神はどーだっていいとこに宿る


by god-zi-lla

タグ:歌舞伎 ( 49 ) タグの人気記事

d0027243_22082729.jpg


そうやってニンゲンはボケていくわけなのであるが、それでもなおかつ覚えてる芝居を忘れられない芝居というのである。

って、なに言ってんだおれ。

とにかくどんどん忘れちゃうので、このブログの他人さまにはご覧いただけない場所に見物した芝居をひそかにメモしてある。それを見返すと先週金曜池袋で見物したモダンスイマーズの〈ビューティフルワールド〉が今年15回目の芝居見物なのであった。

その15回のうち歌舞伎役者がやる「歌舞伎」が6回、歌舞伎役者じゃない俳優が歌舞伎の演目をやる「木ノ下歌舞伎」に1回、あとの8回はいわゆるひとつのストレートプレイつうか普通の芝居。

「ストレートプレイ」つうと台詞の芝居、つかミュージカルじゃない(=歌わない踊らない)舞台を指すらしいが、名古屋の少年王者館が初台の新国立劇場小劇場に出張ってきた〈1001〉は相当歌って踊るが、まあしかしミュージカルとは言わないだろうな。

そういや横浜のKAATで見物した木ノ下歌舞伎の演し物は〈摂州合邦辻〉つう文楽や歌舞伎で繰り返し上演される有名な芝居だけども、けっこう歌って踊る。しかも男はスーツ、女はスカートつうような衣裳で。

まあしかし、あれをミュージカルとは言わないだろうな。でも「歌舞伎」でもない。

だけど「普通の芝居」か。じゃ「普通の芝居」ってナンだ。まあいいや。

それはともかくとしてだな。去年おととしあたりから蓬莱竜太の書く芝居がすごく気になり始め、今年になってから3月に紀伊國屋ホールで〈母と惑星について、および自転する女達の記録〉、4月は池袋のシアターイーストで〈まほろば〉、5月には紀伊國屋サザンシアターでこまつ座〈木の上の軍隊〉(井上ひさしの着想を蓬莱が具体化)、そしてつい先日蓬莱竜太が共同主宰する劇団モダンスイマーズの〈ビューティフルワールド〉(作と演出)をシアターイーストで見物したから、もう4演目だ。

蓬莱竜太といえば「母」である。といってもいいんじゃあるまいか。なにしろ蓬莱における「母」はトンでもなくトンでもない存在である。家族を繋ぎ止めようとして、かえって解体を促進するような存在である。自己犠牲の皮を被った自己愛のような存在ともいえる。クラッシャーマムである(そんなコトバあんのか)。今年前半見たのも、井上ひさし原案の〈木の上の軍隊〉を覗く3つは「母物」である。

それから蓬莱竜太といえば、会話の(とくに芝居始まって序盤の)「間の悪さ」と「噛み合わなさ」。

あの居心地の悪さってのはどういうふうに脚本のなかに「文字化」されてんですかね。演出も自分でするならいざ知らず、たいていのばあい脚本書いてあとは演出家がなんとかするわけでしょうから。とにかくその「間の悪い」「噛み合わない」コトバのやりとりから登場人物おのおのの関係を見せていく感覚が面白い。

考えてみれば「噛み合ってない」んだから、そもそも人間関係はキチンと「構築されてない」ともいえるわけで、しかしそれが芝居が進んでいくにつれて暴かれつつ「崩壊」してくんだから、ニンゲンカンケーってのは「構築」なんてされないまま大抵のばやい「テキトーに取り繕われた体裁だけ」で成り立ってるってことなんだなあなどと、芝居が跳ねたあと思ってしまうのであった。

そのわりに芝居全体のトーンは暗くない、ようにおれには見える。なんらかの救いのようなものが見える。蓬莱竜太はニンゲンとニンゲンの関係に絶望してるわけではないという感じ。

「木の上の軍隊」という芝居は、敗戦後沖縄で実際にあった出来事の新聞記事に着想を得て、井上ひさしがこまつ座の芝居にするために簡単なメモとタイトルを残してたらしい。ようするに脚本そのものはほぼ蓬莱竜太のオリジナルってことみたいだ。

6年前に初演を見たが、今回のほうがより沖縄の地上戦と現在についてのメッセージ性が強化されてる。そのように脚本も演出も変更を加えてあると芝居が跳ねた直後は思ってたんだが、どうもそれはおれの勘違いで、沖縄についておれの関心が6年前よりもはるかに高くなってるからそう見えたんじゃあるまいか。

戦争を題材にした井上ひさしの芝居は、ときに作者のメッセージがシンプルに刺さり過ぎてウンザリするくらいのことがあるけど、蓬莱竜太の脚本もけっこう直線的に沖縄の昔と今に対峙してる。

まだまだいろいろ見たい蓬莱竜太。

蓬莱竜太といえば数年前、赤坂ACTシアターの「赤坂大歌舞伎」で勘九郎・七之助の中村屋兄弟のために作った〈赤目の転生〉がすこぶる面白く、それが遅まきながら蓬莱竜太の芝居にグッと引き寄せられるキッカケだった。時制を巻き戻しちゃあ同じシーンに戻り、少しだけ違う展開になる。こんなことを歌舞伎でやれてしまうところがスゴいと思って見物したが、それほど話題になったようにも思えない。

野田秀樹の歌舞伎を最初に見たのが古い歌舞伎座最後の冬の〈野田版鼠小僧〉で、勘三郎ほかの芝居もともかくとして、役者の身体能力、極端なアスペクト比の舞台正面、そして舞台機構とかそういうものすべてをひっくるめた「歌舞伎」の特質をめいっぱい使って見せるチカラワザに驚いた。

そして、それとはちょっと違うが、やはり「歌舞伎」の持つ特性みたいのを蓬莱竜太も赤坂の舞台で引き出してたように見えたんだが、今月歌舞伎座の三谷幸喜〈月光露針路日本 風雲児たち〉はなんか当たり障りのない「新作歌舞伎」つう感じで見終わってしまった。

三谷幸喜らしく面白いけど、ぶっちゃけ、ただ面白いだけのことだ。

まあ、こっちがへんに刺激を求めるのがイケナイのかもしんないけど、名のある演劇人が歌舞伎の世界に乗り込んできてなんかやるっつうのに、そういうの期待するなってのもアレだろ。

そういう意味でいうと2019年、ここまで(歌舞伎も歌舞伎でないのも含め)芝居をいくつか見たなかで一番印象深かったのが天王洲のデカい倉庫に仮設の舞台を設えて上演された〈女殺油地獄〉だった。

〈女殺…〉つうのは近松門左衛門の作った、歌舞伎としちゃあ珍しく非常にリアルなストーリーで、実直で裕福な商家の息子が、親が甘々なのをいいことに増長して遊び呆け、親に黙って親を保証人に立て返す宛てのない高利のカネまで借りて遊びにつぎ込む。

そのバカ息子に親の同業者の善良な妻が親切に意見するのも聞かず、とうとう親にも打ち明けられぬまま返済期限が来て窮した挙げ句のはてに、よりによってその親切な同業者の妻を殺して金を奪うという、いま起こってもそう不思議じゃないような殺伐とした惨劇なわけだ。

