いまの日本、アベがボトルネック


by god-zi-lla

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居間に初見参はモニターオーディオのちっこいヤツ_d0027243_13141882.jpg





去年、焼きかつおスピーカーってのをみんなで集まってこさえたんであるが(考えてみりゃあ、あのときはまだ平和だったんだねえ)、全員無事完成記念の打ち上げにいつもの湯島天神下の小体な居酒屋で刺身やらクロムツの煮付けやらを肴に一杯引っかけ、旨酒の余韻と一緒に気持ち良く抱いて帰ったくだんのスピーカーを、翌朝物置き部屋の装置に繋いで床に転がしFM放送など聴いてみたところが意外なくらい好ましい音を出してくるんである。

以来、焼きかつおスピーカーは結線されたまま物置き部屋の床に転がって、こんにちまでピーター・バラカンのラジオ番組などを鳴らし続けているんであった。

つうわけで、かわいそうなはこの子でござる。MONITOR AUDIO RADIUS90。

5年ほど前に、つい出来心でコイツを買ってしまった。どこで買ったか忘れちゃったけど中古店で1万円とか1万5千円とかそのくらいだった。そんなお値段で売られてるんだから、まあミニコンポのパーツ程度のもんでしょってタカをくくってたのに、届いたのを見たら想像してたよりずうーっと立派でキチンとお金も「手」もかかった作りだったので驚いたんである。

なにしろ先に置き場所が決まってて横幅と奥行きのサイズ優先で探し出したもんですから、届いてからあらためて検索してみると2005年くらいに発売され当時8万円くらいで売られてたらしい。なーるほど、見ればたしかにその値段が十分納得できる外観と造作なのでした。

だけど、なにしろこんなところに置いて音を出してたもんだから、うんと小さいくせになかなか侮れない音のするスピーカーだってのはわかったものの、ちゃんと使いこなしに工夫をして聴き込むなんてことをしないまま幾星霜(せっかくihigaさんから親切なコメントまでいただいてたのに!)。

そしたら焼きかつおスピーカーの登場だ。

客観的に言ってハイファイスピーカーとしたらモニターオーディオのほうがマトモな音がしてるってのは間違いないんだ。だけどね、どうもこの焼きかつおスピーカーのなんともいえない大らかでトボけた「楽しさ」に勝てない。コイツにくらべるとモニターオーディオRADIUS90は、どうしたって「スクエア」っつう印象を免れないよ。

そんなことでモニターオーディオはちょっとだけ分が悪くって、なんとなく床にベタ置きしたままの(そんな置き方が似合っちゃうから困る)焼きかつおスピーカーを、ジャマなのにもかかわらずそのままずっと使い続けちゃってんだよ。

でも、なんとなく不憫でね。

キャットフードの空き箱に雑誌の付録のユニット付けただけのシロート工作のスピーカーに、歴とした英国の名門メーカー製の真っ当な作りの仕上げも上質な自分が押しのけられるなんてと、さぞや本人も口惜しい思いをしてるに違いない。

じつは以前からやってみたいと思ってはいたんだけど、実際やってみるとなればなんとなくメンド臭くもあるしね。それがここんとこの逼塞状態だ。気分の変わることをいろいろとやってみないと、この先息が詰まって耐えられなくなるんじゃないかって気がしてきてさ。それで奥さんと毎日散歩に出てお寺の有り難い「お言葉」を探したりなんかし始めたわけだ。そうそうZOOMの飲み会とかもね。

じゃあこの際いっぺん居間に持ってきてイロイロ遊んでみようではないか。

そしてこうやってから今日で三日目。ところが、なにしろ現在うちの奥さんは全面テレワーク中とて、朝から夕方まで別室に籠もってiMacの前でお仕事中なんです。しかもウチは狭小マンションの一室である。居間で音を出せばほぼ全室に筒抜けである。ホントはバンバン鳴らして一挙にブランクを取り戻してやりたいんだが、なかなかそうもまいらない。

それでも最初はハイ上がりでどうかなと思ったものが、ユニット前面のパンチングメタルのグリルを外してみたり内振りの角度を少しずつ変えたりしながら、遠慮しいしい鳴らしてるうちにかなり化けてきた。つか、おおっ!て、のけ反るような音を出す瞬間が出てきた。いやーこれは侮れんなー。

いまはこうやってランサーの大理石の天板の上にあり合わせのスパイクベース(AETかJ1か。もうわからない)を挟んで乗せてある。まあそう悪くはないと思うんだけど、こりゃあ単独でスタンドに乗せてやったらどうだんべ。そうして、も少し前に出してやるとかさ。

あーいかんいかん、こういうこと考えちゃイカンのだよキミ。そこまでやるつもりはないんだってば。

だけどさ。そこまでやってやってもいいような音がしてんだよなー。困ったことに。

(と言いながら、ネットでスタンドの出物を探してたりなんかして)





by god-zi-lla | 2020-04-27 22:40 | オーディオもねぇ… | Comments(0)
レコードでも聴くか(Disques Charlinの『ロシア五人組』)_d0027243_12525268.jpg





つうようなわけで、なんか不意にロシアのオーケストラ曲を聴きたくなってさ。しかし「ロシアのオーケストラ曲」なんて バクゼンといってはみたものの、チャイコフスキーやプロコフィエフやストラヴィンスキーのバレエ音楽とか、はたまたムソルグスキーの〈展覧会の絵〉管弦楽版とかそういうのがアタマに浮かんでるんじゃないんだ。もう全然そういうんじゃなくて。

じゃあなんなんだっつうと、「ロシア管弦楽名曲集」とかそういう感じのやつ。むかし、そういうレコードってあったじゃんか。ほら、ビミョーに収録曲がちがってたりしつつも〈中央アジアの草原にて〉とか、〈韃靼人の踊り〉とか、〈ルスランとリュドミラ序曲〉とか、〈ホヴァンシチナ前奏曲〉とかさ。あー〈はげ山の一夜〉も入れてやろう。

