神はどーだっていいとこに宿る


by god-zi-lla
この2か月で読んだ本の備忘録(ちょっと加筆訂正 202004022124)_d0027243_15390947.jpg




ま、粛々とやろう。左から。

しらふで生きる 大酒飲みの決断 町田康(幻冬舎)
取り替え子 チェンジリング 大江健三郎(講談社文庫)
息吹 テッド・チャン/大森望・訳(早川書房)
21世紀落語史 すべては志ん朝の死から始まった 広瀬和生(光文社新書)
パワースポットはここですね 髙橋秀実(新潮社)
本当の貧困の話をしよう 未来を変える方程式(石井光太)文藝春秋

長いことおれは酒はヤメられてもタバコはヤメられんよなーきっと、と思ってたのが10何年か前にタバコをヤメようと思ったらそれっきりヤメてしまった。よくわからんが禁断症状というほどのものもなく、あーこれはタバコをヤメたという状態なんだよなとある日思ったくらいのもんである。

だからね。あーおれいま禁煙してます、っつう状態じゃなくて、あ、おれタバコ吸わない人になったんです、って感じ。となりでタバコ呑みがタバコ吸っててもまるで平気。どころか、ケムくてかなわんと思うことすらあるようになっていた。

で酒はどうかというと、そもそも昔から呑むときはバカに呑むが呑まないときは呑まないで平気でね。酒が飲みたくて死にそうだというような事態に陥ったことがない。毎日浴びるほど呑んでた時期がたしかにあったのに、そんなときでも酒なしの日がしばらく続いたからといって死にそうになったことはない(死にそうなくらい呑んだことはいくらでもあるんだけど)。

なのでちょっと町田康の心持ちというのは、わからないところもあるのである。なんつうと、おれがどんだけ今まで呑んで呑んで呑まれて呑んで呑んで酔いつぶれてそのへんで寝っ転がって朝を迎えてきたか知ってる人は、ええー❗ てなもんでしょうが。だってそうなんだもん。

でもこれは名言だと思いますね。

酒を飲んでも飲まなくても人生は寂しい。

大江健三郎をどんくらい読んでなかったかというと、このブログに大江健三郎の小説のことを書くのは初めてだってことが分かった。ブログ初めてちょうど15年たったとこだ。

で、〈治療塔惑星〉が出たとき「新刊」で読んだ記憶があるので調べてみると1991年だ。んー30年も読んでなかったのか。高校生のころ読み始めて〈ピンチランナー調書〉までは読んでない作品のほうがずっと少ないと思うんだけど、たしかその後の〈同時代ゲーム〉を読んで挫折した気がする。

で、このたび音読のリストに長く残ってたので誰も読まないんだったらおれが読もうと思って読んだ。もしリストに残ってなかったら、このままずっと読まないで終わったかもしれない。

高校生のころから大江作品を読んできて、それから長く中断して、久しぶりに読んだら不覚にも涙が出そうになった。

大江の小説でか? 自分でも信じらんないよ。
声に出して読んだからかもしれない。最近、声に出して本を読むというのは、ちょっと(いや、かなり)特別な読書体験だと思うようになっている。

テッド・チャンはこれが2冊目の作品集なんだってね。映画〈メッセージ〉を見てぶっ飛んで原作の〈あなたの人生の物語〉をハヤカワ文庫で読んでまたぶっ飛び、ほかの作品も読もうとずっと探してたのになくてさ。そしたらこれを本屋の新刊台でみつけた。思わず飛びついた。

で、オビを見たら17年ぶり2冊目の作品集だって書いてある。なんて寡作なひとなんだ。

宇宙もひっくるめた「この世界とは何か」なんてことを読みながら、読み終えてから考えちゃう小説なんてめったにない。つか、そもそもめったにモノを考えないおれを考えさす小説なんてまずない。考えさすんだから作品によっては難解だし、気楽に字面だけを追うような読み方はできない。それでも巻を措く能わず。

どれかひとつと言われたら表題作〈息吹〉か。いや〈オムファロス〉もなんかすごい。それだったら〈予期される未来〉のこんな短い作品の空恐ろしさ。いやいや、いきなり本の中に引きずり込んで離さない冒頭の〈商人と錬金術師の門〉はどうだ。

