神はどーだっていいとこに宿る


by god-zi-lla

熊本の大地震から半年後、地元で小さな旅行会社をやっている後輩の応援も兼ねて彼の会社主催のツアーで熊本を旅した。

そのときの記録を3回ぶんのエントリーにしてあるから、よかったら覗いて思い出して下されたく。

ここから3回(1回目と2回目末尾の 'to be continued' に次回へのリンク貼ってあります)





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阿蘇神社(2016年10月9日撮影)





# by god-zi-lla | 2024-04-15 12:03 | 震災・原発事故 | Comments(3)

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けっきょく今年は一度も桜を見に出かけず終わっちゃった。どーってことないっちゃそうなんだけど、年に一度のことだしなあ。あと何回桜を見られるんだおれは、なんてガラにもないことをちょっと考えたりする年頃にはなりつつあるよなー。

なんつて。

ハナシ変わりますけど、以前ドロシー・カーステンというメトロポリタン歌劇場の歌手の7インチ2枚組アルバムをたまたま手に入れて、そのカヴァーアートがアレックス・スタインワイスの手によるものだったっていうエントリーをそのときアップロードしたんだった(これ)。

で、そのときウチにはスタインワイスデザインのジャケットは1枚もないって(とくに探しもせずに)書いたんだよ。それがだね。ふとこのバルトークの古い自作自演盤を何年ぶりかで引っぱり出して聴こうとしたところで、あ! と気づいたのだった(上のやつ)。

きのうきょうじゃない。15年、もしかしたら20年以上前からウチにあるレコードなのにさ。そういやジャケット右下緑色の部分に、れいのくるくるした筆記体ふうの書体で小さく 'Steinweiss' とあるじゃんか。ぜーんぜん気づいてなかった。

つうわけでまあ、それだけっちゃあそれだけのハナシなんだけどね。スタインワイス作と知れたからって、じゃあこれがそんなに良いデザインかってばそうとも思えないしさ。

だからってわけでもないけど、そもそもこの 'REMINGTON' ってどーゆーレコード会社なのさってことが気になり始めた。つか気になってきたのはこのセンターレーベルの上のほうに同じスタインワイスのくるくる書体で↓




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まことに麗々しく 'A Don Gabor PRODUCTION ' とあるじゃないですか。この人だれ? ガーバー? ガボール? それともゲイバー? 発音はともかく、このレミントンつうレーベルのプロデューサーか社長さんだよな。

ためしにDiscogsで検索してみれば、ちゃんとヒットする。1912年生まれ1980年没。ハンガリーのブダペスト生まれ。あ! バルトークと同郷のひとなのか。で、ContinetalレーベルとRemingtonレーベルの創業者にしてプロデューサー。1953年米国初の商業ステレオテープ録音のプロデューサーともある。

でそのDiscogsのページにDon Gaborについてのサイトへのリンクを見つけた。そうか、なるほど。有能で商売上手なプロデューサー&経営者だったDon GaborはコロンビアやRCAなど大手のレコード会社相手に勝ち抜くため盤質を犠牲にしてでも低価格のレコードを市場に送り込んでたが、それだけじゃダメだとパッケージデザインまで含めた魅力的な商品作りをしようとスタインワイスに仕事を依頼したみたいだ(Safariの自動翻訳による日本語モドキからの『推定』)。

いや、たんに個別のジャケットデザインにとどまらず、その基本フォーマットからレーベルデザイン、社名ロゴにいたるまで、今風にいえば 'CI' 全般にかかわるデザインをスタインワイスに託したらしいんだが、それが多分1952年ころのことで、これってすごく時代を先取りしてない? 

