神はどーだっていいとこに宿る


by god-zi-lla

10月の歌舞伎座と国立劇場と新橋演舞場〈その2〉

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その国立劇場の〈伊勢音頭〉の通しなんですけどね。見たい見たいと思ってるうちに千穐楽、前日になってようやく行けそうだから取った切符はれいによって3階席の2600円、ホント助かります。国立だからあとは税金でまかなってくれてんでしょうか。正午開演なのでお弁当はうちの近所のスーパーで買って持ってった助六寿司360円(さいきん国立劇場の売店は助六寿司を置かなくなっちゃってね)。

伊勢音頭というと主人公の福岡貢(ふくおかみつぎ)が遊女屋「油屋」の仲居・万野や居合わせた阿波の田舎侍にいびられて狂乱し斬劇に及ぶ〈古市油屋店先〉と〈油屋奥庭〉は見たことがあるんだがその場面しかやんないもんですから、いったいそこにいる阿波の田舎侍どもってのがナニモノで、そもそも福岡貢って野郎がドコのドイツで、その貢に愛想尽かしする油屋の遊女お紺といったいどういうイキサツがあったのか、ぜーんぜんわかんないの。

歌舞伎の演し物ってそんなんばっかでさ。仮名手本忠臣蔵なら〈七段目〉の一力茶屋の場面だけが掛かるのを初心者のおれですら何度となく見てます。あれだって初めてみたとき遊女おかるって、ようするに有名な〈おかる勘平〉のおかるなんだろうなあくらいの察しはつくんだが、なんでそのおかるが遊女に身を落としたのかってことは、その前の五段目と六段目でいったい何が起こったのか知らないとまるでわかんない。

だからその五段目と六段目は別の機会にどっかで掛かるのを見るのでなければ、プログラムでも買ってあらすじを文字で追って「そういうことか」と納得するしかなかいわけだ。たとえば映画館で、映画見ただけじゃどーゆー筋立てかわかんない人はプログラム買ってお勉強してね、なんて言われてアナタ怒らない自信ありますか。おれにはないね。だけど歌舞伎じゃそんなことフツーです。客は先刻ご承知ってのが前提なのね。初心者には非常にとっつきにくい世界なり(そして、しばしばそれが高尚なことなのだと勘違いされている)。

なのでよけいワンピのカブキの構えない楽しさが際立ったりするのかもしれない。あれだって長い長いストーリーのなかからエピソードをつまんできてるわけでしょうけど、全体の流れを知らないおれなんかにも楽しめたんだから、そりゃあたいしたチカラワザってもんじゃあるまいかしら(ワンピの原作にあるのかどうか読んだことのないおれは知りませんが、登場人物の濃やかな性格描写や、〈愛〉とか〈友情〉とか〈生命〉とか〈平和〉なんて抽象的なテーマが原作に潜んでいるとしても、そもそも歌舞伎っつう大衆娯楽はそんなもの最初っから眼中にない。だからそういうものが歌舞伎化されて描かれているとか、いないとかいうような評価は的外れで無意味だ)。

それはともかく、だから国立劇場のように基本的にはひとつの芝居(古典)をちゃんと通しでやってくれるのがすごくうれしい。この伊勢音頭も、これを見てようやっと、あーなるほど、そういうおハナシだったわけねとこの初心者は腑に落ちたんでした。めでたしめでたし。

しかも福岡貢をやるのが名優・中村梅玉だ。

この芝居を最初に見たとき主人公の貢をやったのは勘九郎で、その斬殺シーンも仲居の万野に(そのときは玉三郎が演じて、この人はホンマモンのイヤな女なのかと一瞬錯覚するくらいすごかった)ねちねちといわれのないことでいびられ続けた青年・貢がついにブチ切れて激情のおもむくまま斬りまくるっていう印象だったのが、梅玉さんの貢は手にした妖刀「青江下坂」の魔力に操られて、みずからの意思とは関係なく居合わせた者をつぎつぎと斬り苛んでいくように見えるんだよ。んー、と唸るしかありません。

しかしこの伊勢音頭恋寝刃という芝居だよ。じっさいに寛政年間、伊勢の古市というところで起こった9人斬殺事件を下敷きにして書かれたんだってね。今回初めてその惨劇の起こる前のところを見たわけだが、主人公・福岡貢が大量殺人に及ぶ伏線とかその原因とかココロの闇とかそんなものはカケラも出てこない。もう、ひたすら妖刀「青江下坂」の争奪戦がスラップスティックに展開して客を笑わせるだけなんだよ。ドタバタ喜劇のあとに凄惨な大量殺人が続くなんてまったくどーかしてるとしか思えませんけど、ようするにムツカシイ話は置いといて理屈抜きに面白くなきゃいけませんってのが歌舞伎のお約束で、木戸銭払って入ったらコメディもホラーもいろいろ盛り沢山に楽しんでってねっていう、それだけ。これに比べりゃワンピのほうがよっぽど形而上の問題を扱ってリクツっぽい。

