いまの日本、アベがボトルネック


by god-zi-lla

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ここんとこ、野田秀樹の芝居とか三谷幸喜の芝居の切符を買おうと思うと抽選でハズレ続けてさ。最初のうちはムキになって何度も何度も申し込んだりしてみたんだが、やっぱり外れる。

で、そうなると野田や三谷の芝居の切符買うためのお金(と時間)が残ってくるから、ほかの芝居を見に行くわけだ。するとさ。いままであんまり意識してなかった役者や演出家や脚本家の良さに気づいたりして、んー、もしかしておれらミョーなブランド志向に陥ってたんでないのか。野田や三谷の芝居だってつまんないときはつまんないわけだし、そんなこと悔しがってるヒマ(とカネ)があったら別の面白い芝居を探したほうが人生よっぽど充実してんじゃんよ。

だから見たってわけじゃないけど、ことしの初めのほうに新国立の小劇場で見た〈アンチゴーヌ〉が良かった。とりわけ初めて舞台を見た蒼井優にびっくりしてね。いやいやなんとしたことか。鋭い感性と身体能力の高さで舞台を支配する、こんなたいした俳優だったってことを今まで知らなかったのがホントに悔しい。

つうわけでついせんだっての12月22日の土曜日にまた新国立の小劇場で〈スカイライト〉の蒼井優。歌舞伎以外じゃ多分これが今年最後の芝居見物だな。

年の初めに見たのはギリシア悲劇〈アンチゴネー〉をもとにした芝居で、こんだのは90年代後半のロンドンを舞台にした現代劇だから中身はまるで違うんだが、どちらも台詞と仕事のやたら多い芝居のうえ舞台を360度あらゆる方向から観客が見つめている(新国立だけで地方公演は違うかもしれない)。いやあこれをとりあえずカタチにするだけで並みの役者なら精いっぱいなんじゃあるまいか。すごいよ蒼井優。

この1年でおじさんはもうすっかり蒼井優ちゃんのファンになりました。

それからもう一人この1年ですっかりファンになっちゃったのが蓬莱竜太である。

去年、赤坂ACTシアターで勘九郎・七之助の兄弟の「赤坂大歌舞伎」で〈夢幻恋双紙〜赤目の転生〉というのをやったんだが、これの脚本・演出が蓬莱竜太でさ。ぢつはこれを見るまで蓬莱竜太のことをまるで知らなかった。

この舞台はお客はよく入ってたもののどうもあんまり注目されなかった気がするんだけど、おれはすごく面白く見た。なにしろ歌舞伎でこんなに時制が何度も行ったり戻ったりする芝居なんて古今なかったんじゃないか。

歌舞伎の古典てのは大概が荒唐無稽でハナシの辻褄なんか二の次だったりするんだけど、さすがに時計が巻戻ったりすることはない。その時制が行ったり来たりしながら起こる悲劇の世界を蓬莱竜太が作り上げて勘九郎、七之助に亀鶴といった面々がそれを咀嚼して見事に演じたんだが、正直言っておれが今まで(過去の映像も含めて)見た現代作家の歌舞伎のなかで一番斬新に思えた。

んー。こりゃあ迂闊でした。蓬莱竜太、これからはちゃんと見なくちゃ。

で、今年になって再び新国立の小劇場だ。年の初めに〈アンチゴーヌ〉を見たとき入り口でもらったチラシの束のなかに蓬莱竜太脚本の〈消えていくなら朝〉があって、そうだそうだこれは見なくっちゃと切符買って行ったのが7月20日だ。

これが田舎に暮らす父母兄妹に東京へ出てちょっと成功して有名になった脚本家の弟といったメンメンの抱える、ひとつひとつはよくありそうなモンダイがいろいろ詰め合わさった結果、ありえないようにフクザツでぐちゃぐちゃになった家族模様を描く芝居で面白い。なるほどこう来るか。いやあもっと見たいぞ蓬莱竜太。

と思ってその日受け取ったチラシの束を検分するとですね。そのなかに池袋ゲージツ劇場シアターイーストで蓬莱竜太が所属する劇団「モダンスイマーズ」の〈死ンデ、イル〉のチラシがあるじゃんか(チラシ見るのは大事よ)。しかもチラシ見た7月20日その日が初日で29日まで。チラシが入ってるってことはまだ席があるってことだな。あわてて取って滑り込んだ26日の池袋ウェストゲートパーク。

