いまの日本、アベがボトルネック


by god-zi-lla

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ここ1週間物見遊山の十把一絡げ(その1)_d0027243_6592333.jpg
塀の上でアカツキを覚えない猫二匹、というような季節である。

猫の寝てる間にこっちは24日の昼間新宿紀伊國屋ホールでこまつ座の「小林一茶」を見物し、遅い昼飯を新装なった新宿中村屋の地下の食堂で名物インドカリーとコーヒーで済ましたのち、新宿三丁目駅から地下鉄に乗って霞ヶ関。腹ごなしに少し歩いて日比谷のTOHOシネマズシャンテで「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」をひとりで見物してきたんであった(平日の真っ昼間芝居とカレーと映画のハシゴに付き合うような酔狂はいませんやね)。

新宿中村屋のインドカリーとコールマンカリーを食べさせる大食堂(いまも昔も名前があったはずだけどすっかり忘れた)は建て替えられる前には3階だか4階だかにあったと思うんだが、新しい建物では地下になっている。それも地下も地下。あの新宿駅から三丁目へ向かって伸びる地下道からさらにもうひとフロア階段を降りた、ようするに地下2階ということらしい場所に移ってるんだよ。

どうも地上階はブランドショップをテナントとして入れて自前の店は地下のふたつの階に集約してしまったようで、話に聞くところでは外国人観光客と日本人のお上りさんはたいがい地上の新宿通りを歩いているから有名ブランド店を地上に置いて彼らの相手はもっぱらそういう店にさしておき、地下道を歩く新宿に馴染んだお客さんを相手に自分らは商売をしようということなんだそうである(ぢつは新しい中村屋が建ったあと紀伊國屋書店本店から新宿駅方面へ新宿通りを歩いてなくって、地上はどうなってるのか全然知らないんです。紀伊國屋から伊勢丹、四ツ谷方面はけっこう歩いてるし、新宿駅方向へ中央通りはよく通るんですけどね)。

まあそう思惑通りにいくもんかどうかわかりませんが、げんに中国人観光客(とくに若者)がけっこう大勢ガイドブック片手にあの地下道を三丁目方向に歩いてますもんね。わしらだって旅行すりゃあそうですけど、やっぱ観光客のあんまし行かないようなとこへ行ってみようと思うのが自然だもんな。出不精のおれですら思うんだから況や外国人なら。

のっけから枝線に迷い込んでおりますが井上ひさし作「小林一茶」である。

俳人・小林一茶を描くこの芝居に一茶本人は出てこない。いや出てきてるんだがそれはあくまでお吟味芝居と称した劇中劇のなかで芝居小屋の狂言作者から同心見習いに転職したばかりの御家人のセガレが一茶を演じてるだけで、本人は出てこない。

とここまで書いたところでちょっと待てよと思ったんですけど、本人が出てこないったって本人なんか実際に出てくるわけがないんだよ。まあそんなこた当たり前ですけど、ようするに劇中「一茶」という役はないということなんだが、劇中劇に「一茶」という役はある。ところが実際見物してるさいちゅう「コイツは一茶をやってるが一茶じゃなくて同心見習いの元狂言作者なんだよな」なんてことをひっきりなしに意識してるなんてことは全然ないわけだ。たとえばの話がだよ、歌舞伎見物してて「この男は髪結新三をやってるが髪結新三じゃなくって中村橋之助なんだよな」なんてことが意識から離れなかったとしたら、芝居が芝居として成立しなくなっちゃうじゃんか。なんてことにいきなり引っかかってしまったんだが、どうしたもんだろうかしらん。

いやそれはともかくとしてだな。江戸、蔵前の町人たちは大商人で俳人の夏目成美別宅から480両という大金が盗まれた「事件」を、そこに出入りしていた貧乏業俳の一茶を下手人に仕立て上げようとして、つまりまあそういうことをやりかねないヤツなんであるという心証を事情を知らない同心見習いのココロのなかに作り上げようとしてこんな再現フィルムもどきのお吟味芝居なんてものをやらかすわけだ。当の同心見習いも取り調べは犯人の身になって考えるなんてって一茶の役を引き受ける。しかし芝居が進むにつれ少しずつ綻びはじめ、けっきょく町人たちが自分らのためにありもしない「事件」をデッチ上げたうえ一茶をその犯人にして自分たちがカネをせしめようという魂胆だったのを同心見習いに見抜かれてしまう。

