きょうのあたくし
カキフライカウンター
0000005 ★☆★☆★☆★☆ 昼メシにカレーが食いたくなったので冷蔵庫の材料だけでひよこ豆のカレー作り、冷凍残りご飯を解凍したのにかけて食った。 肉系の材料はなにもなかったから必然的にヴェジカレー。これで十分。 (4/21) ★☆★☆★☆★☆ 「玉川 山廃仕込無濾過生原酒28BY22度以上23度未満 雑酒②」はさすが濃厚で、ぐいぐい飲むなんてことはとても出来ない。 中くらいのぐい呑みに2杯くらいやるのがちょうどいいかな。 だけどちゃんとした酒でうまいなあ。 (4/21) ★☆★☆★☆★☆ タケノコ茹で始めた。 今年5本目と6本目。 そろそろ終わりか。 (4/20) ★☆★☆★☆★☆ そうそう、「カズオ・イシグロ」もコメント拒否されます。 笑っちゃうよね。 (4/20) ★☆★☆★☆★☆ シアター・コクーンで「ヘッダ・ガブラー」。 イプセンの芝居は初めて。 可哀想な女ヘッダ・ガブラー。 (4/19) ★☆★☆★☆★☆ さあて、天気も良くなってきた。 バスに乗って出かけよう。 (4/19) ★☆★☆★☆★☆ いま判ったんだけど、コメント欄に「グロ」の2文字を含む言葉(グロテスクとかグロリアとかグローバルとか)を入力すると、 「エキサイトブログで禁止されているキーワードが含まれているため、コメントが受け付けられませんでした」 と表示されてコメント出来ない。 エキサイトブログにログインしていれば大丈夫なんだけど、外からコメントすると蹴られる。 みなさま、試しにやってみて下さいませ。 くだらない自己検閲なんかしやがってと思ったんだが、どうも何らかのバグじゃないかという気がする。 エキサイトには現在問い合わせ中。 (4/18) ★☆★☆★☆★☆ ねた帖 東山三条の栄華卿 粟田口の栄華卿 パンダ咬む きょうのキンカクヂ にっこにっこ動画 最新のコメント
フォロー中のブログ
カテゴリ
全体 震災・原発事故 常用レコード絵日記 音楽つか屁理屈すね 食いモンは恥ずかしいぞ 物見遊山十把一絡げ 本はココロのゴハンかも オーディオもねぇ… 酒だ酒だ酒だ酒だ 阪神タイガースもなあ Macとか、あれとか 日日是好日? 悪口雑言罵詈讒謗 自己紹介 未分類 タグ
CLASSICAL
風景
本
オーディオ小細工
芝居
LP RECORDS
Dolphy
旬
JAZZ
旅行
この2か月で読んだ本
映画
家事百般
カートリッジ
歌舞伎
MUSIC
哀悼
東京
ジャケット
コンサート・ライヴ
以前の記事
記事ランキング
|
1 ![]() んじゃなくって買ったらたまたま名前がそういうふうに揃ったんで、この2本は正月に取っとこうってだけなんでした。よく見りゃ右の「福」は水面がすでに下がってるでしょ。栓開けてひとくち飲んでから正月の酒にしようと思ったもんでね。 「悦」のほうはめったに手に入らないマボロシ級の香川県の酒で、暮れも押し詰まってたまたま買えたのが8年ぶり2回目。ウマい酒だなあと思ったような覚えはありますけど、どういうふうにウマかったのかさっぱり覚えてないの。だから正月が来るのが楽しみではありますね。 だけどまあ日本酒ってのはそもそもメデタイ名前が多いからさ。じゃあこの2本を別にしていまウチの台所の床に転がってる飲みさしの1升瓶2本はどうかって見れば、1本は「寿」だしもう1本は「亀」じゃんか。なんとまあ4本揃いも揃っておメデタイやつらでございます。 さて大掃除も終わったし、今日は今年の映画の見納めだ。 ▲
by god-zi-lla
| 2015-12-30 08:12
| 酒だ酒だ酒だ酒だ
|
Comments(2)
![]() このバタバタをやんないと年はウマいことあらたまらない。 ブランドものかなんかの長財布をケツのポケットに刺して見せびらかしながら歩くなんてみっともないマネは絶対やっちゃいけません。サイフはジャケットの内ポケットにしまうか、どうしてもケツに入れたいんだったらポケットから覗かないような二つ折りのサイフになさいと、若いころMEN'S CLUBつう雑誌に載った誰かのエッセイにあるのを読んで以来、サイフといえば二つ折りのヤツを愛用しててね。それもいつの頃からか二つ折りになったうえ三方をファスナーで閉じてしまうタイプばかり使うようになっている。 そりゃあおカネを出し入れするのに必ずファスナーをグリグリグリと三辺走らさなきゃならないんだから、お世辞にも実用的とはいえません。スーパーの混んだレジでサイフ出してファスナーぐるぐるぐるっと回しておカネ出してると、後ろにいる底意地の悪そうなおばちゃんの冷ややかな視線を感じるようなことだってないわけじゃない。それなのになんでこんなサイフを長年使い続けてるのかってば二つ折りのサイフをムリやりファスナーで押さえ込んでコンパクトにしてしまうからなんだな。 