神はどーだっていいとこに宿る


by god-zi-lla
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ピーター・バラカンのラジオを聞いてたらライル・メイズが亡くなったんだという。なんでもここ10年くらいはもう音楽の仕事をしてなかったみたいだ。これでPMG=パット・メセニー・グループの最終アルバムは2005年の〈The Way Up〉になっちゃったってことだろうな。

ライル・メイズは上の写真の右端、グラブとボールが乗ったキーボードを弾いてる黒メガネの長髪野郎である。

もう何遍もブログに書いてる気がするけど70年代のケツから80年代はじめにかけて、おれはパット・メセニー・グループのレコードに助けられてきたようなところがある。人によっちゃあそれはチャラチャラした単なるハヤリもんのフュージョンミュージックにしか聞こえなかったかしんないけど、まあそういう人とおれはアカの他人だ。

そうクヨクヨしなさんな、今を抜ければきっといい日も巡ってくるさ。おれにとっちゃ40年くらいむかしのその時期、パット・メセニー・グループのレコードは日々そう励ましたり慰めたりしてくれる音楽なんであった。

もちろん今だってヤツらのレコードをかけるとそういうふうに聞こえてくるんだが、そういうふうに励ましたり慰めたりしてほしいと切実に思うことは(うれしいことなのか残念なことなのかわからないけど)おれのほうにもうない。

ライル・メイズの音楽については4年くらい前のエントリーでこういうふうに書いた。読み返してみると、いまもそのとおりのことを思ってるのでとくに付け加えることもない。

ただ、ここ10年くらいはもう音楽活動をしてなかったと聞くと、ライル・メイズの音楽というのはパット・メセニーとともにあってこそ光り輝く種類のものだったんだろうなあと、あらためて思わざるをえない。だけど逆にいうと、パット・メセニーもバンドにライル・メイズを得なければ、ああやって世界に出て行くためにもう少し余計な時間を必要としたんじゃあるまいかって気がする。

上の写真は80年のアルバム〈AMERICAN GARAGE〉のジャケットの裏だ。ECMはトリオが国内盤を出していて、ジャケットのまん中らへんに懐かしいロゴが印刷されてる。これをたぶん発売すぐに買ってきて(ECMの本国盤は枚数が出回らないうえに値段も高かった気がする)毎晩毎晩繰り返し繰り返し聞き続け、そして助けられる日々だった。

10年くらい前にドイツ盤のオリジナルも手に入れたけど、だけどまあライル・メイズが亡くなったと知ってごく個人的な感傷に浸るならこっちだと思った(おんなじ絵柄だけどさ)。

もうPMGのリユニオンは永遠にないんだな。メセニーが古希を迎えるころにはと少し期待してたんだけどさ。あったとしてもライル・メイズ抜きのPMGに意味を見出すのは難しい気がする。少なくともおれには。

ライル・メイズは53年生まれで享年66歳だったそうだ。



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去年手に入れた88年のライル・メイズのアルバム。そのうちブログになんか書いてやろうと思ってるうちに日が過ぎて、本人が死んでしまった。

ゲフィンのアルバムで、エグゼクティブ・プロデューサーとしてパット・メセニーの名前がクレジットされている。ジャケット右上に貼ってあるステッカーには「パット・メセニー・グループのキーボーディスト」とある。

それはそうなんだけど、ちょっと寂しいかな。



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(追記)
いま突然思い出したんだが、〈AMERICAN GARAGE〉はラジオでA面1曲目〈(Cross The)Heartland〉がかかってるのを聴いてイチコロでヤラれた。それですぐにアルバムを買いに走ったんだった。





by god-zi-lla | 2020-02-23 23:27 | 常用レコード絵日記 | Comments(0)
慶楽の牛腩飯(Come Back KEIRAKU!)_d0027243_11393029.jpg




日比谷の、晴海通りからJR高架脇の狭い道を帝国ホテル方向に向かっていく中ほどあたりにある古い中華料理店〈慶楽〉が昨年末で「一旦閉店」してたなんて。ショック! そういえば今年になってから行ってなかったんだな。店頭に貼ってあったっていう閉店を知らせる貼り紙も見てない。んー。

おれにしちゃ極めて珍しいことにたった1枚だけ写真を撮っていた。2014年にひとりで昼メシに入ったときに撮ったらしい〈牛腩飯〉。スープも写っている。右上隅の調味料のトレイにあるのは唐辛子を甘酢につけたもの。

まったく知らなかったんだけど、閉店したと知ってからネットで検索してみると同店は昔、タイの大使館の人からの要望で彼の国の若い人に食事を出してたことがあったんだそうだ。この、昔っから当たり前にある唐辛子漬けはその名残りなのかもしれない。

そういえばこの店には〈タイ式焼きそば〉って頼むと出てくる辛い焼そばがあった。いま風にいえば「裏メニュー」ってヤツかもしれないが、もしかしたらメニューにはあったかもしれないけど漢字で書いてあるだけだからわかんなかったのかもしれない。だけどとにかく、「タイ式焼きそば下さい」といえば当たり前のように出してくれました。

そういえば(そういえば続きでスマン。思い出すままに書いてるもんで)写真の〈牛腩飯〉も最後までどう読むのか知らないままだった。ギューナンハン?

