神はどーだっていいとこに宿る


by god-zi-lla

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音楽聴いてしみじみしようなんて気は以前だったらさらさらなかったけども、気がついてみればいつのまにか音楽聴いてしみじみしている自分がそこにいたりなんかするのであった。

トシとったってことだろうか。だとすればトシとるってのも悪かないとしみじみ思ったりもする今日このごろである。

雑誌の新譜紹介欄にアコギの名手ふたりのデュオで、これがしみじみと素晴らしいんだというようなことが書かれていて、おじさんデュオのひとりは超絶技巧で鳴らしてきた人で、もうひとりはナッシュヴィルの重鎮だそうなんだが、そういうことに疎いおれは恥ずかしながら全然知らないのであった。

そのトミー・エマニュエルとジョン・ノウルズというふたりがアコギだけで演奏してるのが、ビリー・ジョエルとかビージーズとかマイケル・マクドナルドとかハンク・ウィリアムズとか、とにかくそういう人たちの(曲名は思い出せなくとも)あーこれ知ってるよなーっつう耳になじみのあるナンバーでね。

なんかさ。このトミー・エマニュエルというひとはウィキペディアなんか見ると超絶技巧で知られるギタリストだそうなんだけど、それっぽいアドリブや速弾きなんてどこにもないし、そのうえ特別凝ってるとも思えない(ような気がする)アレンジで、メロディラインをギターで歌うことだけに専念してるアルバムなんだよ。

ジャンルでいったら、もう断然イージーリスニングすね。むかしよくあった「想い出のポピュラー名曲集」なんていう邦題をうっかりつけられちゃいそうなくらいである。しかし、そもそもの原題が〈Heart Songs〉ってんだから「こころの歌」か。まあ、モトがじゅうぶんベタだわな。

たぶんスピーカーの左チャンネル寄りがトミー・エマニュエルだと思うんだが、メロディラインはほぼ全面的にその左のひとが弾き、右寄りの多分ジョン・ノウルズがそれをゆったりと支えてる感じ。

それがなんだか、自分たち自身がじっくりと味わうように丁寧にプレイしてるようでね。緩急や強弱の変化をつけようという意識もあんまりないようなゆったりとした弾きっぷりというか、うまく言えないんだけど、とにかく作為のないギターとでもいえばいいんでしょうか。

いや、だからまあ、しみじみすると。

聴いてるおれはむろんしみじみしてるが、たぶん弾いてるオヤジふたりもしみじみしてる。

それから、このレコードの音なんだけどね。アコギの録音でここまでギターの演奏ノイズを拾ってるのって珍しいんじゃあるまいか。いやそれが、たぶんたまたま拾っちゃってるんじゃないんだろうと思うんだよ。

このアルバムのレーベルはトミー・エマニュエル個人のものらしい。そのうえプロデュースもアレンジもエマニュエル本人だ。エマニュエルは超絶技巧のひとだというから、きっと自分のギターサウンドを微に入り細を穿つように聴かせようっつう気持ちがあるんだろうな(相方のノウルズのサウンドはそれほどでもなく控えめ)。

だから、なんつうかオーディオ的にいうとこれはイージーリスニング的に聴き流せるような音じゃ全然なくてね。しみじみ聴いてるようで、耳はスピーカーのほうへグイっと引っぱられてる感じがする。ちょっとそのへん、タダモノでない。

そういえば、おれの聴いてる音楽にめったに反応しないうちの奥さんが、このギター誰? すごいねと驚いてた。楽器をやるひとにはわかる何かがあるんだろうか。

わからんおれはちょっと悔しい。





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左がトミー・エマニュエル、右がジョン・ノウルズ。
録音もほぼこのような位置にきこえる。

HEART SONGS (CGP SOUNDS CGP0071) LP

by god-zi-lla | 2019-04-30 07:47 | 常用レコード絵日記 | Comments(2)
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つうようなわけで伊豆の河津に桜見物に行ってきたがそれはいずれまた。

ヴァン・モリソンて人はおれにとっちゃうんと遠い人で90年代の初めころ、なにかのきっかけでその頃出たCDを数枚買って聴いてみたがそれっきりになっていた。

それがなんだか知らないけど、先月たまたまこの2018年にオルガンのジョーイ・デフランセスコと共演したアルバムから何かをどっかで聴いて、うおーこれいいじゃんとビックリしてからApple Musicであらためて全曲聴いてみたんだ。そしたらやっぱりいい。んーむ、こういう人なんだっけ。なにしろ前回ちゃんと聴いたのが90年代のことで全部忘れてる。

で基本的にストリーミングで聴いて気に入れば、あとの段取りはブツを買い求めるのみ。ストリーミングの音楽はアッチの勝手な都合(会社が潰れるとか儲からないからヤメちまうとか)で消えてなくなることがあるが、ブツをひとたび手に入れてしまえば消えてなくなるのはテメエの責任だからさ(ダウンロードしたデータ含めて)。

そしてもちろんレコードがあればレコード買うわけで、レコードがあったのでレコード買った。

〈You're Driving Me Crazy〉というアルバムが写真だ。2枚組み。ハラの出たオッサンふたりがリムジンの後席でだらしなく座っている多重露光の写真のようなカヴァーアート。CDならまだしもLPサイズだとなんかクドい。

