神はどーだっていいとこに宿る


by god-zi-lla

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つうわけで近く公開予定だった映画が封切りを延期したりするのが出てきて不安なとこもあるけど、そんな中でどうにかこうにか映画館自体は営業を続けてくれてるのがうれしいよ。

ホントありがとね、映画館関係者の皆さま。今後ともよろしくお願いします。

おれら年寄りはどうせ平日の昼間しか見ないんだから映画館そのものは大抵いつもガラガラである。となりの席に別のお客がいるっつうことはめったにない。だからそんなに気にするようなことはない気がするんだけど、ここんとこヤな感じの圧迫感がヨノナカを支配してるじゃんか。

で、なんとなく映画館に行くのが間遠になる。見たいなと思ってた映画がいつのまにか終わってたりする。如何ともしがたいけど、ちょっとモッタイナイ今日このごろではある。

それでもなんとか少ないなりに今年はきのうまでに、上のポスターの如き7本の映画を見た。

ところでさ。こんだはあの映画を見てやろうって予告編を見て決めることがおれのばやいは多い。つか、それがほとんどじゃないかと思うくらいなもんである。ネットなんかで探さないこともないが、振り返って考えればほとんど予告編で物色してる。予告編が面白そうだと、その映画のことは深く記憶に刻まれますね。

逆にいうと、しばらく映画館から遠ざかっちゃうと見たい映画の「ストック」がなくなって、そうするとますます映画館から遠ざかってしまうようなことにもなる。だから、ここんとこの状況はなんちゅうか、あんまり楽しくないわけだ。見たい映画のストックが尽きかけている。

そんなことをつらつら綴りながら上のポスターを見てハタと気づいたんだが、この7本のなかに予告編が面白そうだから見た映画がひとつもないんである。いやこれは困った。

上の段、左から二番目の〈テリー・ギリアムのドン・キホーテ〉、その真下の〈リチャード・ジュエル〉、その右の〈パラサイト 半地下の家族〉の三本は予告編とは関係なしにこれは見なきゃと思って見に行ったんだけど、上の段の左端の〈1917 命をかけた伝令〉は「ワンカットで撮った映画」という前評判がまず高かった。そして予告編を見ると塹壕から飛び出して突撃する兵士と交錯するように、弾幕のなかを走り続ける丸腰の兵士(主人公)を正面から映し続けるところがある(つまり主人公は背走するカメラを追って走ってる)。あーここのことなのかってね。

たしかにワンカットのように見えないこともない長回しのようだけど、それがどうした?。だけどオスカー候補だっていうしな。でもどこが? って感じの予告編。ちょっと引いちゃうね。

そう思って見るのをためらっていたところ、日比谷の店でたまに顔を合わせる映画のプロに「1917は見たほうがいいですよ」と勧められた。あーこの人がそう言うってことは、きっと予告編の印象と本編は違うんだろうな。じゃあ見よう。

すると案の定、長回しだのワンカットだので視覚効果を挙げてはいるけど、それだけじゃとてもすまない第一次世界大戦を描いた映画なのであった。いやー先入観でスルーしないでよかった。

それから見たばかりの〈ナイブズ・アウト 名探偵と刃の館の秘密〉は上の段左から三つ目です。これはさあ、なーんかチャラい雰囲気の予告編でさ。おれダニエル・クレイグわりかし好きなんだけど、これはヤメとくかなあって。

それがおとつい映画見に行こうと思い立ったとき、見たい映画の上映時間が合わない。だけどこれで映画見に行くのを諦めたら当節ぜってーストレス溜まりまくりだよなあと、なんとか上映時間に間に合いそうなのを探したら〈ナイブズ・アウト〉なのだった。

そしたら、これが意外と悪くないのね。まあアレだ。現代のアメリカで事件の捜査にくっついてきてチョッカイ出すようなキャラの濃い私立探偵(ダニエル・クレイグね)が出てきてさ。しまいには関係者全員のいるところで名探偵が滔々とナゾ解きをしてみせるっつう映画ですから、そりゃあもうぜってーありえねーレベルで大仰な絵空事ではあるんだ。だけどね、面白い。絵空事としてしっかり作り込まれた出来のいい映画なのだった。

でもね、予告編から想像してたのは軽薄なアチャラカ探偵コメディーだったからね。そんなもん見たかねえって。

上段右端の〈ジョジョ・ラビット〉はヒトラーユーゲントの少年の妄想に出てくるヒトラーってとこでもう引いてたね。予告編もそこんとこがメインだし。しかしその「ヒトラー」ってのは少年のアタマのなかを象徴してるだけのもので、じつは少年の母(スカーレット・ヨハンソン)がナチスに対するレジスタンス運動をしており、途中それが露見して町の広場で公開処刑されてしまうような映画なんであった。

これは予告編から受けるイメージと、なにかで読んだ監督インタビューの中身が食い違ってる感じがしたもんだから、ひょっとしてと思って見てみたら、ひょっとしたのであった。

〈再会の夏〉もそうね。予告編いきなり犬が出てきてさ。人の良さそうな老司法将校が出てきてさ。もしかして第一次世界大戦直後のフランスの「ちょっといい話」?。これ映画館がシネスイッチ銀座だったんだけど、あそこは問題作もかかる一方たまに小ぎれいなだけの映画もかかるからさ。あーこりゃ「名犬物語」かとタカをくくってたら全然違ってた。たしかに犬がカギだけどカギの握り方が想像の外の、どっかで〈1917〉と繋がっても来そうな第一次世界大戦映画なのだった。

これは予告編の「犬」でいったん引きかけたんだけど、老将校を演じてるのが〈最強の二人〉の車椅子の富豪をやったフランソワ・クリュゼだと知って随分印象が違うもんだと、それで見ることにしたんだよな。

まあアレだよな。そりゃあ最近はネタバレ、ネタバレってうるさいしさ(最近ちょっと言い過ぎだと思うね)。あんまり予告編で中身さらすのを控えてるとこもあんのかもしれないけどさ。だけどそれはそれとして、本編とあんまりにもかけ離れたイメージ発信しないで欲しいぜっつう予告編はあるよな。

さっき書いたのはたまたま予告編の印象は良くなかったけど本編見てみたらそんなことなかった、ある意味おれとしたら「幸運」な映画だったわけですけども。つうことは予告編見て、これはヤメとこって思ったなかに何本も「見とけばよかった映画」があったに違いないと思うと、なんか意味もなく口惜しい気がしてきたりしてさ。