これもまた面白いんだ。つか、蓬莱竜太にかぎらずこれが今年見た芝居のなかでいちばん面白かったかもしれない。どういう芝居かモダンスイマーズのサイトに習っていえば、震災で避難生活を余儀なくされたひとりの女子高生の失踪にまつわる群像劇、である。登場するのはフツーの女子高生、その彼氏のダサい(のちチャラい)男子高校生、女子高生の母(じゃなくて姉だった)とその夫、女子高生の担任の先生、女子高生と母(じゃなくて姉)が避難先の家主である親類のおばさん(独身)、東京に住む女子高生の叔父、ホームレスの男、それから被災地を取材するナゾのフリーライター。舞台上にとくに装置はなく椅子と机が出し入れされるのみ。

そしたらこの芝居は〈句読点三部作〉と呼ばれる連作のなかの最終作で何年かぶりの再演なんだっていう。しかもほかの2作は先に再演したっていうじゃんか。あちゃー。いかんなー、おれらなんだかんだ言いながら立ててるアンテナ性能悪すぎ。蓬莱竜太の芝居見ようと気をつけてたハズなのにこれだ。来年は頑張るぞ(なんのこっちゃ)。

いやしかしアレですよ、おれのような凡人はついネームバリューやブランドや過去の実績に目をくらまされて、若いひとやメディアに注目されにくいところで面白いことやってる人たちになかなか気がつかない。

いつも自分に掛け声だけはかけてんだけどね。若いヤツらに木戸銭払おうぜって。

若いヤツらといえばつい先日、京都の南座の顔見世で中村鷹之資と片岡千之助が踊った「三社祭」が良かった。鷹之資が19歳、千之助は18歳。ふたりきりで踊る動きの激しい演目なんだけど、若いヤツらが必死で稽古して満員のお客の前で懸命に踊るのがじつにまったく、おじさんはニコニコしながら見物してしまったのであった。今年たくさん見た歌舞伎の演目のなかでいちばん印象深かったな。

そりゃ、すごい役者とか最高の芝居とかってのはいくらでも見ましたけど、それはそれ、これはこれってヤツだ。

年の瀬にティーネイジャーふたりにいいモン見せてもらったぜ。






by god-zi-lla | 2018-12-29 08:06 | 物見遊山十把一絡げ | Comments(0)
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ひさしぶりにカートリッジをオーディオテクニカからベンツマイクロに取っ替えようと思ったある日のことなのであった。

平成の初めころであればカートリッジひとつ付け替えるのにあーだこーだとSME3012Rを相手に小一時間がところかかってた気がするのが、昨今はせいぜい手こずったとしても15分かそこらのことである。

ほとんどもう熟練の職人芸といったって過言ではないような気もするが、もちろんテキトーなところで妥協するというこの30年の間に溜まりに溜まった「人生の知恵」も加わってのハナシではあるのであった。

いやあそれにしても昭和のおしまいに買ったこのレコードプレーヤーをとうとう平成の次まで使い続けることになっちまったんだなあ。

つうわけで仕上げに針圧調整しようと針圧計をセットして、いままさに針を下ろそうという(瞬間を再現した)のが上の写真なのであった。

針圧0コンマ0グラム(よく見といてね)。

そして、そおーっと針を針圧計に乗せようとちかづけた。
するってえと。


物理の時間はお昼寝タイム(それが今になって)_d0027243_13514804.jpg


は? マイナス0コンマ4グラム?
なにこれ。

え、え、え、え、え。

どうしてそうなるのかは、すぐにわかった。ようするにカートリッジのマグネットが針圧計の「上皿」を磁力で上から引き寄せてるからマイナスが表示されてるに違いないんだ。

してみると、この針圧計測用に横に突き出た「上皿」は鉄か。

有名なハナシですけどトーレンスのTD124のプラッターに乗せたレコードに針を下ろすと、その鉄製プラッターにカートリッジ(のマグネット)が吸い寄せられて針圧が重くなっちゃう。ようするにアレの逆というか、トーレンスの鉄製プラッターだってカートリッジをレコード盤に接する直前に「寸止め」させればリクツのうえではプラッターはごくわずかカートリッジに吸い上げられているハズであるから、おんなじだな。

いやいやいやいや。それはいいんだよ。そんなリクツはいいんだ。

この針圧計ですけど、使い始めて少なくとも10年は経っている。たぶん15年近いんじゃあるまいか。その前はシュアーの天秤式のヤツを長い間使ってた。とにかくまあコイツで針圧を計るのはこれが10回目や20回目なんてもんではない。