どう言っていいんだかわかんないけど、ブルーズとジャズのあいだでトラックによって、あるいはひとつの曲のなかでも少しブルーズのほうに寄ってみたりする感じだが、基本デフランセスコのオルガンがでへでへどりょどりょと(レスリースピーカーの音のつもりです)鳴り続けてるからジャズったってそれはファンキーだ。

ところで、こんなに良かったんでしたっけヴァン・モリソン。ひょっとして20年以上たっておれの嗜好が変わったんかとこのレコードを何度も聴いたあとで昔買ったCDを引っぱり出して聴いてみた。ジョン・リー・フッカーと共演してるヤツ。

そうするとやっぱなんかしっくりこない。シブく歌うジョン・リー・フッカーの横でみょうに声のデカいヴァン・モリソン。B.B.キングやバディ・ガイみたいな地声の相当デカそうなおっさん相手ならまだしも、そうでもないフッカーとこれでいいのか、とか、しょせんブルースマンてのはひとりで歌う人なんだからさ、とか思っちゃうのであった。

もしかしたらおれは90年代にもそんな感想を抱いたのかな。まるっきし思い出せない。でも、とにかくまあデフランセスコのオルガンとトランペットをバックにクドい歌い回しで歌っちゃあデヘデヘと品なく笑ってる今回のヴァン・モリソンを気に入ってしまったのは間違いない。

なるほど中身のクドさがジャケットのクドさと意外とマッチしてんだな。

ところでこのアルバムのあとすぐにまたジョーイ・デフランセスコをバックに歌ったアルバムを出してたと知ってApple Musicで聴いてみたんだ。そしたら、まだいっぺんしか聴いてないけどこっちのほうがもうちっとジャズから遠ざかって品無くブルーズっぽい感じにきこえる。おーなんか、こっちのほうがさらにおれの好みかもしれない。

そうするとレコードが。






by god-zi-lla | 2019-03-01 09:40 | 常用レコード絵日記 | Comments(0)
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カキフライカウンター始動!

カキフライって洋食屋やトンカツ屋で揚げたてを出してもらってハフハフしながら食うのはお金さえ払えばなんとかなりますけど、じぶんちで揚げたてをハフハフするとなるとお金では解決しない問題が山積である。

台所仕事つうのはなにかを拵えながら同時に片付けてくってのが天下の王道というもんだから、まあハッキリ申し上げて作るだけでいいんだったら日曜日だけおだいどこに立つオトーサンでもそう難しいわけじゃない(バカでもできるとまでは申しませんけど)。

さあ、ゴハンが出来たぞ。みんなで食べよう、というときに台所はそこそこキレイになってるってのが料理の味とともに台所仕事のウデの見せ所というようなもんである。

ところがカキフライをいちばん美味しい揚げたての瞬間に食おうといたしますと、これがなかなかそうはまいらない。うっかりするとパン粉だのなんだのコロモ関係の容器が無残な姿を食後もさらしてたりるす。あーおいしかったねー、カキフライの季節だねー、ごちそうさまー、なんか言いながら食器を流しに持ってくと死屍累々の戦場がそのままそこに残されていて暗澹たる気分である。

だからまあなんと申しましょうか。このへんの損害を軽微ならしめるための段取りといいますか、カキフライを美味しく揚げる技術といつもよりメンド臭い調理器具の片付けを両立させるのが熟練のワザというものなんであるが、きのうはカキフライカウンター今季1回転目でそこんとこがやや不満な立ち上がりとなってしまったんであった(カキフライの仕上がりは申し分ないと自分で言うのもナンなんだけどね)。

それはともかくとしてだな。

スコット・ハミルトンつう人はおれより2コか3コ年上のテナー吹きで、ちょうどおれがジャズを聴き始めたころにデビューして「若い世代には珍しい中間派の新星」というような注目のされ方をしてたんであった。

まあハッキリ申し上げてコルトレーンだドルフィーだと日々燃え上がっていた若造にとっちゃ「中間派」なんてのはまるで無縁の存在というもんである。

あるときFMかなんかでハミルトンがかかったのを聴いて、おれといくつも歳の変わらないミュージシャンがこんなヘロヘロした老人のようなテナーを吹いててナニこいつ、と決めつけたが最後、そのままおれの視界からスコット・ハミルトンが消え去って幾星霜。

そのスコット・ハミルトンがカーリン・クローグを迎えてアルバムを作り、これがとっても良いというような評を読んだのはもう1年以上前のことなんだけど、まあこういう場合たんにレコード評に良いことが書いてあるから買ってみるというほどおれは人品骨柄が良いほうじゃないから多分そのホメかたがよっぽど気に入ったんだろうな。

なにしろ40年くらい前にFMで耳にしたっきりおれの人生には不要と決めつけたハミルトンと、アーチー・シェップやデクスター・ゴードンとアルバムを作ったことのある北欧のシンガーということしか知らないカーリン・クローグのアルバムを聴きもせずに買う気になったんだから、どこのだれがなにを書いてたんだかすっかり忘れちゃいるけどたいしたモンである。