あんまり予告編に引っぱられずに、見る時間のあるときに見られる映画を、あんまり選ばず見るほうが本当はシアワセだったりしてね。

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〈パラサイト 半地下の家族〉の横に生えてるのはミセス・ロビンソンの足です。
ポスター七本でなんかバランス悪かったから生やしてみました。

本編とはなーんの関係もありません。







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by god-zi-lla | 2020-03-18 11:07 | 物見遊山十把一絡げ | Comments(4)
7月31日水曜日 天気晴れ ヒューマントラストシネマゆうらく町でアポロ11を見ました。
50年前のテレビとかのえいぞうですが4Kリマスターできれいに見れました。
ぼくはバズオルドリンさんが好きです。

終わってから日びやで夕飯を食べて地下鉄でかえりました。

8月2日金曜日 天気晴れ シネスイッチ銀ざで北の果ての小さな村でを見ました。
グリーンランドはトランプ大とうりょうが買いたいそうですが、おばあさんが台所でアザラシを切っていました。

終わってから銀ざでビールを飲んで地下鉄でかえりました。

8月8日木曜日 天気晴れ はい者さんへ行ってからヒューマントラストシネマゆうらく町でCOLD WARあの歌、2つの心を見ました。
れいせんがこわい感じは前に見たホワイト・クロウのほうがこわいです。こっちはそれよりもれんあい映画です。

終わってから地下鉄でじんぐう球場へ行って、友だちとビールを飲んで花火と野球を見ました。

8月15日木曜日 天気雨 シネマート新じゅくで工作黒金星と呼ばれた男を見ました。 
かん国のスパイの人が北ちょうせんで金ジョンイルに会うところとかもすごいですが、かん国のえらい人と北ちょうせんがひみつの約束でかん国のせんきょのときに大ほうを発しゃするところがもっとびっくりです。

8月20日火曜日 天気晴れ シネマカリテでカーマイン・ストリート・ギターを見ました。
ジムジャームッシュやビルフリゼールがお店に来てギターをたくさんひきます。でも、毎日ゆうめいなギターの人が来てギターをひいてるわけがないと思います。

映画かんのロビーにそのお店の人が作ったギターがかざってありました。となりにはジョアンなんとかというさいきん死んだギターの人が日本に来たときすわってギターをひいた実さいのいすとかがかざってありました。これはつぎの映画のせん伝みたいでした。

終わってから新じゅくのデパートで夕はんの魚を買ってかえりました。

8月29日木曜日 天気晴れ シネマカリテで鉄道運転士の花束を見ました。
なん十人もの人をたくさんの事故でひき殺したうんてん士さんのむす子がうんてん士さんになり、なかなか人をひき殺せずに心の病気になりそうになります。でも実さいに心の病気になるのはうんてん士さんから事故の話をくわしく聞いてゲロをはきそうになるカウンセラーの人でした。でも本当はお父さんのほうのうんてん士さんは長い間心の病気なのをかくしていました。

絵日記帳の紙があまったので映画のチラシをはってみました。上から見た順です。大きさはおもしろい順です。これを自由けんきゅうとしててい出してもいいですか。先生よろしくおねがいします。






夏休みの宿題勝負は最終日に突入どうして毎年こうなんだと思ってるうちに卒業しちゃうんだろうなあ絵日記シネマ編その1(その2は当然ない)_d0027243_08343905.jpg

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by god-zi-lla | 2019-08-31 09:34 | 物見遊山十把一絡げ | Comments(2)
Blues Brothers は遠くなりにけり_d0027243_10541979.jpg





Amazonのプライムビデオに〈Blues Brothers〉があるのに気づいて、すごい久しぶりに見た。土曜日の早朝で奥さんはまだ寝てるから、テレビをつけてヘッドフォンを繋いでテレビ内蔵のAmazonのアプリを起動し、ヴォリュームをグイっと上げて耳が痒くなるくらいの爆音で見た。ヘッドフォンだから音量に遠慮会釈は不要ってもんである。

しかし、いつ以来でしょうかね。本邦公開は81年だっていうからその時見たとしたら38年目ですか。封切り直後かどうかは別として、とにかく20代のなかばに初めて見たのは間違いない。そのあと、テレビで放送されたのも見たような気がするけどよく覚えてない。

なにしろジョン・リー・フッカーなんて全然、当時おれは名前も知らなかったからな。アリーサ・フランクリンのいるダイナーに二人が入る直前の路上で歌ってたブルーズマンを、ただの歌とギターのうまいエキストラのオッサンだと思ってた。まったく無礼千万な話である。映画見る前にちったぁ予習くらいしてらっしゃいな。

かろうじて、画面を見ただけで誰だか分かったミュージシャンはJBとアリーサとレイ・チャールズだけじゃなかったですかね。バンドでギター弾いてんのがスティーヴ・クロッパーだなんてことはずうーと後になって知った。

ジョン・ベルーシのブラザーズ兄が出所して孤児院を訪ね、そこで世話になった黒人のジサマと久しぶりに会って抱き合う、そのジサマがキャブ・キャロウェイだなんてことはなおさら思いもしなかった。

ずうーっと後のほうの、あの有名な白い燕尾服で〈ミニー・ザ・ムーチャー〉を歌い踊るシーンを見て初めて、あーもしかしてこのジサマってあのキャブ・キャロウェイなのか? と、しかも疑問符付きで思ったくらいなもんである。

何故かといえば、おれのアタマん中じゃキャブ・キャロウェイといやあアメリカ黒人音楽史に必ず出てくる「歴史上の人物」なのである。始皇帝や織田信長やアレキサンダー大王が生きてる人だなんて思いもしないのとおんなじである。

だってアレだぜ。キャブ・キャロウェイ楽団といやあ1920年代だか30年代だか禁酒法時代のNYコットンクラブでデューク・エリントン楽団とバンドスタンドを分けあった「スター」つう認識じゃんか。しかも、かたやデューク・エリントンはこの映画を見たころから遡ること7、8年前にはそれなりの年齢になって亡くなってたんだから、おれはてっきりキャブ・キャロウェイもアノ世の人だと思い込んでたのであった。