つうような曲が順列組み合わせはいろいろでしょうが、1曲1曲あんまり長くもなく、かといってシングル片面てほど短いわけでもない懐かしい有名曲が1枚のLPレコードに詰め合わせになってるようなアルバム。そう。世間にはきっと掃いて捨てるほどいろんな指揮者がいろんなオーケストラを振った盤がありそうな、ちょいと「ポピュラー名曲アルバム」っぽいやつ。思い浮かんだのはアレなのさ。

どれもリズミックでメロディアスで、あんまし形而上のこと思い出さずにすみそうで、このご時世に聴くのにぴったりではあるまいか。

だけどそういうレコードってうちには1種類しかない。アンセルメがスイスロマンド管弦楽団を振ったあれだけ(まん中のヤツ。古い国内ロンドン盤と同じく国内盤の「キング・スーパーアナログディスク」シリーズのヤツと2枚あってビミョーに集力曲が違うんだけど)。だからまあ「ロシアのオーケストラ曲を聴きたい」つうのは、久しぶりにアンセルメの盤を引っぱり出したいと思ったってことだ。

それが、ふと。
もう1枚あったんでないかと老いぼれた脳のどっかがスパークした。

そういや「シャルラン」のレコードがあったんじゃ?

もう10年近くも前、〈屋根の上の牛〉をミヨーが自作自演、シャンゼリゼ劇場管弦楽団を振ったアルバムがアンドレ・シャルランの録音てことを知り、そこから俄然興味が涌いて10数枚(いや、もっとかもしれない)のシャルラン録音盤を買い求め、そのうちの7、8枚(んー、もっとあるな)が本人の〈Charlin〉レーベルのアルバムなのだった。

なにしろ短い期間にエサ箱やネットショップなんかで見つけちゃあ「買い漁る」って感じでさ。せいぜい1年くらいの間につぎつぎ手当たり次第に買ってったもんだから、どの盤も多分じっくり何度も聴いたりしてない。いやそれどころか、どんな中身のレコードなのかもちゃんと確かめてなかったり、ひょっとしてひょっとすると一度も針を下ろしてないのが1枚くらいあるかもしれない。だから、たしかロシア音楽のヤツがあったよなあなんてことになるんである。ヒドイもんだ。

で、棚をがさがさ物色してみたら、ありましたありました。

それが上の写真の左。オビのかかってるジャケット。

フランス直輸入 シャルラン・レコード
〈ロシア五人組〉の音楽を一枚にまとめた魅力のハイファイ録音。シャルランで実現!
●リムスキー・コルサコフ「スペイン奇想曲」●バラキレフ「三つのロシア民謡の主題による序曲」●ムソルグスキー 歌劇「ホヴァンシチナ」より 序曲、ペルシア人の踊り●セザール・キュイ「民謡風な二つの小品」●ボロディン「中央アジアの草原にて」
ラズロー・ゾモギー指揮 シャンゼリゼ劇場管弦楽団

そうだこれだよ。トリオが輸入してオビをかけ日本語解説を封入した1枚なり。よく思い出したモンだ。まだしばらくは使えそうだな、ジジイの脳のぼろニューロン。

ところでシャルランの、とくに自身のレーベルのレコードをいっとき買い漁ってたのを突然ヤメたにはヤメたなりの理由があってね。

まず、レパートリーの大半がおれが日頃あんまり聴かないたぐいの音楽が多い。中世の宗教音楽とかね。モーツァルトだってバッハだって、宗教音楽となるとおれにはすごく縁遠い。

そして「音」だな。

山口克巳〈LPレコード再発見〉(誠文堂新光社 2003年)などで著者がシャルラン盤の難しさを語ってるとおり、シャルランが自分のレーベルで出してる盤はかなりエキセントリックっつうのか、ようするに他の大半のレコード会社のレコードは普通の家庭の普通の装置でかければ(個々の音の良し悪しは別として)普通に鳴るように出来てるのにシャルランのレコードはそうじゃない。

コイツらは「ちゃんとしたピックアップで聴けよ」と無言のうちに恫喝してるんである。でも説明はしてくれないから、自分でアレコレ調整するしかない。なんとなくハマってすごくいい音のときもあるのに、そうでないことも多い。レコード片面のどこかはシビれるように素晴らしい音なのに、同じ面の別の箇所に地獄がパカっと口を開けてたりすることもある。とにかくよくわからない。

そういうレコードって、なかなか落ち着いて「鑑賞する」とか「楽しむ」って感じにはなれないじゃんか。なので、しばらく買い漁って聴いてるうちに、なんとなくフェイドアウトしちゃったんである。でもまあ、思い出したんだしね。これもなにかのご縁でしょうか(って、自分の持ってるレコードだろ)。

それはともかくとしてだな。さっそく聴きました。いやーこれはいいね。とってもいい。なんか初めて聴いたようなことを申し上げてますけど、もしかして買ったっきり聴かずにしまい込んでたりして(ありうるなー)。

まあ収録曲目もちがってるから一概には言えないと思うんだけど、こうやってシャルラン盤を聴いてから思い返すとアンセルメは理知的で精緻、親しみやすさより少しクールな感じの演奏だったんだな。なにしろ半世紀近くもこれしか聴いたことがなかったんだから、「こういうもんだ」としか思ってなかった。

対してラズロー・ゾモギー指揮のシャンゼリゼ劇場管弦楽団の演奏はといえば、墨痕くろぐろと悠揚迫らず、クールというよりはウォーム。うまい例えが思い浮かばないんだけどアンセルメの演奏が「新劇」の役者が演ずる「翻訳劇」で、シャルラン盤のほうは歌舞伎のしかも「時代物」といわれるようなジャンルの、ちょっとゆっくりとしたテンポで演じられる「古典」という印象かな。

これはあれだよ。もうアンセルメのロンドン盤を聴くのをヤメてこっちに鞍替えするとかっていうんじゃなくて、そのときどきの気分でこっちもいいなという格好の「選択肢」がひとつ出来たって感じでさ。こんなことなら、もっと早く気がつきゃよかったのにとも思うんですけど、そこがね。ちょっとシャルランレコード聴くのに尻込みしてたとこがね。

