神はどーだっていいとこに宿る


by god-zi-lla

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草間彌生 わが永遠の魂(ギョーム連絡、行ってきました虎吉さん)_d0027243_18293837.jpg
もともとあまり行くつもりじゃなかった。草間彌生に興味がないんじゃなくて報じられていた展示される作品の「量」がね。なんだかすごいらしいというから。

それでなくても草間彌生の作品のどれといわず、視界のどこかを横切るだけでそっちに意識が行く。草間彌生の作品は地方の美術館なんかにもよく収蔵されてるから、こっちが警戒してないときに突如遭遇したりする。たとえば以前出張の空き時間に福岡市美の入り口のところを通りかかったらカボチャがどかんと居座ってるのがいきなり目に飛び込んできて否応なく吸い寄せられたことがあったり(おかげでナム・ジュン・パイクの作品も見られたりしたけどね)。

1個だってじゅうぶん強烈なものをそんな大量に見たら、こっちがどうかなっちゃうんじゃないかという心配が先に立ってさ。おれ美術展とか行くとついじいーっと見入っちゃうもんだから、そのまま作品の中に吸い込まれたらどうしようなんて。

そうしたら最初の大きな展示室がうえのようになっているのだった。おびただしい数の草間彌生だらけだといえばまさにそうなんだけど、この展示室全体が1個の草間彌生作品なんだっていえばそんな感じだ。

しかも、ものすごく大勢のお客さんのひとりになってここにいると、この大勢のお客さんのいることもピースサインしながらスマホで自撮りしてるおばさんたちも全部ひっくるめて草間彌生の作品のうちなんだろうという気がしてくる。この展示室だけがスマホで写真撮ってもいいというキマリになってるのも、そのキマリ自体が作品の一部分なんじゃないかしらん。そうするというとこのおれも草間彌生作品のパーツなわけだ。そしてもしかしたらスマホの写真から世界中に拡散していく(このブログも含め)勝手気儘なイメージも草間彌生の作品だってことか。

そう思うと、なんかすごい面白い。おれも草間彌生の描いた無数の顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔、水玉水玉水玉水玉水玉水玉水玉、点点点点点点点点点点点というようなものと同じ、客客客客客客客客客客客客のうちの1個。

吸い込まれそうになったのはむしろこのあと見た展示室のほうで、60〜70年代の白い点点点点点点点点点ばかりの大きな絵なんかをじっと瞬きせずに見てると視野の外側のほうがモヤモヤとうごめくようで恐い。恐いんだけどひとつひとつの絵の前でじーっと目を凝らさないではいられなくて。それがまた恐い。

でもね。どれかひとつ持って帰っていいと言われたら〈Airmail Stickers〉って作品が欲しいね。
吸い込まれそうなうえに、すごくかっこいい。
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これは米軍基地側の門のほうへ下る道の木に取り付いた〈木に登った水玉2017〉。

by god-zi-lla | 2017-05-18 22:20 | 物見遊山十把一絡げ | Comments(2)
台北国立故宮博物院北宋汝窯青磁水仙盆_d0027243_17534787.jpg
(写真をクリックすると多少拡大されます)

虎吉さんのブログで初めて知ったのが先週で、こりゃあもう行く以外の選択肢はあるまいと終了前日の大阪市立東洋陶磁美術館に飛び込んだ土曜日が昨日のことなのであった。

詳しい説明は全部省きますが台北の國立故宮博物院所蔵の北宋汝窯青磁の水仙盆4客すべてが東洋陶磁美術館にやって来て、同館所蔵の同じ汝窯青磁の水仙盆とともに展観に供されて今日2017年3月26日がその最終日だったんでした。

なにしろトンでもない青磁の名品ではあるけどもたったの4客、「どーたらこーたらのナンちゃらカンちゃら展」と名前が付くわけでもなくこのエントリーのタイトルのとおり〈台北國立故宮博物院北宋汝窯青磁水仙盆〉(たいぺいこくりつこきゅうはくぶついんほくそうじょようせいじすいせんぼん)というだけで小さな展示室ただひとつ。