だから、たしか見終わってから雑誌かなんかの記事で読んで初めて、あーやっぱあのジサマは本物のキャブ・キャロウェイだったんだー、と知ったんじゃあるまいか。

で、さっき調べたところキャロウェイさんてエリントン翁より七つ八つ年下だったのね。

いやまあ、それはともかくとしてだな。久しぶりに見てもこの映画のトンでもなさぶりの価値ってものは少しも減じてませんね。多分アメリカ映画史上初のブラックミュージックの「ミュージカル映画」(しかも、すごいメンツだらけ)なのに主役はよりによって白人のチンピラである。しかも目茶苦茶に暴力的なまでのアクションシーンの連続で、且つその圧倒的な破壊力のアクションに必然性のひとっカケラもない徹底したスラップスティックコメディときたもんだ。なんかもう心底クダラナイくて、そこがすごく面白い。

いやー、これから何度でも繰り返し見たいもんだ。

たしかにアリーサ・フランクリンもJBもキャブ・キャロウェイもジョン・リー・フッカーもたいしたモンだと思います。みんな、短い登場シーンなのにすごい存在感だ。だからもちろん「音楽映画」としてすごく楽しめる。けどね。あらためて感じたこの映画の真骨頂は、たとえばショッピングモールでのハチャメチャなカーチェイスや、たった二人を警察と軍隊と消防の大集団が入り乱れて市役所で追いかけ回す、あのほとんど(つか、まったく)無意味なシーンに精力と予算をつぎ込んでしまうアブナさにあるんだと、あたくしは思いますね。

いやまったく。

それにしてもと今回見終わって思ったんだが、おもな出演者はみーんな死んじゃってんだな。

まあキャブ・キャロウェイ翁は当時すでに老境にあったから仕方ないし(94年に86歳でお亡くなりになったとのこと)、レイ・チャールズもジョン・リー・フッカーもそれなりのお歳ではあったから今世紀初めに亡くなってる。だけど、ジョン・ベルーシはこの映画から何年もたたないうちにあっけなくドラッグで死んでるし(あのニュースには当時結構びっくりした)、JBが亡くなったのは10年くらい前だったか。

そして、狂気の女ストーカー(そんなコトバは当時なかったでしょうが)を演じたキャリー・フィッシャーが3年くらい前に急死して、とうとうアリーサ・フランクリンが去年この世を去ってしまった。それからベーシストのドナルド・ダック・ダンもだいぶ前に亡くなってる。

そういえばアレだったな。当時キャリー・フィッシャーが出演してるのを知らずに見て、あの女優さんて、もしかしてスターウォーズのレイア姫やってる人? と思ったもんである(つまり名前を知らなかった)。

だけどキャリー・フィッシャーがやったあの役(固有名詞を与えられてない)は、ブルース兄弟をバズーカ砲で狙撃したり爆弾仕掛けてビルごと吹っ飛ばしたりして、要所要所で映画の意味不明さをパワーアップさせていくブースターみたいなもんだったな。

こんど、ああいう超クダラなくて偉大な「ミュージカル映画」を見られるのは一体いつのことなのでしょうか。いや、きっともう二度とあんな映画が作られることはないんだろうな。

つうわけで冒頭の写真のレコードはなんだっつうと、直接関係あるってわけでもないんだが当然ブルースブラザーズのアルバムではあるから無関係ってことでもない。まあ、殺人事件の報道かなんかで写真がなんにもないとき新聞とかテレビのニュースで、なーんとなく「桜田門」のビル正面の写真が使われてたりするでしょ。まあ、アレと同じようなモンです。

でもそれもあんまりアレだから触れておきますけど、何年か前にどっかのレコード屋さんのエサ箱から引っこ抜いてきたジョン・ベルーシとダン・エイクロイドのバンド〈Blue Brothers〉の、たしかこれがデビューアルバムなり。

78年か79年あたりのライヴ録音だからもちろん映画よりも前のリリースで、だからここにはJBもアリーサもキャブ・キャロウェイもレイ・チャールズもいません。

スティーヴ・クロッパーもドナルド・ダック・ダンもいるからもちろんバンドはちゃんとしてるんだけど肝心の「ブルース兄弟」がウマいかどうかっつうと、映画見てるぶんには何も気にならないけどレコードだと多少ビミョーなとこがあるよねえ。やっぱ二人ともシロート芸というべきか。いや、それにしちゃあ結構聴かせるぜというべきか。

だけど気合いはスゴい。とくにジョリエット・ジェイク・ブルースことジョン・ベルーシは人生これに賭けてるような勢いで歌い叫び喋くりまくる。ひょっとして架空の人物「ジョリエット・ジェイク・ブルース」に人生賭け過ぎた挙げ句、そっちに生命を吸い取られて死んじゃったんじゃあるまいかと思ったりもするのであった。





Briefcase Full of Blues (ATLANTIC ATL50 556 ドイツ盤)

by god-zi-lla | 2019-06-17 20:31 | 常用レコード絵日記 | Comments(0)

たまにゃ映画も見るさ

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ここんとこあんまり映画を見に行けてないのは、映画見るのにちょうど良さそうな時間帯をほかのことに割いてるからなんだが、それはなにも他人様に言われたり頼まれたりしたからじゃなくって自分でそうしようと思ってそうしてるんだからまあいいんだけどさ。

それでも、あーあの映画終わっちゃってんのかー、ってのはちょっとある。

で、よっしゃあ今日は映画だと家を出てちょうど良い時間だったのがクリント・イーストウッドの〈運び屋〉だったんだけど、なんだかけっこうお客が入っててね。おーこんなじいさん映画が平日こんなに埋まるのかと驚いてたら「本日封切り」でした。

封切り日に見たい映画ファンてのがいるもんなんだな。

でまあ、ひさびさのことでもあるし(前回見たのは先月18日の〈ファースト・マン〉だった。そんなに長いこと見てないわけでもないじゃんて言われそうだな)、映画のことをブログにアップすることもあんまりないからちょっと書き留めとこうかと思ったんでした。

もちろん、おれは面白く見物しましたさ。きのう見て翌日アップしようってんですから。

だけどまだ封切ったばっかりだから、どーだっていいような「枝葉」のことだけにしとく。まあ、ふだんからどーだっていいことしか書いてませんけど、わざわざ冒頭にそう謳ってるくらいのブログですから。