この舞台はそうやって小林一茶というのはどのような人であったのかという人物像のある一面を描き出してくんだけども、一茶が善人だったか小悪党だったかというようなことについてホントのところ作者の井上ひさしはどっちだってかまやしないと思ってんじゃないかと、おれには思えてならないのだった。

江戸を求めながら江戸に疎まれ江戸を憎む一茶。ことの顛末すべてがこの芝居どおりだったかどうかはともかく夏目成美宅の盗難事件は実際にあって、一茶がいっとき疑われたというのはどうもその通りらしい。身近な人々に疑われれば人はどうなるか。
江戸衆に見枯らされたる桜哉
椋鳥と人に呼ばるる寒さ哉
この蔵前の町人たちは大川を遡って運ばれてくる諸国からの年貢米の一部を成美ら大商人たちとグルになって横流しして自分たちの年越しのカネの足しにしようと企んでいるのだったが、庶民のささやかな生活の糧になる程度のカネだから良いではないかと言う町人たちに、一茶に俳諧の手ほどきをした越後生まれの貧乏俳人竹里(ちくり)が、そうやってアンタたちが年越しの費えだといって横取りした年貢米は百姓がふたたび死ぬ思いをして差し出さなければならなくなるのを知っているのかと問い詰めるんだな。

んー、幕切れは一茶というより井上ひさしの視線だよなあ。

話は戻りますけどお吟味芝居という名前の劇中劇(井上ひさしの創作だと思うけど)で同心見習いが演じる一茶を、見てるこっちは段々とたんなる一茶(ヘンな言い方ですけど、つまり劇中劇という意識がなくなってくるということで)として見るようになってくるわけなんだが、ひとつのエピソードから次のエピソードに移るとき必ずいったん「現実」に引き戻される(いや現実といったって芝居のなかだけど)。そこで要所要所で一茶の人生にかかわってくる業俳仲間の竹里がその劇中劇のエピソードに対して解釈の変更を迫るんだよな。いや、それはそう見えるけど一茶はそうじゃないんじゃないか、って。でもって一瞬だけ客のおれたちも一茶ってのはどういうヤツだったのか考えるヒマを与えられるわけだ。そしてすぐにまた劇中劇の世界に連れて帰られる。

このへんの仕掛けというのがなんかすごく面白い。恣意的に「らしい話」ばかり並べられた劇中劇の世界とそれを正しい位置に戻そうとする意思、といってもそれだって結局のところ「本人不在」なままだから真相が本人から語られることはなくて、あるのは状況証拠と心証のみっていう不確かな感じ。客として見てるこっちも目の前でいろいろ見せられたわりには、一茶ってのはホントはどういう人だったのかアヤフヤなままだったりする。だけど「一茶本人」が登場して語ることによって、じつはそれだって芝居という虚構であるにもかかわらずなにがしか固定された人物像をお客に与えてしまうことを作者井上ひさしは避けようとしたのか、なんてことを考えないでもなかったけど、まあ違うだろうな。

小林一茶は生涯に二万を超える句を残したそうだけど、二万というとそりゃあ商売として詠み飛ばした句だって山ほどあるでしょうし多分ココロにもないことだって時と場合によったら詠んだんじゃあるまいか。だから一茶自身の実像というのもそういう山ほどの傑作駄作のなかに埋もれて実はよくわからなかったりするのかもしれない。実像だと思って見てるものは、しかしたんに一茶の作品から勝手に読み取ったイメージであって本人じゃないわけだ。たまたま参照した一茶の句が彼のココロのうちを描いてなかったら一茶本人は芝居同様どこにもいないってことになりかねないもんな。
by god-zi-lla | 2015-04-28 13:50 | 物見遊山十把一絡げ | Comments(0)
ふき味噌(季節のおだいどこシリーズその8349)_d0027243_941410.jpg
このまえ奥さんが有機野菜をネットで注文したら、オマケでちっちゃな瓶に少しだけフキ味噌の入ったのが付いてきてね。そうだよな、ふきのとうの季節だもんなあと、そのほろ苦いのを少しつまんで炊きたてのご飯のうえにのっけて口のなかに放り込みほっほっほーっなんかいいながら食ってたんだが、何しろオマケだからあっというまになくなってしまったんであった。いやーこれはもっと食いたい。

