神はどーだっていいとこに宿る


by god-zi-lla

ラップはアジテーション(コクーン歌舞伎の佐倉義民傳)

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おらご先祖様みんな百姓だもんだからサムライジャパンて言い方はどうもアレですけど、とにかく勝ってよかったよかった。ああいう冷静に精密に「ここしかない」つうドンピシャな角度とコースにスッと流し込んで決めるシュートってのを、見たかったんだよねえ。最高。

しかし見てて思ったけど高地ってな1400メートルとはいえ、侮れないもんだねえ。

ボールの軌道もさりながら後半に入ってからのあの運動量、プレー精度の低下。
いやジャパンだけじゃなくてカメルーンだってそうよ。ありゃあぜってー焦りだけじゃないよ、後半の大雑把な動きにあの反応の悪さ。

足にも脳にも酸素足らなくなって、苦しかっただろうなあ。

13日の日曜日は奥さんとコクーン歌舞伎「佐倉義民傳」見物してきた。

歌舞伎初心者のおれはしっかり「甚兵衛渡し」と「子別れ」でうるうる泣いてしまいましたけども、もともとここは歌舞伎の名場面なんだそうですね。んー。こーゆーとこでしっかり泣けるおれはフツーの人でよかったなー、なんてヘンなうれしがり方したりして。

コクーン歌舞伎そのものが、おれ初めてだったんでした。なんもかんもひっくるめて歌舞伎見物したってのもまだ5回目? 6回目? そんなもんだから、まだまだ見るもの聴くもの物珍しくて楽しくって、こういう時分がなににつけてもいちばん楽しいのかもしんないな。

すれっからして、通になって。
それはそれである意味不幸ってもんでもあるよなあ。
ちょっとのことが、楽しめない。

まあ、そのかわり初心者、シロートには見えもしないものが、
通には見えるようになって、それがまた楽しくもあるんでしょうけどね。

どっちもどっちか。
まあいいや。

中村橋之助のやった駿河弥五衛門というのがもともとの歌舞伎にはない今回のコクーン歌舞伎オリジナルな、当然史実には出てこない架空の登場人物だそうで、それについて先日朝日新聞に出てた劇評にわりとネガティヴなことが書いてあったんだけどさ。話をややこしくしてるとかなんとか。

でもおれはすごくよかったなあ。

なまじ本家本元の歌舞伎を知ってるからややこしい。そりゃあ主役級ひとり増えるんだもん。でもおれみたくこの芝居について全然知らないやつには最初っからそうなんだから、べつになんでもないんじゃないですかね。むしろ駿河弥五衛門いなかったらこの芝居スカスカじゃね? くらいな。

たぶん橋之助の演技もよかったんだと思うんだけどさ。どう見たってこの役は主人公・宗吾の分身というか実体と影というか、ウラとオモテつうか、ジキルとハイドつか。だんだん的外れになってきた気もするけどまあそういう存在なわけで。でもそれを両者の科白の書き分けと二人の役者の演じ分けで、ちゃんと芝居として意味のあるものになってると思った。

丁寧な物言いの宗吾に伝法な口調の弥五衛門。いちいち切れのいい所作の弥五衛門に動きの穏やかな宗吾。建前を貫き通す宗吾に目的のための実(じつ)を取れと云う弥五衛門。

つまりまあ、そんくらい存在のデカい、芝居の骨格を変えてしまいかねない役をひとつこさえてしまったってことの良否について劇評は言及したってことなんだろうな。でも、だからこそメッセージ性は高まった。

それにしてもダイレクトなメッセージだよな。

観客に向かっても、蜂起せよ、という。
いまの日本人に向かって、それでいいのか、という。

いとうせいこう作のラップが芝居を回してくんだな。

は 走れ 宗吾 ひた走れ
は 走れ 宗吾 ひた走れ
は 走れ 宗吾 ひた走れ
は 走れ 宗吾 ひた走れ

新機軸つうより、
面白い趣向つうより、

これはやっぱどう考えたってアジテーションだろ。

いやそれにしても面白い。すごく。
串田和美の芝居はおれに合ってるのか、どれも面白いなあ。
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by god-zi-lla | 2010-06-15 17:23 | 物見遊山十把一絡げ | Comments(0)