神はどーだっていいとこに宿る


by god-zi-lla

タグ:Coltrane ( 15 ) タグの人気記事

コルトレーンのコミック

コルトレーンのコミック_d0027243_09404398.jpg



涼しくなったらアレしようコレしようって、なんでもかんでも問題先送りしてるうちに9月も3分の1じゃんよ。けど暑い。だからまだアレもしないコレもしない。涼しくなったら忙しいぞお。

でもね、涼しくなったらなったでいろいろ口実作ってモンダイ先送りするだけのことなのさ。おれのような怠惰な人間というのは年がら年中そんなもんよ。

ついせんだってのことだが、なんだったか忘れたけど紀伊國屋書店のウェブショップで本の検索してたらコルトレーンの知らない本が一冊引っかかってきた。それがどうも外国産のコミックらしい。表紙の画像を見ると〈Blue Train〉のジャケット写真をもとにしたらしいイラストで、文字通り「目が点」なのだった。

こういうふうにコルトレーンを描くかよ。これってギャグマンガか。

まあこういうときはウダウダ迷ってるよりも買ってみるに如くはない。

ところがね。これが読んでみるとしみじみとして面白い。コルトレーンの生涯がコミックで語られるんだけど、コルトレーンの音楽をある程度熱心に聴き続けてそれなりに本も読み散らしてきたような人間からすると、とくに知らないエピソードがあるわけでもない。しかもコルトレーンの人生が時系列に語られてるわけでもない、というか意図的に前後を行ったり来たりするように描かれている。

で、全体は四つの章から成り立ってる。承認。決意。追求。讃美。この四つの章の名前がどこから取られたかは説明不要だけど、中身がこの四つのコトバに沿って描かれているともいえない。

おおまかな伝記的要素は事実のとおりだと思うが一部フィクションが挟まれてて、アレっ?と思うとそれは承知のうえの改変だと作者が「あとがき」で触れている。

それからおそらくその全部が作者の想像(創造)だと思われるシーンはコルトレーンが折に触れて悩んだり苦しんだり決意したりするところのあらゆる描写で、だけど読み進むとその部分こそがこのコミックのなかでいちばんイタリア人作家が描きたかったところなんだろうと判る(そのために伝記的事実の一部をあえて改変し省略し並べ替えてるわけだ)。

だからなんというかこれは伝記や評伝でなくてコミックで表現された詩のようなもので、作者のコルトレーンへの「至上の愛」の表明なんだろう。

つうわけでコルトレーンといえば〈Ballads〉と〈And Johnny Hartman〉というような聴き手にこのコミックは不要で、長期にわたってもうちょっと中毒的にコルトレーンを聴き続けてしまって取り返しのつかないことになってる古臭くて石頭の、おれのような聴き手への「解毒剤」として結構有効な気がする。

ようするにまあ、ココロを動かされてしまったんだな。このスレッカラシが不覚にも。

下はコルトレーンがアリス・マクロードとの出会いについてドルフィーに語っているシーン。こんなふうにコルトレーンとドルフィーが酒場の止まり木で並んで酒を飲んでいるなんてことを、おれはいままで一度も想像もしなかったけど、思えばそんなことはいくらでもあって不思議じゃなさそうだ。なんで想像もしなかったのかな。

そのへんが「解毒剤」なのよ。



コルトレーンのコミック_d0027243_09410297.jpg


COLTRANE パオロ・パリージ/石原有佐子・訳(Pヴァイン・発行/日販アイ・ピー・エス・発売)

*巻末に大谷能生の短いけど気の利いた解説が付いている。コルトレーンのことをよく知らないで買っちゃった人はせめてこの解説を先に読むのがいいと思うね。B5判128頁。



by god-zi-lla | 2018-09-09 07:54 | 本はココロのゴハンかも | Comments(6)

トコロテンとコルトレーンは一瞬似てる_d0027243_22232209.jpg




しかしトコロテンは夏向きだがコルトレーンが夏向きとはいえない。

エチゴビールの〈スタウト〉の缶の裏側に印刷されたイラストなんだけど、見れば見るほどコルトレーンに見えてきちゃうのよね。

で、こういうジャケット写真があったんじゃないかと棚からいろいろ引っぱり出してみたんだけど、ドンピシャこれだっつうのは見つからない。

それでとりあえず〈Settin' The Pace〉の黒いバックにモノクロのコルトレーンがいちばん近い感じがしたので並べて比べてみたのが写真なんでした。

んー。もしかするとほかのサックス奏者だったかもしれない。アタマの格好とかモミアゲの感じとか生え際とかビリー・ハーパーにも似てるし。ロリンズの〈Work Time〉の写真もこんな角度だったか。

それにしてもなんでエチゴビールの〈スタウト〉にコルトレーン風のミュージシャンの絵なんだ。エチゴとコルトレーンて、なんか繋がりでもあるんだろうか。コルトレーン、じつはエチゴ生まれだったとか、お爺さんが越後の船乗りで乗ってた北前船が難破漂流してアメリカに辿り着いたとか(大黒屋光太夫かよ)。そういう故事来歴はスタウトの缶にもエチゴビールのホームページにも何も書いてない。

しかも、よく見れば描かれた楽器はテナーかアルトかよくわかんない、けっこうヘタっぴなイラストの気がする。ミュージシャンの姿かたちもたまたまコルトレーンに似ちゃっただけかもしれない。

だけどなんかうれしいから、見かけるとつい買っちゃうんですこのエチゴビールのスタウト。

でもね。エチゴビールで今いちばん気に入ってんのは〈ホワイトエール〉ってヤツね。あのちょっと白濁したビール。ヴァイツェンっていうんでしょうか。もちろんドイツとかベルギーのビールにもありますけど、どれも高い。エチゴビールはそこまで高くないからケチなおれでもたまには買えます。

コルトレーンといえば1956年ヴァン・ゲルダー・スタジオで栓抜きを探してる声がレコードになってるくらいだから、そりゃあ間違いなくビール好きだったと思うんだよな。

もしもRVGが冷蔵庫に買い置いてあったビールが瓶じゃなくてプルトップ缶だったらコルトレーンが栓抜きを探す必要もなく、その声がマラソンセッションのテープに残されることもなかった。

