神はどーだっていいとこに宿る


by god-zi-lla

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そういえば3月31日にけっこうな雪の降った年があったよね。今から10年ちょい前くらい。あろうことかあの日箱根山中を目指していたわれら家族。

左から。

小説 阿佐田哲也 色川武大(小学館P+D Books)
唯幻論始末記 わたしはなぜ唯幻論を唱えたのか 岸田秀(いそっぷ社)
劇画漂流 上・下 辰巳ヨシヒロ(講談社漫画文庫)
音楽放浪記 日本之巻 片山杜秀(ちくま文庫)
レコード・コレクター紳士録2 大鷹俊一(ミュージック・マガジン社)
辺境の路地へ 上原善広(河出書房新社)
国語学者 大野晋の生涯 孤高 川村二郎(集英社文庫)
白い孤影 ヨコハマ メリー 壇原照和(ちくま文庫)
文字渦 円城塔(新潮社)

おれは博打ずきじゃないし当然麻雀狂でもないから阿佐田哲也の小説に興味もなかったので〈麻雀放浪記〉も読んでない。ところが色川武大の小説にはすごく心惹かれるところがあるから見つければ手に取って読む。すごく心惹かれる色川武大が興味のない阿佐田哲也を書く。それを読む。もし興味のない阿佐田哲也が、すごく心惹かれる色川武大のことを書いたらおれは読んだか。

きっと読んだろうな。

30年、いやもっと前かな。〈ものぐさ精神分析〉と書名についた本を何冊も面白くて読んだ。それが「正しい」か「正しくない」かってことに興味はないんだけど、たしかにニンゲンについてのある部分がそれで説明のつくような気がして、そういうふうに見るのはとても面白いと思ってた。

その著者の回顧エッセイのようなものだが、なるほどそういう人かというのと、トシ取ったからなのかというのと、もともと大ざっぱなわけ? というがといろいろ。

だから振り返って、あの頃読んだあれはやっぱりと思い直すというようなことはひとつもない。

片岡義男が〈珈琲が呼ぶ〉で辰巳のこの作品について、とくに昭和20年代後半から30年代前半の「喫茶店」について描写した部分を中心に据えながらかなり深く触れてたのが気になってて、ようやく読んでみた。

辰巳ヨシヒロが大阪から出てきて住んだ東京都北多摩郡国分寺町に、ちょうど辰巳本人が文京区白山へ転居するのと入れ替わりくらいの時期におれたち家族は大阪から出てきて住んだ。昭和30年代のまん中くらいの時期だ。

おれは少年マガジンと少年サンデーと少年キングで育ったクチだから貸本漫画の世界についてはほとんど知らないけど、ごくたまにまだわずかに残っていた貸本屋へ行って小銭を払い店先でマンガを何冊か読んだことがある。

子供心にも貸本屋で読むマンガとマガジンやサンデーで読むマンガには間違いなく別世界な感じがあり、あの感じはなるほどこのあたりなのかという、それがつまり子どもの専有物だったマンガを大人の世界に引っぱり出そうとする辰巳の造語「劇画」なんだったんだな。

日本政治思想史関係の著書にくらべてなんとなく大ざっぱで「放談調」なのは音楽雑誌の連載だったせいなのか。この本の原著でサントリー学芸賞を取ってるというのでつい思い出してしまったのが井上章一の本で、しまいまで読んで「解説」のところまで来たらその井上章一が筆者なので少し驚いた。

レコード・コレクターズ誌の連載はいまも続いていて毎月読んでるんだけど、ずっと以前は毎号読んでたわけじゃなかったから、連載の最初のほうをまとめた「正編」が出てから20年、読みたいのに続きがいっこうに出ないところをみると売れなかったのかと諦めて忘れてたら突然「2」が出た。なんなんですかこれは。でもまあメデタイ。

いやー、それにしてもおれはコレクターじゃなくて良かったよ。コレクターは自分がなるものじゃなくて、ハタにいて見たり読んだりするのが面白い。

なんて、こんなブログにときどき目を通してくだすってる方のなかにもコレクターが何人かいらっしゃるのを承知で申し上げていいものか(って、もう言ってるじゃん)。

上原善広は旅のエッセイ集といえばそうですけど、ねちゃっと湿気が多く粘液質でニンゲンくさい(しかもかなりクサイ)のだけが並んでます。あとがきを読んでみると、それはドラッギーでもあったってことなのだった。旧赤線とか温泉芸者とか新世界とか訳あり物件とか。

異端の国語学者の評伝の著者をちょっと知ってるもんだから読んでみたんだけど、意外なくらい真っ当な読み応えのある評伝なのだった。あー、こんなこと言っちゃいけないよね。でもヘンテコな本いっぱい書いてるからさあ。

植草甚一、小林信彦、伊藤喜多男、そしてこの碩学。それにしても東京の下町の、戦災や震災で零落した商家の息子の人生はなぜだかみな面白い。そんなこと言っちゃイカンと思いつつ、だけどそうなんだもん。

メリーさんには二度心臓を止められそうになった。二度とも馬車道のディスクユニオンの入ってるビルの前ってのが自分ながら笑えますけど、柱の陰から突然目の前に現れるんだもん。遠くのほうにいるのを気付いて見てるのとは全然ちがう。

あのころ関内、馬車道、伊勢佐木町、吉田町あたりをうろうろしてればメリーさんを目撃するのは、それほど珍しいということでもなかった気がする。

なるほどこういう人生を送った人だったのかということについて、著者があまり一直線でもなく逡巡したり気後れしたりしながらぐずぐずと追いかけて書いてるところも、なんか面白い。