去年、故宮博物院で写真でいうと左からふたつを見た。いちばん左のものに今回「人類史上最高のやきもの」っていうキャッチコピーがつけられている。なんつうトッポいコピーかと思うんだが、しかしそれが大げさな物言いという感じは全然しない。世界じゅうの陶磁器を見てまわったわけじゃないが(そんなヤツはひとりもいなかろうし)、もしかしたらそうかもしれない、いやきっとそうにちがいないと思わされるものがたしかにあるんだよな。

だから故宮で見たアレを日本で見ることができるんだったら、それは行くしかないじゃんか。

しかもこの汝窯で焼かれた青磁の水仙盆で、現存するのが確認されているのは世界じゅうで6客しかなくて、そのうちの4客が台北の故宮博物院にあり、ひとつは中国・吉林省の博物館にあり、残るひとつがこの大阪の東洋陶磁美術館にあるというんだから。

つまり世界中で六つしかないうちの五つを一度に見られる、しかも大阪で。

故宮博物院が東洋陶磁美術館に至宝をまとめて貸し出すのは当然そこに同じ〈汝窯青磁水仙盆〉があるからで、それがない東京には回ってこない。もちろん京都にも名古屋にも行かない。

じつは台北でも4つ同時に展示してるわけじゃなくて、おれたちが行ったときに見ることができたのはいちばん左のものと、そのすぐ右にあるフチに銅の輪が嵌められたものの2客だけだった。だからその右にある2客は今回初めて見たし、東洋陶磁美術館所蔵の1客(写真右端)も、いままで何度もこの美術館へ行ってるにもかかわらず初めて見た。

もうこんなチャンスは、少なくともおれの生きてるうちにはないね。

まあしかしアレなんだよ。わざわざブログで話題にしといてなんですけど、これらがどう素晴らしいか字で書いて説明することなんておれには到底できっこないし、写真見てもわかりっこないから何も申し上げません。すいませんが、ぜひ台北まで行って見てきてくださいませ。それだけの値打ちがあると、おれは思う。台北へ行く値打ちがあるくらいだから大阪だったら言わずもがな(終わっちゃったけど)。

ちなみに上の写真は図録に綴じ込まれた片カンノン10ページの口絵です。そして裏の5ページにはそれぞれの水仙盆の「裏」の写真が載っている。じつに破天荒な図録なり。

それからこれも特別に展示されていて、見た。
じつにまったく、とんでもない展覧会である。
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by god-zi-lla | 2017-03-26 17:54 | 物見遊山十把一絡げ | Comments(12)
    
このアニメーションはしりあがり作品じゃなくって、しりあがり作品のインスタレーションを撮った写真をおれが勝手にGIFアニメーションでグルグル回してるだけです。じっさい回転してんのはコンビニのレシートとか輪ゴムの箱とか封筒とか紙皿とかお薬手帳に貼る処方箋とかCDとかカセットテープとか紙くずとかそういう写真に写ってる1コ1コなんだけど、写真は撮っていいけど動画は撮っちゃいけないことになってたからiPhoneで撮った写真全体を勝手に「回転」さしてみました。

あくまでも1コ1コのブツが回転してるのがしりあがり寿画伯のインスタレーションなのである。それだけなのになんだかわかんないけど面白かった。ダルマさんとかヤカンも回っている。縄文人が被ってる火焔土器も回転してる。前方後円墳なんかも当然回転してるし西郷隆盛と勝海舟もそれぞれ回転しながら江戸開城を談判している。字で書いてあるのを読んでもわかんないでしょうけど、とにかく回転しているのである。

どれも撮影可なのでいろいろと写真も撮ってみたんだが、止まっちゃうとヘンにマジメくさった感じになって面白くもなんともない。だけど実際回ってるの見てると、あはははは回ってる回ってる、ってチカラない薄笑いが自分の口から自動的に漏れてきたりする。なんで回転してるだけで面白いのであろうか。

練馬区立美術館で9月4日まで。練馬区の美術館があるなんて知りませんでした。こぢんまりとした、芝生の前庭なんかも楽しげなイイ感じの美術館で、港区なんかにはこういうイイ感じは逆立ちしても出せそうにないタイプのイイ感じなんであった。

