神はどーだっていいとこに宿る


by god-zi-lla
まあいろいろありますけど、たまにはヘビロテのエントリでもデッチ上げるかと、さいきんよく聴いてるアルバムのうち24/96のファイルになってるヤツだけ選ってみた。

つっても、そんなにいろいろしょっちゅうダウンロードしてるわけじゃないけどね。どうでもいいようなのはAppleMusicとかYouTubeとかでつまみ食いしてりゃいいんだから、もうカネ払ってダウンロードしちゃえばそれはヘビロテと決まったようなモンでもあるわけさ。

で最初は出たばっかりのジェイムズ・テイラーの〈American Standard〉なり。


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なんかさ。ある年頃になるとなのか、功成り名を遂げるとなのか、それともたんにレコード会社がお膳立てしただけなのか、それまでスタンダードナンバーなんか縁もユカリもなかったような人たちがそういうアルバムを作るじゃんか。リンダ・ロンシュタットとかロッド・スチュアートとかボズ・スキャッグスとかエルヴィス・コステロとかさ。あーエアロン・ネヴィルなんかもそうだな。

でさ、ほぼ例外なくゴーカなオーケストラとか、おサレななジャズ・ピアノトリオとかを従えたりなんかしてね。

そりゃまあそれなりの方々のアルバムですから悪かろうハズもないんだ。げんにあたしらなんぞのよーなものでも愛聴したりしてるアルバムはけっこう多いですから、文句なんてぜーんぜんないですその点について一切。

でまあジェイムズ・テイラーのばやいもそのようなモンかと思ったら、さすがというのかナンというのか、この人は優しい声で穏やかな自作曲を穏やかに明朗に歌う人ではありますけど、その路線を崩すことは鼻毛の先ほどだって考えるもんじゃあないぜっつう頑固一徹の人でもあったんだねえ。

ここにはゴーカなフルオーケストラもいなけりゃジャズピアノのトリオもいない。じゃっかんのサポートメンバーを従えて(ジョン・ピザレリとかすごいメンメンではあるが)ギター弾いてテイラーが歌う。ただし歌ってるのは自分の曲じゃなくて〈私の青空〉とか〈ムーン・リヴァー〉とか〈ニアネス・オブ・ユー〉とか〈オールマン・リヴァー〉とか〈イッツ・オンリー・ア・ペイパームーン〉とか14曲。

おれ、どっちかっつうとジェイムズ・テイラーって昔っからべつに好きってほどでもないんだけどさ(優しいイイ人っぽいとこが苦手なのかしら)、これはなんだか痛快でサイコーな気がする。出たばっかだけどもう何度も繰り返し聴いてます。

自作自演歌手が他人の曲を歌ってるアルバムとしたらキャロル・キングのクリスマスソング集と双璧で好きだな。

HDTracksでダウンロード。


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つぎは「くっすん大黒」じゃなくて「プッスンブーツ」つうミョーな名前のバンドの〈Sisiter〉。

よくわからんが多分まん中がノラ・ジョーンズだな。ノラ・ジョーンズはなんかいろんなグループ(きょうびは『ユニット』とかいうんかね)をやってるみたいだけど、この人らがどーゆー人らなのかよくわからない。もう何枚もアルバム出してんだってね。なんかカントリーっぽいのをやってるというので聴いてみたら、なかなか楽しいので近ごろよく聴いてます(つか、最近出たのか)。

わりかしのったらのったらした感じで、才気煥発とかそういう感じじゃ全然なくテキトーっぽく聞こえるとこも結構あったりして、なかには聴き覚えのある曲もあるんだけど、まあそういうことをあんまし詮索しないで楽しんでたほうが良さそうなユルさがあるな。

基本ノラ・ジョーンズが歌ってるけど、あとの二人が歌ってるところもある。これも言ったらまあ、ジェイムズ・テイラーと同じように功成り名を遂げた(つまりレコード会社の経営に十分寄与した)音楽家が、ある程度好きなことを好きにやってるつうところがあるのかもね。