第3作品集がおれの生きてるうちに出ることを祈るのみ。

最近落語の「実演」をよく聞くようになったんだけど、なにしろどんな噺家がいるのかもよくわかってない。いまどんな噺家がいて、どんなふうな仕事をしてきて、どんなふうに評価されてるのか概観したいもんだと思って手に取った。

落語初心者のおれが実演に接したことがあって、この本に名前の出てくる噺家というと談春・花緑・喬太郎・正蔵(当代)・談四楼・一朝・一之輔・こはる・市馬・白酒・三三・鯉昇・鯉八…。んー、聞いたことのある人のほうが(当たり前だけど)圧倒的に少ない。この本に出てくる噺家片っ端から聞いてみたいもんだ。

しかし志ん朝が亡くなって、それから談志が亡くなって、それがある意味21世紀になってからの落語・噺家を面白くしてるんだってのが、じつにナルホドなんである。

「髙橋秀実」って「たかはしひでみ」さんなんですね。この本を音読しようとして著者略歴を読んだらルビが振ってあった(略歴も奥付も音読します)。この著者の本は今までにも何冊か読んでるのに(ご先祖様はどちら様、とか、不明解国語事典とか)、「黙読」ってのはまったくもってイイカゲンなもんなのであるよなあ。

石井光太のこの本は17歳の読者に向けて語りかけてるんだが、著者が世界中を歩いて見聞きしてきた凄まじい貧困・格差・差別・暴力などの取材経験をバックボーンにして、それでも(つか、それだからこそ)あらゆる人生は生きる価値があると実例を挙げながら語るのに、ほんとに耳を傾けなきゃいかんのはおれら年食った訳知り顔のオヤジだろうとつくづく思う。

家にいる時間が長くなってる。いい機会だ。もっと本読もう。









# by god-zi-lla | 2020-04-02 18:25 | 本はココロのゴハンかも | Comments(0)

SPレコード本末転倒日記 あるいは、音は二の次にしてでも聴きたいものをすぐ聴きたいだけなのよ。_d0027243_11552746.jpg



そんなつもりは全然なかったのに、なんかちょっとセピアっぽい写真になっちゃった。たしかに写ってるレコードは古いけどレコードそのものが「セピア調」なわけはないんである。でもまあいいや、SPレコードですから。

つうわけで、ぐるっと針を回せばSPレコードも聴けるGEのバリレラカートリッジを買っちゃったあの時、せっかく聴けるようになったんだからSPレコード買って聴いてみるしかないじゃんか。とにかくおれはそのとき生まれて初めてSPレコードを買った。

買って聴いてみると、わかってはいたんだがLPレコードにはない独特の味わいというか色香というか、えもいわれぬ何かがSPレコードを再生した音には色濃くあってね。そんなこんなで(どーせそんなことになるだろうとは予想してたものの)、つい最初の1枚を買ったあと2枚3枚とSPレコードを買うことになってしまったんである。

いっぽうでGEのバリレラカートリッジで聴くモノラルLPレコードにはダイレクトで若々しい音の楽しさがあるんだけど、かけるレコードによっちゃあ少し荒削りというかガサツというか、ようするにちょっと心穏やかに聴き続けられないレコードがあるのに気づいてしまったんであった。んー、そうするとモノラルLPはやっぱしオルトフォンCG25Diで聴きたいよ。

だけどね。モノラルLPは元のとおりCG25DiってことにしちゃうとSPレコード聴こうと思ったときにややこしい。GEはカートリッジ上部に切り替え用の回転軸が突き出てて、コイツをグリっと180度回してSPかLPどちらかの針先をセットするわけだ。これはGEだけ使ってるぶんにはすこぶる便利なメカニズムなんだけど、その回転軸があるため専用のヘッドシェルにしか取り付けられず、そのヘッドシェルのなかでカートリッジを上下にも左右にも動かせない。もしCG25DiとGEを取っかえ引っかえしようとすれば、針圧はもちろんオーバーハングからアームの高さから何から何まで、その都度調整し直さなきゃなんないわけだ。