それにしても、吉増剛造展といいしりあがり寿展といい、本業じゃないものがすごく面白いのがすごいよな。
しりあがり寿の現代美術 回・転・展(練馬区立美術館)_d0027243_1723999.jpg
それぞれのダルマさんが全部その場で回ってるんだけど、こうやって見ちゃうとなんか違うんだよな。止まってるダルマさんはエラソーだがぐるぐる回転してるダルマさんはとってもお茶目なのであった(だからせめて写真をグルグルしてみようかと思っちゃうんだよ)。
by god-zi-lla | 2016-07-25 17:45 | 物見遊山十把一絡げ | Comments(0)

東北の仏さま

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今月15日から始まった「みちのくの仏像」という小さな特別展を見るのに16日、雨が降って寒い上野恩賜公園を横切って国立博物館へ行ってきた。平成館で開かれる最近のやたらゴージャスな感じの企画展とは打って変わって本館入ったすぐ奥の展示室数室でこぢんまりと開催されてる展覧会なんだが、これがすごく良かった。なにしろ出品目録の番号が19番までしかないんだから、どのくらいこぢんまりしてるかわかるでしょ。

ところで、けっこう雨が強かったからカメラもなにも持ってかなかったので写真がないんだけど、博物館の本館車寄せに木製のボートが置いてあってね。説明を読むとこれは岩手県立高田高校の実習船で、岸壁に引き上げられてあったのを東日本大震災の大津波にさらわれ、2年後アメリカ西海岸に漂着しているのが発見され、びっしりと張り付いていた貝殻などの付着物をきれいに取り除いたうえで同校に返還されたんだそうだ(そういえばニュースを見た覚えがある)。これがいま同じ本館の2階で同時に開催されてる特別展「3.11大津波と文化財の再生」 の展示のひとつだったんだ。

この企画展と「みちのくの仏像」展がたまたま同じ時期に併催されているとは、やっぱり思わない。出品された仏像のいくつかはやはり震災の被害に遭って修復を余儀なくされたとあるし、貞観の巨大地震の起きる数年前に作られ二度にわたる巨大地震に耐えた薬師如来さんも出品されていたりする。やっぱりいろいろ考えないではいられないし、考えないではいられないのが当たり前だと思う。だから東北の仏さまを見たあとは必ず2階に上がってこっちの展示も見るべきだと思うんだが、それはそれとして、ここに並んだ数多くない仏像が見事なもんなんだな。
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見た瞬間からニットのカーディガンを着た観音さまと勝手に名付けてしまった左頁の岩手県・天台寺の聖観音菩薩立像。作りかけなんじゃなくて仕上げにあらためて鑿の跡をつけてったんだそうだ。だけどニットのカーディガンざくっと羽織ってリラックスされてるような風情があるよなあ。そんなふうに見ちゃいけないんでしょうけど。
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同じ天台寺の如来さんが写真右。ツルっと簡素な衣の表現が見どころなんだそうだが、おれはこの如来さんの不思議に曲がった顔が気になってさ。これはどういうことなんだろうか。なにか含むところのある表情なのか、それともたんに仏師のウデが拙かっただけのことか。だけどなんか、こういう顔されちゃうと気になるっつうか。左は山形県・吉祥院の千手観音さま。腕はみんな取れちゃって、差し込む穴だけが残ってる。
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宮城県・双林寺の薬師如来。大震災のあと4月7日宮城県沖を震源にしたM7.2の余震で脇侍の持国天が倒れかかって両方とも破損したのを、2年がかりで補修したんだそうだ。左肩とか左膝あたりに倒れかかったようなんだが、実物を見てもわからない。わかんないくらい見事に修復されたということなんだろう。
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この写真とつぎの写真は福島県・勝常寺の薬師如来坐像と脇侍の日光月光のふたりの菩薩さん。いやあこのなんともいえないお顔にシビレてしまったんである。しかもこの完全無欠の仏像とはこういうもんであるというような姿形ですから。見るなり一瞬ボーゼンとしたね。図録によると東北地方で最初に国宝指定された「彫刻」なんだそうだけど、96年。ずいぶんと遅い気がする。まあシロートにはうかがい知れないイロイロがあるんでしょうが。
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でその日光菩薩(右)と月光菩薩(左)。
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これは山形県・本山慈恩寺の十二神将立像の4体出品されてるうちの2体。もう説明なんか見ないでもわかる運慶快慶の一派の作品だよなあ。とくに左の「寅神」の、このキッとなにかを見上げる若者という感じがとんでもないよ。なんだったんですかね、この一派のひとたちは。こういう作風がなんで鎌倉室町時代あたりで絶えちゃったんだろうか。この人たちのあとの仏像ってなんか保守化したのか様式化しすぎたというのか、わざわざ見に行きたいと思うようなのがない気がする。円空以外は。
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でその円空だ。青森県・常楽寺のお釈迦さま。こんなふうに滑らかな衣をまとった円空仏もあるんだなあ。こういう仕事は若いころの作らしい。円空さんも少しずつ変わってったわけか。だけど顔の表情とゴツゴツとした螺髪のいい感じなのはやっぱ円空だね。いちばん上のトビラ写真も同じ。しかし常楽寺って大湊にあるっていうんだもんなあ。もう30年以上前、ほとんど毎月一度は下北半島の大湊まで行ってた2年間てのがあったのに全然知りませんでした。仕事ばっかりしてほんとバカだったなあ。だけどその土地のこともロクに知らないで、いい仕事のできてたわけがないよ。