この、なんとはなしの大ざっぱさがいいとこかな。同じようにゆったりはしててもジェイムズ・テイラーのアルバムにはそういう印象は皆無だけど。

これもHDTracks。



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これも好きなことやってるっちゃあ好きなことやってるなあ。内田勘太郎のスライドギターのソロです。アルバムタイトルを〈桃源郷〉という。

内田名人がジャラジャラジャランと弾いてるのは〈京都慕情〉、〈夜霧よ今夜も有難う〉、〈赤いスイートピー〉、〈男はつらいよ〉とかね。かと思えば〈スターダスト〉とか〈エヴリバディ・ラヴズ・サムバディ〉とか〈サマータイム〉とか和洋問わず古めの名曲を好き放題に。

こういう名曲をマイスター内田は名曲のメロディを優しく素直にスライドギターで奏でてる。まあ鶴岡雅義がレキントギターで几帳面に弾いてるのとは違うから好き嫌いはあるでしょうけど、フェイクしたりアドリブかましたりしてるわけじゃないからなんの曲やってんのかわかんないなんてことはない。いやーシミジミとしていいよなあ。

でここまでスライドギターでメロディをキモチ良く奏でることに専念してきた内田勘太郎がラスト〈教訓1〉。あの加川良の反戦フォークソングだけを「青くなってしりごみなさい にげなさい かくれなさい」ってギター弾きながら歌ってんだよ、優しい声でもって。

これはOTOTOYから。



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それから、〈If You're Going to the City: A Tribute to Mose Allison for Sweet Relief〉。モーズ・アリソンのトリビュートアルバム。これがまたいいんだよ。モーズ・アリソンをトリビュートしてんのはジャクソン・ブラウン、イギー・ポップ、リチャード・トンプソン、ボニー・レイットといったてんでバラバラのメンメンにモーズ・アリソンの娘エイミー・アリソンなどなど。

いやなんつうかモーズ・アリソンの曲をふつうにやるだけで、哀愁のあるようなお茶目なような明るいような人を食ったような音楽になるわけなので、各自自分なりのふつうでもって楽しんでやってる感じがじつによろしくて、そうするとそれでもうモーズ・アリソンを十分トリビュートしちゃってんだなあと。

おれはどれかひとつと言われたらイギー・ポップがタイトル曲〈If You're Going to the City〉を歌ったトラックかな。最初はボニー・レイットが目当てだったんだけどね。全部聴き通してみたらボニーも悪くないんだけどここは自分でも意外なことにイギー・ポップで決まりなのだった。

これもHDTracks。


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最後はこれでどですかでん。ビル・フリゼールの〈Harmony〉。ジャケ写右端にいるのはペトラ・ヘイデン、故チャーリー・ヘイデンの娘でカントリー系のシンガーなわけだがそもそもお父さんがそっちから来た人だからな。

これはもうビル・フリゼールご一行さまによる盤石のアメリカーナ・アルバムなり。これは去年ダウンロードしたんだが、ずっと聴き続けてる。結局おれ、いわゆる「アメリカーナ」と呼ばれている音楽が好きなんだな。そして、そういう名前のないころからビル・フリゼールはそういう音楽を作り続けてる。

でジョー・ヘンリーがプロデュースする音楽も「アメリカーナ」と呼ばれるわけだけど(つか、いまやヘンリーは『アメリカーナのアイコン』なんて言われ方すらされる)、そこはやはりビル・フリゼールの作る(あるいは、かかわる)音楽とはそこはかとなく異なってて、ビル・フリゼールの音楽は当然本人のギターがキモなんであった。

これもHDTracksで。

いまや大抵のダウンロードファイルはe-onkyoとかOTOTOYとか国内のサイトでも入手できるんだけど、国内サイトのほうがずっとお値段の高いことがほとんどでさ。たとえば最初のジェイムズ・テイラーのアルバムはHD Tracksでは20.98ドルで、ダウンロードした日のレートで邦貨2,390円だった。