んー。まあそのへんをアレコレ言うのはやめとくけど、今の目で見ちゃうと古めかしさが先に立ってしまうジャケットのデザインと比べれば、上の写真のレーベルデザインはずっとモダンであまり「古くさい」という感じがしない。ちなみに、これより以前のRemingtonのセンターレーベルが下の写真↓ 完全にSP盤の雰囲気引きずってるもんな(Discogsからコピーした画像)。



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Don Gabor先生なかなかの人物らしいな。なんて感心しながら、あらためて《BARTÓK PLAYS BARTÓK》のジャケットを眺めてたのだった。そしたらスタインワイスのくるくる書体でもって、まるでジャケットのすみっこにちょちょっとメモしたかのようにこう入っている。




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ん? ヨーロッパ録音。バルトークは1940年に故国を離れニューヨークに夫人と移住してきてるよな。これって、どゆこと? ヨーロッパ時代の旧録音をレミントンレーベルで再発したってことかしらん。

で、さっき見たDon Gaborのサイトを読んでみると1941年から42年にNYのベーラ・バルトークの演奏を録音したとあるんだ(このサイトは年月日の表記がすごく曖昧)。最初Gaborはこの録音を自分のレーベルの 'Continetal' からSP盤としてリリースしたようだけど、なんでまたNY録音をわざわざ "Recorded in Europe" なんて謳って出してんだ? ひょっとしてそのほうが売れたりする? 

50年代アメリカのクラシックレーベルつうとウェストミンスターを思い出すけど、あの会社はヨーロッパ(それもウィーン)録音をウリにしてたんだよな。戦勝国アメリカ合衆国の新興レコード会社が敗戦国オーストリアのウィーンに乗り込んで札ビラ切って現地の演奏家使って手当たり次第に録音してレコード作りまくったっつう、悪くいえばそんなイメージ(たしかバドゥラ=スコダが、敗戦後のウィーンでは考えられないような高額ギャラをもらったと生前インタビューで語ってるのを読んだことがある)。

そんな商売ガタキの商法にDon Gaborが便乗した?

なんて思ったもんだから、次男ペーテル・バルトークの書いた『父・バルトーク 息子による大作曲家の思い出』(ペーテル・バルトーク/村上泰裕訳・スタイルノート刊)て本が図書館にあったのを借り出してみた。そのへんのいきさつについて何かあるかと探してみたら、1942年から44年にかけてのアメリカの有名なレコーディング・ストライキに関わることらしい。本文の131頁、父ベーラは米国の演奏家と共演できるようユニオンに加盟したこと、その後ユニオンによる録音ボイコットがあったことを述べたあと

両親とアメリカで暮らす間に発売されたアルバムは、たった1枚しかない。コンティネンタルレコード社から発売の『ベーラ・バルトーク自作自演集』で、かろうじてユニオンが関知しないヨーロッパ録音だった。

下線部分は本文では傍点つき(原著ではイタリックかも)で、ようするにヨーロッパで録音されたアルバムってことにしてDon Gaborは素知らぬフリでリリースしたってことらしい。ウマい抜け道をみつけて、やっぱ「商売人」だよなー。

と思ってたら、どうもそればっかりとも言えない。本文ではこのあと、ヨーロッパからの印税収入が戦争の影響で思うように手元に届かないところへ、さらにバルトークの健康に問題が生じ、バルトーク一家のNYでの生活が苦しくなってきていたことが描かれたあと、ペーテルはこう記している

友人たちによる秘密裏の尽力で、さまざまな形の援助が届いた。ある日、郵便で届いたコンティネンタルレコード社の印税支払明細書は、思いがけないほど高額だった。父は不思議に思い、「どうしたらこうなるんだ?」と明細を点検した。少しでも不備があれば即刻送り返していただろう。だがドン・ガボールの手腕のおかげで、偽の売れ行きを計上した明細はすっかり本物らしく見え、父は納得するしかなかった。

同郷の偉大な音楽家バルトークにドン・ガボール(なるほど発音は『ガボール』なんだな)は援助の手を差し伸べてたわけだ(SP原盤で『欧州録音』と謳った手前、LP時代になってホントはNY録音でしたとは言えなかったかもな)。

それにしてもバルトーク。とんでもなく謹厳実直(つか頑固一徹)なひとだったんだね。心ある音楽関係者が経済的援助を申し出るのをみんな断ってしまってたらしい。だからガボールも印税支払明細を「偽造」するなんて手の込んだマネをせざるを得なかったっつうことのようだ。