そのへん、こんだは「音」にかかわるところだから、また別のエントリでいつかそのうちやることにする。上の写真右のジャケットはその「予告編」つうことにしとこう(ホントはそれも続けるつもりだったのに長くなりすぎたからね)。




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LES CINQ RUSSES(SLC-1 トリオ直輸入盤)

それにしても指揮者の「ラズロー・ゾモギー」。ウィキペディアに出てる「ショモギー・ラースロー Somogyi László」と同一人物なんだろうか。それによれば1907年生まれ(88年没)ハンガリーの指揮者で、45年にフリッチャイとハンガリー国立フィルの首席指揮者を分けあったとある。50年にブダペスト響首席指揮者。

さらに「ハンガリー動乱の際にアメリカに亡命し」とウィキペディアにはあって、そのハンガリー動乱は56年。このレコードがパリで(たぶんシャンゼリゼ劇場で)録音されたのは58年。んー。同一人なら相当な波乱の人生な気がする。

ついでに書いとくと「Orchestre Du Théatre Des Champs-Élysées シャンゼリゼ劇場管弦楽団」てのもよくわからない。シャンゼリゼ劇場の「箱バン」ということか? オペラ上演でピットに入る? 実体はフランス国立管? 少なくとも「シャンゼリゼ管弦楽団」とは別物ってのは間違いないらしい。







by god-zi-lla | 2020-04-24 12:46 | 常用レコード絵日記 | Comments(2)

疾風知勁草

また、見つけた。




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勁い草を冠に戴くためには
我々自身が勁い草でなければならない

いまのヨノナカが、結局それを証明してるということか。

しかし、
王覇が勁草たりえたのは
光武帝が勁草だったからだろう

さて。






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by god-zi-lla | 2020-04-22 11:42 | 日日是好日? | Comments(0)

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つうわけでほとんど毎日のように奥さんと近所まわり散歩に出かける今日このごろなんだけど、近所まわりったってそうそう広いわけじゃない。つか、歩いて行ける範囲なんてタカがしれてるわけだ。そうすれば自ずと同じところをウロウロするしかない。桜の咲いてるうちはあちこち桜を探しながら歩いて、どっかのお宅の庭先の桜も道路から拝見したりなんかしてたわけだが、用もないのにどっかのお宅を拝見するわけにもまいらない。

でまあ、なんかテーマを決めようぢゃないか。そうだお寺を回ろう。なにしろこのあたりは「寺町」ですから、お寺はいっぱいある。お墓だって山ほどあるんだ。

だけどね。お寺ったってどこもジミだからね。なんたって普段はほとんど人の姿なんてなくてさ。あー今日はどうしたんだろう近所大勢人が歩いてて、と思ったらその日はお彼岸だったりするわけだ。拝観料取るようなお寺はひとつもないし、国宝級の仏像なんてどこにもありません(あるのかも知れないけど見してくれるところはない)。なんちゅうかまあ、ここいらのお寺は「観光寺院」じゃなくて「実用寺院」なんですね。

でも、だからこそといいますか、入口んとこ(町場の寺だから三門があるなんてことはほぼない)の脇の道路に面したあたりに掲示板があって、なにやら有り難いお言葉を貼り出してるお寺がけっこうある。これがなかなかのもんで、日頃から足を止めて読んでみることが多いんだ。中身は仏典からの引用だったり偉人賢人の格言だったりすることが多いけど、なかには住職が自分で考えたと思しき言葉もあってね。

いいんだよな、この「肉声感」がまた。

つうわけで、いつもは通りすがりにチラっと拝読するだけのところ、散歩しながらiPhoneで写真撮りながらじっくりそのお言葉を味わうことにしたんでした。

それでまず冒頭の写真が「魚籃寺」。魚籃坂の中腹にあって、たぶんこのお寺があるから坂の名前になったんだろうね。ここはいつもこういうふうにお寺オリジナルの言葉を掲げてある。ヘンに達筆じゃないから、よけいジンワリと心に染みるね。文章がなんだかヘンだけど、それはそれってヤツさ。

以下、すべて自宅より徒歩10分圏にあるお寺なり。




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「龍源寺」

世間虚仮
唯仏是真

○欲望にとらわれ
ている世は仮りのもの
学べよ真理
変わらぬ真理

聖徳太子


このお寺は掲示板とは別にこうやって「お言葉」専用に黒板があり、チョークでおコトバが書いてある。

なんか宮澤賢治の、

「下ノ
畑ニ
居リマス 

賢治」

を思い出したりする。







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「随応寺」

中島未月という人は詩人のようだね。
こういう「文学作品」の引用もよく見る。

左上のイラストは手描きかな。






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盛り沢山な「正覚院」。

希望とは
必ず良くなる.
夢は叶う.
奇跡だって起こる、
そう信じること。

葉祥明


あとにのこすな
胸のうち
そのうちより
今のうち

気になる!!とは
ちょっとした「心のひっかかり」
一陣の風に吹かれて生まれた
池の水面の波紋
気遣う相手とは早く離れ
自分を取り戻そう
さっさと忘れてしまおう
新しい年に向かって…

人間の真の価値は
優しさや思いやりにある
どんなことがあっても
常に冷静さと
ほほえみを忘れずに

葉祥明という人は絵本作家だそうだが、そっち方面不案内で知らない。

四つもおコトバが掲示されてるってのは、まあそれだけ住職の思いが詰まってるんでしょうが、読むほうからしたらビシっとひとつだけキメてもらったほうが響く感じがしますね。