ふき味噌なんて作ったことなかったんだけどね。でもまあ、ようするに味噌とフキノトウでしょ。それに味醂とか砂糖とか。あとは時期が時期だから肝心のフキノトウがまだあるかだな。つうわけでスーパーで見てみればありましたありました。山形産のふきのとうが店先にあったので迷わず買い求めて早速こさえてみたのが写真です。

しかし考えてみたら子どものころはフキノトウなんて食べなかった。親は食べてましたけど、こんな苦いもん子どもはふつう食べない。親だってニンジン食べろピーマン食べろだのは言ったでしょうがフキノトウをむりやり子どもに食べさそうなんて親はまずいない(と思う)。それがいつの頃からだったかしらね。フキノトウの天ぷらだのふき味噌だのを、このほろ苦いのが春なんだよねえ、なんて教わったわけでもないのに知ったふうな顔しながら食うようになったのは。

まあ人それぞれなんでしょうが、おれのばやいはどう考えたって40代のなかば以降だった気がする。だからせいぜいがここ10年か15年。考えてみるとそれまでの人生、おれはフキノトウどころかタケノコどころか、春だろーが冬だろーが年がら年中焼肉ばっか食っていた。

こういうほろ苦いのを大人の味なんていうけどさ。おれは15年前だってオトナだったような気がするんだけどね。四十はとうに過ぎてたんだしさ。つうことはオトナの味っていうよりむしろ老人の味に近かったりするのかしらね。まあいいんですけど。

だけどもあのフキノトウの苦みというもんである。ひゅうっと伸びて大きな葉っぱを付けたフキにだって苦みもえぐみもあるわけだが、フキノトウに比べたらそんなでもない。おそらくフキノトウのこの苦みというのはやっぱり鳥や虫に大事な花芽を食われないようにする天敵よけの「毒」なんだろう。だからもしかするとニンゲンの小さな子どもにだってけっこうな毒なのかもしれない。苦いものは毒だって本能的に知ってるから(イマふうにいえばDNAに書き込まれてるとでもいうんでしょうかしら)、子どもはそういうものは食いたがらない。

オトナの味ってのはたいがいほろ苦い。つうことはそういう食い物が好きになるというのは好奇心が本能を超えてくるというか、ようするに生物的にようやっと「子ども」の域を脱したってサインでもあるんだろう。だからある日おれんとこにも本能って野郎がやってきてフキノトウを指さしつつ耳元で、アンタはもうこれ食っても平気になったんだよ。だから安心して天ぷらでもふき味噌でもどんどんお上がんなさい、なにしろオトナの味ですから。あたくしはこれで失礼しますよホホホホホ、なんて囁いたんだろう(覚えてないけど)。

まあそんなわけで近ごろはなんの憂いもなく春ともなればフキノトウの天ぷらを食い、フキ味噌をこしらえて食っているのである。

この苦みは本当に、春だよねえ。
by god-zi-lla | 2015-04-22 08:54 | 食いモンは恥ずかしいぞ | Comments(5)
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ここんとこの東京は好天が長続きしないねえ。

ナット・キング・コールといえば長年クリスマスアルバムのCDを1枚持ってるきりだったのが、あるときコールの追悼盤と思しきベースとギターを従えて弾き語りしている40年代録音のトラックを集めたLPを買って聴いてみたんだよ。そしたらゴージャスなフルオーケストラをバックに歌う大スターになってからのコールとはひと味もふた味もちがって、ドライブ感あふれるジャズど真ん中っつうようなピアノと歌にびっくりしちゃってね。いやーこれはもっと聴いてみたいもんだと思ったのでした。

その後はしかし、いつものとおり特別探すでもなく過ごすうちに数枚の編集盤を買ってみたっきりだったんだけどね。それが写真のやつは後年の復刻盤とか追悼盤とかじゃなくナット・キング・コールが存命のうちに出た10インチ盤でさ。おれとしたら初めてナット・キング・コールの初期盤を買ったということなのであった。

