神はどーだっていいとこに宿る


by god-zi-lla
たまには王道の名盤でもどうっすか(The Popular Duke Ellington)_d0027243_17355083.jpg



来週は上野のコンサート、三宅坂の歌舞伎、池袋の芝居と三つもあったお楽しみが揃いも揃って全部中止になっちまって、なんかもう、ずずーんと気分が沈んじゃう今日このごろである。

まあこういときはやっぱ室内遊戯なんでしょうかねと思わんでもないが、どこも人出が少ないんであればお出かけしたほうが安心だったりしてさ。この時期、梅見はもう仕舞いかね。

しかしアレだよな。少なくとも根も葉もないデマに付和雷同してトイレットペーパー買うのに押し合いへし合い行列したりするのは、どう考えたって「本末転倒」ってモンだと思うよ(ホントに落とし紙が足らなくなって買いに行った人は困ったろうな)。

なんだか気詰まりなこういうときこそ、穏やかに心安らかに聴けるポピュラーな名盤だよ。あんましムツカシイもん引っぱり出して聴いてると眉間のシワがどんどん深くなっちまうんじゃあるまいかしらん。

つうわけで、たんなるコジツケなんですけど〈The Popular Duke Ellington〉である。ポピュラーなデューク・エリントンである。カタカナにしただけである。

いわゆるひとつの「エリントンナンバー」のなかでもひときわ有名どころが〈A列車で行こう〉を先頭に揃いも揃ってA面B面を占めている。だからポピュラー・エリントン。つまりそのまあ、なんつうか「ベスト盤」のようなモンといっても悪かないのではあるが、間違っちゃいけないのは既発盤からの寄せ集めじゃなく、このアルバムのために録音されたトラックがすべてである。

写真の右側は40年近く前に買った(最近こんなんばっかでスマンね)国内盤ですけど、そこに封入されている油井正一先生の日本語解説によればこのアルバムはハリウッドのRCAミュージック・センター・オブ・ザ・ワールドで66年5月9〜11日の3日間で録音されたとあり、それは二度目の来日公演の直前だったと油井先生は書いている。なるほど。

そして先生は続けてこう書く。


「エリントンはこれ以前にも何度か代表作の再演を行っておりましたが、ステレオ時代になってからは初めてのことであり、基本的なエリントン・カラーの上に、今日的なアダプテーションが施されている点でも、感動を誘わずにはおかぬ名盤となりました」


ここんとこ読んで、なるほどなあと思うまでに、じつは40年近くかかってしまった。なにしろ「ポピュラー」と名乗るくらいだから人口に膾炙したナンバーを一丁上がりで再演したお手軽盤くらいに思ってたし、実際聴くとハタチ過ぎの初心者の耳にもスルスルと入っていく心地良いオーケストラサウンドだからさ。

ところでね。このアルバムは音が良いことでも結構知られてるんじゃないかしら。そもそもビッグバンドジャズってのは、オーディオ装置にとっちゃなかなか厄介なシロモノではあるわけだ。少なくとも20代のころのおれのステレオ装置にビッグバンドジャズの再生は相当荷が重かった。とくにクライマックスでホーンが一斉に咆哮するとこにさしかかると、咆哮どころかほとんど音楽は崩壊状態でスピーカーは闇雲に絶叫するばかりで、慌ててアンプのボリュームを下げたりして。

それがこのアルバムだとそうはならなくて、安っちい装置でもそこそこ楽しめる音で鳴ってくれる。必然的にビッグバンドジャズといえばこのアルバムを聴くことが多くなるいっぽう、ほかのビッグバンドジャズのアルバムにはなかなか手が出ないっつう時期がずいぶんと続いたもんである。

で、ふと思ったんだけど、油井正一先生が「今日的なアダプテーション」と指摘したのは勿論その当時の音楽の流行だとかバンドメンバー、ソリストの顔ぶれとかに合わせてアレンジをアップデートしたってことが第一義ではあったんでしょうが、なにしろ大企業RCAの出すレコードだ。

もしかしたらレコード会社、プロデューサー、エリントン含め関係者は1966年当時の電蓄よりはちょっと高級なハイファイ装置でもって、中流家庭のオトーサンがリビングルームでゆったり快適に聞ける(つまりナイトクラブやダンスホールあるいはコンサート会場とは違った)家庭用ビッグバンドサウンドってのを拵えようとしたってことがあったりなんかしたんじゃないか。