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「正源寺」

掲示板自体がとってもバブリー。
それが先入観になってか、なんとなく張り紙のコトバも「上から目線」な気が。





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ちょっと怖いコトバの「荘厳寺」。
落款が珍しいです。






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「明王院」

下の小さいほうの貼り紙は催し物が中止になったことのお知らせだな。

「くやしいですが…」。

ホント、いろんなことがくやしい毎日なり。

上の緑色の紙には

自分たちを変えることができれば、
世界の流れも変わるだろう。
人が自らを変えれば、その人に
対する世界の姿も変わる……

わたしたちは、他者がする
ことを待つ必要はない。

マハトマ・ガンディー 1931年12月ジュネーブ・ビクトリアホールでの演説





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「立行寺」

紙がちょっと傾いてるのが惜しい。





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「慈眼寺」

あんまり禅寺っぽくない掲示板かな。





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「光福寺」

自見其身、か。
じわっとくるよね。





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「高輪教会」

キリスト教会はやっぱり聖書の引用ですね。
でも、よくわからない。







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「証誠寺」

これって手書きかなあ、プリントアウトかなあ。
能筆な人による手書きのようにも見えるけど、字配りが整いすぎてて印刷のようにも見える。

というのも、掲示板に大本山から配布されたと思しき標語ポスターを貼り出してるお寺もけっこうあって、やっぱりヘタでも手書きのコトバのほうが染みるんだよ。だから今回の散歩ではハッキリ印刷されたものだとわかるのは外してみたんでした。

でもさ。手書きでもあんまり達筆だとグッとくるものが少なかったりして、人間ってのはムツカシイ。






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「妙福寺」

疾風に勁草を知る。

まさにそれだなとニュースに出てくる日本や世界の政治家を見る。
それからおれたち自身もか。

だから今これを貼り出してるのかな、このお寺さんは。








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by god-zi-lla | 2020-04-16 00:17 | 日日是好日? | Comments(4)
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ハル・ウィルナーが忌まわしいウィルスの犠牲になって今月6日急死したという。64歳。おれと同い年の56年生まれ。なんということだ。

じつはハル・ウィルナーという人を今でもよく知らない。〈That's The Way I Feel Now - The Tribute To Thelonious Monk〉邦題「セロニアス・モンクに捧ぐ」っつう滅法面白いトリビュートアルバムを知ったのが多分80年代の終わり頃で、そのとき初めてハル・ウィルナーというプロデューサーの名前も知った。

それからずーっと後になって2007年頃。ルシンダ・ウィリアムズの〈WEST〉というアルバムが出たときにそれがハル・ウィルナーのプロデュースで、しかもルシンダ・ウィリアムズのそれまでのアルバムとは毛色の違った出来映えだったもんだからその名前が記憶の底のほうから蘇った。

そして80年代にレコード屋でジャケットを見たっきり(これが一度見ると忘れられないジャケットで)、なんとなく気になってはいたニーノ・ロータのトリビュートアルバム〈Amarcord Nino Rota〉がハル・ウィルナーのプロデュースで、コイツをようやく手に入れて聴いたのが今から10年前の2010年のことなのであった。

とにかくなんだか知らないがときたま巡り合うハル・ウィルナー。そんなだから、どういう人なのかちっともわからない。わからないんだけど、その名前のあるアルバムはどれも面白い。

それで去年、ディズニーの比較的古い作品の映画音楽を集めてハル・ウィルナーがプロデュースしたアルバムがあるっていうので、そりゃあきっと楽しいに違いないと迷わず買ったのが上の写真の〈STAY AWAKE〉なのであった。

このアルバムに登場する一番新しいディズニー映画は66年の〈ジャングルブック〉、一番古いのは〈白雪姫と七人の小人〉の38年。あとは〈ダンボ〉とか〈ピノキオ〉とか〈メアリー・ポピンズ〉とか30年代から60年代まで。

これがどういうアルバムなのかっつうと、そうだな。白雪姫のあの有名な「ハイホー、ハイホー…」をトム・ウェイツが「あの声」で歌っている。しかも凝りに凝った効果音入りのアレンジを施して。

それからミッキーマウスのマーチをしっとりと歌ってるのがエアロン・ネヴィル。〈ダンボ〉の曲をサン・ラーが彼の「アーケストラ」を率いて演奏。それから白雪姫の〈いつか王子様が〉をシネアド・オコーナーが歌い、ジャングルブックの〈モンキーソング〉はロス・ロボスだ。

ほかにもベティ・カーター(貫禄!)、ジェイムズ・テイラー(いつものJT)、スザンヌ・ヴェガ(ア・カペラで)、ビル・フリゼールもいればウォズ(ノット・ウォズ)もいて、このメンメンの名前聞いただけでどんなアルバムか正確に想像できる人がいたら大したもんだ。

そしてB面、アルバムのラストはピノキオから〈星に願いを〉をリンゴ・スターがレニー・ニーハウスのゴージャスなオーケストレーション(ハーブ・アルパートのtpソロ付き)をバックにスウィートに歌い上げて大団円。

いやーこんなアルバムを思いつくだけでも信じられんのに、実際それが作られて、なおかつここにあって聴けて、おまけにすこぶるいい音で、しかも何よりかにより無類に楽しいんだからじつに困った88年の作品なのであった。

しかしハル・ウィルナー。この「ディズニー」はもちろん「モンク」も「ニーノ・ロータ」も滅法面白くて、アンタはいったいどういう人だったんだ。ほかにも「クルト・ヴァイル」や「ミンガス」、「ハロルド・アーレン」なんてのも作ってるそうじゃないか。

もっといろいろやるつもりだったんだろうになあ。Stay awakeのつもりだったよなあ。誰だってそうだよなあ。ウィルスなんてそんなもんのせいでオサラバしたいわけがない。




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10年前のエントリを見たらジャケットの写真が中途半端。お詫びのしるしにその一度見たら忘れられない〈Amarcord〉のジャケット再録します。






by god-zi-lla | 2020-04-14 00:27 | 常用レコード絵日記 | Comments(0)
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いやなんの話かといえばミシェル・ルグランの〈LEGRAND JAZZ〉である。とくにスーパーとかテレワークとかと関係はない。きのう聴いたという、それだけの話なり。

このアルバムが好きなんだよ。ここんとこずっと棚にしまうこともなく、そのへんの壁に立てかけてある。なにしろ去年ルグランが亡くなったときにはすでに壁に立てかけてあったんだから相当なもんだ。ちょっと長いスパンで見りゃあヘヴィーローテーションかもしれない。