円城塔。老眼にはかなり苦しいアヴァンギャルド小説。ルビと本文を別々に読むってしかし、老眼は置いといても苦しいのね。ルビだけ読もうとすると本文に引きずられ、本文だけを目に入れようとしてもルビがチカチカ邪魔をする。

そしてこの怪異な異体字の世界は作字? それともJIS第236水準なんて世界がマジである?

by god-zi-lla | 2019-03-31 12:44 | 本はココロのゴハンかも | Comments(4)
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花冷えとはまたうまく言ったもんだと感心するような曇り空だ。

どんなキカイもそうだけどオーディオ装置も長年使ってると次第に衰えてくるもんではある。衰えるってのはヘンな良い方かもしれないけど「劣化」つうと、なんだか情け容赦ないような気分がするじゃんか。人間だって年を取れば衰えてくるわけで、それを「劣化」といったっていいわけだが、なんかヤな感じだ。衰えると言われても老いぼれると言われても、おれはかまやしませんが「劣化」してるって言うのはカンベンしてほしいもんではある。

まあ、いまんとこ人間サマに使われる例は少ないようだが、まるでないわけじゃない。

だから慣れ親しんだオーディオ装置も劣化といわず「コイツも衰えたよなあ」などと言いつつ労りながら使ってやろうと思うわけだが、中古品として手に入れたものはソイツがさらっピンのときの状態というのを知らない。おれんちでいうとmarantz7が工場を出た半世紀以上もむかし、初めて電源を入れたときの音なんて想像もできない。

コイツがおれんちのラックに収まってからでもすでに10年が経つわけだが、その前の数十年、どんな音を出してたのかわからないが、最初っからいまと同じ音で鳴ってたと思うほうがヘンだ。

そこいくとトーレンスTD521つうレコードプレーヤーをおれは新品で買い、いったい何万回こいつでレコードを聴いたのか見当もつかないが、届いた段ボール箱をわくわくしながら開け取扱説明書の指示どおりに組み立て、ベルトをプーリーとサブプラッターに掛け、そこへアウタープラッターを乗せてゴムシートをさらに乗せ、それからレコードを出してきてスピンドルに刺し、初めて電源を入れスイッチを押してターンテーブルが回り始めたときにどんなふうだったかってのは覚えている。それがコイツの「初期状態」というもんである。

なんで長ったらしい前口上を申し述べてるかというと、最近のコイツはその30年前ドキドキしながら初めてレコードをかけたときとは随分と違ってきたということなんであるが、もしおれがコイツをいま中古品として手に入れたとしたら、これがTD521つうレコードプレーヤーの当たり前の状態だと思っちゃうだろうなあということである。

なにしろ無事スタートしたあとはモーターもちゃんと安定して回転しており、ひとたび針を盤面に下ろしてしまえばなんの不足もなく音楽を聴くことが30年前だってこんにちただ今だって出来る。

ただ、そこまでにいたる前がなんだかおかしい。なんかどっかが衰えてきてる。

しばらく前から(ひょっとすると1年かもっと前から)、ときどきゴムベルトがサブプラッターから外れるようになった。

このトーレンスTD521(それからTD520も、もしかしたらシリーズのTD320や321も)はきちんと安定した設置場所に水平に置かれたうえ、サスペンションを適正に調整してくと、あとはスタートボタンを押しさえすれば音もなくサスペンションがブルブルと振動するようなこともなくターンテーブルは回り始める。

もちろん普通に使ってるかぎりベルトが外れるなんてことはなくて、もしも外れるようなことがあればそれには必ずなんらか原因がある。そして、たいていの場合サスペンション調整の不適切がその原因だってことも長年使ってるうちにだんだんとわかってくる(つまり何度もサスペンションの調整不良の状態を作っちゃったってことだけどさ)。

ところが、ここんとこわりかし頻繁にベルトが外れる。サスペンションが適切に保たれてるのもかかわらず、スタートボタンを押すとかすかにシャララーという音がしてベルトの外れたのがわかり、ターンテーブルは数回転惰性で頼りなく回ったあと、あえなく停止する。どうもよくわからない。今までとは違う何か原因があるようにも思えるんだけど、わからない。仕方ないので最近は手でターンテーブルの外周を軽く回してからスタートボタンを押す。こうするとベルトは外れることもなく、いつものようにすぐに定速に達するのであった。

なんなのかなーこれは。30年使い続けて熟知してるつもりだったけど、とにかくまだナゾの部分があるってことだよな。

で、上の写真のごとくアウタープラッターを外して、プーリーのあたりをしばらくぼんやりと眺めていたんである。ふと思った。そういえばコイツを外してみたことってなかったよな。

まあそんな必要もなかったからね。だからそもそもプーリーがどうやってモーターに取り付けられてるのかもわかんない。プラスティック製のプーリーの上にある真鍮の帽子っぽい部品はプーリーを押さえる役目なんだろうか。

見るとこの部品はモーターの軸に二つの小さなイモネジで締め付けてあるらしい。観察してもよくわかんないのでごく細いL字の六角レンチを差し込んで回して緩めて引っぱってみると、プーリー本体と真鍮の部品がいっしょにポンっていう感覚をともなって外れた。


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するとプーリーの底面、モーターの軸のところにはもうひとつ真鍮製の薄い円盤状の部品があり、軸にはコイルスプリングが被せられている。ポンっと軽くはね返ってきたのはこのせいだったのか。触ってみるとこのコイルスプリングも薄い円盤も固定されてなくて、ただモーターの軸に乗ってるだけだ。