そうするとコルトレーン似のサックス奏者が日本の缶ビールに描かれることもまたなかったかもしれない(まったく、なんの説得力もないな)。



by god-zi-lla | 2018-08-08 18:54 | 酒だ酒だ酒だ酒だ | Comments(2)
ピラミッドのなかに未知の石室があるのを発見したようなもんだってソニー・ロリンズはいうんですけど(John Coltrane / THE LOST ALBUM)_d0027243_15545989.jpg




夏だ! 海だ! コルトレーンだ!
ンなわきゃねーだろが。

コルトレーンの「最新発掘盤」は63年3月6日、ヴァン・ゲルダー・スタジオで収録された正式のレコーディングセッションだってところがキモである。ところがそのマスターテープはとうに失われて(レコード会社が廃棄したらしい)、コルトレーンが持ち帰ったチェック用のモノラルテープを遺族がこんにちまで保管してたっていうんだな。

クラシック業界でいうとフリードリヒ・グルダのモーツァルト・ピアノソナタ全曲〈The Gulda Mozart Tapes〉に似たケースかもしれない(グルダのほうはカセットらしいがコルトレーンは時代が時代なのでオープンリール)。

63年のコルトレーンつうと非常にビミョーな時期である。なにしろ今回リリースされたセッションの翌日、あのジョニー・ハートマンとのレコーディングを同じヴァン・ゲルダー・スタジオで行ってるわけだ。するってえと何かい。この日の演奏もあの手の「軟弱路線」で、ひょっとして62年に出て発売当初からセールス好調だった〈Ballads〉の二匹目のどぜう狙いか、なんて一瞬不安に思わないでもないわけだ。まあそのほうがいいって人もヨノナカには大勢いらっしゃるんでしょうけどさ。

だけどね。CDが届いて曲目みたら〈Impressions〉が演奏されてるのでちょっと安心。この曲はモーダルなコルトレーンチューンの代表中の代表というようなナンバーだから、コイツでもってソフト&メロウな演奏をコルトレーンが繰り広げてるわけないもんな。

聴いてみるとたしかにソフト&メロウ路線ではなかった。いやあこれは悪くありませんよ。悪くない。いや悪くないんだが、なんかどっかもうひとつ煮え切らないような演奏にもきこえる。

アルバムしょっぱな〈Untitled Original 11383〉(ボブ・シールが”ワン・ワン・スリー・エイト・スリー”とマトリクスナンバーをコールする声がトラック冒頭に聞こえる)はコルトレーンのテーマ吹奏からソロに入って、つぎにマッコイ・タイナーに受け渡すところがなんか不自然で、ひょっとして大ざっぱな編集(ただハサミを入れて短くしただけというような)が施されてるんじゃあるまいか。

ほかにもコルトレーンがちょっとつっかえたように聞こえるところとかがいくつかあって、コルトレーンの既成アルバムにきかれるあの自信に満ちて力感たっぷりの、どこか万能感さえ漂わせるようなサウンドと比べるとおれのようなシロートにもアラが見えるトラックが一部ある。

んー、タイトルのついてない新曲ふたつもなかなかの佳曲だし、レハールのオペレッタのナンバー〈Vilia〉も「ゴキゲン」だ。〈Nature Boy〉のあやしげな雰囲気だって悪くない。だけどなんかこの全体に食い足りない感じがするのはなんなんだ。

で何度か聴いて、しばらく考えた。もしかしてどのトラックも短すぎるんじゃないの。れいの〈Impressions〉は4分36秒、〈Nature Boy〉は3分24秒、いちばんの「長時間」が〈Untitled Original 11386〉で8分43秒。

ちなみに64年にリリースされたアルバム〈Impressions〉に収録された同名曲(ヴィレッジヴァンガードのライヴ録音)はたしか14、5分の演奏だったんじゃないかな。このくらいはコルトレーンとしたらごくフツーの「尺」ってもんである。それが4分ちょいなんていったら、あっ、もう終わっちゃったの、困ったねえって。

そうか、このなんとなく食い足らない感じは、長い長い演奏に慣らされている長年のコルトレーンファンにとっちゃ想定外の短いトラックの連続に、ひょっとしたら原因があるのかもしれない。

でもなー。そう思ってみると長尺トラックのない3月6日のセッションって、いったいなんだったのかね。

そういうことは音楽を聴いてても絶対わかることじゃないから、是非そこいらへんのところはジャズ・ジャーナリストによって解明ないしは推理をしてほしいもんだけども、アシュリー・カーン(コルトレーンにかんする著書多し)のライナーはちょっとばかし歯切れが良くないうえに、やや説得力に欠ける気がする(国内盤にだけある藤岡靖洋氏の解説はこのテープがどうやって日の目を見ることになったかについての経緯のみ。これはこれで非常に興味深い必読の一文なんだけど)。

で、おれは勝手に思うんだけどさ。

もしかしてこの3月6日の録音セッションから単独のアルバムを作る気はコルトレーンもボブ・シールも最初っからなかったんじゃあるまいか。

翌日予定されてたジョニー・ハートマンとのセッションでもって、ひょっとして何か問題が生じて(ハートマンが意外とドン臭いヤツだったとか)アルバム1枚分のトラックを作れないときのために、あるいはアルバムに変化をもたせるために(ようするにハートマンとのセッションだけじゃつまんないものになりそうなときのために)使い勝手の良い長さのトラックをあらかじめクァルテットだけで用意してたってことはないのかな。

で、そういうトラックつうのは今後制作されるコルトレーンのアルバムの長さ調整用(フィル・アップとか埋め草とかいうアレ)にも使えるからムダになることはないと踏んだんじゃないかしらん。だからわざわざ「前日」に、その夜はバードランドでギグがあるというにもかかわらず、ヴァン・ゲルダー・スタジオに集合した。

〈Ballads〉と〈John Coltrane and Johnny Hartman〉以外のimpulseレーベルのアルバムを通して眺めてみても、どう考えたって8分半以下のトラックだけでこの時期にコルトレーンのオリジナル曲中心のアルバムを制作する意味があったとは思えないんだよな(Balladsの二番煎じってのが大いにあり得ても、だ)。

だからこの「未知の石室」はぶっちゃけ災害用備蓄倉庫みたいな場所だったのかもしれない。

いやもちろん、おれの勝手な想像ですから、ここだけのハナシってことで。




JOHN COLTRANE / BOTH DIRECTIONS AT ONCE THE LOST ALBUM
CD: UCCI9295/6 国内盤2CD
LP: B0028317-01 US盤2LP
中身は同じもんですが、藤岡靖洋氏の解説は国内盤のみ。

by god-zi-lla | 2018-07-21 15:00 | 常用レコード絵日記 | Comments(4)
豪華箱入四十五回転二枚組重量盤GIANT STEPSなんてのはどうっすか(尻切れです)_d0027243_15132411.jpg