つまりそういうアレンジに加えてレコードに刻むサウンドにまで「今日的なアダプテーション」を施した結果がこの無類の快適さなんじゃあるまいか、なんてことをちょっと思ったりもしたんでした。

いやもちろん、いつもの通りおれの勝手な妄想でしかないから信用しないように願いますけどね。

とにかくそんくらいこのレコードにはジャズリスナーの初心者・マニアを問わず、ステレオ装置の安物・高級も問わない快適なレコード音楽ってのがみっしりと詰まってる感じがするんだよな。

たとえばさ。油井先生が書いている通りこのレコードは日本およびアジアツアー出立前に録音されており、たぶん帰国直後にこんだは〈極東組曲〉を同じRCAに録音してるわけだ。

もちろんこれは全曲エリントンがアジアツアーの印象をもとに書き下ろしたもんだから、まあエリントンのコアなファン向けでもあったろうから内容からして前作とはまるで性格が違うわけなんだけど、収められたサウンドの傾向もなんかちょっと尖った感じで〈The Popular Duke Ellington〉とは違うような気がする(そう思って聴くからかもしれないけど)。

だからやっぱりね、選曲、アレンジだけじゃなくてサウンドやジャケットデザインまでトータルとして「ポピュラーなデューク・エリントン」つうレコードを非常に意識して作ったんじゃないかって思ったりするんだよ。

いやそんなことを考えるようになったというのも先日写真の左、ほとんど違いがわかんないでしょうけど〈The Popular Duke Ellington〉の初期盤を、飲み会の時間調整のつもりで入った新宿ユニオンで見つけて買ってしまったのがキッカケでね。もちろんおれが買うんだからジャケット表裏に手書きのラベルが貼ってあったり書き込みがあちこちにあったりするキチャナイ徳用盤なんだが、さいわい盤そのものはほぼ無キズでノイズもほとんどない。

いやー聴いてみると案の定というか、国内盤でもじゅうぶんいい音だと思うんだけど、もう40年楽しませてもらった国内盤を聴くことはないかもなあという、なんつうかもう一段艶が乗りパワーも加わった感じのする音でね。ひょっとしてこれはたんなるお手軽再演盤なわけはないぞ。最初から「気軽に聴けるデューク・エリントン・オーケストラの名盤」にするつもりでエリントンとレコード会社が練りに練って作り上げたアルバムに違いない。そう信じたくなる音なのであった。

ところで話は変わりますけども、我が家のスピーカーJBL L101ランサーは1965年に登場している。このアルバムの1年前だ。ひょっとしてこのへんのスピーカーで聴かれることを想定してたかもなあなんて、それはハナシとして出来すぎってもんですかね。

それで、いまちょっと検索してみたらあのAcoustic Research AR3aも1966年発売だった(オリジナルAR3は59年)。もしかするとこの時代、アメリカの中流家庭のリビングルームに無理なく収まる高性能な家庭用ハイファイスピーカーが次々登場したブレイクスルー期だったってことがありますか? そこをエリントンとRCAは狙い撃ちした? んー。ひょっとしたら、出来すぎということもないのかもしれない。




こうして芝居もコンサートも中止になった憂さを妄想で晴らす日々なのであった。


たまには王道の名盤でもどうっすか(The Popular Duke Ellington)_d0027243_17360776.jpg



国内盤 RJL-2515(油井正一の解説は必読。和文ライナーはこうでなくっちゃ)
米盤 LSP-3576








タグ:
by god-zi-lla | 2020-03-02 11:04 | 常用レコード絵日記 | Comments(2)
人生シンドイことばっかじゃないぜと(さようならライル・メイズ)_d0027243_16014292.jpg


ピーター・バラカンのラジオを聞いてたらライル・メイズが亡くなったんだという。なんでもここ10年くらいはもう音楽の仕事をしてなかったみたいだ。これでPMG=パット・メセニー・グループの最終アルバムは2005年の〈The Way Up〉になっちゃったってことだろうな。