スコット・ハミルトンは65歳くらい、カーリン・クローグは80歳くらいでしょうか。なにがどういいんだか説明しろといわれても困るんだけど、なにしろ穏やかで明るい空気が最初から最後までゆったりと流れるでもなく流れてる感じ。それでいてそこかしこに、うまいなあと感心する瞬間があってさ。こないだ渋谷で聴いたハン・ベニンクのときも思ったけど、チャーミングに歳を取ったプロフェッショナルの仕事ってのはじつにいいもんだなあ。若くして世を去ったコルトレーンやドルフィーが生きながらえてたら、彼らにもこんな瞬間が訪れてたんだろうかなんて、ちょっと思ったりもしてね。

でこのアルバムを多分リッピングってのを始めた最初のほうでHDDのなかに収容したんだよ。以来、晩メシの支度なんかしながらしょっちゅうかけては耳だけ音楽のほうへ向けている。シャウトもブロウもないから夏のあいだ、窓を開け放ったままかけてても気兼ねがないしさ。

たぶんこのアルバムをスピーカーにメンと向かって聴いたことってほとんどないんじゃないかしらん。何かしながら聴いてても邪魔にならない。邪魔にはけっしてならないんだけど、耳はちゃんと聴いてて印象に残る。ハミルトンのここんとこのソロは悪くないよなあ、とか、カーリン・クローグってばあちゃんなのになかなかキュートなところがあるもんなとかさ。

まあおれもトシを取ったってことかもしれませんけど、気がついたらスコット・ハミルトンがヘヴィーローテーションだ。

(STUNT RECORDS STUCD15192)

by god-zi-lla | 2017-10-08 07:41 | 常用レコード絵日記 | Comments(4)
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「常用レコード絵日記」なんていいながら1か月以上のご無沙汰でございました。

なにしろ花見だ歌舞伎だ旅行だと春はどうも目移りがしていけない。でも、レコード買って聴いちゃあいるんだよ。

3月のなかばくらいだったか渋谷のハンズへ台所用品だか掃除道具だか、とにかく近所のホームセンターには売ってないナニモノかを買い出しに行った帰りがけ、久しぶりにハンズの斜め向かいのビルにあるレコファンをちょこっと覗いてみた。

そしたらピエール・バルーなんだ。

オビに高橋幸宏とか鈴木慶一とか清水靖晃とか印刷してあってさ。そういえばこれって80年代のいつ頃だったかいっとき話題になったレコードじゃなかったけ。だけどピエール・バルーってよく知らないし、その頃は(いまもあんまり変わってないけど)ほとんどフランスにもフランス人のやる音楽に興味がなかったもんだから、じっさいのところホントに話題になったかどうかだってわからない。

高橋幸宏に鈴木慶一かあ(あとでメンバーよく見たら鈴木慶一というよりかムーンライダーズまるごとなんだな)。見れば坂本龍一の名前もある。

そういえばピエール・バルーの訃報を見たのはそんなに前のことじゃなかったよなと後で調べてみたら、去年の暮れも押し詰まった28日に亡くなっていたんだね。そんな記憶もどっかにあったからかついエサ箱から引っ張り上げ、雨に打たれながら両切りのタバコを咥えるバルーのワイルドなクローズアップのジャケットを、しげしげと眺めてしまったんである。

そして、オビやら裏ジャケやら矯めつ眇めつしてるうちに、なんとなくこれは買ったほうがいいのではあるまいかという気がしてきて、結局この1枚だけをレジに持って行って店を出たのだった。

こういう「勘」には素直に従っといたほうが後々良い目を見られるというのがエサ箱漁り45年の年季ってヤツでね。

そしてそれからひと月以上たつんだけど、以来今日まで図抜けて第一位のヘヴィーローテーション盤なのであった。

針を下ろしたとたんA面1曲目のマリンバの聞こえる、ちょっとアフリカっぽいような風が吹き抜けるアレンジにやられた。ダメなんだよね、おれマリンバとかザイロフォンとかキコンキコン、ポキンポキンの木琴にとにかく弱いんだよ(ヴァイブラフォンのような鉄琴も好きだけど『木琴』ほどじゃない)。そこにピエール・バルーの飾り気のないフランス語の歌が乗ってくる。

ふたつめのトラックになるとストリートオルガンみたいな音で(アナログシンセだな)アフリカっぽいとこからフランスに上陸する。あーもうダメだ、やっぱ45年の「勘」はダテじゃない。

曲によってバックは高橋幸宏が中心だったり清水靖晃だったり、あるいはそっくりそのままムーンライダーズがいたりするアルバムなんだけど高橋幸宏の曲がたくさんあって(詞は全部バルー)、これは高橋幸宏がアルバム全体のプロデューサーってことなのかもしれない。

それにしても高橋幸宏がバルーのためにいい曲を書いてるよなあ。きっと高橋はバルーのことがすごく好きなんだろうな。そしてバルーはバルーで高橋幸宏の書いた曲がすごく気に入ってるんじゃあるまいか。

そして高橋の曲もそうでない曲も騒がないし急がない。シンセを使ったトラックとアコースティックなトラックの違和感がなくて、どっちも風通しの良い音楽になってる。80年代初めよりも今聴いたほうが新しくきこえる種類の音楽かもしれない。

