだめなのよ。おれには、ちょっとムリ。

それで修理してくれるところを探してたんだが、おー、ここに頼もうってピンとくるとこがなくってさ。そうこうしてるうちに、まあメインで使ってるわけでもないし他にしなきゃなんないことはいろいろあるし、なんてって放っておいたらずいぶんと時間がたってしまったんである。

で先日何気なく検索してみたのさ。そしたらピンとくるところが引っかかってきた。サイトに修理例が詳細な写真を付けていくつも並んでる。けっこう以前からSL-10やその一族の修理を手がけてるみたいなんだが、初めてヒットしたんだよな。んー。ようするにおれの検索の仕方が良くなかったってことなんだろうな。

さっそく電話を入れてみた。どういうふうに動かないのか状況を説明すると、じゃあ、ここんとこのボタンを押したらモーターは回りますかと尋ねられた。

なにしろ、こちとら8年前にネットオークションで本体と電源ケーブルのみで付属品なしトリセツなしのを落札したもんだから、ちゃんと分かってないのね。あ、ありますあります、ボタン。これ押すんですか。あ! モーター回りました回りました。あー、これ押すとモーター回るんですか〜。そうなんだ〜。

なんてね。
電話だからわかんなかったけど、きっと呆れてたでしょうね先方さんは。

そうですか、回りましたか。なるほど、そうすると故障箇所はこの辺かこの辺ですね。というようなことで、こういう場合は直せますが、基板上のこういうパーツの不良だと代替品がないので直せない可能性もありますなんて説明を受けて、修理を依頼することにしたんでした。

台風が来そうだったので速攻で近所のホームセンターで段ボール箱とプチプチひと巻きを買ってきて荷造り、とにかく台風の前に届くようにしようと宅急便センターに駆け込んで出す。

で、先方は都内なので翌日には到着。こんだはメールがあって不良箇所が列挙してある。電解コンデンサーの液漏れとか、プッシュスイッチのバーが経年劣化で折れかかってるなんてのは、まあ40年前のブツだからそうだよなーと思ってたが、7インチ盤を自動認識しませんという指摘があってさ。

えー? そうだっけー? ドーナツ盤認識しなかったっけな。

よくよく思い出してみたんだが、そういえばもしかしてSL-10で7インチ45rpm盤を聴いたことってないかもしれない。ドーナツ盤のアダプターがどうなってんのかをチェックしたことはあったけど、そのときかけてみなかった気がする。んー。

使ってた本人が気づいてなかった故障を指摘されてしまった。ありがたい、しかし恥ずかしい。

そして台風が襲来して猛威を振るい、恐ろしい夜が明けた翌朝メールが届いて修理完了しましたという。あの暴風雨のなかで修理作業してたんでしょうか。そりゃもちろん屋外でやりゃあしませんでしょうけど風速40メートルで叩きつけるような豪雨だもん、ビビっちゃうよ。

ところでこの会社の住所を見れば多摩川のすぐ近くじゃないですか。しかもあの「岸辺のアルバム」のモデルになった多摩川の大水害発生現場にほど近いような住所でさ。思わず返信に「台風、大丈夫でしたか」と書き添えたところ、ウチはちょっと高いところにあるので大丈夫ですと。よかったよかった。

で、多摩川両岸にもいまだ台風の酷い爪痕が残ったままの今朝ほどSL-10は帰ってきたのである。

そして早速物置部屋のAGI511の上という定位置に戻して動作確認してるところが上の写真なんでした。かけてるのは、よく見えないでしょうが7インチシングル盤。ジョーン・バエズ〈朝日の当たる家〉。おー、ちゃんと自動的に45rpmに切り替わって当たり前のようにかかるじゃんか。いやー故障してたのがウソのようです、つか、もともと気づいてなかったから、こういうふうに動くのかと感動してしまったんであった。

いいねえ。これはホントにいいレコードプレーヤーだねえ。1979年発売当初は10万円だったそうだけど、いま同じものを作ったら30万円、いや50万円で売っても商売にならないんじゃないかしらん。



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これは修理に出す際に取り外してあった標準装備のカートリッジ。元に戻したらめったなことでは取り外さないでしょうから記念撮影せり。T4P規格だからこのままピンをトーンアームにぐいっと差し込み横っ腹をネジ止めする(しなくても平気そうだけど)。これは機種名310MCつうMCカートリッジで、既存の〈305MC〉という機種をSL-10のためにT4P仕様にしたものなんだってね。