はっきりいってすごいメンドい。そんなこといちいちやりたくない。でもモノラルLPもSPも分け隔てなく聴きたい。聴きたいと思ったときに速攻で聴きたいものを聴きたい。

で写真に写ってるのはオーディオテクニカ製AT-MONO3/SPつうカートリッジです。つまりなんちゅうかまあ、SPレコードの再生も出来るカートリッジがあるからSPレコードを買ったのにもかかわらず、こんだはSPレコード専用のカートリッジまで買い込んでしまったわけだ。

LPからSPへ、あるいはSPからLPへ。カートリッジをヘッドシェルごとパパっと付け替えるだけで、一切なんの再調整もせずに聴きたいレコードを聴けるようにしたいと思ったらこういうことになっちゃった。

オルトフォンにはCG65Diつう、CG25Diとは兄弟分のSPレコード用カートリッジがちゃんと現役でカタログに載ってます。姿形はまるで同じだ。コイツらなら多分なんの細工もなしに取っかえ引っかえできるはずだ。でもね、高い。ちゃちゃっと差し替えるだけでLPもSPもすぐに聴けるようにしたいっつう横着な願望だけで9万円もするカートリッジを買う勇気も予算もおれにはない。これがSPレコード五百枚も千枚も持ってるとかいうなら別だけどさ。せいぜい両手で数えられるくらいしか持ってないんだから、それはやっぱバチ当たりってもんだろ(いずれ五百枚になったアカツキには晴れて…、なーんてことを考えてはならぬのぢゃ)。

そのAT-MONO3/SPをフィデリックス製のヘッドシェルMIYCHAKUに取り付ける。MITCHAKU、通称みっちゃくん(おれしかそう呼んでませんけど)は今おれが一番気に入ってるヘッドシェルだというのはもちろんだが、コイツの自重がかなりあるというのが大事なんである。

自重33グラムくらいあるオルトフォンCG25Diと、なんの調整もぜずに取っ替え引っ替えしたいのよ。オーバーハングはオッケー、オルトフォンと数値を合わせるのになんの苦労もありません。高さもまあ許容範囲だな。

CG25Diは針圧4グラムで鳴らしてますが、オーディオテクニカAT-MONO3/SPの針圧印加範囲は3.0〜7.0グラムで標準5.0グラムと説明書にある。じゃあ5グラムくらいで使うのがいいとこかな。なにしろマイクロMA505Sの針圧印加目盛りは3.0グラムが最大である。オルトフォンの4グラムだって、1グラム分はバランスウェイトを前に出して加えるっつうインチキをやってるわけだ。ホントは7グラムって針圧をぐいっとかけてやりたい気がしないでもないんだけど、さすがにトーンアームの仕様の倍以上かけるってのはね。でも「標準」の5グラムはかけてやりたい。

しかしAT-MONO3/SPってカートリッジがけっこう軽い。説明書には6.8グラムとある。ヘッドシェルMITCHAKUが16グラムと重量級ではあるものの、カートリッジと足したって22.8グラム。CG25Diより10グラムくらい軽い。コイツらをなんの調整もせずに付け替えるだけで使えるようにしたい。

で、このようにした。まずCG25Di装着状態で針圧を実測4グラムでセットする。もうトーンアームはいじくらない。それをAT-MONO3/SP(とMITCHAKU)に付け替えたとき針圧が実測5グラムになるようにする。すなわち自重の軽いぶんを補ったうえで、針圧の不足分1グラムを補う。

鉛板を乗っけてやりましたさ。みっちゃくんの背中にたっぷりと。写真のとおりでございます。ジャンク箱ひっくり返したら出てきた厚さ1ミリメートルくらいの鉛板から、ヘッドシェルの背中に乗っかるサイズを切り出して貼り付けた。1枚じゃ全然足らなくて二枚重ねにしたところ、まだ少々足らない。仕方ないのでさらに小さいカケラを切り出して乗っけてみると、ようやくなんとかなった。

それをふつうの事務用両面テープで取り付けてやろうと思ったら粘着力がまるで弱く、鉛のカタマリが「みっちゃくん」の背中からズリ落ちそうになってアセった。そこでコレならどーだとブチル系のちょい肉厚の両面テープで貼り付けてみる。その状態で実際の針圧を計ってみたところ5.3グラム。テープの重さが加わってしまった。かまうもんか。