でまあ、そろそろ棚に戻してやってもいいかなと思い始めたので、じゃあそのまえに記念写真でも撮ってブログでもデッチ上げとくかと(まあこのブログはだいたいそんなもんだ)。

1958年、弱冠26歳のミシェル・ルグランが勇躍ニューヨークに乗り込んでコロムビアのスタジオのマイルス・デイヴィスらニューヨークジャズシーンの最先端にいるメンメンを起用して拵えた有名なアルバムなり。

なにしろルグランはNY到着早々マイルスを訪ねてこんなふうな音楽をやりたいんですってスコアを見せたなんて逸話も流布してるくらいで、これはもう「ミシェル・ルグラン・ミーツ・マイルス・デイヴィス」的なとこが商売的にいっても必ず全面に押し出されるわけだ。

しかも売り出し中の若きパリジャン、ミシェル・ルグランだ。もう広告の惹句に「パリのエスプリ」つう決まり文句を欠かすわけにはまいらない。

ところで実際はマイルス、コルトレーン、ビル・エヴァンス、ポール・チェインバーズらを含むバンドの演奏はアルバム収録11曲のうち4曲で、あとの7曲のうち4曲は4トロンボーンにベン・ウェブスターtsやハンク・ジョーンズpらが加わるセット。残りの3曲はフィル・ウッズとジーン・クィルの2アルトにトランペットが4人いる編成といずれもかなり型破りなバンド編成で、かえってマイルスのセットがいちばんオーソドックスに見えたりする。このへんもルグランの挑戦心の発露なんでしょうかね。

おれは「パリのエスプリ」方面にとんと疎い野暮天だもんだから、このアルバムのどこいらへんがそうなのか何度聴いてもわかんなくてさ。それよかルグランの、NYのジャズメンとスタジオに入れるんだったらこんなことやってみたい、あんな音も出してみたいっつう意欲とヨロコビがひたすらに炸裂しまくってる様子ばかりが耳に入ってくる。

ムリしていえばアメリカのジャズにあんまりないガチャガチャといろんな楽器がいっぺんに鳴るようなとこが所々にあって、そういうとこがダリウス・ミヨーっぽいっつうかダダっぽいっつうのか。そうコジツケようとすれば出来ないでもないけど、それはしかし「パリのエスプリ」ってコトバの喚起するイメージとは違うもんだよなあ。

それはともかく、ルグランはこのアルバムでじつにいろんなことを試しちゃ楽しんでる(ように思える)。4トロンボーンのほわっとしたサウンドに乗って、ベン・ウェブスターが「ズズズズズー」ってサブトーンをこれでもかってくらいたっぷり聴かせたりさ。これなんかバンドにウェブスターが入るとわかったときに絶対「ズズズズズー」をウェブスターにやってもらおうと思って、「ここサブトーンでお願いします」って太字でスコアに書き込んだに違いないぜ(他のトラックでウェブスターはやってない)。

マイルスの加わるトラック自体は、おれのバンドのサウンド全体がおれの音楽(じぶんのソロもパーツのひとつ)なんだっつうマイルスの考え方(とおれが勝手に解釈してるだけかもしらんが)の枠のなかで、ギル・エヴァンスのアレンジとはまた違いつつもマイルスを中心にすえたアレンジをルグランが施して、そこに本人が、判ってるなーコイツ若いくせにって感じでじつにうまくハマってる(いっぽうコルトレーンの自分勝手なソロをマイルスとビル・エヴァンスが、しょーがねーなーって顔で聴いてるシーンを妄想したりね)。

だからなんちゅうか、表看板のマイルスのセットを中心にしてじつにヴァラエティ豊かに面白く構成された、ちょっとだけ風変わりなサウンドのビッグバンドアルバムだと思って楽しんでるんだよ。だからつい片付けられないで、いつまでもそこいらへんの壁に立てかけてあったりする。

片付けるの、もう少し先にするかな。





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COLUMBIA CL1250(モノラル)



by god-zi-lla | 2020-04-10 22:18 | 常用レコード絵日記 | Comments(0)

おー、これが例のナニのアレか(JR EAST Takanawa Gateway Station)_d0027243_23033937.jpg





うちの奥さんもここんとこテレワークである。会社定年で辞めてからはウチで仕事してることがけっこうあるから、そう違和感ないっちゃあないんだが、きょうは初めて一躍話題のZoomってのを使って仕事をしてましたね。こちとらその間、居間で息を殺してじっとしてようかと思ったが、そんなことしてるより今のうちにとスーパーへ買い物に出かけたんでした。

いやそれにしてもさ。とにかくテレワークテレワークと世間がうるさくなってからこっち、平日夕方のスーパーがやたら混雑するようになっちゃってね。

つい先日までのスーパーマーケットといえば、平日はたいていどこも奥さんひとりか子どもがそれにくっついて買い物に来るくらいなもんで、それが土日祝日になるとそこにダンナが加わる。そうすると平日夕方の倍の人で店内はけっこうな混雑になっちまう。

その混雑というと、なかでも50代以上のトシ食ったダンナはたいてい通路のまん中らへんを奥さんと喋るでもなく自分が周囲のジャマになってんのにも気づかず、ちょっとエラそうにだらんだらん歩いてるのが多い。せめて奥さまのカートでも押すくらいはやってやれと思うんだが、きっと会社でもあんな感じで周囲の若者にエラソーにしてんだろうなあこのオッサン。

いっぽう若いダンナはというと自分でカート押してたりすんのはいいんだが、こんだは陳列棚のとこにアタマ突っ込んであーでもないこーでもないと奥さん相手にゴタク並べてんのが結構いる。ほらコレ使ってさ、アレ作るとけっこう美味しいんじゃね? とかさ。いやースキヤキだったらこっちの和牛にしようよ。ねえ和牛。おいしいよ和牛。え? 高すぎるって。いいじゃんいいじゃん、たまにはさー。とかさ。