昼間はテーブルにランチメニューのプレートが立ってて、そこにこう書いてあるだけだった。

だけどね、べつに読めなくても「牛バラご飯下さい」といえばコイツが出てくるので、40年近くの間そう頼んでるだけでなんにも困らなかった。

あーでも〈炒飯ランチ〉の写真もこんなことなら撮っとけばよかった。オカズが2品とゴハンは炒飯(白いゴハンのはたんに『ランチ』)とあとザーサイと胡麻団子が楕円形のワンプレートに全部乗っかってて、別にスープが付く。当然食べ進むうちにオカズ2品と炒飯が混ざり合ってきたりするわけで、几帳面な性格の人にはオススメできないランチでしたがボリュームは満点。

若いときは普通に平らげてたのが50を過ぎたあたりからちょっと荷が重くなってきてね。

そうそう、そのランチに付いてくる甘い胡麻団子ですけど、まあランチだから作り置きで冷めてるのが普通なんだけど、たまに「胡麻団子は後でお持ちしますねー」って言われたときは思わずココロの中でラッキーと叫ぶ。こういうときは必ず作り置きが終わってアツアツのが来るんです。なんかうれしい。

写真を見てると、あーそういえばあそこはずっと昔からコップに水じゃなくってこの懐かしい湯飲み茶碗(昔はどこへ行っても『会社』や『食堂』の湯飲みといえばコレばっかだった)でお茶だったね。お茶のおかわりを頼むと、この水玉の湯飲みとお揃いのこれまた懐かしい大きな急須で淹れてくれた。

夜もよく行きましたけども、たまたま去年の秋ころに娘と息子を誘って四人で晩メシに行ったんだよ。で、そのときは子どもらにメニュー持たせて全品注文させてみたら、おれが注文したことない料理ばかり頼んでこれがどれも面白くかつ美味いものばかりで、あーやっぱり慣れたモンばっかり食ってても世界は広がらんなーなんてみょうに感動したりなんかしたんだけどね。

あれも「想い出」になっちゃった。

これでとうとう日比谷界隈に真っ当な中華料理店はひとつもなくなった。

店頭の貼り紙には「一旦閉店します」とあったそうだから、その「一旦」に一縷の望みを託したいものであります。




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by god-zi-lla | 2019-02-21 12:37 | 食いモンは恥ずかしいぞ | Comments(4)
デモとアウトテイクなのにベストアルバムのように響く(RARE & UNRELEASED RECORDINGS FROM THE GOLDEN REIGN OF THE QUEEN OF SOUL)_d0027243_23213664.jpg




この、ライノが出した発掘盤のことはリリースされたばかりの2008年に一度書いたんだけどね。もう10年になるんだな。そしてその時も、すごい、と書いた。タイトルは「うたのちから」にした。

いつ聴いたって、アリーサ・フランクリンが亡くなったからといって聴いたって、びりびりと伝わってくるすごいとしか言いようのない「うたのちから」の印象は最初に聴いたときとまったく変わらない。

CD2枚組みアルバムのDisc1の冒頭3トラックはColumbiaからAtlanticへ移籍する直前の66年に作ったデモテープで、ベースとドラムスをバックに(プレイヤー不詳)アリーサがピアノ弾き語りで歌ってるんだが、これを「弾き語り」なんつっていいんだろうかというような歌いっぷりなんだよ。

どういう環境で録音したのか知らないけど、なにしろアリーサがシャウトした瞬間音が歪む。

しかしもちろんそんなことを「うたのちから」と言ってんじゃない。聴くと背筋にゾクッと何かが走る。

たしか当時この三つのトラック聴くためだけに二千なん百円か払う値打ちがあるとあちこちで紹介されてた記憶があるけど、それが大げさでないことは聴けばすぐわかる。

それでアリーサが亡くなったというニュースを聞いてまっ先に思い出して棚から引っぱり出したのがこのCDで、とりあえずその三つのトラックを聴いて、それからレコードを順番に聴いていくつもりだったのに結局そのままCD2枚ぶん最後まで聴きとおしてしまったんだった。

いやーこれがデモテープとアルバム制作の際に捨て置かれたトラックと、アルバム未収録のシングルB面の寄せ集めだとは到底思えない。それどころか既存のアルバムよりもひょっとしたらこっちのココロに迫ってくるものがあったりする。

しかしそんなアルバムなのに10年前は国内盤が出なかったんじゃなかったか。まあこういうのは得てしてマニア向けのコレクターズアイテムと思われがちだから仕方ないのかもしれないけど、いちど聴けばマニアなんかに独り占めさせとくのは世界の損失だと誰だって思うんじゃあるまいか。

しかもいま見たらその米盤も店頭在庫限りらしく(限定盤として出たんだっけか。いやそんなことないよな)新品をオンラインで買えるところがほとんど見当たらない。

すごいもったいない。なんとか追悼盤として再発してほしいもんだ。

そして、できればブックレットの完訳を付けて(どうでもいいようなエッセーまがいの役立たずな『ライナーノート』は断然不要)、10年前には出なかった国内盤を出してくれたらおれはもう一度買います。

ところで、このアルバムの最後のトラックがまたデモテープで(『おそらく70年代初め』とクレジットされてる)伴奏なしのアリーサのピアノ弾き語りだけで静かな〈Are You Leaving Me〉。作者不詳。

目をつぶって気持ち良く聴いてると、唐突に終わる。



Are You Leaving Me ?