なんだか知らないけどジャズをBGMに流してる蕎麦屋がヨノナカには結構あるでしょ。どうもおれはあれが苦手でね。蕎麦屋の戸口をガラガラっと開けてジャズが聞こえてきたらそのまま回れ右して立ち去るなんてことまではしませんけど、まあ蕎麦屋に限らずお店やさんでジャズをBGMにするのは出来ることならヨシにしてほしい。

こないだ、かかりつけの歯医者へ行ったところ待合室でコルトレーン〈Giant Steps〉B面の〈ナイーマ〉が聞こえてきた。あー、こういうふうに名曲名演を「消費」するのはカンベンしてほしいよなあと残念なキモチになったのであったが、じゃあA面〈いとこのメアリー〉ならいいのかといえば、そういうモンダイではない。

ジャズにかぎらず、どうして蕎麦屋も歯医者もああやってBGM流したがりますかね。

ラーメン屋なんかでテレビつけっぱなしで流してるところが結構あるでしょ(そしてテレビは大抵油でベトベトになっており、リモコンは八割がたラップでグルグル巻きにされている)。そういう小汚いテレビを見るでもなく見れば、普段自分じゃ絶対に見ないワイドショーかなんかをたまたまやっててアホ面下げたコメンテーターが無責任で的外れなことをホザいてたりする。

いやもうほとんど反射的にカウンターのコショーの瓶をテレビにぶん投げそうになって、おれは毎度毎度困ってるんだ。

あれがプロ野球中継だとラーメン啜りながら大人しく見てたりするんだけど、ちかごろはテレビでプロ野球やってることなんかめったにないのがとっても悲しい。

そうかと思うとオリンピックの中継かなんかで女子のフィギュアスケートとか放送してたりして、だけどそれをラーメン食いながらいいトシこいたオヤジが割り箸を宙に泳がせながらぼおーっと見てるってのもなんだかゾッっとしない図だろ。

まあそんなわけでコルトレーンの〈Giant Steps〉ももうずいぶん長いこと聴いてなかったなあなんて、歯医者の待合室でふと思ったのであった。

歯医者から帰ってレコード棚のコルトレーンが刺さってるあたりを物色してみると、リッパな箱に入った2枚組みのジャイアント・ステップスが出てきた。いやーすっかり忘れてたぜ。これってたしかもう10年くらい前に衝動買いした45回転盤じゃないか。

だいたい興味がないから45回転の復刻盤なんてめったに買わないんだけどね。これはたぶん復刻したのがRHINOなのと(ライノによるATLANTIC諸作の復刻にはそれぞれ何かしらの『芸』があるからね)、マスターテープの箱を模したと思しきデザインのやけにリッパな箱が物欲を刺激したんだろうな。

今日はいっちょう、これを聴いてやろうじゃん。

コルトレーンの〈Giant Steps〉はおれが買ったジャズのレコードの最初の5枚にたぶん入ってるうえに、間違いなく初めて買ったコルトレーンのアルバムだった。10代のおしまいの頃だったがワーナーパイオニア盤のそいつを(なにしろ持ってるレコードが少ないから)何百回聴いたかわかんないくらい毎日毎日聴いたので、コルトレーンの音楽ってのはこういうモンだとこのアルバムによって刷り込まれてしまったんである。

写真の右端のヤツはそれから数十年たって買った、セカンドプレスとかサードプレスとかそのくらいのモノラル米盤で、聴き馴染んだ国内盤とは別物のエッジの立ったコルトレーンのテナーに腰が抜けそうになったもんだった。こういうのを知っちゃったから泥沼なんだよな。聴き慣れたレコードを、傷んで聴けなくなったわけでもないのに買い直すなんてのは、あんまり健康的なこととはいえないとわかってるのにヤメられない。

でまあ、ついデキゴコロでそれからまた10年くらいたった頃に、くだんのRHINOの45回転盤に手を出してしまったんである。それが写真まん中で、左端がその外箱なわけだ。


---


と、2か月くらい前、ここまで書きかけたところ後が続かなくなった。この先を書き足すかどうかわかりませんけど、ここしばらく更新してなかったのと、すぐアップロードするようなネタもないので『後続車両との運転間隔調整のため』にアップしました。すいません。

だらだらとマクラを振りすぎるからこうなっちゃうんだよね。きっとそうだって自分でわかってんです。わかってんですけど本題よりマクラのほうが好きなんですね、多分。重ねがさね、すいませんです。



by god-zi-lla | 2018-04-16 06:54 | 常用レコード絵日記 | Comments(2)
マイルスとコルトレーン最後のツアーの4枚組みCDボックスを買った_d0027243_06583354.jpg



それはさておいて、コルトレーン入りマイルスバンド最後のヨーロッパツアーはノーマン・グランツの仕込みで60年3月後半に行われたのだったが、メンツはほかにウィントン・ケリー、ポール・チェインバーズ、ジミー・コッブである。

そのファイナルツアーのうちパリ、コペンハーゲン、ストックホルムの様子を4枚のCDに収録したボックスセットを、COLUMBIAが〈THE BOOTLEG SERIES, VOL.6〉と銘打ってこのたびリリースしたんだけどね。

ようするにまあブート業者に小銭を稼がせとくのは業腹だから自分とこで「正式に」出してその「小銭」すら洗いざらいカスメ取ってしまおうっつう、世界を股にかけたグローバル企業(まあ世界を股にかけるからグローバルっていうんでしょうけど)による個人零細業者抹殺ミッションなわけだが、そういうわけでこの4枚のCDに未発表の発掘音源というのはひとつもない。グローバル企業様もワントラックくらい未知の音源をめっけてくるなりなんなり、少しは努力というのをしてもらいたいもんである。

ところで後半の2枚は60年3月22日ストックホルムのコンサート2セットを収録してあるんですけど、同じ音源を80年代のなかばにスウェーデンのドラゴンレーベルが2枚組のLPで出して、すぐさまそれをディスクユニオンが国内盤としてリリースしたんですね。それが写真のバックになってるジャケットなり。

