神はどーだっていいとこに宿る


by god-zi-lla

黒豆ちゃん

黒豆ちゃん_d0027243_8543740.jpg
んー「黒豆さん」かな。ふつう「お豆さん」だもんな。「ちゃん」が付くのは「飴ちゃん」か。だけど「黒豆さん」だと「黒谷さん」みたいだしな。

黒豆といえばお節の主要メンバーだけどもここ数年おれんちでは暮れに黒豆を煮なくなった。つか、黒豆だけじゃなくってお節そのものを作らなくなったのね。そのかわり一昨年は百貨店の配送で二段のお重になったお節を買い求め、昨年暮れはここんとこ行ってる日比谷で若夫婦の営む料理屋がお節を作るというので頼んでみたんでした。

いっときは黒豆は言うに及ばず伊達巻きも自分で焼いて、勢い余ってカマボコも自分でこさえてやろうかと真剣に考えたくらい何でもかんでも自分ちで作ってたんだが、とにかく内製率の高いお節というのは師走の時間と体力と楽しみを一家全員から惜しみなく奪い、せっかくのお正月だっていうのにみんなクタクタでさ。ふと気がつけばトシもトシだし残る余生はも少しゆったり暮れから正月を過ごしたいものじゃないかと、この際手作りお節からはキッパリ足を洗うことにしたのがおととしの暮れのことなんでした。

そんなわけでお高い出来合いのお節ってのを、富裕層でもなく客が正月に押し寄せるでもない我が家のような家族が買ってもいいもんなのだろうかなんて後ろめたさも多少感じながら買い求めてよくよく計算してみたところが、自分ちでお節をこさえるに当たって調達する材料代合計とそれほど大きく違うわけでもないってことが判明。そのうえお節づくりにかかりっきりになる時間を考えコイツを時給換算なんかしてみればむしろ安上がりかもしれないじゃんか。

それから丹波の黒豆ひと袋200グラムなんて買ってごらんよ。全部煮たら松が取れて小正月も過ぎて元は大豆だからって節分に甘い黒豆撒くわけにもいかず、ヘタしたら食べ終わるのは桃の節句だぜ。食べるだけの分量の材料を仕入れるわけにもいかず、さりとて使い残して翌年のお節に使うわけにもいかない。

つうわけでこの黒豆はお節とはなんの関係もない今年の春先にひと袋、いつも取り寄せてる仙台の豆屋さんから白花豆や金時豆と一緒に買い求めたものなのであった。その袋もこれが最後だったから何回煮たかなあ。4回目くらいかもしれない。

以前は黒豆も圧力鍋で煮てたんだけども、今年になってからはずっとふつうのナベで煮ながらいろいろ試してみるようにした。黒豆煮るのはかなり難しくて、ふっくらと見かけは色カタチよく炊けたからといってそれが美味しいとも限らず、ふっと気を抜くとシワシワの仕上がりになったり固すぎたり柔らかくなりすぎたり、それこそお節のときだけ年に1回煮てるだけじゃあまるで習熟できないんだよ。

だからなんと申しましょうか。せっかくお節こさえなくてもよくなったんだから、季節に関わりなく黒豆をちゃんと美味しく姿良く仕上げられるようになるのも悪くないかな、そしたら食卓に乗る煮豆の種類も増えて楽しいし、なんてね。おれとしたら珍しく殊勝なことを考えたのであった。

今回は煮てる途中でアクシデント(つうほどのことじゃないけど)がいくつかあったもので、そのせいもあって少しシワが寄ったりしてしまったんだけど味と歯触りは悪くない。あとひと息というとこまでは来てる気がする。そしてこのたびもいくつか気づいたことがあったから、あと何回かやってみると思ったような甘い黒豆ちゃんが出来るんじゃなかろうか。なので、暑いさかりを過ぎたらまた黒豆を買ってやってみようと思いながら箸でひと粒つまんで、ふふふ、なんて一人ブキミに笑ってるところなんでした。
Commented by ハルズ at 2016-07-05 19:08 x
豆を煮るのは、料理の究極に近いものがありますね。
Commented by god-zi-lla at 2016-07-05 22:10
ハルズさん こんにちは。

豆って、なんのゴマカシも効かず基本に忠実にやらなきゃなりませんから、たしかに究極かもしれませんね。
名前
URL
削除用パスワード
by god-zi-lla | 2016-07-05 19:00 | 食いモンは恥ずかしいぞ | Comments(2)