神はどーだっていいとこに宿る


by god-zi-lla

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ピーター・バラカンのラジオを聞いてたらライル・メイズが亡くなったんだという。なんでもここ10年くらいはもう音楽の仕事をしてなかったみたいだ。これでPMG=パット・メセニー・グループの最終アルバムは2005年の〈The Way Up〉になっちゃったってことだろうな。

ライル・メイズは上の写真の右端、グラブとボールが乗ったキーボードを弾いてる黒メガネの長髪野郎である。

もう何遍もブログに書いてる気がするけど70年代のケツから80年代はじめにかけて、おれはパット・メセニー・グループのレコードに助けられてきたようなところがある。人によっちゃあそれはチャラチャラした単なるハヤリもんのフュージョンミュージックにしか聞こえなかったかしんないけど、まあそういう人とおれはアカの他人だ。

そうクヨクヨしなさんな、今を抜ければきっといい日も巡ってくるさ。おれにとっちゃ40年くらいむかしのその時期、パット・メセニー・グループのレコードは日々そう励ましたり慰めたりしてくれる音楽なんであった。

もちろん今だってヤツらのレコードをかけるとそういうふうに聞こえてくるんだが、そういうふうに励ましたり慰めたりしてほしいと切実に思うことは(うれしいことなのか残念なことなのかわからないけど)おれのほうにもうない。

ライル・メイズの音楽については4年くらい前のエントリーでこういうふうに書いた。読み返してみると、いまもそのとおりのことを思ってるのでとくに付け加えることもない。

ただ、ここ10年くらいはもう音楽活動をしてなかったと聞くと、ライル・メイズの音楽というのはパット・メセニーとともにあってこそ光り輝く種類のものだったんだろうなあと、あらためて思わざるをえない。だけど逆にいうと、パット・メセニーもバンドにライル・メイズを得なければ、ああやって世界に出て行くためにもう少し余計な時間を必要としたんじゃあるまいかって気がする。

上の写真は80年のアルバム〈AMERICAN GARAGE〉のジャケットの裏だ。ECMはトリオが国内盤を出していて、ジャケットのまん中らへんに懐かしいロゴが印刷されてる。これをたぶん発売すぐに買ってきて(ECMの本国盤は枚数が出回らないうえに値段も高かった気がする)毎晩毎晩繰り返し繰り返し聞き続け、そして助けられる日々だった。

10年くらい前にドイツ盤のオリジナルも手に入れたけど、だけどまあライル・メイズが亡くなったと知ってごく個人的な感傷に浸るならこっちだと思った(おんなじ絵柄だけどさ)。

もうPMGのリユニオンは永遠にないんだな。メセニーが古希を迎えるころにはと少し期待してたんだけどさ。あったとしてもライル・メイズ抜きのPMGに意味を見出すのは難しい気がする。少なくともおれには。

ライル・メイズは53年生まれで享年66歳だったそうだ。



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去年手に入れた88年のライル・メイズのアルバム。そのうちブログになんか書いてやろうと思ってるうちに日が過ぎて、本人が死んでしまった。

ゲフィンのアルバムで、エグゼクティブ・プロデューサーとしてパット・メセニーの名前がクレジットされている。ジャケット右上に貼ってあるステッカーには「パット・メセニー・グループのキーボーディスト」とある。

それはそうなんだけど、ちょっと寂しいかな。



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(追記)
いま突然思い出したんだが、〈AMERICAN GARAGE〉はラジオでA面1曲目〈(Cross The)Heartland〉がかかってるのを聴いてイチコロでヤラれた。それですぐにアルバムを買いに走ったんだった。





by god-zi-lla | 2020-02-23 23:27 | 常用レコード絵日記 | Comments(0)
つうわけで久しぶりの昼メシコーナーなんでした。こんなモンを少数とはいえ面白がってくれる方がいらっしゃるのがじつに恐縮というか、困ったもんである。

とはいえ、毎日ヘンテコリンなもんデッチ上げちゃあ食ってるわけじゃない。寒くなりゃあウドンが続くし、夏は夏で連日ソーメンすすってたりするわけだ。それに晩メシの残り物を添えるだけとか。

そんなこんなで昼メシ作って食っちゃスマホで撮ってはみるものの、後で見返してみればあーこれは前に載せたよなーっつうのばっかでさ。そりゃそうだよ。こんなことをかれこれ10年もやってんですから。もうネタはとっくに尽きておるわい。





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これなんかもうこのブログに何回登場したかわかんない牛バラ煮込みのぶっかけご飯。晩メシに作ったこれが少し残るとホントうれしい。翌日の昼が楽しみだもんな。自分で作っていうのもナンですが、これはマジうまいっす。だけどウマいもんがそうそう沢山残るわけはない。なのでブロッコリの茹でたの乗せて増量せり。2019年4月5日。