表面のPPコーティングもヌメヌメと多色刷りのダブルジャケットに収まったディスクユニオン渾身のアルバムが、とうとう「海賊版」と認定されちゃったんである。

とかなんとか言っちゃっておれも買ってグローバル企業のアコギな商売に加担しちゃったわけですけど、なんとなればコペンハーゲン以外のコンサートを聴いたことがなかったから、この際だから買って聴いてみようと思ったわけだ。

そもそもおれはブート漁る趣味なんてないんだけどね。そのストックホルム盤はコンサートがラジオ放送された際いっしょにオンエアされたと思しき6分にわたるコルトレーンのインタヴューの肉声音源がB面のおしまいに収録されていて、さらにユニオンの国内盤にはその対訳が付いてたから買ったんだよ。演奏のトラックはオマケとまでは言わないにしても、コルトレーンの肉声なんて56年プレスティッジのマラソンセッションの「栓抜き、どこ?」しか聴いたことなかったし。

コルトレーンは当時アトランティックと契約していて〈Giant Steps〉をすでにリリース、マイルスのバンドを辞めるつもりでいるのをこの欧州ツアーには付き合えと引き止められて仕方なしに参加したというのは有名な話なわけだ。

だからかどうか、コルトレーンのソロは勝手放題である。ムリ言って引き止めたもんだから、きっとマイルス何も言えなかったんだろうなあってこのストックホルムを聴いたときに思ったもんだが、パリもコペンハーゲンもまるっきり同じ展開である。

マイルスが牽引してマイルスのバンドで「モード・ジャズ」というのを発明、コルトレーンもその一員としてマイルスに付き従ってモードの地平を切り拓いていったというのがジャズの歴史なわけだけど、コルトレーンはこの「モード」つう新兵器を使ってマイルスとは違うところへ行こうとしてたのが〈Giant Steps〉を世に問うた59年から60年のこの時期のことなんだろう。

しかしアレだろ。そうはいっても親方のバンドにいるときはおとなしく親方の流儀に従うってのがオトナの礼儀ってもんじゃないかコルトレーン。なんてことをつい言いたくなるようなヨーロッパのコルトレーンである。

まあ端的に言ってしまえばマイルスのリリカルなミュートトランペットの世界に、ゴリゴリなトレーンのジャイアントステップスの世界をムリムリつなぎ合わせて、しかもゴリゴリなトレーンの時間のほうがうんと長いというようなモンである。

バンドのサウンドとしてのまとまりもクソもない。おれはコルトレーンの長いソロは大好きだけど、この一連のコンサートに聴かれるソロは(運指の練習かというような)ただ長いだけで退屈する瞬間がいくつもあってさ。それでもおれはそもそもコルトレーンのテナーの音色が(この時期ソプラノはまだ吹いていない)好きだから聴いてられるけども、そうじゃなかったら聴き続けるのが相当に苦しいんじゃあるまいか。

マイルスがコルトレーンに、なんでそんなに延々とソロ取るのかって訊いたら、どうやってヤメたらいいかわかんないとコルトレーンが答え、それに対してマイルスが、そんなもんマウスピースから口を離せばいいだけだろと言ったっつう有名な逸話もあるけど、それはこのときの会話なんじゃないかと思っちゃうくらいだ。

どの演奏もライヴの放送音源だからお客の拍手やら歓声やら入ってるんだが、それを聴いてるとパリのお客がコルトレーンの長い長いソロにたいする気分をいちばん素直に表現してて、ソロの途中にどう聴いても好意的とは思えないタイミングで口笛が何度か(しかも一人二人じゃなく)飛ぶ。おらー、いつまでダラダラやってんだー! つう感じだな。

つうわけで、真っ当なジャズファンがほかにいくらでも買って聴くべきアルバムがわんさかあるのに、わざわざ高いカネ出して買うようなモンじゃございません。ブートはブートです。

だけど聴き所はいっぱいあるんだよな。マイルスはどこ聴いたってすごくいい。この安定感はたいしたモンだと思う。自分の後にコルトレーンがダラダラやるのがわかってるから目一杯自分が客を沸かさにゃならんと覚悟を決めてたのかもしれない。

それからウィントン・ケリーがこれまたいいんだよ。必ずコルトレーンの後にソロを取るんだけど、出だしは直前のコルトレーンのソロの雰囲気を引き継いでちょいドロドロめに入りながら、ごく自然にかっちょよく軽快なウィントン・ケリー節に変わってくるんだよね。これはうまいもんだなあと感心します。

だからコルトレーンにそう思い入れのない方は、自分がテオ・マセロになった気分でコルトレーンのソロだけハサミを入れて聴いて下さい、脳内で。

音質は放送音源でエアチェックじゃないから良い。んだけど、そもそもおれの持ってるディスクユニオン盤も音はとてもいい(国内盤まで出るんだから、少なくとも当時はブートじゃなくてスウェーデンの放送局が正規にアーカイヴからリリースしたんだろうな)。だから少なくともストックホルムのコンサートに限っていえば、音のためにわざわざLPからCDに乗り換えるような必要は全然ないね。

ちなみにこのボックス、輸入盤はタワレコ通販で3507円だったんだけど国内盤は七千円くらいするらしいな。ブルーなんとかCD仕様とかで。

まあこのお値段ならきっとコルトレーンのインタヴューの対訳は入ってるだろうな。対訳入ってなくて七千円はボりすぎというもんでしょ。じゃなくてブルーなんとかCDが高コスト?

おれにはカンケイないけどね。



(COLUMBIA/LEGACY 88985448392)

by god-zi-lla | 2018-03-27 09:28 | 常用レコード絵日記 | Comments(0)
コルトレーンのヴィレッジヴァンガード_d0027243_14573894.jpg
でモノラルレコードだけを依然聴いている毎日なのであった。

なのにいっぽうではニューアルバムのステレオ盤がいくつも溜まってきてしまっている。いや中古レコードを買ってるぶんにはいいんだ。ちかごろ買う中古盤のたいがいは買い直しだから中身がどんな音楽だかわかってるから別段急がない。だけどホヤホヤの新しい録音のアルバムはやっぱり早く聴いてみたいじゃん。

まあ最近のニューアルバムのLPって同じ内容のCDもオマケでくっついてることが多いからそれを先に聴いたっていいようなもんではあるが、しかしそれってなんだかアレだよなあって気がしないでもないわけだ。わざわざCDじゃなくてLPを買おうと思ってLP買ってんのにさ。オマケのCDが先だなんてさ。

