神はどーだっていいとこに宿る


by god-zi-lla

探してない本3冊買って、探してた本のことはすっかり忘れてた

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せんだって紀伊國屋ホールへ〈熱海殺人事件〉を見に行ったとき、少し早く着いたもんだから買う心積もりの新刊もあったので紀伊國屋の店内をうろうろして時間潰してたんでした。

というよりかこのホールは紀伊國屋書店新宿本店4階売り場を奥へずるずるっと入ったところにあるから、早めに着いたって書店の中をあちこち立ち読みして回ってりゃあなんのモンダイもないばかりか、いっそのこと早く行ったほうがよっぽど楽しいというようなもんなので最初っからそのつもりでウチを出てきたようなところがないでもなかったんだ。

そういえば昔はよく友だちと紀伊國屋書店入り口のエスカレーターを昇った2階のところで待ち合わせて歌舞伎町方面へ飲みに行ったりしたもんだが、早く着いて店内で立ち読みしてるうちに約束の時間を過ぎちゃって逆に友だちを延々と待たせたことが、ケータイ電話なんて不便なものが出来る前はいくらでもあってあの頃は楽しかったよなあ。

でまあ、その日も2階の作家別になっている棚をケツから順番に眺めていった途中でこの写真の小さい函入りの上製本が平積みになってるのに出っくわしたんであった。んーだめだこりゃ。これ買わずにおれは多分出られないだろうなと、平台から手に取ったときすでに観念してましたね。まあこの造本体裁に出久根達郎の短編集、しかもオビを見ると「小気味よい江戸言葉にのせて鮮やかに描く11の人情ばなし。」なんて書いてあるんですもの。

だけどやっぱりあれです。文庫本とほぼ同じという小さな判型なのに、上製本のクロス貼り、昔ながらにパラフィン紙のカバーが付いてる本体がしっかりした貼りの函に収まってる。クロス装貼り函入りの本なんて今じゃもう数多くはないとはいえ珍しいというわけでもないんだけど、そういう造本装丁がこういう小さな本に施される凝縮感つうか密度感ていうかね。

ふつうの書籍だからふつうにアマゾンでも売ってますけど、もし先にアマゾンで見ても買わなかっただろうと思うんだな。これはやっぱり本屋の平台にあって、うひゃあなんだこのちっちゃい出久根さんの新刊は! っていうふうになんないと買えない一冊でしょ。だからやっぱり、いつも申し上げますが、探してない本は本屋の店先でしか見つけらんないんだよな。

しかしこれって三月書房の〈小型愛蔵本シリーズ〉のなかの一冊で、巻末の一覧を見ると1961年からずいぶんと沢山出てるシリーズなんだな。まるで知りませんでした。しかも見れば安鶴だの円地文子だの佐多稲子だの辻嘉一だの仁左衛門だの三津五郎だの江藤淳だの誰だの彼だの、みんな絶版らしいけどなんだかいいよなあ。

それから写真に写ってるあとの2冊もね、〈虫喰仙次〉ってのは色川武大の短編集で小学館が始めたオンデマンド本のシリーズの1冊らしいペーパーバックで本体500円だから、いまどき文庫本よりも安い。

色川武大も気がつけば亡くなってもう四半世紀もたっちゃって、それでもこの作家を愛する読者も編集者も絶えないようで思い出したように古いものが復活したりはするんだけど、読んだことのない作品がどこかに出てないかっていつもいつも探してるわけにもいかないもんだから、こうやって棚に発見できるとすごくうれしい。これは福武文庫を底本にしたんだそうですが、そういえばあったよなあ福武文庫(もはや出版社ですらないベネッセ。よくぞ救出してくれました小学館)。