まあサイフが札束でぱんぱんになるようなことは(夢に見ることはあっても)金輪際ないわけですけども近ごろはカード類がね、クレジットカードはともかくとしてめったやたらにあるポイントカードのたぐいがさ。あれでサイフがはち切れそうになるのを三方からファスナーで締め付けちゃうわけだ。 そんなことしてるから当然壊れます。 だけどそもそもそんなふうにあまり実用的とはいえないサイフだもんだから、新しいの買おうにもそんなにどこにでも転がってるというわけには参らない。選択の余地というのがあまりないもんだから好き嫌いも言ってられないしさ。値段だっていちおうこのくらいかなーなんて心積もりはあるんだけど場合によっちゃいかにもチャチな安物しか見つからなかったり、そうかと思えばこんなの買ったら中に入れるおカネがなくなっちゃうじゃんというようなすっげー高級の品しかなかったりしてさ。 で、上の写真だ。 右はいま使ってる、かなりくたびれてきたサイフです。そして左は年が明けたら使い始めようと買い求めた新しいサイフなんだけど、じつはどちらもまったく同じものです。見比べればたしかに両方とも三方ファスナーだけど大きさだって違うし皮の感触もずいぶん違う感じがするのでしょうけど、この違いってのはもう「使用前」と「使用後」の違い以外のナニモノでもないのであった。 たぶん10年近くになると思うんだけど、その前に使ってたヤツが壊れたときにうちの奥さんがたまたま見つけて買ってきてくれたんだよ。そしたら、これがかっこいいうえになかなかに頑丈でね。それまでいろいろ使ってきたこのタイプのサイフってのは、せいぜい持って3年か4年、ひどいヤツは1年くらいで壊れちゃったりしてさ。いやあこれは良いモノをプレゼントしてもらいました。 しかしさすがに10年近く持ち歩いてると、外側の型崩れもさりながら内側のカード入れの部分なんかが破れてきちゃってさ。んー、こりゃあ次を考えなきゃいかんなーと半年くらい前からあれこれ物色してたんだが、どうも気に入ったのが見つからない。じゃあいっそのことまた同じモノを使ったらどうだろうかと思ったんだけどさ。なにしろ10年選手だから同じものがそもそも今でも手に入るのかどうかわからないし、どこのメーカーのものだったかも外側にじゃらじゃらブランドのマークがひっついてるような代物じゃないからわからない。 でね。先日ふとファスナーを開けて内側を眺めたんだよ。どこかに何か製造元のわかる手がかりでもないかと思ってさ。そしたら内側の目立たないところにブランド名が空押ししてあったんだ。黒い皮に控えめな空押しがしてあるだけだからそれまで全然気が付かなかった。だけど貰ったときにはちゃんと包装されて箱に入ってたんだから、きっと初めはどこの製品か判って使ってたはずなんだけど、長年持ち歩いて身体の一部のようになっちゃったから忘れてたんだな。 おー、それだったらメーカーのサイトで検索してみりゃ多分わかるんじゃあるまいかしら。まあでもこういうモノは流行り廃りもあるでしょうから10年前と同型のものが今もカタログに残ってる可能性はあんまりないだろうなあと思いつつ、直販サイトを眺めてたらワオ! 同じものがあるじゃありませんか。いやーうれしい、じゃあこれにしよう。 で、いちおういま使ってるのと同じものだとは思うんだけど一度ちゃんと目で見て確認してから買おうと、どこの店に行けば手に取ってみることができるのか検索してみたんだよ。そしたら台北だか北京だか、そういうとこの店にはあるっていうじゃんか。いやーでもそれはさすがにちょっとねえ。丸ビルのなかにある直営ショップにでもあったら銀座に出たついでに見に行ってもいいかなあなんて思ってたのにさ。台北や北京にはちょっとついでの用事も思いつかないし。 で仕方なくメーカー直販サイトで注文して送ってもらったのが左のヤツなのであった。いやーそうでしたそうでした。最初はこうだったんだよ。これを変わり果てた姿と言わずしてどうしようってくらいの代わりようだよなー。そうかとは思ってたけど実際ならべてみるとこの変わりようというのはキョーレツだな。タテヨコが縮んだように見えるのは長年ほんらいの容量を超えるカードやらなんやらを詰め込んでた結果、引っぱられて厚みに取られちゃったからだね。マットな風合いだった皮は擦れてコードヴァンの如くテラテラである。 だけどホント、こいつを定番で残しといてくれてうれしいよ。 ところで届いた段ボール箱の社名の印字がなんだか懐かしいような雰囲気でね。大掃除で捨てなきゃならないんだけど、ちょっと惜しいような気がするから記念写真を残しておくことにした。この書き文字っぽい明朝がなあ(こういう手ワザもどんどんなくなってる)。 ![]() ▲
by god-zi-lla
| 2015-12-28 08:22
| 日日是好日?
