神はどーだっていいとこに宿る


by god-zi-lla

イカナゴ

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東京の桜も来週はじめには満開になるかな。ここんとこお花見といえば目黒川と千鳥ヶ淵しか行ってませんが、あらたまってどこかへ出かけなくても日本全国津々浦々どこにだって桜は植わっていて春になったら一斉に咲いて、おおげさに申し上げれば外を歩いて視界のなかに桜の木が見えない瞬間なんてまるでないんじゃないかね、くらいの勢いだ。うちの近所の児童公園にも立派な桜が数本あって満開になると結構な見栄えだもん。

そういえばここにはむかし柳の並木があったのがいつのころだか桜に植え替えられてしまったなんて話を、だれから聞いたどこの話だったか思い出せないんだけどつい最近耳にして、んーむ、それもなんだかなあと一瞬考え込んでしまったのだった。

まあそうはいっても、この時期いっせいに咲き誇る桜ってのはやっぱり悪いもんじゃないです。ことに今年の東京の桜は二度の大雪の記憶が消えないうちに咲いているから、なんだかよけいに華やいで見える気がするんだよな。

それはともかくとしてだな。せんだってリハビリ中の父を見舞いに磯子の病院へ京浜急行に乗って出かけたところ、神戸の伯父から届いた釘煮(くぎだき)のお裾分けを母が提げてきたのでもらって帰ってきた。それと一緒に釘煮じゃないイカナゴのちりめんじゃこ(そう呼んでいいんですかね)が別の袋に入ったのも持たされて、ウチに帰って密閉容器に移し替えようとしたのが上の写真なんでした。いやあ、ぎゅうーっと詰め込んであったようで開けてみたら容器にぼわぼわっと山のように盛り上がってしまい、なんとなくシアワセな気分になってしまったんであった。

イカナゴの釘煮もまたウチじゃあ神戸から届く春の便りみたいなものです。

ずっと以前は季節になると祖母が炊いたのを送ってくれていたのが、祖母が亡くなって8年最近は台所に立つことのできなくなった義伯母に代わって伯父が自分で炊いて送ってくれてるんだって、釘煮のぎっしり詰まったポリ袋をおれに手渡しながら母が言っていた。だからちょっと煮方がヘタなんだって。

たしかに昔ばあちゃんが作ってくれてたときのほうがしゃきっと煮上がってた気はするけど、今年のだっておれはじゅうぶん美味しいと思うんだがなあ。なんか伯父さんが義伯母さんにヤイノヤイノ言われながら台所で孤軍奮闘してる姿が目に浮かぶようだよ。

ところで2006年の6月にちょうど百歳で亡くなった祖母から生前聞いたんだけど、イカナゴの釘煮なんて戦前の神戸にはなかったというんだよ。戦後もずいぶんたってから春先になると水揚げされるイカナゴを近所まわりの奥さんたちが競うように買い求め、その奥さんたちがみんな砂糖と醤油と刻んだ生姜で甘っ辛く煮詰めた釘煮をこさえるようになったので、じゃあウチもやってみようって隣近所に合わせるように始めたんだっていうんだよ。

亡くなった祖母が暮らし、いま伯父たちが暮らしているのは神戸の長田というところで、伯父はかつて長田神社の参道筋のにぎやかな商店街の一角にあった市場のなかで果物屋を営んでいた。ついでにもう少し古いことを言うと、おれが中学生のときに亡くなった祖父もその市場のなかで乾物屋というか海産物の塩干物を商う店をやっていて、さらに遡った昔、伯父や母が若かったころは同じ場所で魚屋をやってたんだそうだ。

トシを取って毎朝暗いうちから魚市場に仕入に行くのがエラくなってきたから商売替えをしたんだそうだけど、以前の記憶をたどるとその市場のなかにたしか魚屋さんが2軒か3軒あって、いま思えばたんに朝がエラいだけじゃなくって結構熾烈な競争をしてたんだろうと思う。

そうやって祖父と伯父が商売をしていた市場が阪神淡路大震災で一瞬のうちに崩れ落ちてしまい、さいわい家族のだれもケガひとつしなかったんだけど湊川の川っぺりにあった自宅は大きく傾いて建て直さなければ住めなくなって、それを潮に伯父も商売をたたんでしまった。

そういう祖母のことだから釘煮の件もたぶんそのとおりなんだろうと思うんだよな。ちなみに戦前のいっときは神戸のほかの場所で魚屋といっしょにすし屋をやってたこともあるんだって聞いたこともある。どうりで祖母がのり巻きを作ってくれるとなんだかエッジの立ったプロっぽいのり巻きだったんだよな。

なんのハナシしてたんだっけ。

たしかに思い出してみると、おれが子どものころ釘煮を「くぎだきだよ」と言われて食べた記憶はひとつもないんだ。ああいう佃煮状の小魚はもちろん大昔からあったしイカナゴの小さいのを煮た佃煮だって普通にあったんじゃないかと思う。だけど、それを神戸名産とかいって新幹線の売店でも売ってるなんてことはなかった。

