神はどーだっていいとこに宿る


by god-zi-lla

二代目さんはお掃除中


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いろいろあって、ひさびさにルンバが戻ってきた。5、6年前、バッテリーや各種パーツを取り替えながら10年近く(いやそれ以上かも)使い続けた最初のルンバがとうとう動かなくなって、それ以来。

さすがイマドキのルンバ君はスマホのアプリでコントロール出来るようになっていた。しかも名前が付けられるって。まあ名前付けて愛玩するためじゃなくて複数台を操作することを想定してるんでしょうけど、名前つけられるんだったらつけましょうよ。

奥さんが、2台目だから先般惜しくも亡くなった名優・二代目中村吉右衛門にちなんで屋号の「播磨屋」にしようっていう。あるいは大向からかかる声のように「大播磨(おおはりま)」か。

いやーしかし、そりゃいくらなんでも実際の舞台に接して何度も感銘を受けた名優にアレじゃないですか。たとえ屋号とはいえ「実名」は遠慮して「二代目」でどう? 伝説の名優・六代目尾上菊五郎のことを「六代目さん」なんて親しみを込めて呼ぶオールドファンもいますから、ここはひとつ「二代目さん」でいかがでしょう。

つうわけで、上のスクリーンショットには「二代目さん」と表示されております。

待ってました!

ところで昨年後半、うちの奥さんが体調を崩し日常生活にちょっと差し支えるが出るようになった。日々なかなか今まで通りにいかないことが増えた。とはいえここ10年来家事の多くをおれが引き受けてきたから、多少体力的な負荷が増えたかな程度で日々あまり深刻に考えずに(考えないように)暮らしてたんだけどね。

それがあろうことか先月のなかばを過ぎたころ突然腰にヤバい痛みが走った。

じつはその1週間前くらいから、これはちょっとイケナイかなって感じではあったんだ。なのにさ。不用意に重たいものを持ち上げたところ、一挙に悪化してほとんど動けなくなった。

「老老介護」まで言わないにしても奥さんは体調を崩して以降、外出などの際にちょっと手助けが必要だったりする。なのでこの状況でおれが具合悪くなるのはマジでやばい。けっこう気をつけてきたつもりなのに軽率だった。腰の機嫌を取りながらそおーっと歩いて近所のスーパーで出来合いの惣菜を買い、脂汗を流しながら辛うじてゴハン炊いて惣菜のパック広げて食いつなぐ。

ここでおれがこうなっちゃうのかよー。とにかく腰痛ってのは安静にするしかない。かかりつけの整形外科医院でも、数カ所椎間板に良くない箇所があるけど痛みはそれじゃなくて、それを支える筋肉のほうだからとりあえず安静にせよという。

ウンウン痛みで唸るおれを見かねて奥さんが、五反田のスーパーがネット注文で毎日配達してくれるサーヴィスを見つけた。配送料が1回500円かかるが、ためしに頼んでみるとこれはじつにありがたいぢゃないか。惣菜も弁当も冷凍食品も水もネットで発注したら配達してくれる。しかも当日注文当日配達も時間帯によっちゃ可能だ。

これで生き延びましたね。

いま現在、腰のほうはずいぶんと良くなって日常生活に支障をきたすことはほとんどなくなった。だけどアレですよ。老夫婦がふたりして具合悪くなるとこういうことになっちゃうのかと、今回文字どおり痛いほどよくわかった。奥さんも少しずつ回復しているけどまだちょっと時間が必要な感じだ。おれがまたあんなふうになったら目も当てられない。

で、ネットスーパーは日常的に使うことにした。油だの水だの醤油だの麦酒だのの「重量物」や洗剤などの日用品その他もろもろは全部玄関先まで運んできてもらう。この際なんでもかんでも「自作」しようとするのは卒業して、もっと出来合いの惣菜や冷凍食品なんかを食卓に並べ台所に立ってる時間を減らそう。これを機会にそういう暮らしに積極的に転換するぞ。

そしてルンバの復活。

もちろん腰痛のひどい間は掃除どころじゃなかったから、届いて充電してすぐに働いてもらいました。

そもそも10数年前、当時登場したばかりの「お掃除ロボット」なんてのを買ったのは共稼ぎ家庭に必要だったからで、新しモノ好きとかそういうんではない。だからその最初のルンバだって初日から目いっぱい働かせた。