いやそんなことはいいんだ。
展覧会はもちろん3月11日をはさんで4月5日まで開かれる。ただし「3.11…」のほうは3月15日まで。

全部見終えてから本館の通常展示を覗いて久しぶりに若冲の群鶏図屏風を見た。これって東博の所蔵品だったんだ。多分どこかほかの展覧会に出品されたときに見たんだな。

ふたたび本館車寄せまで出ると雨はさらに強くなっていて寒い。修学旅行らしい中学生数人のグループが津波で流されたボートを囲んで眺めてた。どこの中学生かわかんないけどヤツらも何か考えただろうか。ぜひ考えてほしいもんです。

16日にこの展覧会を見て翌17日は阪神大震災から20年という日だったわけだ。住んでいた古い古い借家が全壊して1週間くらい行方知れずだった伯母が知人宅に避難してるのがわかってホッとしたり、やはり家が傾いて長田区の避難所で暮らしてた祖母を横浜に連れ帰って自宅が復旧するまでの半年くらい一緒に暮らしてた日々から20年が過ぎた。

そしてその20年のあいだに伯母も祖母も死に、日本はいくつもの大地震に遭遇した挙げ句ついに2011年3月11日が巡ってきたわけだ。つぎはいつどこで起きるのかわからない。なにしろ近畿で大地震は起きないと神戸の人も大阪の人もごく当たり前のように言ってたくらいに阪神大震災はノーマークでノーガード、東日本大震災ももちろん「想定外」だった。

やっぱりたんに仏像見てきたってだけじゃすまなかった。
考えなさい、と東北の仏さまがおっしゃっている(ということにしよう)。
by god-zi-lla | 2015-01-18 08:31 | 物見遊山十把一絡げ | Comments(2)

バーナード・リーチ展

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小さな醤油差し。

こういうのが食卓にあったらとてもいいよなあ。
すごく欲しい。

日本民藝館ほかで見たことのある作品もあったけど、
思ったより規模の大きい展覧会でじゅうぶん堪能しました。

今月10日まで東京、日本橋高島屋の8階。
絶滅危惧種のエレベーターガールいます。
by god-zi-lla | 2012-09-02 08:30 | 物見遊山十把一絡げ | Comments(0)

福田平八郎の漣

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広尾にある山種美術館の「生誕120年 福田平八郎と日本画モダン」展にこの漣(さざなみ)が出ていて、今日24日を最終に展示替えされるというからちょっと焦りながら梅雨の晴れ間をバスに乗って見に行ってきた。

この写真の画集を買って初めて福田平八郎の漣を見たのが大学生のときだったからゆうに35年以上、いちど見てみたいと思いながら機会を逃し続けてようやく実物を目にしたのが今日だった。

満州にいた日本人コレクター所有の福田平八郎の作品40数点が敗戦後30年たってようやくモスクワから戻ってきたというニュースをテレビで見たのが1975年(昭和50年)で、そのときまで福田平八郎という日本画家がいたことすらじつは知らなかったというか、そもそもおれはそのとき日本画なんてものになんの興味もなかった。

