こんだは来日50周年て、それって(オペラシティのバドゥラ=スコダふたたび)
2009年 10月 11日
前回来日のときに書いたのと同じことだけどさ。まあなんつうかいまどきの演奏精度とかそういう観点から聴いたらいけない巨匠だからね。音大のピアノ科の学生なんかが聴いてもなんの参考にもならんというか、大半の音大生のほうが指動くんじゃないかね。でもって「なんじゃこのじいさんは」みたいな1500年早い感想を抱いたりしてさ。
そういうメカニック最優先みたいなとこの極北にいらっしゃる巨匠なわけだ。
それでもしかし、そうとわかってても不安な幕開けではあったなあ。しょっぱなハイドンの「皇帝讃歌による変奏曲」。これは前回聴いた演奏会の出だしの調子よりも不安定つか、たどだとしいといいますか、指がもつれてるってかね。まあそのあれです。おれなんかみたいなズブのシロートにもそうとわかるスタートなの。
でも、このマエストロはそういう人だからいいのいいの。
つづく同じハイドンのソナタではようやく調子が出てきて、ようするに巨匠にとってプログラム最初の曲はウオーミングアップだっつうことが了解事項なんすね。むしろ巨匠の指慣らしを拝聴できるシアワセを、ここは感じるべきなんだと思いますよ実際問題。
前半のメインに据えられていたのがベートーヴェンの32番でした。
じつは前回来日のこの会場では31番を聴いたんだけど、そのときは意外とさらっと弾いた印象でブログ読み返してもそう書いてあったもんな。
それがおとついの演奏は前回よりはるかにチカラの入ったベートーヴェンだと聴いたんだけどね。もちろんたとえば同じ曲をポリーニが弾くようなあのダイナミックレンジの広さ、演奏全体の巨大さみたいなものがあるわけじゃなくて、もっとずっとか弱い人間としてのベートーヴェンつうか、弱いぶん優しいベートーヴェンつうかね。31番より32番のほうが巨匠には合ってる?
いやまあそれにしても老巨匠はすばらしい。
後半1曲目はフランク・マルタンが73年にB=スコダのために書いた「フラメンコのリズムによる幻想曲」って、これは初めて聴いた曲だった。なるほどマルタンかあ。タイトルどおりリズミックな、だけども無調っぽい曲。そういえば巨匠は56年にヒンデミット集をレコーディングしてるし、考えてみりゃあウェーベルンやベルクとおんなし時代におんなじ空気吸ってきてんだよなあ。マルタンと交友関係があってぜんぜん不思議じゃないもんなあ。
この曲はもう1回か2回聴かしてもらえば、ずいぶんと楽しめる曲なような気がする。録音があればCDでもレコードでもいいから欲しいです。
でもって最後がシューベルトの4つの即興曲D899。
おととしのこの会場のときは、このなかの1曲をアンコールで弾いてメインのプログラムは20番のソナタでしたけど、いやーとにかく多分会場には巨匠のシューベルトで泣くためにここに来たって人もいたんじゃなかろうかね。そんくらいB=スコダのシューベルトには心揺さぶられるもんがあると思うよ。
しかしあれでしょうかね。パウル・バドゥラ=スコダ亡きあとというのは、もうこうした20世紀中盤的演奏とでもいいますか。そういったピアノ演奏ってのを聴く機会ってなくなるんじゃないでしょうか。
あと、せめてもう1回。来日してほしいもんだなあ。
by god-zi-lla
| 2009-10-11 14:01
| 物見遊山十把一絡げ
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