ところがe-onkyoで同じものをダウンロードしようとすると3,871円もするじゃないか。これだけ違えば少々メンド臭くってもHDTracksで買うしかないのよ。前にも書きましたけどHDTracksなどに正面切って入っても、こういうメイジャーレーベルの音楽は日本からではプロテクトがかかってて買えない。なのでログインした後VPNに切り替えて目指すアルバムを「買い物カゴ」に入れた後、再びVPNを切って決済しダウンロードするわけだ。

今も昔も高い国内盤を買わず安い外盤を買うっつう、まったく同じ消費行動なのであった。
しかもレコードCDと違ってファイルをダウンロードする場合、国内サイトのぶんには日本語解説や訳詞が付いてるかってばそんなサービスもない。高いぶん日本の消費者にメリットがあるわけでもなんでもなけりゃ、そりゃあ安いほうから買うさ。

ラクして商売しようったって、そうはさせねえ。
なんつて。






# by god-zi-lla | 2020-03-07 12:13 | 常用レコード絵日記 | Comments(2)
たまには王道の名盤でもどうっすか(The Popular Duke Ellington)_d0027243_17355083.jpg



来週は上野のコンサート、三宅坂の歌舞伎、池袋の芝居と三つもあったお楽しみが揃いも揃って全部中止になっちまって、なんかもう、ずずーんと気分が沈んじゃう今日このごろである。

まあこういときはやっぱ室内遊戯なんでしょうかねと思わんでもないが、どこも人出が少ないんであればお出かけしたほうが安心だったりしてさ。この時期、梅見はもう仕舞いかね。

しかしアレだよな。少なくとも根も葉もないデマに付和雷同してトイレットペーパー買うのに押し合いへし合い行列したりするのは、どう考えたって「本末転倒」ってモンだと思うよ(ホントに落とし紙が足らなくなって買いに行った人は困ったろうな)。

なんだか気詰まりなこういうときこそ、穏やかに心安らかに聴けるポピュラーな名盤だよ。あんましムツカシイもん引っぱり出して聴いてると眉間のシワがどんどん深くなっちまうんじゃあるまいかしらん。

つうわけで、たんなるコジツケなんですけど〈The Popular Duke Ellington〉である。ポピュラーなデューク・エリントンである。カタカナにしただけである。

いわゆるひとつの「エリントンナンバー」のなかでもひときわ有名どころが〈A列車で行こう〉を先頭に揃いも揃ってA面B面を占めている。だからポピュラー・エリントン。つまりそのまあ、なんつうか「ベスト盤」のようなモンといっても悪かないのではあるが、間違っちゃいけないのは既発盤からの寄せ集めじゃなく、このアルバムのために録音されたトラックがすべてである。

写真の右側は40年近く前に買った(最近こんなんばっかでスマンね)国内盤ですけど、そこに封入されている油井正一先生の日本語解説によればこのアルバムはハリウッドのRCAミュージック・センター・オブ・ザ・ワールドで66年5月9〜11日の3日間で録音されたとあり、それは二度目の来日公演の直前だったと油井先生は書いている。なるほど。

そして先生は続けてこう書く。


「エリントンはこれ以前にも何度か代表作の再演を行っておりましたが、ステレオ時代になってからは初めてのことであり、基本的なエリントン・カラーの上に、今日的なアダプテーションが施されている点でも、感動を誘わずにはおかぬ名盤となりました」


ここんとこ読んで、なるほどなあと思うまでに、じつは40年近くかかってしまった。なにしろ「ポピュラー」と名乗るくらいだから人口に膾炙したナンバーを一丁上がりで再演したお手軽盤くらいに思ってたし、実際聴くとハタチ過ぎの初心者の耳にもスルスルと入っていく心地良いオーケストラサウンドだからさ。

ところでね。このアルバムは音が良いことでも結構知られてるんじゃないかしら。そもそもビッグバンドジャズってのは、オーディオ装置にとっちゃなかなか厄介なシロモノではあるわけだ。少なくとも20代のころのおれのステレオ装置にビッグバンドジャズの再生は相当荷が重かった。とくにクライマックスでホーンが一斉に咆哮するとこにさしかかると、咆哮どころかほとんど音楽は崩壊状態でスピーカーは闇雲に絶叫するばかりで、慌ててアンプのボリュームを下げたりして。