いいんだよ全然。たまの休日なら。この混雑も一家団欒のうちかもしれんし。

それがここしばらくはテレワークのおかげで平日なのにダンナがついてくる。じつに困ったもんである。混雑が毎日になっちゃった。都心なんて自粛自粛で人いないのに、ちょっと外れた住宅街のスーパーが押すな押すなになってるって、なんちゅうか、そこはかとない不条理を感じたりするんである。ねえねえ、テレワークってなんのためにやってんのさ。

この際、一家団欒・夫婦和合はウチの中だけに限定してほしいもんである。スーパーにはおのおのの家庭で代表者ひとりを派遣してもらいたい。ひとりでじゅうぶん。そういうのを「不要不急の外出」ってんじゃあるまいか。

慣れないテレワークで疲れてんのはわからんでもないよ。でもね。息抜きしたいんだったらダンナ。あんたひとりで買い物しなさいって。きょうはおれが買い物に行ってくるよと言えば、たいていの奥さんは、あーらウレシイわって言うと思うよ(なんか古臭いか)。

たまには夕飯どうしようかって悩んで悩んで途方に暮れるってのも悪くない経験ですぜ。脳が活性化しますね。ふだんほとんど使ってないでしょ、脳。もし自分で晩メシこさえられないんだったら奥さんにメモでも書いてもらえば大丈夫。あなたでもきっとお買い物できますから。初めてのお使い。どーっすか。

つうわけでおれは最近夕方の混雑を避けて、手押し車のおばあさんたちに混じって昼間のうちに買い物してるのであった。

で初Zoomを無事終了した奥さんと夕方散歩に出たんである。もう桜は終わった。どこ行こう。足はなんとなく泉岳寺に向いている。魚籃坂を上り伊皿子坂を下っていくとすぐそこが浅野長矩、瑤泉院、義士たちの眠る泉岳寺なんである。

泉岳寺のほうへ曲がろうと、ふと目を上げると第一京浜の泉岳寺の丁字路がいつのまにか十字路になっており、新しくできたらしい道路の向こう側に視界がバーンと開けて青い空が広がっている。なんじゃこりゃ。

これって新しくできた高輪なんちゃら駅じゃないの? 奥さんが言う。そういや先月開業したっていってたな。なんだか遠い昔のような気が一瞬したが、アレの蔓延ですっかり忘却の彼方に押しやられてたんだ。じゃあってんで、せっかくだから見物に行こう。どうもあんまり人がいる感じでもないし。

つうようなわけで赤穂義士の皆さんには悪いけどそのまま直進して行ったのである。

そして建設現場のなかに突然そびえ立つ立派な「仮設駅舎」みたいのが冒頭の写真なのであった。なるほどこれが話題の明朝体の駅名か。たしかに近づかないと読めない。そういえば大昔、中学の体育祭の「入場門」(ゲートだ❗)の看板文字を中坊のおれがイキがって明朝にしようとしたら美術のヤマグチ先生に、こういうところに明朝体を使うと遠くから読みにくいからゴチック体を使いなさいと教えられたのを思い出した。よっくわかりましたヤマグチ先生。先生の教えを半世紀を経て実感したのであった。




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エスカレーターを上がると改札口のフロアに出る。改札のところから構内を見てみたが別段特産品を売ってるようでもない。品川のような「エキナカ」はない。そりゃそうだよな。でもゲートウェイ饅頭とかゲートウェイ大福とか、そのくらいはあってもいいのではあるまいか。あったら買ったのにさ。

改札の左のほうに行くと記念スタンプを押す場所があったが誰もいない。スタンプ台の横にアルコール消毒液があったので消毒だけしようかとも思ったが、それも申し訳ないような気がしたのでヤメた。すると「3階デッキ」に上がるエレベーターというのがあった。




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おー、これはなかなかの眺めではないか。この3階デッキから決死の覚悟で飛び降りれば無賃乗車出来そうであるが、そんなことをするヤツがよもやいるとは思えない。それにしても最初から「耐震補強」したような鉄骨だな。

それにしてもホームも構内もガラガラじゃんよ。そもそも利用者がそんなにいないのかアレによる自粛のせいなのか、ぜんぜんわからん平日の夕方5時ちょい前である。ひょっとすると電車の乗降客よりも、おれらのような物見高い見物人のほうが多いんじゃあるまいか。写ってる電車は山手線の外回り・品川方面行きのお尻なり。

でもホントついてないよね。こんな時期に開業だなんて。




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駅舎の外側のペデストリアンデッキのようなとこから東京駅方向を見たとこ。正面の高層ビル群はとなりの田町駅周辺に比較的最近できた。

その手前のごちゃごちゃした工事現場の仮囲いには〈UR〉のロゴがあったからここに「タワマン団地」でも作るんだろうか。でも結構な広さだぜ。そんなにたくさん建ててどーすんのかね。人口はどんどん減ってんだし。でも「タワマン団地」って、ちょっとスゴくない? 台風で水浸しになった武蔵小杉のイメージか。そういえばここはもともと海だ。海抜表示は見なかったけど、せいぜい2メートルとかそんなもんじゃあるまいか。江戸時代は泉岳寺からすぐ海を見下ろせたんだと思いますね。

つうわけで高輪なんちゃら駅(知ってるくせに頑なに、なんちゃら駅で押し通す奥さん)。最寄り駅じゃないから次はいつ来るのかわからない。ショッピングモールでも出来ればいっぺんくらい覗いてみてもいいかもしれないけど、この様子じゃあ出来るとしたってずいぶんと先だろうな。





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by god-zi-lla | 2020-04-08 23:59 | 物見遊山十把一絡げ | Comments(0)




昔の東京の味のする芝居弁当が_d0027243_10594293.jpg





虎吉さんのコメントで知ったんだが、歌舞伎座向かいの弁当屋「木挽町辨松」が今月20日をもって店を閉めることになったんだそうだ。あまり経営がよろしくなかったところに今回のアレが禍したようだ。

