神はどーだっていいとこに宿る
by god-zi-lla
レコードでも聴くか(LEGRAND JAZZ)
2020年 04月 10日
いやなんの話かといえばミシェル・ルグランの〈LEGRAND JAZZ〉である。とくにスーパーとかテレワークとかと関係はない。きのう聴いたという、それだけの話なり。
このアルバムが好きなんだよ。ここんとこずっと棚にしまうこともなく、そのへんの壁に立てかけてある。なにしろ去年ルグランが亡くなったときにはすでに壁に立てかけてあったんだから相当なもんだ。ちょっと長いスパンで見りゃあヘヴィーローテーションかもしれない。
でまあ、そろそろ棚に戻してやってもいいかなと思い始めたので、じゃあそのまえに記念写真でも撮ってブログでもデッチ上げとくかと(まあこのブログはだいたいそんなもんだ)。
1958年、弱冠26歳のミシェル・ルグランが勇躍ニューヨークに乗り込んでコロムビアのスタジオのマイルス・デイヴィスらニューヨークジャズシーンの最先端にいるメンメンを起用して拵えた有名なアルバムなり。
なにしろルグランはNY到着早々マイルスを訪ねてこんなふうな音楽をやりたいんですってスコアを見せたなんて逸話も流布してるくらいで、これはもう「ミシェル・ルグラン・ミーツ・マイルス・デイヴィス」的なとこが商売的にいっても必ず全面に押し出されるわけだ。
しかも売り出し中の若きパリジャン、ミシェル・ルグランだ。もう広告の惹句に「パリのエスプリ」つう決まり文句を欠かすわけにはまいらない。
ところで実際はマイルス、コルトレーン、ビル・エヴァンス、ポール・チェインバーズらを含むバンドの演奏はアルバム収録11曲のうち4曲で、あとの7曲のうち4曲は4トロンボーンにベン・ウェブスターtsやハンク・ジョーンズpらが加わるセット。残りの3曲はフィル・ウッズとジーン・クィルの2アルトにトランペットが4人いる編成といずれもかなり型破りなバンド編成で、かえってマイルスのセットがいちばんオーソドックスに見えたりする。このへんもルグランの挑戦心の発露なんでしょうかね。
おれは「パリのエスプリ」方面にとんと疎い野暮天だもんだから、このアルバムのどこいらへんがそうなのか何度聴いてもわかんなくてさ。それよかルグランの、NYのジャズメンとスタジオに入れるんだったらこんなことやってみたい、あんな音も出してみたいっつう意欲とヨロコビがひたすらに炸裂しまくってる様子ばかりが耳に入ってくる。
ムリしていえばアメリカのジャズにあんまりないガチャガチャといろんな楽器がいっぺんに鳴るようなとこが所々にあって、そういうとこがダリウス・ミヨーっぽいっつうかダダっぽいっつうのか。そうコジツケようとすれば出来ないでもないけど、それはしかし「パリのエスプリ」ってコトバの喚起するイメージとは違うもんだよなあ。
それはともかく、ルグランはこのアルバムでじつにいろんなことを試しちゃ楽しんでる(ように思える)。4トロンボーンのほわっとしたサウンドに乗って、ベン・ウェブスターが「ズズズズズー」ってサブトーンをこれでもかってくらいたっぷり聴かせたりさ。これなんかバンドにウェブスターが入るとわかったときに絶対「ズズズズズー」をウェブスターにやってもらおうと思って、「ここサブトーンでお願いします」って太字でスコアに書き込んだに違いないぜ(他のトラックでウェブスターはやってない)。
マイルスの加わるトラック自体は、おれのバンドのサウンド全体がおれの音楽(じぶんのソロもパーツのひとつ)なんだっつうマイルスの考え方(とおれが勝手に解釈してるだけかもしらんが)の枠のなかで、ギル・エヴァンスのアレンジとはまた違いつつもマイルスを中心にすえたアレンジをルグランが施して、そこに本人が、判ってるなーコイツ若いくせにって感じでじつにうまくハマってる(いっぽうコルトレーンの自分勝手なソロをマイルスとビル・エヴァンスが、しょーがねーなーって顔で聴いてるシーンを妄想したりね)。
だからなんちゅうか、表看板のマイルスのセットを中心にしてじつにヴァラエティ豊かに面白く構成された、ちょっとだけ風変わりなサウンドのビッグバンドアルバムだと思って楽しんでるんだよ。だからつい片付けられないで、いつまでもそこいらへんの壁に立てかけてあったりする。
片付けるの、もう少し先にするかな。
COLUMBIA CL1250(モノラル)