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タケノコご飯。これも前の晩残るとうれしいよねえ。でも同じくコイツも残ったってせいぜいが茶碗に軽く一杯あるかないか。なのでこの日は「タケノコご飯セット、あったかいソバでお願いね」と自分で自分に注文出してかけソバ一杯こさえて一緒に食ったのであった。あーもちろんタケノコは自分で茹でたヤツだからね。2019年4月20日。



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ナポリタンのズッキーニ入り。ただそれだけのことよ。

残った野菜を「処分」するのはおひとりさまの昼メシの重要な任務である。もちろん処分先は自分の胃袋なり。不法投棄はイケマセン。2019年5月18日。




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これはねえ、モツの味噌煮込みをあっためたウドンにぶっかけただけ。いきつけの飲み屋で「沢山買ってきたからひとつあげるね」と言われて貰ってきた調理済みのモツ煮込み。どっかの(どこだか忘れたけど)有名な店だっていうんだけど、こりゃあたしかにウマい。

モンダイはこの頂き物のモツ煮込み、500グラムと結構な分量なんである。しかも困ったことにウチの奥さんこのテのオカズが得意じゃないときたもんだ。仕方ないからおれがひとりで昼メシに食うことにする。

たしかこのとき4日くらい続けてこのモツ煮込みを昼メシに食った気がする。ウドンにぶっかけたり。白いご飯で食ったり。

どうなんですかね健康という観点からこういう昼メシってば。

青い小ネギは刻んで冷凍してあったのをひとつかみしたから霜っぽい。こういう小ネギは絶対使い切らないうちに萎び始めるから早いうちに見切って全部刻んで冷凍するが吉。2019年11月22日。



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チクワの卵とじ丼。そんだけのもんさ。2019年12月26日。



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かき餅ちからそば。面妖なり。

冷凍庫に眠る、緑色のナニモノかが入った薄切りのモチのようなものの真空パックが長いこと気になっておった。だいぶ前にだれかに貰ったのをそのまんまフリーザーに放り込んだみたいだが、いったいだれに貰ったこれはなんなのか思い出せない。たぶんモチだろう。色からするとヨモギでも入ってるのか。

おそるおそる取り出し油で揚げて、かけソバに乗っけてチカラそばということにした。

するとこれはモチではなく多分かき餅で、しかも緑色はヨモギじゃなくって青ノリであることが判明したのである。揚げたらちょっとヌチャっとした。

まあしかし青ノリの香りも悪くないし、一時はどーなるかと思ったが意外に真っ当な昼メシになったんであった。2020年1月5日。



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けんちん炊き込みご飯。これは珍しいよ。何が珍しいってひとりの昼メシにご飯炊いたんですから。

前夜のけんちん汁がわずかに残ってた。しかも汁はほとんどなくて具が残ってる。どうすべ、こんなモン。しかもフリーザーに冷凍ご飯の在庫がない。

で、ふと思いついた。コイツをご飯に炊き込んだらどうだんべ。小さい土鍋で炊いて、そっから茶碗によそって食えば洗い物も少なくてすむんじゃあるまいか。電気炊飯器で炊くより直火で炊いたほうがずっと早く炊き上がるしね。

これはしかし見栄えは良くないけど、おひとりさまの昼メシ的には絶品級でしたね。おこげもうまい具合に出来たし。いやーこれはまたやってみよう。2020年1月17日。



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中華丼みたいなもの。前の晩、白菜やらなんやらと豚肉で中華風の炒め物をこさえて食った。炒めただけだから汁気はない。フリーザーに冷凍食品の「シーフードミックス」つうのが残ってたので、それを少し取り出して野菜炒めの残りと炒め合わせ少し味を足したのちお湯と紹興酒少々を差して煮込み、片栗粉でトロミをつけてご飯に乗っけた。

まあ見かけどおりの味のもんです。2020年1月29日。



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ポトフのスープが残った。「具」の残りはベーコンと牛肉が1個ずつ。おれは市販の調合済み「カレー粉」というのはめったに使わないんだが、奥さんが市販のカレースパイスセットを調合したカレー粉があるのでそのスープをやや煮詰めて味を濃くしたのち、くだんのカレー粉を投入さらに仕上げにガラムマサラを少々。

これは意外にイケたね。ポトフのような煮込み料理って大量に作らないとウマくないから、老夫婦だけだとどうしても何日も続けて食わなきゃなんなくなる。最初はウマイウマイと食ってても最後は飽きる。そうか、このテがあったか。こうすりゃまるで別モンだ。それになにより各種肉野菜のダシが効いてるからウマいに決まってら。なんで今まで思いつかなかったんだろか。2020年2月12日。