でMCカートリッジが標準装備なのでSL-10にはヘッドアンプが内蔵されてる。すごいもんだ。ぢつは自分で手に入れるまでその辺のことを全然知らなかった。なにしろ79年ってば、おれまだ自分でMCカートリッジ買ったことなかったもん。

つうわけで、無事直ってめちゃくちゃうれしいもんだから記念のエントリーなのでした。めでたしめでたし。




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# by god-zi-lla | 2019-10-16 13:13 | オーディオもねぇ… | Comments(0)




10月6日「味スタ」でのオールブラックスvsナミビア戦。奥さんがiPhoneで撮った〈ハカ〉。撮影は奥さまにお任せしておれは隣りで肉眼で見物しておりました。

オールブラックスの〈ハカ〉を初めて現場で見たのは1987年だから31歳のときか。いまはなき国立競技場のなぜか貴賓席の端っこの高いところから見下ろした。エラいさんのお付きで行ったんだよ。たしかゲームは100点くらい取られて負けたと思うんだがよく覚えてない。

余計なことと承知で申し上げますが、30代の初めころといえばまだ結構マジメに勤め先の草ラグビークラブでプレイしてたころだったから、ラグビーはまだおれにとっちゃ「見るスポーツ」じゃなくて「するスポーツ」だった。シーズンの土日といえば自分のゲームや練習があったから秩父宮やコクリツにラグビーを見に行くことなんてめったになかった。

でもね〈ハカ〉はよく知ってた。ただしハカって呼び名はまだ知られてなくて、たんに「オールブラックスのウォークライ」つう認識だったけどね。

で、ぢつは知ってたどころじゃなくって全部歌えて(いや、叫べて、か)踊れ(いやー、踊りじゃないよな)てたんです。

ある夏、クラブの合宿に〈ハカ〉を録画したビデオを持ち込んだヤツがいてね。晩メシのあと、そいつをみんなでテレビで見た。そしたらビデオを持ち込んだ本人が(これがなかなかの芸達者でね)、このウォークライを全員で覚えようって言い出したんだよ。

まあビールなんか飲んで調子もよくなってるしさ。だいたい非常にノリのいいチームだったから、よく試合相手に、おたくはゲームよりファンクションのほうが面白いっすね、とか言われちゃうくらいでね(ファンクションはアフター・マッチ・ファンクションの略。日本語でいうと打ち上げ)。だからもう、おーそりゃあ面白いじゃんか、やろうやろうって誰も反対しない。

で、合宿の間毎晩みんなで稽古したら完全にマスターしてしまったんである。

覚えると人サマの前でやってみたいじゃんか。

おれが30代初めくらいなもんだからチーム全体みんな若い。20代がウヨウヨいて、当然独身も多い。

で、チームメイトの結婚披露宴や「二次会」にクラブのメンツが大勢呼ばれたことが何回もあった。そうするともうこれだよ、これしかない。

いまみたいにこれがオールブラックスの試合前の「儀式」だなんてカタギの衆は誰も知りませんから、これを全員に覚えさせた張本人の芸達者がリーダーになって面白おかしく「解説」をしてから、やおらチームの試合ジャージに着替えたメンメンが固まってアレをやるんである。

ウケて大喝采のこともありましたけど、場内完全に固まって呆然となってたことのほうが多かったかもしれない。いや絶対多かったな。

そしていよいよ、その「張本人」の結婚披露宴のときには、新郎席から無理やり引きずり下ろしてその場で白いタキシード脱がせ隠し持ったジャージを着せて、本人を一番前に出してやったモンです(まあ覚悟はしてたみたいだけどね)。

しかしまあ、ハカを「宴会芸」にしちゃっちゃあニュージーランドの皆さまにまことに申し訳ないとは思うんですけど、ラグビー部員が大勢でなんかやるという機会に、これ以上の「演し物」はちょっと考えられない。