今までだってこういう「現象」が発生してたはずなのに、なーんでおれは気づかなかったのか。若いころのほうが視力だって圧倒的に良かったんだしさ。

ほかのカートリッジはそこまで磁力が強くなくて、このベンツマイクロだけが強力でしかもマグネットむき出しのスケルトンタイプだからか? いやそんなことはない。ベンツマイクロだって前のGlider L2のカンチレバーをボッキリ折って泣く泣くGlider SLに交換してから数えてもすでに8年だ。針圧なんて数限りないくらい何遍も計ってます。

んー。

ようするに見てなかったんだよなー。見えてないものは、ないのと同じ。いかんなー、注意力散漫だよなあ。きっとほかにもいろんなものに気づかずにこのトシになっちゃったんだろうなー。そう思うと無性に悲しくなってきたぞ。



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いやまあ、そんなことをキッカケに人生全般について後悔したって仕方ないんだよ。

それよりも、だ。この最後の写真みたく針を下ろして「針圧」を計ればドンピシャ2コンマ0グラムなわけだ。きのうまではこの値になーんのギモンも抱かずに、はい針圧2グラムね、とレコードをかけてたわけですけども、磁石で引っぱるあのマイナス0コンマ4グラムはどこ行ったんだろうか。

それはこの2グラムのなかに含まれているのだろうか、それともホントの「針圧」はさらに0コンマ4グラムを足した値なのであろうか。あるいはそんなことは無視しちゃってもかまわないのかしらん。

高校の物理の授業中昼寝をしてたバチが今ごろ当たってるような気がする年の瀬なのである。





by god-zi-lla | 2018-12-26 15:08 | オーディオもねぇ… | Comments(4)

今年も顔見世の京都

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昼間はこの前で写真撮ってるおばちゃんとか大勢いたりして、そういうとこに混じって自分もスマホ構える勇気はないんですけどさ。さすが深夜12時を回ればひっそりと静まり返ってお客はひとりもいない河原町御池のホテルのロビーのツリーなのであった。

あと2時間くらいしたら来そうだよね、サンタのおじさん。

顔見世夜の部がはねて虎吉さんに連れられ南座からほど近いなかなかの居酒屋で旧交と胃袋を温めた帰りなのだったが、なにしろ芝居のはねたのがもう10時になろうかって時分ですからね。飲み屋のカウンターの前にいたのはちょっきり2時間くらいである。

つうわけで、この暮れも京都までわざわざ芝居見物に行ってきたんでした。われながらじつにまったく酔狂なことだと思うんだが今年は久しぶりの南座ですから。

おととしの年の初めころ、松竹のホームページに「南座はしばらく休館します」ってお知らせが、わりかし唐突な感じで出た。しばらく? しばらくってなにさ。いつからいつまでって告知がない。

さいきんビル建て替えでしばらく休業しますって貼り紙を出してラーメン屋とか飲み屋が店を閉めると、まあビルは建て替わるるんだけどその店は永遠に消えちまうって事態がよくあるじゃんか。だけどまさかね。南座だしね。重要文化財だしさ。松竹はちょっと信用できないようなとこもあるけど。

南座の長い長い耐震補強工事の期間中、「京の師走の年中行事」っていう枕詞のかならず付く顔見世興行はおととしが先斗町の歌舞練場、去年は東山のロームシアターに掛かった。

ロームシアターで見る歌舞伎には少なからずげっそりしちゃったけど、先斗町歌舞練場はよかったねえ。正直言ってここでずっとやってくれるんだったら南座がラーメン屋のように消えちまっても構わないとまで思えたもんだった。いやまったくもってあの古くてこぢんまりとした小屋の雰囲気の良さといったら。

芝居ってのは掛かる小屋によって印象がコロコロ変わっちゃうもんである。まあ、だからこそ近ごろのたとえば新国立劇場小劇場にしてもシアターコクーンにしても池袋の東京ゲージツ劇場プレイハウスとシアターイースト&ウェストにしても、改装するときに内装の基調をまっ黒けにして劇場の個性を消し、芝居の邪魔をしないようにするんだと思うんだな。

だけどやっぱり紀伊國屋ホールには紀伊國屋ホールの、本多劇場には本多劇場の、そこはやっぱり消すに消しようのない個性ってものがあって、どうしたってそれ込みの芝居の印象になる。まっ黒けに改装した小屋だってそれが薄まりはしてもそこから逃れられるってことはない。

そこいくと同じ芝居でも歌舞伎は最初っから小屋込みで楽しむもんである。やっぱり「いかにもそれらしい」小屋で、舞台には作り付けの本花道があって両脇の壁の客席の上にはズラっと提灯がぶる下がってね。まかり間違ったって壁をまっ黒けに塗るなんて無粋はやらない。