んー。こんなレコードだったなんて全然知らなかった。

だけどさ。30なん年前にこのアルバムをおれがどっかで聴いたとして、はたしてそのときおれはこいつをレコード屋へ買いに走ったかと考えると、たぶんそんなことはしなかっただろうって相当の確信を持って言えますね。あのころはこういう音楽に向けてアンテナを立ててなかった。

で、さらに言えば30なん年前にすでに聴いたことがあったとすると、先月渋谷でこいつを見つけても買わなかった可能性のほうが高い気がする。なにゆえなら「あー、昔聴いたことのあるアレね」って、どんな音楽だったかはすっかり忘れてるもののピンとこなかったって記憶だけは残ってるから、30なん年後その記憶が「勘」の働くのを邪魔する。

だから多分、おれにとっちゃ80年代にこいつを聴かなかったことがこんにち只今のシアワセに繋がってると考える蓋然性が高い。

まあ、こういうことが時々あるんだ。



*ピエール・バルー/Le Pollen(花粉) 日本コロムビアYF-7056 82年LP

by god-zi-lla | 2017-04-25 10:50 | 常用レコード絵日記 | Comments(0)
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買い損なうといけないからLPの新譜は気がつけば予約しとくんだけど、最近はレコードブームだかのおかげか初版を売り切って再プレスすることもあるようだから以前のようにあっというまに高値が付くってことも少し減ったかもしれない。

まあしかしブームってのは所詮ブームだ。流行りは必ず廃れる。盛者必衰生者必滅。終わるからこそブームに価値あり。なのでご同輩方も決してご油断召されぬようお気をつけ遊ばしませませね。

つうわけでノラ・ジョーンズのニューアルバムをずいぶん前に予約しといたら、先日忘れた頃にやってきたのであった。さっそく封を切ってゲートフォールドのなかにあるペラ1枚の(ちなみにレコードも1枚)ライナーを何気なく眺めてみると、B面ラストのトラックがエリントンの〈FLEURETTE AFRICAINE(AFRICAN FLOWER)〉となっている。へえ、エリントンのカバーをやってるのか(ちなみにニール・ヤングとホレス・シルヴァーの曲も1曲ずつ収録されている)。

でね。この〈FLEURETTE AFRICAINE(AFRICAN FLOWER)〉というのをどっかで見た気がするんだけど思い出せない。もしかして気のせいかもしれない。エリントンは聴きますけど大のエリントンファンというわけでもないからそんなにレコードCDを持ってるわけじゃない。まあでも、聴けば、ああこれかって思い出すかもしれない。

まあそれはともかく、その封入されたペラ1枚のライナー見るまでこのニューアルバムについて予備知識がなんにもなかったもんだから、そこにウェイン・ショーターとブライアン・ブレイドとジョン・パティトゥッチの名前があるのには結構びっくりした。いや結構どころじゃないな。ピアノを除けばあのオーチャードホールにコンサート聴きに行って80歳とは思えぬ尖りまくった音楽にぶっ飛んだウェイン・ショーターのバンドそのものじゃんか。

聴き始めると、過激で実験精神に満ち溢れたウェイン・ショーターがソプラノでシンプルに淡々とノラ・ジョーンズの声に寄り添ってる。ほとんどヴィブラートをかけない音数もごく少ない、ちょっと聴きだとスティーヴ・レイシーのようでもあるサウンドで穏やかに、まさに「寄り添う」という感じ。ステージでやってるとしたら、そうだなあノラとピアノのところにあまり明るくないスポットが当たっていて、ショーターはそのスポットの灯りの終わるあたりの境目にいてソプラノを構えてる。表情はよく見えない。パティトゥッチとブレイドはさらにその後方のほの暗いところにいる。

もちろんショーターグループの加わるトラックとそうでないトラックがあるんだけども(ブレイドだけ単独で入ってるトラックもあり)、おれはやっぱりジャズ聴く人だもんだからショーターのソプラノの聴けるトラックにどうしても吸い寄せられてしまう。だけどアルバム全体としても、そっちがメインなんじゃないのかな。ジャジーと言ってしまうと単純にすぎるんだけど、やっぱりジャジーと言うしかないようなね。

でB面ラスト、デューク・エリントンの〈FLEURETTE AFRICAINE(AFRICAN FLOWER)〉。始まって1秒後くらいに、あ、そうか、ようやっと思い出した。エリントン、マックス・ローチ、チャールズ・ミンガスの破壊的名盤〈MONEY JUNGLE〉のA面、冒頭タイトルチューンの信じられないような電撃金網デスマッチ的演奏に続く、あの静かで優雅な2曲目が「アフリカの花」だったんだ。

ショーターとパティトゥッチとブレイドだけの演奏で始まる現代の「アフリカの花」。静かだ。ひょっとしてノラ・ジョーンズのヴォーカルが加わらないままそっとアルバムを閉じるのかもしれないと思い始めたころ、ノラのハミングが加わってくる。スキャットでなくハミング。ショーターのソプラノがじつにさりげなくそのハミングに寄り添ってくる。

最後までハミングなんだよ。詞はない。まいったな。やられました。ショーターもすごいが、この曲を作ったエリントンもすごい。しかしなによりこれを歌って、アルバムの最後に置いたノラ・ジョーンズがすごい。今年おれが聴いた2016年「歌」のベストトラックはこれで決まりです。


