神はどーだっていいとこに宿る


by god-zi-lla

レコードでも聴くか(閉店セールをまだ楽しんでいる)


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つうようなわけで久しぶりに日本橋へ出て、そうだ昼メシは三越の「お好み大食堂」(そういう名前じゃないけど)にしよう! なんて勇み立って店内に入ったところが、今年新年早々に閉めちゃったんだってね。くだんの大食堂のあったフロアは隣り合ってた八重洲ブックセンターもろとも店じまいして工事の衝立で囲われちゃった。残念だなあ。ラーメン食べたいキミとお寿司食べたいボクが席を同じうして食事の出来る都内でも貴重な店だったのに。

ちなみに日本橋三越のさらに上階には「特別食堂」っつう同類の大食堂が健在なのでありますが、こっちは(お値段的にも)ちょっとコワくて入れない。ここはおれらのような庶民の来るところじゃなくってぐっとおハイソな奥さまが一人でラーメンなどお召し上がりになる店なのね。

いやそんなこたどーだっていい。

ジャック・ルーシェつうピアニストがいるんだが、まるで知らなかったんだけど去年の3月に亡くなったばかりだったんだ。今まで自分になんの縁もない音楽家だったんで、とうの昔に「歴史上の人物」になってる人だとばっかり思ってたら享年84歳、なんだそんなに古い人でもなかったのか。

その縁なき音楽家のレコードがなんでここに写ってんのかというと、これもまたせんだってロンドンレコードをまとめてゲットした例の「閉店セール」で買い求めた1枚なのであった。そういやジャック・ルーシェの「プレイバッハ」つうのをマトモに聴いたことなかったな。売れ残りの投げ売りで安いから、どれ、試しに買って聴いてみようぢゃないか。

「クラシック」をネタにジャズをやる、つうことでいえば最初に聴いたのがデオダートのリヒャルト・シュトラウス〈ツァラトゥストラはかく語りき〉(アルバムの邦題も同じ。原題は "PRELUDE" )じゃなかったかしらん。それから同じアルバムに入ってたドビュッシーの〈牧神の午後への前奏曲〉。まあアレだ。クラシックの有名曲のちょいとキャッチーなテーマ部分を拝借してあとは好き勝手な音楽をこさえ、最後のところでもういっぺんテーマに戻ってオシマイっつう、ざっくりいえばいかにもジャズ的な手順だな。

でもじつは大好きなんですこのデオダートのアルバム。どんくらい好きかってば学生のころから長年国内盤で聴いてたのを、15年くらい前にVAN GELDER刻印入りのオリジナル盤を買ったくらい好きです(オリジナル盤っても国内盤新品と同じくらいの値段でしたけどね)。

買って最初のうちは単純に調子良くて楽しいからよく聴いてた。そのうち、何度も繰り返し聴いてるうちにアメリカのジャズにはないヘンな音とか変わったアレンジとかに耳が行くようになって、とても面白い聴きモノになってきたりした。でもべつにリヒャルト・シュトラウスもドビュッシーもほとんど意識しない。それはたんなる「ネタ」で、デオダートなりの「解釈」というようなもんを聴き取ったりはしたことがないし、本人だってそんなつもりはなかったんじゃあるまいか。

で、多分そんなんだろうと思ってたんだなジャック・ルーシェの「バッハ」も。そしたらこれはちょっとちがうんですね。いやもうある部分はほぼバッハそのものじゃんか。それがしばらくするとバッハと関係ない感じのジャズのピアノトリオになる。それからまたバッハに戻る、つう感じなのだった。あーこういうことをしてんのかー。

そもそもバッハの鍵盤楽器のための作品をピアノで演奏してるわけだ。しかもバロック音楽ってのは作曲家が楽譜に書いてない装飾音をプレイヤーが即興的に加えて演奏するのが当たり前な音楽で、それだけでも十分ジャズっぽい音楽って感じがするし、リズムの基本が「ダンス」だからバロック音楽はビート感もあるし結構スイングする。

だから意外にそのままバッハを弾いてる感じがするところが多いんで驚いた。それでもって、そこにドラムスとベースがそおっとジャズ風味を付け加えてる。とくにドラムスの表情のつけ方が微妙な感じで聴いてて面白い。

つことは、バッハを弾くのを「正業」にしてる音楽家がふつうにバッハを演奏してるところへ、このトリオのベースとドラムスがこういう感じのバックを付けてみたらどうなるんだべ。ひょっとしたらそれだってアリなんじゃあるまいか、なんつうことまで想像させてくれる。