そこにプラスティックのプーリーがさらにモーター軸に通されるが、こいつもただ中心に軸が通ってるだけで固定されちゃいない。

そしてプーリーの上に真鍮の帽子を乗せ、コイルスプリングの弾性に抵抗しながら圧すように軸に通してイモネジで締め付けてある。つまりモーターの軸に固定してあるのはこの真鍮製の部品だけってことだ。


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でその真鍮の帽子だ。コイツをひっくり返してみるとプーリーと接触している面に黒いフェルト状のものが貼り付けてある。いや、「フェルト状」じゃなくてこれはフェルトそのものだな。

拡大してみるとこんな感じ。


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ひとつ上の写真に写るプーリーを見ると、中心のモーター軸の通る穴のすぐ外周にドーナツ状の凸部が成型されてるのがわかる。ここのところが黒いフェルト部分と接触してるらしい。

そして写真だとわかりにくいけど、そのプーリーの凸部とちょうど接触してるところのフェルトは接触してない部分とハッキリ段差が出来るくらいヘコんでいて、どうもその部分だけ押し潰されてそうなったみたいだ。

しかしさらに目を凝らして見ると、フェルトは押し潰されてるだけじゃなく摩耗していて、じゃっかん真鍮の地肌が透けて見えるハゲチョロケ状態だ。

なんでここにフェルトが貼ってあって、しかもそれが摩耗してんだろか。

しばらく考えて、あーそういうことかってようやく気がついた。これはクラッチだ。

ようするにモーターの回転するチカラは軸に直接ネジ止めされたこの真鍮帽子を回転させる。電源オンになって回り始めたモーター軸とこの部品は一体になって回転を始めるが、プーリー自体はモーターの軸に固定されてるわけじゃないので、コイルスプリングによって下から押し上げられ、モーターと一緒に回転している真鍮部品に押しつけられることによってモーターのトルクを受ける。

しかしフェルトを介しているため、電源オン後一瞬のうちに定速に達するモーターの回転をよそに、プーリーはフェルトによってスリップするため、そこでモーターのトルクの一部を逃がしながら徐々に滑らかにスピードを上げ、モーターよりもやや遅れて定速にたっする。

たぶんこれはそういう仕組みなんだろうと思った。

その先のチカラの伝達もついでにいうと、そうやってプーリーが回転を始めるとプーリーに掛かってるゴムベルトも多分プーリーのところでスリップしながらチカラを逃がしつつ(たぶんそのためのこのプーリーの材質と形状だ)、さらに遅れてサブプラッターをゆっくり回し始める。

そしてアウタープラッターはそのサブプラッターに固定されることなく乗ってるだけなので、おそらくこの接触面でもわずかなスリップが発生し、これら全体の機構が働くことにより、モーターがメインプラッターに一気にチカラを伝えることなくスムーズに定速まで上げていく。それによってサスペンションの揺れなど不要な振動を呼び起こさず静粛にレコード盤を滑らかに回そうということなんだろう。

そうかクラッチだったのか。ぜーんぜん知りませんでした。そうするとこのフェルトの摩耗は30年にわたってモーターのチカラをプーリーに優しく伝え続けたその結果なわけだ。もしかして、この摩耗がベルト脱落の原因なんじゃあるまいか。

つまりですね。フェルトがチビて起動トルクを適度に逃がす機能が働かなくなってプーリーにモーターのチカラが急激に伝わるようになる。そうするとそのチカラをモロに受けたゴムベルトの、プーリーに向かっていく側とプーリーから遠ざかる側のテンションに大きな差が生じ(プーリーよりサブプラッターのほうがはるかに重たいから、起動時のベルトはサブプラッター側がほとんど固定された状態でプーリーに向かっていく側は引っぱられ、遠ざかる側は逆にたるむ)、その不均衡によってベルトが外れちゃうんじゃないか。

つことは、もしその推測どおりならフェルトを貼り替えてやればクラッチ機能が復活して、ベルトの脱落は起こらなくなるんじゃないかしらん。おー、べつに大変そうな作業でもなさそうだからやってみようじゃん。

こういうのは純正のパーツがあって交換すりゃ済んじゃうんでしょうけど、残念なことに現在トーレンス製品を扱う輸入商社がないらしいんだな。つか、トーレンスというレコードプレーヤーの老舗はここ十何年か不安定に迷走を続けてて、いま現在企業として存続してるのかどうかもよくわからない(ブランド名だけが売り買いされて、技術の継承なんて跡形もないんじゃないかという気もする)。だからここは一番、自力でなんとかするしかない。

さて、テキはフェルトだ。もしかしたらウチのどっかにあるんじゃないか。子どもが小さいとき幼稚園のスモックの胸のところに付いてたアップリケの切れっぱしとかそういうのが、お裁縫箱のすみっこかなんかにあったりするとうれしいよな。そう思って奥さんに探してもらったんだけど、考えてみりゃあウチの子どもたちは下の息子ですらアラサーだもんなー。あるわけないよねアップリケ。

そしたらたまたまその翌日、新宿紀伊國屋ホールに芝居見物に行くことになってて、ちょうどアルタの裏あたりにオカダヤっていう生地・手芸材料店が今でもあるはずだから、そこならフェルトなんてきっとヨリドリミドリだよと奥さんが言うので連れてってもらったんでした。



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その前に摩耗したフェルトを帽子から剥がさなきゃなんない。カッターであらかたこそげ落としてからベンジンで拭き取ると、こんなふうにキレイに取れた。

そしてフェルトだけど、もともとは多分厚さ1ミリくらいだったんじゃないかと思われたから、オカダヤで1ミリ厚の10センチ角でウラ面に接着剤のついたヤツと念のため2.2ミリ厚のやや大判のフェルトを買ってきた。

