きょうのあたくし
カキフライカウンター
0000005 ★☆★☆★☆★☆ 昼メシにカレーが食いたくなったので冷蔵庫の材料だけでひよこ豆のカレー作り、冷凍残りご飯を解凍したのにかけて食った。 肉系の材料はなにもなかったから必然的にヴェジカレー。これで十分。 (4/21) ★☆★☆★☆★☆ 「玉川 山廃仕込無濾過生原酒28BY22度以上23度未満 雑酒②」はさすが濃厚で、ぐいぐい飲むなんてことはとても出来ない。 中くらいのぐい呑みに2杯くらいやるのがちょうどいいかな。 だけどちゃんとした酒でうまいなあ。 (4/21) ★☆★☆★☆★☆ タケノコ茹で始めた。 今年5本目と6本目。 そろそろ終わりか。 (4/20) ★☆★☆★☆★☆ そうそう、「カズオ・イシグロ」もコメント拒否されます。 笑っちゃうよね。 (4/20) ★☆★☆★☆★☆ シアター・コクーンで「ヘッダ・ガブラー」。 イプセンの芝居は初めて。 可哀想な女ヘッダ・ガブラー。 (4/19) ★☆★☆★☆★☆ さあて、天気も良くなってきた。 バスに乗って出かけよう。 (4/19) ★☆★☆★☆★☆ いま判ったんだけど、コメント欄に「グロ」の2文字を含む言葉(グロテスクとかグロリアとかグローバルとか)を入力すると、 「エキサイトブログで禁止されているキーワードが含まれているため、コメントが受け付けられませんでした」 と表示されてコメント出来ない。 エキサイトブログにログインしていれば大丈夫なんだけど、外からコメントすると蹴られる。 みなさま、試しにやってみて下さいませ。 くだらない自己検閲なんかしやがってと思ったんだが、どうも何らかのバグじゃないかという気がする。 エキサイトには現在問い合わせ中。 (4/18) ★☆★☆★☆★☆ ねた帖 東山三条の栄華卿 粟田口の栄華卿 パンダ咬む きょうのキンカクヂ にっこにっこ動画 最新のコメント
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1 ![]() きのうサントリーホールの都響定期演奏会で実演を初めて聴いたピーター・ゼルキンのピアノ(ブラームスの第2コンチェルト)が思いのほか良い印象だったもんですから、単独のコンサートもあるだろうと入り口でもらったチラシの束をさがしたところ来週トッパンホールでベートーヴェン、レーガー、モーツァルト、バッハほか。 しかしトッパンホールなあ。あそこって不便なとこなんだよ。飯田橋にしても江戸川橋にしても不便なり。だけどこういうときは熱の冷めないうちだからと思い直して切符を買い求めたんでした。また楽しみが増えたなりよ。 左から。 辻惟雄×村上隆 熱闘! 日本美術史(新潮社) GHQと戦った女 沢田美喜 青木冨貴子(新潮社) されどスウィング 相倉久人自選集(青土社) ぼくらの民主主義なんだぜ 高橋源一郎(朝日選書) ロジカルな田んぼ 松下明弘(日経プレミアシリーズ) 凸凹を楽しむ東京スリバチ地形散歩 皆川典久(洋泉社) 辻先生と村上画伯の本は外出時に持ってけないのが困った(だってカラーの見開きでいきなり巨大なアレが飛び出したりするんだもん)。村上隆のおちゃらけているようで(しかし作品を見ると)異様な真剣さ、なのに辻惟雄先生は意外なくらい軽いノリだったりして。ゲージツ家と学者というのはえてしてこんなモンなんでしょうかね。 思えば青木冨貴子の本は〈ライカでグッドバイ〉以来じゃなかったかしらん。エリザベス・サンダース・ホームも沢田美喜も名前くらいは知ってたけど、岩崎弥太郎の孫なんてことは東京堂で手に取ってみるまで知らなかった。そして戦後史の闇の部分に三菱財閥の相続人のひとりだからこそ関わらざるを得ず、またその関わりを利用しなければホームの開設も運営もままならなかったに違いないんだが、まさにそのあたりがこの本のキモの部分なんだな。 だけどエリザベス・サンダース・ホームがどんなふうに作られ運営されて今にいたっているか(現在も活動中だってことも読むまで知らなかった)、というようなあたりについてはあまり詳しく書かれてない。