神はどーだっていいとこに宿る


by god-zi-lla

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SPレコード本末転倒日記 あるいは、音は二の次にしてでも聴きたいものをすぐ聴きたいだけなのよ。_d0027243_11552746.jpg



そんなつもりは全然なかったのに、なんかちょっとセピアっぽい写真になっちゃった。たしかに写ってるレコードは古いけどレコードそのものが「セピア調」なわけはないんである。でもまあいいや、SPレコードですから。

つうわけで、ぐるっと針を回せばSPレコードも聴けるGEのバリレラカートリッジを買っちゃったあの時、せっかく聴けるようになったんだからSPレコード買って聴いてみるしかないじゃんか。とにかくおれはそのとき生まれて初めてSPレコードを買った。

買って聴いてみると、わかってはいたんだがLPレコードにはない独特の味わいというか色香というか、えもいわれぬ何かがSPレコードを再生した音には色濃くあってね。そんなこんなで(どーせそんなことになるだろうとは予想してたものの)、つい最初の1枚を買ったあと2枚3枚とSPレコードを買うことになってしまったんである。

いっぽうでGEのバリレラカートリッジで聴くモノラルLPレコードにはダイレクトで若々しい音の楽しさがあるんだけど、かけるレコードによっちゃあ少し荒削りというかガサツというか、ようするにちょっと心穏やかに聴き続けられないレコードがあるのに気づいてしまったんであった。んー、そうするとモノラルLPはやっぱしオルトフォンCG25Diで聴きたいよ。

だけどね。モノラルLPは元のとおりCG25DiってことにしちゃうとSPレコード聴こうと思ったときにややこしい。GEはカートリッジ上部に切り替え用の回転軸が突き出てて、コイツをグリっと180度回してSPかLPどちらかの針先をセットするわけだ。これはGEだけ使ってるぶんにはすこぶる便利なメカニズムなんだけど、その回転軸があるため専用のヘッドシェルにしか取り付けられず、そのヘッドシェルのなかでカートリッジを上下にも左右にも動かせない。もしCG25DiとGEを取っかえ引っかえしようとすれば、針圧はもちろんオーバーハングからアームの高さから何から何まで、その都度調整し直さなきゃなんないわけだ。

はっきりいってすごいメンドい。そんなこといちいちやりたくない。でもモノラルLPもSPも分け隔てなく聴きたい。聴きたいと思ったときに速攻で聴きたいものを聴きたい。

で写真に写ってるのはオーディオテクニカ製AT-MONO3/SPつうカートリッジです。つまりなんちゅうかまあ、SPレコードの再生も出来るカートリッジがあるからSPレコードを買ったのにもかかわらず、こんだはSPレコード専用のカートリッジまで買い込んでしまったわけだ。

LPからSPへ、あるいはSPからLPへ。カートリッジをヘッドシェルごとパパっと付け替えるだけで、一切なんの再調整もせずに聴きたいレコードを聴けるようにしたいと思ったらこういうことになっちゃった。

オルトフォンにはCG65Diつう、CG25Diとは兄弟分のSPレコード用カートリッジがちゃんと現役でカタログに載ってます。姿形はまるで同じだ。コイツらなら多分なんの細工もなしに取っかえ引っかえできるはずだ。でもね、高い。ちゃちゃっと差し替えるだけでLPもSPもすぐに聴けるようにしたいっつう横着な願望だけで9万円もするカートリッジを買う勇気も予算もおれにはない。これがSPレコード五百枚も千枚も持ってるとかいうなら別だけどさ。せいぜい両手で数えられるくらいしか持ってないんだから、それはやっぱバチ当たりってもんだろ(いずれ五百枚になったアカツキには晴れて…、なーんてことを考えてはならぬのぢゃ)。

そのAT-MONO3/SPをフィデリックス製のヘッドシェルMIYCHAKUに取り付ける。MITCHAKU、通称みっちゃくん(おれしかそう呼んでませんけど)は今おれが一番気に入ってるヘッドシェルだというのはもちろんだが、コイツの自重がかなりあるというのが大事なんである。

自重33グラムくらいあるオルトフォンCG25Diと、なんの調整もぜずに取っ替え引っ替えしたいのよ。オーバーハングはオッケー、オルトフォンと数値を合わせるのになんの苦労もありません。高さもまあ許容範囲だな。

CG25Diは針圧4グラムで鳴らしてますが、オーディオテクニカAT-MONO3/SPの針圧印加範囲は3.0〜7.0グラムで標準5.0グラムと説明書にある。じゃあ5グラムくらいで使うのがいいとこかな。なにしろマイクロMA505Sの針圧印加目盛りは3.0グラムが最大である。オルトフォンの4グラムだって、1グラム分はバランスウェイトを前に出して加えるっつうインチキをやってるわけだ。ホントは7グラムって針圧をぐいっとかけてやりたい気がしないでもないんだけど、さすがにトーンアームの仕様の倍以上かけるってのはね。でも「標準」の5グラムはかけてやりたい。

しかしAT-MONO3/SPってカートリッジがけっこう軽い。説明書には6.8グラムとある。ヘッドシェルMITCHAKUが16グラムと重量級ではあるものの、カートリッジと足したって22.8グラム。CG25Diより10グラムくらい軽い。コイツらをなんの調整もせずに付け替えるだけで使えるようにしたい。

で、このようにした。まずCG25Di装着状態で針圧を実測4グラムでセットする。もうトーンアームはいじくらない。それをAT-MONO3/SP(とMITCHAKU)に付け替えたとき針圧が実測5グラムになるようにする。すなわち自重の軽いぶんを補ったうえで、針圧の不足分1グラムを補う。

鉛板を乗っけてやりましたさ。みっちゃくんの背中にたっぷりと。写真のとおりでございます。ジャンク箱ひっくり返したら出てきた厚さ1ミリメートルくらいの鉛板から、ヘッドシェルの背中に乗っかるサイズを切り出して貼り付けた。1枚じゃ全然足らなくて二枚重ねにしたところ、まだ少々足らない。仕方ないのでさらに小さいカケラを切り出して乗っけてみると、ようやくなんとかなった。

それをふつうの事務用両面テープで取り付けてやろうと思ったら粘着力がまるで弱く、鉛のカタマリが「みっちゃくん」の背中からズリ落ちそうになってアセった。そこでコレならどーだとブチル系のちょい肉厚の両面テープで貼り付けてみる。その状態で実際の針圧を計ってみたところ5.3グラム。テープの重さが加わってしまった。かまうもんか。

つうのが上の写真なんでした。

まあ神経こまやかで物理法則を重んずる真っ当なオーディオマニアは絶対こんなことしない。そうでしょうそうでしょう。でもこれでCG25GiでモノラルLPも楽しめるし、SPレコードも心おきなく買えます。いや、聴けます。めでたしめでたし。

つうわけで、うまく出来た記念にSPレコード買っちゃった。へへへ。いかんね、どーも。レスター・ヤングのA面が〈Foggy Day〉、B面に〈Down 'N Adam〉。メンバーはジョン・ルイスp、ジーン・ラミィb、ジョー・ジョーンズds。タイトルには〈Lester Young and His Orchestra〉とあるけどクァルテット。1951年5月8日ニューヨーク録音だからもうLPの時代だ。