その1ミリ厚のフェルトを円盤状に切り出して部品に貼り付けたのが下の写真なり。



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ちょっとカワイらしい色でしょ。べつに黒くなきゃいけないってこともないしさ。もっとも取り付けちゃえば全然見えないんだけどね。

まあしかし、モンダイはこれがほんとに原因だったのかということだ。これをもう一度プーリーにセットしてスタートボタンを押したらどうなるか。

元通りになったトーレンスのスタートボタンをターンテーブルが静止状態のまま押してみると、ベルトが外れることもなく、どこかが振動するということもなく、アヤシイ異音もせず、ターンテーブルは粛々と回り始めた。おー、やったじゃんか。やっぱりこのプーリーに貼られたフェルトの摩耗が大きな原因だったのは間違いなさそうだな。

ただ、こういう摩擦部分で使われることなんて手芸店で買った裏ノリ付きフェルトは当然想定してないでしょうから(まあ用途はふつうアップリケだよなー)、どのくらいの耐久性があるのか見当もつかない。まあ当分の間、要観察ってやつだな。なんかあったとしたらその時はその時だ。

あと、どうせここに手を入れたんだったら、プーリーやベルトの表面をキレイに拭いてやり、さらにサブプラッターとアウタープラッターの接触部分をコンパウンドかなんかで磨き上げてやるのもスムーズな回転の維持には必要かもしれないと考えている。

というのも、もともとこの亜鉛製のサブプラッターとアウタープラッターの接触面だけが滑らかな研磨仕上げになってて、その他の部分はそこまでの表面仕上げはされてない。もしかしたら30年前はもっとツルツルだったような気もするので、この部分のメンテナンスもそれなりにやっておいたほうが良さそうな気がしてる。

まーしかし、よく働いてくれてるよトーレンス。これからも頑張っておくれ。おれとしたらコイツが壊れて使い物にならなくなるまでレコードプレーヤーを新しくするつもりは全然ないからね。

その証拠に、じつはひと月ほど前にSMEの3012Rを外して新しい(といっても30年落ちの中古ですけど)トーンアームに載せ替えた。そしてその音がたいへんよろしい。ぶっちゃけ言えば今回のプーリーの修理も先日書いたヒッコリーボードの件も、トーンアーム載せ替えの副産物っつうか「行きがけの駄賃」つうか、リニューアルオープンつうか(違うか)、そういうもんなのであった。

その件についてはいずれそのうちまた。

by god-zi-lla | 2019-03-30 12:14 | オーディオもねぇ… | Comments(0)
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MacOSをヴァージョン10.14「モハーヴェ砂漠」にしたら、おれが日常的に使って重宝してるいくつかのアプリケーションの、これまた日常的に使って重宝してる機能のいくつかが(アプリケーションそのものは動いてるんだけど)うまく動かなくなって、ちょっと困ったことになっている。

だけどまあ、それは「困った」レベルだからなんとかその機能を使うのをガマンしたりしながら状況が改善されるのを待てばいいんだけどさ(どうもApple側に問題があるらしいんだけど)。

完全にお手上げになっちゃったのがひとつあって、しかもこれは金輪際どうにかなる可能性がない。

FileMaker Pro 12がこの砂漠では起動しなくなっちゃった。

あわてていろいろ確かめたのち、ファイルメーカー社のサイトを見てわかったのはこのヴァージョンがもう未来永劫〈Mojave〉とそれ以降のOSでは動く可能性がなくなったってことだけだった。

ガーンっていう音がおれの頭蓋骨のなかでたしかに響き渡った。
ベルリオーズの幻想交響曲第五楽章のあの弔鐘みたいのが。

もし従来どおり使いたければ現行ヴァージョンを使えという。アップグレード版で2万円以上する。しかしヴァージョンアップサーヴィスはとっくのとうに終わっちゃっている。なんとなればアップグレード版が買えるのはVer.15以降を持ってる人が対象で、おれのはVer.12だからおととい来やがれというような扱いなのであった。

ようするに以前アップグレードの案内があったときにおれがケチって何回かすっ飛ばしたからこうなっちゃったのよ。だからといって、いまさらフルヴァージョンのを買うと5万円近い。マジかよ。あのとき2万円ケチったばっかりに。

ところでFileMaker Proをおれは何に使ってるかっつうと、ひとつは料理のレシピのデータベース。これはある人がFileMakerの使い手に頼んで作ってもらったのを使わせてもらってて(もちろん有償で)、かれこれ10年近く便利に使ってると思う。

そして、そもそもが20年以上前、増え続けるCDのデータベースを作ろうと思い立ったのがFileMakerを使い始めるキッカケだったんだよ。たしか棚のCDの枚数が500を超えるころだったんじゃあるまいか。そのためにまだVer.3くらいで可愛いアプリケーションだったFileMaker Proのパッケージを買った。

それからマニュアルと首っぴきでFileMaker Proをいじりながら、ふた月以上も悪戦苦闘し続けてアルバムタイトル、メインの音楽家、ジャンル、収録曲、演奏者、レーベル、レコード番号、メディアの種類、それから通し番号つう九つのデータフィールドを持つカード型のデータベースを作った。

そして最初の500ぶん枚を入力したときにはすでに手持ちのディスクは千枚を超えており、千枚のデータが出来たときには1500枚のディスクが溢れ返っており、1500枚のデータを入力したころにはすでに二千枚を超すディスクで棚は満杯になってた。