それからだいぶんたってから本屋でこの中央公論社の「日本の名画」シリーズのなかにあった画集を見つけて、そういえばこの人の絵がソ連から戻ってきたんだっけなあと思い出してパラパラなかを眺めてたらこいつに目が釘付けになっちゃったんだ。
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雨。

屋根瓦にぽつ、ぽつ、ぽつ、ぽつ、と落ちてきて丸い跡を残してはつぎつぎ乾いて消えていく降りはじめの、たぶん雨。雨はどこにも描かれてないのに間違いなく雨。

うひゃあ、なんなんだこの絵は。
こういうのも日本画っていうのかよ。
福田平八郎ってのはどういう絵描きなんだ。

箱のうしろを見ると3200円だから学生のブンザイで相当無理をして買ったんだろうな。
とにかくその日だか翌日だかにお金を工面して、すぐにこの画集を買ってきては毎日毎日ページを繰って眺めてた覚えがある。

で、この「雨」はその後竹橋の国立近代美術館に収蔵されていることを知って実物に出合ってもうなんというかうるうる涙出そうになるほどうれしかった。

そしてその同じ画集にあって同じくらい衝撃の大きかったこの「漣」をようやっと見ることができた。いやあ、きょうはなんていい日なんだ。

それで、漣の展示はきょうで終わって交代にあさってから展示されるのが「雨」だというんだ。
これはもうまた見に行くしかないよな。

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出るとき図録を買った。
A5判。展覧会の図録でこういうかわいい判型のはなかなかないね。

表紙になっているのは筍。
これもすごい絵だぜ。
by god-zi-lla | 2012-06-24 18:43 | 物見遊山十把一絡げ | Comments(4)
野口久光 シネマ・グラフィックス_d0027243_23573578.jpg
野口久光さんが描いた洋画とくにフランス映画のポスターが懐かしいなんてことは年齢的にいったって勿論おれにはないわけなのに、じゃあなんでこういう画集というか図録を買い求めたんだというと一昨年ニューオータニ美術館というところに野口久光さんのポスター展つまりこの本の中身がほとんどそっくりそのまま展覧会になったのを見に行ったところ、野口さんという人はたいへんな人だったんだということを思い知らされたからなんだ。

野口久光の描いたポスターというんじゃなくって、日本の古い、というか戦後、昭和20〜30年代のフランス映画のポスターについておれが持ってたステレオタイプなイメージってのがつまりそっくりそのまま、それの全体が野口久光というとんでもない人が作り上げたポスターのスタイルだったんだってことに腰を抜かしそうになった。

鑑賞したり論じたりするに足る昭和中期の映画宣伝美術の業績のかなりの部分が野口久光という個人の、ほとんどひとりだけの仕事だったらしいって、それはしかしやっぱりすごいことでしょ。

でね、そんなことですから、おれが見たって懐かしいってことはないはずなんだけど、ページを繰ってみるとどれもこれも懐かしい気がするんです。

なんでかね。

スチール写真をもとに描いたであろう俳優のポートレートが、
スチール写真とはぜんぜん別の意味を持って立ち現れる。

活字や書道とはまるで隔たったところで、欧文のタイポグラフィともまるっきり違った文字なのになぜか西洋風に見えてしまう、というかそういうふうに条件反射的に思わせてしまうくらいにヨーロッパの俳優の図像と分かちがたく記憶のなかで結合してしまっている全面書き文字の浸透力の強さ。

とはいえ、

おれなんかが知ってる野口久光さんというのはスイングジャーナル誌などに登場する長老的ジャズ評論家で、じつはずいぶん長いことそもそもは映画方面の人だったってことを知りませんでした。

そうなんだよ。
野口久光だけじゃなくて植草甚一も岡俊雄も、そもそもは映画の人だったなんて若いころはぜんぜん知らなかったんだけど、ぎゃくにいうと当時映画っていうのは、そういうなんていうか新しい芸術文化の輝かしい中心で、だからそこに当時のそうそうたる秀才かつ、ちょっと不良っぽい若者たちが集まってきてたってことでもあったのかもしれないな、なんてことを少し思った。

でね、この本眺めてると野口さん。やはりと申しますかなんと申しますかジャズなどレコードジャケットの仕事もけっこうおやりになってんですな。そしてそれがまたいちいちかっこいいんだ。