(BLUENOTE 602547955722)LP



*10月18日改題


by god-zi-lla | 2016-10-17 16:56 | 常用レコード絵日記 | Comments(0)
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いやー春一番が吹いたら冬本番だな。

おれがCDプレーヤーを仕方なく買った80年代のおしまい頃、どうもCDで真剣に音楽を聴く気になれなくって、わりと軽いものばっかり買ってた時期があってね。たいていのヤツはすっかり忘れて聴かなくなっちゃってるんだけど、いまでもときどき引っぱり出すことがあるのがイザベル・アンテナってフランスのシンガーの〈Hoping For Love〉というアルバムなんだけどさ。

そもそもCDだからこそ買って聴いてみたアルバムなんだから、LPがあるなんて思いもしないし探しもしないし、もし見つけたとしても多分買わなかったと思うんだ。

それをなぜか今になって見つけてしまったのであった。もちろん探してなんかいません。探してないものは往々にして見つかるものなんである。いやー出てたんですね当時LPで。あのころ見つけないで、いま見つけてホントに良かった。28年前だったらきっと買ってません。不思議なもんだよな。

おれが長年聴いてたのは国内盤のCDでね。〈愛のエスポワール〉っつう邦題がついてるんだけど、最初のトラックの〈南の海の魚〉って曲がフランス語で歌われるボサノバ風の曲で、これがなんだかすごく良くってこればっかり聴いてた時期もあったくらい。だからLPを見つけたときも、あーあの曲がどんな音で入ってんだろうって、聴くまでそれが楽しみでさ。

でA面のアタマに針を落としたとき当然この曲が聴けると思ってたら、こりゃ一体全体どうしたことか。フランス語でアンテナが歌うアコギをバックにしたボサノバじゃなくて、ずっと80年代っぽい(たぶん当時はもっとコンテンポラリーに聞こえたような)フレンチポップスが飛び出してきたじゃないか。ありゃま、こりゃまたなんかの間違いでもありましょうか。

とりあえずA面そのまま聴き続けたんだが、どうも聴いたことあるような無いような曲が続くんだ。なにしろ最近は繰り返し聴いてるわけじゃないから、こういう曲があったのかなかったのか覚えてない。逆にいえば〈南の海の魚〉ってフレンチ・ボサノバが印象深い曲だってことでもあるんだけど。

それでB面にひっくり返して再び針を下ろしたところようやく、おーこれこれ、これだよフランス語のボサノバ! んー。こんかい見つけたLPはベルギー盤でたぶんこれがオリジナルなんだと思うんだが、こりゃあどうやら国内盤のCDを作るときに曲順を入れ替えたんだな。日本人には絶対このフレンチ・ボサノバのほうがウケるってビクター音楽産業株式会社のディレクターが曲順変えたんだよ。

そしてその術中に見事にハマったまま28年たった日本人の一人がおれなんであった。
いやまあじつに見事なお仕事ぶりじゃあございませんかのことよ。ホントにいいとこ突いてくるもんじゃないか。

でね。ちょっと感心しながらほかの曲順もLPとCDを見比べてたんだよ。そしたらこれが結構シャッフルしてあって単純にB面スタートでA面後回しってわけでもないんだが、さらにずうーっと目を凝らしていると、あれぇ?

トラックを数えてみたら国内盤CDのほうがベルギー盤LPより収録曲が2曲少ない10曲だ。いや、LPのほうが少ないんじゃなくてCDのほうが少ないの。んー、それじゃあ聴いたことあるような無いような感じがするのはムリもなかったんだ。だって聴いたことある曲と、ない曲がホントに入り交じってんだもん。だけどなんでそんなことしたんだろか。とくに初期のころは収録時間の長いのがCDの大きな長所だって吹聴されまくってたんだから、わざわざLPよりも曲数削るってのは一体なんだったんだろう。

(と思ってamazon見たら現行の欧州盤CDは17曲も入ってるじゃんか。んー)
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いい音のLPなり。少なくとも当時の国内盤CDよりずっといい音なのは間違いない。80年代後半のLP侮り難し。
by god-zi-lla | 2016-02-16 21:34 | 常用レコード絵日記 | Comments(0)
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なんだか東京地方はこの二、三日でようやく冬がやってきたようなので、やっとダウンの上衣を引っぱり出してきたりしている。

いま色川武大の〈生家へ〉という連作短編を読んでるんだけど、この作品によらず色川武大の小説を読んでると、この人は自分の内側に抱えた得体の知れないもののためにすごく生きにくい人生を生きたんだろうなあと思うのだった。

もう25年以上も前の89年、色川武大の訃報を聞いてその時はちょっと早すぎだろうと思ったものだが、その後いくつもこの人の遺した小説を読んだ今となってみれば、むしろこんな生きにくい人生をよく還暦まで生き延びたものだなあと思わずにいられないんだ。

それからきのう池袋で〈ストレイト・アウタ・コンプトン〉ていうアメリカ映画を見たんだが、ヤツらはアメリカにおける黒人という生まれる前から決まってしまっているどうしようもない「事実」にアタマを押さえつけられて、おれらからすればすごく生きにくいとしか言いようのない人生を送らざるをえないことにあらためて驚いてしまう。