その殺伐とした芝居を殺伐としたコンクリ打ちっ放しの倉庫でやる。しかも客席は四方にあって舞台を囲む。近ごろストレートプレイならとくに珍しいというほどでもないけど、少なくとも歌舞伎で見るのはおれは初めてだ。

当然、歌舞伎の書き割りのような舞台装置はなにもない。客席から舞台の役者を見れば、その背後も照明を落とした客席の闇だ。

これが、この陰惨でイヤな感じの芝居にぴったりとハマってる。

もちろん役者の拵えは当たり前の歌舞伎の〈女殺油地獄〉でセリフ回しも古典的な上演とほぼ変わらない。なのにそれが倉庫に仮設の殺風景な舞台で演じられて不思議なくらい違和感がない。むしろ何もないぶん近松の芝居が夾雑物なしに刺さってきて、歌舞伎や文楽の通常の舞台で見物するよりずっと凄惨でリアルで気持ち悪い。

これは演出の(出演もした)赤堀雅秋と中村獅童がよく作ったもんだと感心しちゃったよ。獅童もいいが殺される女房を演ずる壱太郎もいい。それから何より獅童の馬鹿息子の両親になる嵐橘三郎と上村吉弥が最高にいい。この二人が殺風景な天王洲の殺風景な倉庫をまるごと浪花へワープさせた。歌舞伎ってのは梨園の外のたくさんの芸達者がいてこそのモンだってことを、この日も知らされた。

上演期間が短く客席数もうんと少ないから仕方ないとは思うんだけど、普段おれたちが見物してる席の何倍もするチケット代が非常に苦しかった。でもまあその分、すごく舞台に近いところからリアルな惨劇を覗き見るような怖さに浸れたから良しとする。

正直言って〈女殺油地獄〉はこれから毎回こういうシチュエーションで見てもいいくらいだと思った(お高くなければ)。

つうことで、おれ的にはここまでの半年、天王洲寺田倉庫の〈女殺油地獄〉が一番の収穫だな。







by god-zi-lla | 2019-06-26 10:39 | 物見遊山十把一絡げ | Comments(2)




ここんとこ、野田秀樹の芝居とか三谷幸喜の芝居の切符を買おうと思うと抽選でハズレ続けてさ。最初のうちはムキになって何度も何度も申し込んだりしてみたんだが、やっぱり外れる。

で、そうなると野田や三谷の芝居の切符買うためのお金(と時間)が残ってくるから、ほかの芝居を見に行くわけだ。するとさ。いままであんまり意識してなかった役者や演出家や脚本家の良さに気づいたりして、んー、もしかしておれらミョーなブランド志向に陥ってたんでないのか。野田や三谷の芝居だってつまんないときはつまんないわけだし、そんなこと悔しがってるヒマ(とカネ)があったら別の面白い芝居を探したほうが人生よっぽど充実してんじゃんよ。

だから見たってわけじゃないけど、ことしの初めのほうに新国立の小劇場で見た〈アンチゴーヌ〉が良かった。とりわけ初めて舞台を見た蒼井優にびっくりしてね。いやいやなんとしたことか。鋭い感性と身体能力の高さで舞台を支配する、こんなたいした俳優だったってことを今まで知らなかったのがホントに悔しい。

つうわけでついせんだっての12月22日の土曜日にまた新国立の小劇場で〈スカイライト〉の蒼井優。歌舞伎以外じゃ多分これが今年最後の芝居見物だな。

年の初めに見たのはギリシア悲劇〈アンチゴネー〉をもとにした芝居で、こんだのは90年代後半のロンドンを舞台にした現代劇だから中身はまるで違うんだが、どちらも台詞と仕事のやたら多い芝居のうえ舞台を360度あらゆる方向から観客が見つめている(新国立だけで地方公演は違うかもしれない)。いやあこれをとりあえずカタチにするだけで並みの役者なら精いっぱいなんじゃあるまいか。すごいよ蒼井優。

この1年でおじさんはもうすっかり蒼井優ちゃんのファンになりました。

それからもう一人この1年ですっかりファンになっちゃったのが蓬莱竜太である。

去年、赤坂ACTシアターで勘九郎・七之助の兄弟の「赤坂大歌舞伎」で〈夢幻恋双紙〜赤目の転生〉というのをやったんだが、これの脚本・演出が蓬莱竜太でさ。ぢつはこれを見るまで蓬莱竜太のことをまるで知らなかった。

この舞台はお客はよく入ってたもののどうもあんまり注目されなかった気がするんだけど、おれはすごく面白く見た。なにしろ歌舞伎でこんなに時制が何度も行ったり戻ったりする芝居なんて古今なかったんじゃないか。

歌舞伎の古典てのは大概が荒唐無稽でハナシの辻褄なんか二の次だったりするんだけど、さすがに時計が巻戻ったりすることはない。その時制が行ったり来たりしながら起こる悲劇の世界を蓬莱竜太が作り上げて勘九郎、七之助に亀鶴といった面々がそれを咀嚼して見事に演じたんだが、正直言っておれが今まで(過去の映像も含めて)見た現代作家の歌舞伎のなかで一番斬新に思えた。

んー。こりゃあ迂闊でした。蓬莱竜太、これからはちゃんと見なくちゃ。

で、今年になって再び新国立の小劇場だ。年の初めに〈アンチゴーヌ〉を見たとき入り口でもらったチラシの束のなかに蓬莱竜太脚本の〈消えていくなら朝〉があって、そうだそうだこれは見なくっちゃと切符買って行ったのが7月20日だ。

これが田舎に暮らす父母兄妹に東京へ出てちょっと成功して有名になった脚本家の弟といったメンメンの抱える、ひとつひとつはよくありそうなモンダイがいろいろ詰め合わさった結果、ありえないようにフクザツでぐちゃぐちゃになった家族模様を描く芝居で面白い。なるほどこう来るか。いやあもっと見たいぞ蓬莱竜太。

と思ってその日受け取ったチラシの束を検分するとですね。そのなかに池袋ゲージツ劇場シアターイーストで蓬莱竜太が所属する劇団「モダンスイマーズ」の〈死ンデ、イル〉のチラシがあるじゃんか(チラシ見るのは大事よ)。しかもチラシ見た7月20日その日が初日で29日まで。チラシが入ってるってことはまだ席があるってことだな。あわてて取って滑り込んだ26日の池袋ウェストゲートパーク。

これもまた面白いんだ。つか、蓬莱竜太にかぎらずこれが今年見た芝居のなかでいちばん面白かったかもしれない。どういう芝居かモダンスイマーズのサイトに習っていえば、震災で避難生活を余儀なくされたひとりの女子高生の失踪にまつわる群像劇、である。登場するのはフツーの女子高生、その彼氏のダサい(のちチャラい)男子高校生、女子高生の母(じゃなくて姉だった)とその夫、女子高生の担任の先生、女子高生と母(じゃなくて姉)が避難先の家主である親類のおばさん(独身)、東京に住む女子高生の叔父、ホームレスの男、それから被災地を取材するナゾのフリーライター。舞台上にとくに装置はなく椅子と机が出し入れされるのみ。