それにしたってこの名優の名演に千穐楽でせいぜいがとこ七分の入りだ。まあ演目と客層からいって仕方ないかもしれませんけど演舞場の大入り満員にくらべたらやっぱりちょっと寂しいよ。

梅玉のほかに鴈治郎の強欲でスケベな正直正太夫(そもそも役名からしてフザケてる)も楽しいし亀鶴の奴林平はいつもながらに達者だし、妖刀「青江下坂」を質に入れて騒動の原因を作るへろへろと意志薄弱な若(バカ)殿様に扮する高麗蔵だってとてもいい。だけど魁春の万野がいまひとつ意地悪女に徹しきれないように見えて、初心者のおれにはちょっとガラじゃないのかというようにも見えるんだ。それってようするに魁春さんは根がいい人だってことなんでしょうか(そんなこといったら、なんだか玉三郎は根が悪い人みたいだけどさ)。

to be continued
Commented by 宗助 at 2015-11-05 10:32 x
決勝後半、4点差に迫られた山場のダン・カーターのドロップゴールは衝撃的でした。いかにオールブラックスとはいえ、あの局面でドロップゴールを平然と決めるとは。

今日はその話ではなくて歌舞伎。歌舞伎って荒唐無稽というかご都合主義そのもので、仰るようになんでもありにぶち込んで面白かったらいいだろ、みたいなところがありますね。ちなみに私が好きな歌舞伎のいいかげんな所は「何の何兵衛、実は、、」という例の筋立て。廻船問屋の主人が実は平知盛、娘が安徳天皇、鮓屋の弥助が平維盛なんてたまりません。というようなことで、長いお話の一部だけで舞台にかけても、それが面白ければお客は納得して木戸銭出したんでしょうか。

それともう一つ、歌舞伎は江戸の町人の基本的な常識の一つになっていて、普通の大人は有名な狂言のストーリーをおおよそ知っていたという事があると思うんです。

私の両親は明治から大正の生まれで多分歌舞伎の舞台は見たことがないと思いますが、それでも私が髪を伸ばし始めてたら、「その定九郎見たいな頭は、どうしたん?」と聞かれましたし、父親は酒の席ではいつもドンドン節を歌ってまして、「駕籠で行くのはお軽じゃないか 私ゃ売られて行くわいな ととさんご無事でまたかかさんも 勘平さんも折々は 便り聞いたり聞かせたり」という歌詞は子供の時から知ってました。戦後の奈良の田舎でもそうだから、ましてや江戸ではね、落語とか講談とか色々な形で引用もされますし。そうそう、春日八郎の「お富さん」は私の子供の時代の愛唱歌でした(笑)
Commented by god-zi-lla at 2015-11-05 12:41
宗助さん こんにちは。

あのカーターのDG、いくら位置的に正面とはいえ、ふつうトイメンとのあのわずかな間合いで狙いにいくスタンドオフなんて絶対いません。つか絶対にいないと思うだろうから確信を持って蹴ったんでしょうね。

それにしてもすごい決勝戦でした。あの途轍もない運動量の両フォワード。当たりの低さ。ポイントへの寄りの早さ。ちょっとでもラグビーやった人間ならわかりますが、12だの15だのってカウントしてるアタックの回数、あの数だけ当たって倒れて起きて走って、また当たって倒れて起きて走る… の繰り返しがどれほど苦しいか。もう、自分には関係のないスポーツです(笑)

> 有名な狂言のストーリーをおおよそ知っていたという事があると思うんです。

商家の丁稚が芝居に狂って若旦那と一緒に大騒ぎなんて落語もあるくらいですから、きっとそうだったんでしょうね。だから江戸時代だったら名場面だけ繰り返し上演してもお客は喜んで芝居小屋に足を運んだと思うんですが、21世紀になってもそのまんまじゃあなあって気がします。少なくともマニアックなだけで新しいお客はなかなか来ない。

だから国立劇場でああやって通し狂言を(しかも役者は大物揃いのうえ安い料金で)やってくれるのがじつに有り難い。

ところで、お富さんといえば木更津ですが、髪結新三の新三もたしか木更津の出だったんじゃなかったかしらん。あれはなんなんでしょうね、木更津は小悪党の名産地か(笑) じつはうちの奥さんが木更津の産で…
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by god-zi-lla | 2015-11-04 09:24 | 物見遊山十把一絡げ | Comments(2)