神はどーだっていいとこに宿る


by god-zi-lla

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つうわけで毎日いろいろありますけど、最近いちばん聴いてるのはこの人のアルバムなのだった。

ずいぶん前(もしかして2年くらい前か)のことだけどYouTubeの〈Tiny Desk Concert〉のチャネルをぼんやりとあれこれ聴いてたところ、たまたま上の映像に行き当たったんである。おー、なんだかこの、おじさんバンドを従えて歌うメキシコの可愛らしいシンガーがやけにいいじゃんか。

Natalia Lafourcade、ナターリア・ラフォルカデでいいのか? だいたい名前をなんて発音するのかすらわからない。けど、なんかいいなあ、もうちょっと聴きたいもんだと、たまたますぐに買えるCDを(つまり選ぶ余地はなかった)1枚買ってみたんであった。

ウィキペディアを見るとメキシコの人だってことしかわかんない(それだけだったらYouTubeで本人が演奏の合間にちょっとだけ喋ってること聞いてりゃ、おれにだってわかるって)。届いたCDはと見れば、これがスペイン語だけでやんの。でもね、それでもいっこうにかまわない。音楽ってな聞こえるものがすべてなのさ(なんちて)。

上のTiny Desk Concertの演奏はわりかしメキシコ、メキシコしてるっつうか、おれのようなモンガイカンが聴いても、あーこれはメキシコの音楽だなあって感じにきこえる。それに対してたまたま手に入れた〈Un Homenaje Al Folclore Latinoamericano En Manos De Los Macorinos Vol.2〉ってアルバムはもっとヴァラエティ豊かに汎ラテン的つうか、ちょっとボサノヴァっぽいトラックとか、哀愁が溢れに溢れて、あーこれ聴いてると日本のムード歌謡曲ってこういうとこにご先祖様がいるんだろなーって感じのトラックとか、じつにさまざまですごく楽しい(すまん。ラテン音楽に詳しい人だったらいろいろ説明できるんでしょうが)。

だけどいっときあんまり聴いてなかったんだよな。それがこないだ、ふと思い出して久しぶりに聴いてみたんだ。そしたら案の定いい。

ふだん、おれはなんつうか癒されたくて音楽聴こうなんてまるで思わないんだけど、たまにはそういう時間があってもいいとは思う。

ブログに書いたことがあったかもしれないけど2011年の震災の後そんなに間を置かないころ、細野晴臣が〈Hosonova〉っていうこぢんまりとしたアルバムを出してさ。タイミング的にいって震災のときには完全に出来上がってたはずのこのアルバムが、なぜかドンピシャあの時期の沈鬱でいたたまれないような不安の日々のなかにじわじわと染みてきてさ。あの年の4月5月くらいは、このアルバムをたぶん毎日どころか日に何回も聴いてた気がする。

それでね。あれから9年たった2020年3月は、このメキシコのシンガーのアルバムがじわじわとココロに染みてくるもんだから、ほとんど毎日のように聴いているわけだ。

するとさ。あのころとは逆にさ。そんなふうに染みてくる音楽があるってことは、つまりおれの心持ちのなかにあの2011年の重苦しい気分に近いものが少し兆し始めてるってことなんだろうなあと思い当たってしまうんであった。

あーいや、そんな辛気くさいことを書くつもりじゃなかったんだよ。そんなことはともかくこのNatalia Lafourcadeつうメキシコの若い女性歌手の声と音楽が、なんともいえない心地よさだもんだからさ。

ちょっとイヤな感じに凝り固まってしまいそうな気分を、ちから任せじゃなくゆっくりとほぐしてくれる。このひとのアルバムと、先日ちょっと書いたジェイムズ・テイラーが出したばかりのスタンダード集がいまこの時期のここにあって、ほんとに助かったなあと思う今日このごろなり。



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Un Homenaje Al Folclore Latinoamericano En Manos De Los Macorinos Vol.2 ( Sony Music Latin 19075822822 )



by god-zi-lla | 2020-03-25 23:57 | 常用レコード絵日記 | Comments(4)
まあいろいろありますけど、たまにはヘビロテのエントリでもデッチ上げるかと、さいきんよく聴いてるアルバムのうち24/96のファイルになってるヤツだけ選ってみた。

つっても、そんなにいろいろしょっちゅうダウンロードしてるわけじゃないけどね。どうでもいいようなのはAppleMusicとかYouTubeとかでつまみ食いしてりゃいいんだから、もうカネ払ってダウンロードしちゃえばそれはヘビロテと決まったようなモンでもあるわけさ。

で最初は出たばっかりのジェイムズ・テイラーの〈American Standard〉なり。


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なんかさ。ある年頃になるとなのか、功成り名を遂げるとなのか、それともたんにレコード会社がお膳立てしただけなのか、それまでスタンダードナンバーなんか縁もユカリもなかったような人たちがそういうアルバムを作るじゃんか。リンダ・ロンシュタットとかロッド・スチュアートとかボズ・スキャッグスとかエルヴィス・コステロとかさ。あーエアロン・ネヴィルなんかもそうだな。

でさ、ほぼ例外なくゴーカなオーケストラとか、おサレななジャズ・ピアノトリオとかを従えたりなんかしてね。

そりゃまあそれなりの方々のアルバムですから悪かろうハズもないんだ。げんにあたしらなんぞのよーなものでも愛聴したりしてるアルバムはけっこう多いですから、文句なんてぜーんぜんないですその点について一切。

でまあジェイムズ・テイラーのばやいもそのようなモンかと思ったら、さすがというのかナンというのか、この人は優しい声で穏やかな自作曲を穏やかに明朗に歌う人ではありますけど、その路線を崩すことは鼻毛の先ほどだって考えるもんじゃあないぜっつう頑固一徹の人でもあったんだねえ。