このアルバムがSP録音からLPになった初出盤なのか、これはこれで既発アルバムから寄せ集めの編集盤なのか、そのへんのことは全然知らないんだけど中身は両面で8曲、そのうちA面後半の2曲はトリオによるインスト演奏のみだからコールのヴォーカルが聴けるのは6曲。King Cole Trio Vol.4ってタイトルですけど何曲かにパーカッションが入ってクァルテットになっている(裏ジャケのイラストもそうなってますね)。

ナット・キング・コールといえばバックに豪華なストリングスまで入ったスイートな歌の数々もそりゃあいいとは思うんだが、なんつうかジャズファンとしては一度この若き日のコールが自分のトリオでピアノ弾きながら歌ってるのを聴いちゃうと、そりゃあやっぱりこっちのほうがずっといいと思えてしまうんだよ。

つうわけで1930年代にピアニストとしてデビューして、そのうち美声が認められて歌もうたうようになり、この時期のコールはたぶんジャズ業界のなかではがっちりポジションを確立したころなんだと思う。しかもまだまだ若くて、さらにジャズの世界を超えて羽ばたこうという勢いと余裕が演奏にも歌にもじゅうぶん感じられてさ。こういう頂点を極めつつある旬のミュージシャンのプレイってのはそれが誰であれ文句なくいいモンですからね。聴いててじつに楽しいんだな。

そのナット・キング・コールの人気が爆発したのは50年代に入ってからのことだそうだから、たぶんこの10インチ盤が出たのはその大ブレイク寸前のものなんじゃあるまいか。だってこのジャケットでしょ。ふつう広く世間に知られる人気者になれば多分ジャケットにだって本人の顔が名前とともにどーんと載っかるんだろうからね。こんなふうに地味なイラストのカバーってのはやはりスターになる前のリリースだったんじゃないかと思うんだな。

でライナーノーツを見ても詳しいデータもなにもないのでネットで検索してみると、ありがたいことにこういうスーパースターの録音データというのは研究家のみなさんが詳細に調べ上げたものを見ることが出来るわけだ。それによるとこのアルバムに収録された8つのトラックは47年11月3日と6日、49年3月22日と29日、いずれもニューヨークで行われた4つのレコーディングセッションのなかから選ばれたものだってことがすぐにわかった。

結局ナット・キング・コールがベースとギターっていう小さなレギュラーバンドで「ジャズ」をやってたのは1940年代までのことだったわけで、1919年生まれのコールはこのアルバムのレコーディングセッションの一番最後のときでもまだ30歳になったばかりだった。若いよなあ。そりゃ大スターにもなるよ。その若さであんなふうに歌われちゃあお手上げだっていう同業者がきっと大勢いただろうな。

ちなみにこのアルバムはVolume 4とタイトルにあるからあと最低3枚40年代に吹き込まれた10インチ盤があるはずなんだ。その中にはおそらく今までに買い求めた何枚かの後発編集盤とダブってるトラックもあるんじゃないかとも思うんだが(このアルバムでも2曲すでに聴いたことのあるトラックがあったし)、それでも手に入るんだったらそれはやっぱり当時出た盤で聴いてみたい。

毎度毎度のことだけど、やっぱり聴いて比べちゃうと最初にリリースされた時期に近いプレスのレコードのほうが、どうしたって音の鮮度が高いんだもん。これはもう誰がなんてったって経験上そうなんだから仕方ありません。まあ目の前にぽっとそんなブツが現れる日が来ることを探すでもなく待つでもなく気長に念じることにしよう。

と、ここまで書いてから念のためと思ってこの10インチ盤(Capitol H177)と手元にあった80年代リリースの編集盤The Best of the NAT "KING" COLE Trio Vol.1(Capitol N-16260)の両方に入っている2曲"Little Girl"(47年11月録音)と"For All We Know"(49年3月録音)を両方の盤で聴き比べてみたんだよ。

いやー、音の鮮度がどうたらいう前にこの80年代編集盤のコールの声には10インチ盤では聴かれないリヴァーブがかかってるじゃんか。しかもピアノはキンキンと刺激的なうえに痩せてるしギターには潤いがない。あたたたた。んー、マスター(40年代だからマスターはラッカー盤か、あるいは後年ラッカーから起こしたテープか)の劣化を誤魔化すために、もしかしてコールの声にだけリヴァーブをかけてみたんだろうか(ひょっとしていかにもスターらしいゴーカさを演出したつもりだったりする?)。それにしてもこれはちょっとなあ。編集盤だけ聴いてるときはそうも思わなかったんだけど、こうやって聴き比べちゃったらもうダメです。