|
Comments(0)
![]() だけどたまにはハラに据えかねて吐き出したくなることもある。 原作者井上ひさしの著作権継承者が難色を示して「原作者」の表記をしてないことが、芝居見たらいっぺんに腑に落ちたよ。だけどそんなこと確認するために大枚叩いたうえ渋谷の雑踏かき分けてくほどに、おれは酔狂じゃありません。 大勢の人が親しんだ題名を使って新しいものを作るんだったら、作る側はそれを踏まえたうえでそれを超えて素晴らしいものを作って、新たに作られたものがオリジナルからいかにかけ離れていようとも(それがパロディであれ)オリジナルに親しんできた大勢の人を納得させる(少なくともそのために最大限の努力をする)責任てのがあるとおれは思うんだが、それがまるで見えないからハラが立つ。 あー二つのエントリにまたがってブチまけちまった。 そんなことじゃなくて最近のヘヴィーローテーションは佐野元春のニューアルバムなんでした。これは良いです。佐野元春が近ごろのヨノナカでキモチ悪いと思ってるモロモロをすごくキモチいい音楽に仕立てててさ。その佐野元春の語る世間のキモチ悪さにも佐野元春の作る音楽のキモチ良さにも吸い込まれて、ここひと月くらい毎日繰り返し聴いてる。 そもそもファンじゃないんだけどね。なにしろ佐野元春のアルバム買ったのって30何年ぶりだもん。今年30歳になった娘が生まれる前、その頃住んでた碑文谷のアパートの大家さんの店のすぐ近所のレコード屋で買ったのをなぜだか覚えてるんだよな。 おれにとっちゃ佐野元春って、ちょっと才能あるからってエラソーにしやがっていけすかねえ学年1コ上のヤツ、みたいな。野田秀樹なんかも同じ。 だのに野田秀樹の芝居もいつのころからか好きで見るようになったし、こんだは佐野元春だ。 年齢近いのに自分と違って才能溢れるニンゲンてのを意味もなく嫉妬して反発するっていう、よくある凡庸な若者のパターンだな。いつか自分もナニモノかになりたいと思ってはいるけどナニモノにもなりそうにないってことも薄々感じてたりしてさ。おれ自身のほうがよっぽどいけすかねえヤツなわけだ。 それがここへきて好きになるってことは、ようするにまあ、還暦を前にようやっと自分はナニモノでもないってことに納得したってことだな。情けないねえ。 それにしても世間のキモチ悪さだ。 ある日キモチ悪いものがものすごくかっこいいサウンドに乗っかっている。 --- あ、それからApple MusicよりCDのほうがだんぜん音がいい。 できればLPも出して欲しいもんです。 (ブラッド・ムーン/佐野元春&コヨーテバンド POCE-9390) ▲
by god-zi-lla
| 2015-12-26 07:28
| 常用レコード絵日記
|
Comments(0)
いよいよ押し詰まってまいりましたですかね。 この年の瀬の渋谷の人混みかき分けかき分け22日の火曜日は夕暮れ時、あたしら夫婦は東急Bunkamuraのシアターコクーンへ芝居見物に行ったと思し召せ。いやーそしたらこれがとんだシロモノでさ。見終わってこれほどハラの立った芝居ってのもちょっと記憶にないくらいでね。おれはあと何年何本の芝居見られるかわかんないですけど、これがいままで見たなかで文句なしの(いや文句はいくらでもあるに決まってんだ)ワーストワン。しかも当分の間(ひょっとしたらおれの寿命が尽きるまで)揺るがない気がする。 とにかくさ。オリジナルに思い入れも尊敬の念もない連中がテメー勝手にいじくり回したもんだから愚にもつかないものが出来ちゃったとしか言いようがないね。 これがさ、その翌日の23日国立劇場で見物した新機軸盛りだくさんの東海道四谷怪談がなかなか良かったから良かったようなもんでね。ひょっとしてコクーンのほうが今年の芝居の見納めになってたりした日にゃ、ウチに帰ってから年内キップの買える芝居なんでもいいからもう1本見なきゃハラが立ってハラが立って年が越せねえじゃねーかって、キーボード叩いて検索してたとこでした。 まったくよりにもよって、お岩さんと伊右衛門に救われちまった極月だ。 あ、それからサンデー先生は楠トシエだかんね。 (なんのことだかわかんない人にはすみません) ▲
by god-zi-lla
| 2015-12-25 21:06
|
Comments(0)