クリント・イーストウッド演ずるアールっていうじいさんは90歳だっていう。デイリリーつうユリみたいな花を栽培してる園芸家の退役軍人って設定になっている。

アールじいさんは朝鮮戦争に従軍したというのは本人のセリフにはなかった気がするが(兵隊に行ったとは言う)、クルマのナンバープレートの「翻訳」らしいものが一瞬字幕に出て、そこに「朝鮮戦争退役軍人」みたいな文字があった。

90歳っつうとそういう年齢なんだな。たぶん第二次世界大戦にはスレスレで間に合ってない。この年齢で軍隊に入ってた日本人は徴兵前のおそらく「少年兵」という存在だろう。おれんちのじいさん(父です)は今年93歳で海軍航空隊で技量未熟のまま特攻に出る前に敗戦を迎えた。

アメリカって国はいつの時代もせっせとよその国へ行って戦争しちゃあ若い人をたくさん死なせてるから、いつの時代も戦場の経験のある退役軍人に事欠かなくてそういう連中が映画に出てくることも珍しくないし、その経験が映画のなかでほのめかされた場合その映画の基底や伏線にそれがあることがふつうだ。

この映画のもとになった事件の張本人は2011年までドラッグの運び屋をやって2016年に92歳で亡くなったが、第二次世界大戦イタリア戦線に派遣された退役軍人だったらしい。映画の舞台を数年繰り下げるために第二次世界大戦から朝鮮戦争に「経歴」を動かしたんだろうな。

とにかく70年前に戦争に行ったこのじいさんはドラッグの売人にも説教しちまうくらいハラが座ってる。この映画の面白いさのひとつは間違いなくこのメキシコ系のドラッグの売人たちと、ヤツらからは「タタ」と愛称で呼ばれるアールじいさんのやりとりとそれによる人間関係のビミョーな変遷で、それを支えてるのがアールの戦場経験だってことらしい。

しかしクルマのナンバープレートに退役軍人ってのが面白いよなあ。

面白いってばアールじいさんが、ボヤを出した地元の退役軍人会の集会所の改修費用を運び屋で荒稼ぎしたカネから出してやったその祝賀パーティーで演奏してるのが「なんちゃらポルカ・バンド」だ(パーティーの司会者にそう紹介されてる)。

アメリカの田舎じゃあこういうお祝いごとのパーティーなんかに呼ばれて演奏するのがポルカ・バンドだってことをおれが知ったのはもう30年くらい前になるんじゃないかと思うんだけど、〈ブレイヴ・コンボ〉つうポルカ・バンドがいっとき日本の物好きな音楽ファンの間でちっこいブームになったその時だったと思う。

〈ブレイヴ・コンボ〉は何回か来日して河内音頭の河内家菊水丸とアルバム(たしか持ってると思うんだけど)を作ったりしたこともあるんだけど、パーティーの景気づけにポルカ・バンドが呼ばれて演奏するなんてまさか「大昔のハナシ」だとばっかし思ってたら今でもあるんだなーアメリカの田舎じゃあ。

まあ、じじいばっかの退役軍人会のパーティーだからってのもあるんでしょうが、バンドがなきゃ呼ばれないしバンドのメンバー自体もべつに年寄りってことはない(ブレイヴ・コンボが今も活動してたらもっとジジイでしょうが)。ようするに田舎のダンスバンドとしちゃあ今だってべつに当たり前の存在だってことなんだろうね。

だけどなんか、スクリーンにこのシーンが出てくるといかにもアメリカ(しかも西南部のイナカ)って感じなんだよな。

音楽っていえばアールじいさんはヤバいブツをピックアップで州を越えて運ぶ間ずっとカーラジオをつけっぱなしにして、流れてくる音楽に合わせてノーテンキに歌ったりしてる(よーするにヤバいブツ運んでるって緊張感がない)。たとえば〈More Today Than Yesterday〉なんて歌が流れる。この曲はたしかエンディングちかくで再び流れたからこれもある種キーワードかもしれない。

いやそれもそうなんだけどドラッグの売人一味はアールじいさんを信用してないから、じいさんのピックアップにひそかに盗聴マイクを仕掛けて緊張の面持ちでそれに耳を澄ませながらハイウェイを追走してるわけだ。

そうすると盗聴マイクを通して売人たちの耳に届くのはアールの聞いてる〈More Today Than Yesterday〉だったりするわけだ。しかもアールの歌声までカブって。そうすると、なんなんだこのじじいのユルさはって最初ムカついていながら、そのうち聞こえてくる音楽に合わせてつい歌っちゃったりする悪党どもがいたりしてさ。

ところでこれは犯罪映画で、老人映画(イマドキは増えてるからねえ)で、ある種ロードムービーでもあるから、アメリカ映画じゃおなじみの平屋のモーテルとか、そのとなりにあるダイナーなんかも出てくる。

モーテルで1泊した朝(前夜このモーテルでひと悶着あった)、アールじいさんは出発前にそのダイナーにやってくるんだけど携帯マホービンを手にしてる。そしてダイナーのオバチャン(これもステレオタイプな存在だよな)に、コーヒーをこのサーモスにも満タンにしてくれよと言いながら銀色のマホービンを手渡す。オバチャンは当たり前のように笑顔をじいさんに返しながらマホービンを受け取る。

これ、きっとフツーの光景なんだろうな。クルマで旅するアメリカ人にとっちゃ。

でこの朝のダイナーのシーンもけっこう面白い見せ場になってる(と、おれは思う)んだが、それは見てのお楽しみ。

つうわけで、おれの印象としちゃあ上のポスターのすごくシリアスで深刻そうな感じとはちょっと違う映画な気がする。なにしろこのアールじいさんは身勝手で俗物でちょっとスケベで思慮の浅い、しかも説教好きなただのじじいなんだよな。

ところでこの映画のもとになった実話の張本人の顔もネットで検索すると出てくる(だけど、アールじいさんも実話の張本人もインターネットが大嫌いだ)。その写真を見るとアタマはげちょろけでヨレヨレのクリント・イーストウッドといい勝負なじいさんでさ。

その髪の毛も相当さびしくなってシワくちゃのアールじいさんは劇中2回ばかり女性から、あんたジェームズ・ステュアートにそっくりねと言われる。もちろんそんなこと言うほうだってばあさんに決まってる。

最初にそう言われるときなんてアールじいさんはベビーコードレーンのシアサッカー地の上下にボウタイをしてキメてたりするんだけど、全体にイナカくさく年相応にヨレでもいる。