それはともかくとしてだな。せっかくモノラル針をつけてる間になにを聴いてやろうかと、ふと思い出したんだがコルトレーンのLIVE AT THE VILLAGE VANGUARD(impulse! A-10)をずいぶん長いこと聴いてないような気がしたので引っぱり出した。そうなんだよね。めっきり聴かなくなっちゃってんだ、この天下の大名盤を。

このアルバムが作られたヴィレッジヴァンガードのライヴっていうのは3日間にわたってたくさんの曲がプレイされていて、それはヴァン=ゲルダーによってすべて録音されたわけだけども、当然この1枚のアルバムに収録されなかったトラックが山ほど残った。で、それらは後年べつのアルバムに収録されたり、あるいはコルトレーンの死後ずっと後になってからコルトレーンの未発表トラックばかり集めたコンピレーションアルバムとしてリリースされてきたわけです。

もちろんCDになってからも何回かヴィレッジヴァンガード集がリリースされたんだけど20世紀もおしまいのほうになって写真の右のほうに写ってるコンプリート版が登場したんだな。

この写真に写ってるジャケットのLPはモノラルの初期盤だけど、じつは買うときに若干躊躇しないでもなかったんだ。というのもウチのレコード棚には古い国内盤は言うに及ばず何種類かのコンピレーションアルバムがあるところへ最初のころに出たCDに加えて写真のコンプリート版まで揃ってるわけで、しかもエリック・ドルフィーのファンとしてはドルフィーを聴くんだったら出番の少ないオリジナルアルバムよりもコンプリートCD聴いてたほうがずっと良かったりするんだよ。

だけどまあ、それはそれかなと思ってね。名盤だしね。それに、いちおうドルフィーの加わってる正規盤はオリジナルかそれに近い初期盤で持ってたいというのがあったもんだから買ったんだけども、買ってみるとやっぱりあまり聴かなかった。コルトレーンだったら同じようにモノラルのオリジナルを手に入れたバードランドのライヴ盤のほうが聴く頻度が高かったりしてね。ちょっと可哀想だよな。

だから多分このオルトフォンCG25Diで聴くのは初めてな気がした。

このステレオ初期、ルディ・ヴァン=ゲルダー録音のコルトレーンはプレスティッジだろうがインパルスだろうが左のスピーカーにぺったり張り付いて、たぶん当時彼が自分でこれを聴いてたらマズいと思ったんじゃなかろうかと思うんだが、彼がもっぱらモニターしてたのはプレイヤー全員がピシっと1点にいる1本のスピーカーだったことが当人の口からバレている。だからステレオ時代とはいえヴァン=ゲルダーの録音したレコードはモノラル盤で聴くほうがずっと自然なのは当たり前としか言いようのないことだったんだよな。

つうわけで、このレコードもじつに気持ち良くコルトレーンのソプラノが中央から吹き上がってきて、リズムセクションはちゃんとトレーンとドルフィーの後方にいるのだったが、この良いモノラル録音の前後感というのがじつに気持ちのいいモンなんだなと気づいたのも、モノラルカートリッジを買ってから後のことなのだった。あーやっぱり、このレコードを聴かない手はなかったな。

叶うことなら(まあ、とうてい叶わないでしょうけど)ぜひこの写真右下に写っている黒箱の中の全4枚のCDに収められたヴィレッジヴァンガードの全貌を、何枚になるかわかりませんけどモノラルのLPレコードによるボックスセットで出し直してくれないもんかなあ。どうせユニヴァーサルみたいなメジャー会社じゃムリでしょうからモザイクレコードとかでやってくんないかなあ(ステレオ版は不要です)。

あのさ。このボックスのDisk4のまん中あたりに入ってる演奏時間15分くらいのMiles' Mode、これなんかコルトレーンもヤバいけどドルフィーはもっとヤバいトンでもないトラックだから、こういうたしか一度もLP化されてない演奏をしかもモノラルLPにしてくれたりしたら、きっと世界中の大勢のジャズレコードファンが悶絶しますよ。いやほんとに。
by god-zi-lla | 2014-03-20 14:57 | 常用レコード絵日記 | Comments(2)
あ、絵だ。(John Coltrane/Lush Life)_d0027243_11401262.jpg
おれは東京でもう一度オリンピックやることには大賛成なんだ。ガキのころ聖火リレーに始まって巨大な運動会みたいに見えた青空の開会式や昭和天皇の開会宣言やボブ・ヘイズの力走や円谷さんがヒートリーに抜かれた残念なシーンやばかでかいヘーシンクや東洋の魔女や、とにかくあれほど片っぱしから強烈な印象のイベントっておれにはあのあとひとつもない。だから生きてるうちにもういっぺんあれが見られたらなんて楽しいんだろうと思う。

だけどいまは時期があまりにも悪すぎるよ。大震災から2年半しかたってなくて原発事故は収束どころかいまも進行中だし大都市以外の復興はあまり進んでなくて自分が住んでいた家へ帰れない人がまだ数十万人の単位でいる。つまり日本にはオリンピックより先にやらなきゃなんないことがまだまだ山ほどある。

だから、いっそ20年30年後に国じゅうクリーンにして出直してきますから、そのときは世界じゅうのみなさん是非ヨロシクねって今回は退場しほうがよかったと思う。

こういうこと言うとあれですけど、おれは五輪やりたい派がそのために汚染水対策を急ぐのがなんという不埒な考えなんだと思ういっぽうで、もともと五輪やりたくない派がやりたくない主張の「補強」のために震災復興の遅れや原発事故を持ち出すのも、心根のどっかに共通したもんがあるように感じられて結構、いや相当、いやハッキリいってスゲー気分良くない。

結果が出る前に、とりあえず書き留めとく。

それはともかくとしてプレスティッジレーベルのコルトレーンのLush Lifeなんだが左はもともと持ってたOJCの復刻でジャケットはオリジナルのコピーなんです。それがたまたまプレスティッジには珍しくないレコード番号変えてジャケットデザインをいじった再発盤のLush Lifeを見つけたのが右のやつで一瞬タイトル文字と刷り色をいじっただけかと思ったのが、あれ? これって絵じゃん。