![]() というよりかこのホールは紀伊國屋書店新宿本店4階売り場を奥へずるずるっと入ったところにあるから、早めに着いたって書店の中をあちこち立ち読みして回ってりゃあなんのモンダイもないばかりか、いっそのこと早く行ったほうがよっぽど楽しいというようなもんなので最初っからそのつもりでウチを出てきたようなところがないでもなかったんだ。 そういえば昔はよく友だちと紀伊國屋書店入り口のエスカレーターを昇った2階のところで待ち合わせて歌舞伎町方面へ飲みに行ったりしたもんだが、早く着いて店内で立ち読みしてるうちに約束の時間を過ぎちゃって逆に友だちを延々と待たせたことが、ケータイ電話なんて不便なものが出来る前はいくらでもあってあの頃は楽しかったよなあ。 でまあ、その日も2階の作家別になっている棚をケツから順番に眺めていった途中でこの写真の小さい函入りの上製本が平積みになってるのに出っくわしたんであった。んーだめだこりゃ。これ買わずにおれは多分出られないだろうなと、平台から手に取ったときすでに観念してましたね。まあこの造本体裁に出久根達郎の短編集、しかもオビを見ると「小気味よい江戸言葉にのせて鮮やかに描く11の人情ばなし。」なんて書いてあるんですもの。 だけどやっぱりあれです。文庫本とほぼ同じという小さな判型なのに、上製本のクロス貼り、昔ながらにパラフィン紙のカバーが付いてる本体がしっかりした貼りの函に収まってる。クロス装貼り函入りの本なんて今じゃもう数多くはないとはいえ珍しいというわけでもないんだけど、そういう造本装丁がこういう小さな本に施される凝縮感つうか密度感ていうかね。 ふつうの書籍だからふつうにアマゾンでも売ってますけど、もし先にアマゾンで見ても買わなかっただろうと思うんだな。これはやっぱり本屋の平台にあって、うひゃあなんだこのちっちゃい出久根さんの新刊は! っていうふうになんないと買えない一冊でしょ。だからやっぱり、いつも申し上げますが、探してない本は本屋の店先でしか見つけらんないんだよな。 しかしこれって三月書房の〈小型愛蔵本シリーズ〉のなかの一冊で、巻末の一覧を見ると1961年からずいぶんと沢山出てるシリーズなんだな。まるで知りませんでした。しかも見れば安鶴だの円地文子だの佐多稲子だの辻嘉一だの仁左衛門だの三津五郎だの江藤淳だの誰だの彼だの、みんな絶版らしいけどなんだかいいよなあ。 それから写真に写ってるあとの2冊もね、〈虫喰仙次〉ってのは色川武大の短編集で小学館が始めたオンデマンド本のシリーズの1冊らしいペーパーバックで本体500円だから、いまどき文庫本よりも安い。 色川武大も気がつけば亡くなってもう四半世紀もたっちゃって、それでもこの作家を愛する読者も編集者も絶えないようで思い出したように古いものが復活したりはするんだけど、読んだことのない作品がどこかに出てないかっていつもいつも探してるわけにもいかないもんだから、こうやって棚に発見できるとすごくうれしい。これは福武文庫を底本にしたんだそうですが、そういえばあったよなあ福武文庫(もはや出版社ですらないベネッセ。よくぞ救出してくれました小学館)。 もうひとつは〈日本幻想小説集成〉ってシリーズが「幻想文学」って棚のとこにズラズラっとあってね。これはそのうちの佐藤春夫の1冊で、じつはどっかで手に入らないかと思ってた92年頃の古いシリーズなんだけど、まさか当たり前のようなカオして棚に刺さってるなんて思いもしなかったから躊躇なく引っこ抜いたんでした。いやー今日はなんだかうれしい日だよなー。 で、なんつってウキウキしながら3冊抱えてレジでお金払って4階の紀伊國屋ホールへ向かったんだけど、芝居見終わってウチに帰って鼻歌まじりに本を包みから出してるところで突然思い出したのであった。そうだ、おれ買おうと思ってた小説の新刊があったんじゃん。だから文芸書のコーナーへ行ったのに、もー肝心のことを忘れて探してない本買って帰ってきちゃったぜ。 くだんの1冊、筒井康隆〈モナドの領域〉はその後紀伊國屋書店ウェブストアで注文し、今朝ほど届いたばかりなのであった。とほほのほ。 ▲
by god-zi-lla
| 2015-12-20 09:52
| 本はココロのゴハンかも
|
Comments(4)
![]() なーにを言ってんだか。 先月の文京区湯島〈音と戯れる会〉でグレン・グールドのラストレコーディングとなった二度目のゴルトベルク変奏曲の、当時現場でサブとして回されていたらしいアナログテープからプレスしたLPレコードというのがあるというのを初めて聴かしてもらったんだよ。しかもそれは今年の秋口だかに出たばかりでまだアマゾンでも買えるというじゃんか。 いや、はっきり申し上げてグールドのゴルトベルクといえばおれにとっちゃ最初に録音された55年のヤツのほうである。なにしろこれが初めて買ったゴルトベルクのレコードだしバッハのレコードったって、バルヒャがモダンチェンバロで弾いた大伽藍のようなイタリア協奏曲のLPに次いで2枚目だったんだからもう40年以上も昔のことなんでした。 スタイルも思想もぜんぜん違うこの2枚ですけど(そもそもそんなことに気付いたのはずっと後のことだったし)、いまだって時折引っぱり出しちゃあなーんの違和感もなく愛聴し続けてる我が人生のレコードって感じだもんな。 だからグールドが最後に遺した新しいゴルトベルクにはイマイチ馴染めなくってさ。しかもレコードに針をおろすといきなり止まってしまうんじゃないかと思うくらいゆっくりと演奏されるあのアリアだ。いやあおれはやっぱ55年盤のほうでいいや。つう感じでなんとなく81年盤には手が伸びないであまり聴き返さないまま30年が経っちゃった。 