著者の関心の中心はあくまで未だ書かれざる戦後史の空白部分における沢田美喜なんだね(読後、読書会のお題に選ばれたのでここまで)。 相倉久人はたしかこの本の発売を待たずに他界したんだと思う。2015年7月8日没。奥付にある発行日が7月10日。あとがきは著者自身によるものだし著者略歴には生年(1931)のみが記されていて没年はない。 おれがジャズを聴き始めたのは70年代の半ばくらいだから、相倉久人のジャズにかんする文章をリアルタイムで読んでたわけじゃないんだよ。だからどこか60年代より前のリアルタイムで聴いたわけじゃないジャズのアルバムを聴くような気分が、いまになって相倉久人の本を読むときには少しあったりするかな。あー60年代の日本のジャズの「状況」ってそんな感じだったんですか的な。 高橋源一郎は朝日新聞の論壇時評をまとめたものなんだけど、多分すべて新聞に掲載されたときに読んでたはずだからあらためて読むまでもないかと思ってたら大間違いでした。新聞で読んだときには刺さってこなかったコトバが刺さる。これはどうしたことか。新聞を読むときと本を読むときの、こちが側のココロの持ちようみたいのがもしかして違ったりするのか。いやそれよりも新聞掲載時より〈今〉のほうが、これらの文章を読むことの必然性が増しているってことかもしれないか。んー。 やれることは全部やってみる。試行錯誤を繰り返す。検証可能なことはすべて検証するという実証的な稲作をやっている著者は、そうでない昔ながらのやり方を蹈襲してるだけのコメづくりを〈慣行型〉と呼んでるんだが、読んでるとコメづくりの過程のなかでなぜそれをするのか、いくつかのやり方がある中からどうしてそのやり方を選んでいるのか、というような判断を最初から中止したまま去年までと同じやり方をする〈慣行型〉の稲作のほうがよっぽど異様で、著者のやってることのほうがむしろ当たり前なことのように思えるんだよ。 だけどそうやって独自に実証的な仕事をしようとすると邪魔するヤツが出てくるんだそうで、なんだかそこんとこも含めてコメづくりに限らず日本のいろんなとこに同じバイキンがはびこってる気が、読んでてしてくるんだな。 しかしそんなお説教や教訓めいたことは本のどこにも書いてなくて、おれが勝手に読み取ってしまっただけのことである。著者はひたすら実証的なコメづくりについてシロートの読者にそんな情報が必要かそうでないかなんてことは一切かまわず、苗づくりから収穫、販売まで自分で蓄積したデータを駆使して具体的に書き進めるのみ。そこんとこに驚くんだよ。 東京の地形を楽しむ的な本はけっこう出てて、おれはそういうのが大好きなもんだから見かけるとすぐ買っちゃうんだけど、だいたいどれも図版が小さすぎて実際の町歩きに持って出ても役に立ちそうもないのが大半でね。これも同じ。そのうえ添えられた(著者が撮影したらしい)現地の写真が小さいうえにヘタっぴで困ってしまいます。 そしてなにより〈スリバチ〉つう地形の形容に説得力がなさすぎ、つか、スリバチ状の地形なんでほとんど出てないじゃん。谷戸や谷津はスリバチ形状じゃないぞ。それはたんに〈谷〉だ。スリバチと聞けば四方から坂を下ってくるような地形を思い描くわけだ。しかもそこそこ急峻な坂の感じ(そりゃあ擂り鉢だもん)。 取り上げられた都内各所の坂や谷はそれぞれにじゅうぶん面白そうなんだけどね。だからよけい残念なり。 ▲
by god-zi-lla
| 2015-09-30 18:40
| 本はココロのゴハンかも
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![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() つうようなわけで花の名前というのを呆れるくらい知らないから、咲いてるのを見てその場ですぐにわかったのがアザミくらいなもんなのだった。だけどまあ、歌舞伎だって50を過ぎるまでなにも知らなかったし、考えてみるとトシを取ってきたときに知らないことが多いってのは、いろいろ忙しくってなかなか悪くないことかもしれない。なんちて。 