それにしてもHIVに命奪われる31歳は早すぎる。
だけどそうやって死んだ若者に、もう少し自分の人生を大事にすればよかったんだなんていうのはまるで的外れな物言いというもので、生きたいように生きる以上に自分の人生を大事にする方法なんてあるはずがない。そんなことはちょっと考えればわかることなのに、ついそうでないことを訳知り顔したオトナは考えてしまう。

ところで鈴木慶一のニューアルバムが12月の中頃に出たのは判ってたけど、もしかしてLPも出るんじゃないかと様子を見てみたものの出そうにないもんだから、ようやっと今年になってCDを買い求めて聴き始めたんだ。そしたらこれだ。
年取って愛される事減ってきたんじゃないないない?
なんつうかね、心当たりなんてなーんにもないし身に覚えだってぜーんぜんないのに、図星を指されたとしか言いようがない感じ。なんなんだよ。繰り返しますけど「年取って愛される事減ってきたんじゃないないない?」だぜ。なんかこう神経を逆撫でするいやーなフレーズのような気がしてならないわりに、なぜか何度も何度も飽きずに聴いてしまってこれは一体全体どうしたことか。

まいったなあ、しかも鈴木慶一らしい架空の懐かしさの充満するあのサウンドである。
それから同じ曲のもうちょっとうしろのほうにある一節が、
遠いしあわせと、近い不幸と
どっちかとるなら、近い方でいい
理不尽だがなぜか腑に落ちてしまうのは、年取って愛されることが減ってきたせいかしら。そりゃあおれだってもうじき60歳だしな。遠い幸せは、もう遠すぎる。

好きになれない人はいくら聴いたって好きになれないであろう、鈴木慶一の傑作ニューアルバム〈Records and Memories〉はP-VINE創業40周年アニヴァーサリーシールが目印です。
by god-zi-lla | 2016-01-14 12:30 | 常用レコード絵日記 | Comments(0)
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前にも書きましたけど、楽しかったり面白かったりしたものはブログに載っけるけど、つまんねーものとかハラの立つものってのはなるだけやらないようにしてるんだよ。だって自分の楽しみでブログやってんだから、思い出してハラの立つようなことをわざわざ思い出したくないじゃんか。あー楽しかったねえ、なんて気分はいくらでも反芻したいけどさ。

だけどたまにはハラに据えかねて吐き出したくなることもある。
原作者井上ひさしの著作権継承者が難色を示して「原作者」の表記をしてないことが、芝居見たらいっぺんに腑に落ちたよ。だけどそんなこと確認するために大枚叩いたうえ渋谷の雑踏かき分けてくほどに、おれは酔狂じゃありません。

大勢の人が親しんだ題名を使って新しいものを作るんだったら、作る側はそれを踏まえたうえでそれを超えて素晴らしいものを作って、新たに作られたものがオリジナルからいかにかけ離れていようとも(それがパロディであれ)オリジナルに親しんできた大勢の人を納得させる(少なくともそのために最大限の努力をする)責任てのがあるとおれは思うんだが、それがまるで見えないからハラが立つ。

あー二つのエントリにまたがってブチまけちまった。

そんなことじゃなくて最近のヘヴィーローテーションは佐野元春のニューアルバムなんでした。これは良いです。佐野元春が近ごろのヨノナカでキモチ悪いと思ってるモロモロをすごくキモチいい音楽に仕立てててさ。その佐野元春の語る世間のキモチ悪さにも佐野元春の作る音楽のキモチ良さにも吸い込まれて、ここひと月くらい毎日繰り返し聴いてる。

そもそもファンじゃないんだけどね。なにしろ佐野元春のアルバム買ったのって30何年ぶりだもん。今年30歳になった娘が生まれる前、その頃住んでた碑文谷のアパートの大家さんの店のすぐ近所のレコード屋で買ったのをなぜだか覚えてるんだよな。

おれにとっちゃ佐野元春って、ちょっと才能あるからってエラソーにしやがっていけすかねえ学年1コ上のヤツ、みたいな。野田秀樹なんかも同じ。

だのに野田秀樹の芝居もいつのころからか好きで見るようになったし、こんだは佐野元春だ。

年齢近いのに自分と違って才能溢れるニンゲンてのを意味もなく嫉妬して反発するっていう、よくある凡庸な若者のパターンだな。いつか自分もナニモノかになりたいと思ってはいるけどナニモノにもなりそうにないってことも薄々感じてたりしてさ。おれ自身のほうがよっぽどいけすかねえヤツなわけだ。

それがここへきて好きになるってことは、ようするにまあ、還暦を前にようやっと自分はナニモノでもないってことに納得したってことだな。情けないねえ。

それにしても世間のキモチ悪さだ。
ある日
聖者を気どっている妙な人に会った
君のこと、知っているよ
清らかな言葉が得意だ
穏やかな笑顔で席を立って
祈る姿もキマっている
どこかの教祖になりたいか
だれかの神になりたいか