あのジェームズ・ステュアート似っつうひとことも、あのくらいの年齢のアメリカ人にとっちゃありきたりの、「いちおうバッチリきめてきた男」にたいする大して意味のないお世辞だったりするのかなあ、なんて。

イーストウッドはローハイドの昔から、荒野の用心棒の頃だって、ダーティハリーの頃だって、それからシワくちゃじじいの今だってジェームズ・ステュアートに似てた時代なんて一度もなかったよな。いつも眉間にタテジワ寄せて眩しそうな目をしたまま88歳になっちゃった。




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by god-zi-lla | 2019-03-09 07:23 | 物見遊山十把一絡げ | Comments(12)
ちょっと他人事じゃないような感じ_d0027243_07275305.jpg



リッパな賞まで取った大ヒット映画についてなんか書くなんてのはこのブログの本分じゃないんだけども、ちょっと心に残ったシーンがあった。

ステテコ姿のリリー・フランキーとスリップ1枚の安藤サクラがとっ散らかった真夏の居間で「夏はソーメンだよな」かなんか言いつつ汗だらだらかきながら、ちゃぶ台のガラスの器に浮かべたソーメンをすすってる。

昭和なかばまでの8月といえば、トーチャンが家にいるとたいていステテコにあのチリチリペラペラの白い肌着(アレ、なんていうんでしたっけね)だった。カアちゃんはシュミーズ1枚なんてアラレもない姿じゃなかったにせよアッパッパーなんつう五十歩百歩の自堕落さの風通し最優先のワンピースをひっ被ってた。ガキだってTシャツなんてのは着てない。ウチの中だろーが外だろーが下着の白いランニングシャツだった。

つまりあのシーンはちょっと前までフツーの夏の庶民の暮らしだった。

たぶんそんな情景はいまの日本の日常生活のなかではほぼ見られない。「平成」のファミリーはエアコンの効いたリビングダイニングのテーブルでソーメンを音も立てずに飲み込むのである。しかしこの映画だって現代の日本が舞台でべつに「昭和レトロ」でもなんでもない。

ちょっと前「三丁目の夕日」っていう映画がヒットした。あれはモロ昭和レトロな映画だったわけだが、おれはあれをこんなにキレイにしちゃったら昭和もクソもないよなあと思いながら見てた。まるで、昔は良かったっつう年寄りの寝言を真に受けたかのように「昭和」っていう過去を見る目に小汚いものをふるい落とすフィルターをかけている。

日本て国は経済的に豊かになってくにつれて、どんどん清潔に小ぎれいに「消毒」され続けてる。

あーそれはあんまり他人事すぎる言い方だから言い換えると、おれはビンボったらしい暮らしイヤさに稼いだカネつぎ込んで小ぎれいな「生活」を買い続けてきた。考えてみりゃあじつに薄っぺらい小ぎれいさだ。

あの時代、隣人同士の濃やかな人情の機微なんてのもあったかもしれないが、それと一緒にビンボったらしいだらしなさや小汚さやドブ臭さや騒音が普通にあるのが昭和なかばの町場の庶民の暮らしだった(とりあえずおれは田舎暮らしというのを全然知らないので)。

つまるところ「昭和」から「平成」へ、庶民の暮らしが小ぎれいなとこへ成り上がったのはすべてカネのおかげで、カネがなかったら「昭和」は「昭和」のままで誰も懐かしがったりはしなかった。

もしかして、おれがカネ稼ぎそこなってたら、あの映画のなかの暮らしもアリだったかもしれない。ヤツらだって好きでああいうふうに暮らしてるわけじゃない。カネがあればべつの暮らし方も考えられるんだろうけど、カネがないから考えられない。

おれはあんまり勤勉じゃないし努力なんてのも嫌いだ。よーするにスクリーンに映るヤツらとおれの違いってのは、たまたま小ガネを掴んだか掴み損ねたかってだけで、あとはそう違うとも思えない。

あーリリー・フランキーのあの万引きおやじは、ことによったらおれだったかもしれない。

なんてことをね。





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by god-zi-lla | 2018-08-15 00:07 | 物見遊山十把一絡げ | Comments(2)
腐った権力を支える腐ったものを取り除く苦行(少し直した0418)_d0027243_06423709.jpg



〈ペンタゴン・ペーパーズ〉はウォーターゲート・ビルの民主党本部に何者かが潜入しているのを巡回の警備員が発見し、警察に通報するシーンで終わる。

〈ザ・シークレットマン〉が始まるわけだ。みごとに繋がってる。

ワシントンポスト紙が大統領による刑事訴追を恐れずに(いや恐れてはいたが、前に進むことをやめずに)、歴代政府がつき続けてきたヴィエトナム戦争にかかわる数々のウソを暴く記事を1面トップに掲載する。政府の犯罪行為を暴くことが(機密文書の暴露が違法とされても)報道の自由を守り、国民を救う最善の道だと信じて(というより、苦悩しつつも信じようとすることによって)国家権力と対峙する。

それが結果として、わずか数年後に起こるウォーターゲート事件の際、〈ザ・シークレットマン〉でリアム・ニーソンが演じるFBI副長官の内部告発をワシントンポストが受けることに繋がる(政府の意向に従う新聞に情報提供する内部告発者はいない)。

政府の犯罪行為を証明する極秘文書を入手しながら政府の恫喝に怖じ気づいて記事の掲載を取りやめていれば、その後FBI副長官がワシントン・ポストの若い記者に会って情報を漏らすこともなくウォーターゲート事件は忘れられ、アメリカ合衆国はヴィエトナムでの蛮行をダラダラと続けて更なる深みにハマりこみ、日本はじめ合衆国の衛星国はこれを支持し続けて東アジアではさらに多くの血が流れ、ニクソンが大統領2期を全うしてその犯罪は完全に闇に葬られた可能性が高い。

2本ともじつに面白い映画だったが、たまたま同じ時期に同じ時代に続けて起こった政治的重大事件を扱った映画が作られ封切られたというのは、あの時代を冷静に振り返る余裕をアメリカの国民がようやく持てるようになったってことかもしれない。あるいはトランプという得体の知れない素人政治家が権力を握ったことについての危機感があるのかもしれないが、どのみちテレビ局が映画を作ってる日本では望むべくもないことではある。