シルバーウィークも終わりまぎわ、若い女の子とあまり若くない女の人がやたらに目立つ普段と全然雰囲気の違う東京駅のプラットフォームから東北新幹線で仙台駅に着くと〈嵐〉が吹き荒れているという仙台市内を避けてそのまま仙石線で松島へ出た。船着き場まで歩いてから遊覧船で一周、途中ブイの上に佇むウミネコなど鑑賞したあと再び仙石線で仙台駅へ取って返し今度は仙山線に乗り換えてその夜は作並温泉で湯につかって休む。 しかし嵐の吹き荒れてるのは仙台市街地だけかと思いきや、東京駅のホームから日本三景松島から作並温泉まで明らかに普段よりも多い若い女の子とあまり若くない女の人と、彼女たちの持つバッグにARASHIの文字を見ないということがないのであった。いやーすごいですねこれはまったくもって。この調子で日本全国津々浦々くまなくツアーで巡ってくれたなら、日本経済はアベノミクスなんて愚にもつかないモンは押し入れに片付けといたって復活するんではないかと奥さんが言うんだが、まったく同感である。 松島のいかにも観光地の食堂っつうとこでお昼ゴハン食べたんですが(まるで期待しないで頼んだカキフライ定食が意表を突くウマさでね)、横にいたお母さんとお父さんに高校生くらいの男の子と女の子の4人家族のそのお母さんと女の子のバッグを見るとこれがARASHIなんだ。きっとお母さんとお嬢ちゃんが仙台へARASHI追っかけて行くついでにお父さんとお兄ちゃんをぶる下げて「家族旅行」にしちゃったんでしょうが、こーゆーケースも多分いっぱいあったんだろうな。 家族旅行じゃなければ、お父さんとお兄ちゃんはおウチでレトルトカレー食ってお留守番なり。 翌日はふたたび仙石線で山寺。駅のホームからはるかに見上げる断崖絶壁にへばりつく立石寺の奥の院に一瞬ビビるも、とにかく登って降りてきたらソバでも食って昼メシにしようと、そんなことで気合いが入るのかというような気合いの入れ方で登り始めたのであった。そしてわれら準老人世帯ふたりは明らかに自分らより年かさの老人夫婦に追い越されながらヘロヘロと奥の院に到達、踏みしめた石段の数が1000余。その証拠の品が奥の院の木鼻に彫られた獏の写真でございます。 奥の院にちゃんとお参りしてから下山後ふたたび仙山線に乗って山形へ(もちろんソバは食ったさ。山形っちゃあ板ソバですがね)。山形からはレンタカー借りて(奥さん運転)ふらふらと〈かみのやま温泉〉に向かったんでした。途中セルフのだだっ広いガソリンスタンドにだたっ広い駐車場つきのドトールが併設されてるのが珍しくてそこで珍しくもないドトールのコーヒーを飲んでひと休みしたりなんかしながら、夕方かみのやま温泉着。 泊まった温泉宿がまたクールっていいますかね。玄関前でお出迎えとか女将が食事の最中にお愛想を言いに来るとか、お帰りの際は仲居さんやなんかが玄関先でいつまでも手を振ってるとか、そーゆー「おもてなし」つうのが一切ないの。もちろん「いらっしゃいませ」は言うし「ありがとうございます」も言うんだが働いてる人が余計なことを言わないし、しない。だけど、新しいとはいえないんだけど館内の設えにちょっと気が利いてたり客室の設備に特徴があったりして悪くない。 こっから枝線に入りますけどね。おれ、オリンピックやら外貨稼ぎやらが話題になると最近やたらに連呼される〈日本人のおもてなしのココロ〉つうのがどうも苦手でね。あれって、ようするにかつて乱用された〈大和魂〉つうコトバと使われるシチュエーションがまったくおんなじなんだよ。つまり大雑把にいえば〈貧弱な装備を精神力で補え〉って文脈でどちらも使われてるわけです。これ、会社とか団体スポーツなんかでも同じなんだけどさ、指導者なり経営者なり管理職なり政府なりが本来すべきであった準備を怠ってきたとき、選手や部下や社員や国民の目をそこからそらせると同時に自分らの責任を回避するために発するコトバのひとつなんだよ。 まあそれとはちょっとちがうんですけど、まあ温泉旅館でいえばフロもメシもたいしたことないのにうわべばっかり〈おもてなし〉されてもなあ、みたいなね。そういう意味でなかなかクールな旅館なのであった。 