ちなみにクーセヴィツキー財団がバルトークに管弦楽曲を委嘱したのも経済的支援のためで、病気のため体力に自身のなかったバルトークはそれを断ろうとしたらしい。そこでクーセヴィツキーは財団が委嘱を機関決定して取り消せないからと無理やりバルトークのところに作曲料を置いてったとペーテル・バルトークは書いている。そのおかげで名曲中の名曲『管弦楽のための協奏曲』が世に出たんだなあ。


なんかスタインワイスデザインのジャケットからとんだ枝線に入っちゃった。いや、スタインワイスのジャケットのほうがよっぽど枝線か。そこからうっかり「本線」に出ちゃったって感じだったりして。

ところで『ガボール』って聞いて、おれはジャズギタリストの『ガボール・ザボ』を反射的に思い出したのだった。そうか、そういやあのひともハンガリーのひとだった。まさか親類じゃないよね。




それから、ちょっと調べるだけのつもりで図書館から借りた『父・バルトーク 息子による大作曲家の思い出』って分厚い本が、読み始めると面白い。すぐ返すつもりだったんだけど、ちゃんと読んでからにすることにした。










# by god-zi-lla | 2024-04-14 09:20 | 常用レコード絵日記 | Comments(2)


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いや関係ないかもしんないけど、展覧会やってるタテモノがさ。展覧会で展示してある作品よりか大事だよなと思ってるそのタテモノのカンケイ者ってきっと多いんだろうな、なんて思う。

いやもっとカンケイないんだけど、あるタテモノの中でさ。展覧会をやっててさ。その展覧会で展示されてる作品のほうがそのタテモノ自体よりかツマンナイっつう。それは実際遭遇したことがあるんだけどさ。仕方ないから作品と作品の間に見えてるタテモノの壁とか眺めてんの。まーそれならそれでいいか、って。

いやイレモノだ。展覧会においてタテモノというのは。あ、いや、そもそもタテモノってのはイレモノなのか。どんなモノが入ってるかはともかくイレモノはイレモノだよな。まあいい。展覧会も入ってるモノではあるさ。ビジュツ館だってナニモノかを入れるイレモノだな。

西洋美術館つうとやっぱ、名前からして西洋ビジュツというモノのイレモノで。ほいでもってその西洋ビジュツを並べて展覧会をやってそれを見に来るひとがいる。西洋ビジュツはモノだな。絵とか彫刻とか。あるいはヤキモノとか。そういうモノをビジュツ館のひとが並べたのをヒトが見に来る。見に来るヒトと並べるヒトは今のひとだが、作ったヒトは当たり前だけどむかしのヒトだ。

見に来るヒトと西洋ビジュツつうモノとがセットになるとそれが西洋美術館か。見に来るヒトがいなけりゃ美術館でなくて倉庫だもんな。むかしのヒトが作ったモノをしまってある倉庫か。正倉院とか。

現代ビジュツってのも、やっぱりモノか。いやたしかにモノが並べてあるけど、それはモノか。ロダンの《考える人》ってブロンズの像があったが横倒しになってて足元に仕込んである免震装置が見えてる。あーこんなふうになってんだイマドキは、なんて見てるおれらは思う。

がそれはモノを見てんのか。いや、なんか違う気がする。それはなんつうか「状態」とか「状況」とかいうもんを見てんじゃないか。モノはたしかにそこにあるんだけど、しかもそいつは相当な値打ちモンのロダンで、でも横倒しになってる。そのうえなんか恥ずかしいあたりに仕込まれた免震装置までムキダシになって、それを客がよってたかって覗き込んでる。

《考える人》はロダンだが横倒しにしたのは現代ビジュツの人だ。横倒しになったロダンは現代ビジュツの作品でロダンではない(のか?)。インスタレーションていうんだろうが、横倒しのロダンなんかその場でこさえて(倒して)終わったら片付けちゃう(立てて台座に乗せて戻す)わけだが、それでも「作品」つっていいのか。インスタレーションはただインスタレーションで、「作品」とはちがうってことがあるのか。そのへんよくわからない(わからないが困らない)。