〈ペンタゴン・ペーパーズ〉のなかにトム・ハンクスの演ずる編集局長が仲の良かったJFKとの付き合いを思い出し「友人であるか記者であるか、どちらか一方にすべきだった」と悔やむシーンがある。メリル・ストリープの社主はマクナマラ夫婦と家族ぐるみの付き合いで仲が良い。そういうものを「報道の自由」のために振り切っていく。

それから数年後、ウォーターゲート事件が発覚したとき、〈ザ・シークレットマン〉のリアム・ニーソン演じるFBI副長官はウォーターゲート事件の最新の捜査資料を逐次ワシントンポストの記者と雑誌タイムの記者に渡す。

彼にその行動を起こさせる最大の動機は長年にわたって「怪物」フーバー長官とともに築き上げてきたFBIを、長官の死をきっかけにして政府の介入を許しその支配下に押し込められるのを防ぐための「組織防衛」以外の何者でもない。

ただ彼はFBIが政府から独立して存在していることそのものが合衆国の国益にかなうと信じていて、つまりFBIを守ることが祖国を守ることと同義だと疑わず、ウォーターゲート事件の捜査が大統領と政府の妨害によって危機に瀕したとき、局面打開のためにメディアを利用しようと企てた。

そしてそれが結果としてウォーターゲート事件の真相を白日の下に晒すことになり、ニクソンは二期目の選挙に勝利したにもかかわらず辞任する(この映画を見るまで知らなかったが、辞任表明の演説のなかで彼は『アメリカ・ファースト』と語る。トランプがこのコトバを連発したことを念頭に置いた編集かもしれない)。

レオナルド・ディカプリオがフーバー長官を演じたクリント・イーストウッド監督作品〈J.エドガー〉を思い出しながら見ると、〈ザ・シークレットマン〉の冒頭リアム・ニーソンの副長官が政府の要人数人を言葉で威圧するシーンからいきなりブキミだ。彼らのどんな「情報(つまり醜聞)」をFBIが握っているかをニーソンはそれとなくほのめかす。大統領や政府からすれば、コイツらをなんとかしたいと思われて当然のことをFBIのナンバー2がメンと向かって言い放つわけだ。じつに気色悪い。

その気色悪い組織が大統領の犯罪を暴き出すことになる。

このFBI元副長官は引退後、ウォーターゲート事件と同時期にあった別の違法捜査を指揮した容疑で訴追され有罪判決を受けている。どちらにおいても彼は自ら信じる「正義」の実現のためには手段を選んでいない。

ところで〈ペンタゴン・ペーパーズ〉はワシントンポストの物語だが(原題はThe Post)、エルズバーグ事件の発端を作ったのはニューヨークタイムズで、機密文書の暴露は映画にもあるとおりニューヨークタイムズが口火を切った。

この映画はメリル・ストリープ演じるワシントンポスト紙の社主のドラマだから致し方ないが、こういうスクープは言うまでもなく最初に記事にした新聞社(あるいはほかのメディアでも)がどんな場合でも唯一その勇気を賞賛されるべき存在である。

それでもなおかつ、この2本の映画をいま見ておくべきだと、おれは強く思うね。




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by god-zi-lla | 2018-04-17 10:12 | 物見遊山十把一絡げ | Comments(4)

見た映画メモ2018

1)嘘八百(TOHOシネマズシャンテ)1/6日
2)ヒトラーに屈しなかった国王(シネスイッチ銀座)1/11ノルウェー
3)悪い奴ほどよく眠る(TOHOシネマズ日劇)1/30日
4)隠し砦の三悪人(TOHOシネマズ日劇)1/31日
5)Shall We ダンス?(TOHOシネマズ日劇)2/3日
6)今夜、ロマンス劇場で(丸の内ピカデリー)2/14日
7)ベロニカとの記憶(シネスイッチ銀座)2/15英
8)ミッドナイト・バス(スバル座)2/17日
9)犬猿(テアトル新宿)2/25日
10)素敵なダイナマイトスキャンダル(テアトル新宿)4/2日
11)ザ・シークレットマン(ヒューマントラストシネマ有楽町)4/5米

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by god-zi-lla | 2018-04-02 22:38 | 物見遊山十把一絡げ | Comments(2)
クリント・イーストウッドはもう87歳なんだってね。_d0027243_12341412.jpg

けさの朝刊に新作〈15時17分、パリ行き〉の全面広告が載ってたけど、すごいねえ。87歳だよ。ふつう老巨匠の映画つうとなんかもう自由闊達・脱俗の境地にたっして奔放の極み、みたいな、よーするに当たり前の客には理解不能の作品をこさえたりなんかするイメージだけど、このドでかい新聞広告ってもう「当たり前の客」に見せようって配給会社ヤル気満々だもんなー。予告編も映画館でバンバン流してるしさ。

87歳になってもヒット作連発の売れっ子監督つうのは、ひょっとして空前の存在なんじゃないかしらん。

なんて、ぼんやり思ってたら、クリント・イーストウッドの40年前の雄姿がジャケットのレコードを突然思い出してしまったんであった。

〈ガントレット〉って映画は30年以上も前にテレビで1回見たきりだけど、けっこう面白かった記憶はあるんだ。だけどそれだけ。使われてた音楽のことなんかまるで記憶にない。

でもさ。このアメコミふうのイラストジャケットがさ、エサ箱ぱたぱたやってるときに現れてごらんなさいな。「なんじゃこりゃあ」でしょ。ふつう手が止まんない? そうかなあ、おれは止まったけどなあ。

で、とりあえずジャケットしげしげ見れば知ってる映画のサントラで、あーたしかにバスが銃撃でハチの巣になる映画だったよなあと思い出しながらウラを見たら「フィーチャリング・ソロイスト」としたところにアート・ペッパーの名前があるじゃんか。いやーこうなるとエサ箱に戻せないでしょ。レコーディングは77年9月13日と15日、ワーナーのバーバンク・スタジオ。エンジニアはダン・ウォーリンとジャケットにある。アート・ペッパーが麻薬禍から立ち直ってめでたく現役復帰した少し後のことだ。

いうまでもなくイーストウッドといえばジャズ通である。
バードの映画を作った。モンクのドキュメンタリーも作った。

そして、おれはといえば軽率を絵に描いたようなヤツである。

まあ期待するほうが良くないやね。なにしろドンパチアクション刑事映画でジャズとはなーんのカンケイもないんだから。ほんのちょっとでもソロがあっただけ良しとせねばの。

せっかく思い出したんだから久しぶりに聴いてみようかな。


クリント・イーストウッドはもう87歳なんだってね。_d0027243_13252268.jpg
*カヴァーイラストはFrank Frazetta。大変な人なんですね。よく見るタッチの絵だとは思ったけど不勉強で知りませんでした。深く反省。


by god-zi-lla | 2018-02-23 13:43 | Comments(0)
近日閉館の「日劇」で黒澤映画を2本_d0027243_08200788.jpg