翌日は朝から雨のなか米沢に向かう予定なのを、かみのやま温泉のある上山市というところも城下町だったというので城址に建つ鉄筋コンクリートの天守閣に登って(ふつう地方都市のお城ってばその土地でいちばん高いとこにあるのが相場ですから)360度見晴らしたのち、古い武家屋敷が残っているところが近所にあるというのを見物に行ったところ玄関先にウメモドキの植わっている家など、それほど大きくないお屋敷(ようするに中くらいの身分の武士の居宅だな)4軒が並んで残っていて、これがまた小雨が降ったりするものだから余計風情があって結構なのであった。 げんに住んでいるお宅もあるなか1軒は室内を見学できるというので、その茅葺き屋根のお屋敷に入ってみるとボランティアらしい(いかにも近所のおじさんつう感じの)おじさんが留守番のようにしていて、おじさんに入館料100円だか200円だか払って入ってみると、なんだか懐かしいような室内でね。多分ここもわりと最近まで使われてたんだろうなあ(少なくとも昭和40年代くらいまでは)という感じなのだった。 そこからまた歩いて10分くらいのところへ沢庵禅師がこの地に流されていたとき住んでいたという春雨庵の址を見物に行ったところ、茶室などあるものですから庭にも少し花など咲いていてそれを撮ってみたのが上の写真なんでした。 だからね。名前はアザミ以外みんな帰ってきてから調べてみたんです。〈赤い実のなる木〉なんて検索してみてね。そうすると結構な数のヒットがあるんだよ。それでネット上にある画像と自分の撮った写真を見比べてってコレがきっとアレだったんだよなあ、なんてね。だからたしかにそうだと断定する自身はぜんぜんないの。なので写真のうちわからなかった花ひとつと、それ以外の間違いを指摘して下さればありがたいです。 つうわけで春雨庵から雨がすこし落ちるなかを上山城址の駐車場に引っ返して、米沢を目指したのであった。 (たぶん続きはない) ▲
by god-zi-lla
| 2015-09-26 23:41
| 物見遊山十把一絡げ
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![]() ところがね。A面からB面にかけかえるときふとデッドワックスを見るともなく見たんだよ。そしたら見慣れたVAN GELDERの刻印の近くにもう一つ母盤番号やなんかとは別の何か手書きのような文字が刻まれてるのが目に入ったんです。あれえ、こんなとこになんか書いてあったっけね。見るとBell Soundのように読めないこともないんだけど、刻印が浅めなうえにこちとら自慢じゃないがもう10年も前から老眼だ。いくら気合い入れたって見えないもんは見えない。 こういうときはデジカメで撮っちゃうのが唯一の解決策というものである。きょうびのデジカメときたら老眼のじじいの目ン玉なんかの数千倍いや数万倍は高性能ですから。さっそくOM-D E-M10を取り出して写真撮ってMacの画面で見てみたのが上の写真だ(ただし元画像はずっとデカい)。筆記体風の書体を使って〈Bestway〉と読める文字を機械で刻印してある。だけど何、ベストウェイって? いままで意識したことがなかったから断言できませんが、少なくともウチにあるLPレコードでVAN GELDER(RVGもひっくるめて)の刻印といっしょに各種番号以外の文字が刻印されてんのってなかったと思うんだよ。べつにまあ大事件とか大発見っていうようなことじゃ全然ないんだけど、たとえばBell Soundと一緒にVAN GELDERの文字の入ったヤツはうちにはない。ちなみに〈Bell Sound〉はニューヨークにある大手のレコード製造会社で、ここでカッティング/プレスされたレコードにその文字が刻印されてるわけだ(Bell SoundとVAN GELDERが並んで彫られたのを見たことないのをみると、自社でカットせずプレスだけ請け負ったときには社名を刻印しないか、別のマーキングをしたのかもしれない)。 まあふつうに考えりゃBestwayはこのブッカー・アーヴィンのレコードをプレスした会社だろうと見当はつくわけで、じっさい調べてみるとかつてニュージャージー州マウンテンサイドにあったプレス会社だってことがわかる。