ところで今回は前回までのように皿全体ドンブリ全体の画像を載せるのをヤメて、小汚いところをできるだけ隠蔽すべく大胆にトリミングすることにした。今までは全体を見てもらったほうがビンボ臭くて小汚い感じがよくわかるかと思ってそうしてたんだけど、まあなんちゅうか、自分でも小汚い昼メシにウンザリしてんだろうな。

つうわけで、これで11か月分だからさ。このぶんだと次回は来年中にやれるかどうかすらアヤシイ。それにさ、奥さんも勤めを辞めてフリーになったからウチにいることが増えた。つまりウチで昼メシ作って食っても「おひとりさま」じゃないことが多くなった。「おひとりさまの昼メシ」の機会そのものが減ってるんである。



なので事情ご賢察のうえ次回を期待せずにお待ちくださいませ(誰も待ってないって)。










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by god-zi-lla | 2020-02-16 22:43 | 食いモンは恥ずかしいぞ | Comments(2)
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もう2月か。そういえばまだ一度しか小豆を煮てない。あったかくなる前にもういっぺんぜんざい食っとかなきゃな。早くしないとこのぶんじゃじきに春が来てしまう。まったく困ったモンだ。

いちばん左の取って付けたようなヘンなのは、図書館で借りて先に返した本の写真を取って付けたんである。

その取って付けたとこから。

芝園団地に住んでいます 住民の半分が外国人になったとき何が起きるかるか 大島隆(明石書店)図書館
化物蝋燭 木内昇(朝日新聞出版)
壱人両名 江戸日本の知られざる二重身分 尾脇秀和(NHKブックス)
我らが少女A 高村薫(毎日新聞出版)
主夫と生活 マイク・マグレディ/伊丹十三・訳(アノニマ・スタジオ)

読んで初めて、じつは日本人ばっかだった公団賃貸団地に中国人が住むようになって生じる軋轢、なんて単純なハナシじゃないらしいというのを知った。日本人は勤めをリタイアした老人だけの家庭あるいは独り住まいが大半なのに(しかも賃貸だから経済的には必ずしも豊かだとはいえない)、中国人のほうといえばIT系企業に勤める(つまり経済的にはそこそこ余裕のある)働き盛りの夫婦に比較的小さな子どもたちという家庭がほとんどだっていう。

これって日本人同士でも軋轢の生じそうな組み合わせじゃんよ(近年はとくに)。

年寄りと若者じゃ日本人同士ですら生活習慣だって大違いなんだから、そこにコトバだの出身国だの生活レベルだののモンダイまで加わって、つまり日本人と中国人(が大半の外国勢)の軋轢ってことだけじゃ全然ないんだなっていう、その指摘ひとつとっても知らないことばかりで面白い。

それでも、そこそこの平和な暮らしは保たれていている。この団地は旧住民の日本人と新住民の外国人が比較的うまくやってる団地として知られているらしい。

著者は離婚して独り暮らしをするにあたってこの団地に越してきた新聞記者で、だからその目が住民であり新聞記者でもあるというとこも面白い。なので自治会の役員も引き受けて一緒にいろいろ困ったり戸惑ったりもしながら、いっぽうそれが取材活動になってたりもする。この立ち位置は面白そうだが難しそうでもあるよな。これ、書いてもいいですかって、いちいち聞いたりしたんだろうか。

そもそもは日本経済の成長と団地の老朽化などにともなって空き家が増えてきたとき、日本人の居住に限るという制約を取っ払ってとにかく目先の収益確保に走り、さきざき当然起こりうるであろう新旧住民の間に生じる諸問題への対処をすべて住民に押しつけて知らん顔したURの経営方針に問題の根っこがあったらしい。

木内昇という小説家のことは全然知らなかったけど「手練れ」ってやつだな。残していった人のことが気になってこの世に残って周囲の人に頼んだりする幽霊というようなね、そいうい話をまとめた江戸弁の短篇集。寝床で読むにはちょいと背筋のすうすうするとこもあるかも知れないけど、ちょいと気の利いた味わいです。

村の百姓「A兵衛」が町の金貸し「B右衛門」なんてことがたまにあったらしい。あるいは紺屋の主「C左衛門」が地下官人「D之進」だとか。高利貸しの「E助」がじつは御家人「F之助」だとか。いや「幽霊」じゃなくて「壱人両名」。江戸期、庶民はひとつの「人別」によって身分が固定されてたはずなのに例外が意外にけっこうあったというんだな。ちゃんと言えばそれは違法であるはずなんだけど、まあそれで誰も迷惑してないし本人もそれでオッケーならオッケーじゃんということだったらしい。