ライル・メイズは上の写真の右端、グラブとボールが乗ったキーボードを弾いてる黒メガネの長髪野郎である。

もう何遍もブログに書いてる気がするけど70年代のケツから80年代はじめにかけて、おれはパット・メセニー・グループのレコードに助けられてきたようなところがある。人によっちゃあそれはチャラチャラした単なるハヤリもんのフュージョンミュージックにしか聞こえなかったかしんないけど、まあそういう人とおれはアカの他人だ。

そうクヨクヨしなさんな、今を抜ければきっといい日も巡ってくるさ。おれにとっちゃ40年くらいむかしのその時期、パット・メセニー・グループのレコードは日々そう励ましたり慰めたりしてくれる音楽なんであった。

もちろん今だってヤツらのレコードをかけるとそういうふうに聞こえてくるんだが、そういうふうに励ましたり慰めたりしてほしいと切実に思うことは(うれしいことなのか残念なことなのかわからないけど)おれのほうにもうない。

ライル・メイズの音楽については4年くらい前のエントリーでこういうふうに書いた。読み返してみると、いまもそのとおりのことを思ってるのでとくに付け加えることもない。

ただ、ここ10年くらいはもう音楽活動をしてなかったと聞くと、ライル・メイズの音楽というのはパット・メセニーとともにあってこそ光り輝く種類のものだったんだろうなあと、あらためて思わざるをえない。だけど逆にいうと、パット・メセニーもバンドにライル・メイズを得なければ、ああやって世界に出て行くためにもう少し余計な時間を必要としたんじゃあるまいかって気がする。

上の写真は80年のアルバム〈AMERICAN GARAGE〉のジャケットの裏だ。ECMはトリオが国内盤を出していて、ジャケットのまん中らへんに懐かしいロゴが印刷されてる。これをたぶん発売すぐに買ってきて(ECMの本国盤は枚数が出回らないうえに値段も高かった気がする)毎晩毎晩繰り返し繰り返し聞き続け、そして助けられる日々だった。

10年くらい前にドイツ盤のオリジナルも手に入れたけど、だけどまあライル・メイズが亡くなったと知ってごく個人的な感傷に浸るならこっちだと思った(おんなじ絵柄だけどさ)。

もうPMGのリユニオンは永遠にないんだな。メセニーが古希を迎えるころにはと少し期待してたんだけどさ。あったとしてもライル・メイズ抜きのPMGに意味を見出すのは難しい気がする。少なくともおれには。

ライル・メイズは53年生まれで享年66歳だったそうだ。



人生シンドイことばっかじゃないぜと(さようならライル・メイズ)_d0027243_17322301.jpg



去年手に入れた88年のライル・メイズのアルバム。そのうちブログになんか書いてやろうと思ってるうちに日が過ぎて、本人が死んでしまった。

ゲフィンのアルバムで、エグゼクティブ・プロデューサーとしてパット・メセニーの名前がクレジットされている。ジャケット右上に貼ってあるステッカーには「パット・メセニー・グループのキーボーディスト」とある。

それはそうなんだけど、ちょっと寂しいかな。



---

(追記)
いま突然思い出したんだが、〈AMERICAN GARAGE〉はラジオでA面1曲目〈(Cross The)Heartland〉がかかってるのを聴いてイチコロでヤラれた。それですぐにアルバムを買いに走ったんだった。





by god-zi-lla | 2020-02-23 23:27 | 常用レコード絵日記 | Comments(0)
裏新宿が今年のライヴ納めか_d0027243_11355262.jpg



おとついの12月23日、山下洋輔トリオの結成50周年コンサートへ行ってきた。新宿文化センターというと大久保つうか裏新宿つうか歌舞伎町の隣り町つうか、しかし行ってみて気づいたんだけど、ひょっとしておれここ初めて入るかな。

日比谷野音の40周年のときは菊地成孔がゲストで出て、あー国仲勝男もいたかな。それに相倉久人が司会だったけど相倉さんは惜しくも先年亡くなってしまった。

もちろん歴代のメンバー中村誠一、坂田明、林栄一、森山威男、小山彰太が勢揃いしたのは40周年のときに同じ。

そしてゲストにタモリ、麿赤児、三上寛。

麿赤児の舞踏は初めてナマで見たが、ここでその感想を書いたりしてるとそれで終わりそうだから全部割愛。タモリも同。三上寛も同じく。

休憩を挟んで第2部、ステージにはグランドピアノが2台で、ドラムスもなにもなくてそれだけ。何が始まるのかと思ったら司会の中原仁が「シークレットのサプライズ・ゲストが登場します」だなんて回りくどいことを言いながら紹介して登場したのは坂本龍一なのだった。