歌舞伎座前のお弁当屋だもん。そりゃあ小屋がひと月半以上開かないんじゃ干上がっちまう。なんだか寂しい話だなあ。

木挽町辨松の弁当といえば「甘くて濃い」。卵焼きなんて自分でこの甘さにこさえようと思っても手が震えて砂糖を入れらんないんじゃないかと思うくらい甘い。もちろん弁当だから「持ち」のいいようにと考えた味つけなのでしょうが、これはしかし「江戸の味」でもあるよな。佃煮なんかでもそうだけど東京の古い店のはたいがいとっても「甘っ辛い」。べったら漬けなんてのはもう、途轍もなく甘い。

でも、あれがいいんだよって江戸っ子の末裔は言うんだ。

江戸っ子じゃないおれにはだからやや濃すぎる味つけに思えるもんですから、そうそうしょっちゅう食ったわけじゃない。でもなんか、ときどき無性に懐かしく思い出されるような味でもあってね。開幕前にここに寄って「赤飯弁当」を買い、晴海通りを渡って歌舞伎座に入ることがときたまあった。

歌舞伎座のほぼ真向かいなのに横断歩道は三原橋の交差点か、晴海通りを少し勝鬨側に寄った万年橋の交差点しかなくて最短距離を渡れないのがイライラだったりしてね。

まあしかし、閉店だからといってこのご時世ちょっと買いに行ってみるという気分にもなれないところが残念なり。

そこで探してみたら8年前のエントリに弁当の写真を載っけてた。歌舞伎の幕間、自分の席で膝の上で包みを広げたところを撮ったみたいで(歌舞伎は通例ほかの芝居なんかとちがって客席で弁当食ってよいことになっている)、これがまったくヒドイ写真だもんですからボロ隠しをしたのが上のヤツなり。

そのエントリの本文に「『赤飯弁当1番』695円」とある。弁当の名前に番号が振ってあるのがなんかいいよね。ちなみにいまは同じ名前の弁当が730円とHPにあり。8年で35円の値上げ。良心的といっていいんじゃあるまいか。そのホームページによれば中身は「赤飯 玉子焼 蒲鉾 めかじき味噌焼 うまに(筍・つと麩・牛蒡・椎茸) その他」とある。写真のまんまだ。

ちなみに「日本橋辨松」という店もあって歌舞伎座にほど近い銀座三越にも店を出してるが、こっちのほうがやや値が張り味のほうも木挽町より薄味の「一般的な」味わいだと思う。ようするに「木挽町」のほうが庶民的なんだろうな。値段も味も詰めた折の体裁も。

ふたつの「辨松」は、昔は知らず現在はなんの関係もないらしい。







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by god-zi-lla | 2020-04-06 11:51 | 食いモンは恥ずかしいぞ | Comments(2)
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近所のなんとかタワーの児童公園。

いい天気になったので奥さんと歩く。べつに桜の名所に行かなくったって、歩いて行ける範囲にけっこう見事な桜の木はあるんです。そいういとこなのよ日本てのは。つことでご近所の桜を見て回りながら、引きこもりの老夫婦は運動不足を少し解消しようと出発したのであった。目標1万歩。


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古川っぺりの児童公園。

じつは白金公園って名前だったんだと今回初めて知った。この写真左手はすぐ古川です。上に首都高がおっかぶさってきわめて殺風景なぞっとしない風景なんだが、この桜はなかなか立派なので満開のころは散歩がてら桜見物に来てる人がけっこういる。



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その児童公園のハナカイドウ。

この前、お寺の境内に咲いてるのを見てネットで調べて初めて名前を知ったんだけど、ここは公園だからちゃんと名札が付いてました。あれから1週間たってるから、ここのはずいぶん花が開いてる。


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光林寺の三門前。

ここはなかなかの名刹なり。幕末アメリカ公使館の通訳ヒュースケンが薩摩藩士らに斬殺され、そのお墓がここにあるという話。でもそんなことより、じつにきれいなお寺で桜が見事なんだよ。


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三門から桜を見る。

この眺めだけでも歩いて来る値打ちあり。



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そして境内の立派な桜。

この日は職人が何人も入って庭の手入れをしてた。裏の麻布の山の斜面にけっこうな墓所があって外から見るとそこの桜も見事なんだが、ちょっとそこまで入っていく勇気はない。



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これも光林寺。

そういえば先般、樹木希林のお葬式をここでやったと報道されてた。生前このお寺が気に入って頼んであったんだってね。



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天現禅寺。

首都高の料金所の名前になってて古川(渋谷川)の橋の名前になってて、そっちのほうが有名だけどお寺はちゃんとある。しかし桜を求めて境内に入ったのはこれが初めてだった。

上空に飛行機が写ってますが、これが羽田への新たな進入路で昼間3分に1機くらいは飛んでる。この写真じゃわかんないけど頭上を飛ぶのを見上げると車輪を出してるのが視認できるくらの高度だからけっこうな騒音もある。

でもいまはどの飛行機もほとんど空っぽで飛んでるに違いないんだ。




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都立広尾病院。桜は明治通りの街路樹。

天現寺橋交差点の歩道橋の上で写真撮った。明治通りの広尾から恵比寿にかけての桜並木はかなり見応えがあって、満開のころはここをバスで通るだけでも楽しい。でも、ちょっと遅かったな。この桜は少しだけ遅咲きのようでなかなかでしたけど。

しかしさ。大病院のすぐ目と鼻の先の大きな交差点にかかる歩道橋にまったくエレベーターがないんだぜ。交差点自体に横断歩道がひとつもないんだから年寄りも身体の悪い人もみんな階段を上り下りしなきゃ渡れない。まったくひどいもんだ。



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広尾の町に入って祥雲寺。

ここはいくつも塔頭のある大きな禅寺なんだと今回初めて知りました。20年くらい前にここでお葬式があってお通夜に伺ったことがあるんだが、そのときは暗い夜道を案内看板だけ見ながらたどり着いたもんで門前に塔頭が並ぶような大きなお寺だとまるで気づいてなかった。


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広尾の商店街のお寿司屋さん。ほんと大変なことになった。

こんな時ですから、おれたちも歩いて、頑張って、生き延びよう。

(舗道に桜の花びらが)















by god-zi-lla | 2020-04-04 09:01 | 物見遊山十把一絡げ | Comments(3)
この2か月で読んだ本の備忘録(ちょっと加筆訂正 202004022124)_d0027243_15390947.jpg