オリジナルデザインのほうには写真かデザイナーかわからない判読不能のサイン(途中にandとあるので二人ぶんの名前らしい)が入ってるんだけど、これが通常この時期のプレスティッジのジャケット写真をよく撮ってるドン・シュリッテンとはどうも読めないんだ。そしてその同じ写真をもとに描かれたとおぼしき再発ジャケットにはIrving Riggsってサインが書き込まれてる。

んー、絵ってのがなあ。ハッキリいってケチくさいプレスティッジがよりによってオリジナルジャケットと差し替えるのに新しくポートレート写真をモトにしたイラストレーションをわざわざ起こすなんて、なんかちょっと信じられない感じがする(どーでもいいようなことでスイマセン)。

でね。もうちょっと調べてみたらどうもこのアーヴィング・リグスって人はここのまん中にあるサイケ調のやつ、これも同じプレスティッジの再発ジャケットをデザインした人でもあるらしくて、そういえばこの肖像画のコルトレーンとレコード番号もすぐ近所なのだった。

そもそもLush Lifeってアルバムそのものが57年と58年の録音セッションの寄せ集めでレコード番号からするとコルトレーンがアトランティックに移籍したあとの60年ころにリリースされた、それ自体がプレスティッジレーベルに山ほどある残りモノで延々と稼ぎまくる盤のひとつだから再発もへったくれもどーだっていいようなモンではありますけど、プレスティッジで写実的な肖像画のジャケットっていうとドルフィーの横顔がジャケットの一部に描かれたOutward Boundくらいしか思い出せないから、ちょっと珍しいんじゃないですかね。

で、おまいさんはその程度のことでこのレコードを買ったっていうのかい。
いやまあその、じつはそうなんです。すいません。安かったし。

もともと持ってるのがOJCだしね。ここいらへんのやつはお値頃感のある古い盤を見つけたらサイフと相談しながらぽちぽちと買い直してるわけなんですけど、それもあってね。VAN GELDERの刻印はあるんだけど擬似ステレオの表示がジャケット上部にあるから(レーベルにもSTEREO表示)安いんだ。

でもさ。経験上プレスティッジの擬似ステにはときどきどう聴いてもこれってモノラルじゃないのってのがあってさ。まあ当たり外れはあるんだけど当たればかなりトクした気分になれます(外れると擬似ステレオ特有の気色悪い音を聴かなきゃなんないけど)。で、これは当たりだった。うれしい。OJCも悪くない音だけどいかにもヴァン・ゲルダーっぽいエコー感みたいのは見事になくなってる(だから逆にOJCのがいいという人がいても不思議じゃないと思うけど)。

でまた絵のハナシに戻るんですけど、この再発盤が出たのは裏解説の筆者名のあとにある1968という数字から推すとコルトレーン没後1年くらいのことらしい。そうするともうトレーンはジャズ史に名を刻まれた巨匠になってたわけで当然追悼盤的な売られ方をしたに違いなくて、そうすると当然商売としたらけっこうな儲けが見込まれたんではあるまいか。

だからふだんはしみったれなプレスティッジがちょいとジャケットにお金を張り込んで肖像イラストを起こしてみたりしたのかもしれない。

中身はというとA面がアール・メイ(b)とアート・テイラー(ds)を従えたコルトレーンには珍しいピアノレストリオで、B面はレッド・ガーランドのリズムセクションにタイトル曲だけドナルド・バードのトランペットが加わったセッションになっている。どっちもコルトレーンが疾走を始める前の演奏で比較的テンポのゆったりとしたトラックばかりで、おれとしたらちょっと物足らない1枚ではあるんだけど、まあ聴きやすいといえば聴きやすい好演奏揃いの好盤だと思う。

ところでこの擬似ステレオ表示(このアルバムだとThis Album Has ELECTRONICALLY REMASTERED For STEREO、大文字小文字の区別も原文どおり)があるくせに聴けばモノラルなレコードですけど、もしかして擬似ステ加工してないモノラルのマスターをステレオ用のカッターヘッドで切っただけなんて横着あるいは手抜きがあったのではなかろうかと、ふと思ったんだけどどうなんですかね(おかげでこっちはうれしいんだけどさ)。

この時期ヴァン・ゲルダーがマスタリングしたステレオ盤てVAN GELDERの刻印のほかに必ずSTEREOって刻印が入ってると思うんだけど、このアルバムのデッドワックスにそれは刻まれてないんだ。
by god-zi-lla | 2013-09-07 07:58 | 常用レコード絵日記 | Comments(9)
ん?
A面がB面で、SIDE 2はSIDE 1です(Coltrane Plays the Blues)_d0027243_14271218.jpg



だよなー。
A面がB面で、SIDE 2はSIDE 1です(Coltrane Plays the Blues)_d0027243_14272994.jpg



ほら。
A面がB面で、SIDE 2はSIDE 1です(Coltrane Plays the Blues)_d0027243_14274248.jpg


上のレーベル写真がついさいきん買った〈Coltrane Plays the Blues〉の初期盤で、下のやつは若いときに買って以来ずぅーっと聴いてきた70年代末くらいのプレスのUS盤の、りょうほうともA面なんです(見えにくかったら写真クリックしてちょ)。

じぃーっと見ていただきますと、
ヘンでしょ。

ようするに上の初期盤たらレーベルの「SIDE 1」「SIDE 2」の表示を入れ違って印刷しちゃってんです。しかしまーよりによってこんなところにっつう、非常に目立つとこに誤植って出ちゃうんだよなー。こまかいとこ必死に校正してんのにさ。なぜか赤えんぴつが通った形跡もなかったりして。

いやまあそれはいいんだけどさ。

レコードかけるときってほかの人はどうだか知りませんけど、おれはのフルニエのバッハみたいにややこしいやつとか、このレコードのこの曲だけ聴きたいって場合を除けばA面B面確認するだけで、ふつうレーベルに印刷してある曲名なんか見もしないよ。

だから、こっちがA面だよなってたしかめてターンテーブル乗っけて針下ろして当然鳴るべき曲が鳴らなかったときってば、「あれぇ、また見間違っちゃったぜ。さいきんよくやるよなー。老眼の度が進んじゃったのかねえ。やだねー」なんつうのがまあ、近ごろはよくある自分の反応なわけです。

ところがそうじゃないわけだ。
たしかに印刷してある曲が鳴ってんの。でもそれは本来A面アタマの曲じゃないわけ。
こいつは、つまりここでいいますと「Mr.Day」って曲はB面アタマの曲なわけだ。