そして坂本のピアノはプリペアドピアノで、山下のプレイに寄り添うように火箸でじゃらじゃらとかマレットでボンボンとか「内部奏法」を始める。プリペアドピアノとか内部奏法とかって高橋アキのリサイタルでしか聴いたことなかったのに、こんな裏新宿で聴けるだなんて。

まあしかし、そういうのもそれはそれとして、おれは今回もやっぱり森山威男のドラムに痺れてしまっちゃったのだよ。なんちゅうかもう「鬼神の如きドラム」といっても大げさじゃない気がする。

コンサートの最後に小山彰太とツインドラムスで叩いたけど、小山彰太がヘタとかそういうことじゃ全然なくて、小山彰太はニンゲンのドラマーで、森山威男はそうじゃない何か畏れ多いようなナニモノかがドラムセットの前に座ってるという感じでね。

んー、そんなこと思うのはおれだけかもしれないんだが、とにかくおれの耳と目は森山威男から離れられない。

つうわけで2019年とりあえず切符を買ってあったライヴパフォーマンスはこれにて打ち止めとは相成った。もうちょっといろいろ見物したかったが(カネもヒマも)なかなか思うようにはいかないもんだぜ。

そのうえこんなトシになって落語だの浪曲だのなんだのと、見物したい種目(ってのもヘンだけど)が増えてきてさ。

落語といやあ今年はアレだな。春風亭正太郎と立川こはるという二人の活きのいい「二つ目」を聞いてじつに気分が良かったね。両方とも20人も入れば満員というような小さなところでそれぞれ別の日に独演会を聞いたんだが、この二人より落ちる真打ちがゴマンといるんだから困ったモンである。

その点、上方落語には真打ちだの二つ目だのっていう階級がないんだそうで、ようするに面白いヤツが勝ちっていうところが江戸の落語とは違った厳しさだったり苦しさだったりするんでしょうね。

亡くなった桂吉朝の弟子で、米朝の孫弟子にあたる桂吉坊と浪曲の玉川奈々福の二人会シリーズ〈みちゆき〉が10回で完結した。途中から友だちに誘われて浅草の木馬亭に通うようになった。この16日にあった最終回のプログラムの一覧表で見ると、おれは10回のうち4回聞いている。浪曲と落語の、それぞれが1時間近くかかるような大ネタを一席ずつ。

最終回は木馬亭に補助席が出るくらいの大入りだったんだけど、そういえばこれに通ってる間に世間の玉川奈々福への関心がずいぶん高まってきた感じがする。もちろん講談の神田松之丞ほどのことじゃないけど、なんだか最近よくその名前を目にするようになった。

おれは浪曲なんて聞いたことなかったし興味もなかったんだけど、なるほどこれは「物語」を聞く楽しみと、「唄と伴奏」を聞く楽しみの二つが合体した、ずいぶんとおトクな芸能なんだなあといっぺんで興味津々になってしまったんだから、もう玉川奈々福(と曲師の澤村豊子)のすべておかげってもんである。

吉坊の各種古典芸能の知識に裏打ちされた端正な話芸はいうまでもないことで、とにかくこの二人会が終わっちゃうのはすごい残念なことだけど、この先ずっとこれを続けるってのも相当大変なことだろうってシロートのおれでも容易に想像がつくんだから、ここいらが潮時ってモンなんだろう。

そういえば上の写真は山下洋輔トリオに引っかけて「山下町」の神奈川県庁でどーだと思ったら、県庁の所番地は「日本大通り」なんでした。山下公園はこの先を右に行ったとこでございます。

まあでもこの県庁の〈キングの塔〉はミナトヨコハマの観光名所のひとつでもございますしね。銀杏並木の黄葉もまだ残ってる師走8日太平洋戦争開戦記念日の風景なんでした。

この日はこの写真撮った地点から200メートルも行ったところにあるKAATで秋元松代作・長塚圭史演出〈常陸坊海尊〉のプレビュー公演を見物せり。

いや「常陸坊海尊」てどっかで聞いた坊さんだよなあと思ってたら、歌舞伎十八番のひとつ「勧進帳」四天王のいちばんの年嵩の白髪交じりの人で、激情押さえがたきあとの若い3人を、ま、ま、ここは暫時自重あるべし、みたいな感じで制止したりするあの人じゃんよと気づいたのがこの芝居の切符予約した後だってんですから、ほんと毎度毎度ウカツなおれなのであった。