そしたらこの芝居は〈句読点三部作〉と呼ばれる連作のなかの最終作で何年かぶりの再演なんだっていう。しかもほかの2作は先に再演したっていうじゃんか。あちゃー。いかんなー、おれらなんだかんだ言いながら立ててるアンテナ性能悪すぎ。蓬莱竜太の芝居見ようと気をつけてたハズなのにこれだ。来年は頑張るぞ(なんのこっちゃ)。

いやしかしアレですよ、おれのような凡人はついネームバリューやブランドや過去の実績に目をくらまされて、若いひとやメディアに注目されにくいところで面白いことやってる人たちになかなか気がつかない。

いつも自分に掛け声だけはかけてんだけどね。若いヤツらに木戸銭払おうぜって。

若いヤツらといえばつい先日、京都の南座の顔見世で中村鷹之資と片岡千之助が踊った「三社祭」が良かった。鷹之資が19歳、千之助は18歳。ふたりきりで踊る動きの激しい演目なんだけど、若いヤツらが必死で稽古して満員のお客の前で懸命に踊るのがじつにまったく、おじさんはニコニコしながら見物してしまったのであった。今年たくさん見た歌舞伎の演目のなかでいちばん印象深かったな。

そりゃ、すごい役者とか最高の芝居とかってのはいくらでも見ましたけど、それはそれ、これはこれってヤツだ。

年の瀬にティーネイジャーふたりにいいモン見せてもらったぜ。






by god-zi-lla | 2018-12-29 08:06 | 物見遊山十把一絡げ | Comments(0)
d0027243_12332865.jpg



それにしても見事な台風一過だねえ。
昼間は気温30度を超えてたもんな。

ベランダはどこから飛んできたのか葉っぱだらけ。

左から。

宇喜多の捨て嫁 木下昌輝(文藝春秋・古本)
ちゃぶ台返しの歌舞伎入門 矢内賢二(新潮選書)
断片的なものの社会学 岸政彦(朝日出版社)
藩消滅 明治維新が見捨てた藩四千人の彷徨 高橋銀次郎(叢文社)
紛争地の看護師 白川優子(小学館)
コルトレーン パオロ・パリージ/石原有佐子・訳(Pヴァイン)

同じ作家の〈宇喜多の楽土〉という小説を病床の後輩の希望で朗読・録音するにあたって、どうもその「前日譚」らしいこっちに先に目を通しといたほうがいいんじゃないかと思ったんだよ。もしかしたら自力で読書できた時期にこれを読んで、その後の話に興味を持った可能性が高いからさ。

戦国大名宇喜多秀家の父で、「梟雄」と呼ばれた宇喜多直家のものがたり。

この小説は新人にもかかわらず沢山の文学賞を取ったんだそうだけど、若い世代の時代小説家の作品というのはこんな感じなのかといろいろ感ずるところ多し。なにしろ複数の文学賞を取ってるんだから、おそらくこのへんがひとつの「頂点」だとみて差し支えないんでしょうからね。

奥歯に物の挟まったような物言いでイヤミ? 
いま、ちょうどそういうことを書いてみたい気分なのよ。

イヤミついでに書いとくとね。すでに読み始めた〈楽土〉のほうがおれはずいぶん小説として良い気がするけど、これについちゃふた月後にまた。

どうして書名に「ちゃぶ台返し」なんてつけるかなあ。げんにおれはこの書名に引っかかって一旦視野の外に追っ払ってたのをあるとき思い返して本屋で手に取って、いやあこれはとっても結構な入門書じゃんか。危ういところで良書を見逃さずにすんだわい。やっぱ本屋で立ち読みせにゃあイカンよなあと思ったのであった。

入門書ってのは初心者がなるほどそうかと思うようなことが書いてあって、それは当然のことなんだけどさ。良い入門書ってのは、こっちがその後その事物についてさらに経験を積んだあとでまた繙いたときに、なるほどそうだったのかと膝を打つようなことが書いてあったのにあらためて気づくような本で、この本はそういう一冊だと思う。

〈断片的なものの社会学〉はなんといっていいのかわかんないんだけど、いろんなフツーの人の人生についての「聞き書き」の断片の集まりで、ここからどんな回路を通過すると「社会学」というガクモンになるのかというようなことはとりあえず考えないことにして読むしかおれには術がないんだが、これは読み始めたら止まらなかった。

もちろん「フツーの人」といっても有名人や犯罪者じゃないという意味に限ったことで、語る中身は犯罪者や有名人のほうがずっと「フツー」だったりするなんてことは別に言うまでもなくフツーの現象である。

いやー「藩」はみんな明治維新で「消滅」しちゃったじゃんかという意味の消滅じゃなくて、幕末の政治状況の不条理さの犠牲になって山陰の真っ正直な小藩が、その真っ正直さゆえに消し飛んでしまった事実をおれの先輩が小説にしたんであった。

小説としては正直言って欠点や未完成なところも多いんだが、それはそれとしてこういうことが幕末・明治維新の時代にあったのかという新鮮な驚きがあるんだよな。

明治維新嫌いにはオススメします。とくに長州。
ちなみに著者は神田生まれの江戸っ子なり。

〈国境なき医師団〉には毎月ごく少額の寄付を続けてる。いっぺんどこかの紛争地に医療団を派遣するというのに寄付をしたら、それ以来定期的にニュースレターが送られてくるようになってね。

まあそういう宣伝はこうした非営利活動を持続するためには必要不可欠なことではあるわけだが、毎月のように送られてくるとなれば制作費に送料にとバカにならない費用がかさんでるに違いない。じゃあせめて自分ちに届くニュースレターの分くらいは負担しようと、3年ほど前から子どもの小遣い銭程度の寄付を毎月するようになったんだけどさ。

その、届いたニュースレターにこの本の紹介があった。

いやあ戦場の近くや難民の集まる場所、あるいは大災害のあった地域にいち早く乗り込んで医療活動をするということの「実際」について、自分がなんの想像力も持ち合わせてなかったことに気づかされた。

これはもう、どう説明していいかわからない。

手や足が(あるいはその両方が)地雷でもげた子どもたちが何人も運び込まれる。点滴を打たなければならない患者がいても気温50度を超える炎天下の屋外ではそれができない。手術は成功したものの仮設テントでは術後の管理が出来ず、あたら命を落とす少女。急病で運び込まれた女性に治療を施そうとしたら妊娠していることが判って外科医(産科医が現場にいないから)が帝王切開を行うと、とりあげた赤ん坊が呼吸をしていない。それからそれから。

これらひとつひとつが伝聞でなく著者が実際に接して治療に当たった人々のことで、読んでいると救った命より救えなかった命のほうが多かったんだろうと想像がつく。

すると当然著者はその目の前の過酷な現実を通して「世界」について考えざるをえない。

おれはこういうことはめったに思わないんだけど、この本はひとりでも多くの人が読んだほうがいいと思う。

〈コルトレーン〉はすでにここで


by god-zi-lla | 2018-10-01 18:56 | 本はココロのゴハンかも | Comments(0)