ここにはゴーカなフルオーケストラもいなけりゃジャズピアノのトリオもいない。じゃっかんのサポートメンバーを従えて(ジョン・ピザレリとかすごいメンメンではあるが)ギター弾いてテイラーが歌う。ただし歌ってるのは自分の曲じゃなくて〈私の青空〉とか〈ムーン・リヴァー〉とか〈ニアネス・オブ・ユー〉とか〈オールマン・リヴァー〉とか〈イッツ・オンリー・ア・ペイパームーン〉とか14曲。

おれ、どっちかっつうとジェイムズ・テイラーって昔っからべつに好きってほどでもないんだけどさ(優しいイイ人っぽいとこが苦手なのかしら)、これはなんだか痛快でサイコーな気がする。出たばっかだけどもう何度も繰り返し聴いてます。

自作自演歌手が他人の曲を歌ってるアルバムとしたらキャロル・キングのクリスマスソング集と双璧で好きだな。

HDTracksでダウンロード。


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つぎは「くっすん大黒」じゃなくて「プッスンブーツ」つうミョーな名前のバンドの〈Sisiter〉。

よくわからんが多分まん中がノラ・ジョーンズだな。ノラ・ジョーンズはなんかいろんなグループ(きょうびは『ユニット』とかいうんかね)をやってるみたいだけど、この人らがどーゆー人らなのかよくわからない。もう何枚もアルバム出してんだってね。なんかカントリーっぽいのをやってるというので聴いてみたら、なかなか楽しいので近ごろよく聴いてます(つか、最近出たのか)。

わりかしのったらのったらした感じで、才気煥発とかそういう感じじゃ全然なくテキトーっぽく聞こえるとこも結構あったりして、なかには聴き覚えのある曲もあるんだけど、まあそういうことをあんまし詮索しないで楽しんでたほうが良さそうなユルさがあるな。

基本ノラ・ジョーンズが歌ってるけど、あとの二人が歌ってるところもある。これも言ったらまあ、ジェイムズ・テイラーと同じように功成り名を遂げた(つまりレコード会社の経営に十分寄与した)音楽家が、ある程度好きなことを好きにやってるつうところがあるのかもね。

この、なんとはなしの大ざっぱさがいいとこかな。同じようにゆったりはしててもジェイムズ・テイラーのアルバムにはそういう印象は皆無だけど。

これもHDTracks。



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これも好きなことやってるっちゃあ好きなことやってるなあ。内田勘太郎のスライドギターのソロです。アルバムタイトルを〈桃源郷〉という。

内田名人がジャラジャラジャランと弾いてるのは〈京都慕情〉、〈夜霧よ今夜も有難う〉、〈赤いスイートピー〉、〈男はつらいよ〉とかね。かと思えば〈スターダスト〉とか〈エヴリバディ・ラヴズ・サムバディ〉とか〈サマータイム〉とか和洋問わず古めの名曲を好き放題に。

こういう名曲をマイスター内田は名曲のメロディを優しく素直にスライドギターで奏でてる。まあ鶴岡雅義がレキントギターで几帳面に弾いてるのとは違うから好き嫌いはあるでしょうけど、フェイクしたりアドリブかましたりしてるわけじゃないからなんの曲やってんのかわかんないなんてことはない。いやーシミジミとしていいよなあ。

でここまでスライドギターでメロディをキモチ良く奏でることに専念してきた内田勘太郎がラスト〈教訓1〉。あの加川良の反戦フォークソングだけを「青くなってしりごみなさい にげなさい かくれなさい」ってギター弾きながら歌ってんだよ、優しい声でもって。

これはOTOTOYから。



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それから、〈If You're Going to the City: A Tribute to Mose Allison for Sweet Relief〉。モーズ・アリソンのトリビュートアルバム。これがまたいいんだよ。モーズ・アリソンをトリビュートしてんのはジャクソン・ブラウン、イギー・ポップ、リチャード・トンプソン、ボニー・レイットといったてんでバラバラのメンメンにモーズ・アリソンの娘エイミー・アリソンなどなど。

いやなんつうかモーズ・アリソンの曲をふつうにやるだけで、哀愁のあるようなお茶目なような明るいような人を食ったような音楽になるわけなので、各自自分なりのふつうでもって楽しんでやってる感じがじつによろしくて、そうするとそれでもうモーズ・アリソンを十分トリビュートしちゃってんだなあと。

おれはどれかひとつと言われたらイギー・ポップがタイトル曲〈If You're Going to the City〉を歌ったトラックかな。最初はボニー・レイットが目当てだったんだけどね。全部聴き通してみたらボニーも悪くないんだけどここは自分でも意外なことにイギー・ポップで決まりなのだった。

これもHDTracks。


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最後はこれでどですかでん。ビル・フリゼールの〈Harmony〉。ジャケ写右端にいるのはペトラ・ヘイデン、故チャーリー・ヘイデンの娘でカントリー系のシンガーなわけだがそもそもお父さんがそっちから来た人だからな。

これはもうビル・フリゼールご一行さまによる盤石のアメリカーナ・アルバムなり。これは去年ダウンロードしたんだが、ずっと聴き続けてる。結局おれ、いわゆる「アメリカーナ」と呼ばれている音楽が好きなんだな。そして、そういう名前のないころからビル・フリゼールはそういう音楽を作り続けてる。