レスター・ヤングの最盛期は兵隊に取られる前だっていうけど、おれはいつの時代のレスター・ヤングも好きだなあ。優雅でしなやかで、なおかつ男らしい。でもSPだから、なんかあっけなく終わっちゃう。え? そこまでなの、みたいな。しかしきっと慣れちゃえば、そこもまたSPレコードのいいとこと思えてくるのかも知れないな。

Mercuryレーベルでノーマン・グランツのプロデュース。同じレコード番号〈8946〉のままClefレーベルのヤツもあるけど、グランツが〈Clef〉を作ったのが51年というからMercury盤のほうが先なんだろうな。

しかし、いい音だわ。たまんないよ。



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by god-zi-lla | 2020-03-31 20:05 | 常用レコード絵日記 | Comments(0)

ご近所の桜【その1】 まだちょいと早かったぞなもし篇_d0027243_18275276.jpg



つうわけで今年は花見の名所へ行くのはヤメにして、近所まわりの桜を見物しに行くことにしたんであった。

おれんちの近所には桜並木なんてものはどこにもないんだけど、その代わりといっちゃあナンだがお寺がいっぱいあってその境内に1本だけ桜が植わってることが結構ある。たくさんは植わってないんだ。あっても大抵が1本。まあ町場のお寺でどこも境内が狭いってのもあると思うんですけどね。

なんでもこのへんのお寺ってのは江戸時代のいつごろだか、大火のあったとき江戸市中のあちこちに火除地を作るためお寺さんがまとめて疎開させられた、まあ言ってみればお寺の団地みたいなもんならしいな。安政のころの「江戸切絵図」を見ると、たいがいのお寺が遅くとも安政年間にはいま現在の場所にあったってことが確認できる。

まあそんなこたどーだっていい。上の写真はおれんちからちょっと坂を上った台地にあるそこそこの広さの児童公園なり。むこうのほうに小学校低学年くらいの男の子とおとうさんがベンチでお弁当広げてた。男の子はなんだかうれしそうでね。おとうさんはテレワーク中なんでしょうか。めったにないよね、おとうさんと二人して公園でおべんと。

ここの桜の見頃はしかし、来週かもね。


ご近所の桜【その1】 まだちょいと早かったぞなもし篇_d0027243_22340498.jpg

ふくらみかけてるけど、半分くらいはまだ蕾だ。



ご近所の桜【その1】 まだちょいと早かったぞなもし篇_d0027243_22353234.jpg


戦前ここは宮様のお邸だったんだそうだ。立派な塀はその名残。そのころからの桜かどうかはわからない。



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上の公園から少し下ったところにある日蓮宗のお寺の咲きかけの枝垂れ桜。



ご近所の桜【その1】 まだちょいと早かったぞなもし篇_d0027243_22472823.jpg


上の写真を撮ったすぐ横、石段の脇に咲いているこれはハナカイドウですか? ツボミもきれいだ。



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そのへんの道ばた。セイヨウタンポポと、ダビデの星みたいのはハナニラ?



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いつもこの形に剪定してある桜が2本。けっこうな古木じゃないかと思うんだけど、枝を張らさない剪定には何か深い意味があるのでしょうか。こういう人工的な感じに整えてある桜はほかで見ないね。




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このお寺は非公開で境内に入れないんだけど、外から覗ける桜はかなり立派に見える。

つうわけでウチの近所の桜はまだちょっと早い感じだな。満開の時期になるとこのあたりの児童公園なんかでも週末は桜の下で宴会やってたりすることもあるから、来週また平日にパトロールしてこよう。









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by god-zi-lla | 2020-03-27 23:51 | 物見遊山十把一絡げ | Comments(2)



つうわけで毎日いろいろありますけど、最近いちばん聴いてるのはこの人のアルバムなのだった。

ずいぶん前(もしかして2年くらい前か)のことだけどYouTubeの〈Tiny Desk Concert〉のチャネルをぼんやりとあれこれ聴いてたところ、たまたま上の映像に行き当たったんである。おー、なんだかこの、おじさんバンドを従えて歌うメキシコの可愛らしいシンガーがやけにいいじゃんか。

Natalia Lafourcade、ナターリア・ラフォルカデでいいのか? だいたい名前をなんて発音するのかすらわからない。けど、なんかいいなあ、もうちょっと聴きたいもんだと、たまたますぐに買えるCDを(つまり選ぶ余地はなかった)1枚買ってみたんであった。

ウィキペディアを見るとメキシコの人だってことしかわかんない(それだけだったらYouTubeで本人が演奏の合間にちょっとだけ喋ってること聞いてりゃ、おれにだってわかるって)。届いたCDはと見れば、これがスペイン語だけでやんの。でもね、それでもいっこうにかまわない。音楽ってな聞こえるものがすべてなのさ(なんちて)。

上のTiny Desk Concertの演奏はわりかしメキシコ、メキシコしてるっつうか、おれのようなモンガイカンが聴いても、あーこれはメキシコの音楽だなあって感じにきこえる。それに対してたまたま手に入れた〈Un Homenaje Al Folclore Latinoamericano En Manos De Los Macorinos Vol.2〉ってアルバムはもっとヴァラエティ豊かに汎ラテン的つうか、ちょっとボサノヴァっぽいトラックとか、哀愁が溢れに溢れて、あーこれ聴いてると日本のムード歌謡曲ってこういうとこにご先祖様がいるんだろなーって感じのトラックとか、じつにさまざまですごく楽しい(すまん。ラテン音楽に詳しい人だったらいろいろ説明できるんでしょうが)。

だけどいっときあんまり聴いてなかったんだよな。それがこないだ、ふと思い出して久しぶりに聴いてみたんだ。そしたら案の定いい。

ふだん、おれはなんつうか癒されたくて音楽聴こうなんてまるで思わないんだけど、たまにはそういう時間があってもいいとは思う。

ブログに書いたことがあったかもしれないけど2011年の震災の後そんなに間を置かないころ、細野晴臣が〈Hosonova〉っていうこぢんまりとしたアルバムを出してさ。タイミング的にいって震災のときには完全に出来上がってたはずのこのアルバムが、なぜかドンピシャあの時期の沈鬱でいたたまれないような不安の日々のなかにじわじわと染みてきてさ。あの年の4月5月くらいは、このアルバムをたぶん毎日どころか日に何回も聴いてた気がする。

それでね。あれから9年たった2020年3月は、このメキシコのシンガーのアルバムがじわじわとココロに染みてくるもんだから、ほとんど毎日のように聴いているわけだ。

するとさ。あのころとは逆にさ。そんなふうに染みてくる音楽があるってことは、つまりおれの心持ちのなかにあの2011年の重苦しい気分に近いものが少し兆し始めてるってことなんだろうなあと思い当たってしまうんであった。

あーいや、そんな辛気くさいことを書くつもりじゃなかったんだよ。そんなことはともかくこのNatalia Lafourcadeつうメキシコの若い女性歌手の声と音楽が、なんともいえない心地よさだもんだからさ。

ちょっとイヤな感じに凝り固まってしまいそうな気分を、ちから任せじゃなくゆっくりとほぐしてくれる。このひとのアルバムと、先日ちょっと書いたジェイムズ・テイラーが出したばかりのスタンダード集がいまこの時期のここにあって、ほんとに助かったなあと思う今日このごろなり。