デッドワックスに彫られる刻印は主に〈B〉らしくて、〈BW〉というのがマトリクス番号のなかに刻印されることもあるらしい、って言われるとなんか見たことはある気がしますね。だけどBestwayは初めて気がついた。しかもVAN GELDERと並んでだ。 うちにはVAN GELDER(あるいはRVG)と彫られたブルーノート盤なんて多分20枚かそこらしかありませんが、その少ないレコードをざざざざざっと見たかぎりではBestwayと刻印されてるレコードはやっぱりなかった。この程度の例じゃなんとも言えませんけど、やっぱり珍しいのかな(そう思いたがってるだけなのよ)。 すいません、どーだっていいことをつべこべと。 ![]() アーヴィンといえばやっぱりプレスティッジのBOOKシリーズのようなワンホーンにトドメを刺すというのがコアなアーヴィンファンなのかもしれないけど、おれはこのリチャード・ウィリアムズをトランペットに据えたブルーノート盤とかパシフィックの〈Structually Sound〉でチャールズ・トリヴァーのトランペットと組んだのとか、数は少ないのかもしれないけど二管以上のアルバムのブッカー・アーヴィンも捨てがたいと思う。 ウィキペディアにも「強くタフなサウンド…」なんて書いてあるしテキサス出身でもあるし、ストロングスタイル(プロレスかよ)のテナーソロが魅力なのはわからないでもないんだが、おれは聴いててときにアーヴィンのワンホーンソロに飽きることがある。そこいくとトランペットと組んだアーヴィンというのは特有のマッチョさはうしろに引っ込むけども、フロント二人のつくるサウンドがなんともいえずキモチよくてなおかつかっこいいと思うんだよ。 アーヴィンはミンガスのバンドにけっこう長く在籍したはずだけど、ミンガスの作り出すサウンドというのはやはりフロントの二管あるいは三管の絶妙で美しいアレンジとそれぞれのソロの対比のすごさがひとつの聴き所だろうと思う。そういうかつての親方の音楽がアーヴィンの身体のなかにもしっかり染み込んでるんじゃあるまいか。 〈THE IN BETWEEN〉のサウンドは1930年生まれのアーヴィンよりだいぶ世代の下ったウディ・ショウ(1944-89)のサウンドを思い出させるようなところもあって、アーヴィンはそういう新しい表現に進もうという途中だったのかもしれない。いやもうちょっと生きててウディ・ショウと二管のアルバムなんて出してくれたら最高だったのにね。やっぱり誰かが言ってたとおり、ブッカー・アーヴィンて人は音楽的なピークを迎える前に亡くなってしまったんだろうな。 ▲
by god-zi-lla
| 2015-09-19 16:03
| 常用レコード絵日記
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![]() そしてそのアダプターを介して今年になって買ったばかりのオリンパスOM-D E-M10のボディに古い古いキヤノンNewFD70-150mm/f4.5ズームレンズを取り付けてみたのが上の写真なのである。んー、まさかこのレンズをもう一度使ってみようという日が来るなんて想像だにしなかったぜ。なにせ35年くらい前に新宿のカメラ屋さんで、しかも12か月の〈月賦〉で買ったのですから(そんなことまで覚えてるくらい自分的には清水の舞台的大散財だった)。 だけどなんか、絵的にはミョーにしっくりきてるなあ。そういやこのレンズ付けてたキヤノンAE-1(FD50mm/f1.4付き。大学卒業まぎわ、バイト代に親類がくれた就職祝い金を足して買った。もちろんこれもしまってあります)も同じシルバーボディだったから、そのせいかしら。 ちょっとだけ試しに撮ってみると想像以上にモワモワした写真になる。なるほど山本さんの言うとおりボケボケだけどそのうえ長年ほっぽってあったからレンズに細かいキズが入ったり汚れてたりして、そのせいもきっとあるんだろうな。 このレンズはもともとキャノンNewFDシリーズの望遠ズームのなかでもいちばんの安物で、つか安価・軽量・小型をウリにするおれらエントリーユーザー向けのレンズだったと思うんだが、げんに買ってAE-1に付けてみると少し頼りなくてチャッチイ感じだったんだけどさ。