ま、粛々とやろう。左から。

しらふで生きる 大酒飲みの決断 町田康(幻冬舎)
取り替え子 チェンジリング 大江健三郎(講談社文庫)
息吹 テッド・チャン/大森望・訳(早川書房)
21世紀落語史 すべては志ん朝の死から始まった 広瀬和生(光文社新書)
パワースポットはここですね 髙橋秀実(新潮社)
本当の貧困の話をしよう 未来を変える方程式(石井光太)文藝春秋

長いことおれは酒はヤメられてもタバコはヤメられんよなーきっと、と思ってたのが10何年か前にタバコをヤメようと思ったらそれっきりヤメてしまった。よくわからんが禁断症状というほどのものもなく、あーこれはタバコをヤメたという状態なんだよなとある日思ったくらいのもんである。

だからね。あーおれいま禁煙してます、っつう状態じゃなくて、あ、おれタバコ吸わない人になったんです、って感じ。となりでタバコ呑みがタバコ吸っててもまるで平気。どころか、ケムくてかなわんと思うことすらあるようになっていた。

で酒はどうかというと、そもそも昔から呑むときはバカに呑むが呑まないときは呑まないで平気でね。酒が飲みたくて死にそうだというような事態に陥ったことがない。毎日浴びるほど呑んでた時期がたしかにあったのに、そんなときでも酒なしの日がしばらく続いたからといって死にそうになったことはない(死にそうなくらい呑んだことはいくらでもあるんだけど)。

なのでちょっと町田康の心持ちというのは、わからないところもあるのである。なんつうと、おれがどんだけ今まで呑んで呑んで呑まれて呑んで呑んで酔いつぶれてそのへんで寝っ転がって朝を迎えてきたか知ってる人は、ええー❗ てなもんでしょうが。だってそうなんだもん。

でもこれは名言だと思いますね。

酒を飲んでも飲まなくても人生は寂しい。

大江健三郎をどんくらい読んでなかったかというと、このブログに大江健三郎の小説のことを書くのは初めてだってことが分かった。ブログ初めてちょうど15年たったとこだ。

で、〈治療塔惑星〉が出たとき「新刊」で読んだ記憶があるので調べてみると1991年だ。んー30年も読んでなかったのか。高校生のころ読み始めて〈ピンチランナー調書〉までは読んでない作品のほうがずっと少ないと思うんだけど、たしかその後の〈同時代ゲーム〉を読んで挫折した気がする。

で、このたび音読のリストに長く残ってたので誰も読まないんだったらおれが読もうと思って読んだ。もしリストに残ってなかったら、このままずっと読まないで終わったかもしれない。

高校生のころから大江作品を読んできて、それから長く中断して、久しぶりに読んだら不覚にも涙が出そうになった。

大江の小説でか? 自分でも信じらんないよ。
声に出して読んだからかもしれない。最近、声に出して本を読むというのは、ちょっと(いや、かなり)特別な読書体験だと思うようになっている。

テッド・チャンはこれが2冊目の作品集なんだってね。映画〈メッセージ〉を見てぶっ飛んで原作の〈あなたの人生の物語〉をハヤカワ文庫で読んでまたぶっ飛び、ほかの作品も読もうとずっと探してたのになくてさ。そしたらこれを本屋の新刊台でみつけた。思わず飛びついた。

で、オビを見たら17年ぶり2冊目の作品集だって書いてある。なんて寡作なひとなんだ。

宇宙もひっくるめた「この世界とは何か」なんてことを読みながら、読み終えてから考えちゃう小説なんてめったにない。つか、そもそもめったにモノを考えないおれを考えさす小説なんてまずない。考えさすんだから作品によっては難解だし、気楽に字面だけを追うような読み方はできない。それでも巻を措く能わず。

どれかひとつと言われたら表題作〈息吹〉か。いや〈オムファロス〉もなんかすごい。それだったら〈予期される未来〉のこんな短い作品の空恐ろしさ。いやいや、いきなり本の中に引きずり込んで離さない冒頭の〈商人と錬金術師の門〉はどうだ。

第3作品集がおれの生きてるうちに出ることを祈るのみ。

最近落語の「実演」をよく聞くようになったんだけど、なにしろどんな噺家がいるのかもよくわかってない。いまどんな噺家がいて、どんなふうな仕事をしてきて、どんなふうに評価されてるのか概観したいもんだと思って手に取った。

落語初心者のおれが実演に接したことがあって、この本に名前の出てくる噺家というと談春・花緑・喬太郎・正蔵(当代)・談四楼・一朝・一之輔・こはる・市馬・白酒・三三・鯉昇・鯉八…。んー、聞いたことのある人のほうが(当たり前だけど)圧倒的に少ない。この本に出てくる噺家片っ端から聞いてみたいもんだ。

しかし志ん朝が亡くなって、それから談志が亡くなって、それがある意味21世紀になってからの落語・噺家を面白くしてるんだってのが、じつにナルホドなんである。

「髙橋秀実」って「たかはしひでみ」さんなんですね。この本を音読しようとして著者略歴を読んだらルビが振ってあった(略歴も奥付も音読します)。この著者の本は今までにも何冊か読んでるのに(ご先祖様はどちら様、とか、不明解国語事典とか)、「黙読」ってのはまったくもってイイカゲンなもんなのであるよなあ。

石井光太のこの本は17歳の読者に向けて語りかけてるんだが、著者が世界中を歩いて見聞きしてきた凄まじい貧困・格差・差別・暴力などの取材経験をバックボーンにして、それでも(つか、それだからこそ)あらゆる人生は生きる価値があると実例を挙げながら語るのに、ほんとに耳を傾けなきゃいかんのはおれら年食った訳知り顔のオヤジだろうとつくづく思う。

家にいる時間が長くなってる。いい機会だ。もっと本読もう。









by god-zi-lla | 2020-04-02 18:25 | 本はココロのゴハンかも | Comments(0)