未来を思い出す(〈メッセージ〉6月1日 TOHOシネマズ六本木)
2017年 06月 05日
しかし未来を回想する?
それはなんなんだ。未来を思い出すというのはいったいどういうことなのか。
この映画は未来を思い出すということがテーマだ。
と、言い切っていいのかどうかわかんないけど少なくともおれにとってこの映画を見た今、テーマは未来を思い出すということ一つに絞られてしまった。
で、これは原作の小説があるそうなんだが、その小説でも未来を回想しているのか?
映画のなかで宇宙から来たナゾの生命体の示す文字がエイミー・アダムスの言語学者によって表意文字であると解明されたとき、そもそも表意文字には「時制」がないというようなことを彼女は言うんだけど、そういうものなのか。漢字自体には「時制」はない? そういわれてみるとそんな気がする。
思ったんだが、映画とかテレビとか、あるいは絵でも、あるいは彫刻のような。とりあえずコトバとは切り離して独立できる「表現形式」に「時制」はあるのかというと、そう質問されて考えてみるとそれはないみたいだな。
たとえばですね。それは「過去」の何かについて描いた絵ですと説明されるから、それが過去を表現した絵だと知れる(あるいは信じさせられる)だけで、たしかにそこにある絵そのものは過去に描かれてそこにあるに違いないわけだけども、描かれた内容自体が過去のことかどうかとは関係がない。
この映画の「回想シーン」をそう思って見てたのはたんにおれの先入観というだけのものであって、それが主人公のなんらかの「過去」についての映像であるという説明は思い出してみればどこにもなかった。ただ、おれが今までに見た映画のなかでそういうふうに描かれる場合例外なくそれは「過去の回想」であったから勝手にそう決めつけてただけで、それは「未来を回想」しているのではないとは誰も言ってない。
じゃ、未来を回想する、あるいは思い出すというのはどういうことなのか。
よくわからない。
哲学的命題とでもいうべきものなんですかね。
だけどね。この映画は主人公の言語学者が未来を思い出してるんだということがわかれば、なにからなにまでちゃんと辻褄が合う。
辻褄が合う、というのもなんかヘンだけどさ。
さて。表現手段としての映像自体に時制はないがコトバには時制がある。日本語の時制は英語ほどハッキリしてない気がするけども(それはこの映画の宇宙人同様、日本語の大きな部分が表意文字によっているせいなのかな)、しかし英語で書かれた小説の時制がアイマイなわけはない気がする。そうすると原作の小説のなかで主人公が「未来を回想」するシーンはどのように表現されてるんだろうか。
ひょっとして以上全部がおれの勘違いかもしれない。
だけど勘違いだとしても、なんかすごく面白い。
とりあえず原作を読んでみるかな。
*追伸
さいきん見た映画でとくに印象深いのはこの〈メッセージ〉のほかに
〈ムーンライト〉4/20
〈わたしは、ダニエル・ブレイク〉4/27
〈ライオン 25年目のただいま〉5/1
〈マンチェスター・バイ・ザ・シー〉5/29
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虎吉
at 2017-06-07 20:06
x
こんにちは、ゴジラ殿
梅雨入りですね
SF音痴の小生ですが、『メッセージ』は衝撃的映画でした
「未来を思い出す」と表現されたのはゴジラ殿らしいなと思います 小生は時制の概念で戸惑うところがありました 時折はさまる娘との日々で、一息ついてという感じで
過去と未来が現在に関わってくるなんて小生の頭では思いもつきません 主人公の言語学者が防護服を脱ぐシーンは今から思えば感動的でした
梅雨入りですね
SF音痴の小生ですが、『メッセージ』は衝撃的映画でした
「未来を思い出す」と表現されたのはゴジラ殿らしいなと思います 小生は時制の概念で戸惑うところがありました 時折はさまる娘との日々で、一息ついてという感じで
過去と未来が現在に関わってくるなんて小生の頭では思いもつきません 主人公の言語学者が防護服を脱ぐシーンは今から思えば感動的でした
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god-zi-lla at 2017-06-08 08:46
虎吉さん こんにちは。
映画のあちこちで断片的に登場する、娘の誕生から死までの「回想」のすべてが未来の出来事だった(と過去形で書くのも違和感ありますけど)ということに本当に映画館を出て結構歩いてから気づき、あ、そういうことかと、思わず声に出して立ち止まってしまいました。
それに気づいて、後から思い返してみればあちこちにそれを暗示する台詞がありましたね。
3年くらい前に見た「インターステラー」もそうでしたが、脳を刺激するタイプのSFは面白いですね。原作が良いからでしょうか。
「インターステラー」といえばマシュー・マコノヒーの「ゴールド」も見に行かなきゃ。予告編で度肝を抜かれました。あそこまでやるのか。
映画のあちこちで断片的に登場する、娘の誕生から死までの「回想」のすべてが未来の出来事だった(と過去形で書くのも違和感ありますけど)ということに本当に映画館を出て結構歩いてから気づき、あ、そういうことかと、思わず声に出して立ち止まってしまいました。
それに気づいて、後から思い返してみればあちこちにそれを暗示する台詞がありましたね。
3年くらい前に見た「インターステラー」もそうでしたが、脳を刺激するタイプのSFは面白いですね。原作が良いからでしょうか。
「インターステラー」といえばマシュー・マコノヒーの「ゴールド」も見に行かなきゃ。予告編で度肝を抜かれました。あそこまでやるのか。
by god-zi-lla
| 2017-06-05 09:37
| 物見遊山十把一絡げ
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Comments(2)