今年も顔見世の京都

d0027243_10212291.jpg
塔頭の屋根
d0027243_10220867.jpg
枯山水の島
d0027243_10224396.jpg
茶室の小窓
d0027243_10230912.jpg
水滴
d0027243_10234744.jpg
小さい閂
d0027243_10241442.jpg
黄色いセンリョウ
d0027243_10243439.jpg
寒椿
d0027243_10253801.jpg
青鷺と白鷺と鴨
d0027243_10255682.jpg
とスニーカー
d0027243_10275167.jpg
電飾
d0027243_10281155.jpg
まねき



四条の南座が耐震補強工事に入ってもう2回も暮れの顔見世は余所の小屋である。それにしてもそんなにかかるもんなんですかね耐震補強。まあ、それだけじゃ済まなかったってことなんだろうな。この劇場は昭和4年竣工だっていうからもう90年近い。

つうわけで2017年師走「まねき」が掲げられたのはロームシアターつうコンサートホールの正面なのであった。去年は先斗町歌舞練場だったからずいぶんな変わりようではある。「京の年中行事」というより地方巡業の如し。

早いとこ南座に戻してほしいでしょうね洛中の芝居好きの皆さまは(去年の先斗町歌舞練場はとっても良かったけど)。

それにしてもこの「まねき」の掛かった軒先(なんつっていいのかしらん)がなんとなく上野の文化会館に似てるじゃんかと思ったら、同じ前川國男の設計でしかもこっちのほうが1年早い60年に出来ている。

でその立派かつ歌舞伎にはちょいと場違いなコンサートホールで18日〈當る戌歳吉例顔見世興行 東西合同大歌舞伎〉楽日の午前の部を見物してきたんでした。今年は八代目芝翫とその息子3人の襲名披露ということで最初の演目〈寿曽我対面〉の大詰にさしかかると、その息子3人はじめ工藤祐経の中村梅玉ら主だった出演者がわらわらと舞台中央に集結して、梅玉さんの先導で若者たちの襲名披露の口上が始まったのであった。

おれも最近はちょっと見慣れてきたからアレですけど、この「劇中で口上」ってのがすごい唐突で知らないうちは、おいおいおい芝居の最中にいったい全体なにをおっぱじめようってんだ。芝居はこれでオシマイかよ。わー、なんなんだよーマジかよー。みたいなね。

なにしろ工藤祐経と曾我兄弟の敵同士が仲良く並んで客席に平身低頭してるんだから。

そういえば去年の顔見世は雀右衛門の襲名披露で、このときは〈仮名手本忠臣蔵〉八段目の〈道行旅路の嫁入〉で母・戸無瀬の坂田藤十郎と娘・小浪の雀右衛門が武家の女の旅装束のまま先斗町歌舞練場の舞台で「隅から隅までずずずいーっと」襲名ご披露だったもんなあ。


歌舞伎ってなんかヘン。

つうわけで午前11時から始まる「昼の部」の公演を見物するためにあたくしども老夫婦は前の日に上洛したのであった。

その夜は畏友虎吉さんと祇園で一杯やるのでその前に、国宝がごろごろしてるという話なのに一度も行ったことのなかった東寺を拝観しに近鉄の普通電車に京都駅からひと駅だけ乗ったんである。

そこから翌日にかけて撮った写真を並べてみた(時系列じゃないけどね)。

つうようなわけで写真をクリックすれば少しだけ大きく見えますので、御用とお急ぎでない向きはお試しくだされたく。

ちなみに虎吉さんに連れられて訪れた祇園の薄暗がりにある小さな店で美しくも美味しい料理の数々を堪能したのであった。もちろん写真を撮るなんてことはしない。

by god-zi-lla | 2017-12-19 12:37 | 物見遊山十把一絡げ | Comments(4)
d0027243_12233233.jpg
東京は16日連続で、24時間のうちどこかで一度必ず雨が降ってるんだってね。ゆうべ寝るとき降ってたのが朝起きても降っている。なんなんすかねこの空はいったい。

最近見た芝居つうのを書いとこうかと思ったら、最近見た芝居なんてエントリーは今年になってひとつもないことに気づいたのであった。見てるんですけどね芝居は相変わらず。

といっても、ここんとこどうも歌舞伎に傾斜してるのがイカンなあと自分でも思うんだよ。ことしになって16回芝居見物に行ってるんだが、そのうち歌舞伎が11回、残り5回がそれ以外の芝居だもんなー。困ったモンである。

だけどね、ある意味仕方ないと思うのは歌舞伎座で見る歌舞伎が安いってのがあるんだ。3階のA席が6000円B席だと5000円、幕見席(4階)で見ればひと幕だいたい千円ちょっとだから、ふたつ見たって2千円ちょい。

これがたとえばシアターコクーンだとか世田谷のパブリックシアターやシアタートラムだとかにかかる芝居は大概安い席でも8千円前後、しかも最近は「ぴあ」だのなんだので予約して切符買うことがほとんどだから、そうすると発券の手数料やなんやかやでうっかりすれば安い席買ったはずなのに1万円近くになったりするんだもんな(歌舞伎座ほか松竹系の小屋には自動発券機があるからその手のお金は別途かからない)。

だから安い歌舞伎座へつい行っちゃうってのは間違いなくあるね。

ところがどうだ。今月の歌舞伎座は一瞬切符買う出足が遅れたらいつもの3階席を買い逃しちゃったじゃんよ。今月は納涼歌舞伎とて1日3公演で3階席は千円安い。せっかく安いのにそこに座れない。安いからフンパツして2公演くらい見ようかと思ったのにそんなの全然じゃん。

だけど今月はどうしても〈野田版 桜の森の満開の下〉が見たかったので仕方なく2等席11,000円に入ることにしたのであった。

だいたいアレですからね。歌舞伎座にかぎらず芝居にかぎらずコンサートでもなんでもバブルの頃はいざ知らず、今日び安い席から売れていきますからね。高い席でいいんだったらそんなに慌てて買う必要もないんだ。だから11,000円の2等席は余裕で買えたんでした。

まあ、ふだんの月の14,000円に比べりゃずいぶん安いともいえますが、3階席ならふたつ見物できるお値段には違いない。

なーんて、いつまで切符代のグチ言ってんだよ。

でその〈野田版 桜の森の満開の下〉は野田秀樹が何度も上演した自分の戯曲を歌舞伎座に初めて(つまり歌舞伎として)かけるってケースなわけだ。これは見ないとね。

今年は東京芸術劇場プレイハウスで3月1日〈足跡姫 時代錯誤冬幽霊〉っていう野田秀樹の芝居を見た。これが亡くなった十八世勘三郎へのオマージュとして野田が作った芝居だから、おもな登場人物は役者である。出雲の阿国とかね(宮沢りえが演じた)。その弟(だっけな)がサルワカというんだが、これがまあ大雑把にいえば勘三郎のご先祖さまということになっている。