小さな机で小さなメキシコ娘が_d0027243_23481176.jpg


Un Homenaje Al Folclore Latinoamericano En Manos De Los Macorinos Vol.2 ( Sony Music Latin 19075822822 )



by god-zi-lla | 2020-03-25 23:57 | 常用レコード絵日記 | Comments(4)
アレのストレスで衝動買いしたわけではない、と思いたい。つか、そういう物欲を刺激するテのブツじゃないし(お題も長いがマクラも長いうえにサゲはない)_d0027243_22571464.jpg


なんか最近、めずらしくこのブログ更新が頻繁になってんなー、たいしたネタでもないのに。と訝っておられる方もいらっしゃいましょうが、そうなんです。お察しのとおりこれはストレス解消策のひとつでございます。

どーでもいいような話題をあーでもないこーでもないとこねくり回してれば、その間はアレのことを考えないですむからね。

あ、そうそう。今後このブログでは「アレ」のことを「アレ」の脅威が去るまでのあいだ、直接「アレ」の名前を記さないで「アレ」と表記することにしたんです。もう決めてしまったので「アレ」がなんのことなのか、もう書くわけにはいかない。

でもまあ、イマドキ「アレ」といえばアレのことに決まってるから分かるでしょ(つか、かえって煩わしいか)。

つうわけでトランスが上の写真である。トランスといってもステップアップトランス、電灯線100ボルトを115ボルトに昇圧するトランスです。いわゆるひとつの外国の電化製品を日本で使うためのアレね(『アレ』といってもむろんあっちのほうの『アレ』ではない)。

つまり別段オーディオ専用のキカイつうわけではない。だからこいつにアメリカ製の電気炊飯器なんかを繋いだっていっこうにかまわない。かまわないんだがウチにゃそんなモンないし(どこならあるのかUSAの電気釜)、アメリカの家電品(って呼んでいいのか迷いますけど)ちゃあおれんちではアンプである。

でコイツを秋葉原に買いに行ってもよかったんだけどアレのこともあるしさ(不要ではないが不急ではある)。それにどう考えたって金属のカタマリだから重たいので、ラジオデパートにあるトランス屋さんのネット通販で買って宅配便で届けてもらったんでした。

でもそれがさ。配達に来た宅配便の人は若いニイチャンでなくて、もうちっと年配の、つか、ずっと年配の、ひょっとしたらひょっとして、おれとあんましトシの変わらないふうに見えるおじさんでしかもやや弱っちい雰囲気の、どう見たっておれのほうがいかついガタイのおじさんなんである。

我が身を振り返り、ビミョーな罪悪感を感じる。

このおじさんにこんな重たいもの持たすんだったら、アキバへおれが行ったほうがよかったのではあるまいか。おれってなんか人の道を外したことしてんじゃないのかって。

話は変わりますけど、ちょっと上等なホテルなんかでチェックインするとベルボーイがさっと寄ってきて荷物を持ってくれたりなんかするでしょ。まあ、それはそういうモンだからそれでいい。でもさ、近ごろはそれがベルボーイじゃなくて「ベルガール」だったりすることが結構多い。

あれ困るんだよな。お客さま、お荷物お持ちしますったって、お嬢ちゃん、アタシがアンタに持たすのかい? こっちがもう足元もおぼつかないようなヨボヨボのじいさんならいいけどさ。どう見たって荷物持ってやるのはこっちのほうだって。お嬢ちゃんに荷物持たしたら、ほかの人が見たらまるでおれが虐待してるみたいじゃんか。

これが若いニイチャンだったらひょろひょろだろうが青瓢箪だろうが、腕の太さがおれの半分だろうが、おう頼むぜって遠慮会釈も情け容赦もなくドンと持たせるんだけどさ。

って、そういうのないですか? かりに吉田沙保里や浜口京子のような人なら別だけど、なぜかそのようなベルさんを見たことはない。

いやいやそんなことじゃないんだって。

もう、かれこれ12年近くにもなりますか。marantz 7をステップアップトランスを使わずにずっと使ってきたんだよ。こいつのリアパネルの電源コードの生えてるあたりには117ボルトと印字されています。まあ本来こいつはその電源電圧で使うべきモンであることは承知のうえで、しかしトランスを介さずに使い始めたんであった。

その前にね、そもそも我が家の電灯線にはいったい何ボルトの電気が来てるんだろうかとテスター突っ込んで調べてあった。そしたらいつ計っても105ボルトより下になることがないんだ。だったらまあいいんでないかい? 昔のアメリカの家庭用電源ってのはけっこう大ざっぱで高かったり低かったり、そもそも117ボルトなんて中途半端な数字そのものがアヤシイ。

marantz 7を100ボルトで使うと音がナマるとか優しくなるとかという話はいくつか耳にした。そうなのかもしれない。でもウチは105ボルトだしって開き直ったりなんかして。

それからしばらくしてプレーヤーとかプリアンプとか、システムの上流を屋内配線からアイソレートさせる用にプライトロンのトランスを入れたんだよ。ステップアップするんじゃなく1対1のタップから引き出してコンセントボックスを付けてさ。

で、間違いなく1対1のタップなのにテスターで計ったら107ボルトくらい出るんだよ。でもまあいいや。マランツもここに刺そう。それが11年前のことで、それ以来ときどきテスター突っ込んでみましたけど107ボルトより下だったことはないから、わがmarantz 7はずっと107ボルトで鳴らしてたわけだ。そしてそれに、なーんの不満もないまま幾星霜。

でもさ。そこはそれ。なんとなく長年にわたって「定格」117ボルトで鳴らすとどうなんだろか、とか。やっぱご老体だからちゃんと定格電圧で使ってやったほうがいいでないか、とか、そういうことを折に触れ思わないではなかったんだ。でも、やってみようってとこまで行ったことは一度もない。横着だから。

それがいまさらなんなんだと言われれば、そう「アレ」のせいなんである。言い換えるなら「アレ」のせいで小人が閑居してたら、つい不善を為しちゃったんである、ポチっと。現代の「不善」はまさに一瞬のデキゴトである。

そして届いてみると前述のごとく、宅配便のおじさんに持たすのが悪いと一瞬思うくらの重さがあるし、段ボールから出してみると(あらかじめ寸法を確認してから注文してるのに)思ったよりもデカい。んー。そういえばウチにはもうこんなブツを置く場所なんてないじゃんか。でもね。来ちゃったものはもうしょうがないんだよ。

来ちゃったものは使うしかない。まずはコイツを何か板っぺらに固定してやろう。

こういうものは経験上なるだけ厚みと重さのある材料に固定してやったほうがいいと分かってる。それに、ともかく「台座」に取り付けてやんないと、取り回すときあちこち傷つけたりして危ない。ちなみにプライトロンのトランスは東急ハンズで買ったカリンの端材に2口のコンセントボックスと一緒に固定した。いっときカリンの端材が横浜ハンズの材木コーナーにいっぱい積んであってさ。そのときにけっこう買い漁ったんだよね。

でもさすがに10年以上前のことだから、家じゅう探してもカリンはもう風呂の焚き付けにもならんようなカケラしか残ってなかった。そのかわり21ミリ厚のシナ合板の端材が残ってたから、これから切り出して台座をこさえ木ネジで固定してみたのが写真である。

そしておもむろにコイツを壁のコンセントに繋いでテスターを刺してみたんであった。するとテスターは119ボルトを表示する。ちなみにトランス自体の定格表示では「input 100V / output 115V」となっている。

いや、そもそも壁のコンセントに105ボルト出てるんだから「100→115」のトランスなら117ボルトくらい出るよなーとは思ってたんだけどね。んー、こんだは定格より高めかあ。まあでもアメリカの電源電圧は115ボルトから120ボルトの範囲ってことのようだからオッケーってことで(だから『なか取って』117ボルトなんてハンパな表示になるんだろうな)。

それでも念のため(オッケーとか言いながら内心気になってる)、「April 1959」と末尾にクレジットのあるmarantz 7のインストラクション・マニュアル(ネットで見つけたPDFファイル)を見てみると、

Pulg the power cord into source supply 105 to 125 Volts, 50 to 60 cycles AC only.