(Atlantic / Rhino R2 272188)
*ジェリー・ウェクスラーの選曲による2枚組アルバム

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by god-zi-lla | 2018-08-22 09:26 | 常用レコード絵日記 | Comments(4)


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すごい歌手がまたひとりいなくなった。
おれはとくにソウルミュージックのファンてわけじゃないけど、すごい歌手にジャンルなんか関係ない。

棚を探すとLPが10枚あった。おれはふだんヴォーカルをそんなに好んで聴くわけじゃないから、ひょっとしたらひとりの歌手のアルバムとしては(ほかにCDもあるし)アリーサのアルバムが一番多いような気がする。

晩年のCDはともかくとしてLPはどれも、いやあすごいひとだよなあと溜息をつきながら聴くしかない。

とりあえずありったけのレコードを並べて冥福を祈ることにする。







by god-zi-lla | 2018-08-18 15:47 | 常用レコード絵日記 | Comments(2)
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以前から癌で闘病中という情報は知ってたんだけど、亡くなったというのを今月のレコードコレクターズ誌の訃報欄見るまで知らなかった。2018年4月26日死去。1939年12月28日生まれというから78歳か。

「実物」を二度見た。一度はネヴィル・ブラザーズで来日した東京ドームシティホールで2008年の10月、二度めは2012年5月ビルボードライブ東京、弟エアロンのソロツアーのバックバンドに加わって(つか実質バンマスか)。

ネヴィル・ブラザーズのライヴでは〈ベサメムーチョ〉をくねくねとやってくれましたけどゴリゴリ吹きまくるという感じのサックスじゃなかったね。いかにもニューオーリンズのライヴバンドというサービス精神満点な雰囲気だけど出過ぎず引っ込み過ぎず、バンドのサウンドの枠組みは長兄アートが作って次兄チャールズはあくまでその現場推進係という感じでもあったんだろうか。

そういうふうにチャールズのいた二つのライヴを思い返してみると、ネヴィル四兄弟にとって音楽っつうのは何よりもまず「家業」で「稼業」という感じのプロっぽさで出来上がってたような気がする。最高の演奏で客を楽しませて盛り上げるが本人たちはいたって冷静で、いくつも残しているライヴアルバムとライヴの「現場」にほとんど印象の違いがない。

ある意味、ビシっと様式化されててサプライズなんてものはどこにもないけど、そんなものなくても完璧なライヴが出来るという途轍もない自信みたいのがすごかった。あれはやっぱり生まれたときからニューオーリンズという特別な土地で一緒に育ったものにしかできない「兄弟の芸」というもんじゃあるまいか。

ネヴィル・ブラザーズ自体はもう何年も前に解散を宣言していたが、チャールズの死で永遠にあのライヴは見られないことが確定したわけだ。2014年にミーターズのリユニオンバンドで来日した長兄アートの様子を見て、全員揃って再度の来日というのはもうないだろうと予想はしてたけども(あのときはアートのほうが危ないと思ってた)、それでもやっぱり残念でならない。

ネヴィル兄弟それぞれの音楽というのはネヴィル・ブラザーズのときのサウンドとはみんな違っていて、そこがまた「家業」を思わせるところなんだが、上の写真のチャールズのアルバムも同様でニューオーリンズ風味はそこかしこに溢れてはいるけども、全体としてもっと穏やかでリリカルな雰囲気に仕上がっている。

三男エアロンはいまやスターシンガーだから数え切れないくらいのソロアルバムがあるけど、チャールズはこれ以外にリーダーアルバムがあるのかどうか、おれはよく知らない。もしかしたら、アルバムを作るということにあまり意欲のなかった人だったのかもしれない。

そういえばエアロンはスターだけどもブラザーズのステージでヴォーカルを独り占めしてたわけじゃなかった。末弟シリルが歌いアートも歌いチャールズも歌い、そういうヴァラエティのなかでのエアロンのあの声だった。

このチャールズのアルバムもチャールズが吹きまくるわけでもなく、やりたかったのはニューオーリンズっぽさに凝り固まらない柔軟なバンドサウンドづくりだったのかもしれない。ブラザーズでやってることはそこでやればもう十分だったんだろうな。

しかしまあ、聴くほうとしたらチャールズ自身のアルバムのなかでも〈ベサメムーチョ〉みたいなクネクネとエロいやつも披露しといて欲しかったなあなんて、今となっちゃ詮無いことを思わないでもないんだけどね。


さようならチャールズ・ネヴィル。
じゅうぶん楽しませてもらいました。





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左から。エアロン、アート、故・チャールズ、シリル。


by god-zi-lla | 2018-06-21 15:44 | 常用レコード絵日記 | Comments(0)
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マウントクックの翌日クライストチャーチに移動して、いちばん訪ねてみたかったのは2011年2月22日に発生、185人の犠牲者(そのうち28人が日本人)を出した〈カンタベリー地震〉で倒壊したクライストチャーチ大聖堂が再建されるまでの「繋ぎ」に建てられたという〈紙のカテドラル〉だったんだよ。

じつはこれまた不勉強なことにいま現在のクライストチャーチがどうなってるのか、くだんの大聖堂は再建が始まってるのか、28人の日本の若者が亡くなった現場はどうなっているのか、まるで知らなかった。

最初の2枚の写真のように、大聖堂は尖塔が完全に崩壊し伽藍の一部はその後解体され今はこうなっている。もとの歴史的建造物を「再現」するのか、まったく新しい大聖堂を新築するのかようやく最近結論が出たように聞くが、7年たった現在も被災当初を彷彿とさせるような状態のままなのはようするに財源の問題らしい。

そう言われて市街を見れば地震の被害にあった建物を解体して更地になったままの区画が珍しくないうえ、使用不能になって閉鎖されたままの建物もあり、道路の補修工事もまだあちこちで行われている。