聖者を気どっている妙な人に会った
聖者を気どっている妙な人に会った

(誰かの神)
キモチ悪いものがものすごくかっこいいサウンドに乗っかっている。

---

あ、それからApple MusicよりCDのほうがだんぜん音がいい。
できればLPも出して欲しいもんです。

(ブラッド・ムーン/佐野元春&コヨーテバンド POCE-9390)
by god-zi-lla | 2015-12-26 07:28 | 常用レコード絵日記 | Comments(0)
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ところで先月の終わりころ、ずっと前に書いたブログにつけた写真探してて気づいたんだが、おれがこんなブログを始めてからもう10年過ぎちゃってたんだよな。

ということに気づいたとき次のエントリにでもそれを書いておこうと思ってたのに、それを忘れてまた1か月くらいたってしまっていたんでした。あははは。そういうのにあんまり頓着しない性格なもんですから。じつはユニークユーザー数が10万を超えたのに気づいたのも20万を超えたのも30万もリアルタイムでは全然気づかずに、あーこんなに見てもらってんのかあ、なんてね。一瞬思うんだけどすぐに忘れちゃう。

やっぱそういうので周年事業とかやったりする人もいるんでしょうけど、べつにそれほどのもんでもありませんから、いちおう長年お付き合い下さってる皆さまには厚く御礼くらい申し上げておかにゃいかんよなあと思う次第なんでございます。いやほんと、口は悪いんですけどじつはマジメに感謝してるんです。以下、フォントサイズとカラーを変えて感謝のコトバとさせていただきます。
こんなものをよくもまあ10年、
書くほうも読むほうも
まったくどうかしているよ(笑)


それはともかくとしてだな。せんだっての朝いつものようにインターFMバラカンモーニングの後番組のヴァンス・ケイ・ショウを聴いてたらゲストにキャット・エドモンソンて女の子のシンガーが出てきてさ。おれ英語はからきしですけど、ヴァンス・ケイのインタビューに彼女が答えるのを聴いてるとすごく訥弁というのかしゃべり慣れてないのか内気なのか、ことによったら英語ネイティヴじゃない国のひとかと一瞬思ったくらいなんだけど、なんか声がカワイイ。しかもインタビュアーのヴァンスがしきりにカワイイカワイイを連発するうえ彼女に日本語のカワイイって知ってるか、みたいなことまで言っている。

そこまで言われるとラジオだからよけい気になるってもんでさ。ふだんは聞き流してるのがつい耳をそばだてたりしてね。いったいぜんたいどんな歌うたうんだよそのカワイイ・カワイイ女の子が。

で、スタジオで歌ったんだよ。そしたら喋る声よりさらにファニーな歌声でさ。ちょっとコドモっぽいような、一瞬ノラ・ジョーンズに似てなくもないかなというような、ヘリウム・ヴォイスふうでもあるし、ふと思い出したのがジミー・スコットの声だったりして、んーむ、説明すればするほどこれは泥沼だな。

こうなると1枚CDでも買ってみないといけません。ちょっと前ならMusicUnlimitedでも検索して聴いてみるところだったでしょうけど、そんなものはいまや雲散霧消、江戸は高輪大木戸のそのまた向こう、品川沖に霞たなびいてどこへやら。

しかしCD買ってみるとSONYなところが皮肉ってもんだが、とにかく上の写真がそのCDだ。

ラジオのインタビューではよくわかんなかったんだが、どうやらこのキャット・エドモンソンというシンガーはその声でもってニューヨークの自作自演歌手らしい。ニューヨークの自作自演歌手つうとスザンヌ・ヴェガとか思い出しちゃうところだけど、あんなふうにいかにも込み入ってややこしい恋愛感情とか人間関係とか、あるいは難しいヨノナカを歌ったりしてるというよりは50年代か60年代のおっとりしたいかにもアメリカのポピュラーソングって感じのする懐かしいような、だけどその懐かしさも若いシンガーが歌ってんだからじつは架空の懐かしさのようでもある不思議な歌をうたってるんだよ。

ようするに気に入ったんです(笑)

これがアルバムのオープニング曲。ところでこのPVのなかで彼女は暗室作業をしてますが、アルバムの表紙でもカメラを構えている。ブックレットを開くと彼女のキュートな写真のちりばめられて、それこそ50年代から60年代Columbiaのアルバムにでもあったようなデザインの「架空の懐かしさ」が展開されてるんだな。これはダウンロードじゃできないしLPにこんなブックレットは付けられないだろうから、パッケージ自体はたんなるプラケースだけど珍しくCDっていうブツを買った満足感みたいのがあったんだ。これでCDのラベルが六つ目だったりすればホント楽しかったんだけどね(そしたらMusicUnlimitedの件はキレイサッパリ忘れてやってもよかったぜ)。
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(SONY MASTERWORKS 88843 08459 2)
by god-zi-lla | 2015-05-23 13:32 | 常用レコード絵日記 | Comments(0)
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というわけで台北はまたあらためて。
いつもながら、そう簡単には続かないのである。

この本はたしか六本木のビルボードライブへアラン・トゥーサン聴きに行ったとき、ちょっと早めに着いちゃったもんだから六本木駅前バス停のまん前にある青山ブックセンターにバスを降りてそのまま直行、ここも手ぶらで出らんない本屋なんだよなーなんて思いながら音楽の棚を眺めてたら見つけてしまったんであった。