それがいきなりA面アタマで鳴ったから驚いたんでした。

こういうこともあるんだねえ。
たしかウチにもA面B面レーベルそのものを貼り間違ったレコード1枚あったと思うんだけどさ。それだとたまたま1枚間違っちゃっただけのことかもしんないわけだけど、でもさー、これは「SIDE 1」と「SIDE 2」をミスった誤植だからなあ。このとき刷った分まとまってなん百枚だかなん千枚だか、こうなっちゃってんでしょうねえ。

けどさ。これってコルトレーン本人が知ってたか知らなかったかわかんないけど、知ってたとしたって全然気にしなかったでしょうね多分。だってここにならんでる曲名っていかにも思いつきでテキトーにつけましたってのがミエミエっつうかさ。1曲にミスターってつけちゃったから、あとのやつにもミスターつけたとか、じゃあ反対側は全部ブルーズ・トゥにしちゃおうぜ、みたいなノリでしょこれって。

だいたい「Blues to Elvin」てエルヴィン・ジョーンズ作ってクレジットされてるけど、ふつう自分の曲にこーゆータイトルつけねーだろ。テキトーつうより、そんなことどうでもよかったんでしょうね。やった曲の名前なんて。一種の整理番号みたいなもんで。

だからSIDE 1だろーがSIDE 2だろーが、やっぱりこんな誤植はたいしたモンダイでもなかったってことだろうな。ようは溝に刻まれた音楽そのものなんだって。

つうわけで、おれいつもこの〈Coltrane Plays the Blues〉を聴いて思うんですけど、コルトレーンのレコードのなかで独特の明るさっていうか、コルトレーンが自分の能力と未来を肯定的に見つめて演奏している貴重にも穏やかな一瞬というかな。そういうものをこのレコードから感じるんだけどさ。

このレコードって全曲60年10月24日のたった1日。この日のセッションのテイクだけで出来てんだそうですけど、もしかするとこの日のコルトレーンの心持ちがそういうふうだったのかもしれないと思ったりしてさ。天気がすごく良かったとかね。前の日になんかいいことあったとかさ。出がけに飲んだお茶に茶柱立ったとか。なんだかわかんないけど、そういうものの反映。ほかの日の録音が混ざってないから、通して聴くとそれが滲み出てくるというか。

とにかく、いつもなにかに向かって突き進んでいくあのコルトレーンとはちょっと違う空気が感じられて、でもやってることはどの曲も当たり前のハードバップなんかで終わらない結構ハードでプログレッシブな、多分この時代コルトレーンのバンドしかやれないことをやってたんだと思うんだけどさ。

ドラムスにエルヴィン・ジョーンズ、ピアノにマッコイ・タイナーを得て、あともうちょっとであの「至高のカルテット」っつう、なんというかな。自分の求める音楽のすべてをカタチにできる理想のバンドがいまや完成直前だという高揚感と余裕の時代でもあったのかもね。

そういうものを土台にしたうえで、それでもなんとなくその1960年10月24日の、まさにその日の空気ってのが、おれはやっぱりこのレコードからきこえてる気がしてならないんです。

れいによって勝手な思い込みですまぬ。
by god-zi-lla | 2010-06-11 14:27 | 常用レコード絵日記 | Comments(0)
なんだ、これかよ(John Coltrane / LIKE SONNY)_d0027243_20472381.jpg
夜になって突然の雷雨だぜ。どーなってんですかいったいこの天気ってば。

きょうは昼間もATM行ってそのままぶらぶら散歩しようかと思ったら青空なのに雨。あわててウチに帰って洗濯物取り込んだりしたしさ。やっぱどっかヘン。

若きコルトレーンの精悍な写真に目が行って、それに安いもんだからつい買っちゃったんだけどさ。うーむルーレットレーベルじゃんかよ。もしかしたらもしかしてんじゃねーかと思って確かめたら、やっぱもしかしてました。わははは。やられたぜマイケル・カスクーナに。

下敷きになってるレコードはさ。いつ買ったかも忘れた(こればっかですまんね)古い古い国内盤の〈TWO STARS AT BIRDLAND〉ってルーレットレーベルの非常に胡散臭いレコードでさ。A面コルトレーンにB面リー・モーガンつう、なんじゃこりゃあーなカップリングの中途半端な、しかしそれなりに、つかそのために有名だったりもするレコードす。

しかも「AT BIRDLAND」とかいってライヴ録音のふりしてるけど、ウソ。

いやーこの〈LIKE SONNY〉ってレコードもジャケットにルーレットレーベルのロゴ印刷してあるんだからピンとくりゃよかったのに、こーゆーとこ基本的にドンなんだよなーおれって。コルトレーンの写真見て、そんだけでうれしがっちゃって衝動買い。

案の定1曲別テイクが増えてるだけでこいつら2枚はおんなじレコードなんでした。
ただしA面のみ。

じゃ、B面は?

リー・モーガンはどこかに消えてB面はレイ・ドレイパー入りのバンドでコルトレーンが吹いておりります。あのチューバの人のレイ・ドレイパーね。念のため申し上げますとモトのB面のリー・モーガンのバンドはコルトレーンとはまったく関係ないからね。リー・モーガンとウエイン・ショーターのバンド。

こいつはちょっと調べたらあれなんですな。B面はチューバッカー。じゃなくてレイ・ドレイパーのリーダーアルバム〈チューバジャズ〉で、さらによく調べますてえとCDだとこのドレイパーのアルバムがどうもまるごと収録されてるみたいじゃんか。

しかしLPだとさすがにアルバム1枚そっくりそのまま入れられないんで3曲だけ抜粋した模様。まったくなんてテキトーな仕事なんだ。

んー。モトがモトモトチューバハンパじゃなくて中途半端なアルバムだったのに、べつのLPの一部分を入れるなんてことするもんだから、二重に中途半端なレコードになっちゃってるじゃんか。ややっこしいなあ。

ルーレットレーベルは持ち前のエエコロカゲンさを、しかし貫き通してるともいえるけどさ。

しかしひどいぞマイケル・カスクーナ。あんたはもうちょっと良心的なプロデューサーだと思ってたのに、いつからルーレット的プロデューサーになっちまったんだ。おいら見損なったぜい。

しかしまあそうはいったところで、じゃあ残りのチューバッカーもアンタは聴きたいのかって言われたら、まあこの抜粋だけでじゅうぶんですって言いそうだけどな。そこいらへんまでカスクーナの旦那はお見通しってこと? つまらん演奏のカス食うなってか。まあいいんですけど。