81年にグールドが亡くなってCBSソニーの国内盤が出たのは翌82年だと思うんだけど、そこからそんなにたってない時期に買った盤が上の写真左側のやつで、ジャケットに挟み込まれた解説には諸井誠がグールドの訃報に寄せて書いた毎日新聞の記事が再録されてたりする。81年、82年というとちょうどCDが世の中に登場する前後のことだから、もしかしたらこの盤で初めてCDを手にしたなんて人も多かったのかもしれませんけど、おれが初めてCDプレーヤーというのを買ったのって86年のことですからもちろんLPしか買わなかった。 だけどね。なにしろグールドのゴルトベルクっちゃあ55年でしょの人でしたから先月その初めて世に出たアナログ録音のゴルトベルクというのを聴かせてもらっても、ふうーん、という感じでね。この30数年あんまり聴いてこなかったから即座に感じるものがないんだ。同時に聴いたCDと比べたら、まあちょっとモヤっとした感じがするなあみたいな。 しかし気になるのは気になるもんだからウチに帰ってこの写真左の国内盤を聴いてみた。んー、まあこういう音だったよなあ。クラシックとしたらかなりオンマイクのクリアーな音。湯島で聴いた音と思い出して比べるとこっちのほうがやっぱりバリっとした印象で、アリアは相変わらず止まるかと思うような遅さである。だけど以前のような違和感は感じない。もしかしたら立て続けに2回聴いたからかもしれない。 そしたらもう1回、今月の文京区湯島でも聴くことになってね。今回はまたちょっと違う趣旨ではあったんだけども、それはさておいて二度目を聴かしていただくに至って、とうとうこっちの物欲の堪忍袋の緒が切れた(なんちゅう表現じゃ)。これはやっぱし自分ちで自分のステレオ装置で聴き比べてみたいじゃん。そうしてamazon.co.jpから届いたのが上の写真右のLPなんであった。 ![]() アマゾンの商品ページにはなーんの能書きも書いてないんだけど、同じLPをHMVのショップサイトに見てみるとこんなことが書いてある …この1981年盤は初期のデジタル録音としても有名で、LPだけでなくCDも発売されました。その際LPのカッティングにもCD用のデジタル・マスターが使われましたが、今回のLPプレスに当たっては、そのデジタル・マスターではなく、デジタル・マスターと並行して収録されていたアナログ・マスター素材からグールドやサミュエル・H・カーターの使った編集用のスコアをもとに編集し、DSD化した音源が使われています。アナログ・レコーディング完成期ならではの、のびやかで安定感のある音楽的なサウンドは、グールドの超絶的に美しいピアノ・サウンドを再現しています。んーむ。つうことはアナログの録音テープからプロデューサーの記録どおりに編集したDSDマスターを起こしてSACDとCDを作ったのち、その同じマスターでLPをプレスしたのが今回のLPなんですと読める。 つまり録音はアナログだけどマスターはデジタル、それをアナログにプレスしたってことだな。 アナログ録音からアナログマスターを起こしてカッティングした純粋アナログじゃないわけか。 ちょっと、なーんだ、って気分ではある。 だけどヘンな話、ここんとこ繰り返しこの81年盤、グールドが最晩年に遺した二度目のゴルトベルクを聴いてるうちにどんどん好きになってきててね。ふと、もしかしたらこのままもう少し聴き続けると旧盤よりこっちのほうがよくなってくるんじゃないかという気がしてきてさ。こりゃあアマゾンから届いたばっかりのLPとどっちが良い音かなんて比較もさることながら、もう少しじっくり81年盤と付き合ってみようかって気になってきちゃった。 不思議なもんだな。 左の駐車禁止ラベルが2015年LP(SONY 88875102811) 右のラベルは30何年前に買った国内盤(CBSソニー 28AC 1608) ▲
by god-zi-lla
| 2015-12-16 23:09
| 常用レコード絵日記
|
Comments(3)
![]() バスが来るまで時間のあるときにこうやって写真撮っとくの。それでバス停の名前と必要なら路線名を書いて〈メモ〉に保存しとくだけです。いちいちバス会社のサイトへ行って検索するよりか圧倒的に早い。当該停留所の前後くらいだったら類推すれば十分だしね。老眼鏡なしでも時刻確認できるくらいまでは拡大表示してくれますし(上の写真の状態よりもっと拡大可能)。 まあこんなこた路線バスをしょっちゅう使ってる人はみなさん先刻ご承知でございましょうが、いまちょっとヘンに空白の時間帯になっちゃってるのでヒマつぶしにアップしてみたんでした。すいません。 ちなみに写真の時刻表は東急バス、東京駅八重洲南口発・等々力操車所行き、皇居お堀っ端の敗戦後マッカーサーのいるGHQが置かれた第一生命本社玄関前にある日比谷停留所のです。 ▲
by god-zi-lla
| 2015-12-10 21:07
| 日日是好日?