イカナゴというとね、大きさが5、6センチかせいぜい10センチまではいかないくらいのイカナゴをコンロに乗せた網の上で炙って生姜醤油かなんかで食ったのを思い出すんだけどね。まあ、うんと昔のことだからべつにたいして美味しいものだとも思えなかった。いまだったら燗酒で食うとイケたりしそうなんだけどさ。だけどまあそんな小魚をチマチマチマチマ網で炙ってオカズにするなんて庶民の日常じゃちょっとね。子どもはちっとも喜ばないし。

それで釘煮が「発明」されたわけじゃないでしょうけど、きっと安くて簡単にできて(なにしろ元果物屋だった伯父が作るくらいなんだから)そのうえ保存もきくカルシウム豊富な「ゴハンの友」だったから燎原の火のごとく神戸の奥さんたちに広まったんだろうな。

ちなみに毎度おなじみの食材図典(小学館1995年版)によるとイカナゴとコオナゴは同じものです。近畿地方ではイカナゴ関東ではコオナゴ、ほかにも全国でいろんな呼び名があるのはほかの魚とおんなじだな。ウィキペディアによれば青森のほうでは資源枯渇が深刻らしい。

ところでこのちりめんじゃこのほうはもちろんそのままつまみ食いしたってウマいし大根おろしかなんか添えてもじつに結構なんですが、きのう昼飯に残りご飯を使って古漬けのキムチとちりめんじゃこだけを具にしてチャーハンをこさえて食ったのだが、これがまたじつにウマかったんであった。ふふふふふ。
Commented by 宗助 at 2014-03-29 11:44 x
神戸名産「イカナゴの釘煮」と、どうも同じ運命をたどってるのが奈良名産「柿の葉寿司」ですね。

柿の葉寿司は私の父の実家の吉野の山奥のご馳走で、夏休みなどに行くと祖母がお櫃いっぱいに柿の葉にくるんだ鯖(塩鯖の塩抜きをしたものです)の寿司を詰めて待っててくれたものです。今や、ネタは鯖だけでなくサーモンなんかもあって新幹線の京都駅でも売っているお洒落な弁当ですけど。

そうそう、歌舞伎の義経千本桜三段目でしたか、つるべすしが舞台になりますが、今も奈良の下市に「つるべすし弥助」と言う名前で店があると思います。多分その昔は鯖のなれ寿司のようなものを食べさせていたんでしょうね。
Commented by 宗助 at 2014-03-29 12:16 x
そうそう、義経千本桜というといつも思い出すことがあります。

子供の頃、だだをこねて無理なことを言ったり、悪戯をしたような時は母親によく「おまえはほんまにごんたやなあ」とか「またそんなごんたして」と叱られました。
それからずっと後年、大人になってあの「ごんた」が「いがみの権太」から来てるという事を知ってとても驚いたのですが、そのせいか初めて千本桜を見た時「いがみの権太」にとても親近感を抱きました。

いかなごの釘煮の話がいがみの権太の話になってしまいました(笑)
Commented by god-zi-lla at 2014-03-29 17:25
宗助さん いよいよお花見の季節。
今日はふらっと1時間ほど近所を歩いて桜見物してきました。
桜が咲いている間は、こんな情けない世の中でも少しだけ空気がふわっと軽くなっている気がします。

なるほど柿の葉寿司も、われわれが見かけるのはあの四角く葉っぱでくるんだのが箱に入って駅の売店に売ってるのだけで、ほんらいはどんなふうになっているものかまるで知りません。

釘煮も昔からでっかいナベからでっかい密閉容器にどっさり詰めてもらったのを、ただひたすら食事のたびに食べ続けるっていうふうなので、最初に新幹線の売店なんかで薄っぺらい化粧箱かなんかに入ってるのを見たときは、こりゃあ馬子にも衣装ってやつだなあと思ったもんです。
(つづく)
Commented by god-zi-lla at 2014-03-29 17:25
(つづき)
そういえばゴンタっていうのも関西でしか言いませんね。ちょっと度を超した腕白みたいな感じですかね。関西でしか言わないのはやはり義経千本桜が上方発祥の芝居だからなんでしょうね。

去年の9月か10月、歌舞伎座で見た仁左衛門のいがみの権太は良かった。ちゃらっとしてちゃきっとして悲しげで、菊五郎の狐忠信がイマイチだったもんですから余計に引き立って素晴らしかった、なんて言っちゃいけないか。

だけど、あのすし屋が商ってたのは柿の葉寿司のご先祖様だったわけですね。なるほどなあ。今度すし屋の段を見物するときは柿の葉寿司をデパ地下で買ってお弁当にします(笑)
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by god-zi-lla | 2014-03-29 08:46 | 食いモンは恥ずかしいぞ | Comments(4)