そもそもこの研究の一次資料がことごとく当時の訴訟記録だっていうんです。つまり問題にならなければ問題にしないんだけど、モンダイになっちゃったからモンダイにせざるをえなくなって評定の場に持ち込まれてくる。持ち込まれるから役所は記録に残す(当時のお役人さまはたいしたもんだったんだなあ)。それでそういうことがあったというのが後の世で知られる。

あっちであの名前と立場でこうやってるヤツが、こっちでこの名前でこんなことやってるのが迷惑だから裁いて下さいと訴え出る人がいるわけだ。そうするとその迷惑の中身もさることながら、そうした二重身分そのものが「違法状態」だから、訴状にそう書いちゃった以上、それを是正させるようになんらかの処置をせにゃならなくなる。つまり裁判になった時点で初めて公になってくる。

役所のほうも、そういう例があることは重々承知しているもんだから、穏便にやってればそれでいいのに面倒なヤツらだなあ、でも裁かないわけにはいかんもんなあというような態度だったみたいね。なんかわかる気がする。

そういう「二重身分状態」になるにはそれぞれいろいろの事情があってのことだったようだけど、たとえば御所の年に一度だけの行事のみ仕事のある要員を常雇いにして食わせる経済力は朝廷になかったから、そういう人は「パート」で雇うことにした。だけど朝廷には朝廷の体面ってもんがあるから表向きは朝廷にフルタイムで仕える「地下官人」ということにする。だけど実体は洛中の商人だと。

お百姓の場合、領主に納める年貢というのは村単位で決められておりそれを頭割りする。「人別」上の百姓の数がひとり減るとひとりアタマの負担が増える。なので実体としては町で暮らし、金貸し専業でやってる人でもちゃんと「村にいる」ことにして、その年貢分は金貸しの上がりのうちから出してもらったほうが双方都合がいい。だから村の人別は残り、町の人別にもダブって載ってたりする。

それで八方うまくおさまるなら、まあまあそれでよしと。

ちなみにそうした状態が消滅するのは維新政府が戸籍制度を確立したことによってだそうだ。

合田雄一郎は登場するがこれはミステリーではない、っつうことに途中で気がついた。我らが少女Aは重要参考人だが別の殺人事件の被害者で死亡。つか殺されたことによって重要参考人として浮かび上がってくる。まったくじつに浮かばれない人生である。そして彼女のかつての同級生たち。これはなんちゅうか非常にねじくれかつ痛々しい青春群像というようなモンではあるまいか。合田雄一郎がかつて捜査し迷宮入りした殺人事件の犯人は最後まで読んでも上がらない。

まあ驚きませんけどね。だけど最後まで一気に読んだ。ダメなひとはダメかもな。

アメリカのコラムニスト氏は主婦だった奥さまと交換で期間限定で「主夫」になった。あーそこんとこからおれんちとはまるで違ってんですね。おれんとこの奥さまはいまだかつて「主婦」だったことがない。おれんとこは結婚以来ずっと、いわゆるひとつの共稼ぎってヤツです(共働きとかダブルインカムとかも言いますけどね)。

そういう意味でこの本に書いてあることはおれにとっちゃ「他人事」なんである。しかも古き良きアメリカだもん。ますますなんの関係ない。多分これから「主夫」になろうかなーなんてことを考えてる我が国の「専業亭主」の参考にもならんね。

この本はね。まず第一に伊丹十三の名調子を楽しむべき本です。これは見事なもんです。伊丹十三が万能の天才だったとわかる。長いこと絶版だったのを復刊したようだけど、きっと伊丹十三の本として読むための復刊だね。「新訳」なんかにしたらこの本を日本語で読む楽しみの99.5パーセントほどが失われるのは間違いない。

そこいらへんのことは巻末にある内田樹の解説がきわめてビターかつ面白い。この解説はいいね。さすが内田先生。だけど本文あっての解説で、しかもその本文に伊丹十三訳という以外に現代日本でそれほどの存在価値があるとも思えないところが悩ましいよな。

ちなみにコラムニスト氏は主夫を1年やった後、奥さまと新たな契約を締結している。それはつまり今後は共稼ぎでいきましょ、おうちの仕事も半々ねっていう契約なんである。そんなものは、こちとらもう35年もやってらあ。

今回の本のうち〈壱人両名〉は虎吉さんが、〈主夫と生活〉はwindypapaさんがブログで取り上げてたのを読んで心惹かれたので手に取ったのでした。じつにありがたいことである。今後ともよろしくお願い申し上げます。






by god-zi-lla | 2020-02-02 12:26 | 本はココロのゴハンかも | Comments(2)