なーんだそうだったのか、おれんちじゃ最初っからずっと許容範囲だってことじゃんか。今ごろ気づいてどーすんだ。すいません、英語苦手だもんでちゃんと目を通してませんでした(しかし、これって当時のUSAの家庭用電源事情を反映してるってことですかね。大変だねアメリカの家電メーカーは)。

つうわけで、めでたくmarantz 7は公称115ボルト、実測119ボルトで稼働し始めたのであった。スイッチオンするとパイロットランプが以前より心なしか明るく輝いているような気がするが、多分気のせいだろう。

音のほうはといえば、107ボルトのときより気持ちバリッと張りのある音になって低域の輪郭が少しはっきりしたような気もするが、気のせいかもしれない。いっぺんトランスの有り無しを比較してみればいいんだが、なにしろ横着者だもんでね。一体いつのことやら、ホントにやってみるのやら一向にわからないのであった。

つうわけでマクラばかし長くてすいません。ちなみにトランスはゼネラルトランスのU-1500EDで「オーディオや音響、ギターアンプ向き」と紹介されてます(『オーディオ』と『音響』はどう違うのであろうか)。ゼネラルトランスはアキバの老舗「ノグチトランス」を引き継いだ会社のようだね。








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by god-zi-lla | 2020-03-23 12:48 | オーディオもねぇ… | Comments(0)
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まあ、概ねこんな感じではあったからね。来週なかばくらいからが見頃ですか。

しかしいくら地ベタに座りこんで宴会やらないったって、歩くのも押し合いへし合いな上野恩賜公園や目黒川沿い、それから千鳥ヶ淵なんかはちょっとなあ。人通りのそれほどないひっそりとした桜並木とか、そういうとこを探してそれも平日にちょっと散歩するくらいが吉、ですかね今年は。

こないだに引き続き老夫婦は芝公園方向へ。もう少し咲いてるかと思ったら芝公園はまだほとんど咲いてない。あんまり聞いたことないけど「一分咲き」ってくらいですかね。とりあえずタワーの先っちょが写り込むワザとらしい写真を撮ってみましたけど、満開になりゃあきっとタワーは見えなくなります。

まあしかしアレだ。今日はほんとは歌舞伎の切符を買ってあったんだよ。それがこんなことで結局今月は初日も開かないまま中止ということになった。こういうときウチに籠もってると鬱々とした気分が積もってきて身体に悪い。だから桜もまだかもなあと思いながら、とりあえず外に出てみたりするわけだ。

そういえば今月はなにを見る予定だったんだっけなあ。もう忘れちゃったよ。昼の部には福助が出るから、それを見に行くつもりだったかなあ、なんて。

それでこのあと、閑散とした東京プリンスホテルへ入ってコーヒーを飲んでひと休み。それにしてもこの東プリのガラガラぶりはどうよ。なにしろロビーの宴席案内掲示板がすべて空白なんだぜ。こんなことってアリか。いつもの年なら短大の卒業謝恩会とかそういうのがズラズラズラっとあって、そこいらじゅうに振袖ハカマの小娘が充満してる季節じゃあるまいか。んー。

いや、ヤメとこう。おれがここでそんなこと書いて事態が好転するわけじゃなし。

それにしても今月は芝居やらコンサートやら全部中止で払い戻しになっちゃったし、このカネでウマイもんでも食いに行くかレコードでも爆買いするかなんて、考えている今日このごろである。

下の写真は赤羽橋の交差点のとこの桜。この木はけっこう咲いてましたね。五分咲きの手前くらい。この開花の早い遅いの違いは何で決まるんでしょう。日当たりだったら芝公園のほうが良さそうだしな。早い木は毎年早いし遅い木は毎年遅い。これもなにか「種」の生存のための知恵なのかしらん。

でその桜に止まって何か食ってる鳥がいる。これはヒヨドリですか?



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by god-zi-lla | 2020-03-20 23:59 | 物見遊山十把一絡げ | Comments(0)
お願いだから映画館だけは開けてて下さいまし_d0027243_23082292.jpg




つうわけで近く公開予定だった映画が封切りを延期したりするのが出てきて不安なとこもあるけど、そんな中でどうにかこうにか映画館自体は営業を続けてくれてるのがうれしいよ。

ホントありがとね、映画館関係者の皆さま。今後ともよろしくお願いします。

おれら年寄りはどうせ平日の昼間しか見ないんだから映画館そのものは大抵いつもガラガラである。となりの席に別のお客がいるっつうことはめったにない。だからそんなに気にするようなことはない気がするんだけど、ここんとこヤな感じの圧迫感がヨノナカを支配してるじゃんか。

で、なんとなく映画館に行くのが間遠になる。見たいなと思ってた映画がいつのまにか終わってたりする。如何ともしがたいけど、ちょっとモッタイナイ今日このごろではある。

それでもなんとか少ないなりに今年はきのうまでに、上のポスターの如き7本の映画を見た。

ところでさ。こんだはあの映画を見てやろうって予告編を見て決めることがおれのばやいは多い。つか、それがほとんどじゃないかと思うくらいなもんである。ネットなんかで探さないこともないが、振り返って考えればほとんど予告編で物色してる。予告編が面白そうだと、その映画のことは深く記憶に刻まれますね。

逆にいうと、しばらく映画館から遠ざかっちゃうと見たい映画の「ストック」がなくなって、そうするとますます映画館から遠ざかってしまうようなことにもなる。だから、ここんとこの状況はなんちゅうか、あんまり楽しくないわけだ。見たい映画のストックが尽きかけている。

そんなことをつらつら綴りながら上のポスターを見てハタと気づいたんだが、この7本のなかに予告編が面白そうだから見た映画がひとつもないんである。いやこれは困った。

上の段、左から二番目の〈テリー・ギリアムのドン・キホーテ〉、その真下の〈リチャード・ジュエル〉、その右の〈パラサイト 半地下の家族〉の三本は予告編とは関係なしにこれは見なきゃと思って見に行ったんだけど、上の段の左端の〈1917 命をかけた伝令〉は「ワンカットで撮った映画」という前評判がまず高かった。そして予告編を見ると塹壕から飛び出して突撃する兵士と交錯するように、弾幕のなかを走り続ける丸腰の兵士(主人公)を正面から映し続けるところがある(つまり主人公は背走するカメラを追って走ってる)。あーここのことなのかってね。

たしかにワンカットのように見えないこともない長回しのようだけど、それがどうした?。だけどオスカー候補だっていうしな。でもどこが? って感じの予告編。ちょっと引いちゃうね。