農家の軽トラ(チューバッカーじゃなくてドレイパー)が田舎の高速道路をノッタラノッタラ走ってる横を、最新のスポーツカー(コルトレーン)が相対速度差150km/hで抜き去ってくみたいな演奏だもんな。

A面もB面もコルトレーンは颯爽としてます。まだまだあのコルトレーンになりきってない、至高のクァルテット結成直前の、まさにこのジャケット写真のとおりのコルトレーンがそこにいる感じ。

もちろん同じ時期の演奏だったらほかにいくらでも重要なレコードがあるわけで、コルトレーンのアルバム所持枚数20枚未満の人が買うようなLPじゃぜんぜんありませんけどそこがやっぱりコルトレーンつか、こんな中途半端なレコードだって聴きごたえはじゅうぶんにあるもんな。
by god-zi-lla | 2009-10-14 20:47 | 常用レコード絵日記 | Comments(0)
たまに聴いてみると違うことも考える(John Coltrane / BLUE TRAIN)_d0027243_844887.jpg
いつも思うんだけど、どーしてこうビミョーにデザインいじりますかね。まったく別デザインのジャケットに差し替えるならともかく、なにか当時の製版印刷製函工程に隠されたやむを得ざる事情でもあったんでございましょうか。

それにしても両方ともリード・マイルスがデザインしたとクレジットされとりますけれど、手前のやつのほうが文字の扱いが明らかに凡庸。これ勝手にだれかがいじくったんじゃないかね。そんな気がしますけどね。

えーこれまたおれのレコード棚じゃ毎度毎度のことでございますけれども、むこう側おそらくはオリジナルデザインに近いほうがキングレコード謹製の国内盤。30年以上の長きにわたりお世話になってまいりました。手前ジャケット改変盤はこのたび手に入れたリバティープレスのたぶん60年代後半のプレス。RVG STEREO刻印入り。

おれ最近はこの〈BLUE TRAIN〉てレコードそんなに好きでもないんだよね。ちかごろよく聴くのはどうしても〈至上の愛〉以降のインパルス盤にが多くなってるような気がする。逆にだからオリジナル盤欲しいと思ったりしないし、まあBLUE NOTEの1500番台のオリジナルを欲しいなんてだいそれたことはカネ持ってないんだからそもそも考えたことないし。

それにはっきりいやあ、もともとあんましBLUE NOTEってレーベルが好きじゃないんだな。まあコルトレーンのリーダー作はこれ1枚っきゃないし、ドルフィーも1枚しかないなんてこともありますけどね。そんなことよりなにより。

ちょっと世間はチヤホヤしすぎ。

まあそういうことでございます。アマノジャクってんでしょうかね。ゴマメの歯ぎしりのようでもありますしね。でもちょっと持ち上げすぎだと思うよ。アルフレッド・ライオン神格化されすぎてないですか。

ウェイン・ショーターの伝記読んでたらジャズ・メッセンジャーズのレコーディングのときライオンがブレイキーに「もうちょっとファンキーなやつもやって」って言ったらブレイキーが「なにをやるかはおれが決める。ごちゃごちゃ言うな」みたいに一喝して、ショーターはそれを見て売れセン狙ってばかりのプロデューサーに対してミュージシャンとしてのブレイキーのプライドを感じたように書いてあった。

ちがうじゃん。世評と。

まあそれはともかくとしてだな。そんなこんなで買い直すならオリジナルじゃなくてこのあたりがいいセンかなと思ってたら出てきたもんで手に入れたわけです。お値段はいまどきの高品質リマスター重量盤と同じくらいかちょっと安いくらい。すごくいいとこでしょ。お値段的にさ。

で、ホント久しぶりに聴いてみたんだけどさ。聴きはじめてしばらくして思ったのは
「あ。これってジャズ・メッセンジャーズじゃん」

なんかこういう3管のアンサンブルのかっちょよさってのは、もうジャズ・メッセンジャーズが作ったもんだよな。この盤の前か後かも同時に在団したことあるのかもよく知りませんけど、考えてみりゃリー・モーガンもカーティス・フラーもジャズ・メッセンジャーズのメンバーだったんだもんな。

そういう先入観もあるのかもしれないけど、これはやっぱジャズ・メッセンジャーズぽい。で、それがたぶんブルーノートっぽさでもあって、つまりアルフレッド・ライオンはブレイキーに怒鳴られたりしながらもジャズ・メッセンジャーズが好きだったってことなんでしょうけどね。

あと聴いててつくづく思ったのがリー・モーガンてかっちょいいよなあってことね。とにかくいつどこでなに聴いてもこの人のトランペットはかっちょいいよね。

いつどこでなに聴いてもかっちょいいトランペッターつうことでいうとマイルスと並ぶ存在なんじゃないでしょうかね。
なにしろ才気走ってるし、音色が輝かしくてハイノートヒッターつうことじゃマイルスより上だろうしね。

ちょっとコルトレーンかすんでますね。
このちょいとかすんだコルトレーンてのが普通のジャズファンとかブルーノートレーベルファンとかには、きっとちょうどいい感じなんだろうな。それにジャズ聴きはじめの若かったおれとかさ。

いやとにかく聴き始めたら、ほとんどのフレーズをレコードに合わせて口ずさめるのね。そんくらい昔はくりかえし聴いたってことだもんな。

それがコルトレーンをもう少し深く聴きはじめちゃうと「コルトレーンにはまだまだ先がある」ということがわかってしまって、このジャズ・メッセンジャーズみたいなコルトレーンが物足らなくなっちゃうんだろうな。

コルトレーンファンとしちゃところどころモーガンに負けてるような感じがするのがちょっともどかしかったりしもしますけど、比較的最近リー・モーガンの良さに開眼したおれとしたら、あーこのレコードにはこういう良さもあったのかあと今回ちょっと見直したりもしたんだよな。いやまったくさ。

音はけっこうガツンとくる。東芝にくらべるとキング盤はずいぶんいいと言われちゃいますが、すいませんけどジャケット改悪のこのリバティー盤のほうがずっといいじゃんか。ちかごろはキング盤てオビ付きの美品だとこのあたりのリバティー盤よか高かったりするケースが多いんだけどね。
by god-zi-lla | 2009-01-24 09:32 | 常用レコード絵日記 | Comments(2)