それがこのアルバムだとそうはならなくて、安っちい装置でもそこそこ楽しめる音で鳴ってくれる。必然的にビッグバンドジャズといえばこのアルバムを聴くことが多くなるいっぽう、ほかのビッグバンドジャズのアルバムにはなかなか手が出ないっつう時期がずいぶんと続いたもんである。

で、ふと思ったんだけど、油井正一先生が「今日的なアダプテーション」と指摘したのは勿論その当時の音楽の流行だとかバンドメンバー、ソリストの顔ぶれとかに合わせてアレンジをアップデートしたってことが第一義ではあったんでしょうが、なにしろ大企業RCAの出すレコードだ。

もしかしたらレコード会社、プロデューサー、エリントン含め関係者は1966年当時の電蓄よりはちょっと高級なハイファイ装置でもって、中流家庭のオトーサンがリビングルームでゆったり快適に聞ける(つまりナイトクラブやダンスホールあるいはコンサート会場とは違った)家庭用ビッグバンドサウンドってのを拵えようとしたってことがあったりなんかしたんじゃないか。

つまりそういうアレンジに加えてレコードに刻むサウンドにまで「今日的なアダプテーション」を施した結果がこの無類の快適さなんじゃあるまいか、なんてことをちょっと思ったりもしたんでした。

いやもちろん、いつもの通りおれの勝手な妄想でしかないから信用しないように願いますけどね。

とにかくそんくらいこのレコードにはジャズリスナーの初心者・マニアを問わず、ステレオ装置の安物・高級も問わない快適なレコード音楽ってのがみっしりと詰まってる感じがするんだよな。

たとえばさ。油井先生が書いている通りこのレコードは日本およびアジアツアー出立前に録音されており、たぶん帰国直後にこんだは〈極東組曲〉を同じRCAに録音してるわけだ。

もちろんこれは全曲エリントンがアジアツアーの印象をもとに書き下ろしたもんだから、まあエリントンのコアなファン向けでもあったろうから内容からして前作とはまるで性格が違うわけなんだけど、収められたサウンドの傾向もなんかちょっと尖った感じで〈The Popular Duke Ellington〉とは違うような気がする(そう思って聴くからかもしれないけど)。

だからやっぱりね、選曲、アレンジだけじゃなくてサウンドやジャケットデザインまでトータルとして「ポピュラーなデューク・エリントン」つうレコードを非常に意識して作ったんじゃないかって思ったりするんだよ。

いやそんなことを考えるようになったというのも先日写真の左、ほとんど違いがわかんないでしょうけど〈The Popular Duke Ellington〉の初期盤を、飲み会の時間調整のつもりで入った新宿ユニオンで見つけて買ってしまったのがキッカケでね。もちろんおれが買うんだからジャケット表裏に手書きのラベルが貼ってあったり書き込みがあちこちにあったりするキチャナイ徳用盤なんだが、さいわい盤そのものはほぼ無キズでノイズもほとんどない。

いやー聴いてみると案の定というか、国内盤でもじゅうぶんいい音だと思うんだけど、もう40年楽しませてもらった国内盤を聴くことはないかもなあという、なんつうかもう一段艶が乗りパワーも加わった感じのする音でね。ひょっとしてこれはたんなるお手軽再演盤なわけはないぞ。最初から「気軽に聴けるデューク・エリントン・オーケストラの名盤」にするつもりでエリントンとレコード会社が練りに練って作り上げたアルバムに違いない。そう信じたくなる音なのであった。

ところで話は変わりますけども、我が家のスピーカーJBL L101ランサーは1965年に登場している。このアルバムの1年前だ。ひょっとしてこのへんのスピーカーで聴かれることを想定してたかもなあなんて、それはハナシとして出来すぎってもんですかね。

それで、いまちょっと検索してみたらあのAcoustic Research AR3aも1966年発売だった(オリジナルAR3は59年)。もしかするとこの時代、アメリカの中流家庭のリビングルームに無理なく収まる高性能な家庭用ハイファイスピーカーが次々登場したブレイクスルー期だったってことがありますか? そこをエリントンとRCAは狙い撃ちした? んー。ひょっとしたら、出来すぎということもないのかもしれない。