外観だってそうだよ。四条河原町の交差点のとこで鴨川を挟んで四条大橋の向こう側に帝冠様式の古い建物が見えてきただけで、あーおれはこれから顔見世見物だあーって気分が盛り上がってくるもんな。

そういう「らしさ」って間違いなく歌舞伎見物の楽しみの一部になっている。そういう意味じゃエコノミー症候群で死人が続出してても全然不思議なじゃない3階4階席のあの狭っ苦しさをなんとかしてほしいとは思いつつ、少なくとも「らしさ」についちゃあ歌舞伎座に勝ってるんじゃあるまいかしら。

かりに南座がなくなって祇園や先斗町の歌舞練場も使えず、これから先、京の師走の年中行事の顔見世はずっとロームシアターでやることになりましたなんてことにでもなれば、もしかしたらもう京の師走に用はないかもしれない。

まあそんなこんなで、そういえば初めて南座の顔見世を見物に来たのはいつだったかと思い返してみても全然思い出せないから以前のブログをひっくり返してみれば(ひっくり返しゃしませんけどね、本じゃないんだから)、勘九郎の襲名披露のときだから2012年が初めての顔見世見物だった。

新橋演舞場(歌舞伎座建て替え中で大歌舞伎の櫓は演舞場の軒の上にあった)で勘九郎の襲名興行が行われたときは勘三郎が披露口上で挨拶をしてね。とても華やかな笑いの絶えない口上が続いたんだけどさ。勘三郎が亡くなったのが12月に入ってすぐだからその年の顔見世の初日のころだったんじゃなかったか。

おれたちが南座に行ったのが23日で、披露口上は演舞場のときと打って変わって客席から啜り泣きが聞こえてくるんだよ。そりゃあ無理もないよな。だけど勘九郎と七之助の兄弟はあのとき上出来の舞台を務めたんだから、じつに天晴れなものであったと思う。

それから古い南座にはあと1回、ということは今年が5回目の「京の師走の年中行事」で新装なった南座で初めての顔見世だ。なんかもう、徐々にわたしら夫婦にとっても顔見世見物に京に上るのが師走の年中行事になりつつありますね。




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初めてここに「まねき」を掲げてもらう名題さんは、きっと晴れがましいのだろうなあ。





by god-zi-lla | 2018-12-19 11:38 | 物見遊山十把一絡げ | Comments(2)
秋の工作まつり 冬になっちまったぜい(その5)_d0027243_11594505.jpg



で、こうなった。

ご指摘のとおりセンターのバッフル両サイドの木口は45度で隣り合ったバッフルと接してるんだけど、おれのような横着でイイカゲンな人間はここをナナメに切ろうなんて考えない。ここはなんかテキトーな木っ端で埋めてやろう。それがなきゃエポキシパテで埋めるってのはどーだ。なにしろ正攻法で正々堂々正面突破を図るなんて「正」の字が3個も入ってるような人生ほど苦手なものはない。

でまあ、三角形の断面の工作用の木ってハンズとか行けばいろいろあるよなー。近所のホームセンターにはないだろうけどさ。なんて思いながら洗剤かなんか買いに行くついでに材木コーナー覗いたら、ちゃんとあるじゃんか長辺1.5センチくらいの直角二等辺三角形の断面の朴の木が。

これで埋めたの図が上なんである。めでたしめでたし。

そしてどうだ。遠目にはちゃんとハコになったように見えるではないか。よし、ここまできたらもうこっちのモンのような気がしてきたぞ。

ところで長岡先生はオリジナルの試作時にはユニットに繋ぐケーブルをバスレフポートから直出ししたようで、ちゃんと作るときはターミナルをリアバッフルに取り付けなさいよ、みたいなことが書いてある。そしてターミナルはひと組手元にあるんだ。


秋の工作まつり 冬になっちまったぜい(その5)_d0027243_12181397.jpg



これね。今回「ハコ」に切り刻まれる前のベニヤが平面バッフルだったときからずっとユニットにぶる下がってた、どこのメーカーの製品とも知れないスプリング式のスピーカーターミナルなり。もしコイツを使わないでしまいこんだりすると、このターミナルはそのままパーツ箱のコヤシになって形見分けの対象にもならずに捨てられる可能性が大きい(そういうのが、いっぱいあるのよね)。

ところでこのスプリング式のスピーカーターミナルなんですけどね。だいたい安物のスピーカーシステムに付いてるのはこのたぐいの物件である。安いプリメインアンプの出力端子なんかもそうだな。