でジョー・ヘンリーがプロデュースする音楽も「アメリカーナ」と呼ばれるわけだけど(つか、いまやヘンリーは『アメリカーナのアイコン』なんて言われ方すらされる)、そこはやはりビル・フリゼールの作る(あるいは、かかわる)音楽とはそこはかとなく異なってて、ビル・フリゼールの音楽は当然本人のギターがキモなんであった。

これもHDTracksで。

いまや大抵のダウンロードファイルはe-onkyoとかOTOTOYとか国内のサイトでも入手できるんだけど、国内サイトのほうがずっとお値段の高いことがほとんどでさ。たとえば最初のジェイムズ・テイラーのアルバムはHD Tracksでは20.98ドルで、ダウンロードした日のレートで邦貨2,390円だった。

ところがe-onkyoで同じものをダウンロードしようとすると3,871円もするじゃないか。これだけ違えば少々メンド臭くってもHDTracksで買うしかないのよ。前にも書きましたけどHDTracksなどに正面切って入っても、こういうメイジャーレーベルの音楽は日本からではプロテクトがかかってて買えない。なのでログインした後VPNに切り替えて目指すアルバムを「買い物カゴ」に入れた後、再びVPNを切って決済しダウンロードするわけだ。

今も昔も高い国内盤を買わず安い外盤を買うっつう、まったく同じ消費行動なのであった。
しかもレコードCDと違ってファイルをダウンロードする場合、国内サイトのぶんには日本語解説や訳詞が付いてるかってばそんなサービスもない。高いぶん日本の消費者にメリットがあるわけでもなんでもなけりゃ、そりゃあ安いほうから買うさ。

ラクして商売しようったって、そうはさせねえ。
なんつて。






by god-zi-lla | 2020-03-07 12:13 | 常用レコード絵日記 | Comments(2)
しみじみするのはじつに結構なことであるよ(Heart Songs / Tommy Emmanuel & John Knowles)_d0027243_07142824.jpg




音楽聴いてしみじみしようなんて気は以前だったらさらさらなかったけども、気がついてみればいつのまにか音楽聴いてしみじみしている自分がそこにいたりなんかするのであった。

トシとったってことだろうか。だとすればトシとるってのも悪かないとしみじみ思ったりもする今日このごろである。

雑誌の新譜紹介欄にアコギの名手ふたりのデュオで、これがしみじみと素晴らしいんだというようなことが書かれていて、おじさんデュオのひとりは超絶技巧で鳴らしてきた人で、もうひとりはナッシュヴィルの重鎮だそうなんだが、そういうことに疎いおれは恥ずかしながら全然知らないのであった。

そのトミー・エマニュエルとジョン・ノウルズというふたりがアコギだけで演奏してるのが、ビリー・ジョエルとかビージーズとかマイケル・マクドナルドとかハンク・ウィリアムズとか、とにかくそういう人たちの(曲名は思い出せなくとも)あーこれ知ってるよなーっつう耳になじみのあるナンバーでね。

なんかさ。このトミー・エマニュエルというひとはウィキペディアなんか見ると超絶技巧で知られるギタリストだそうなんだけど、それっぽいアドリブや速弾きなんてどこにもないし、そのうえ特別凝ってるとも思えない(ような気がする)アレンジで、メロディラインをギターで歌うことだけに専念してるアルバムなんだよ。

ジャンルでいったら、もう断然イージーリスニングすね。むかしよくあった「想い出のポピュラー名曲集」なんていう邦題をうっかりつけられちゃいそうなくらいである。しかし、そもそもの原題が〈Heart Songs〉ってんだから「こころの歌」か。まあ、モトがじゅうぶんベタだわな。

たぶんスピーカーの左チャンネル寄りがトミー・エマニュエルだと思うんだが、メロディラインはほぼ全面的にその左のひとが弾き、右寄りの多分ジョン・ノウルズがそれをゆったりと支えてる感じ。

それがなんだか、自分たち自身がじっくりと味わうように丁寧にプレイしてるようでね。緩急や強弱の変化をつけようという意識もあんまりないようなゆったりとした弾きっぷりというか、うまく言えないんだけど、とにかく作為のないギターとでもいえばいいんでしょうか。

いや、だからまあ、しみじみすると。

聴いてるおれはむろんしみじみしてるが、たぶん弾いてるオヤジふたりもしみじみしてる。

それから、このレコードの音なんだけどね。アコギの録音でここまでギターの演奏ノイズを拾ってるのって珍しいんじゃあるまいか。いやそれが、たぶんたまたま拾っちゃってるんじゃないんだろうと思うんだよ。

このアルバムのレーベルはトミー・エマニュエル個人のものらしい。そのうえプロデュースもアレンジもエマニュエル本人だ。エマニュエルは超絶技巧のひとだというから、きっと自分のギターサウンドを微に入り細を穿つように聴かせようっつう気持ちがあるんだろうな(相方のノウルズのサウンドはそれほどでもなく控えめ)。

だから、なんつうかオーディオ的にいうとこれはイージーリスニング的に聴き流せるような音じゃ全然なくてね。しみじみ聴いてるようで、耳はスピーカーのほうへグイっと引っぱられてる感じがする。ちょっとそのへん、タダモノでない。

そういえば、おれの聴いてる音楽にめったに反応しないうちの奥さんが、このギター誰? すごいねと驚いてた。楽器をやるひとにはわかる何かがあるんだろうか。

わからんおれはちょっと悔しい。





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左がトミー・エマニュエル、右がジョン・ノウルズ。
録音もほぼこのような位置にきこえる。

HEART SONGS (CGP SOUNDS CGP0071) LP

by god-zi-lla | 2019-04-30 07:47 | 常用レコード絵日記 | Comments(2)
この1枚だけにハマってるモリソン(You\'re Driving Me Crazy)_d0027243_14100042.jpg