で、いまデータ入力は2000枚ぶんまであと50枚というところで、FileMaker Pro 12がおれのMacBook Airで使えなくなった。ちなみにCDはたぶん2500枚を軽く超えていて棚にはとうに入り切らなくなって、そこいらじゅうに散乱しているのであった。

トホホだぜ。

ところでFileMakerにはFileMaker Proで作ったデータベースをMac上で動かせる(つまり開発環境はない)Bentoっていうアプリケーションがあったんだが、調べてみるとこれはとっくのとうに消えてなくなってる。んー、どうしたもんか。

と思案しながら首を投げてたときふとiPhoneの〈FileMaker Go〉で二つのデータベースを開いてみると普通に使えている。新しいデータをあのちっこい画面に入力してみるとこれもまた普通に入力できる。

入力できることは前から分かってたけど、なにもあんなちっこい画面でムリしなくてもMacでやりゃあいいことだから使わなかっただけで、つうことは〈FileMaker Go〉があれば少なくともiPhone上では今までどおり二つのデータベースの更新しながら使い続けることはできるわけだ。

しかしこの小さい画面ではなあ。ブラウズするだけなら一向にかまわないんだ。今だってCD棚の前でiPhone見ながらCD探したり台所でiPhone見ながら料理したりしてるんだから。けどデータ入力をやるのはなあ。

iPadを持ってれば多分そっから先のことを考える必要なんてないんだよな。あのくらいの画面サイズならなんとかなる。入力にはBlueToothのキーボード買ったっていいんだ。

だけどそんなモン持ってない。そのために買う? たしかにその手はある。買えばAudirvana Plusの操作もiPadでやるようにすればいい。でもなー。

なにしろこちとら自慢じゃないけど2万円のアップグレード代をケチって自分で自分を窮地に追い込んでるんだからさ。フルヴァージョンに5万円出すのもiPadに5万円出すのも、どっちもモッタイなくてヤだ。

で、たまたま子どもたちがやってきて晩メシを食ってるときにツラツラその話をしたら、父親のシミッタレぶりになかば呆れながら息子が、それって安いディスプレイをiPhoneに繋いでそこに画面出してBlueToothキーボードで入力すれば、そのほうが安いんじゃね? と言う。

おー、そういう手もあったか! そういえばユニバーサルプレーヤーの設定用に買った小さいディスプレイがあるじゃんか。設定用だから普段は繋いでもない。そしたらそれを使えばいいのか。息子がさらに、たしかiPhoneと外付けディスプレイのHDMIを繋ぐ変換ケーブルが市販されてるはずだと言う。なるヘソ。

つうわけで、もはや親が子どもに教えることなんてひとつもなくなって、逆になんでも子どもに教わるようになったんだなあなんてミョーな感慨にふけりつつ子どもたちが帰ったあとでいろいろ調べてみるとiPhoneの出力をHDMIに変換するケーブルはあるものの結構高くて、しかもネット上の評価を見てみると信頼性に欠けるところが大いにあるらしいんだな。

さてヒントはもらったものの、その高くてちょっとヤバそうなケーブルを買ったものか。

で、シミッタレはまた考えた。だったらiPhoneの画面をMacBook Airで見らんないのかよ。同期してるんだし、AirDropでBlueTooth経由でファイルやり取り出来るんだしさ。

調べてみると、そんなやり方があったのかという感じでさ。〈QuickTime Player〉を使う。

まずiPhoneをMacにケーブルで接続する。

それからQuickTime Playerを起動してファイルメニューから「新規ムービー収録」を選ぶ↓


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そうすると通常は「FaceTime HDカメラ」がデフォルトで選択されてるから自分の顔が大写しになって驚く。

驚きがおさまったら操作パネル表示の赤丸の録画ボタン右横にある「∨」印をクリックすると「カメラ」の選択メニューに「FaceTime HDカメラ」のほかに「(自分)のiPhone」が表示されてるので、素直にこれを選ぶ。

するとアラ不思議、すぐデスクトップにiPhoneの画面が表示される↓

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おー、もしかして知らなかったのはおれだけかもしれないけど、これで勝ったも同然じゃん!

で、そのまま〈FileMaker Go〉からCDのデータベースを開いてみると↓


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おー、これで十分じゃないか。カード部分を拡大したけりゃiPhone画面を指でグワっとやってやりゃあ大丈夫。

あとは安いBlueToothキーボードを買ってiPhoneとペアリングすればオッケー。
それが冒頭の写真なり。

つうわけで、Macでやるのと同等とまではいきませんけど、これで十分実用になるってことがわかった。ちなみにかかったコストはBlueToothキーボードの二千円弱のみ。ほっほっほー。シミッタレ的にはサイコーだね。

ところでじゃな。そもそも現行のFileMaker Proはかつてのようにシロートでも本格的なデータベースが簡単に作れます的なアマチュア向けのアプリケーションじゃなくなってて、完全に本格的なビジネスユースのアプリケーション開発環境になってんだってさ。

だからもう、おれのような道楽じじいにはなーんの用もないってことなのね。ほいでもって、その「ビジネスツール開発環境」で作られたアプリケーションをいまやMacはじめPCじゃなく、スマートフォンやタブレットのような「端末」で動かせればそれでオッケー、それがいまや最先端のビジネスシーンつうもんである、よく覚えとけじじいと、まあそういう時代になってるから〈FileMaker Go〉はMacでは走らない。

けっ、知ったことか。
おれに必要なのは日々レシピとCDのデータが見られて、それをいつでも更新することだけなのさ。年寄りの手慰みだと思ってバカにするんじゃないよ、まったく。

あー悪うございましたね、ビジネスじゃなくて!