サルワカというと2月の歌舞伎座はタイトルが〈猿若祭二月大歌舞伎〉と銘打たれて勘九郎の二人の息子つまり十八世中村勘三郎の孫の初舞台が目玉になってたんだな。

つまり2月は池袋で「サルワカ」木挽町じゃ「猿若」ということになってたわけで、まあこういうことが偶然に起こるなんてことはそうあるもんじゃない。

そして野田秀樹が今月歌舞伎座だ。

こりゃあもう当然〈足跡姫 時代錯誤冬幽霊〉も歌舞伎座でそのうちやってくれるんだろうと期待するなってほうがムリだ。なにしろ「カブキ」のご先祖さまの芝居だもん。しかも勘三郎へのオマージュだ。近い将来「十八世中村勘三郎○○回忌追善狂言」なんてことで歌舞伎座にかけるって「密約」がすでに結ばれてると、おれはニラんでるんですけどね。

で〈野田版 桜の森の満開の下〉だけど、残念ながらおれは遊眠社のほうを見てない。だからどこがどうと比べられないんだが全体としたらやっぱり「野田>カブキ」だったかな。

ものすごいスピードで言葉遊びだの駄洒落だのを連発しながら舞台のうえを動き回るっていう野田秀樹の芝居は、歌舞伎役者のスキルからいったら別にそれほど難易度高くないんだなというのは間違いなくあるんだ。たとえば女優が重たい衣裳やカツラでそれをやるとなれば出来る女優はうんと限られると思うんだけど、歌舞伎の女形ならへいちゃらである。

だからといって野田がカブキに呑み込まれてない。これはやっぱどっちかというと野田秀樹の芝居だよなあという気分でおれは見物してましたね。台詞はずいぶん歌舞伎に合わせて七五調に書き換えたんだそうだけどね。七五調にしたって野田秀樹の台詞は野田秀樹だなあという感じ。

もしかしたら、とくに休憩前の前半はふだん歌舞伎しか見ないお客さんには理解不能というより台詞を聞き取れなかったんじゃないかって気も少ししたね。それはまあ野田の芝居しか見ない人がいきなり歌舞伎の古典見たって台詞を聞き取れないのと同じなんだけど、そのくらい「野田」になってた。

後半のほうが「野田=カブキ」という均衡に近づいてたかもしれない。

役者でいえば七之助がこういう無邪気で無垢で残虐な娘というのに見事にハマってて良いです。染五郎のオオアマ(=大海人皇子)の前半と後半の(顔や拵えを含めた)対比がけっこう良くて、このへんは歌舞伎役者の面目躍如ってとこなのかもしれない。

猿弥はもう当たり前のように良いしね。ぼってり太ってるのに台詞も身のこなしも切れる切れる。それから芝のぶ。ちょっと狂気じみた奴隷の女と、後半はその幼い娘のふた役。なんでこういうスゴイ(しかもカワイイ)女形がふだんはほとんど台詞のない腰元みたいな役ばっかりやってんだろうって思うよ。だけど逆にそれだからこういうところで普段溜まりに溜まったものを噴出さしてるのかしらん。

まあ実力があると認められてるからこの役が付くんでしょうけど、それだけ普段の古典の配役が歌舞伎の古い序列から決して(ちょっとやそっと実力があったって)ハミ出さないという頑迷さを印象づけるよね。

それから勘九郎だけどさ。けっして悪くないんだけど、なんかもうちょっとはっちゃけたとこがあってもいい気がするんだよな。今回の芝居だけじゃなくて、最近そういう印象が強い。やっぱりエライ父親が死んで一門を背負って立たなきゃならない重圧感みたいのが影響してるのかもしれない。七之助の奔放さが近くにあるからよけいそういう印象になっちゃうってのもあるし。

勘九郎がバーンと破天荒なほうがかえって「野田<カブキ」にシーソーが傾いたかもしれないって気がちょっとするんだけど、どんなもんかな。

あー、最近見た芝居もなにも、けっきょくおとつい見た芝居のことしか思い出せないこのモウロクぶりを見よ。じつにまったく情けないねえ。

まあ、また思い出したらにしよう。

えーとね。題名だけ並べますけど今月はほかにシアターコクーンで〈プレイヤー〉。先月はパブリックシアターで木下順二の名作〈子午線の祀り〉。5月にシアタートラムで〈黒塚家の娘〉。4月は同じトラムで〈エジソン最後の発明〉。

ほかの歌舞伎はメンドくさいから省略。いっぱいあるし。わははは。

もうちょっと安いといいんだけどねえ、切符代。


by god-zi-lla | 2017-08-16 08:48 | 物見遊山十把一絡げ | Comments(2)
d0027243_00254857.jpg
5月1日
朝から東京プリンスホテル恒例の〈美術骨董ショー〉を散歩がてら冷やかしに行き、冷やかすだけで相手にもされず退散。買えそうなお値段でちょっといいなと思ったのは小山冨士夫のぐい呑みかな。ひとケタ万円だけど、おれにはやっぱり買えません。

つうわけで、れいによって何も買わず(いや、買えず)会場をあとにして地下鉄に乗ろうと東プリの玄関へ出てみたら、ありゃま外は土砂降りじゃんよ。仕方ないのでそのへんの空いたソファで外国人観光客に混じってしばし休憩。

小降りになったとこで御成門まで歩き地下鉄で日比谷。TOHOシネマズスカラ座で〈ライオン 25年目のただいま〉。日本の町なかであれば国じゅうどこで迷子になっても最後は親の元に帰れそうだけど、コトバもいろいろ宗教も生活習慣もイロイロ国土はだだっ広く人口は日本の10なん倍のインドじゃそう簡単にはいかない。だけどこんなことが実際にある現代なのだなあ。きっと帰ってくると信じて25年住まいを変えなかったお母さんに、ちょっと泣く。

5月2日
コーヒー煎った。掃除した。包丁研ごうと思ったがサボった。
おかげで熟れたトマトが切りにくい。

5月4日
山手線とモノレール乗り継いで平和島流通センターの〈古民具骨董まつり〉。なんかいつもより客が少ない感じ。そういえば出展してる骨董屋古道具屋も心なしかふだんより少ない。いつも見る常連の店も何軒か出てない。なんで? 大型連休で骨董屋さんも行楽にお出かけか、それとも他に儲け仕事の出来か。

ここんとこ骨董といわずデパートの食器売り場といわず町の瀬戸物屋といわず、長い間に1枚2枚と割れ数の足らなくなった普段使いの小皿の後ガマを物色して回ってたんですけど、ようやく平和島で(お値段的にも大きさ的にもデザイン的にも)ちょうどいいのを発見。バラ売りしてたので8客くらいあった中から矯めつ眇めつ4客選ぶ。うちの奥さんが店のおじさん相手に値切るも見事敗退。

ちなみに奥さんこの日はほかに2枚で1500円の皿を千円に値切って敗退。1個1500円の指輪をやっぱり千円に値切って敗退。阪神タイガース快進撃のこの連休、我が家は骨董屋さんに3タテ喰らう。

しかし考えてみりゃあ1500円の500円、金額は少ないけど「率」としたらデカいぜ。
33パーセント負けろって、それはちょっとムリでしょ奥さん。

だけど久しぶりに骨董市で「買い物」したなあ。

5月5日
團菊祭五月大歌舞伎午前の部。歌舞伎座行く前に弁当調達す。

ここんとこ芝居弁当といえば三越地下に入ってた梅林つうトンカツ屋の生姜焼き弁当ばっかりだったのが、残念なことにこのトンカツ屋さん三越から撤退。んー、タレの染みたゴハンがとっても美味しかったのになあ。