こういうことを言うと不謹慎かもしれないが、2016年10月地震から半年後の熊本を訪れたときの情景を思い出してみると、被災半年の熊本市のほうが被災7年のクライストチャーチよりよほど復旧が進んでいるように見える。

3番目の写真が大聖堂再建まで使われる〈紙のカテドラル〉の内部。日本人建築家・坂茂の設計で耐用年数50年だそうだ。屋根を支えるたくさんの柱が筒状のボール紙で出来ている。この仮設大聖堂の建つ場所にも以前古い石造りの教会があって、それも大聖堂同様倒壊しその跡地に建てられたそうだ。

そしてまったく知らなかったんだが、この〈紙のカテドラル〉のすぐ道を隔てたとなりが28人の日本の若者はじめ115人の犠牲者を出して崩壊した〈CTVビル〉の建っていた、まさにその現場だった。4番目の写真は更地にして簡素な公園のように整備されたその場所に設えられた献花台。2011年2月22日12時51分、115人がここで命を失ったと書かれたプレートもある。

最後の写真は〈紙のカテドラル〉の背後の、道を隔てたすぐ隣りのブロックの一角に作られた〈185 EMPTY CHAIRS〉という野外に置かれたインスタレーション。185はもちろん地震で命を落とした人の数だ。

このインスタレーションが置かれた周囲も1ブロック全部更地になっていて、どうもこのエリア一帯が液状化などいちばん被害の大きかった場所でもあるらしい。

by god-zi-lla | 2018-03-24 10:37 | 物見遊山十把一絡げ | Comments(0)
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アタマに鉢巻き、首筋にタオル、ズボンの裾をヒザまでたくし上げ、アルトサックスの横に座りこんでドラムセットの代わりにスティックでステージをガチャガチャガチャガチャ叩きまくる素っ頓狂なジジイが、あのドルフィーの〈LAST DATE〉の若きオランダのドラマー、ハン・ベニンク75歳なのであった。

こんなことする人だったのかよ。

だけどさ。ホントにびっくりするのは床を叩こうがドラムスを叩こうが、バンドをスイングさせてることにはまるで変わりないっていう、そこんとこだ。たんに客を喜ばせるだけの(もちろんそれは多分にあるでしょうけど)派手なパフォーマンスなんてものじゃない。とにかくドラムセットのところからステージ前方に出てくるときも音楽が淀んだりすることがないから、長年にわたって当たり前のようにやってきたこれがこの人の「ドラミング」ってもんなんだろうな。

渋谷のスペイン坂の上のところ、ちょっと前までシネマライズというミニシアターだった建物が〈WWW〉って名前のライヴハウスになっていて、そこで9月3日の午後上の写真のようなハン・ベニンクを目撃したのであった。

その10日ほど前、新しい〈ステレオ〉誌を買ってきて後ろのほうにあるレコードCD評をパラパラ眺めてたところ〈QUARTET-NL〉つうバンドのCDに目が止まった。ハン・ベニンクを中心としたオランダのバンドの初アルバムだっていうじゃんか。しかも今年3月に亡くなったミシャ・メンゲルベルクの曲ばかりを演奏したトリビュートアルバムでもあるんだって(2016年の録音だからその時点でメンゲルベルクは存命)。

え? 亡くなったの?

じつはミシャ・メンゲルベルクが亡くなってたということにまるで気づいてなかった。もう亡くなって半年もたってるのか。念のためウィキペディアを見ればたしかに今年3月3日に亡くなったとある。35年6月生まれだから享年81歳。んー、たしかこのウィキペディアの項目を最近何回か読んでるんだが、それは今年3月以前のことだったのか。遅ればせながら、合掌。

読んでくだすった方があるやもしれませんが、このブログでね、何度か彼の曲〈Driekusman Total Loss〉について触れたんだよ。ユーモラスな親しみやすさと、ちょいゴツゴツっとしたアブストラクトな感じがいい具合に溶け合った、これはジャズメンの作ったオリジナルのなかでもプレイされ続けるにふさわしい名曲だと思うんだけど、ミシャ・メンゲルベルクはこの曲を60年代の半ばからハン・ベニンクの加わったバンドのアルバムで何度も何度も録音している。

いやーこりゃ買わないわけにいかない。長年の盟友ハン・ベニンクが最年長でリーダー格のバンドが作ったミシャ・メンゲルベルクの、図らずも追悼盤のようになってしまった'SONG BOOK'だもん。そりゃあきっと〈Driekusman Total Loss〉をプレイしてるに違いない。買おう買おう急いで買おうアマゾンじゃなくってタワレコで(べつに意味はないです)。
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アルバムタイトルはバンドの名前のまま〈QUARTET-NL〉。なんにも断り書きはないけど'NL'は'Nederland'のことなんだろうと想像がつく。おれはオランダのジャズにまったく疎くてメンゲルベルク、ベニンクそれからこれも先年亡くなったピート・ノールデイクくらいしか知らない。だからよくわかんないんだけど、このCDのプレイヤーはハン・ベニンク以外のメンバーもオランダじゃ知らない人のいないようなプレイヤーばっかりだっていうんだな。国の名前をバンドの名前にくっつけて何ら不自然じゃないくらいの、きっと連中だってことなのでしょう。