そういうわけでまあ八つ当たりのひとつもやってやりたいとこなのであった。

つうわけで、ひと安心。もしかしたら今後なにかの気の迷いでiPadを買ってしまうことがないとはいえないけど、そのときまではこうやってiPhoneをMacに表示させてシコシコ更新してやることにする。

さて、例によってどーでもいいエントリになってしまったから、オマケとして幻想交響曲第五楽章の「弔鐘」の動画を貼り付けておきますのでどうかご鑑賞下さいまし。

舞台裏で鳴らしてるけど奏者はちゃんと燕尾服だ。





by god-zi-lla | 2019-03-22 12:27 | Macとか、あれとか | Comments(0)

たまにゃ映画も見るさ

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ここんとこあんまり映画を見に行けてないのは、映画見るのにちょうど良さそうな時間帯をほかのことに割いてるからなんだが、それはなにも他人様に言われたり頼まれたりしたからじゃなくって自分でそうしようと思ってそうしてるんだからまあいいんだけどさ。

それでも、あーあの映画終わっちゃってんのかー、ってのはちょっとある。

で、よっしゃあ今日は映画だと家を出てちょうど良い時間だったのがクリント・イーストウッドの〈運び屋〉だったんだけど、なんだかけっこうお客が入っててね。おーこんなじいさん映画が平日こんなに埋まるのかと驚いてたら「本日封切り」でした。

封切り日に見たい映画ファンてのがいるもんなんだな。

でまあ、ひさびさのことでもあるし(前回見たのは先月18日の〈ファースト・マン〉だった。そんなに長いこと見てないわけでもないじゃんて言われそうだな)、映画のことをブログにアップすることもあんまりないからちょっと書き留めとこうかと思ったんでした。

もちろん、おれは面白く見物しましたさ。きのう見て翌日アップしようってんですから。

だけどまだ封切ったばっかりだから、どーだっていいような「枝葉」のことだけにしとく。まあ、ふだんからどーだっていいことしか書いてませんけど、わざわざ冒頭にそう謳ってるくらいのブログですから。

クリント・イーストウッド演ずるアールっていうじいさんは90歳だっていう。デイリリーつうユリみたいな花を栽培してる園芸家の退役軍人って設定になっている。

アールじいさんは朝鮮戦争に従軍したというのは本人のセリフにはなかった気がするが(兵隊に行ったとは言う)、クルマのナンバープレートの「翻訳」らしいものが一瞬字幕に出て、そこに「朝鮮戦争退役軍人」みたいな文字があった。

90歳っつうとそういう年齢なんだな。たぶん第二次世界大戦にはスレスレで間に合ってない。この年齢で軍隊に入ってた日本人は徴兵前のおそらく「少年兵」という存在だろう。おれんちのじいさん(父です)は今年93歳で海軍航空隊で技量未熟のまま特攻に出る前に敗戦を迎えた。

アメリカって国はいつの時代もせっせとよその国へ行って戦争しちゃあ若い人をたくさん死なせてるから、いつの時代も戦場の経験のある退役軍人に事欠かなくてそういう連中が映画に出てくることも珍しくないし、その経験が映画のなかでほのめかされた場合その映画の基底や伏線にそれがあることがふつうだ。

この映画のもとになった事件の張本人は2011年までドラッグの運び屋をやって2016年に92歳で亡くなったが、第二次世界大戦イタリア戦線に派遣された退役軍人だったらしい。映画の舞台を数年繰り下げるために第二次世界大戦から朝鮮戦争に「経歴」を動かしたんだろうな。

とにかく70年前に戦争に行ったこのじいさんはドラッグの売人にも説教しちまうくらいハラが座ってる。この映画の面白いさのひとつは間違いなくこのメキシコ系のドラッグの売人たちと、ヤツらからは「タタ」と愛称で呼ばれるアールじいさんのやりとりとそれによる人間関係のビミョーな変遷で、それを支えてるのがアールの戦場経験だってことらしい。

しかしクルマのナンバープレートに退役軍人ってのが面白いよなあ。

面白いってばアールじいさんが、ボヤを出した地元の退役軍人会の集会所の改修費用を運び屋で荒稼ぎしたカネから出してやったその祝賀パーティーで演奏してるのが「なんちゃらポルカ・バンド」だ(パーティーの司会者にそう紹介されてる)。

アメリカの田舎じゃあこういうお祝いごとのパーティーなんかに呼ばれて演奏するのがポルカ・バンドだってことをおれが知ったのはもう30年くらい前になるんじゃないかと思うんだけど、〈ブレイヴ・コンボ〉つうポルカ・バンドがいっとき日本の物好きな音楽ファンの間でちっこいブームになったその時だったと思う。

〈ブレイヴ・コンボ〉は何回か来日して河内音頭の河内家菊水丸とアルバム(たしか持ってると思うんだけど)を作ったりしたこともあるんだけど、パーティーの景気づけにポルカ・バンドが呼ばれて演奏するなんてまさか「大昔のハナシ」だとばっかし思ってたら今でもあるんだなーアメリカの田舎じゃあ。

まあ、じじいばっかの退役軍人会のパーティーだからってのもあるんでしょうが、バンドがなきゃ呼ばれないしバンドのメンバー自体もべつに年寄りってことはない(ブレイヴ・コンボが今も活動してたらもっとジジイでしょうが)。ようするに田舎のダンスバンドとしちゃあ今だってべつに当たり前の存在だってことなんだろうね。