そう思って見るのをためらっていたところ、日比谷の店でたまに顔を合わせる映画のプロに「1917は見たほうがいいですよ」と勧められた。あーこの人がそう言うってことは、きっと予告編の印象と本編は違うんだろうな。じゃあ見よう。

すると案の定、長回しだのワンカットだので視覚効果を挙げてはいるけど、それだけじゃとてもすまない第一次世界大戦を描いた映画なのであった。いやー先入観でスルーしないでよかった。

それから見たばかりの〈ナイブズ・アウト 名探偵と刃の館の秘密〉は上の段左から三つ目です。これはさあ、なーんかチャラい雰囲気の予告編でさ。おれダニエル・クレイグわりかし好きなんだけど、これはヤメとくかなあって。

それがおとつい映画見に行こうと思い立ったとき、見たい映画の上映時間が合わない。だけどこれで映画見に行くのを諦めたら当節ぜってーストレス溜まりまくりだよなあと、なんとか上映時間に間に合いそうなのを探したら〈ナイブズ・アウト〉なのだった。

そしたら、これが意外と悪くないのね。まあアレだ。現代のアメリカで事件の捜査にくっついてきてチョッカイ出すようなキャラの濃い私立探偵(ダニエル・クレイグね)が出てきてさ。しまいには関係者全員のいるところで名探偵が滔々とナゾ解きをしてみせるっつう映画ですから、そりゃあもうぜってーありえねーレベルで大仰な絵空事ではあるんだ。だけどね、面白い。絵空事としてしっかり作り込まれた出来のいい映画なのだった。

でもね、予告編から想像してたのは軽薄なアチャラカ探偵コメディーだったからね。そんなもん見たかねえって。

上段右端の〈ジョジョ・ラビット〉はヒトラーユーゲントの少年の妄想に出てくるヒトラーってとこでもう引いてたね。予告編もそこんとこがメインだし。しかしその「ヒトラー」ってのは少年のアタマのなかを象徴してるだけのもので、じつは少年の母(スカーレット・ヨハンソン)がナチスに対するレジスタンス運動をしており、途中それが露見して町の広場で公開処刑されてしまうような映画なんであった。

これは予告編から受けるイメージと、なにかで読んだ監督インタビューの中身が食い違ってる感じがしたもんだから、ひょっとしてと思って見てみたら、ひょっとしたのであった。

〈再会の夏〉もそうね。予告編いきなり犬が出てきてさ。人の良さそうな老司法将校が出てきてさ。もしかして第一次世界大戦直後のフランスの「ちょっといい話」?。これ映画館がシネスイッチ銀座だったんだけど、あそこは問題作もかかる一方たまに小ぎれいなだけの映画もかかるからさ。あーこりゃ「名犬物語」かとタカをくくってたら全然違ってた。たしかに犬がカギだけどカギの握り方が想像の外の、どっかで〈1917〉と繋がっても来そうな第一次世界大戦映画なのだった。

これは予告編の「犬」でいったん引きかけたんだけど、老将校を演じてるのが〈最強の二人〉の車椅子の富豪をやったフランソワ・クリュゼだと知って随分印象が違うもんだと、それで見ることにしたんだよな。

まあアレだよな。そりゃあ最近はネタバレ、ネタバレってうるさいしさ(最近ちょっと言い過ぎだと思うね)。あんまり予告編で中身さらすのを控えてるとこもあんのかもしれないけどさ。だけどそれはそれとして、本編とあんまりにもかけ離れたイメージ発信しないで欲しいぜっつう予告編はあるよな。

さっき書いたのはたまたま予告編の印象は良くなかったけど本編見てみたらそんなことなかった、ある意味おれとしたら「幸運」な映画だったわけですけども。つうことは予告編見て、これはヤメとこって思ったなかに何本も「見とけばよかった映画」があったに違いないと思うと、なんか意味もなく口惜しい気がしてきたりしてさ。

あんまり予告編に引っぱられずに、見る時間のあるときに見られる映画を、あんまり選ばず見るほうが本当はシアワセだったりしてね。

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〈パラサイト 半地下の家族〉の横に生えてるのはミセス・ロビンソンの足です。
ポスター七本でなんかバランス悪かったから生やしてみました。

本編とはなーんの関係もありません。







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by god-zi-lla | 2020-03-18 11:07 | 物見遊山十把一絡げ | Comments(4)
誰しも考えることはおんなじなんだろうなあと、ぶらぶら歩きの昼下がり_d0027243_18444686.jpg


つうようなわけで三宅坂の義経千本桜は狐忠信を残して(おれが切符買った分は)いがみの権太も碇知盛とともに海のモクズと消え、池袋の野田秀樹も中止になり歌舞伎座といえば押されに押されて20日になった初日が、ホントに開くのかマジで怪しい。

きのうはきのうで都内で桜開花のニュースがあった途端、雨が霙になり、しばらくすると雪になりやがる。気温どんどん下がる。さむいさむい。

おかげで夜は、もう今シーズンはおしまいと思ってたのにナベなのであった。

だけどまあそんなことブツブツ言ってたって仕方ありません。一夜明けて今日は朝からちょっと寒いけどいい天気になったので、奥さんとぶらぶら散歩に出た。とくにあてはない。とにかく1万歩あるこうじゃん。

そうするとね。このご時世、同じようなこと考えてる人が多いんだね。おれらと同年配の老夫婦と何組もすれ違いました。みんなブラブラしてんの。どっか店に入ったりはしなくてね。

とりあえず芝公園に向かって歩いてゆき、桜はまだ全然だってことを確認してプリンスホテルの芝生の公園へ上がってみると上の写真のようなのだった。ちょっと寒いんだけどお弁当広げてる家族連れがいたり、日向ぼっこのカップルがいたり、飼い主を散歩さしてる犬がいたり。

やっぱ外に出て息抜きせんとなあ。ニューコロナ避けてるうちに別のビョーキになっちゃっちゃあ元も子もないもんね。YouTubeの落語もいいんだが、じいーっと座ってパソコンに向かって笑ってるだけじゃいかにも不健康だし、はたから見りゃあたんなるブキミなじじいだ。

それはともかくとしてだな。芝公園、増上寺、そして東京タワーの周辺はちょっと前までいろんな国の観光客がうじゃうじゃいたんだけど、ここんとこ日本人ばかりでさ。これはこれでなんだか落ち着かなかったりして、まったくニンゲンなんて勝手なモンだぜ。

そして、暖かくなるとバラが綺麗に咲き誇るこの西洋式の公園を降りて桜田通りを渡り、オランダ王国大使館の前を通って飯倉の交差点へ抜け、古川を「中の橋」を渡って越え赤羽橋のところから再び桜田通りに戻り(このKO大学前あたりだけを三田通りともいうが、ようするに国道1号線です)、昼もだいぶ過ぎてガラ空きのラーメン屋に入って腹拵えをしてからウチに帰ってきた。万歩計を見ると12,000歩を超えてた。よしよし。

で、帰ってきて iPhoneで撮った上の写真をMacの画面で眺めてたら東京タワーの右にかかる雲のとこになんかゴミのようなものが付着している。やだなーハナクソでも飛んだかと思って指で擦ってみたが取れない。あれっ?と思ってスクロールしてみるとゴミもいっしょに動くじゃんか。