そして届いたCDを見れば案の定〈Driekusman Total Loss〉はアルバム幕開けの1曲だ。

で、さっそく聴いてみるとこれがすごくいいんだ。日本盤だけのボーナストラック2曲を除いた7トラックすべてがミシャ・メンゲルベルクの書いたナンバーでさ(いつもながらにアルバムコンセプトになんの配慮もない邦盤のボーナストラックなり)。くだんの〈Driekusman…〉にかぎらずメンゲルベルクの曲はひとクセもふたクセもありながら親しみやすく、モンクやドルフィーの曲でも感じる、なんというか脳の特定の場所をカンコンキンと刺激してくるような感覚に溢れてる。

ベニンクの加わるバンドがメンゲルベルクの曲ばかりをプレイしてるといっても演奏そのものは全体として明るく、ファンキーなところもチラチラ見え隠れする(ことにベンヤミン・ヘルマンのアルトがそう思わせる)あんまりヨーロッパ、ヨーロッパしてないハードバップという感じで、アヴァンギャルドなところはカケラもない(ちょっとくらいあってもいいかなと思わないこともないですけど)。

ハッキリ言ってここ数年で聴いたメインストリーム系のジャズの新録音のかなで、おれとしたらいちばん楽しく聴けたアルバムなんだよ。 

でさ。2回くらい聴いたあとでCDのオビに細かい字で印刷された惹句をぼんやりと読むでもなく眺めてたんだ。そしたら一番おしまいのところにこうあるじゃんか。
●2017年夏来日ツアー予定。
は? 2017年夏来日ってホントかよ。だけどもう8月も終わりで今はもう秋だれもいない海。

で慌てて調べてみたらほんの数日後の9月3日渋谷でライヴがあるっていうじゃんか。チケットぴあで検索するとオールスタンディングでまだ入れる。やー、これは行かなくっちゃ。ハン・ベニンクだってもう若くない。ここで聞き逃したら「次」はないかもしれない。急げ渋谷へ。スペイン坂を駆け上がれ(なんちて)。

つうわけでハナシは冒頭に戻るのである。

なにしろこのCD自体がライヴアルバムだから、同じようにミシャ・メンゲルベルクをトリビュートするセットを同じようなノリでやるんだろうとある程度予想はしてたんだよ。

だけど2曲目に〈Driekusman Total Loss〉を実際目の前で聴けたときには、なぜか一瞬うるうるとしてしまったんであった。そういえばなんだかどうという理由もなくこの曲を追っかけてたここ数年だったよなあ。とうとうそれを(ミシャ・メンゲルベルクがいないのは本当に残念だけど)「当事者」のひとりハン・ベニンクのバンドの演奏で聴けたなんて、おれはなんてシアワセものなんだろか。長生きしてよかった(まだ61歳ですけど)。

というわけで、今日もあの日ハン・ベニンクがフロアタムに見舞ったカカト落としを思い出しながらCDに聴き入る秋の昼下がりなのであった。

(55RECORDS / FNCJ5565)

by god-zi-lla | 2017-09-05 12:39 | 物見遊山十把一絡げ | Comments(2)
ギターのデュオが2枚(さようならラリー・コリエル)_d0027243_09180409.jpg
ラリー・コリエルが今月19日ツアーで滞在中のニューヨークで死去。73歳。就寝中の突然死だったそうだ。

おれは熱心なコリエル・ファンだったことなんて一度もないんだが、左のスティーヴ・カーンとのデュオアルバム〈TWO FOR THE ROAD〉を買い求めて以来40年近く、いまでも時折引っぱり出しちゃ聴いてたりする。これはもしかするとアコースティックギターの無伴奏デュオとかトリオの(しかも速弾きギター合戦あり)アルバムのハシリの1枚なのではあるまいかという、75年から76年にかけてのタイトル通りツアーのライヴアルバムなのだった。コリエル32歳、カーンは28歳。

速弾きライヴといえばパコ・デ・ルシアとジョン・マクラフリンとアル・ディ・メオラの有名なあれが81年だから5年ほどこっちのほうが速い、いや早いし、この白いジャケットのアルバムも当時それなりにヒットしてCDも何回か再発されてきたんじゃないかしらん。

つか、そもそもあの速弾き三人組ってのは最初アル・ディ・メオラじゃなくコリエルが入ってスタートしたっていうんだから、こういうことをやった本家本元がじつはコリエル(と、カーン)だったのかもしれない。

A面しょっぱながチック・コリアの有名すぎる〈Spain〉で始まるんだが、ギターの無伴奏っていえば1976、7年当時おれのようなジャズ初心者の学生が辛うじて知ってるのはジョー・パスのソロアルバムくらいだったから、初めて聴いたときはアコースティックギターをじゃかじゃか鳴らすこういうのもジャズっていうのか?! って結構びっくりしたもんだった。

ジャケットのデザインもまっ白なコーティングジャケットに鉛筆で描かれた二人のイラストレーションつうのがまるでジャズアルバムらしくないし、そもそも描かれた二人が長い髪にTシャツなんていうぜんぜんジャズミュージシャンぽくもなんともない格好で、むしろレコード屋でこれを買ってきたおれの風采のほうによっぽど近かったもんな。思えばずいぶん長いこと聴き続けてきたものです。

そして写真右のレコードはこれも無伴奏のデュオアルバムでエミリー・レムラーと組んだ〈TOGETHER〉というんだけど、レーベルがコンコードだからコンコード専属のレムラーのとこにコリエルが客演したっていう位置づけなんだろうと思う。

こっちはまあなんというかカーンとのデュオに比べりゃ多分ほとんど知られてないアルバムなんじゃなかろうか。これはレムラーのアルバムを探していくうちに数年前に見つけたもので、コリエルには申し訳ないんだけど、そういうわけでレムラー目当てに買い求めた1枚なんでした。クレジットを見ると85年のリリースだからラリー・コリエル42歳、エミリー・レムラーは28歳。