聴き比べなんかしなきゃよかった、かも(また散財か)。
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by god-zi-lla | 2015-04-19 08:40 | 常用レコード絵日記 | Comments(2)

マクロコンバーター

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新しいカメラ、オリンパスOM-DのE-M10を買ってもう半年がたつんだけどこれが14-42ミリという標準ズーム付きで、そもそもレンズ交換できる一眼レフのカメラというのをキヤノンAE-1以来じつに36年ぶりに買い求めたものですからね。自分はどんなレンズを持ってればいろいろ楽しめるのかわからない。だからとりあえず平べったくて小さなパンケーキって愛称の標準ズームレンズをしばらく使ってくうちに考えようと思ったわけです。

というのもですね。その36年まえのことですけど、50ミリの標準レンズのついたAE-1(もちろん銀塩)を買ってそのあとすぐに望遠系のズームレンズを買ったんだよ。ほら、望遠レンズって長くてゴツいじゃん。メカ好き男子としてはなんか持って歩いてるとカッコイイような気がしてね。それに遠くのものを引き寄せて撮れるっていうのが単純にうれしいような気もしたもんだからついつい、あまり深く考えずに1年ローンまで組んで買ったんだよ。

じつは友だちが同じキヤノンのA-1を持っててさ。そいつが広角系のズームレンズを持ってたから自分は望遠ズームを買ったというのもあったんだけどね。ふたりとも若くて貧乏だからそうそうレンズ買えるわけじゃないし、ふたりで貸し借りすればいいじゃんって。そしたらさ、なぜだかおれは自分の望遠ズーム使うより友だちの広角ズーム借りて撮ってることのほうが増えちゃってね。オマエ、おれのレンズ持って行きっぱなしにすんなよなー、なんて友だちに文句言われるようになったしりてさ。

で、そのとき、あー交換レンズってのはもうちょっと自分の使い道考えてから買わなきゃいかんのだなあなんて、とっても当たり前のことをローンまで組んで知ったんでした。

それでオリンパスOM-D E-M10を半年使ううちに、それまで使ってたキヤノンPowerShot Pro-S1にはマクロモードとスーパーマクロモードという機能が付いていて、それでもってずいぶん植物の写真とかカートリッジのクローズアップとかけっこういろいろ撮って面白がってたのが、このパンケーキレンズにはマクロ機能ってのがなくてそういう写真撮ろうと思うとウマくいかないということに気がついたんだよ。あーこれが先決問題だよなあって。

そうなればマクロモード付きのレンズを買えばいいわけなんだけど、まあトシ取って慎重になったというのか、いやいやとりあえずマクロ機能がおれには必要だってことがわかっただけなんだから、ここはいっちょうマクロコンバーターを買ってみるってのはどんなもんかしら。本格的に交換レンズを選ぶについてはもう少しコイツとお付き合いしてからでもいいんじゃあるまいか。

なんてったってコンバーター買うほうがレンズ買うよりずっと安いしね。手軽なマクロ撮影は必要なんだからまずこれを買う。あとはまたしばらく考えてみるということにしてね。ちなみにマクロコンバーターはAmazonで買ったら6454円だった。これなら考えるより先に買えるというもんである。

で買うといろいろ試してみたくなるから手近にあるものをいろいろ試し撮りしたのが上の写真です。まあそんなもの見たくもないでしょうが、いちばん上は腕時計だけど見りゃわかるね。その次とその次はベランダに放置した植木鉢に勝手に飛んできて咲いてる花で、どっちも花の大きさは1センチ未満です。なんていう植物なんでしょうかね。このくらい拡大すると植物図鑑と照らし合わせて調べられるかもしれない。

その下は木製のカラクリ玩具のキットを組み立てたやつの一部分。その次は20年以上むかし作った1/48スケールの米国モノグラム社製P51Dマスタングのプラモデルの胴体。貼ってある国籍とコールサインのデカールはマイクロスケール製(そんなこたどーでもいいけど)。でその次はそんなヒコーキの模型好きな父ちゃんに娘が誕生日にくれた鬼太郎と目玉のおとっつぁんです。