で写真を100%にして見てみると、なーんだドローンじゃないか。


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by god-zi-lla | 2020-03-15 18:45 | Comments(0)
年金生活者にも手の届く「レコードの静電気とりのぞ器」、なんつて。_d0027243_10270349.jpg



つうわけで、こういうのはどーだ。

〈NON-STAT〉つう製品名がそのものズバリの、フィデリックスから出てるレコードの静電気をプラスイオンを発生さして中和するキカイなのであった(詳しい技術情報はここ見てたもれ)。

それというのもですね。もうずいぶんと長いこと使い続けてきたレコード静電気除去箱〈SK-EX〉がさすがにボロっちくなって、ハコそのものは壊れかかってるし中に貼ってある静電気除去シートもよーく見ると結構キチャナイ。静電気を取り除く代わりに汚れをくっつけられそうなくらいなもんじゃないですか。

そういやこれ買ったのって結構昔だったかなと古いブログをひっくり返してみると、ありゃま2008年の5月だからそろそろ11年になるんでやんの。そりゃあキチャナクもなるはずじゃん。

でまあ、根がシミッタレのおれもさすがにこれは買い換え時期ってモンだろうと調べてみたところ、どうやら今あるのは〈SK-EX III〉つうのが最新ヴァージョンならしい。お値段は28,000円ナリ。

んー、そんなにしたんだっけか。そうだよな10年前でもそんくらいした気がする。それにしたって結構たっけーじゃん。このおれがそんなお値段のブツを(しかもホントに効くんだかどうだか怪しげなハコを)よく買ったもんだ。

そういやその年の3月末で会社ヤメてきたんだった。

そーか、きっと退職金が出たから買ったんだな。

それにしちゃ28,000円はケチくせえ。結局おれらしかったってことか。ちぇっ。

まあそれはともかくとしてだな。退職金どころかそれから10年たって今は年金生活者のおれに28,000円の買い物はちょっと決心が必要である。なにしろアレだ。それ自体が音出すモンでもなく見たり聴いたりして楽しいモンでもないしさ。

それで、どうしようかなあなんて思ってたら去年の暮れあたり、フィデリックスのプラスイオン発射装置を雑誌で見つけたんでした。しかもお値段16,500円とある。なんとまああのハコより1万円以上安いじゃん。

フィデリックスといえば先般、上下に可動式のピンが出てるヘッドシェル〈MITCHAKU〉通称「みっちゃくん」(おれが呼んでるだけですけど)が理詰めな仕組みの音の良いヘッドシェルで立て続けに二つ買ってしまったくらいだから、ここの製品ならイケるんでないか。サイトの解説を読んでみれば、なるほどという感じだしさ。

写真のごとく、ケースの短辺のところに丸い穴が開いてる。上面のスイッチを押すと電源が入り、ケース長辺下のほうには銅箔テープが見えてますけど、それはケース下面を横断するように貼られていて、スイッチを押したらそこに指を触れたまま丸い穴をターンテーブル上のレコードに向ける。すると、その穴からプラスイオンが発射されるんである。プラスイオンはもちろん見えませんけど、ほのかに臭いがする(いわゆるオゾン臭ですかね)。電源は006P9Vの積層乾電池。

それをレコード片面ごとにやる。

このテのレコードの静電気除去のためのプラスイオン発射機ってずいぶん昔からいろいろ出てたけど、おれは初めて試してみたんだよ。まあそういうモンもあるんだなあと知ってはいましたけど、まわりに使ってる人もいなかったしね。それにやっぱりお値段は高かったし、そんなカネがあるんだったらレコード買ったほうがいいじゃんて気分は今よりずっと大きかったしね。

で、手に入れたのが静電気バリバリの冬の日々でもあったわけだ。まあSK-EXくらいの効果がありゃあ御の字だよなと思いつつ、スイッチ入れて盤面に穴を向け待つことおよそ5秒。それから針を下ろす。


なのであった。正直言ってここまでノイズが減ると思ってなかった。スクラッチノイズだと思ってたもののかなりの部分は静電気が引き起こすノイズだったってことか? いや、SK-EXだって入れるのと入れないのとじゃノイズの量がハッキリ違うんだが、そんなもんじゃなかった。

あたー。つまりアレか。こういう製品はおれが知ってるかぎりでも半世紀くらい前にすでにあったハズだよな。つことは、その頃からこういう効果について知ってる人がけっこういたってことなんでしょうか。いや、きっとそうなんだろうな。

フィデリックスの解説でもそういう製品が大昔からあったことに触れていて、たまたまこういう製品に活用可能なトランスが400個手元に残ってたので企画開発したと書いてある。しかもそういう先行製品をブッチ切るような絶大な効果があるなんてことはこれっぽっちも書いてない。なんとまあ奥ゆかしいことかとも思うけど、つまるところ昔からそれだけの効果があるということが知られてたから製品化しましたってことなんだろうな。

さて今日はもう春のような陽気の東京だ。ターンテーブルの上でA面B面ひっくり返すだけでバチバチきてウンザリする1月2月に使い、こいつはなかなかの優れモンだと大喜びしてましたけど、徐々に気温湿度の上がってくるこれからの季節はどう聞こえるんだろう。そのへんのところは1年通して使ってみなきゃわかんないけども、それなりに効果を通年で発揮する気がしてる。

ぼちぼち壊れかかって小汚いあのハコは処分してもいいかもな。





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by god-zi-lla | 2020-03-11 13:33 | 常用レコード絵日記 | Comments(2)
まあいろいろありますけど、たまにはヘビロテのエントリでもデッチ上げるかと、さいきんよく聴いてるアルバムのうち24/96のファイルになってるヤツだけ選ってみた。

つっても、そんなにいろいろしょっちゅうダウンロードしてるわけじゃないけどね。どうでもいいようなのはAppleMusicとかYouTubeとかでつまみ食いしてりゃいいんだから、もうカネ払ってダウンロードしちゃえばそれはヘビロテと決まったようなモンでもあるわけさ。

で最初は出たばっかりのジェイムズ・テイラーの〈American Standard〉なり。


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なんかさ。ある年頃になるとなのか、功成り名を遂げるとなのか、それともたんにレコード会社がお膳立てしただけなのか、それまでスタンダードナンバーなんか縁もユカリもなかったような人たちがそういうアルバムを作るじゃんか。リンダ・ロンシュタットとかロッド・スチュアートとかボズ・スキャッグスとかエルヴィス・コステロとかさ。あーエアロン・ネヴィルなんかもそうだな。

でさ、ほぼ例外なくゴーカなオーケストラとか、おサレななジャズ・ピアノトリオとかを従えたりなんかしてね。

そりゃまあそれなりの方々のアルバムですから悪かろうハズもないんだ。げんにあたしらなんぞのよーなものでも愛聴したりしてるアルバムはけっこう多いですから、文句なんてぜーんぜんないですその点について一切。

でまあジェイムズ・テイラーのばやいもそのようなモンかと思ったら、さすがというのかナンというのか、この人は優しい声で穏やかな自作曲を穏やかに明朗に歌う人ではありますけど、その路線を崩すことは鼻毛の先ほどだって考えるもんじゃあないぜっつう頑固一徹の人でもあったんだねえ。