んー映画ポスターのほうはともかく、
こっちはちょっとなんとかなりそうではあるぞ。
(いかんいかん)
by god-zi-lla | 2011-08-22 23:49 | 本はココロのゴハンかも | Comments(0)
炎天下竹橋パウル・クレー帽子直しました_d0027243_1135392.jpg
サッカーの女子日本代表はすごいね。
ラグビー日本代表のパシフィック・ネイションズ初優勝もついでにおめでとう。

さてと、
きょうも暑いが特記事項のない暑さだ。

きのうは出かけようと思って帽子を見たら帽子の周囲をぐるっと巻いてるあの飾りをなんていうんだか知らないけど、あれが帽子から外れかかってちょっとみっともないことになっている。

ダイエーで買った安物の中国製だからね。
そのリボンみたようなものは本体にふつうだったら糸で止めてあったりするんだろうけど当然そんなことはしてなくて、ただ木工用ボンド状の接着剤でべたっと強引に接着されてるだけなのがぼろっと剥がれて無残にもぶら下がってしまってるんでした。

さいしょは中国人と同じように接着剤で修理を試みたんですけど日本製ボンドの性能が悪いのか、中国人よりおれのがぶきっちょなのかウマくくっつきません。

しかたないので針箱を取り出して目立たないような色の木綿糸でちくちくと縫い付けた。

縫い付けたっていうより仕事の感じは畳屋さん的だったんだけどさ。
ぶすっと刺しちゃくいくいっとしたりして。

なんてことにかかずらわってたら出るのが1時間は遅れ竹橋の東京国立近代美術館に着いたときにはもう4時を少しまわって切符売り場のおねえさんに、閉館は5時ですがよろしいですか、と念を押されちゃったんだけどこの帽子のせいなんですとも言えないしね。

パウル・クレーの展覧会はあれば行くようにしてるんだけど、いつもながらこの画家は人気があるよな。なにせ平日夕方閉館まで1時間てときに会場に突入しよっていうお客さんはおれのほかに幾人もいて、当然会場のなかも水曜日とは思えない人出なんでした。

「おわらないアトリエ」つうサブタイトルがついたコンセプチュアルな展覧会なんだね。
だからなのかドカンという大作はあんまりないし、大きいもののいくつかは近美の館蔵品でこれは以前にも何回か見たことがあったりする。

だけど、なるほどなあ、クレーって人はこういうふうなことをしてたのか。

その意図というか仕掛けというか技法というか、知らなくったってぜんぜんかまわないようなことではあるけど、そう言っちゃえばわざわざ遠くまで絵を見にいくなんてことそのものがしなくったってぜんぜんモンダイないようなことなんだから、こういうことを知るのも絵を見る楽しみのひとつなんだなと思いながら大勢のお客さんといっしょに楽しんできた。

写真のよれよれのポスターはきのう見た展覧会とはなんの関係もなくておれが勤め人になったころの20代のはじめ、どっかのポスター屋で買ってきたロンドンかどこかのギャラリーで開かれた展覧会のポスターで、さいしょしばらくの間は独り暮らしの木造アパート6畳一間の壁にそのままじかにピンで止めてあったのを、少したってから文具屋で安いパネルを買ってきてそれに入れて以来ずっとおれんちの壁のどっかに必ず掛けて毎日毎日眺めてきたものです。

とくに若い時分にはこのポスターに何度も何度もなぐさめられてきた。
自分でもよくわからないんだけど、これ眺めて少しほっとすることがずいぶんあった。
なんなんだろうな。

それがあるもんだから、こいつの実物とどっかで出合うことがあるんじゃないかとひそかに期待しながらクレーの展覧会があるときけばいそいそと見物に行ってみる。だけどどうしても実物に巡り合いたいと思ってるわけでもなく、だからこの絵のタイトルが何なのかとかどこに収蔵されてるのかとか、そういうことを調べればかんたんに調べられそうだけどもそんなことはしてない。

まあ、おれとしたらこのポスター見て、ほんの少しだけほっとすればシアワセなんだろうな。
by god-zi-lla | 2011-07-14 10:57 | 物見遊山十把一絡げ | Comments(2)
きょうはまた暑いじゃんか(きのうはマン・レイ展に)_d0027243_8124743.jpg
行ってきた国立新美術館。