たいがいのリッパなオーディオマニア諸賢はこういうターミナルには見向きもしませんが、おれはこれが大好きでね。つか、なんでこの手の端子が安物として隅っこのほうに追いやられてるのかがわからない。近ごろのたいていのスピーカーの入力端子はバナナプラグも刺せるようになった比較的大型のネジ式のターミナルが付いてるわけだ。


だけどさ。あらゆるネジは緩む。つかネジってのは締めるためのものだが同時に緩めるためのものでもある。だからもう緩むのが必然である。どんなに強く締め込んでも時がたてば徐々に緩んでくる。緩まないようにラッチの付いたターミナルなんて見たこともない(あってもいいような気がするんだけどね)。

しかもあまり締めすぎるのはかえって音に悪いそうでトルク管理をしろなんてことまで言う。きつく締めてないネジはなおさら緩む。一瞬もとどまることなく緩み続けるネジの締め付けトルクを常時管理するなんてじつにご苦労さまなことである(トルク管理をするってことはそういうことでしょうから、それをしたくないんだったらやっぱラッチ付きのネジは必須だな)。

そこいくってえとこのスプリング式のターミナルは緩まないようにするためにスプリングを入れて接点を常時一定のチカラでもって押さえ続けてるわけだ。安物でエエカゲンかと思えばこっちのほうがよっぽど合理的なんじゃあるまいか。

べつにいいんですけどね。こんなものは好き好きだから。

で、とにかくこのスピーカーターミナルを2面あるリアバッフルのおのおのにひとつずつ取り付ける前に「内部配線」を行ったわけである。フルレンジユニットだからネットワークってのはないんだけど、なにしろマトリックススピーカーなのでユニットからターミナルへ一直線に電線を繋げばいいってもんではない。つか、ここんとこが一番のキモというもんだろう。



秋の工作まつり 冬になっちまったぜい(その5)_d0027243_09415323.jpg


右チャンネルのターミナルのグランド端子は空いたまま。完全な文系アタマのおれはクラクラするのみ。しかしすでにこの数十年、世間ではあまたのマトリックススピーカーが作り続けられてきたのでしょうから(そうでもないのか)、ここは長岡鉄男先生を信じるのみ。




by god-zi-lla | 2018-12-14 09:50 | オーディオもねぇ… | Comments(0)

歳末熱燗準備号

歳末熱燗準備号_d0027243_12113415.jpg



なんつうかこうアレじゃないですか。ガラガラガラっと戸車の音がするガラス戸を開けて入るような居酒屋があってね。いやあ今夜も冷えるねえなんか言いながら暖簾をくぐり、カウンターの向こうにいる親爺に熱燗1本頼むとするでしょ。そうすると親爺はおもむろにカウンターの陰から一升瓶を取り出して手元にあった一合徳利(じつは八勺しか入らない)に酒を注いで黒い五徳のガス台に乗っかって湯気の上がってるアルマイトの両手鍋に、八分目ほど(ということは実質六勺ちょいの)酒の注がれたその徳利を注意深くそおっと浸ける。

それから親爺はお通しのゲソわさとキッコーマン醤油の卓上瓶をあなたの前にトンと置き、あなたは湯豆腐を頼んだりするわけだな。

そういう場面でだよ。近ごろは日本酒でもすっかり当たり前になったワインみたいな横文字の、あるいは気鋭のグラフィックデザイナーがMacでこさえたような小洒落たラベルの一升瓶を、徳利に酒注ぐ親爺の手元に発見してごらんなさいな。

あちゃーそれはやっぱちっとばっか違うんでないかと、一瞬親爺にいらぬ講釈垂れそうになっちゃったりするでしょ。でまあ、口には出さねど顔にはそれがちょっと出たりなんかして。

すると親爺のほうもそれと察したかのように、けっ、酒のこと知ったふうな顔しゃーがってコノ若造が、というような視線をこっちへよこしたりなんかする(もしかしたら親爺とあなたはそんなにトシも離れてないのにさ)。

だけど酒にはなーんのツミもないのよ。ラベルと中身の酒の味にはなんの関係もないんである。

しかし、そうは言っても上の写真のような酒を見れば、あーコイツらは燗する酒だろうな。少なくとも外側が冷たく結露した銀色のワインクーラーで冷やされることを待ってるとは思えない。そーゆーのはもっぱら横文字ラベルとかグラフィックデザイナーMacラベルの仕事な気はする。