ここで二人がアコギを弾いてるのはA面B面それぞれ冒頭のコリエル作の2曲だけで、あとの5曲はエレクトリックギターを弾く「ジャズらしい」トラックになっている。若いレムラーが先輩に敬意を表してコリエル的世界からアルバムをスタートさせ、そこからウェス・モンゴメリーがアイドルだったっというレムラー(EAST MEETS WESなんてタイトルのアルバムも作ってる)の土俵に移っていくっていう感じにきこえる。

ラリー・コリエルというとほかにおれんちの棚にあるのはゲイリー・バートンの〈IN CONCERT〉とスティーヴ・マーカスの〈COUNT'S ROCK BAND〉くらいなもので(どっちも68年。そういえばフュージョンでぶいぶい言わせてた時代のものが、ウチにも1枚くらいあると思ってたのにひとつもない)、ウェス・モンゴメリーとはほとんどなんの関わりもなくフリーっぽかったりロックっぽかったり、わりとギザギザしたギターを弾いててさ。だからこのレムラーとのデュオで久しぶりに聴くコリエルのギターが比較的正統派のジャズだったってのが、なんだかとても新鮮でね。

しかしこうしてラリー・コリエルが亡くなってしまうと、エミリー・レムラーはすでに90年、32歳の若さで世を去っているから、このアルバムの主はふたりとも(揃って健在でもなんの不思議もない年齢なのに)いなくなってしまったわけだ。

ジャズギターという以外共通点のありそうでない二人が共演アルバムを残していたというのも、こうなってしまうとなかなか貴重なものではあるよなあと思えてしまうのだ。

by god-zi-lla | 2017-02-26 13:42 | 常用レコード絵日記 | Comments(0)
1956年5月ハッケンサックのHERE IS PHINEAS(さようならルディ・ヴァン・ゲルダー)_d0027243_16513833.jpg
なんとかコーティング・ジャケットのぬめぬめ感を出そうと思って撮るんだけどもシロート写真には荷が重すぎた。なので字で説明しますけど許してたもれ。右はかれこれ40年くらい前に買った(最近こんなのばっかで申し訳ないね)ワーナー・パイオニア盤の〈HERE IS PHINEAS〉で、左が60年前に発売されたコーティングのぬめぬめもあやしいオリジナルのATLANTIC盤なのだった。

おれが40年前に国内盤を買った時点ではまだオリジナルがリリースされてから20年しか経ってなかったってことなんだな。つうことはこの盤を買った年、おれもハタチだったわけだ。光陰矢の如し。あたしゃいまや白髪三千丈。なんちて。

ジャズを聴き始めたばっかりのおれはスイングジャーナル誌に載ったこのフィニアス・ニューボーンJr.のデビューアルバムが1956年5月に録音されたものだっていうのを知り、俄然それを聴いてみたくなったんでした。なんとなれば56年の5月っていうのは生まれた月だから。自分が生まれたとき、一緒にどんな音楽が生まれようとしてたのかってすごく興味があるじゃん。そんなことない? そうかなあ。

前にも書きましたけど、マイルス・デイヴィスの有名なマラソンセッションの前半が56年の5月11日なんだよ。こっちはもっと近くてドンピシャおれの生まれたその日(日本時間5月12日)でさ。以前は4部作のうちこの日録音された曲だけLPからカセットにダビングして聴いたりしたもんだった。

フィニアス・ニューボーンJr.のことがSJ誌に載ったのは多分、何年ぶりかのリーダーアルバムがデビュー作と同じATLANTICからリリースされたって記事だったんだと思う。〈SOLO〉というタイトルで勿論アルバムまるまるソロ作品だった。こいつに針を下ろすといきなり本人の「行くぜ」みたいな声がきこえてめちゃくちゃな猛スピードでものすごい音数を鍵盤から叩き出す。

ニューボーンの演奏スタイルにはソロが合ってたんだろうな。つか、回りに人がいるのが合わないようなピアノを弾く人だったと言ったほうがいいのかもしれない。写真のデビューアルバムも収録8曲のうち3曲をソロで弾いてる。トリオアルバムのなかで1曲くらいならソロを収録するってのもあるでしょうけど半分近くがソロってのはやっぱフィニアス・ニューボーンJr.の資質にソロが合ってるとプロデューサーのネスヒ・アーティガンも思ったってことに違いないんだ。

そしてやっぱりこのデビューアルバムでも隙間という隙間を音で埋め尽くし、曲によってはドラムスのケニー・クラークがあきれてテンポを合わせるのをやめちゃったようにきこえたりするくらいの猛スピードでぶっ飛ばしたりして、一種曲芸的にもきこえるくらいなんだよ。

そのフィニアス・ニューボーンJr.の〈HERE IS PHINEAS〉のオリジナル盤がつい先日、三千円台でエサ箱に刺さっていたのだった。ドリル穴が開いていて裏ジャケには数字のゴム印が押してあるけどぬめぬめコーティングはキレイだ。だけど三千円台ってば盤面はきっとザリザリだよなあ。

なにしろお誕生月に録音されたというだけで買った1枚ではあったわけで、それだけの理由で買ったわりにはけっこう愛聴もしてきたんだけどオリジナル盤を買い直そうなんてことは考えもしなかった(買いたいレコードはほかにいくらでもあるしね)。だけど三千円台っていわれるとなあ。そもそも20年前に買ったときから「記念の品」だしなあ。盤がザリザリで聴くに耐えなくてもまあいいか。なにしろ、ぬめぬめですし。