もうひとつは〈日本幻想小説集成〉ってシリーズが「幻想文学」って棚のとこにズラズラっとあってね。これはそのうちの佐藤春夫の1冊で、じつはどっかで手に入らないかと思ってた92年頃の古いシリーズなんだけど、まさか当たり前のようなカオして棚に刺さってるなんて思いもしなかったから躊躇なく引っこ抜いたんでした。いやー今日はなんだかうれしい日だよなー。

で、なんつってウキウキしながら3冊抱えてレジでお金払って4階の紀伊國屋ホールへ向かったんだけど、芝居見終わってウチに帰って鼻歌まじりに本を包みから出してるところで突然思い出したのであった。そうだ、おれ買おうと思ってた小説の新刊があったんじゃん。だから文芸書のコーナーへ行ったのに、もー肝心のことを忘れて探してない本買って帰ってきちゃったぜ。

くだんの1冊、筒井康隆〈モナドの領域〉はその後紀伊國屋書店ウェブストアで注文し、今朝ほど届いたばかりなのであった。とほほのほ。
Commented by 虎吉 at 2015-12-20 23:31 x
こんばんは。

平台になにげにあったり、棚に刺してあったりーーネットと違う醍醐味です、そこでの出会いは。でもって3冊魅力的ですね。

1つ前の「グールドのゴルトベルク」81年版ですが、小生はCDで持っています。音と戯れるといっても、アパート住まいの身で小さなCD再生装置だけですので、楽しむ範囲は限られていますが、たまに聴いては和んでいます。

師走も20日ーー今日は、先年お誘いいただいたのを思い出しながら招き猫の南座へ。「勧進帳」の富樫が愛之助で、弁慶は海老蔵。実は今年4回目の海老蔵でして、やっぱり台詞回しが気になるのに見入ってる自分にちょっと驚きました。仁左衛門の大高源吾もよかったです。
Commented by god-zi-lla at 2015-12-21 00:13
虎吉さん こんにちは。

今年の南座の顔見世は海老蔵と愛之助の勧進帳もあって一段と賑わってるんでしょうね。おれはお父さんの團十郎の弁慶を見る機会を失ってしまったのが今でも心残りです(富樫をやったのは見たんですが、幸四郎の弁慶で)。まあ息子のほうの弁慶は10年後くらいにでも見られればいいかな、と。

12月はこのあと国立劇場の歌舞伎とシアターコクーンの芝居を見て今年の打ち止めです。来年正月は大阪松竹座へ行ければいいなと思っています。

Commented by 宗助 at 2015-12-21 23:46 x
「モナドの領域」を最初に広告で見た時にてっきりモサドだと早合点して「ははあ、筒井康隆もついにISとイスラエルの暗闘のパスティーシュを書いたのか、と思ったのですが、新潮を買ってみたらモナドでした。

でも筒井康隆以外にライプニッツで小説を書こうとは誰も思わないでしょう、久しぶりに彼の小説を読みましたが衰えてないですね。

読後、これは彼が1Q84の結末編を書くの書けないのと言っている村上春樹に「これでどう?」と言ってるんじゃないかと思ったのですが。とても面白かった。
Commented by god-zi-lla at 2015-12-22 09:18
宗助さん こんにちは。

あははは、モサドね(笑) そっちだと、なんか血みどろの小説になりそうですね。

モナドって言葉は田中小実昌の〈単子論〉ってエッセイを読んで初めて知ったのですが、これが収められている単行本のタイトルが〈モナドは窓がない〉でした。「ナンノコッチャ?」と思い買って読んでみたのですが、よくわかりませんでした。

そうですか、やっぱりあのモナドなんですか。そんなことお構いなしに、本の惹句に〈おそらくは最後の長編〉とあったので買ってしまいました。読み始める前にコミさんのほうを読み直しておきます。

その前に読み始めてしまった陰々滅々の本をやっつけてしまわないと。暗澹たる気分になる本を年末に読んじゃいかんよなあと、やや後悔中の年の瀬です。
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by god-zi-lla | 2015-12-20 09:52 | 本はココロのゴハンかも | Comments(4)