で、仕方ないので先月は寿司岩の助六、今回は別の弁当買ってみたところ味は悪くないのにフタを開けたら煮物の汁気が外に染み出し手がベトベト。狭い歌舞伎座3階席でヒザの上に広げて食いやすく、味もそこそこ良くてお値段手頃な弁当を次回も探さにゃなりませぬ。

歌舞伎はニュー彦三郎(ヘンな呼び方してごめんよ)が梶原平三景時をする〈石切梶原〉。ひょっとするとこれが歌舞伎座では最初で最後の可能性もあるから見逃したくなかった。これまでに幸四郎の平三を1回、吉右衛門の平三は2回見たけど吉右衛門のやり方と今回の彦三郎のやり方ではずいぶん違うんだな。

最後に手水鉢を上段の構えから真っ二つに斬り下げるところの違いもたしかに大きいんだけど、ふたつ胴を重ね斬りする支度の仕草。娘梢が父親の命乞いをしながら泣くところで吉右衛門の平三は白鞘の刀の束に下げ緒を無言のうちに巻き続けるというところがあるんだが、今月の彦三郎にそんな描写はなく平三の快男児ぶりを単刀直入に見せるような演出になってる(斬り割った石の手水鉢の上を跨いでみせるとこなんかもそうだな)。なるほど歌舞伎の「型」ってのは役者の家によってずいぶんと違うものであるよと初心者は感心しきりなのであった。

それにしても近ごろ気づき始めたんですけど、吉右衛門の芝居はいちいち深い。

吉右衛門だけ見てても初心者のおれにはわかんないことが多いんだが、ほかの役者が同じ役をやったのと比べるといちいと「あー、あそこはこういうことだったのか」って気づくんだよ。石切梶原で吉右衛門が下げ緒を束に巻く動きもそうだった。梢の嘆く声を聞きながら、平三の心の動きをその動作とうつむき加減の顔で客に推し量らせてんだな。

すごいといえば昼の部最後の〈魚屋宗五郎〉の菊五郎もすごかった。江戸っ子ってのは正真正銘こういう人ですって感じが、なんかもうとんでもないです。

イナセで格好いいけど、おっちょこちょいで無鉄砲そのうえ酒に意地汚くて意志が弱くて銭勘定に疎い。

いいねえ、やっぱり菊五郎の〈芝浜〉を見てみたい。

芝居がはねた後、出来立てマーマレードを受け取りに湯島まで歩いた。

歌舞伎座前から晴海通りを日比谷交差点までまっすぐ出て日比谷通りを右に折れる。ずんずん行けば日比谷通りはそのうち本郷通りに名前が変わり、そのまんま一直線に進めば神田橋を渡って小川町の交差点。さらに坂を登ってニコライ堂の前を過ぎればもう目の前に聖橋だ。

ところでニコライ堂と湯島聖堂、ふたつの聖堂の間の神田川に掛かるから〈聖橋〉というんだそうですね。

5月6日
ラフォルジュルネ、今年は国際フォーラムのホールB7で昼から夕方までずっといるっていう変則技に出てみたのだった。

まずリシャール・ガリアーノ六重奏団でピアソラほかのタンゴ。ガリアーノのクロマティック・アコーディオンに弦楽四重奏+コントラバス。ちょっとお行儀良い感じ。

それからシモーネ・ルビノという若いパーカッショニストのソロコンサート。スネアドラム1個を相手に最初は普通に両手にそれぞれスティック1本ずつ、そのあと右手にブラシ左手にスティックとマレット。最後は両手とも素手とかで精緻に叩きまくる。なんじゃこいつはすごいじゃんか。スネアのあとはバッハの無伴奏チェロをマリンバで。

しかしいちばん面白かったのは、あらかじめ録音してあるパーカッション(&環境音&ノイズ)の曲に合わせて照明を落としてほとんど真っ暗な(楽器のない)ステージ上で蛍光色のスティック1本だけをあやつり、あたかもそこで何かを叩いて音を出しているようにスピーカーからの再生音と超絶的にシンクロさせるパフォーマンス。

これって多分CDとかのメディアで再生不能。映像作品として再生してもライヴでやるような「意味」は伝わらないんじゃあるまいか。げんにそこにいて体験しないかぎり鑑賞不能というあたり、音楽の演奏というより現代アートのインスタレーションってやつに近い気がしないでもない。

これ見てたら、音楽とか演奏行為とかってのは一体全体なんなんだ、なんてことをガラにもなく考えてしまったんであった。

でもさ。こういうの見ちゃうとマリンバ用にアレンジしたバッハなんてのは(主催者がプログラムにとっつきやすさを求めたのかもしれないけど)てんでつまらないものに聞こえてしまうのだった。

三つ目のコンサートはオーヴェルニュ室内管弦楽団が「笙」の宮田まゆみを加えて細川俊夫の作品を演奏するのを息を殺して聴く。もしかすると雅楽以外で笙のナマ音を単独で聴いたのは初めてな気がする。それにしてもすごい緊張感。ホールの空気がひりひりとして痛い。

最後にテレマンの〈ドン・キホーテのブルレスカ〉が演奏されて、音楽家もお客もほっとひと息って雰囲気がホール全体に充ち満ちてましたね。

いやー今年も初めて聴いたものばっかし。

去年のラフォルジュルネではブルンジの太鼓青年団(そんな名前じゃないけど)を聴き、今年はてんでばらばらの音楽を同じ場所で続けて聴くってのはどうだろうって、タンゴとパーカッションと現代音楽を聴いてみた。

知らないものに初めて触れるのはホント楽しいよ。

さて連休も今日でおしまいだってさ。
あーくたぶれた。


by god-zi-lla | 2017-05-07 21:56 | 物見遊山十把一絡げ | Comments(6)

こんぴら大芝居その3

d0027243_09330371.jpg
つうわけで旧金比羅大芝居(金丸座)の第33回四国こんぴら歌舞伎大芝居は五代目中村雀右衛門の襲名披露の掉尾を飾る舞台だそうなんでした。

その雀右衛門は第一部は二つ目の演目〈忍夜恋曲者〜将門〉つうこれもまたとっても古風な舞踊劇の滝夜叉姫。

これがね。スッポン(花道にある小さいセリ)から出てくるんですけど、歌舞伎の約束事のひとつでスッポンからはニンゲンは登場しない。伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)の仁木弾正なんかもスッポンから怪しい巻物かなんか口に咥えて出てきますからね。

その雀右衛門扮する滝夜叉姫がスッポンから登場したんですけど、ここへ来る前に読んだ話ではこの天保年間に建った古い芝居小屋のいわゆる「舞台機構」はすべて人力で動かされてるっていうんだね。

つうことはこのとき滝夜叉姫が蝋燭の灯に照らされてひゅるひゅると地の底から現れるのは、奈落の底でウンセウンセと何か木製のギアとか滑車とかそういうのを回してるひとびとがいるんだと。