つうようなわけで伊豆の河津に桜見物に行ってきたがそれはいずれまた。

ヴァン・モリソンて人はおれにとっちゃうんと遠い人で90年代の初めころ、なにかのきっかけでその頃出たCDを数枚買って聴いてみたがそれっきりになっていた。

それがなんだか知らないけど、先月たまたまこの2018年にオルガンのジョーイ・デフランセスコと共演したアルバムから何かをどっかで聴いて、うおーこれいいじゃんとビックリしてからApple Musicであらためて全曲聴いてみたんだ。そしたらやっぱりいい。んーむ、こういう人なんだっけ。なにしろ前回ちゃんと聴いたのが90年代のことで全部忘れてる。

で基本的にストリーミングで聴いて気に入れば、あとの段取りはブツを買い求めるのみ。ストリーミングの音楽はアッチの勝手な都合(会社が潰れるとか儲からないからヤメちまうとか)で消えてなくなることがあるが、ブツをひとたび手に入れてしまえば消えてなくなるのはテメエの責任だからさ(ダウンロードしたデータ含めて)。

そしてもちろんレコードがあればレコード買うわけで、レコードがあったのでレコード買った。

〈You're Driving Me Crazy〉というアルバムが写真だ。2枚組み。ハラの出たオッサンふたりがリムジンの後席でだらしなく座っている多重露光の写真のようなカヴァーアート。CDならまだしもLPサイズだとなんかクドい。

どう言っていいんだかわかんないけど、ブルーズとジャズのあいだでトラックによって、あるいはひとつの曲のなかでも少しブルーズのほうに寄ってみたりする感じだが、基本デフランセスコのオルガンがでへでへどりょどりょと(レスリースピーカーの音のつもりです)鳴り続けてるからジャズったってそれはファンキーだ。

ところで、こんなに良かったんでしたっけヴァン・モリソン。ひょっとして20年以上たっておれの嗜好が変わったんかとこのレコードを何度も聴いたあとで昔買ったCDを引っぱり出して聴いてみた。ジョン・リー・フッカーと共演してるヤツ。

そうするとやっぱなんかしっくりこない。シブく歌うジョン・リー・フッカーの横でみょうに声のデカいヴァン・モリソン。B.B.キングやバディ・ガイみたいな地声の相当デカそうなおっさん相手ならまだしも、そうでもないフッカーとこれでいいのか、とか、しょせんブルースマンてのはひとりで歌う人なんだからさ、とか思っちゃうのであった。

もしかしたらおれは90年代にもそんな感想を抱いたのかな。まるっきし思い出せない。でも、とにかくまあデフランセスコのオルガンとトランペットをバックにクドい歌い回しで歌っちゃあデヘデヘと品なく笑ってる今回のヴァン・モリソンを気に入ってしまったのは間違いない。

なるほど中身のクドさがジャケットのクドさと意外とマッチしてんだな。

ところでこのアルバムのあとすぐにまたジョーイ・デフランセスコをバックに歌ったアルバムを出してたと知ってApple Musicで聴いてみたんだ。そしたら、まだいっぺんしか聴いてないけどこっちのほうがもうちっとジャズから遠ざかって品無くブルーズっぽい感じにきこえる。おーなんか、こっちのほうがさらにおれの好みかもしれない。

そうするとレコードが。






by god-zi-lla | 2019-03-01 09:40 | 常用レコード絵日記 | Comments(0)
若いころなら見向きもしなかったな(Scott Hamilton + Karin Krog / The Best Thing In Life)_d0027243_07391637.jpg



カキフライカウンター始動!

カキフライって洋食屋やトンカツ屋で揚げたてを出してもらってハフハフしながら食うのはお金さえ払えばなんとかなりますけど、じぶんちで揚げたてをハフハフするとなるとお金では解決しない問題が山積である。

台所仕事つうのはなにかを拵えながら同時に片付けてくってのが天下の王道というもんだから、まあハッキリ申し上げて作るだけでいいんだったら日曜日だけおだいどこに立つオトーサンでもそう難しいわけじゃない(バカでもできるとまでは申しませんけど)。

さあ、ゴハンが出来たぞ。みんなで食べよう、というときに台所はそこそこキレイになってるってのが料理の味とともに台所仕事のウデの見せ所というようなもんである。

ところがカキフライをいちばん美味しい揚げたての瞬間に食おうといたしますと、これがなかなかそうはまいらない。うっかりするとパン粉だのなんだのコロモ関係の容器が無残な姿を食後もさらしてたりるす。あーおいしかったねー、カキフライの季節だねー、ごちそうさまー、なんか言いながら食器を流しに持ってくと死屍累々の戦場がそのままそこに残されていて暗澹たる気分である。

だからまあなんと申しましょうか。このへんの損害を軽微ならしめるための段取りといいますか、カキフライを美味しく揚げる技術といつもよりメンド臭い調理器具の片付けを両立させるのが熟練のワザというものなんであるが、きのうはカキフライカウンター今季1回転目でそこんとこがやや不満な立ち上がりとなってしまったんであった(カキフライの仕上がりは申し分ないと自分で言うのもナンなんだけどね)。

それはともかくとしてだな。

スコット・ハミルトンつう人はおれより2コか3コ年上のテナー吹きで、ちょうどおれがジャズを聴き始めたころにデビューして「若い世代には珍しい中間派の新星」というような注目のされ方をしてたんであった。

まあハッキリ申し上げてコルトレーンだドルフィーだと日々燃え上がっていた若造にとっちゃ「中間派」なんてのはまるで無縁の存在というもんである。

あるときFMかなんかでハミルトンがかかったのを聴いて、おれといくつも歳の変わらないミュージシャンがこんなヘロヘロした老人のようなテナーを吹いててナニこいつ、と決めつけたが最後、そのままおれの視界からスコット・ハミルトンが消え去って幾星霜。