|
Comments(0)
![]() ヘッドフォンのユニット自体はべつに壊れてないと思うんだけどね。イヤーパッドそのものが劣化してヘタってるのもさることながら、ユニットを覆っていた薄いウレタンフォームがれいによって完全に朽ち果てちゃってたんだよ。この素材はスピーカーユニットのエッジにせよ各種家庭用品のフィルター類にせよ使い始めて5年から20年の間に必ず朽ち果てる宿命にあるからね。 もっと早く取り替えりゃよかったんだけど、ちょうどヘッドフォンを使わなくなった時期にボロボロと劣化が始まっちゃったもんだからおカネをかけて交換しようという気分にぜんぜんならないまま、かといって捨ててしまうでもなくジャンク箱のなかに突っ込んじゃってたのであった。 それがなんの拍子か「ゼンハイザーHD560 イヤーパッド 交換」なんてネットで検索してみたんだよ。ほんとにホンの出来心ってやつです(いやべつに悪いことをしてるわけじゃないんだけど)。そしたら25年も前に買ったヘッドフォンなのに今でもちゃんとパーツが買えるんだね。ほおー、そうだったのかあーって、それがなんだかうれしくってね。うれしさ余って欲しさ百倍、ついサウンドハウスに在庫があったもんですからポチっとしてしまったんであった。 しかしよく見るとお値段税込み6,458円は高いんだか安いんだか、〈衝撃特価〉のサウンドハウスにしちゃあ高いような気もするんですけどこの際ウレシさに免じてオッケーってことにする。 で早速取り替えようと古いイヤーパッドをペコっと外すと(ペコなのね。ネジ込み式とか何か爪が付いてるとかじゃなくてペコっとハメ込んであった)、写真のように朽ち果てたウレタンフォームの残骸がボロボロっとこぼれ落ちてきた。よく見たらまだ結構意地汚くこびりついてるやつらもあったから爪楊枝の先でほじくり出した。ユニットの保護ネットのようなものが付いてるんだけど、この表面にも一部こびりついててこれは残念なことに取り切れなかった。このネットの交換パーツも付いてたらよかったのに。 写真上のほうに写ってるやや色褪せた二つが取り外した古いパッドで、下のしっかり黒い二つが交換用の新しいヤツです。新しいのと並べてみればこんなにヘタってたのかとびっくりだな。 でこの剥き出しになったユニットのとこにウレタンフォームを被せ、どうせまた朽ち果てちゃうんだよなあと思いつつ、だけどこんだこのウレタンが朽ち果てるより先におれのほうが朽ち果てるかもしらんからまあいいか、なんてね。つまんないことをブツブツと独りごちながら真新しいイヤーパッドをパコっとハメ込んでやったのでありました。 で出来上がりは下の写真です。新品のイヤーパッドはきょうびのコトバでいうと、もふもふ、ってヤツだよ。なんかシアワセである。 さてこうなったらやっぱり音聴いてみないとな。長年見捨てといてアレですけどミョーに心躍るものがあるんでした。ウチにはヘッドフォン端子というのがFireface400にしか付いてないのでここにぶっ刺して、なにしろどう考えても10年はジャンク箱に打ち捨ててあったわけだから慣らし運転してやらにゃあいけません。たまたま聴きかけてたウェザーリポートのライヴBOX(これはけっこういいんだけどそれはまたあらためて)のCDをかけてみた。音は無事出てる。しかも10なん年ぶりのはずなのにそう悪くない。これってスピーカーよりヘッドフォンのほうが振動系が軽いせいもあるのかな。10年仕舞い込んだスピーカーだったらこうはいかないよな。 んー、これはなんか期待させてくれるじゃんか。 そのまましばらくヘッドフォンはそのへんに置いたままウェザーリポート聴いてたんだけど、おしまいのほうになってまたちょっと聴いてみると、これはもうほとんど本調子に近づいてきたんじゃあるまいかしら。よーし、こうなったら同じゼンハイザーのモメンタムと聴き比べてやろうじゃんと取り出して見ると、ありゃまコイツはプラグがミニプラグでFF400は標準フォーンジャックじゃないか。 だけど探してみてもミニ→標準の変換コネクターがない。じゃあHD560をiPhoneに刺して聴き比べようと思ったら標準→ミニの変換コネクターもないでやがんの。とほほ。 つうわけでせっかくその気になったのに聴き比べはお預け、しょうがないから買ってくるまでしばらくはエージングしてやりましょう。ずいぶん長いこと邪険にしてて申し訳なかったしね。 ![]() ▲
by god-zi-lla
| 2015-12-09 10:38
| オーディオもねぇ…
|
Comments(0)