いやー小さいOM-D E-M10に付けるとヘンに立派な感じに見えたするなあ。 そういえば、そのキヤノンAE-1を買うときオリンパスのOM-2とどちらにしようかずいぶん迷ったのを思い出した。当時カメラ店で触ってみるとオリンパスはおれの手にはちょっと小さすぎるような気もしてキヤノンを選んだんだが、それから35年以上たった今になって初めてOMシリーズの子孫を手にして、しかもそのボディにキヤノンのレンズを取り付けることになるなんて、ちょっと驚くよね。 とにかく、お天気になったらこのカメラとレンズをぶら下げて外に出て、明るい日射しのもとで写真を撮ってみたいものであります。 ▲
by god-zi-lla
| 2015-09-17 22:18
| 日日是好日?
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![]() ![]() つうようなわけで久しぶりの内袋鑑賞会なんでございますが(そんな集まりはもちろんありませんけど)、今回の内袋はWORLD PACIFICレーベルのアルバムに入ってたヤツです。ところでいちばん上の写真の右下端を見ると応募券のようなものが印刷されてる。むかしレコードで音楽聴くのがごくありふれた生活だった時代にごくありふれたLPレコード買ってくると、オビの下のほうとか裏側とかに応募券が印刷してあることがよくあったじゃんか。そいつを何枚か集めると非売品の特別なレコードくれたり同じシリーズのレコードくれたり、あるいはなんかのグッズをくれたりっていうクーポンプレゼント企画というのがあってさ。このパシフィックもおんなじ。こういう販促企画に洋の東西はないみたいね。 そしてなにをもらえるかっつうと、添えられた惹句には〈今、4番目のワールドパシフィックのハイファイLPアルバムにあなたの支払うお金はないです〉とあります。んー。なんか自分の英語力というものに暗澹たる気分であるな(いや日本語力もか)。 ようするに期間中、ワールドパシフィックのアルバムどれでも3枚お求めになれば、このページに出ている21枚のアルバムのうちどれか1枚をもれなく差し上げますというわけで、写真小さくてわかりにくいでしょうけどチェット・ベイカー、ジェリー・マリガン、バド・シャンク、ビル・パーキンスなどウェストコースト・ジャズの錚々たるメンメンがうち揃って皆さまをお待ち申し上げているわけなんだな。 だけどおれ、こういうクーポン集めてレコードもらったことって一度もないの。興味ないわけじゃないんだけどね。ようするにこういう応募券集める根気がない、買い続けるおカネがない、ヨソの企画に気が移ってしまう。そうかと思うと、あ、いつのまにか応募券の数そろってるじゃんと気付いたときには締め切りがとうの昔に過ぎてたりしてさ。まあ理由はいろいろですけど、とにかくウチにはそういうプレゼントでもらったレコードって1枚もない。 自分が続かないもんだから、こういうのってホントにみんな一生懸命集めたりするもんなのかってつい疑っちゃうんだけどさ。だけど実際そういうレコードが何年かたつと中古市場に出回ったりするんだから、やっぱりクーポン集めて送る人はけっこういらっしゃったんでしょうね。じゃなかったら、そもそも同じような企画がいろんなレコード会社から出てくるわけないもんな。 しかしさすがにこの時代アメリカのレコード会社のプレゼントに日本から応募した人ってのはいなかったろうね。輸入盤買い集めてるマニアはいたでしょうが、1ドル送るったって今とちがってカード決済もPayPalもありませんから手数料払って郵便局で為替を組んだりしなきゃいけなかったろうしさ。そのうえこっちからの郵便代やらなんやら(ことによったら通関手続きとか)、市販のレコード1枚もらうためだけに普通そこまでやりません。 だけどこれが非売品のレコードとか珍しいグッズくれたりするんだったら考えちゃったりしたでしょうね往時の蒐集家のみなさまだって。