そのスコット・ハミルトンがカーリン・クローグを迎えてアルバムを作り、これがとっても良いというような評を読んだのはもう1年以上前のことなんだけど、まあこういう場合たんにレコード評に良いことが書いてあるから買ってみるというほどおれは人品骨柄が良いほうじゃないから多分そのホメかたがよっぽど気に入ったんだろうな。

なにしろ40年くらい前にFMで耳にしたっきりおれの人生には不要と決めつけたハミルトンと、アーチー・シェップやデクスター・ゴードンとアルバムを作ったことのある北欧のシンガーということしか知らないカーリン・クローグのアルバムを聴きもせずに買う気になったんだから、どこのだれがなにを書いてたんだかすっかり忘れちゃいるけどたいしたモンである。

スコット・ハミルトンは65歳くらい、カーリン・クローグは80歳くらいでしょうか。なにがどういいんだか説明しろといわれても困るんだけど、なにしろ穏やかで明るい空気が最初から最後までゆったりと流れるでもなく流れてる感じ。それでいてそこかしこに、うまいなあと感心する瞬間があってさ。こないだ渋谷で聴いたハン・ベニンクのときも思ったけど、チャーミングに歳を取ったプロフェッショナルの仕事ってのはじつにいいもんだなあ。若くして世を去ったコルトレーンやドルフィーが生きながらえてたら、彼らにもこんな瞬間が訪れてたんだろうかなんて、ちょっと思ったりもしてね。

でこのアルバムを多分リッピングってのを始めた最初のほうでHDDのなかに収容したんだよ。以来、晩メシの支度なんかしながらしょっちゅうかけては耳だけ音楽のほうへ向けている。シャウトもブロウもないから夏のあいだ、窓を開け放ったままかけてても気兼ねがないしさ。

たぶんこのアルバムをスピーカーにメンと向かって聴いたことってほとんどないんじゃないかしらん。何かしながら聴いてても邪魔にならない。邪魔にはけっしてならないんだけど、耳はちゃんと聴いてて印象に残る。ハミルトンのここんとこのソロは悪くないよなあ、とか、カーリン・クローグってばあちゃんなのになかなかキュートなところがあるもんなとかさ。

まあおれもトシを取ったってことかもしれませんけど、気がついたらスコット・ハミルトンがヘヴィーローテーションだ。

(STUNT RECORDS STUCD15192)

by god-zi-lla | 2017-10-08 07:41 | 常用レコード絵日記 | Comments(4)
さいきん聴いてるオビ付き新品同様の1枚なんです_d0027243_13400884.jpg
「常用レコード絵日記」なんていいながら1か月以上のご無沙汰でございました。

なにしろ花見だ歌舞伎だ旅行だと春はどうも目移りがしていけない。でも、レコード買って聴いちゃあいるんだよ。

3月のなかばくらいだったか渋谷のハンズへ台所用品だか掃除道具だか、とにかく近所のホームセンターには売ってないナニモノかを買い出しに行った帰りがけ、久しぶりにハンズの斜め向かいのビルにあるレコファンをちょこっと覗いてみた。

そしたらピエール・バルーなんだ。

オビに高橋幸宏とか鈴木慶一とか清水靖晃とか印刷してあってさ。そういえばこれって80年代のいつ頃だったかいっとき話題になったレコードじゃなかったけ。だけどピエール・バルーってよく知らないし、その頃は(いまもあんまり変わってないけど)ほとんどフランスにもフランス人のやる音楽に興味がなかったもんだから、じっさいのところホントに話題になったかどうかだってわからない。

高橋幸宏に鈴木慶一かあ(あとでメンバーよく見たら鈴木慶一というよりかムーンライダーズまるごとなんだな)。見れば坂本龍一の名前もある。

そういえばピエール・バルーの訃報を見たのはそんなに前のことじゃなかったよなと後で調べてみたら、去年の暮れも押し詰まった28日に亡くなっていたんだね。そんな記憶もどっかにあったからかついエサ箱から引っ張り上げ、雨に打たれながら両切りのタバコを咥えるバルーのワイルドなクローズアップのジャケットを、しげしげと眺めてしまったんである。

そして、オビやら裏ジャケやら矯めつ眇めつしてるうちに、なんとなくこれは買ったほうがいいのではあるまいかという気がしてきて、結局この1枚だけをレジに持って行って店を出たのだった。

こういう「勘」には素直に従っといたほうが後々良い目を見られるというのがエサ箱漁り45年の年季ってヤツでね。

そしてそれからひと月以上たつんだけど、以来今日まで図抜けて第一位のヘヴィーローテーション盤なのであった。

針を下ろしたとたんA面1曲目のマリンバの聞こえる、ちょっとアフリカっぽいような風が吹き抜けるアレンジにやられた。ダメなんだよね、おれマリンバとかザイロフォンとかキコンキコン、ポキンポキンの木琴にとにかく弱いんだよ(ヴァイブラフォンのような鉄琴も好きだけど『木琴』ほどじゃない)。そこにピエール・バルーの飾り気のないフランス語の歌が乗ってくる。

ふたつめのトラックになるとストリートオルガンみたいな音で(アナログシンセだな)アフリカっぽいとこからフランスに上陸する。あーもうダメだ、やっぱ45年の「勘」はダテじゃない。

曲によってバックは高橋幸宏が中心だったり清水靖晃だったり、あるいはそっくりそのままムーンライダーズがいたりするアルバムなんだけど高橋幸宏の曲がたくさんあって(詞は全部バルー)、これは高橋幸宏がアルバム全体のプロデューサーってことなのかもしれない。