つうわけでまた「記念の品」として買い求めてしまったんであった。ハタチでワーナー・パイオニア盤。還暦の年にオリジナル盤。なんか自分で自分が可愛くなるよ。ばかだなあ。

ところでこの〈HERE IS PHINEAS〉はアトランティックのレコードのなかでは珍しくヴァン・ゲルダーが録音した1枚なんであった。〈Deep Groove Mono〉つういかにもな名前のサイトにあるヴァン・ゲルダーの初期ディスコグラフィによれば56年2月MJQの〈FONTESSA〉が最初でフィニアス・ニューボーンJr.が2回目となってる。しかしこれはレコーディングの一部と注にあるうえマスタリングの欄には「None」とあるところからすれば、このディスコグラフィを見る限り、どうもアトランティックの仕事でマスタリングまで仕上げたのは我らがニューボーン盤が最初で最後だったみたいだな。56年の5月3日トム・ダウドがほかの仕事で忙しかったのか、なんか理由がありそうだけどわからない。

というわけでこのLPのデッドワックスには手書きで「RVG」と彫られている。

そのルディ・ヴァン・ゲルダーは8月25日に他界、91歳だったとのこと。長命でおれたち世界中のジャズやレコードのファンに沢山の楽しみを残していってくれた恩人だな。ありがとう。合掌。

ヴァン・ゲルダーについてはおれが書き加えるようなことは何もありませんけど、レコード・コレクターズ誌2011年11月号に常盤武彦氏によるヴァン・ゲルダーへのインタビューとヴァン・ゲルダー・スタジオのカラー写真が掲載されている。たぶん日本人による日本の雑誌に載った最後のインタビューで内容もすこぶる興味深い(とくに初期ステレオ録音について!)ので、読んでみて下さいませ。


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盤面はやっぱり結構ザリザリだったけど、メラミンスポンジで磨いたらまあまあ聴けるレベルにはなった(良い子のみんなはマネしないよーに)。
1956年5月ハッケンサックのHERE IS PHINEAS(さようならルディ・ヴァン・ゲルダー)_d0027243_14485403.jpg
(9/12/2016追記 上記アルバムにソロ3曲は勘違いでした。実際は2曲。長い無伴奏のイントロのあるナンバーをソロと勘違いしてました。すいません)

by god-zi-lla | 2016-09-10 09:27 | 常用レコード絵日記 | Comments(2)
リズムとビート(さようならボビー・ハッチャーソン)_d0027243_09282888.jpg
じつはボビー・ハッチャーソンを一度だけライヴで見てるんだけど、それが80年代だったか90年代に入ってからだったかすら記憶にない。というのも来日したソニー・ロリンズを、これもさっぱり記憶がないんだが神奈川県民ホールだか芝の郵便貯金ホールだかへ聴きに行ったとき(新宿厚生年金じゃなかった気だけは、なぜかするんだな)サイドマンのなかにボビー・ハッチャーソンがいたんである。ホントに席についてメンバーが出てきて初めて知ったんだよ。

しかしこの日会場のPAがひどく悪かった。バンドの音がみんなもこもことダンゴになってちゃんときこえない。ロリンズのテナーすら客席にちゃんと飛んでこない。ましてやハッチャーソンのヴァイブの音なんかほとんどきこえてこないんだよ。あれはなんだったのか。おれのコンサート行った史上、こんにちまで最悪PAの座を明け渡してないくらいにヒドい音だった。そんなおれの初ハッチャーソンから何十年ふたたびナマに接する機会のないまま、本人がついせんだっての8月15日に亡くなったというのをピーター・バラカンのラジオで知った。75歳だったそうだ。

ところで6、7年前にハッチャーソンがコルトレーンのトリビュートアルバムを作ったというんで買ってみたことがあったんだよ。それは2009年録音の〈WISE ONE〉というタイトルなんだけど、ピアノ、ベース、ドラムスにギターが入った編成でおれにはどうもコルトレーンにトリビュートというにはラグジュアリー過ぎるような印象でね。んーむ。悪いとは思わないんだけど、なんかこうコルトレーンにこの余裕綽々感はどーなんですかねって気がしてね。

じつはそのときハッチャーソンを少しまとめて聴き返した。なにしろ65年にBlueNoteに初リーダー作DIALOGUE〉を吹き込んで以来生涯40枚を超えるアルバムを残したというくらいだから、おれんちにだって数えてみるとリーダーアルバムだけでも10枚くらいはある。加えてサイドメン、ゲストとして参加したアルバムもロリンズ、ドルフィー、ジャッキー・マクリーンなんて歴史上の巨匠から、ウディ・ショウにファラオ・サンダース、トニー・ウィリアムス、本人より下の世代だとケニー・ギャレットとかさ。うちの棚にあるだけだって枚挙に暇がないってヤツである。

この多産系ヴァイブラフォン奏者の代表作っていうとBlueNoteの〈HAPPENINGS〉を挙げるのが普通なんだが、これってむしろハービー・ハンコックが参加して彼の’Maiden Voyage’つう有名曲を自分のアルバムよりも先にレコーディングしたことで後年有名になったんじゃないかしらん。もちろん当時の最先端を走る若いミュージシャンたちによるアルバムらしい新鮮な響きが魅力の好盤なのは間違いないと思うけど、おれが聴いたことのあるハッチャーソンのほかのBlueNote盤にくらべてこれが抜きん出た大傑作って感じはあんまり受けない。