じつに身勝手な偏見というもんである。

でもね。そんなこと言ったっておれは燗して飲むためにこの3本を買い求めたのよ。なにしろ(ここ数日関東地方は暖冬異変気味とはいえ)季節は冬だ年の瀬だ。今年の暮れと正月はコイツらで楽しくあったまってやろうかなと思ってね(ラベルが揃いも揃ってこうなのはまったくの偶然というもんである)。

しかし考えてみりゃあまだ正月まで20日以上あるもんな。これじゃあちょっと足りそうもない。なにしろまん中の〈神亀〉の4合瓶はゆうべ栓を開けて少しなめちゃったし。ちょっと気が急いたか。年の瀬じゃなくてトシのせいだなきっと。こりゃあ一升瓶のあと1本か2本買わずば済むまいて。いまあるのが埼玉、兵庫、徳島だから北の酒か京の酒あたりかのう。

どんな酒にするか、考えるのも年寄りの楽しみなのじゃよ。




(それだけの話です)



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(オマケ)



ところでこのボヤボヤとした写真は久しぶりにキヤノンFD50mm/f1.4をマウントアダプタ越しに取り付けて撮ってみたんでした。露出は開放側に固定してピントリングをぐりぐりしてピント合わせてるんだけど、老眼も手伝って正直いって相当テキトーなんでした。そうするといろんなテキトーさが組み合わさって、ふつうに撮ってるのになんとなくヘンテコリンな写真になるのがなんだか面白くてさ。

しかし35ミリカメラの50ミリレンズはマイクロ3/4規格では100ミリ相当で、この酒の写真も狭い居間でめいっぱい後ずさりして撮ってんだよな。だから、じっさいもっといろいろ使ってみようと思ったらもうちょっと広角の、できれば24ミリ以下のFDレンズがあったら楽しそうなんだけどさ。

いちど銀座のカメラ屋のショーウィンドウでも眺めてこようかな。銀座にはまだ中古カメラ店が何軒かあるから。


by god-zi-lla | 2018-12-08 11:33 | 酒だ酒だ酒だ酒だ | Comments(0)
今年いちばん待ってたものが来た。しかし_d0027243_14154271.jpg



えーとね。このエントリは結果として自分のためのメモになっちゃったから多分わかりにくいです。なので適当に飛ばして読んでいただくか、ハナっから全部無視してくだされたく存じますです。



アメリカのResonance Recordsつう会社からエリック・ドルフィーの未発表録音を出すってアナウンスが最初にあったのはもう2年くらい前だったんじゃないかね。漏れ聞こえてくる情報によるとそれは63年のアラン・ダグラスがプロデュースしたレコーディングセッションの残りのテイクだっていうんだな。

Resonance Recordsってのはジャズの未発表録音の発掘を精力的にリリースしてる会社で、最近じゃビル・エヴァンスとかウェス・モンゴメリーなんかの重要録音をつぎつぎ掘り出して話題になったようだが、おれが買ったのはコルトレーンの66年テンプル大学のライヴ盤とサド・メル楽団のこれも66年ヴィレッジヴァンガードにおけるデビューライヴのふたつだけだ。

そして待つこと2年、やってきたブツは〈ERIC DOLPHY MUSIAL PROPHET - THE EXPANDED 1963 NEW YORK STUDIO SESSIONS〉ってタイトルの3枚組のLPだ。こいつは今年の「Record Store Days」限定商品のようで、そのステッカーが貼ってある。じつはこれとは別に国内盤のCDも予約してあるけど、まだ発売されてない。

なにしろ立派なブックレットが付くと予告されてたからさ。ならばきっと国内盤のCDには対訳が付くでしょうから、英語不如意なおれはCDも買うことにしたんでした。日本語版ブックレットの付いた国内盤のLPが出るってわかってりゃいいんだけど、現時点でも出るのかどうかわかんないんだからLPもCDも買えるときに買っとくしかない。

それはともかく、肝心の3枚のLPの中身はというとダグラスのセッションのうちアルバムとしてリリースされた〈CONVERSATIONS〉と〈IRON MAN〉のすべて。これでほぼLP2枚ぶんになっている。つまりこの2枚についていえばすでに何枚も持ってるアルバムをまた買わされたわけだ。まあ昨今同じ中身を何度もくるみ替えて売り出しちゃあ同じ人間に売りつけるというのがレコード業界の当たり前の商売ですから(『ビジネスモデル』ってヤツね)いちいちあげつらったりしませんけどさ(あげつらってるって)。