それにしても高橋幸宏がバルーのためにいい曲を書いてるよなあ。きっと高橋はバルーのことがすごく好きなんだろうな。そしてバルーはバルーで高橋幸宏の書いた曲がすごく気に入ってるんじゃあるまいか。

そして高橋の曲もそうでない曲も騒がないし急がない。シンセを使ったトラックとアコースティックなトラックの違和感がなくて、どっちも風通しの良い音楽になってる。80年代初めよりも今聴いたほうが新しくきこえる種類の音楽かもしれない。

んー。こんなレコードだったなんて全然知らなかった。

だけどさ。30なん年前にこのアルバムをおれがどっかで聴いたとして、はたしてそのときおれはこいつをレコード屋へ買いに走ったかと考えると、たぶんそんなことはしなかっただろうって相当の確信を持って言えますね。あのころはこういう音楽に向けてアンテナを立ててなかった。

で、さらに言えば30なん年前にすでに聴いたことがあったとすると、先月渋谷でこいつを見つけても買わなかった可能性のほうが高い気がする。なにゆえなら「あー、昔聴いたことのあるアレね」って、どんな音楽だったかはすっかり忘れてるもののピンとこなかったって記憶だけは残ってるから、30なん年後その記憶が「勘」の働くのを邪魔する。

だから多分、おれにとっちゃ80年代にこいつを聴かなかったことがこんにち只今のシアワセに繋がってると考える蓋然性が高い。

まあ、こういうことが時々あるんだ。



*ピエール・バルー/Le Pollen(花粉) 日本コロムビアYF-7056 82年LP

by god-zi-lla | 2017-04-25 10:50 | 常用レコード絵日記 | Comments(0)
アフリカの花(NORAH JONES / DAY BREAKS)_d0027243_11472824.jpg
買い損なうといけないからLPの新譜は気がつけば予約しとくんだけど、最近はレコードブームだかのおかげか初版を売り切って再プレスすることもあるようだから以前のようにあっというまに高値が付くってことも少し減ったかもしれない。

まあしかしブームってのは所詮ブームだ。流行りは必ず廃れる。盛者必衰生者必滅。終わるからこそブームに価値あり。なのでご同輩方も決してご油断召されぬようお気をつけ遊ばしませませね。

つうわけでノラ・ジョーンズのニューアルバムをずいぶん前に予約しといたら、先日忘れた頃にやってきたのであった。さっそく封を切ってゲートフォールドのなかにあるペラ1枚の(ちなみにレコードも1枚)ライナーを何気なく眺めてみると、B面ラストのトラックがエリントンの〈FLEURETTE AFRICAINE(AFRICAN FLOWER)〉となっている。へえ、エリントンのカバーをやってるのか(ちなみにニール・ヤングとホレス・シルヴァーの曲も1曲ずつ収録されている)。

でね。この〈FLEURETTE AFRICAINE(AFRICAN FLOWER)〉というのをどっかで見た気がするんだけど思い出せない。もしかして気のせいかもしれない。エリントンは聴きますけど大のエリントンファンというわけでもないからそんなにレコードCDを持ってるわけじゃない。まあでも、聴けば、ああこれかって思い出すかもしれない。

まあそれはともかく、その封入されたペラ1枚のライナー見るまでこのニューアルバムについて予備知識がなんにもなかったもんだから、そこにウェイン・ショーターとブライアン・ブレイドとジョン・パティトゥッチの名前があるのには結構びっくりした。いや結構どころじゃないな。ピアノを除けばあのオーチャードホールにコンサート聴きに行って80歳とは思えぬ尖りまくった音楽にぶっ飛んだウェイン・ショーターのバンドそのものじゃんか。

聴き始めると、過激で実験精神に満ち溢れたウェイン・ショーターがソプラノでシンプルに淡々とノラ・ジョーンズの声に寄り添ってる。ほとんどヴィブラートをかけない音数もごく少ない、ちょっと聴きだとスティーヴ・レイシーのようでもあるサウンドで穏やかに、まさに「寄り添う」という感じ。ステージでやってるとしたら、そうだなあノラとピアノのところにあまり明るくないスポットが当たっていて、ショーターはそのスポットの灯りの終わるあたりの境目にいてソプラノを構えてる。表情はよく見えない。パティトゥッチとブレイドはさらにその後方のほの暗いところにいる。

もちろんショーターグループの加わるトラックとそうでないトラックがあるんだけども(ブレイドだけ単独で入ってるトラックもあり)、おれはやっぱりジャズ聴く人だもんだからショーターのソプラノの聴けるトラックにどうしても吸い寄せられてしまう。だけどアルバム全体としても、そっちがメインなんじゃないのかな。ジャジーと言ってしまうと単純にすぎるんだけど、やっぱりジャジーと言うしかないようなね。

でB面ラスト、デューク・エリントンの〈FLEURETTE AFRICAINE(AFRICAN FLOWER)〉。始まって1秒後くらいに、あ、そうか、ようやっと思い出した。エリントン、マックス・ローチ、チャールズ・ミンガスの破壊的名盤〈MONEY JUNGLE〉のA面、冒頭タイトルチューンの信じられないような電撃金網デスマッチ的演奏に続く、あの静かで優雅な2曲目が「アフリカの花」だったんだ。

ショーターとパティトゥッチとブレイドだけの演奏で始まる現代の「アフリカの花」。静かだ。ひょっとしてノラ・ジョーンズのヴォーカルが加わらないままそっとアルバムを閉じるのかもしれないと思い始めたころ、ノラのハミングが加わってくる。スキャットでなくハミング。ショーターのソプラノがじつにさりげなくそのハミングに寄り添ってくる。