だけどなんか、スクリーンにこのシーンが出てくるといかにもアメリカ(しかも西南部のイナカ)って感じなんだよな。

音楽っていえばアールじいさんはヤバいブツをピックアップで州を越えて運ぶ間ずっとカーラジオをつけっぱなしにして、流れてくる音楽に合わせてノーテンキに歌ったりしてる(よーするにヤバいブツ運んでるって緊張感がない)。たとえば〈More Today Than Yesterday〉なんて歌が流れる。この曲はたしかエンディングちかくで再び流れたからこれもある種キーワードかもしれない。

いやそれもそうなんだけどドラッグの売人一味はアールじいさんを信用してないから、じいさんのピックアップにひそかに盗聴マイクを仕掛けて緊張の面持ちでそれに耳を澄ませながらハイウェイを追走してるわけだ。

そうすると盗聴マイクを通して売人たちの耳に届くのはアールの聞いてる〈More Today Than Yesterday〉だったりするわけだ。しかもアールの歌声までカブって。そうすると、なんなんだこのじじいのユルさはって最初ムカついていながら、そのうち聞こえてくる音楽に合わせてつい歌っちゃったりする悪党どもがいたりしてさ。

ところでこれは犯罪映画で、老人映画(イマドキは増えてるからねえ)で、ある種ロードムービーでもあるから、アメリカ映画じゃおなじみの平屋のモーテルとか、そのとなりにあるダイナーなんかも出てくる。

モーテルで1泊した朝(前夜このモーテルでひと悶着あった)、アールじいさんは出発前にそのダイナーにやってくるんだけど携帯マホービンを手にしてる。そしてダイナーのオバチャン(これもステレオタイプな存在だよな)に、コーヒーをこのサーモスにも満タンにしてくれよと言いながら銀色のマホービンを手渡す。オバチャンは当たり前のように笑顔をじいさんに返しながらマホービンを受け取る。

これ、きっとフツーの光景なんだろうな。クルマで旅するアメリカ人にとっちゃ。

でこの朝のダイナーのシーンもけっこう面白い見せ場になってる(と、おれは思う)んだが、それは見てのお楽しみ。

つうわけで、おれの印象としちゃあ上のポスターのすごくシリアスで深刻そうな感じとはちょっと違う映画な気がする。なにしろこのアールじいさんは身勝手で俗物でちょっとスケベで思慮の浅い、しかも説教好きなただのじじいなんだよな。

ところでこの映画のもとになった実話の張本人の顔もネットで検索すると出てくる(だけど、アールじいさんも実話の張本人もインターネットが大嫌いだ)。その写真を見るとアタマはげちょろけでヨレヨレのクリント・イーストウッドといい勝負なじいさんでさ。

その髪の毛も相当さびしくなってシワくちゃのアールじいさんは劇中2回ばかり女性から、あんたジェームズ・ステュアートにそっくりねと言われる。もちろんそんなこと言うほうだってばあさんに決まってる。

最初にそう言われるときなんてアールじいさんはベビーコードレーンのシアサッカー地の上下にボウタイをしてキメてたりするんだけど、全体にイナカくさく年相応にヨレでもいる。

あのジェームズ・ステュアート似っつうひとことも、あのくらいの年齢のアメリカ人にとっちゃありきたりの、「いちおうバッチリきめてきた男」にたいする大して意味のないお世辞だったりするのかなあ、なんて。

イーストウッドはローハイドの昔から、荒野の用心棒の頃だって、ダーティハリーの頃だって、それからシワくちゃじじいの今だってジェームズ・ステュアートに似てた時代なんて一度もなかったよな。いつも眉間にタテジワ寄せて眩しそうな目をしたまま88歳になっちゃった。




by god-zi-lla | 2019-03-09 07:23 | 物見遊山十把一絡げ | Comments(12)
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どうしちゃったのかねえ。こんな季節にこんな長雨ってありましたっけ過去に。

おれは全然わかんないんだけど、雨降ると花粉が飛ばなくてちょっとラクとかあるんですかね。だったら多少のご利益はあるってことだね。洗濯干せなくて困るばっかでもなく。

まあいいんです、そんなこたどーだって。

ぢつはこのときムリやりダブルアーム復活さすのに、トーレンスの下に高さ稼ぎの板っぺらが必要になってさ。なにかないもんかと家捜ししてみれば作りつけの戸棚の棚板が1枚。使わずに取り外してあったので寸法計ってみると、お誂え向きたぁこのことだなってくらい丁度ドンピシャだったもんだから、おーほっほっほ、なーんて喜び勇んで使っちゃったのよ。

もちろん奥さんに無断で。

まあとりあえずそこに1段なくても当面困らないっつうか、収納してある荷物の寸法がそれでよかったから外してあったわけでね。使わないで仕舞っとくよりか使ってお役に立ったほうが棚板の野郎だって、このまんま捨てられたりしたらどうしようなんて、いらない気を揉まなくっていいだろうというようなモンである。

それがあなた。

いることになっちゃったんである。入れとく荷物が変わったから、こんだはおまいさんに出番が回ってきたよって。

つか、おれが自分でこの戸棚の荷物の片付けしてたら、おー、ここんとこに棚板1枚ありゃあバシっと整理がつくじゃんか。あれ? だけど、たしかここに入る棚板もう1枚あったよなあ。どこへ仕舞ったっけかしらん。

こういうのを「耄碌」というんである。

「耄碌爺ィ、いま何時?」
「もう6時」

つまらんこと言ってる場合ではない。

半日くらいウチんなかじゅう探し回ったのに見つかんない。しゃーない、ちょっと休んでレコードでも聴いてやろうじゃんと思ってトーレンスの前に立ってようやく気がついた。あたたたたたたた。そういやあのときトーレンスの下敷きにしたのはおれだった。どうしましょ(どうしましょじゃねーよ)。