あれですかね。なんか古代ギリシアのガレー船を漕ぐ奴隷(ほんとは一般市民が雇われてたらしいけど)とかそういう感じをつい想像しちゃうんですけど、どんなんなんでしょうね。

ちょっとそういうほうに意識が向いちゃうところがこんぴら初心者なのであった。

そうそう神霊矢口渡では盆(回り舞台)で場面転換しましたし、この将門では大詰め近いところで〈屋台崩し〉なんつう大ギミックまで見せられちゃったもんだから、どうしてもそっちに気を取られちゃう(でもまあ、お客をビックリさせて楽しませようとしてやるんだからいいんだけどね)。

しかし、こういう舞台機構を「動態保存」してるところがエラいよなあ。

聞けば興業が打たれていないときには、こうした舞台機構はじめ芝居小屋のなかを見学さしてくれるというんだな(前のエントリーのs_numabeさんのコメントにもあり)。いやあこれはもう一度、こんだは芝居の掛かってないときに是非中を拝見したいもんである。

なにしろこっちは2階席うしろの壁にへばりついて見てただけだから1階の桟敷がどうなってんのかもわかんないで出てきちゃったですからね。

それはともかくとしてだな。おれのような歌舞伎初心者にはこういう古典的な舞踊劇がいちばんハードルが高い。だからよけいに屋台崩しだのなんだのに気を取られやすいわけですけども、この演し物もまた古い芝居小屋にはうってつけのように見えたね。歌舞伎座なんかと違って照明で美しく浮かび上がらせるような演出もなく、奥行きのない舞台と幅の狭い花道で雀右衛門も松緑も悪戦苦闘してるのかもしれないんだけども、かえってそのちゃんと照明の当たってない舞台のすみっこのほうとかにアヤシイ何かが潜んでるように思えたりしないでもないから、こういう幽霊の物語がかえって生きるような気がする。

最後の演目は仁左衛門の〈お祭り〉。

大向から「待ってました!」の声が掛かれば仁左衛門、
「待っていたたァありがてェ」
これはもうなんつうか、ただニコニコしながら見てればいいんです。ハッキリ言ってここが天保時代の芝居小屋か平成に建った歌舞伎座かなんてこともどーだっていいの。とにかく舞台の上で仁左衛門が踊っているという、それだけですべてオッケーなひと幕なり。

おれが仁左衛門の〈お祭り〉を見るのはこれで二度目なんだけど、正直申し上げて今のところ他のどんな役者の〈お祭り〉にも興味が涌きません。

なにしろ男のおれでさえうっとりと見とれてしまうイナセな鳶頭の仁左衛門ですから、ご婦人方にとっちゃあいかばかりのものでございましょうや。

つうわけで2時過ぎに芝居がはねて木戸を出ればまだまだお天道様はアタマのてっぺんだ。その足で金刀比羅宮の参道をえっちらおっちら、いい天気でちょっと汗ばみながら本宮へ無事参拝、金丸座の芝居見物がかなった御礼などして参道を下って琴電琴平駅から電車に乗って高松へ。

昔どっかで見たことあるような電車に揺られて小一時間、終点高松築港駅で下りてその夜の宿にチェックインしてみれば眼下に小豆島行きフェリー乗り場が見えるじゃんか。

じつは翌日、栗林公園や屋島など高校の修学旅行で行ったことのある名所旧跡を見物してから空港へ行こうなんて思ってたんだが、目の前から船に乗れば小豆島に行けるというのに気づいたら矢も盾もたまらない。

で翌日は急遽早起きして小豆島へ向かったのでありましたが、この顛末はまたそのうち。
d0027243_14163379.jpg

by god-zi-lla | 2017-04-21 14:08 | 物見遊山十把一絡げ | Comments(0)
d0027243_08112223.jpg

で、見物したのは午前の部〈神霊矢口渡〜頓兵衛住家の段〉〈将門〉〈お祭り〉の3つ。

神霊矢口渡(しんれいやぐちのわたし=上の絵看板右端)というのは平賀源内が福内鬼外つう人を食った筆名で書いたんだそうだが、この人は讃岐の産なんだってね。つまりご当地モノともいうべき演し物ではあるのでしょうが、舞台になった矢口渡ってのはもちろん東急多摩川線矢口渡駅が最寄りです。

詳しい物語はウィキペディアでも見ていただくとしてこんかい掛かったのはこの長い長い話のなかの〈頓兵衛住家の段〉つうひと幕だけ。ようするにここが一番派手な見せ場なので、ストーリーなんてお構いなしに前も後ろも全部すっ飛ばしてここだけ繰り返し上演されるっていう歌舞伎興行の常套手段ですね。

もっとも、おれは一昨年国立劇場でこの演目を通しで見物してるんだけど、ちゃんと覚えてるのは結局この〈頓兵衛住家の段〉だけでなんです。ようするにそれだけこの場面が強烈だってことなんでしょうね(あとは忘れてしまったおれの脳味噌のモンダイはとりあえず置いとくとして)。

だからまあ話のスジなんてどーだっていいんだけどざっと言うと、頃は足利氏が政権を掌握しようとしていた時代、愛人を連れて落ち延びていこうとする新田義岑(よしみね=義貞の次男坊)が矢口渡までさしかかり、渡し守の家に一夜の宿を借りようとしたところその家の娘に一目惚れされて言い寄られ、まあそんなにおれのことが好きになっちゃったんだったら、しょうがないから一緒に連れてってあげようかなー、うふふ。なんて落人のくせに(しかも愛人同伴のくせに)ユルいこと考えてるんだけど、じつはこの娘の父親の渡し守頓兵衛(とんべえ)はかつて義岑の兄を乗せた舟を沈めて溺死させた悪党でね。

その親父が帰ってきて自宅に落人がいるのに気づき、兄に続き弟も殺して褒美をせしめようとするんだけど義岑に惚れちゃった自分の娘がそれを邪魔するわけだ。そして親子で争っているうち誤って娘を刺してしまう父なんだが、チッ、娘の分際で父親の邪魔しやがってと逆ギレ。それでもなんとか惚れた男を懸命に逃がそうとする瀕死の娘。そして追う非道の父親。

ようするに前半の浮かれた色恋がらみの喜劇と後半の凄惨な修羅場がワンセットになって大変おトクな(まあ歌舞伎にはありがちな)ひと幕なのね。

これはだけどこの古風で小さな芝居小屋にぴったりの演目な気がしたね。なんつうかもうリクツ抜きで判りやすいコテコテの大衆演劇だもん。

それに加えて主役の娘を演ずる片岡孝太郎(たかたろう)の、細かい動きや表情の変化が舞台の近さのせいですごく効くもんだからさ(小屋の小ささをじゅうぶん意識した上での動きなんでしょうけど)。客席もけっこう盛り上がって、あーこういう感じはなかなか歌舞伎座みたいなデカい小屋では味わえないよなー。いやしかし、本来歌舞伎ってな明治になる前まではきっとこういう感じで演じられ見物されてきたもんだったんだろうなーってイヤも応もなく思っちゃうんだよ。