それが今の住まいに移ってしばらく経って子供たちが順に独立して出て行くと家事の総量が大きく減った。そのうえおれは50代前半で勤めを辞めウチでガンガン掃除も台所仕事もするようになった。ルンバの登板機会はおのずと減る。そのうちルンバ自体にもガタがきた。我が家におけるルンバの仕事はそこで一度終わった。それが5、6年前のことだったわけだ。

そしてこのたびこの「二代目さん」の登場となったんでした。ウチのルンバはいつも即戦力なり。


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iRobot社の〈i2〉っていう一番安いシリーズで、初代よりもたぶん2万円くらい安い。だけどさすがこの20年近くの進化はたいしたもんで、コイツはうんとお利口になったしパワフルにもなった。もっと高級なシリーズだともっと便利でパワフルだったりするんでしょうがウチではこれで十分だな。長年使ってきて出来ることと出来ないことはわかってるし、初代からちゃんとブラッシュアップされてるのでとくに不満ありません。

ルンバのとなりに壁に立てかけたレコードが見えるけど、初代だったらここにゴツンと突っ込んでレコードはたぶんバタバタと倒れた。そこへもういっぺん(むかしのラグビーのフォワードみたく)頭からガムシャラに突っ込んで、わぁー、なにやってんだこらあー! なんて阿鼻叫喚になってたに違いないんだ。試しにやってみると、二代目さんはソフトにトンと当たってムリはしない。もちろんレコードが倒れることもない。キミもオトナになったんだねえ。

ところで今や「お掃除ロボット」は国産中華産韓国産などいろいろよりどりミドリだけど、おれはこのiRobotの製品にすると最初から決めて他社のやつは調べもしなかった。

なんとなれば2011年のあの大震災の原発大事故のさい、iRobotがいち早く原子炉内に投入するロボット技術の提供を申し出たこと。それ自体の成否はともかく、そこですぐに手を挙げた異国の企業に恩義を感じる奇特なヤツがいたっていいんじゃないかと思ったんだよ。こういう製品は、えてして後発の企業のほうがより良い性能のものを送り出すんだが、そんなこたぁこの際どーでもいい枝葉だ。




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このへん↑までは多分きてるんだろうなと思ってたけど、実際にこうやって表示されたのを見てみると、たいしたモンだなあと思うね。コツンコツンとあちこちぶつかりながら自力でデータ蓄積して部屋の形状を認識してってるんだな。

「おうち」アイコンのところにはドック(『ホームベース充電ステーション』というみたいだ)があって、掃除が終わるかバッテリー残量が少なくなってくると勝手に戻って勝手に充電開始する。

緑色の部分は清掃できたところで、それを囲んでいる実線は「二代目さん」が現在認識しているこの部屋の形状。ウチにはこんなナナメになった壁面はないからちょっと「惜しい」んだけど、何度か繰り返してるうちに正確にマッピングするようになるんだろうか。

なんか新しい楽しみができたぞ。







# by god-zi-lla | 2022-08-08 08:47 | 日日是好日? | Comments(2)
この2か月で読んだ本の備忘録_d0027243_16112037.jpg




4回目があったんだから5回目も6回目もあんだろうな。

後列左から。

日本美術応援団 赤瀬川源平・山下裕二(ちくま文庫)
東京タワーならこう言うぜ 坪内祐三(幻戯書房)
女たちのアンダーグラウンド 戦後横浜の光と闇 山崎洋子(亜紀書房)
ベトナム戦記〈新装版〉 開高健・秋元啓一(写真)(朝日文庫)
英龍伝 佐々木譲(毎日文庫)
〈美しい本〉の文化誌 装幀百十年の系譜 臼田捷治(Books & Design)
文字を作る仕事 鳥海修(晶文社)
黒牢城 米澤穂信(角川書店)

前列左から。

オールドボーイ 色川武大(小学館P+D BOOKS)
豆大福と珈琲 片岡義男(朝日文庫)
こちらあみ子 今村夏子(ちくま文庫)
上方落語ノート 桂米朝(青蛙社)
暮らしのファシズム 戦争は「新しい生活様式」の顔をしてやってきた 大塚英志(筑摩選書) 



日本美術応援団はむかし読んだつもりでいたら未読だった。ある意味時代を画した名著(名企画というべきかな)だよな。黒田清輝ボロカスなとこなんてとくに好き。

同年配でもカネモチの息子と貧乏人のガキはこんだけ違うんかって、本文となーんのカンケイもないところで非常に感心(『東京タワーならこう言うぜ』って書名に惹かれて読み始めたんだけど)。