んーむ、こりゃあ悪事が露見するまえに隠蔽せねばなるまい。しかしこのまま元に戻したらせっかくのダブルアーム大作戦が頓挫してしまうじゃないの。この期に及んで選択の余地などあるはずもない。代わりの板っきれをなんか買おう。

この際だからハンズにでも行ってベニヤを切ってもらおうかな。んー、それもいいけど、やっぱ一応オーディオ用だし。おれも一応オーディオマニアだし。せっかくだから、なんかここにちょうど良く収まってくれるオーディオボードとかないもんかなあ。それもそんなに高くなくて、外見もフツーっぽいやつ。

まあ、そうは思ったもののホントはそんなに都合良く見つかるとは思ってなかったんだけどね。そしたら、ありやがんの。短辺はほぼ棚板と同寸、長辺は1.5センチほど短く、厚さはもほぼ同じ。アコリバの〈ヒッコリーボード RHB-20〉ってのがドンピシャ寸前ってことがわかった。もう買うしかないね。およそ2万円。まあこの際、高くないということにする。

よーし、これで隠蔽工作はカンペキだ。外した棚板は、そおーっとモトのところに戻しておこう。ねえ、ここの棚板ってどっかに仕舞った。あーそれならここにちゃんとあるよ、ホラね。いつでもすぐに使えるよ。なんちて。



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そしてトーレンスをどけたGTラックの上に置いてみるとこんな感じだ。んー、ダークな色合いで写真じゃちょっとわかりにくいかもしれませんけど、いいではないか。ちゃんとダブルアームの台も奥のほうに置けました。トーレンスを戻すとほとんど見えなくなっちゃうんだけど、いかにもヒッコリーって感じがとってもいいよね。よくわかんないけど。

もとの棚板もそれなりに重たかったけど、これはやっぱりずっしりと重い。やっぱオーディオ用品て感じですかね。もしかしたら音も良くなるかもしれない。いや、それはあまりにメーカーに失礼な物言いというものであるな。きっと良くなったと思いたい。

しかしそれを確かめることが出来ない事情がちょっとあるのであったが、その「事情」についてはまた近々のうちにあらためて。

by god-zi-lla | 2019-03-07 17:37 | オーディオもねぇ… | Comments(0)
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つうようなわけで伊豆の河津に桜見物に行ってきたがそれはいずれまた。

ヴァン・モリソンて人はおれにとっちゃうんと遠い人で90年代の初めころ、なにかのきっかけでその頃出たCDを数枚買って聴いてみたがそれっきりになっていた。

それがなんだか知らないけど、先月たまたまこの2018年にオルガンのジョーイ・デフランセスコと共演したアルバムから何かをどっかで聴いて、うおーこれいいじゃんとビックリしてからApple Musicであらためて全曲聴いてみたんだ。そしたらやっぱりいい。んーむ、こういう人なんだっけ。なにしろ前回ちゃんと聴いたのが90年代のことで全部忘れてる。

で基本的にストリーミングで聴いて気に入れば、あとの段取りはブツを買い求めるのみ。ストリーミングの音楽はアッチの勝手な都合(会社が潰れるとか儲からないからヤメちまうとか)で消えてなくなることがあるが、ブツをひとたび手に入れてしまえば消えてなくなるのはテメエの責任だからさ(ダウンロードしたデータ含めて)。

そしてもちろんレコードがあればレコード買うわけで、レコードがあったのでレコード買った。

〈You're Driving Me Crazy〉というアルバムが写真だ。2枚組み。ハラの出たオッサンふたりがリムジンの後席でだらしなく座っている多重露光の写真のようなカヴァーアート。CDならまだしもLPサイズだとなんかクドい。

どう言っていいんだかわかんないけど、ブルーズとジャズのあいだでトラックによって、あるいはひとつの曲のなかでも少しブルーズのほうに寄ってみたりする感じだが、基本デフランセスコのオルガンがでへでへどりょどりょと(レスリースピーカーの音のつもりです)鳴り続けてるからジャズったってそれはファンキーだ。

ところで、こんなに良かったんでしたっけヴァン・モリソン。ひょっとして20年以上たっておれの嗜好が変わったんかとこのレコードを何度も聴いたあとで昔買ったCDを引っぱり出して聴いてみた。ジョン・リー・フッカーと共演してるヤツ。

そうするとやっぱなんかしっくりこない。シブく歌うジョン・リー・フッカーの横でみょうに声のデカいヴァン・モリソン。B.B.キングやバディ・ガイみたいな地声の相当デカそうなおっさん相手ならまだしも、そうでもないフッカーとこれでいいのか、とか、しょせんブルースマンてのはひとりで歌う人なんだからさ、とか思っちゃうのであった。

もしかしたらおれは90年代にもそんな感想を抱いたのかな。まるっきし思い出せない。でも、とにかくまあデフランセスコのオルガンとトランペットをバックにクドい歌い回しで歌っちゃあデヘデヘと品なく笑ってる今回のヴァン・モリソンを気に入ってしまったのは間違いない。

なるほど中身のクドさがジャケットのクドさと意外とマッチしてんだな。

ところでこのアルバムのあとすぐにまたジョーイ・デフランセスコをバックに歌ったアルバムを出してたと知ってApple Musicで聴いてみたんだ。そしたら、まだいっぺんしか聴いてないけどこっちのほうがもうちっとジャズから遠ざかって品無くブルーズっぽい感じにきこえる。おーなんか、こっちのほうがさらにおれの好みかもしれない。

そうするとレコードが。






by god-zi-lla | 2019-03-01 09:40 | 常用レコード絵日記 | Comments(0)