最後の最後はDECCAのMk-Vの針先。スタイラスチップがまるで水晶のちいさな結晶のようだ。こうして拡大すると素人目にはキレイに見えるけど、プロがチェックしたらどうなんでしょうかしらね。ちなみにこいつはすごくいい音がするんだが、針先と盤面の間があまりに狭く、LPレコード外周のグルーヴガードを思いっきり擦ってしまうもんだから涙を飲んで外してあるんです。

つうようなわけで下の写真がマクロコンバーターの本体。こいつをレンズ前面にねじ込んで使うわけですが、たしかに付けたり外したりは多少メンド臭くもあるんだけど、まあシロートが上のような写真撮ってるぶんにはなんの文句もない。これからまた使ってくうちに、やっぱりマクロ機能内蔵のレンズのほうがいいなあとなったらそのときはそのときだね。

それしにても最新の手ブレ補正機能というのはすごいモンだよなあ。いちばん上の腕時計の歯車なんか見てると、これを自分で(しかも手持ちで)撮ったなんて信じられないもん。
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by god-zi-lla | 2015-04-16 12:04 | 日日是好日? | Comments(0)

針先クリーナー

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なんちゅう寒さだ。場所によったら都内でも雪降ったとこがあるっていうじゃんか。一体全体どーなってんだここ数日の関東の天気は。

針先クリーナーがなくなっちゃってね。左のやつがそれですけど、あのナガオカ製の、ひょっとして大昔からレコードかけて聴いてる人には見覚えのある容器なんじゃありますまいか。だいたいどこのレコード屋さんにも置いてあったからね、ナガオカのレコード針と各種クリーナーって。

そういうごくありふれたブツだったのもあって、これがいったいいつ買ったものかまるで思い出せないんだ。まあ新しくったって最低30年、ひょっとしたら40年くらいたってるかもしれない。その、たぶん中身は水で希釈したエタノールでキャップにブラシが付いてるというごくトラディショナルな(つか、むかしはこのテのやつしかなかった)針先クリーナーがついにすっからかんに底をついてしまったんでありました。

だけどね。30年か40年使い続けてとうとう使い切ったというよりは、ずうーっと記憶を辿ってまいりますと使って減ったぶんよりもこのガラス製のかわいい容器をウッカリ倒して中身をこぼしてしまったほうが、実際に使った量よりも多いような気がするんだよ。だって、なくなったのに気づいたのもウッカリ倒しちゃって、そしたらぜんぜんこぼれなくってさ。あー、とうとうなくなっちゃったんだって。最後の最後もそれだもん。あはははは。

それにしたって、めったなことでは使わなかったしさ。思い出したように半年にいっぺんとかね。それもブラシの先から落ちるしずくを容器のヘリでしごいて落としきってから使ってましたから。実際問題、あれで針先キレイになってたのかどうかわかんないくらいなもんだな。まあそのおかげなのか明らかにアルコール系だった(においがしますからねエタノールは)けど針先がどうにかなるようなトラブルはいちどもない。

つうわけで新しいのを買ってみたんであった。調べてみるとナガオカには同じ商品名「ハイクリーン」というのがカタチは変わってるけど同じような小瓶にブラシ付きのフタという体裁のままいまもあるんだね。だけどまあせっかくですし、ちょいとオーディオマニアでも気取ってお高いのを買ってみましょうというので電気店のネットショップで求めたのは右のアシスタンスデザインという会社のヤツなのであった。

フタにブラシじゃなくってクリーニング液を含ませて針先に押しつける式の発泡ウレタン状のブラシと、写真にはないけどホコリ取りの刷毛状のミニブラシが容器とはべつに付いている。それで5800円だっけな。高い。ナガオカやオーディオテクニカのやつだったら多分500円かそこらで買えるのを考えたら、すごく高い。いかにもオーディオ製品て感じのお値段だな(しかも容器はナガオカのほうがずっと高級感あるし)。

これを選んだ理由はあんまりないの。なんかテクニカとかナガオカじゃ誰でも知ってるしありふれててヤダという理由で(つまりそれがマニアックということだ)針先クリーナーを探してみると、どうも5800円とか六千円とかっていうのがわりかし多いのに気づいたのだった。そうかそうか、ようするにみんな同じようなこと考えてるってことだな(たぶん女性の化粧品なんかもそうなんだろうな)。