現代ビジュツにはフツーの絵もあるから、まあそういうのはモノとして並んでるのを見る。おれとしてはそういうのはあんまし見たいわけでもない。どっか西洋ビジュツとおんなじで、いまさら昔ながらの画材で「絵」なんか書いててどーすんのとか一瞬思ったりする。

展覧会場の液晶モニターになんか映像とか文字とかが映ってて、それがどんどん変わっていく。まあ近ごろの現代ビジュツにはいくらでもあって珍しくもなんともない。西洋ビジュツならキャプションに「カンバスに油彩」とあるような絵とおなじくらい、液晶モニターは今や当たり前のモンだ。だけど液晶モニター自体は大抵のばやいべつにどーだっていい。そこに映し出される画像やら文字やらが現代ビジュツなんだろうから。

だけどそのモニターが空中にナナメに吊ってあったりすると、それはやっぱその現代ビジュツの大事な表現かもしれないと思ってしまう。だけどもしかし、モニター自体はべつに交換可能でそれじゃなくちゃいけないってことはない気がする(東芝じゃなきゃとかソニー以外ダメとか)。まあ西洋ビジュツのガクブチみたいなもんか(ガクブチごとナナメに掛けて見物しろと作者が指定した絵なんてない前提)。

でふと思い出す。そういや西洋ビジュツの人であるルオーの絵のなかに、ガクブチまで絵がハミ出してんのがあるのを見たことがある。額装したあとまでルオーさんは何か足りないと思って描き足してたんだろうが、そのばやいガクブチはもはやガクブチじゃありえない。

そういやナムジュン・パイクに小さなテレビモニターがいくつも取り付いたオブジェがあって、モニターにはビデオ画像が映し出されてる。あーどっから見てもナムジュン・パイクだよなーっていう現代ビジュツだよなー。

あれしかし「現代」とはいえ古いからモニターは全部ブラウン管式で、長年電気入れたり切ったりしてたらそのうち寿命が来る。もう寿命が尽きたパイクのモニターがずいぶんあるんじゃあるまいか。だけどモニターに画像が出ないそのオブジェはナムジュン・パイクの作品として見物していいのか、悪いのか。

あれは修理できるんですかね。修理できなくなるとパイクの作品は消えるのか。西洋ビジュツの「絵」の修復のことはよく見たり読んだりするけど、そのへんどうなんだ現代ビジュツの「作品」のばやい。

西洋美術館に収めようのない西洋ビジュツなんてのはない気がするが、現代ビジュツってののなかにはイレモノのことなんて考えてないとかイレモノ不要とかイレモノ不可とかってのがいくらでもありそうな気がする。

ル・コルビュジエの作った超有名な国立西洋美術館で現代ビジュツの展覧会をやるから出品して下さいと言われて、そんなことぜってーしたくねーよと断った人はいるにちがいない。壁とか天井に穴開けてこーゆーの吊らしてくれたらやってもいいぜみたいな人もひょっとしたらいるかな。もちろんオッケーは出ない。世界遺産だもんな。西洋ビジュツのほうでは穴開けさせろなんて言ってこられる心配は金輪際ない。なにしろみんな死んでるし。





そんなことがアタマんなかでぐるぐるしてるうちになんだか全部見終わってしまった。

見終わって外に出て振り返ると、国立西洋美術館のタテモノはけっこう無愛想だったんだな。ここは西洋ビジュツを見に来るところでタテモノなんか見てんじゃねーぞと、ル・コルビュジエに言われたような気がした。

この広い前庭にブルーシート掛けの小屋びっしり建てて(とりあえず世界遺産は見えなくして)、そこで現代ビジュツの展覧会やったら面白かったろうな(お客はゴロ寝オッケーで)。





《ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?ー国立西洋美術館65年の自問|現代美術家たちへの問いかけ》
5月12日まで国立西洋美術館









# by god-zi-lla | 2024-04-10 21:32 | 物見遊山十把一絡げ | Comments(0)