ちなみに一人でやっても情けないだけだからヤメたほうがいいです。せめて最低3人はいないと気合いが入らない。



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ところでこれはくだんのゲームのノーサイド後の光景なり(これも奥さま撮影)。青いジャージに白パンツがナミビアで上下まっ黒がオールブラックスだけど、なかに黒ジャージに白パンや青ジャージに黒パンもいるのはジャージを交換したから。

両チーム少し入り交じりながら22メートルラインに並んでる。左のほうの黒ジャージを見るとわかりますけど、彼らはスタンドに向かって並んで「お辞儀」をしている。このあと全員で今度はバックスタンド側に移動してまた「お辞儀」、さらに反対の22メートルラインに動いて「お辞儀」。そしてスタンドの大観衆が大きな拍手を返す。

ニュースでオールブラックスが試合後スタンドにお辞儀してから退場したっていうのは知ってたけど、両チーム一緒に並んでそれをするとは思わなかったね。

ナミビアはこの試合、なんとなく規律が乱れぎみのオールブラックスから先制PGを奪い、しばらくの間リードを保って前半はあと2つPGを決めて前半なかばまでは大善戦。

その後は徐々に離されて最後は大差をつけられたものの、ナミビアは最後まで果敢に攻めて守りクリエイティブなゲームを最後まで続けたから、スタンドからはナミビアコールが何度も起こってね。あー点差が開いてもダレない試合はダレないもんだなあと、ちょっと感心してしまったんであった。

ノーサイド直前、オールブラックスのスクラムハーフが二人のナミビアディフェンスを振り切って左ゴールフラッグにトライ。もう勝敗にもボーナスポイントにもなんの影響のないトライだったけども、そもそもゴールフラッグに身体ごとぶつかるようにして飛び込むトライってのが、ラグビーでは最高に素晴らしい得点の仕方なわけだ。

なんとなれば、ピッチのいちばん遠くのすみっこにやっと手を伸ばすということは、敵のディフェンスがボールキャリアをそこまで追い込んできたということの裏返しなわけで、攻守どちらに転がるか最後の最後までわからない局面ってのは、攻守両方が全力を出し合って拮抗するときにしか生まれないものである。

トライを決めたオールブラックスのスクラムハーフもたいしたモンだが(ナミビアディフェンスに押し出され、身体全体がほぼタッチライン外の空中にある状態で、手を伸ばしてボールをインゴールにつけた)、大量失点で敗北直前にもかかわらずそこまで追い詰めて食らいつくナミビアもほとんど同じくらいたいしたモンだってことだ。

すごいぞ、ナミビア。

で、思い出してしまったことがあるんだが、それは言わない。
とにかく誠実に試合を捨てずに戦えば、どんな大敗をしても敗者に送られる拍手は必ずあるということだ。

# by god-zi-lla | 2019-10-08 14:54 | 物見遊山十把一絡げ | Comments(10)
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本の前にジャマものがいるのは許しておくれ。どけるのがメンド臭くってね。
これもトシのせいですかね。

左から。

セイバーメトリクスの落とし穴 マネー・ボールを超える野球論 お股ニキ(@omatacom) (光文社新書)
RUGBY日本代表に捧ぐ 大野均(廣済堂出版)
生まれ変わり ケン・リュウ/古沢嘉通ほか・訳(早川書房)
兼好法師 徒然草に記されなかった真実 小川剛生(中公新書)
失われた近代を求めて 上・下 橋本治(朝日選書)
たとへば君 四十年の恋歌 河野裕子・永田和宏(文春文庫)

この野球の本は面白いぜと息子が勧めるので読んでみたが、なるほど最先端(つまりMLBと一部のNPB)で繰り広げられてる野球つうのはこういうセオリーやメソッドによって動いてるのかと目からウロコが落ちる。なにしろこっちは野球中継見てツーシームだのフォーシームだの言われても珍紛漢でしたから。

そして著者はMLBで主流になっている〈セイバーメトリクス〉もけっして万能でないと指摘する。なーるほど、最先端のベースボールってのはここまで来てんのかと知れば、高校野球を筆頭に日本の少年少女アマチュア野球の投球数制限議論がどんくらい遅れてるかってのも実感できますね(それについてはほんのちょっと触れてるだけだけど)。

大野均は2015年ワールドカップのメンバーで歴代日本代表最多の98キャップを保持する東芝の現役ロック41歳。しかもラグビーのキャリアは大学から。加えてそのチームは地方大学リーグの2部。それだけでもすごいよね。