![]() いまどき珍しいくらいにばかでっかいカボチャがあってね。煮物にした(しかも3回家族で食っても食い切れないくらいの分量だ)天ぷらにしたサラダにしたスープにした、挙げ句の果てはポトフにまで入れてみた(スープは案の定少し濁っちゃったけど味の評判は悪くなかった)。それでもまだ残ってる八分の一かけくらいのカボチャをマナ板のうえに乗っけてコイツをどうしてくれようかと首をひねってたんだよ。 カボチャってさ、マルのまんまだったら結構日持ちするからいいんだよ。ひと月くらいだったら台所の床にごろんと転がしといたって多分平気。だけどいったん切ってしまったら、とにかく全部タネとワタは取り出してキレイにしとかなきゃ、さっさと傷み始めます。だからスーパーやなんかで半分とか4分の1とかに切って並んでるヤツは買ってきたらすぐにタネとワタを取ってやって、なるだけ早く食べたほうがいい。 だからデカいカボチャに包丁入れるときには覚悟が必要です。って、まあ覚悟ってのは大袈裟だけど、これからしばらくの間このでっかいヤツを順次どんな料理にしてくれようかっつうことはある程度考えとかないと、せっかくのカボチャがモッタイナイことにもなりかねない。まあ加熱して冷凍しちゃうって手もあるけど、できればそんなことしないで食ってやりたいじゃんか。 と、しばしの間考えてたところ、そういえば以前はちょくちょくカボチャでプリンこさえて食ってたよなあと思い出したんであった。 じつはですね、ここんとこ健康上の都合からタマゴをたくさん使う食い物というのをちょっと控えめにしてんだよ。ようするにまあ尿酸値問題方面からね。 数年前の健康診断のあと、かかりつけのお医者さんに尿酸値が高めに出てるねえと言われて、あーそうですかぼくはそれほどビールがばがば飲むほうじゃないんすけどなんてフザケたこと申し上げたら、オカダさんそーゆーことじゃないんだよと叱られてしまったんであった。 その後、去年だったかの健康診断の結果を見た先生が、また少し尿酸値上がったからちょっと薬飲んでみましょうかねと言われたんで、よせばいいのに先生べつに関節が痛いとかって症状はぜんぜんないんすけどなんてクチごたえしたら、だからオカダさんそーゆーことじゃないんだってば、尿酸値が上がるってことは痛風の症状が出るっていうだけじゃなくってカラダの不調を呼ぶんだってばさと、また余計なこと言って叱られてしまったのであった。 でまあ、アレはいけないコレもダメみたいな指導はなかったんだけどアルコールと食事には今まで以上に注意しなさいよと言われてから、まあビールは減らしました。もともとがぶ飲みするほどのビール好きじゃないけどそれでも真夏の風呂上がり、よく冷えたビールをぐいーっと空けてプハーなんていうのはやっぱ大好きだしさ。だから普段風呂上がりにぐいーっとやるのは基本的に麦茶だけにすることにしてビールたまに飲んでも350ミリリットル缶を奥さんと2人で1本とかね。 それから年齢のせいもあるようで近ごろは四つ足の肉をそれほどカラダが欲しなくなってはいるんだが、さらに意識して動物性タンパクを減らしぎみにして当然タマゴなんかも減らす。 ここいらへんのことはね。自分でほぼ三度三度ゴハン作って食ってるわけですから結構コントロール可能なの。勤め人のように外食が多いとなかなかそうはいかないでしょうけど、ことに最近は昼メシに動物性のものを食わないことも多い(動物性のものが入ってるとしたらカツオ節の出汁だけとか)。 まあそんなわけなので多分タマゴの摂取量も以前の半分から3分の1くらいになってんじゃあるまいかしら。オデンのタマゴなんて大好物だったんだけど、ここんとこオデンの鍋に入れるのは息子のぶんだけにして自分は色良く煮上がるタマゴを見つめてるだけだったりする(あの色がなあ)。 だから当然タマゴを大量に使うようなお菓子の製造にはなるだけ手を出さないようにしてるんです。買ってきたり頂き物だったりは今までどおりにしてるんだけど、そこへ自分で作って消費の上乗せをすることだけは控えるようにしてるわけだ。 つうわけで、一度にタマゴ4個割ったのなんてずいぶん久しぶりな気がするよ。 それにしてもこのリング状の型は抜きにくい。そもそもプリン作りなんかに使うほうがいけないんだってことはわかってるんだけどさ。何かいい焼き型を探しに行ってこようかな。だけど買ってきたら買ってきたで絶対試しに焼いてみたくなるもんなあ。 ▲
by god-zi-lla
| 2015-12-07 09:33
| 食いモンは恥ずかしいぞ
|
Comments(0)
![]() ゆうべもナベにした。 今夜もナベにする(予定)。 左から。 夜と霧 新版 ヴィクトール・E・フランクル著/池田香代子訳(みすず書房) たそがれの人間 佐藤春夫怪異小品集(平凡社ライブラリー) 中国料理の迷宮 勝見洋一(講談社現代新書・古本) 小商いのすすめ 「経済成長」から「縮小均衡」の時代へ 平川克美(ミシマ社) ちゃぶ台 (ミシマ社・雑誌) おいしい資本主義 近藤康太郎(河出書房新社) 夜と霧の旧版は高校生のころ親父の本棚にあるのを見つけて読んだ。たんに旧訳新訳ということでなく著者自身が手を加えた新しい版だそうだけど、読んだはずの旧版のことをまったく覚えてないからどこがどうだか全然わかるわけがない。今度行ったら借りて旧版も読み直してみよう。ちなみに今月の読書会のお題だけど、おれらがどうこう言うような本ではない。 佐藤春夫の小説は昔〈西班牙犬の家〉を読んでから好きになったんだけど、短編はいろんなアンソロジーが編まれているのを見かけるたびに買い求めて読んだりするもんだから、同じ作品を何度も目にしたりしてどうも効率が良くない。