この日座ったのは2階の〈後舟〉つう、聞けば席番は一応振ってあるけど自由席だっていうから開場の1時間半前から並んだんだけどようするに自分のうしろはもう白い漆喰の壁で、そこに背をもたれて見物するという(ある意味ラクチンなんだけど)正真正銘の最後列なわけだ。

だけどその最後列の席からだって孝太郎の熱演が肉眼ですべてつぶさに見える(ふだんおれが歌舞伎座で座る3階席からだと、細かいしぐさや表情をちゃんと見るには双眼鏡必携)。台詞の微妙なニュアンスだってこの小屋なら最後列でも全部聴き取れる。

んー。去年、先斗町歌舞練場で〈顔見世〉を見物したときにも同じように感じたんだけど、いろいろ理由があるとはいえ歌舞伎座にかぎらず現代の劇場ってのは芝居ほんらいの楽しみを満喫するにはちょっと大きすぎるのかもね。考えてみりゃあ明治以降、劇場の変わりようが歌舞伎そのものに影響を与えなかったわけはないよな。

たとえば世田谷のシアタートラムだとか、東京芸術劇場の地下のふたつのシアターとか、ああいう300席未満の劇場で歌舞伎をやったらどんなだろうってさ。ありえないけど、ちょっと見てみたい。

それにしても孝太郎、堅実で折り目正しい女形だと思ってたんだけども、ちょっと華が少ないというか地味な印象が今まではあってね。だけど今回の矢口渡はこの小屋独特の雰囲気を自分の演技にうまく取り込んで、ちょっと弾けた感じの見事な舞台を作ったようにおれは見たんだけどさ。

歌舞伎役者にも大劇場向きの人と、こういう小さい小屋で魅力を発揮できる人があるのかもしれないな。


(to be continued)

by god-zi-lla | 2017-04-19 09:26 | 物見遊山十把一絡げ | Comments(0)
d0027243_13284791.jpg
正面に屋根の上には櫓、軒の下には「まねき」が上がってる。芝居小屋だねえ。
d0027243_13295901.jpg
いやあもう、こんなところでホントに芝居見物できるなんて。
d0027243_13302729.jpg
おれの席から見た舞台。なにしろ天保年間に建ったってんだから目の前の柱の1本や2本。
d0027243_13305872.jpg
ぶどう棚と言うんだそうだ。客席全体に紙吹雪を降らすことが出来るんだって。
d0027243_13313399.jpg
二階に上る階段。右が下足場と木戸。板のすき間から漏れるのは外の陽の光り。

---

というわけで一度は行ってみたいと思ってたこの小屋で芝居見物してきたのであった。金刀比羅宮参道のすぐ脇にある〈旧金比羅大芝居(金丸座)〉つう(どうも国の重文に指定されてこんなややこしい名前になったらしい)天保6年(1835年)に建った現存する日本最古の芝居小屋だというんだけど、なにがすごいってあなた。

天保年間というと鼠小僧が小塚ッ原で獄門台に晒されたのが天保3年、大阪で大塩平八郎が蜂起したのが天保8年。なにより天保といやあ老中水野忠邦の〈天保の改革〉、笹川の繁蔵と飯岡の助五郎の喧嘩出入りは〈天保水滸伝〉。そんな頃に建った重要文化財の芝居小屋がいまもお客を入れて芝居を打ってるってんですから。

そんな小屋で歌舞伎見物できたらどれだけシアワセか。よーし、とにかくここへ芝居を見に行くんだ。切符を買おう。席を押さえよう。降って湧いたワンチャンスをものにしろ。あとのことはそれから考える。

ということで讃岐国琴平目指して旅立ったのであった。

(to be continued)


by god-zi-lla | 2017-04-17 06:42 | 物見遊山十把一絡げ | Comments(3)

顔見世の京都

d0027243_12033671.jpg
●金戒光明寺(黒谷さん)のスギゴケと紅葉
d0027243_12025056.jpg
●これもシュミのコケ写
d0027243_12030590.jpg
●つむじ風の痕跡(のように見えないこともない)
d0027243_12023232.jpg
●庭の向こうの竹藪
d0027243_12032220.jpg
●これは八瀬の紅葉
d0027243_12042194.jpg
●鴨川越しに先斗町歌舞練場の背中
d0027243_12035569.jpg
●12月1日朝は花街総見で、ロビーには先斗町の芸妓舞妓が充満す
d0027243_12040810.jpg
●舞台が近くて最高。本来こういう小屋で見るもんなんだろうな歌舞伎って
d0027243_12014609.jpg
●三条通り美濃吉本社の建物にある紋章。帰ってから調べたらフリーメイソンの紋章なんだってね





というわけで先斗町歌舞練場に掛かる顔見世興行を見物するために11月30日から12月1日にかけて奥さんと二人して京都へ行ってきたのであった。なにしろ先斗町で歌舞伎を見る機会なんてこれを逃したら二度とないかもしれないんだからね。

午前の回を取ったので先斗町まで歩いて行けるホテルに前泊、京都駅で1日乗車券を買って100番のバスに乗り秋の特別公開で若冲の群鶏図屏風が出てる金戒光明寺で紅葉狩りをしたのが写真なり。帰りは行き当たりばったりでバスに乗り、あっち行ったりこっち行ったりホテルに近づいてると思ったら遠ざかってたりしながら1日乗車券を使い倒すためだけにバスを何度も乗り降りして、ほんとバカだねえ。

夜は虎吉さんと合流、虎吉さんが席を確保してくれてあった赤垣屋で飲んで食って(毎度毎度思いますけど、ウチの近所にもこういう居酒屋が欲しいよなあ)東山三条のHANAYAでサヒブ・シハブがかかりテテ・モントリューがかかるのをバックにまた一杯飲んで、明日のことを考えつつわりかしおとなしめに店を出たんでした。

顔見世朝の部の演し物は〈実盛物語〉と仮名手本忠臣蔵八段目〈道行旅路の嫁入〉。愛之助の実盛に亀鶴の瀬尾十郎。比較的若いコンビだけど安定感のある落ち着いた芝居なり。亀鶴は前回歌舞伎座で、孫に首を落とさせる瞬間トンボ切ってビックリしたんだけど、今回も同じように首筋に大刀を当てたままグルンと一回転の大技。あんなことは亀鶴しかやらないんじゃないかしら(前に見た左團次は当然ですけどそんなことはやらない)。吉弥の葵御前は上品だし松之助と扇乃丞の老夫婦もいいし、楽しみましたね。

道行は藤十郎の戸無瀬に襲名披露の雀右衛門が小浪。こんなこといったらアレですけど、小屋が小さいので藤十郎の台詞がちゃんと聞き取れるのがありがたし。歌舞伎座や国立劇場の3階席ではいつも苦しい。雀右衛門の小浪はしっとり。鴈治郎の踊りはいつもいいよねえ。

じつは今月の国立劇場でも八段目の「道行」があるんだけど、こっちは魁春の戸無瀬に児太郎の小浪っていう大幹部と若手花形の組み合わせだから、あんまり日を置かないで見比べられるのがちょっと楽しみだよ。

by god-zi-lla | 2016-12-05 18:20 | 物見遊山十把一絡げ | Comments(0)