有楽町の「日劇」が閉館するというので〈さよなら日劇ラストショウ〉と謳い今月4日まで連日旧作を掛けている。

いやじつはあんまり興味がなかったもんだから、どんなイベントをやるのか注意を払ってなかったところが黒澤映画だのゴジラだの、よく見りゃ洋画も混ざってて〈バック・トゥー・ザ・フューチャー〉や〈トップガン〉なんてのもあるじゃんか。

気がついたのがおとつい1月30日の昼過ぎ、掃除が一段落して昼メシを食い後片付けしてなんとはなしにTOHOシネマズのサイトを眺めてたら、なんと黒澤明〈悪い奴ほどよく眠る〉があと1時間ちょっとで始まるっていうんだ。

それから大慌てだ。とにかくこれは見なくちゃいけない。なにしろ「日劇」の巨大スクリーンで黒澤映画を見る機会はもう金輪際ないわけだ。そもそもああいうバカでかい映画館は経済効率が悪く時代遅れだってんで東宝が閉館を決めたくらいだから、いかにも大都会の映画街らしい巨大な劇場の大スクリーンで、こんな名作を見ることなんて遠からず出来なくなる。それはもう火を見るよりも明らかってヤツだ。

おれさ、日劇で子どものころ〈サンダ対ガイラ〉って怪獣映画を見たんだよ。とにかくあんな見上げるような巨大スクリーンで映画を見るなんて生まれて初めてでさ。思い返してみるとその頃暮らしてた国分寺にだって東宝系の映画館はあったわけで、怪獣映画もそこで見りゃいいんだからわざわざ中央線と山手線を乗り継いで有楽町まで出る必要なんてなかったんだ。あれはきっと母親が銀座の百貨店に行きたかったとか、まあなんか、そういうようなオトナの事情ってのがあったに違いない。

それはともかくとしてだな。当時の日劇という巨大劇場の巨大銀幕に映し出されるサンダとガイラは途方もなく恐ろしいバケモノであった。しかし恐ろしいからといって逃げ出すわけにもいかず、テレビのスイッチ切って天井の蛍光灯をつけるわけにもいかず、つまりまあそれこそが映画館で映画を見る醍醐味というほかない状況なのであった。それが1966年。

いやもう恐ろしい映画を見た巨大な劇場としておれの脳味噌に刷り込まれちゃった日劇なのであったが、時は下って1979年の夏のこと。当時つきあってた女の子に映画に誘われて23年ぶりに巨大スクリーンと対面したんである。しかもその映画は〈エイリアン〉。最初のやつね。

どういうめぐり逢わせでおれはこの戦時中は風船爆弾の製造に使われていたという巨大空間で、四半世紀の時を経て再び恐ろしい映画を見なければならないのであろうか。やだなもう。

結果は惨憺たるものであった。なにしろあんなに恐ろしい映画は初めてである。心臓が止まって死ぬほうがよっぽどラクチンなんじゃないかと思ったくらいなもんだ。ぎゃーと叫んで飛び出したりしなくてよかったと思っていたのだが、見終わって巨大劇場を後にした途端彼女に「あなた、信じられないくらい怖がりなのね」とハナで笑われてしまったということは、ぎゃーと叫ばなかっただけで怖がってるのが挙動に現れちゃってたんだろうなあ。くそー、二度と見ないぞコワイ映画。

日劇というのは、おれにとっちゃそういう劇場でした。

だけどそれは有楽町の晴海通りに面して丸く弧を描いた建物のあの日劇で、81年に取り壊されてその跡地に建ってるマリオンの上階にある「日劇」じゃないんだ。それはもう37年前にすべて終わってる。

だから〈さよなら日劇…〉っていうイベントにぜーんぜんピンときてなかったんだよ。だって名前残すだけだったら、新しく出来るという〈TOHOシネマズ日比谷〉に『日劇』の名前をつけることだってできたでしょうからさ。それをしなかったのも結局「マーケティング」ってヤツのなせるわざでしょ。

なんて、ナナメに見てたのよ。そしたら見過ごしそうになったのね。人生ハスに構えりゃ三文の損。

で、慌てて走って見に行った〈悪い奴ほどよく眠る〉はフィルムで上映されたんでした。TOHOシネマズのサイトにはそんな表示はなかった気がするんだけど(後でよく見たらあったけど、よく見ないとわからない)、席についたらそういうアナウンスがあった(それも係りの人がスクリーン下でマイク持って言うのよ)。いやー重ねがさねラッキーじゃないか。映写機にかけられるフィルムがあるんだったら、そりゃあフィルムで見たいさ。デジタルリマスターなんかこの際クソでも食って寝てろって。

おれは古い黒澤映画をリアルタイムで見てるような年齢じゃないうえに熱心な映画ファンだったことさえ生まれてこのかた還暦過ぎた今日まで一度もなかったから〈悪い奴ほどよく眠る〉も〈隠し砦の三悪人〉もこんかい初めて見た。いやーでもちゃんと映画館で見てよかった。

それにしてもこういう後味の悪いスカっとしたところのない勧善懲悪じゃない映画をよく作ったもんだよ(案の定興行成績は悪かったらしい)。森雅之も志村喬も西村晃もいけすかない小悪党で、ホントの悪党(つまりよく眠ってるヤツ)はとうとう一度として姿も声も現さない。森雅之の悪徳高級官僚がひたすら電話口で平身低頭するのみで(国税庁長官が内閣総理大臣から電話を受けるときはこんな感じであろうか)、それだけの描写で映画を支配してるタイトルロール。

明けて1月31日の昼。〈隠し砦の三悪人〉は以前から見てみたいと思ってた1本だから見逃すわけにはいかない。そして見逃さないでよかったよかった。なんて面白いんだ千秋実と藤原釜足。もうサイコーさ。

