神はどーだっていいとこに宿る


by god-zi-lla

腐った権力を支える腐ったものを取り除く苦行(少し直した0418)

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〈ペンタゴン・ペーパーズ〉はウォーターゲート・ビルの民主党本部に何者かが潜入しているのを巡回の警備員が発見し、警察に通報するシーンで終わる。

〈ザ・シークレットマン〉が始まるわけだ。みごとに繋がってる。

ワシントンポスト紙が大統領による刑事訴追を恐れずに(いや恐れてはいたが、前に進むことをやめずに)、歴代政府がつき続けてきたヴィエトナム戦争にかかわる数々のウソを暴く記事を1面トップに掲載する。政府の犯罪行為を暴くことが(機密文書の暴露が違法とされても)報道の自由を守り、国民を救う最善の道だと信じて(というより、苦悩しつつも信じようとすることによって)国家権力と対峙する。

それが結果として、わずか数年後に起こるウォーターゲート事件の際、〈ザ・シークレットマン〉でリアム・ニーソンが演じるFBI副長官の内部告発をワシントンポストが受けることに繋がる(政府の意向に従う新聞に情報提供する内部告発者はいない)。

政府の犯罪行為を証明する極秘文書を入手しながら政府の恫喝に怖じ気づいて記事の掲載を取りやめていれば、その後FBI副長官がワシントン・ポストの若い記者に会って情報を漏らすこともなくウォーターゲート事件は忘れられ、アメリカ合衆国はヴィエトナムでの蛮行をダラダラと続けて更なる深みにハマりこみ、日本はじめ合衆国の衛星国はこれを支持し続けて東アジアではさらに多くの血が流れ、ニクソンが大統領2期を全うしてその犯罪は完全に闇に葬られた可能性が高い。

2本ともじつに面白い映画だったが、たまたま同じ時期に同じ時代に続けて起こった政治的重大事件を扱った映画が作られ封切られたというのは、あの時代を冷静に振り返る余裕をアメリカの国民がようやく持てるようになったってことかもしれない。あるいはトランプという得体の知れない素人政治家が権力を握ったことについての危機感があるのかもしれないが、どのみちテレビ局が映画を作ってる日本では望むべくもないことではある。

〈ペンタゴン・ペーパーズ〉のなかにトム・ハンクスの演ずる編集局長が仲の良かったJFKとの付き合いを思い出し「友人であるか記者であるか、どちらか一方にすべきだった」と悔やむシーンがある。メリル・ストリープの社主はマクナマラ夫婦と家族ぐるみの付き合いで仲が良い。そういうものを「報道の自由」のために振り切っていく。

それから数年後、ウォーターゲート事件が発覚したとき、〈ザ・シークレットマン〉のリアム・ニーソン演じるFBI副長官はウォーターゲート事件の最新の捜査資料を逐次ワシントンポストの記者と雑誌タイムの記者に渡す。

彼にその行動を起こさせる最大の動機は長年にわたって「怪物」フーバー長官とともに築き上げてきたFBIを、長官の死をきっかけにして政府の介入を許しその支配下に押し込められるのを防ぐための「組織防衛」以外の何者でもない。

ただ彼はFBIが政府から独立して存在していることそのものが合衆国の国益にかなうと信じていて、つまりFBIを守ることが祖国を守ることと同義だと疑わず、ウォーターゲート事件の捜査が大統領と政府の妨害によって危機に瀕したとき、局面打開のためにメディアを利用しようと企てた。

そしてそれが結果としてウォーターゲート事件の真相を白日の下に晒すことになり、ニクソンは二期目の選挙に勝利したにもかかわらず辞任する(この映画を見るまで知らなかったが、辞任表明の演説のなかで彼は『アメリカ・ファースト』と語る。トランプがこのコトバを連発したことを念頭に置いた編集かもしれない)。

レオナルド・ディカプリオがフーバー長官を演じたクリント・イーストウッド監督作品〈J.エドガー〉を思い出しながら見ると、〈ザ・シークレットマン〉の冒頭リアム・ニーソンの副長官が政府の要人数人を言葉で威圧するシーンからいきなりブキミだ。彼らのどんな「情報(つまり醜聞)」をFBIが握っているかをニーソンはそれとなくほのめかす。大統領や政府からすれば、コイツらをなんとかしたいと思われて当然のことをFBIのナンバー2がメンと向かって言い放つわけだ。じつに気色悪い。

その気色悪い組織が大統領の犯罪を暴き出すことになる。

このFBI元副長官は引退後、ウォーターゲート事件と同時期にあった別の違法捜査を指揮した容疑で訴追され有罪判決を受けている。どちらにおいても彼は自ら信じる「正義」の実現のためには手段を選んでいない。

ところで〈ペンタゴン・ペーパーズ〉はワシントンポストの物語だが(原題はThe Post)、エルズバーグ事件の発端を作ったのはニューヨークタイムズで、機密文書の暴露は映画にもあるとおりニューヨークタイムズが口火を切った。

この映画はメリル・ストリープ演じるワシントンポスト紙の社主のドラマだから致し方ないが、こういうスクープは言うまでもなく最初に記事にした新聞社(あるいはほかのメディアでも)がどんな場合でも唯一その勇気を賞賛されるべき存在である。

それでもなおかつ、この2本の映画をいま見ておくべきだと、おれは強く思うね。




Commented by 虎吉 at 2018-04-19 10:07 x
ゴジラ殿

こんにちは。
今朝の新聞は■■■■に女性問題とまったく「●●」です。
そんな折り、アメリカにゴルフにいっちゃう宰相ってのもある意味「●●」では、と寂しくなりました。

で、左の「●●」にトライでございます。
→コメントでました。だもんで「●●」にしています。

で■■■■は、1番目はセ、順次、ク、ハ、ラ です。これも拒否なのかな。
Commented by god-zi-lla at 2018-04-19 10:48
虎吉さん こんにちは。

最初にこのコメント拒否に気づかれた方は「とうとう日本も中国みたいな国になってしまったか」と一瞬嘆かれたそうです。

さいわい、このブログに起こってるのはたんなるバグのようですが、ヨノナカには経済さえうまく回転していれば中国と同じように独裁国家で言論も人権も国家統制されててかまわないと思ってる人間が意外に多いと思わせる最近の日本です。

日本全体が近ごろはグロい。グロすぎ。
Commented by 虎吉 at 2018-04-19 22:39 x
こんばんは

ご返信ありがとうございます

でも、いまは 寺島のしのぶです
『ヘッダ・ガブラー』、羨ましいな 観たいです
どうでしたか 魔性の役はやはり、はしのぶですよね
Commented by god-zi-lla at 2018-04-23 14:38
虎吉さん

寺島しのぶの存在感はすごいですね。それと、以前草月ホールで見たときも思ったのですが、彼女が発するオーラは持って生まれたものだけでなく鍛えた滑舌と鍛えた身体能力に根ざすものですね。

あれは歌舞伎と東映任侠映画の両方を身近に見て育ったせいかなあと思ってしまいます。

あと、ヘッダ・ガブラーは魔性の女というよりは、本質的には自分というもののない哀れな女なんですね。

この戯曲をまったく知らずに見始めて、幕が下りたときにつくづくそう思いました
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by god-zi-lla | 2018-04-17 10:12 | 物見遊山十把一絡げ | Comments(4)