最後までハミングなんだよ。詞はない。まいったな。やられました。ショーターもすごいが、この曲を作ったエリントンもすごい。しかしなによりこれを歌って、アルバムの最後に置いたノラ・ジョーンズがすごい。今年おれが聴いた2016年「歌」のベストトラックはこれで決まりです。


(BLUENOTE 602547955722)LP



*10月18日改題


by god-zi-lla | 2016-10-17 16:56 | 常用レコード絵日記 | Comments(0)
アナログのアンテナは長い_d0027243_21344229.jpg
いやー春一番が吹いたら冬本番だな。

おれがCDプレーヤーを仕方なく買った80年代のおしまい頃、どうもCDで真剣に音楽を聴く気になれなくって、わりと軽いものばっかり買ってた時期があってね。たいていのヤツはすっかり忘れて聴かなくなっちゃってるんだけど、いまでもときどき引っぱり出すことがあるのがイザベル・アンテナってフランスのシンガーの〈Hoping For Love〉というアルバムなんだけどさ。

そもそもCDだからこそ買って聴いてみたアルバムなんだから、LPがあるなんて思いもしないし探しもしないし、もし見つけたとしても多分買わなかったと思うんだ。

それをなぜか今になって見つけてしまったのであった。もちろん探してなんかいません。探してないものは往々にして見つかるものなんである。いやー出てたんですね当時LPで。あのころ見つけないで、いま見つけてホントに良かった。28年前だったらきっと買ってません。不思議なもんだよな。

おれが長年聴いてたのは国内盤のCDでね。〈愛のエスポワール〉っつう邦題がついてるんだけど、最初のトラックの〈南の海の魚〉って曲がフランス語で歌われるボサノバ風の曲で、これがなんだかすごく良くってこればっかり聴いてた時期もあったくらい。だからLPを見つけたときも、あーあの曲がどんな音で入ってんだろうって、聴くまでそれが楽しみでさ。

でA面のアタマに針を落としたとき当然この曲が聴けると思ってたら、こりゃ一体全体どうしたことか。フランス語でアンテナが歌うアコギをバックにしたボサノバじゃなくて、ずっと80年代っぽい(たぶん当時はもっとコンテンポラリーに聞こえたような)フレンチポップスが飛び出してきたじゃないか。ありゃま、こりゃまたなんかの間違いでもありましょうか。

とりあえずA面そのまま聴き続けたんだが、どうも聴いたことあるような無いような曲が続くんだ。なにしろ最近は繰り返し聴いてるわけじゃないから、こういう曲があったのかなかったのか覚えてない。逆にいえば〈南の海の魚〉ってフレンチ・ボサノバが印象深い曲だってことでもあるんだけど。

それでB面にひっくり返して再び針を下ろしたところようやく、おーこれこれ、これだよフランス語のボサノバ! んー。こんかい見つけたLPはベルギー盤でたぶんこれがオリジナルなんだと思うんだが、こりゃあどうやら国内盤のCDを作るときに曲順を入れ替えたんだな。日本人には絶対このフレンチ・ボサノバのほうがウケるってビクター音楽産業株式会社のディレクターが曲順変えたんだよ。

そしてその術中に見事にハマったまま28年たった日本人の一人がおれなんであった。
いやまあじつに見事なお仕事ぶりじゃあございませんかのことよ。ホントにいいとこ突いてくるもんじゃないか。

でね。ちょっと感心しながらほかの曲順もLPとCDを見比べてたんだよ。そしたらこれが結構シャッフルしてあって単純にB面スタートでA面後回しってわけでもないんだが、さらにずうーっと目を凝らしていると、あれぇ?

トラックを数えてみたら国内盤CDのほうがベルギー盤LPより収録曲が2曲少ない10曲だ。いや、LPのほうが少ないんじゃなくてCDのほうが少ないの。んー、それじゃあ聴いたことあるような無いような感じがするのはムリもなかったんだ。だって聴いたことある曲と、ない曲がホントに入り交じってんだもん。だけどなんでそんなことしたんだろか。とくに初期のころは収録時間の長いのがCDの大きな長所だって吹聴されまくってたんだから、わざわざLPよりも曲数削るってのは一体なんだったんだろう。

(と思ってamazon見たら現行の欧州盤CDは17曲も入ってるじゃんか。んー)
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いい音のLPなり。少なくとも当時の国内盤CDよりずっといい音なのは間違いない。80年代後半のLP侮り難し。
by god-zi-lla | 2016-02-16 21:34 | 常用レコード絵日記 | Comments(0)
年取って愛される事減ってきたんじゃないないない?_d0027243_1230759.jpg
なんだか東京地方はこの二、三日でようやく冬がやってきたようなので、やっとダウンの上衣を引っぱり出してきたりしている。

いま色川武大の〈生家へ〉という連作短編を読んでるんだけど、この作品によらず色川武大の小説を読んでると、この人は自分の内側に抱えた得体の知れないもののためにすごく生きにくい人生を生きたんだろうなあと思うのだった。

もう25年以上も前の89年、色川武大の訃報を聞いてその時はちょっと早すぎだろうと思ったものだが、その後いくつもこの人の遺した小説を読んだ今となってみれば、むしろこんな生きにくい人生をよく還暦まで生き延びたものだなあと思わずにいられないんだ。

それからきのう池袋で〈ストレイト・アウタ・コンプトン〉ていうアメリカ映画を見たんだが、ヤツらはアメリカにおける黒人という生まれる前から決まってしまっているどうしようもない「事実」にアタマを押さえつけられて、おれらからすればすごく生きにくいとしか言いようのない人生を送らざるをえないことにあらためて驚いてしまう。