同じ山崎洋子の旧著「天使はブルースを歌う  横浜アウトサイド・ストーリー」を去年読んで、そのあとすぐに読み始めようと思ったのに1年近く経ってしまったけど、この順に2冊読んだのは正解だった。

せんだって玉三郎主演で見た有吉佐和子作〈ふるあめりかに袖はぬらさじ〉の舞台になった横浜開港場の遊郭「岩亀楼」はなるほどここかと、思わぬところでいくつもの「点」が線になって繋がった。

横浜市は開国後に作られた居留地の外国人相手の遊郭を「国際社交場」と言い換え、連合軍占領下、数多くの嬰児の遺体が「知られざる外人墓地」に埋葬されていた事実を世間から隠そうとする。

若いころ「輝ける闇」も「歩く影たち」も読んだはずなのになぜか肝心カナメのこれを読んでなかったのはなんでなんだろうか。若い時分の自分に聞いてみたいが、とにかく開高健が終生ヴェトナムで受けたPTSDに苦しんだという事実を思うばかり。収録されてる秋元啓一の手記も日野啓三の解説も「当事者」ならではとしか言いようがない。

「武揚伝」はずいぶん前に(たぶん刊行当初)読んだんだけど、この江川太郎左衛門と、中島三郎助を描いた「くろふね」とで佐々木譲の幕末幕臣三部作と呼ばれてるとはまるで知らなんだ。

それにしても何かにつけて江川太郎左衛門英龍の行く手を妨害する鳥居耀蔵。こういうの、今でもうじゃうじゃいてニッポンの行く末を危うくしてるよなあーって。なぜかそこへ目が行く。困ったもんだ。

ここんとこ奥さんの関心事のひとつが本の装丁(あるいはブックデザイン)、製本、組み版というようなとこにあるもんだからウチのなかに最近その手の本が沢山転がってる。

で、ついそれをおれも読んで「関心事」に巻き込まれつつある。「〈美しい本〉…」がそういうふうにつられて読んだ本で、その次の「文字を作る…」が巻き込まれた結果自分で買って読んだ本。

広告やなんかのコピーや「見出し」に使うんでなく、書物や新聞雑誌の本文組みにもっぱら使うために作られた「本文書体」にまつわる話が「書体設計士」によって語られて、版元の晶文社もこの本の装丁者の平野甲賀も当然出てくる。

「黒牢城」は読書会のお題。ミステリー作家が初めて手がけた時代小説で直木賞受賞作だと。ぜんぜん期待せずに読み始めたら結構イケました。荒木村重によって土牢に幽閉された黒田官兵衛が村重に知恵を貸して謎を解く、というような単純な「戦国ミステリー」だったらどうしようと心配してたら、そんなことはなかった(そういうとこもあるけど)。

筆力のある作家のようだから、ひょっとしてミステリーだと受賞しにくい直木賞を時代小説で「獲りに行った」と邪推してみたりして。

色川武大の読んだことのない短篇が入ってそうなので手に取ったら、なかの1篇におれの面識のある人物が実名で登場してるじゃんか。そのひとは将棋棋士の芹沢博文の周辺にいたバクチ打ちのひとり。芹沢九段が亡くなった数年後に色川武大が亡くなり、このひとは今から10年ほど前に亡くなった。おれはこのひとの自宅で芹沢九段を一度だけ見かけたことがある。無頼のひとびと。

片岡義男の小説における日本語のありさまというのが、どうにも興味深くてね。それでついつい読んでしまう。そればっかりってわけでもないんだけど、それが片岡作品を手に取る原動力なのは間違いない。

「こちらあみ子」はこないだ書いたとおり。

米朝さんのこれは代表的著作のひとつだなんてことは全然知らず(さっき知った)、ある新刊本屋のアウトレットコーナーのワゴンに本体2800円が1080円で売られてたので思わず買っちゃった。そしたらこれが面白いんだ。いや、じつは全然わからないところも多いんだけどね。こちとらの落語に限らず伝統的な演芸・芝居・音曲などについての知識教養が圧倒的に足らないもんだから。

けども、落語をはじめとした話芸と浄瑠璃や歌舞伎との関係など、おれにもわかるところだけ読んでってもじつに面白くて興味深くてやめられない。

全4冊であと3冊あるというので調べたら岩波現代文庫に全部入ってるのがわかった。第二巻、すでにゲットしました。

著者は「戦時体制は『生活』や『日常』の顔をして語られる」とし、パンデミックの始まり以来盛んに語られてきた「新しい生活様式」などというコトバの先に同じように危険なものを見ている。この本では大政翼賛会が柔らかで平易な言葉で国民生活を侵食し洗脳していくその過程と方法と、そこに関わった人物を抉っていく。