それにしてもなんだよまったくけさのこの暑さは。
雨の前の暑さに戻ってないすかこれって。

しかしマン・レイ展行ったきのうだってちっと涼しくなったったって30度超えたもんな。
それをウチからてくてく40分龍土町まで歩ってったからもう汗だく。

はやいとこちゃんと秋になってほしいもんだねえ。

それはともかくとしてだな。
いやーしかしマン・レイさんてのは写真家じゃなくって写真も撮るゲージツ家だったんですねって、そんなことも知らんと展覧会にのこのこ出かけてくウカツなやつなんておれだけなんでしょうけどホントに知らなかったんです。

図録も買わないし作品についてるキャプションもろくに見ないんでアレですけど、よーするにマン・レイにとって写真てのは自分の作品の記録を残しとくための道具であり、自分が持ってるゲージツ上の表現手法のひとつであり、なおかついっぽうでは生活を支えるメシのタネつか「手に職」つか「お仕事」でもあったつう理解でよろしいんでしょうか。

そんなたぶんマン・レイよく知ってる人には基本中の基本どころかそのずうーっと手前みたいなことすら初めて知ったおれには、しかし、というか、だから、というかとにかく興味尽きない展覧会でございました。

それとさ、これもまた自分の無知をつぎからつぎとさらけ出すようであれなんですけども、
マン・レイってアメリカ人だったんだ。おととととと。

いやーすまん。ぜーんぜん知らなかった。
てっきりフランス人だとばっか思ってた。

ようするに母国じゃマトモに評価されなかったんでパリに渡って初めてちゃんとした評価を受けて、以来第二次世界大戦でフランスが負けてた間アメリカに戻って(また冷遇され)たほかはパリで活躍してたんだそうですね。

なんかそれってアメリカの黒人ジャズメンみたいな話じゃんか。

でもさ、それでふと思ったんだけど、写真にしても自作の絵をリトグラフにするのに熱心だったことにしてもチェスの駒の設計図書いてそれを製造したことにしても、つまりその1品制作の芸術作品ていうものだけじゃなくて複製可能というのかそもそもオリジナルとコピーって関係じゃなくて複数作られたモノがどれもひとしく自分のゲージツであるっつうその感覚って、なんだかすごくポップアートっぽい感じがおれにはするんだけど、そんなことないですか。

で、いきなりですまんけど、
ポップアートってばやっぱほら、
アメリカじゃないすか。

なんてことを考えながら見物してるうちにこの展覧会見にいくまでマン・レイさんはフランスの人だと信じて疑いもしなかったのが、見終わったあとはパリにアトリエがあったってなんだって作品はやっぱしアメリカ的だよなあっつう印象にイチコロで変わってしまったエエカゲンなおれなんでした。

それとまあこいつは後知恵ってもんかもしれませんけど、あちこちに感じられるちょっとドライで持って回らないユーモア感覚というようなものが、これもイケズなヨーロッパにはないモンだろうなあって感じもしたんだけどね。それもひっくるめてマン・レイの作品てアメリカらしい。パリの雰囲気もふんだんにまぶしてあるけど芯のところはアメリカだよなーって感じがしたんだけどね。

しかしそのマン・レイもジャズメンも邪険にしたアメリカってば。

◎◎◎◎

帰り道はテレ朝の脇っちょ抜けて恒例ですけど麻布十番商店街の酒屋。
夕陽がまだまだ暑いなか1升瓶ぶる下げ古川っぺりを三の橋渡ってとぼとぼ帰ったのでした。

暑いからってビールばっか飲んでてもね。

日本てばやっぱほら、
清酒文化の国じゃないっすか。
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by god-zi-lla | 2010-09-11 08:13 | 物見遊山十把一絡げ | Comments(3)
ようやっと東京は雨だねえ(きのうはシャガールだったけど)_d0027243_1461491.jpg
ラジオやテレビの天気予報がこれほどうれしそうに「雨」の予報するのも珍しいぜ。

東京は朝から雨。
いったいぜんたい、なん日ぶりの雨だろか。

なんか、ほっとする。
おおげさですけど、これで死なずにすんだ、みたいな。

それにしてもひどい炎天が続いたもんだ。

そして、ことによったらその炎天最後だったのかもしれないきのう、上野の東京ゲージツ大学大学美術館でやってる「シャガール ロシア・アヴァンギャルドとの出会い」展を見物してきましたが、名前に大学が2個もあんのはけっしておれの打ち間違いじゃなくてこーゆー名前らしいんです。