つうのが上の写真なんでした。

まあ神経こまやかで物理法則を重んずる真っ当なオーディオマニアは絶対こんなことしない。そうでしょうそうでしょう。でもこれでCG25GiでモノラルLPも楽しめるし、SPレコードも心おきなく買えます。いや、聴けます。めでたしめでたし。

つうわけで、うまく出来た記念にSPレコード買っちゃった。へへへ。いかんね、どーも。レスター・ヤングのA面が〈Foggy Day〉、B面に〈Down 'N Adam〉。メンバーはジョン・ルイスp、ジーン・ラミィb、ジョー・ジョーンズds。タイトルには〈Lester Young and His Orchestra〉とあるけどクァルテット。1951年5月8日ニューヨーク録音だからもうLPの時代だ。

レスター・ヤングの最盛期は兵隊に取られる前だっていうけど、おれはいつの時代のレスター・ヤングも好きだなあ。優雅でしなやかで、なおかつ男らしい。でもSPだから、なんかあっけなく終わっちゃう。え? そこまでなの、みたいな。しかしきっと慣れちゃえば、そこもまたSPレコードのいいとこと思えてくるのかも知れないな。

Mercuryレーベルでノーマン・グランツのプロデュース。同じレコード番号〈8946〉のままClefレーベルのヤツもあるけど、グランツが〈Clef〉を作ったのが51年というからMercury盤のほうが先なんだろうな。

しかし、いい音だわ。たまんないよ。



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# by god-zi-lla | 2020-03-31 20:05 | 常用レコード絵日記 | Comments(0)

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つうわけで今年は花見の名所へ行くのはヤメにして、近所まわりの桜を見物しに行くことにしたんであった。

おれんちの近所には桜並木なんてものはどこにもないんだけど、その代わりといっちゃあナンだがお寺がいっぱいあってその境内に1本だけ桜が植わってることが結構ある。たくさんは植わってないんだ。あっても大抵が1本。まあ町場のお寺でどこも境内が狭いってのもあると思うんですけどね。

なんでもこのへんのお寺ってのは江戸時代のいつごろだか、大火のあったとき江戸市中のあちこちに火除地を作るためお寺さんがまとめて疎開させられた、まあ言ってみればお寺の団地みたいなもんならしいな。安政のころの「江戸切絵図」を見ると、たいがいのお寺が遅くとも安政年間にはいま現在の場所にあったってことが確認できる。

まあそんなこたどーだっていい。上の写真はおれんちからちょっと坂を上った台地にあるそこそこの広さの児童公園なり。むこうのほうに小学校低学年くらいの男の子とおとうさんがベンチでお弁当広げてた。男の子はなんだかうれしそうでね。おとうさんはテレワーク中なんでしょうか。めったにないよね、おとうさんと二人して公園でおべんと。

ここの桜の見頃はしかし、来週かもね。


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ふくらみかけてるけど、半分くらいはまだ蕾だ。



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戦前ここは宮様のお邸だったんだそうだ。立派な塀はその名残。そのころからの桜かどうかはわからない。



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上の公園から少し下ったところにある日蓮宗のお寺の咲きかけの枝垂れ桜。



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上の写真を撮ったすぐ横、石段の脇に咲いているこれはハナカイドウですか? ツボミもきれいだ。



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そのへんの道ばた。セイヨウタンポポと、ダビデの星みたいのはハナニラ?



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いつもこの形に剪定してある桜が2本。けっこうな古木じゃないかと思うんだけど、枝を張らさない剪定には何か深い意味があるのでしょうか。こういう人工的な感じに整えてある桜はほかで見ないね。




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このお寺は非公開で境内に入れないんだけど、外から覗ける桜はかなり立派に見える。

つうわけでウチの近所の桜はまだちょっと早い感じだな。満開の時期になるとこのあたりの児童公園なんかでも週末は桜の下で宴会やってたりすることもあるから、来週また平日にパトロールしてこよう。









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# by god-zi-lla | 2020-03-27 23:51 | 物見遊山十把一絡げ | Comments(2)