でもね。使い切った(というより、こぼし切った)ナガオカのクリーナー買ったのが最低30年ひょっとしたら40年前だ。こんだのヤツだってたぶん似たようなもんだろう。とすればこれから最低30年とか40年か。どう考えたっておれの寿命が先に尽きちゃうよ。尽きなくったって90のじじいがこんなブラシでちまちまレコード針の先っちょキレイにできるなんて思えない。

こんな小瓶がすでに一生モンなのだよ。

30年使ったって5800円を30で割りゃあ1年193円33銭だもん。だからまあいいんじゃないの。ひょっとしてひょっとしたら、おれの死後容器に残った数滴はこのブログ読んでるどなたかに使っていただくというようなことにならんともかぎらない。そのさいはどうか形見分けと思ってお納めくださいまし。なんちて。

かようないきさつで新しい針先クリーナーを買ったから、当然のことながら一度しか使ってません。とりあえず現在アームに取り付いているベンツマイクロのグライダーSLに使ってみたところ、音が変わったとかそういうことが全然なくてひと安心。音質が改善するなんてそんなことはハナっから期待してないし、期待してないことが起こったらかえって困る。針先がいつもまあまあキレイになっていれば、それでいいんです。針先クリーナーにそれ以上のことはして欲しくない。

ちなみにふだんはカートリッジに付属のよくある平たいブラシでレコードかける前に必ず、B面にひっくり返したときも必ず、レコードかけかえれば同じようにA面B面ごとに必ずじゃっじゃっじゃっとね。そして聴き終わって1日のおわりにもう1回じゃっじゃっじゃっとブラッシングする。あとは気になったときに(なんか毛ホコリみたいのがからまってるように見えるときとか)オンゾウラボのトリモチ式のクリーナーをぺちゃっとやってね。なので液体クリーナーの出番はせいぜい年に2、3回も使うくらいだろうなあ。

というわけで当ブログで針先クリーナーのことを話題にするのもこれっきりかと思う、季節外れの寒さに震える東京のわたくしなのであった。
by god-zi-lla | 2015-04-08 06:45 | 常用レコード絵日記 | Comments(0)

今年の桜

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3月21日、国立劇場「團十郎の桜」
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30日、虎ノ門金刀比羅宮の桜
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同じ日、日比谷公会堂前の枝垂れ桜
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その10分後、日比谷シャンテ前の桜
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31日、うちの近所の児童公園の桜
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4月2日、古川橋の土手っぷちの桜
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同じ日、数寄屋橋の桜
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その2時間後、千鳥ヶ淵公園の桜
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これも千鳥ヶ淵公園の桜です。ほんとは今日、目黒川の桜見物に行ってみようと思ってたんだけど、もう近所の桜もすっかり葉桜になっちゃってるし、おまけにこの雨だ。今年の東京の桜はこれで打ち止めでしょうから通りすがりに撮った写真まとめとく。桜がキレイな写真つうよりも、どっちかといえば周囲の様子がわかるようなのを選んでみたんだけどね。境内に高層ビル建てちゃったというよりビルの公開空地に神社があるっつうテイの虎ノ門金刀比羅宮なんて東京以外のひとにとったら、ちょいと珍景でしょ(写真じゃわかりにくいけど、実際に見るとマジで珍景す)。このお宮さんのとなりのビルにおれのかかりつけの歯医者さんがあって、治療中窓から外を見ると社殿の軒先がすぐそこに見えたりする。日比谷公会堂前の枝垂れ桜は街路樹、古川の桜はどっかのお宅の庭木だな。その横の夏ミカンはお隣の庭木。数寄屋橋公園の桜の木の下には有名な宝くじ売り場「有楽町チャンスセンター」あり。シャンテ前の桜は並木でもなんでもない見事な枝ぶりの一本桜。

前にも書いたけど、今年も一緒に千鳥ヶ淵でお花見した元上司のタナカさん(東京市本所区生まれ)が言うには終戦直後の東京は見渡すかぎりの焼け野原で桜の木なんてめったになかったというんだ。いま咲き誇ってる東京(と首都圏近郊)の桜の大半は戦後の復興が一段落して経済の高度成長が始まったころに植えられて、それがいまあっちこっちで一斉に見頃を迎えてる。暮らしに余裕ができて、日本列島いたるところでみんなが桜を植え始め、いまや日本じゅうがひとつの桜並木になってるといったっていいくらいの桜、桜、桜、桜、桜、桜だ。