で、残りのLP1枚分とちょいが「Previously Unissued」だってわけだ。なんかさ、このコトバに弱いのよね。つい買っちゃう。ときどきダマされもする。でも買わずにいられない。

その「Previously Unissued」の内訳ですけど、アルバム〈CONVERSATIONS〉(VeeJayの〈ERIC DOLPHY MEMORIAL ALBUM〉も同内容)が収められた1枚目の余白にドルフィーとベースのリチャード・デイヴィスのデュオ〈Muses For Richard Davis〉が2テイク。

それからアルバム〈IRON MAN〉が収録された2枚目の余白にボーナストラックとして〈A Personal Statement〉という曲が収められている。なんでこれだけが「ボーナス」なんだと思ったらこのトラックのみダグラスセッションではなく87年にBlue Noteから突然登場したドルフィーの完全未発表アルバム〈OTHER ASPECTS〉に入ってる〈Jim Crow〉と同じ曲の別テイクとある(それはそれでびっくりだ)。

そしていよいよ3枚目が「PREVIOUSLY UNISSUED OFFICIAL STUDIO RECORDINGS」と銘打たれて、〈CONVERSATIONS〉と〈IRON MAN〉に収められた合計9曲のうち6曲の別テイク7トラック(どれも完奏した完全テイク)が、時間にして53分超収録されている。

ところでさ。5年前のちょうど今ごろの季節、横浜のマシュマロレコードからドルフィーの〈MUSES〉ってアルバムが突然出た。そのアルバムについてはここに書きとめておいた。今回のアルバムと同じようにアラン・ダグラスのレコーディングセッションから未発表のトラックをLP1枚にまとめたもので、とくにアルバムタイトルになっている〈Muses〉って曲はそれまでまったく知られてなかったドルフィーのオリジナル曲だっていうのでめちゃくちゃ驚いたもんだった。

つうことはアレですか。

ダグラスセッションにはその〈MUSES〉収録の未発表テイクに加えて、さらに今回のResonance Recordsのアルバムに収められた「Previously Unissued」なテイクが半世紀以上にわたって日の目を見ずに眠っていたってことなのか。

ちょっと待てよ。整理してみるか。

で、基本的な身元調べだ。池田版〈ERIC DOLPHY DISCOGRAPHY〉(2011年10月改訂再版)の「83 ERIC DOLPHY/CONVERSATIONS - IRON MAN」の項によれば、くだんのダグラスセッションについて

Jul.1, 1963
〈Muses〉(unissued)
〈Alone Together〉FM308(アルバム〈CONVERSATIONS〉に収録の意。以下同)
〈Ode To C.P.〉SD785(アルバム〈 IRON MAN〉に収録の意。以下同)
〈Come Sunday〉SD785
〈Alone Together(alternate take)〉(unissued)

Jul.3, 1963
〈Burning Spear〉SD785
〈Music Matador〉FM308
〈Iron Man〉SD785
〈Jitterbug Waltz〉FM308
〈Mandrake〉SD785
〈Love Me〉FM308
〈Iron Man(alternate take)〉(unissued)
〈Mandrake(alternate take)〉(unissued)

ということはつまり2011年10月時点で13テイクの存在が確認され、そのうちの九つのテイクが60年代に2枚のアルバムとしてリリースされているということだ。

で2013年マシュマロレコードの〈MUSES〉に収録されてるトラックは

〈Alone Together(alternate take)〉
〈Muses〉
〈Iron Man(alternate take)〉
〈Love Me (alternate take)〉*
〈Mandrake(alternate take)〉

「*」を付けた〈Love Me〉は上の池田版ディスコグラフィには記述がないから2011年以降の新発見てことなんだろう。

そして今回のResonance Recordsのアルバムで「Previously Unissued」とされるトラックは

〈Muses For Richard Davis(alternate take 1)〉
〈Muses For Richard Davis(alternate take 2)〉△
〈Music Matador (alternate take)〉△
〈Love Me (alternate take 1)〉
〈Love Me (alternate take 2)〉△
〈Alone Together(alternate take)〉
〈Jitterbug Waltz (alternate take)〉△
〈Mandrake(alternate take)〉
〈Burning Spear (alternate take)〉△

ちなみに〈Muses For Richard Davis〉は〈Muses〉と同じ曲。

つうわけで池田版ディスコグラフィにもマシュマロレコードのアルバムにもないのが「△」を付けた五つのトラックってことになる。ということは「△」のない四つはマシュマロとダブってて「Previously Unissued」の看板はそこについては偽りアリってことか。