松田美緒というとブラジルはノルデスチの音楽を現地でレコーディングしたりするアッチ系のシンガーだっていう認識しかなかったところ、ちょっと前に武満徹ソングブックっていうアルバムにアン・サリーとかおおはた雄一とかと混ざって何曲か歌ってるのを聴いて、あー思ってたよりも広いジャンルの歌をうたうひとだったんだなあと思ったりしてね。

その後アルバムとほとんど同じメンツで武満徹の歌をうたうコンサートが目黒のパーシモンホールであったのも聴きに行ったんだよ。べつに松田美緒を聴こうとかそういうとじゃなくって、たんにそのアルバムが(おれが持ってるのは24/96のファイルですけども)非常に気に入ったからなんだけどもそこで松田美緒ほんにんの歌うのを見て聴いて、んーむ、こういう華奢な若い女性が世界中を飛び歩いて歌をうたうんだからたいしたモンだなあ、なんてことを思っていたのだった。

そんな下地にあったもんだから、オビの「日本の多様な原風景を探し求めて、祖谷、伊王島、小笠原からブラジル、ハワイへ— うたをめぐる壮大な旅がいま始まる!」つう惹句につられて(なおかつ『伊王島』というのが読めなくて、いったいどこの島なんだっつう興味も含めて)思わず手に取っちゃったんである。

どっかで何かの拍子に行きあった、ある場所に伝わってたり歌い継がれていたり消えかかってたりほとんだ忘れられてたりする歌の断片に惹かれてその歌を知るためにその土地を訪ねて歌を覚え、あるいはこうであったかもしれないという想像でもって失われかけた歌を「復元」して歌ってみるというようなことを松田美緒はやっている。それがまた民謡であったり何か正体不明の口伝えのメロディだったりしてまるで一様でない。共通してるのは日本の国内外でごく普通の、歌手とか芸人とかそういうのじゃない日本人(あるいは日本人だった人)が日常生活のなかで伝えてきた歌だってとこだ。

それを民謡だろうが西洋音階の歌だろうがピアノとパーカッションとベース(2曲で早坂紗知がサックスを吹いている!)だけのバンドをバックに歌ってる。だからなんつうか多分松田美緒は自分の耳で聴いた印象そのままを自分で歌ってるんだと思うんだけど、自分の聴いた印象そのままというのは多分もとの歌そのままというのとは微妙に違ってんじゃないかとも思うわけだ。で、おそらくそれは意識的にそうされたんだろうし、そうすることによってよりその歌がもともと持ってる意味とか気分とかが鮮明に伝わるだろうと考えてのことなんだろうと思うんだな。

だから同じ松田美緒のVIDA CARNAVALISTAなんていうアルバムと続けて聴いてみても全然違和感がない。たぶんこのアルバムだって現地の人が歌う歌い方そのままに歌おうなんて思ってなかったんじゃないかという気がする(と、いま思い当たったんだけども)。

中身は「山のうた」「伊王島のうた」「海のうた」「南洋のうた」「移民のうた」というふうに章立てされてるんだが、山のうたは秋田の鹿角と徳島の祖谷の、山で仕事をするひとびとに歌い継がれた民謡で、祖谷と鹿角が尾根伝いに繋がっているように並べられている。しかも途中に風変わりなリフが挟まってたりしてじつに自由だ。

その次の伊王島というのは長崎湾にある島なんだってことをおれは本文を読んで初めて知ったんだが、ここで歌われるうたはどれもキリシタン信仰と深く繋がった歌なんだけどこれは民謡というんでなく、子どもの遊び歌のような歌から始まって古い童謡のような歌に移る前に別の外国語の歌(ブラジルの歌か)が挟み込まれたりする。それもまた信仰の歌。

海のうたの章のひとつは相馬の大漁歌い込み。もとはもちろん漁師が船の上で歌ううただったのが今回の原発の惨禍で歌より先に歌う場所のほうが1日にして消えてなくなってしまった。悲しげなこれもポルトガル語なのかラテン系の歌がブリッジのように入っている。もうひとつは福岡行橋のこれはお座敷遊びで歌われるような歌かもしれないが、それにしちゃあなんちゅうグルーヴ感なんだ。

南洋のうたの章は1曲だけだがこれがレモングラスという穏やかで甘い若い恋人たちのバラッドなのに、本文を読んでみるとこの恋人たちは日本から来たおまわりさんとポナペの娘さんなのだ。すごく悲しい。戦争と別れ。南の海づたいに日本の委任統治領だったポナペから小笠原に伝わって残った歌なんだそうだ。いい歌だよなあこれ。

移民のうたという章はある意味この本(=CD)のクライマックスというか、日本の外へ出て行った(出ていかざるをえなかった)人たちの厳しい暮らしのなかに浮かぶ望郷の思いと、歌を求めて日本の外に遠く旅した松田美緒の接点のように聞こえる歌が四つ。日本の旋律と西洋の音階の混ざるような混ざらないような、気持ちいいのに物悲しい歌が繋がっていくんだよな。

じっさいにそこへ行ってみる人ならではの視線と歌で3500円、お買い得ではありますまいか。



(CD1枚+本1冊/アルテスパブリッシング刊)
by god-zi-lla | 2015-03-17 12:24 | 常用レコード絵日記 | Comments(0)