この70年日本が戦争をしなかったからこその桜ですよねと、タナカさんとふたり頷きあった千鳥ヶ淵なのであった。来年も再来年もその先もずっと、そうやって変わらず頷きあいたいもんである。ガラにもなくご教訓的なこと書いてるが、すごくそう思う今年の桜なんであった。
by god-zi-lla | 2015-04-05 08:28 | 日日是好日? | Comments(6)

ゴジ、ゴジを聴く

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ことしの桜は少し遅いかと思う間もなく葉桜だ。

その桜の咲き始める直前の横浜は田園都市線沿線、あざみ野のSさんのお宅にレコードを持ち寄ってタンノイのコーネッタに繋がれたトンでもないヴィンテージプリアンプに聴き惚れていたとき、同じ横浜は六角橋の大コレクターで頭文字だけ同じSさんが「こーゆーの知ってる?」と取り出されたのがコイツなんであった。うひゃあ、なんですかコレ。ゴジラじゃないっすかあ。

うむむむむ。オビを見れば1954年封切りのあの初代ゴジラのオリジナルサウンドトラックとあるではないか。んー、これ、いつ出たんですかと六角橋の師匠に問えば去年だと仰るじゃないの。いやー知らなかった。ゴジラのおれがゴジラのレコード出てたのをひとさまに教えていただいて気づくなんて一生の不覚なり。

いやAmazonにはまだ在庫あるから大丈夫でしょとSさんに言われてその日ウチに帰れば玄関で靴ヒモ解くのももどかしく、パソコン立ち上げてAmazonで迷わずワンクリックしたのは言うまでもありません。

でね。これが復刻盤じゃないんだっていうじゃないか。この記念すべき初代ゴジラが封切られた当時サウンドトラックアルバムは発売されてなかったんだってね。その後サントラが出たには出たがオリジナルにはなかった各種エフェクトが加えられたうえ、その後封切られたゴジラシリーズのサントラとコンパイルされてリリースされたに止まるんだと六角橋の師匠は仰るんだな。なるほどなあ。そうするってえと封切りから60年以上たって出たこれがまさにオリジナルだというわけか。

しかしアレでしょうね。昨年世界のケン・ワタナベ主演の新しいUS版ゴジラが封切られた際、おそらくその話題作りのために先行公開された初代ゴジラのデジタルリマスター版(おれはこっちだけ見てUS版は見なかったけどね)に、さらにまた合わせるようにしてこのアルバムも作られたんではあるのでしょうけど、ここ数年の伊福部昭の再評価の風潮にも乗ったところも多少はあるんだろうな。

つうわけでジャケットもオビも今回初めて作られたわけだが、ジャケットのゴジラは右手あるいは右前肢に美女(かどうかわかんないけどね)をワシづかみにしてその凶暴なるキバの間から殺人光線を吹き出しているのではありますが、こんなシーンは本編にはありません。どうもこれは封切り当時本編完成に先んじて作られた予告ポスターの絵柄なんだってね。まあ、どう見たって戦前のアメリカ映画「キングコング」のパクリですけど、こういうシーンを作らなかったから後世に残る作品になったなんてったら言い過ぎだろか。

それにしてもこのオビの上部にあるキングレコードのロゴマークがなつかしいなあ。電光に囲まれた四角のなかにKINGの文字と吠えるライオンのシルエット。高校大学のころ買ってたキングレコードにはみんなこのマークが付いてたもんです。いや、そう思って見てみればオビのいちばん下にある「キングレコード」のいかにも「書き文字」なロゴもすごいなつかしいじゃんか。そいうえばきょうびのキングレコードのロゴってどんなでしたっけね。

ぬあんて毎日毎日なつかしがってジャケット眺めてて、ふと気づいたらまだ中身をちゃんと聴いてないんであった。そういえばあの日、A面は全部聴かしていただいたんですけどね。じつはB面はまるっきり聴いてないんです。あはははは。困ったもんだねどうも。
ゴジ、ゴジを聴く_d0027243_13284446.jpg
KIJS-90015/MONO 本体3600円(高いよなあ)
by god-zi-lla | 2015-04-04 08:47 | 常用レコード絵日記 | Comments(0)