ケン・リュウの短篇集を読むのは3冊目かな。今回は新作が出たのを知ってすぐ買った。

数篇ある(ということは作家の興味の中心がこのあたりだってことなのか)人間の意識(つか脳の中身っていうか)を「アップロード」して肉体を滅してしまう系の作品を読んでると、なんちゅうかすごく落ち着かない気持ちになってしまうのはおれが古いニンゲンだからでしょうか。

ちなみにおれがそういうテーマのSFに初めて接したのは2015年の映画〈チャッピー〉だった。だけど、そういうことが現実になる時代がホントに来るのか、それともそんなものはたんにカタチを変えた不老不死願望だと考えればいいのか。そこんとこが、なんか落ち着かないんだよな。

それにしても何度か書いてますけど、現代のアジア系USA作家の作品にはそこはかとない滋味があって好きなんだよ。

「吉田兼好」は吉田兼倶によるデッチ上げであるというのが著者の説で、それを立証するのがこの本の大きな柱のひとつであり、それを含めて兼好法師が生きた時代はどのような時代で、彼はどのように生きたのかを探る論考。

兼好法師はあくまで兼好法師で、ひょっとして「卜部兼好」だったかもしれないが「吉田兼好」であったわけがないという。学界のなかでこの説がどういう位置を占めてるのか知りませんけどシロートが読んでるかぎりは説得力大きい。

それはいいんだけど読みにくい本でね。古典籍の原文引用はそういうモンだから別に気にしないけど、著者の書きぶりからは一般読者に広く読んでもらいたいという気持ちは見えない。

この本は、音読のリクエストに上がってたのでまず黙読のまま通読し、それから音読のためメモを取りながら下読みをしてから音読したんだけど(ようするに都合3回は読んだ)、古典の引用部分より著者の文章を音読するほうがよっぽど難儀だった(徒然草は当然のことながら、その他の古文書も声に出して読んでみるとかなり気持ちいいんですね)。日本の古典文学を代表する名作の研究者が名文家でなきゃイカンとまでは言わないにしてもだ。

橋本治の本を読むと、なるほどそんなふうに思ったことは一度もなかったけど、そういわれてみればたしかにまったくそのとおりかもしれない感心してしまうのが常であって、これもまたそういう本のひとつなり。

橋本治が亡くなってしばらくしてから本屋でこれをパラパラとめくっていると、なんだか田山花袋の「蒲団」について論じている章がある。「日本の自然主義文学の代表作」なんていわれて有名なくせに、なんじゃこりゃあというしかない小説を橋本治はどう論じてるのか興味津々で買ってみた。

この本で橋本治が取り上げてるのは田山花袋のほか、夏目漱石、二葉亭四迷、北村透谷、国木田独歩、島崎藤村、森鷗外、正岡子規、幸田露伴というような人たちで、つまり書名にある「近代」とは「日本の近代文学」のことである。まあいろいろありますが、読み終えてとくに、あー橋本治がこういうふうに書いてるんだから一度ちゃんと読んでみなきゃと強く思ったのが幸田露伴の〈五重塔〉なのであった。

〈たとへば君〉は読書会のお題だった。

なんつうか、歌人とか詩人とかって、どうしてここまでコトバのために身を削るのかと、ボンヤリと生きてるおれなんかには何もコトバがない。

夫婦して歌人で、「夫婦の会話」ってのも当然ある。これはまあ夫婦の会話だからどちらのお宅だって「夫婦の会話」つう範疇を越えてくるものはない。つうか、それを越えてくると夫婦ってのは多分崩壊するんだろうと思う。だからなんか、寸止め的な何かをしょっちゅう発動するわけだ。

いっぽうで歌人と歌人つう、コトバのために身もイノチも削ることを厭わない同士の(主として詠まれる歌による)対話となると、寸止め的な何かなんてない。夫婦であり二人の先鋭な歌人でもある。そのふたつが同時にあるって、おれなんかには壮絶すぎて想像もできない。

そういうのの片鱗がこの事後的に編まれた「相聞歌集」に垣間見える。

おしまいのところで、ちょっと、泣いた。





# by god-zi-lla | 2019-10-01 23:27 | 本はココロのゴハンかも | Comments(0)