この同語反復の過剰なカンジってのが、ゲージツってもんなんだろーか。
なわけねーだろ。

シャガールの作品てのがまるでピンとこないもんだからね。とくに第二次世界大戦後から晩年にいたるあのメルヘンチックってのかなんてのか、ああいう作品になるともうまったくなにもココロに響くものがないもんだから、もしかするとそいつは実物をじっくり見てないからなんじゃなかろうかと思って、それをたしかめに行ったようなもんではあるんです。

そして実物をじっくり見てみてわかったのは、おれにはこの偉大な画家の作品にピンとくる感性ってものが欠けてるんじゃないかってことだった。んー残念。

あんまし好きじゃなかったけど、モノホンに触れてみたらサイコーでしたっつうとやっぱそれは何にしたってシアワセじゃん。好きなモノが多いってのは人生ぜったい豊かなわけだから。だから、できれば好きなモノが多くあれかしとつね日ごろ願ってるんだけどさ。だからどっちかっつうと好きになろうという気分で見にいってるんだけどね、こういうばやいはたいてい。

んーそれでもピンとこないモンは世の中にはどうしてもあるなあ。

ただそれはそれとして、展覧会そのものは見にいってよかったと思ったし、実際問題いい展覧会を見物してすごく楽しんできたなあっつう実感があるんだよな。

展覧会のサブタイトルにあるロシア・アヴァンギャルドの画家の作品とシャガールの作品をならべて展観するというのはシャガール自身が生前望んだことのようで、そのようにしたこの展覧会ってのはつまりなかなか画期的っつうことだそうだけども、それについてどうこうなんてことはおれにはいっこうにわかんない。

だって肝心のシャガールの作品にピンときてないやつに、それはわからんでしょ。

でもそうやってならんでたカンディンスキーの、黒い絵の具で輪郭をふちどったいくつかの小さな風景画がすごいよかった。カンディンスキーの作品てのもまあ一種「ご高名はかねがね」みたいに知ってるようで知らなかったもんだから、ここでこうやって見ることができたのはかなりシアワセだったな。

あとですね。展示のしかたがけっこう大胆に見えたな。

さいきんの展覧会って、けっこうダイタンなことしてるのが多いけど、この展覧会の壁面処理っていうんでしょうか。黄色にしてみたり真っ黒にしてみたり、しかも1段出っぱらしてみたりそうじゃなかったりとかね。それぞれに意味のあることではあるんでしょうけど間違いなくその絵を見る目に影響を与えるわけだから、シャガールのような古典的な巨匠の展覧会でこれをやるのは大胆不敵だよなあ。

でも、こういうこと言うと失礼でしょうけど肝心要のシャガールにピンときてないおれは、このダイタンな展示そのものをかなり楽しんじゃった気がする。

壁面を四角くくり抜いてそこに紗のような向こうが透けて見えるものを貼って、いっしゅん視野のすみっこのほうで作品のように見えてたのが、そこまで行ってみるとじつは向こう側を歩いてるお客さんだったりするところがあってね。

これは初めて見た。
間仕切り代わりに紗のカーテンのようなものを垂れ下げてるのは最近よくあるけど、そこに展示作品があってもおかしくないような壁面をくり抜いてそれをやるってのもしかし、大胆不敵だよなあ。

ここいらへんの感じっていうのが、もしかしてそれがゲージツ大学の美術館でやる意味だったりもする?

なんか一種こう既存の大作家の作品をサンプリングして「展覧会」っつうカタチを借りてべつの表現をやっちまったらどーか、みたいなそういうことをほんのちょっとだけアタマのすみっこで考えてたりするんですかね。

なんてことを考えつつトーキョー芸術大学大学美術館を出たとこでふと思い出したんだけど、そういえば国立新美術館のマン・レイ展はもう終わりそうだったんだよな。

ぢつはマン・レイさんもおれピンときてない人のひとりなんです。
さて。
by god-zi-lla | 2010-09-08 14:06 | 物見遊山十把一絡げ | Comments(0)