ところで81年にContemporaryレーベルに入れた〈SOLO/QUARTET〉っていうアルバムがあって、A面がハッチャーソンのソロでB面はマッコイ・タイナー、ハービー・ルイス、ビリー・ヒギンスつうけっこう豪華なクァルテットの演奏が収められている。そのA面がおれには無類に楽しいんだよ。

ここでハッチャーソンはヴァイブのほかにマリンバ、バス・マリンバ、チャイム、シロフォン、ベル、ブーバムを多重録音で演奏してる。ようするに全部打楽器だ。バス・マリンバが打ち出すリズムの上にポコンポコポコンってマリンバやシロフォンがメロディと別のリズムを刻みながら乗っかってくる。ものすごく楽しい。B面のフォービートの立派なジャズとはほとんど全然なんの関係もないんだけど、音楽の中心にあるのはリズムとビートだ。そして素朴なんだけど複雑。

いやーこれが良いんです。じつはそのコルトレーントリビュートでがっかりして以来、ボビー・ハッチャーソンのアルバムのなかではほとんどこの「A面」ばかり聴いてる気がする。聴くたびになんでB面もこれで通してくれなかったんだと思うんだけども、プロデューサーのジョン・ケーニヒ(アメリカ人だからコーニグだろうなホントは)も売り上げのこと考えたら躊躇したんだろうな。

もう少し時期が下がって86年、オリン・キープニュースのLANDMARKレーベルで〈COLOR SCHEMES〉というアルバムをハッチャーソンは作ってるんだが、このタイトルチューンがB面の2曲目でコイツはハッチャーソンとアイアート・モレイラのデュオなんだよ。ようするにこれまた全部打楽器つうわけである。そしてこれもまたいいんだな。リズムとメロディーとコードを同時に打ち出すハッチャーソンをアイアートのラテン・パーカッションが取り巻いてじつに楽しい。だけど4分ちょっとという短いこのトラックのみ。だからこのアルバムはこのトラックだけにそおーっと針を下ろすことが多かったりする。

あとはアイアート含むクインテット編成の「ジャズ」なんだけど、曲名の’COLOR SCHEMES’をアルバムタイトルにするくらいだから、プロデューサーのキープニュースもアルバム全体では色物的存在のこのトラックが気に入ってたと思うんだよ。

うろ覚えなんだけどもドルフィーの〈OUT TO LUNCH〉のライナーに、ハッチャーソンはミルト・ジャクソン以来のヴァイブ界の大型新人と目されているがミルトの演奏とは似ても似つかない。ヴァイブラフォンの羽を回して音を引き伸ばすことをしないで鈴や鉦のような(キンコンカンという)音を出す、みたいなことが書いてあった気がするんだけど(確かめなくてすいません)、〈OUT TO LUNCH〉でハッチャーソンがやってる(あるときは金床を叩くような音まで出す)演奏はまさにその通りだし、〈SOLO/QUARTET〉のA面もCOLOR SCHEMES’もそういうハッチャーソンの個性が目一杯出た演奏なんじゃあるまいか。

こんかい亡くなったというニュースを聞いてからもいくつかボビー・ハッチャーソンの演奏を聴いてたんだけど、そのなかのファラオ・サンダースの81年のアルバム〈REJOICE〉に聴けるハッチャーソンもそういう感じの演奏だと思う。

タイトル曲の'Rejoice'はエルヴィン・ジョーンズのドラムスとパーカッションとハッチャーソンのヴァイブラフォンがアフリカっぽいようなおどろおどろしいような牧歌的なような世界を作っていって、その上でファラオのサックスがのたうちまわるという音楽なわけだけど、ここでもやっぱりハッチャーソンのヴァイブがほぼ全編で鳴っていて曲の雰囲気を決定づけてるようにきこえる。そのくらい存在感があって、やはりパーカッション的なサウンドが頻出する。これもすこぶる面白い。

本人は不本意かもしれないけど、ボビー・ハッチャーソンの本領ってあの羽が回ってウワンウワンと響かせるヴァイブのサウンドでなく、同族のむしろマリンバとかシロフォンとか、あるいはグロッケンシュピールとか、より原始的にむき出しな打楽器的サウンドのほうが向いてたんじゃあるまいか。実際いくつかのアルバムを聴いてるとクレジットにはヴァイブラフォンしか書いてないんだけど、鳴ってるのはマリンバじゃないかっていう瞬間が結構ある。そしてそういうところのほうがおれには魅力的にきこえる。

生涯40枚もリーダーアルバムを作ってるから、じつにいろんな音楽をこの人はやってるんだな。AppleMusicで拾ってみると〈Montara〉なんていうサルサっぽいアルバムも結構いい(レアグルーヴとして有名なんだってね)。これはちょっとレコード欲しいかも。だけどこれもやっぱりリズムとビートだ。

フォービートのジャズよりも、ラテンを透かした向こうにアフリカの見えるような、鍵盤打楽器の故郷をどこか思わせるような音楽のほうがじつはボビー・ハッチャーソンの本領に近かったんじゃないかって、このMontara〉を聴いてるとさらに思うようになった

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写真は〈OUT TO LUNCH〉のRVG EditionのCDに入ってるブックレットの内側。フランシス・ウルフが撮影した若き日のボビー・ハッチャーソン。あー、そういえばRVGも亡くなったんだよなあ。



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by god-zi-lla | 2016-09-04 09:37 | 常用レコード絵日記 | Comments(0)