前にも書いたことだけど5年前バスクラのドルフィーとベースのリチャード・デイヴィスのデュオ〈Muses〉を初めて聴いたとき、んー、こんなに素晴らしい曲と演奏が半世紀も埋もれたままだったなんて信じられない。だけどそれをこうやって聴くことが出来るようになって幸せだよなあとつくづく思ったものだった。

それが今になってもうワンテイク出てきたっていうんだからすごい。そう思いながらこのふたつの〈Muses〉を聴いたわけだ。

でさ。じつはひととおり聴き終わったあとすぐにこのエントリを書き始めた。それで書き進めながら、さてディスコグラフィにもない「新発掘」らしい別テイクと既存テイクはどんなふうに違ってるものかと聴き比べるのもいいかなと思ったんだよ。で、あらためてふたつの〈Muses〉を聴いてから、マシュマロレコードのアルバムをターンテーブルに乗せてこっちの〈Muses〉を聴いてみたわけだ。

音質についていうとマシュマロよりも今回の新しいアルバムのほうが断然いい。たぶんResonance Recordsのほうがマスターテープに近い音源で、マシュマロのはだいぶ世代が下ってる感じのもごもごした音。最初はそのせいじゃないかとも思ったんだが、聴いてるうちになんとなくマシュマロ所収の〈Muses〉はResonance Recordsに収められた二つの〈Muses For Richard Davis〉のどちらとも違うような気がしてきてさ。

演奏時間もちょっとずつ違うんだよ。ジャケットに記載された時間を見るとResonance Recordsの最初のテイクが7分39秒、ふたつめが8分31秒。そしてマシュマロレコードの〈Muses〉は8分49秒。

演奏の構成は三つともまったく同じなんだよ。穏やかで短いビート感のないテーマを、バスクラのドルフィーと弓弾きベースのデイヴィスのどちらかひとりがニュアンスを微妙に変化させながら繰り返し演奏していくところに、もう一人がオブリガートを付ける。その「主」と「従」が何回か入れ替わりながら演奏は静かに続く。

何回か聴いてるうちにResonanceのふたつのトラックのエンディング近くにはどちらもデイヴィスのベースのごく短いアルペジオ(ふたつのトラックのアルペジオはわずかに音数が違う)があるのに、マシュマロのトラックではそれが聞こえない気がする。

Resonanceのふたつの〈Muses〉のどっちかとマシュマロの〈Muses〉が同一テイクだと勝手に思い込んでたけど、こりゃあもしかして三つとも別のテイクなんじゃあるまいか。

じゃあ〈Muses〉以外はどうなってんのかしらん。

そう思って両方のジャケットにある演奏時間を見比べてみるとマシュマロの〈Mandrake〉は4分19秒、Resonanceの〈Mandrake〉は6分48秒になってるじゃんか。上記ディスコグラフィによれば〈Mandrake〉の未発表別テイクはひとつになっている。だけど聴いてみると明らかにマシュマロのほうがドルフィーのソロが短い。編集で切った感じでもない。すると〈Mandrake〉も3テイクあったわけか。

いやあ、最初このエントリを書き始めたときは、「やっぱドルフィーはいいよな。この新しいResonance Records盤は音もいいし初めて聴くテイクもあるし、ブックレットにもいい写真がいっぱいあってGOODなニューアルバムよね」つうような能天気なお買い物自慢にするつもりだったのが、ちょっと雲行きが変わってきちゃったぜ。

じゃあそれ以外のトラックはどうなのか、マシュマロ盤とダブってるようだけど実はそうじゃなかったりするのか。あと何回か聴き比べてみなきゃいけないかな。

こういうことはドルフィー研究家とかディープなコレクターの皆さんは先刻ご承知のことばっかなのかもしれないけど、おれみたいに市販の音源を手に入れて楽しんでる一般庶民にはまったく未知の世界なんだよな。

来週あたり出る日本盤CDの解説にひょっとしてそのへんのことが整理されて載ってたりしないかと思うんだけど、あんまり期待はできない気がする。LPのブックレットには見た感じそういうディスコグラフィカルな解析は載ってないようだし(英文ちゃんと読めないの)。

というわけでおれの聴いた感じでは、いまのところ七つのトラックが正真正銘の「未発表」ってことかな。



今年いちばん待ってたものが来た。しかし_d0027243_22021833.jpg

上はジャケットを開いた外側の3面。
下はブックレットに載ってる写真。

エリック・ドルフィーはおしゃれでフォトジェニックだよね。


(Resonance Records HLP-9035)







by god-zi-lla | 2018-12-02 22:43 | 常用レコード絵日記 | Comments(0)