ここにはゴーカなフルオーケストラもいなけりゃジャズピアノのトリオもいない。じゃっかんのサポートメンバーを従えて(ジョン・ピザレリとかすごいメンメンではあるが)ギター弾いてテイラーが歌う。ただし歌ってるのは自分の曲じゃなくて〈私の青空〉とか〈ムーン・リヴァー〉とか〈ニアネス・オブ・ユー〉とか〈オールマン・リヴァー〉とか〈イッツ・オンリー・ア・ペイパームーン〉とか14曲。

おれ、どっちかっつうとジェイムズ・テイラーって昔っからべつに好きってほどでもないんだけどさ(優しいイイ人っぽいとこが苦手なのかしら)、これはなんだか痛快でサイコーな気がする。出たばっかだけどもう何度も繰り返し聴いてます。

自作自演歌手が他人の曲を歌ってるアルバムとしたらキャロル・キングのクリスマスソング集と双璧で好きだな。

HDTracksでダウンロード。


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つぎは「くっすん大黒」じゃなくて「プッスンブーツ」つうミョーな名前のバンドの〈Sisiter〉。

よくわからんが多分まん中がノラ・ジョーンズだな。ノラ・ジョーンズはなんかいろんなグループ(きょうびは『ユニット』とかいうんかね)をやってるみたいだけど、この人らがどーゆー人らなのかよくわからない。もう何枚もアルバム出してんだってね。なんかカントリーっぽいのをやってるというので聴いてみたら、なかなか楽しいので近ごろよく聴いてます(つか、最近出たのか)。

わりかしのったらのったらした感じで、才気煥発とかそういう感じじゃ全然なくテキトーっぽく聞こえるとこも結構あったりして、なかには聴き覚えのある曲もあるんだけど、まあそういうことをあんまし詮索しないで楽しんでたほうが良さそうなユルさがあるな。

基本ノラ・ジョーンズが歌ってるけど、あとの二人が歌ってるところもある。これも言ったらまあ、ジェイムズ・テイラーと同じように功成り名を遂げた(つまりレコード会社の経営に十分寄与した)音楽家が、ある程度好きなことを好きにやってるつうところがあるのかもね。

この、なんとはなしの大ざっぱさがいいとこかな。同じようにゆったりはしててもジェイムズ・テイラーのアルバムにはそういう印象は皆無だけど。

これもHDTracks。



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これも好きなことやってるっちゃあ好きなことやってるなあ。内田勘太郎のスライドギターのソロです。アルバムタイトルを〈桃源郷〉という。

内田名人がジャラジャラジャランと弾いてるのは〈京都慕情〉、〈夜霧よ今夜も有難う〉、〈赤いスイートピー〉、〈男はつらいよ〉とかね。かと思えば〈スターダスト〉とか〈エヴリバディ・ラヴズ・サムバディ〉とか〈サマータイム〉とか和洋問わず古めの名曲を好き放題に。

こういう名曲をマイスター内田は名曲のメロディを優しく素直にスライドギターで奏でてる。まあ鶴岡雅義がレキントギターで几帳面に弾いてるのとは違うから好き嫌いはあるでしょうけど、フェイクしたりアドリブかましたりしてるわけじゃないからなんの曲やってんのかわかんないなんてことはない。いやーシミジミとしていいよなあ。

でここまでスライドギターでメロディをキモチ良く奏でることに専念してきた内田勘太郎がラスト〈教訓1〉。あの加川良の反戦フォークソングだけを「青くなってしりごみなさい にげなさい かくれなさい」ってギター弾きながら歌ってんだよ、優しい声でもって。

これはOTOTOYから。



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それから、〈If You're Going to the City: A Tribute to Mose Allison for Sweet Relief〉。モーズ・アリソンのトリビュートアルバム。これがまたいいんだよ。モーズ・アリソンをトリビュートしてんのはジャクソン・ブラウン、イギー・ポップ、リチャード・トンプソン、ボニー・レイットといったてんでバラバラのメンメンにモーズ・アリソンの娘エイミー・アリソンなどなど。

いやなんつうかモーズ・アリソンの曲をふつうにやるだけで、哀愁のあるようなお茶目なような明るいような人を食ったような音楽になるわけなので、各自自分なりのふつうでもって楽しんでやってる感じがじつによろしくて、そうするとそれでもうモーズ・アリソンを十分トリビュートしちゃってんだなあと。

おれはどれかひとつと言われたらイギー・ポップがタイトル曲〈If You're Going to the City〉を歌ったトラックかな。最初はボニー・レイットが目当てだったんだけどね。全部聴き通してみたらボニーも悪くないんだけどここは自分でも意外なことにイギー・ポップで決まりなのだった。

これもHDTracks。


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最後はこれでどですかでん。ビル・フリゼールの〈Harmony〉。ジャケ写右端にいるのはペトラ・ヘイデン、故チャーリー・ヘイデンの娘でカントリー系のシンガーなわけだがそもそもお父さんがそっちから来た人だからな。

これはもうビル・フリゼールご一行さまによる盤石のアメリカーナ・アルバムなり。これは去年ダウンロードしたんだが、ずっと聴き続けてる。結局おれ、いわゆる「アメリカーナ」と呼ばれている音楽が好きなんだな。そして、そういう名前のないころからビル・フリゼールはそういう音楽を作り続けてる。

でジョー・ヘンリーがプロデュースする音楽も「アメリカーナ」と呼ばれるわけだけど(つか、いまやヘンリーは『アメリカーナのアイコン』なんて言われ方すらされる)、そこはやはりビル・フリゼールの作る(あるいは、かかわる)音楽とはそこはかとなく異なってて、ビル・フリゼールの音楽は当然本人のギターがキモなんであった。

これもHDTracksで。

いまや大抵のダウンロードファイルはe-onkyoとかOTOTOYとか国内のサイトでも入手できるんだけど、国内サイトのほうがずっとお値段の高いことがほとんどでさ。たとえば最初のジェイムズ・テイラーのアルバムはHD Tracksでは20.98ドルで、ダウンロードした日のレートで邦貨2,390円だった。

ところがe-onkyoで同じものをダウンロードしようとすると3,871円もするじゃないか。これだけ違えば少々メンド臭くってもHDTracksで買うしかないのよ。前にも書きましたけどHDTracksなどに正面切って入っても、こういうメイジャーレーベルの音楽は日本からではプロテクトがかかってて買えない。なのでログインした後VPNに切り替えて目指すアルバムを「買い物カゴ」に入れた後、再びVPNを切って決済しダウンロードするわけだ。

今も昔も高い国内盤を買わず安い外盤を買うっつう、まったく同じ消費行動なのであった。
しかもレコードCDと違ってファイルをダウンロードする場合、国内サイトのぶんには日本語解説や訳詞が付いてるかってばそんなサービスもない。高いぶん日本の消費者にメリットがあるわけでもなんでもなけりゃ、そりゃあ安いほうから買うさ。

ラクして商売しようったって、そうはさせねえ。
なんつて。






by god-zi-lla | 2020-03-07 12:13 | 常用レコード絵日記 | Comments(2)
たまには王道の名盤でもどうっすか(The Popular Duke Ellington)_d0027243_17355083.jpg



来週は上野のコンサート、三宅坂の歌舞伎、池袋の芝居と三つもあったお楽しみが揃いも揃って全部中止になっちまって、なんかもう、ずずーんと気分が沈んじゃう今日このごろである。

まあこういときはやっぱ室内遊戯なんでしょうかねと思わんでもないが、どこも人出が少ないんであればお出かけしたほうが安心だったりしてさ。この時期、梅見はもう仕舞いかね。