パシフィックだったらチェット・ベイカーのサイン入りTシャツとかさ(そんなのくれるんだったら、今なら欲しい人すげー多いんだろうなあ。おれはいりませんけど)。 それはともかくとしてだな。じつはこの内袋に載ってる50何枚かのアルバムのうち、この内袋の入ってた1枚を買うまでおれはここに載ってるアルバム、ただの1枚も持ってなかったんだよ。いやあ、こんなこと珍しいんだけどね(だからダラダラとクーポンプレゼントのことなんか書いてんです)。 で、これが入ってたのはこのアルバムなのだった。 ![]() そのボブ 〈ナイスガイ〉 ブルックマイヤーがTRADITIONALISM REVISITED(WORLD PACIFIC PJ-1233)つうタイトルでジミー・ジュフリーやジム・ホールと1920-30年代の古いスタイルのジャズをやってるアルバムでね。じつは買って聴いてみるまでこういうスタイルでやってるアルバムだとはツユ知らなかったんでした。おれとしてはもちろんジュフリー探求(ってほどでもないけど)の続きで買ったので、そこはトラディショナルといいながらジュフリーが凝ったアレンジを施して同志ジム・ホールも交えてクールかつモダンかつトラディショナルなジャズをやってるのかと思ったら豈図らんや、ホントにトラディショナルなジャズをおっとりとやってるんでした。いやーこれは意外なり。途中ちょっと何かやりたそうな音をジム・ホールが2、3出したりするけどもそれはそれだけでね。 これはこれでじつに結構なアルバムではあると思うんだけどさ。いかにせん聴いてる自分のほうにトラディショナルなジャズをゆったりと楽しむ教養が少なからず欠けてるもんですから、アルバムを通して聴いてると途中で飽きてきちゃうんだよ。んーむ、まだまだジャズの修行が足りてません。すみません、出直して参りますという感じ。 だけど、どうしてこんなトラディショナルなアルバムを1959年なんてハードバップ大爆発の時期に作ったんだろうか。そのへんになんだか時代の流れをクールに見ているジミー・ジュフリーたちの思うところがあったのかもなあなんてね。ちょっと思わないでもないのであった。 ▲
by god-zi-lla
| 2015-09-15 22:38
| 常用レコード絵日記
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![]() ![]() ![]() ▲
by god-zi-lla
| 2015-09-11 14:01
| 物見遊山十把一絡げ
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by god-zi-lla
| 2015-09-07 20:09
| 物見遊山十把一絡げ
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![]() ![]() ![]() ![]() 路地裏の猫 ![]() ![]() ![]() デモに参加するってのは楽しい行楽じゃないし(それどころか身動き取れず便所にも行けず不快なことのほうがずっと大きい)参加するとなにかが達成されるわけでもないし、それでも行こうというキモチのみなもとがそもそも〈怒り〉なわけで、デモに参加したからといって怒りが解消されるわけじゃないから帰ってきてもその怒りは続いている。あとで自分のブログを見返せば見返すで怒りはぶり返したりするから(それでもブログに書きとめておこうというのは、それがデモに参加するという行為と一体のことだと思ってるからだ)、ようするに気分的にはいいことなんかちいともない(書けば書くほど思い出し笑いじゃなくって、思い出し怒りがこみ上げてくるのでもうやめる)。 なのでデモのエントリを下に押し下げて、楽しい記憶がブログのアタマにくるように「てくてく旅の写真集」第2弾をアップロードしたのでありました(見に来る人もそのほうがきっといいでしょ)。 ▲
by god-zi-lla
| 2015-09-02 16:24
| 物見遊山十把一絡げ
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