最初に取り上げられてるのが花森安治。それから太宰治。花森の「仕事」はけっこう知られているし本人も認めているところだけど、太宰がここで取り上げられること自体がおれには驚きだった。太宰について挙げられているのはおもに「女性一人称小説」の二次創作について。なるほど、そういうことなのか。著者は花森よりも太宰のほうが犯した罪が悪質だと見ている。

むかし読んだ「メディア・レイプ」なんて本のことを、ちょっと思い出したりした。国策としてのそれが「気のせい」や「考えすぎ」で済むヨノナカであれば世話はないけどな。












# by god-zi-lla | 2022-08-05 22:59 | 本はココロのゴハンかも | Comments(0)
こちらあみ子 映画と小説と_d0027243_08165736.jpg


ここんとこ腰が痛くて、ちょっとばかしツライ。
今夜も落語会の予定があったんだけどキャンセルした。

ま、そんなこたどーだっていい。

腰痛がひどくなる直前の先月21日、新宿武蔵野館で森井勇佑監督『こちらあみ子』を見た。その日は早川千絵監督の『PLAN 75』か、それとも是枝監督の『ベイビー・ブローカー』かと迷ったが話題作は長くスクリーンにかかってるだろうから、封切りからもう2週間くらい経ってる『あみ子』を見ることにした。

なんつうか、これはとんでもない映画を見てしまったと思った。映画が始まって主人公「あみ子」の言動に振り回され続ける。ちょっとずつこっちの理解を超えたところに「あみ子」がいる。理解を超えてるわけだからそれは映画を見てて「快い」という感覚を呼び起こすものではない(『理解不能』はしばしば『不快』と結びつく)。

あみ子の家族はじめ周囲の登場人物たちがみんな振り回されてるんだから、見てるこっちとしてはそこから「あみ子」がヘンな子なんだという結論を出しかかる。ところがそのへんからアタマがグラグラっとしてきた。う? なんかそうとも言えないんじゃないか。

そして、アタマのなかが混乱したまま映画が終わってしまった。

なんかこう、自分のなかの「ナニか」が揺すぶられるような感じ。こういうことってめったにない。

帰ってから調べてみると『こちらあみ子』は今村夏子の小説が原作で、その小説はもう11年も前、東日本大震災よりも前に刊行された作家のデビュー作だっていう。ぜんぜん知らなかった。すぐに紀伊國屋のオンライショップで文庫になってるのを買った(帰りに寄れば武蔵野館からすぐなのに紀伊國屋書店新宿本店)。

で、さっそく小説も読んでみた。長めの短編小説というくらいの小説なのだった。映画はほぼ小説をそのまま映像化してるといってもいい印象で、たとえば小説の『ドライブ・マイ・カー』と映画の『ドライブ・マイ・カー』がまるで別物なのとは大きくちがう。

先に映画を見てたから小説を読んでショックを受けるということはなかったけど、まっさらな状態で先に小説を読んでたらわからない。映像と文章では受けるショックの質は違ってたかもしれないけども、やっぱり「あみ子」の言動と周囲のひとびと(オトナもコドモも家族も他人も)とのズレ、というか摩擦、というか「異世界感」とでもいうのか、そういうものがまるで持って回らないコケオドカシなんてまるでない柔らかな文体の底から湧き上がってくる。

かといって、この「あみ子」をめぐるものがたりはふつうの日本の地方都市(広島県のどこか)のふつうの庶民の日常であって、ホラーとかミステリーとかファンタジーとかSFとかそういうもんでは全然ない。おれのまわりで起こっても別段不思議でないような出来事が、「あみ子」のいるところで起こってるにすぎない。

それでもなおかつの「異世界感」。あみ子だけでなく、取り巻くひとびとをも含んだ「異世界感」。

なんなんだこれは。






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こちらあみ子 今村夏子 ちくま文庫
映画のほうは新宿武蔵野館、8月中旬まで上映予定。

あみ子役の子もいいが、あみ子のお兄ちゃん役のお兄ちゃんがいい。ある意味この映画を支えてるといえるんじゃあるまいか。画面に映ってるときもそうでないときも。









# by god-zi-lla | 2022-08-02 18:12 | 物見遊山十把一絡げ | Comments(0)