しかしアレだよな。少なくとも根も葉もないデマに付和雷同してトイレットペーパー買うのに押し合いへし合い行列したりするのは、どう考えたって「本末転倒」ってモンだと思うよ(ホントに落とし紙が足らなくなって買いに行った人は困ったろうな)。

なんだか気詰まりなこういうときこそ、穏やかに心安らかに聴けるポピュラーな名盤だよ。あんましムツカシイもん引っぱり出して聴いてると眉間のシワがどんどん深くなっちまうんじゃあるまいかしらん。

つうわけで、たんなるコジツケなんですけど〈The Popular Duke Ellington〉である。ポピュラーなデューク・エリントンである。カタカナにしただけである。

いわゆるひとつの「エリントンナンバー」のなかでもひときわ有名どころが〈A列車で行こう〉を先頭に揃いも揃ってA面B面を占めている。だからポピュラー・エリントン。つまりそのまあ、なんつうか「ベスト盤」のようなモンといっても悪かないのではあるが、間違っちゃいけないのは既発盤からの寄せ集めじゃなく、このアルバムのために録音されたトラックがすべてである。

写真の右側は40年近く前に買った(最近こんなんばっかでスマンね)国内盤ですけど、そこに封入されている油井正一先生の日本語解説によればこのアルバムはハリウッドのRCAミュージック・センター・オブ・ザ・ワールドで66年5月9〜11日の3日間で録音されたとあり、それは二度目の来日公演の直前だったと油井先生は書いている。なるほど。

そして先生は続けてこう書く。


「エリントンはこれ以前にも何度か代表作の再演を行っておりましたが、ステレオ時代になってからは初めてのことであり、基本的なエリントン・カラーの上に、今日的なアダプテーションが施されている点でも、感動を誘わずにはおかぬ名盤となりました」


ここんとこ読んで、なるほどなあと思うまでに、じつは40年近くかかってしまった。なにしろ「ポピュラー」と名乗るくらいだから人口に膾炙したナンバーを一丁上がりで再演したお手軽盤くらいに思ってたし、実際聴くとハタチ過ぎの初心者の耳にもスルスルと入っていく心地良いオーケストラサウンドだからさ。

ところでね。このアルバムは音が良いことでも結構知られてるんじゃないかしら。そもそもビッグバンドジャズってのは、オーディオ装置にとっちゃなかなか厄介なシロモノではあるわけだ。少なくとも20代のころのおれのステレオ装置にビッグバンドジャズの再生は相当荷が重かった。とくにクライマックスでホーンが一斉に咆哮するとこにさしかかると、咆哮どころかほとんど音楽は崩壊状態でスピーカーは闇雲に絶叫するばかりで、慌ててアンプのボリュームを下げたりして。

それがこのアルバムだとそうはならなくて、安っちい装置でもそこそこ楽しめる音で鳴ってくれる。必然的にビッグバンドジャズといえばこのアルバムを聴くことが多くなるいっぽう、ほかのビッグバンドジャズのアルバムにはなかなか手が出ないっつう時期がずいぶんと続いたもんである。

で、ふと思ったんだけど、油井正一先生が「今日的なアダプテーション」と指摘したのは勿論その当時の音楽の流行だとかバンドメンバー、ソリストの顔ぶれとかに合わせてアレンジをアップデートしたってことが第一義ではあったんでしょうが、なにしろ大企業RCAの出すレコードだ。

もしかしたらレコード会社、プロデューサー、エリントン含め関係者は1966年当時の電蓄よりはちょっと高級なハイファイ装置でもって、中流家庭のオトーサンがリビングルームでゆったり快適に聞ける(つまりナイトクラブやダンスホールあるいはコンサート会場とは違った)家庭用ビッグバンドサウンドってのを拵えようとしたってことがあったりなんかしたんじゃないか。

つまりそういうアレンジに加えてレコードに刻むサウンドにまで「今日的なアダプテーション」を施した結果がこの無類の快適さなんじゃあるまいか、なんてことをちょっと思ったりもしたんでした。

いやもちろん、いつもの通りおれの勝手な妄想でしかないから信用しないように願いますけどね。

とにかくそんくらいこのレコードにはジャズリスナーの初心者・マニアを問わず、ステレオ装置の安物・高級も問わない快適なレコード音楽ってのがみっしりと詰まってる感じがするんだよな。

たとえばさ。油井先生が書いている通りこのレコードは日本およびアジアツアー出立前に録音されており、たぶん帰国直後にこんだは〈極東組曲〉を同じRCAに録音してるわけだ。

もちろんこれは全曲エリントンがアジアツアーの印象をもとに書き下ろしたもんだから、まあエリントンのコアなファン向けでもあったろうから内容からして前作とはまるで性格が違うわけなんだけど、収められたサウンドの傾向もなんかちょっと尖った感じで〈The Popular Duke Ellington〉とは違うような気がする(そう思って聴くからかもしれないけど)。

だからやっぱりね、選曲、アレンジだけじゃなくてサウンドやジャケットデザインまでトータルとして「ポピュラーなデューク・エリントン」つうレコードを非常に意識して作ったんじゃないかって思ったりするんだよ。

いやそんなことを考えるようになったというのも先日写真の左、ほとんど違いがわかんないでしょうけど〈The Popular Duke Ellington〉の初期盤を、飲み会の時間調整のつもりで入った新宿ユニオンで見つけて買ってしまったのがキッカケでね。もちろんおれが買うんだからジャケット表裏に手書きのラベルが貼ってあったり書き込みがあちこちにあったりするキチャナイ徳用盤なんだが、さいわい盤そのものはほぼ無キズでノイズもほとんどない。

いやー聴いてみると案の定というか、国内盤でもじゅうぶんいい音だと思うんだけど、もう40年楽しませてもらった国内盤を聴くことはないかもなあという、なんつうかもう一段艶が乗りパワーも加わった感じのする音でね。ひょっとしてこれはたんなるお手軽再演盤なわけはないぞ。最初から「気軽に聴けるデューク・エリントン・オーケストラの名盤」にするつもりでエリントンとレコード会社が練りに練って作り上げたアルバムに違いない。そう信じたくなる音なのであった。

ところで話は変わりますけども、我が家のスピーカーJBL L101ランサーは1965年に登場している。このアルバムの1年前だ。ひょっとしてこのへんのスピーカーで聴かれることを想定してたかもなあなんて、それはハナシとして出来すぎってもんですかね。

それで、いまちょっと検索してみたらあのAcoustic Research AR3aも1966年発売だった(オリジナルAR3は59年)。もしかするとこの時代、アメリカの中流家庭のリビングルームに無理なく収まる高性能な家庭用ハイファイスピーカーが次々登場したブレイクスルー期だったってことがありますか? そこをエリントンとRCAは狙い撃ちした? んー。ひょっとしたら、出来すぎということもないのかもしれない。




こうして芝居もコンサートも中止になった憂さを妄想で晴らす日々なのであった。


たまには王道の名盤でもどうっすか(The Popular Duke Ellington)_d0027243_17360776.jpg



国内盤 RJL-2515(油井正一の解説は必読。和文ライナーはこうでなくっちゃ)
米盤 LSP-3576








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by god-zi-lla | 2020-03-02 11:04 | 常用レコード絵日記 | Comments(2)