だからといってもっと読みたいとは思うものの、全集を買おうというほどでもないから困ったもんである。サブタイトルに小品とあるも小説とうたってないのは小説であるようなないような虚実ないまぜになった作品の多いためで、それがまた怪異なところでもあってじつに佐藤春夫なんだな(なんのこっちゃら)。 勝見洋一のこのサントリー学芸賞を受けたルポルタージュ(と言っていいのかどうかわからないが)を読んでみると、なるほど〈怖ろしい味〉も〈餞〉もここに描かれているさまざまな経験が原点なのかと納得できるものがあるな。中国の、とくに北京を中心にした料理の世界を描き出しているんだが、北京料理の(家庭料理から宮廷料理までを含む)深淵に迫るということはそのまま歴代中華帝国の都、北京の深淵=迷宮に迷い込むということでもあるってことなのだった。 そう思って読み返してみれば〈怖ろしい味〉も〈餞〉も、妖しいラビリンスだよ。 ここからあとの3冊はまったくたまたま同じ月に読んだだけといえばそうなんだが、そういう本をたまたま読んでるってことではない。ようするにグローバル資本主義ってのが相当ヤバいとこに突っ込んできてるのは間違いのないところまで来ちゃってるわけで、だけどそんなものにか弱いおれら一般ピープルが立ち向かったって如何ともし難いわけだ。ならばどう生きてくのか、そのヤバい世界でおれたちは。 ここんとこそういうことばっか考えてるから読んでしまう3冊ってことです。 ところでちゃぶ台というのは雑誌なんだけど、いままで〈この2か月で読んだ本の備忘録〉つうタイトルのとこに雑誌を入れたことはなかったのを初めて並べてみた。おれの意識としたら「雑誌」読んでるって気分ではなかったってのがひとつ、それといまさっきの理由でたまたま同じ方向を向いてるものが揃ったんで良い機会だから並べてみようってのがふたつめ。 これね、造本も面白いんだよ。写真じゃわかんないでしょうけど、まるで上製本の表紙まわりをべりべりっとひっちゃぶいて、見返しを表紙代わりにタイトルを印刷しちゃったような造りでさ。「背」もない素っ裸の本文束ねたデコボコのノドのところにも無理やり〈ちゃぶ台〉って刷ってあるもんだから手に取ると一瞬ドキっとするんだよ。まるでイタズラの跡みたいでさ。 それはともかくグローバル経済ってのが手のつけられない暴走状態のまま民主主義も国民国家もなぎ倒してニンゲンの時代の終わりまで突っ走りそうな気配濃厚ななか、その暴風に巻き込まれないようにおれたち庶民はどうやって生きてけばいいのかってことを、けっこういろんなところで大勢のひとびとが考えるようになってきた。 こういうヨノナカでも、そこから完全に「降りる」わけにはいかないわけだ。しかしだからといってそこに乗っかったままじゃ世界じゅうの冨を独占しつつあるたった一握りの富裕層の度外れた強欲に人生もみくちゃにされるだけでしかない。 ハナシはそれますけど〈トリクルダウン〉て言葉があるじゃんか。ようするに一握りの富裕層が潤えば、そこからしたたり落ちるように「冨」がシモジモにまで行き渡るっつうアレ。だけど実際のところ富裕層ってのはもう何世代も後まで食うに全然困らない冨を蓄積してるのにもかかわらず、さらに冨を世界じゅうからカキ集めようとしてるわけでさ。だからそんなモンは大ウソのコンコンチキってやつなわけだ。 むしろトリクルダウンというよりか、いまのグローバル資本主義の実体つうのは「欲の皮の目一杯突っ張らかったヤツらが上流の席を占拠してテコでも動かない流しソーメン」でさ。ハラいっぱいでもう食えないのに手元の器にどんどんどんどん、流れてくるソーメンを1本残らず箸ですくい取ってやがんだな。だから下流にいるおれらふつうの客のとこにソーメンは来ない。 だからそんな流しソーメンに期待したってどーせムダなんだから、そこからちょっと席を離れてみるという試みについて考えようっつう流れが少しずつだけども出てきている。で、そのへんはそれぞれの論者によってさまざまな見方や方法論があるわけで一様ということは全然ない。たぶんその方法について唯一の正解なんてものはないんだと思う。しかしヨノナカが相当ヤバということだけは間違いない。だからこそいろんな本を読んでみると興味深くもあるわけだ。そういう3冊である。 ちなみに〈おいしい資本主義〉は朝日朝刊連載の〈アロハで田植えしてみました〉の単行本化した本つうことになってるが、今の時代をどうやって人生シアワセに生き抜くことが出来るかっつうことについて田んぼのなかで著者が考えてたことのほうに力点を置いて大幅加筆されてるから、新聞連載とはまるで別物になってるところが要注意だな。 新聞連載に加え「毒」と「薬」がこれでもかってくらいに特盛り状態、朝日の出版部門で出さず河出が本にしてくれて、おれたち読者にはとっても著者にとってもとってもよかったんじゃあるまいかしら。連載のままじゃ、たんにヘンな新聞記者のちょっと面白い体験ルポですってだけだもん。 ▲
by god-zi-lla
| 2015-12-01 12:46
| 本はココロのゴハンかも
|
Comments(0)
1 |
ファン申請 |
||
外部サイトRSS追加 |
||