それにしてもHIVに命奪われる31歳は早すぎる。
だけどそうやって死んだ若者に、もう少し自分の人生を大事にすればよかったんだなんていうのはまるで的外れな物言いというもので、生きたいように生きる以上に自分の人生を大事にする方法なんてあるはずがない。そんなことはちょっと考えればわかることなのに、ついそうでないことを訳知り顔したオトナは考えてしまう。

ところで鈴木慶一のニューアルバムが12月の中頃に出たのは判ってたけど、もしかしてLPも出るんじゃないかと様子を見てみたものの出そうにないもんだから、ようやっと今年になってCDを買い求めて聴き始めたんだ。そしたらこれだ。
年取って愛される事減ってきたんじゃないないない?
なんつうかね、心当たりなんてなーんにもないし身に覚えだってぜーんぜんないのに、図星を指されたとしか言いようがない感じ。なんなんだよ。繰り返しますけど「年取って愛される事減ってきたんじゃないないない?」だぜ。なんかこう神経を逆撫でするいやーなフレーズのような気がしてならないわりに、なぜか何度も何度も飽きずに聴いてしまってこれは一体全体どうしたことか。

まいったなあ、しかも鈴木慶一らしい架空の懐かしさの充満するあのサウンドである。
それから同じ曲のもうちょっとうしろのほうにある一節が、
遠いしあわせと、近い不幸と
どっちかとるなら、近い方でいい
理不尽だがなぜか腑に落ちてしまうのは、年取って愛されることが減ってきたせいかしら。そりゃあおれだってもうじき60歳だしな。遠い幸せは、もう遠すぎる。

好きになれない人はいくら聴いたって好きになれないであろう、鈴木慶一の傑作ニューアルバム〈Records and Memories〉はP-VINE創業40周年アニヴァーサリーシールが目印です。
by god-zi-lla | 2016-01-14 12:30 | 常用レコード絵日記 | Comments(0)
さいきんのヘヴィーローテーションつうのもめっきりやらなくなりました。_d0027243_7283281.jpg
前にも書きましたけど、楽しかったり面白かったりしたものはブログに載っけるけど、つまんねーものとかハラの立つものってのはなるだけやらないようにしてるんだよ。だって自分の楽しみでブログやってんだから、思い出してハラの立つようなことをわざわざ思い出したくないじゃんか。あー楽しかったねえ、なんて気分はいくらでも反芻したいけどさ。

だけどたまにはハラに据えかねて吐き出したくなることもある。
原作者井上ひさしの著作権継承者が難色を示して「原作者」の表記をしてないことが、芝居見たらいっぺんに腑に落ちたよ。だけどそんなこと確認するために大枚叩いたうえ渋谷の雑踏かき分けてくほどに、おれは酔狂じゃありません。

大勢の人が親しんだ題名を使って新しいものを作るんだったら、作る側はそれを踏まえたうえでそれを超えて素晴らしいものを作って、新たに作られたものがオリジナルからいかにかけ離れていようとも(それがパロディであれ)オリジナルに親しんできた大勢の人を納得させる(少なくともそのために最大限の努力をする)責任てのがあるとおれは思うんだが、それがまるで見えないからハラが立つ。

あー二つのエントリにまたがってブチまけちまった。

そんなことじゃなくて最近のヘヴィーローテーションは佐野元春のニューアルバムなんでした。これは良いです。佐野元春が近ごろのヨノナカでキモチ悪いと思ってるモロモロをすごくキモチいい音楽に仕立てててさ。その佐野元春の語る世間のキモチ悪さにも佐野元春の作る音楽のキモチ良さにも吸い込まれて、ここひと月くらい毎日繰り返し聴いてる。

そもそもファンじゃないんだけどね。なにしろ佐野元春のアルバム買ったのって30何年ぶりだもん。今年30歳になった娘が生まれる前、その頃住んでた碑文谷のアパートの大家さんの店のすぐ近所のレコード屋で買ったのをなぜだか覚えてるんだよな。

おれにとっちゃ佐野元春って、ちょっと才能あるからってエラソーにしやがっていけすかねえ学年1コ上のヤツ、みたいな。野田秀樹なんかも同じ。

だのに野田秀樹の芝居もいつのころからか好きで見るようになったし、こんだは佐野元春だ。

年齢近いのに自分と違って才能溢れるニンゲンてのを意味もなく嫉妬して反発するっていう、よくある凡庸な若者のパターンだな。いつか自分もナニモノかになりたいと思ってはいるけどナニモノにもなりそうにないってことも薄々感じてたりしてさ。おれ自身のほうがよっぽどいけすかねえヤツなわけだ。

それがここへきて好きになるってことは、ようするにまあ、還暦を前にようやっと自分はナニモノでもないってことに納得したってことだな。情けないねえ。

それにしても世間のキモチ悪さだ。
ある日
聖者を気どっている妙な人に会った
君のこと、知っているよ
清らかな言葉が得意だ
穏やかな笑顔で席を立って
祈る姿もキマっている
どこかの教祖になりたいか
だれかの神になりたいか

聖者を気どっている妙な人に会った
聖者を気どっている妙な人に会った

(誰かの神)
キモチ悪いものがものすごくかっこいいサウンドに乗っかっている。

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あ、それからApple MusicよりCDのほうがだんぜん音がいい。
できればLPも出して欲しいもんです。

(ブラッド・ムーン/佐野元春&コヨーテバンド POCE-9390)
by god-zi-lla | 2015-12-26 07:28 | 常用レコード絵日記 | Comments(0)