こうして芝居もコンサートも中止になった憂さを妄想で晴らす日々なのであった。


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国内盤 RJL-2515(油井正一の解説は必読。和文ライナーはこうでなくっちゃ)
米盤 LSP-3576








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# by god-zi-lla | 2020-03-02 11:04 | 常用レコード絵日記 | Comments(2)
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ピーター・バラカンのラジオを聞いてたらライル・メイズが亡くなったんだという。なんでもここ10年くらいはもう音楽の仕事をしてなかったみたいだ。これでPMG=パット・メセニー・グループの最終アルバムは2005年の〈The Way Up〉になっちゃったってことだろうな。

ライル・メイズは上の写真の右端、グラブとボールが乗ったキーボードを弾いてる黒メガネの長髪野郎である。

もう何遍もブログに書いてる気がするけど70年代のケツから80年代はじめにかけて、おれはパット・メセニー・グループのレコードに助けられてきたようなところがある。人によっちゃあそれはチャラチャラした単なるハヤリもんのフュージョンミュージックにしか聞こえなかったかしんないけど、まあそういう人とおれはアカの他人だ。

そうクヨクヨしなさんな、今を抜ければきっといい日も巡ってくるさ。おれにとっちゃ40年くらいむかしのその時期、パット・メセニー・グループのレコードは日々そう励ましたり慰めたりしてくれる音楽なんであった。

もちろん今だってヤツらのレコードをかけるとそういうふうに聞こえてくるんだが、そういうふうに励ましたり慰めたりしてほしいと切実に思うことは(うれしいことなのか残念なことなのかわからないけど)おれのほうにもうない。

ライル・メイズの音楽については4年くらい前のエントリーでこういうふうに書いた。読み返してみると、いまもそのとおりのことを思ってるのでとくに付け加えることもない。

ただ、ここ10年くらいはもう音楽活動をしてなかったと聞くと、ライル・メイズの音楽というのはパット・メセニーとともにあってこそ光り輝く種類のものだったんだろうなあと、あらためて思わざるをえない。だけど逆にいうと、パット・メセニーもバンドにライル・メイズを得なければ、ああやって世界に出て行くためにもう少し余計な時間を必要としたんじゃあるまいかって気がする。

上の写真は80年のアルバム〈AMERICAN GARAGE〉のジャケットの裏だ。ECMはトリオが国内盤を出していて、ジャケットのまん中らへんに懐かしいロゴが印刷されてる。これをたぶん発売すぐに買ってきて(ECMの本国盤は枚数が出回らないうえに値段も高かった気がする)毎晩毎晩繰り返し繰り返し聞き続け、そして助けられる日々だった。

10年くらい前にドイツ盤のオリジナルも手に入れたけど、だけどまあライル・メイズが亡くなったと知ってごく個人的な感傷に浸るならこっちだと思った(おんなじ絵柄だけどさ)。

もうPMGのリユニオンは永遠にないんだな。メセニーが古希を迎えるころにはと少し期待してたんだけどさ。あったとしてもライル・メイズ抜きのPMGに意味を見出すのは難しい気がする。少なくともおれには。

ライル・メイズは53年生まれで享年66歳だったそうだ。



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去年手に入れた88年のライル・メイズのアルバム。そのうちブログになんか書いてやろうと思ってるうちに日が過ぎて、本人が死んでしまった。

ゲフィンのアルバムで、エグゼクティブ・プロデューサーとしてパット・メセニーの名前がクレジットされている。ジャケット右上に貼ってあるステッカーには「パット・メセニー・グループのキーボーディスト」とある。

それはそうなんだけど、ちょっと寂しいかな。



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(追記)
いま突然思い出したんだが、〈AMERICAN GARAGE〉はラジオでA面1曲目〈(Cross The)Heartland〉がかかってるのを聴いてイチコロでヤラれた。それですぐにアルバムを買いに走ったんだった。





# by god-zi-lla | 2020-02-23 23:27 | 常用レコード絵日記 | Comments(0)