いっぽう「ジャズ」のところでは三人ともふつうにジャズのピアノトリオで、ほぼバッハを感じない。もしかするとバッハの「音列」をもとにインプロビゼーションがなんちゃらとかいうのがあるのかもしれないけど、そんなもんおれにはわかんない。バッハはきこえてきません、ってだけのことだ。

しばらくぼおーっと考えてたんだけど、これって面白いことやってんのはつまりベースとドラムスってことだよな。

ピアニストはバッハになったりジャズになったりしてるけど、ベースとドラムスはジャズのときは「本業」のジャズでいいが、バッハのときに「バッハ」になるってわけにはいかない。つまりなんつうか、お手本にするものがまるでない。そりゃそうさ、だってピアノだけで成り立ってる音楽なんだからナニをやっても「余計」なことだ。そこでなにをどうするかはベーシストとドラマーがゼロから考えなきゃならない。ピアニストはバッハの作った音楽に装飾音やなんかで自分なりの「解釈」を付け加えてるのにさ。でもそれはある意味バロック音楽の流儀でもあるんだから、なんかちょっとズルいよな。

まあジャック・ルーシェがリーダーのトリオなんだから、バッハのところは「出たとこ勝負」なんてことじゃなく当然3人で相談ずくの演奏なんでしょうが、でも、誰もやったことなさそうなことをやってんのはベースとドラムスの人たちだよな。

ジャック・ルーシェはジャズとバッハを混ぜて弾いてるわけじゃない。そもそも混ぜられるなんて思っちゃいないんじゃないか。でもまあ、混ざらなくてもひとつのピアノトリオっつうスタイルの音楽としてやってるわけで、ちゃんとまとめていかなきゃなんない。そこんとこを上手くやるのがベースとドラムスの人たちの仕事だったのかな、なんてね。

ところでこのアルバムは〈PLAY BACH〉のVOL.5だ。売れ残りですから、もちろん1から4まではどこにもない。そりゃああれば「1」を買うさ。ヒットしたからこそ「5」があるんでしょうし、ふつうシリーズもので「5」のほうが「1」より面白かったっつうケースはあんまり多くないもんだ。

それでその〈PLAY BACH 1〉だとか後年のアルバムでやってるヴィヴァルディだとかサティだとかを、メシ食いながらAMAZON MUSIC HDで検索して聴いてみたんだ(つい最近APPLE MUSICに加えてAMAZON MUSIC HD使い始めたのよ)。

そしたら、上に書いたようなことを感じるトラックにほとんど出合わない。たぶん「1」を買ってたらブログに書こうと思わなかったんじゃないかって気がしてきた。ひょっとして最初のころヤツらはジャズとバッハを混ぜようとしてたんじゃあるまいか。聴き流しただけだから、ちゃんとは言えないんだけどね。

それからサティはつまらない。音と音の間のスカスカしたすき間に勝手に別の音を入れちゃったらサティは台無しってもんだ。サティは音のすき間から皮肉な目でこっちを見てるんだからさ。あと、ヴィヴァルディも思ったほど面白くない。

そうするとアレか? おれが手に入れたこの「5」が、たまたまおれの気に入るジャック・ルーシェ・トリオだったってことなだけか。あるいは「6」ってのがないとすれば、「5」がジャック・ルーシェ・トリオの「Play Bachプロジェクト」の最終到達点ってこと? それならそれでラッキーだったかもな。バッハと、いかにもな白人ピアノトリオが適当な間隔で入れ替わり立ち替わり聞こえてくるこのアルバムは結構飽きない。これはこれでなかなかだよ。

ほかのアルバムを買おうとは思わないけどね。




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この〈LONDON GLOBE〉ってラベルの盤には初めて出合った。made in EnglandとあるからDECCAの商標を使えないエリアへの輸出用ラベルですかね。 'GLOBE' って文字とモルワイデ図法の世界地図がいかにもそれクサイよな。当然イギリスではDECCAでリリースされたんでしょうが、フランスの音楽家だからこのラベルが「本国盤」てことか。



★PLAY BACH 5 / Jacques Loussier Trio(LONDON GLOBE SLB1047)LP

Pierre Michelot (b)
Christian Garros (ds)

棚のバッハの鍵盤音楽のカタマリのところに刺そうと思ったけど、思い直して同じフランスのジャズピアニストってことでマーシャル・ソラールのとなりに刺した。仲悪かったらゴメンね(ソラールは存命ですけど)。





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by god-zi-lla | 2020-09-22 13:26 | 常用レコード絵日記 | Comments(0)