いやしかしすごいもんです。焼け落ちた城の巨大なオープンセット。その城の石段を駆け下りる反乱を起こした敗残兵の大群。刀を八相に構えたまま馬を疾走させる三船敏郎の身体能力。いやもう、こんな面白い映画はめったにないね。劇場の暗闇でおれを含めた観客が幾度も幾度もどっと「沸く」んだもん。

だけどあれだな。どっちの映画も三船敏郎が主演ということになってるけど、〈悪い奴ほどよく眠る〉のホントの主役は森雅之で〈隠し砦の三悪人〉のホントの主役は千秋実と藤原釜足だろうな。なにしろ三船敏郎の演ずる二人は自分の思惑とはウラハラに「ホントの主役」のやることなすことに翻弄されていく。

〈悪い奴…〉の三船と森は敵同士だけど終盤攻守ところを変え、〈隠し砦…〉の千秋藤原は狂言回しというより狂言をぶんぶん振り回して三船の主人公を再三再四振り落としそうになる。行動として目を離せないのはどっちの映画でもじつは三船じゃなかったりする。

ポスターの写真には森雅之も千秋実も藤原釜足も見えないのにさ。

いやーもうちっと早く気づけばよかった。上映リストを見たら〈椿三十郎〉も〈用心棒〉もフィルムで上映したんだな。

あーやっぱ、人生ハスに構えりゃ三文の損。


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by god-zi-lla | 2018-02-01 14:23 | 物見遊山十把一絡げ | Comments(0)

I Called Him Morgan


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渋谷のUPLINKで〈I Called Him Morgan 私が殺したリー・モーガン〜ヘレンは彼をモーガンと呼んだ〉を見た。なんか思い切りの悪い長ったらしい邦題だが、ようするにリー・モーガンと彼を撃った妻のドキュメンタリー映画なのだった。

モーガンの妻ヘレンはヘロイン中毒でホームレス同然だった年下の彼と出会い、住まいと食事を与え病院で治療を受けさせ仕事のスケジュール管理までして献身的に支え続け、ジャズシーンの第一線に復帰させたのだった。しかしモーガンは別の女と付き合うようになって彼女を顧みず、72年2月18日ニューヨークのクラブ〈スラッグス〉で「糟糠の妻」ヘレンに撃たれ、搬送先の病院で死ぬ。33歳。

ウィキペディア日本語版を見るとリー・モーガンはヘレンに撃たれて「ほぼ即死状態」とある。だけど映画のなかで当夜〈スラッグス〉にいたミュージシャンは、救急車がすぐに来ればモーガンは死なずにすんだと証言している。

同夜ニューヨークは大寒波でかなりの積雪もあったせいか、救急車が現場に到着したのはモーガンが撃たれて1時間もたった後だったらしい。

ヘレン・モーガンは結局殺人ではなく過失致死(字幕ではそうなってたが日本風にいえば『傷害致死』のことか)と裁判で認定され数年の保護観察つきで釈放された。事件は偶発的でヘレンには同情すべき点が多々あり、モーガンにも非があったという裁判官の判断なんだろうか(映画にそのような言及はないが、ヘレンはモーガンによって大寒波の屋外へコートも着ずに叩き出された直後に起こったと、目撃したミュージシャンが証言している)。

ヘレンがモーガンを撃った拳銃は、モーガンが護身用としてヘレンに買い与えたものだという。

この映画の骨格はそのヘレンが晩年語ったインタビューのカセットテープによっている。そしてそれを裏付けているのがこの事件の「生存する一方の当事者」であるモーガンの愛人へのインタビュー、それからビリー・ハーパーほかその日そこでプレイしていたモーガンのバンドメンバーの証言なのだった。

だからもう、悲しみがナマナマしすぎるんだよ。

みんな老人だけど、だれもみんな昨日のことのように鮮明に覚えている。そりゃあ当然だろう。仲間が至近距離にいて撃ち殺されるなんて、いくら物騒なニューヨークだって衝撃的すぎる。

そしてだれもがみんな言うのは、リー・モーガンは天才だったってことだ。
あの瞬間、あるべきはずのジャズの未来が永遠に失われてしまったのだと。

こんな映画を見てしまってウチへ帰れば、リー・モーガンを聴かないですむわけがない。

で、ゲートフォールドのジャケットに〈Lee Morgan〉としか書かれてなくて、ブルーの上衣にサングラスのモーガンがちょっとモヤっとした雰囲気で捉えられた、不吉といえばそう見えないこともない写真のBlue Note盤を久しぶりに引っぱり出してみたわけだ。

事件の前年71年8月の録音というから、これがたぶん「遺作」と思われる2枚組のアルバムのレコーディングメンバーのうち、ビリー・ハーパーとジミー・メリットが映画のなかでインタビューに答えている(ジミー・メリットは、あの事件があった日からあの店には行ったことがないし、ニューヨークにいるのもイヤになったと語っている)。

初めてこのアルバムを聴いたときからそうなんだが、そもそもモーガンの死の少し前に録音されたと思うからか、どことなくジャケット写真と同じようにモヤっとした、どこへどう行き着くつもりなのかわからないような曖昧な印象が気になって好きとも嫌いともいえない、みょうな気分になる。71年というのはジャズ全体がそういう時代だったのかもしれないけど、モードとファンキーとフリーとエイトビートが混ざるようでちゃんと混ざってないような、しかも15分を超える長尺の曲がほとんどだ。

ヘンな言い方かもしれないけど、ジャズがないがしろにされる時代のジャズミュージシャンの「迷い」と「イライラ」を音にしたようなアルバムのようにきこえないこともない。とにかくここには〈The Sidewinder〉のようなスカっと切れる疾走感や爽快感はない。

これ、当時売れたんだろうか。
売れなかった気がする。

意欲作が会心作とは限らないし、会心作でも売れるとは限らない。

それがまさかあの夜へ結びついたとまで妄想を飛躍させはしませんけど、この映画見たすぐ後に聴くにはどうもよけいな雑念が入り込みやすい選盤だったかもな。

ここはやっぱり映画のなかでもたくさん流れた〈Search For The New Land〉にするか。

明るい、前途洋洋の、〈The Sidewinder〉でチャンスを掴んだばかりの、まさか7年後に自分が死ぬなんて思ってもみないリー・モーガン。いいタイトルだよな、Search For The New Land。

生きていれば来年80歳。

(なぜか日本語版の予告編が見られないので
(いまYouTube見たら日本語版も

by god-zi-lla | 2017-12-23 15:07 | 常用レコード絵日記 | Comments(0)