この人はその後衣川の戦で義経が討ち果たされるときそこにいなかったんだってね。偶発的か敵前逃亡か、とにかく死にそこなった常陸坊のその後の足どりが東北各地で伝説化してて、それを題材にした戯曲が〈常陸坊海尊〉で、しかも秋元松代は蜷川幸雄と組んで〈近松心中物語〉を書き商業演劇に殴り込みをかけた張本人だったなんてことの一切合切すべてを、おれは入場のときにもらったパンフレット読んで初めて知ったんでした。こうなるとなんちゅうかもうウカツの上塗りだな。

それで芝居を見たのは開戦記念日だが、舞台は敗戦直前の東北地方のどっか辺鄙な山里へ学校ごと疎開した子どもたちとともに始まる。しかし主役の白石加代子が演じるのは「海尊の妻のおばば」である。

もうね、白石加代子の芝居です。共演の若い俳優たちそれぞれにもよく頑張ってるとは思うけど、白石加代子の出番が終わったあと舞台の空気が一気に薄くなっちゃった。まあ仕方ないとは思うんですけど、白石加代子>その他のすべての俳優の合計、なのね。

ところで長塚圭史は白井晃の後任で2021年からKAATのゲージツ監督になるんだってね。そうなると阿佐ヶ谷スパイダースの会場で案内係なんてやってらんなくなるな。

そして師走は押し詰まっていくのであった。
なんちて。




by god-zi-lla | 2019-12-25 11:47 | 物見遊山十把一絡げ | Comments(0)
テーゼとくればアウフヘーベンで、だから中身が同じじゃないんだな。なんちて(ジミー・ジュフリーなんて知らなかった その4か8か246)_d0027243_08151548.jpg




ジミー・ジュフリーのレコードを相変わらず見つけちゃあ買い込んでる。

まあ、あんまり興味のある人がいるとも思えんからさっさと終わりにしますけども、61年ジミー・ジュフリーcl、ポール・ブレイp、スティーヴ・スワロウbの三人による〈Fusion〉と〈Thesis〉が左の2枚なり。ざくっと言ってしまえばフリージャズである。

オーネット・コールマンの〈Free Jazz〉がアトランティックから出たときにフリージャズってコトバが出来たんだったら、同じ61年に吹き込まれたこのジュフリーの2枚を当時「フリージャズ」とは呼んでなかったでしょうし、聴きようによっちゃオーネットのアルバムと同類の音楽といえないこともないけど、別の聴き方すればとても同じコトバで呼べるような音楽とは思えない。

「フリージャズ」といったってイロイロであるという時代になって以降は、ジミー・ジュフリーのこの2枚も多分フリージャズである。わかったようでわからない言い方だが、しょせん音楽の「ジャンル分け」なんてものはわかったようでわからない程度のモンじゃんよ、つうことである。

で、おれがジミー・ジュフリーなんか全然気にもしてなかった92年ころにマンフレート・アイヒャーがこの2枚をリマスターし、ECMレーベルから〈Jimmy Giuffre 3, 1961〉つうタイトルで2枚組アルバムとして出てたっつうのをわりかし最近になって知ったんである。

このVerveの2枚は前にも書いたか知んないけど、クラリネットとピアノとベースが三者対等で(ベースがちょっと引っ込み加減に聞こえるのはスワロウの控えめな性格のせいな気がする)、調性があったりなかったりするけど、やってる本人たちは調性の有無が重要なことだとは感じてないふうではある。

ひとりの出した音にほかの二人がそれぞれに反応し、それにまた誰かが応じるというようで、全員が一斉にガヤガヤとやり出す集団即興みたいなことはやらない。いっぽうでビート感は終始きっちり保たれてるから、音楽は「ジャズ」つう枠組みのなかにとどまっているふうに聞こえる。

話は戻りますけど、まあポール・ブレイもスティーヴ・スワロウもECMレーベルじゃあ常連さんといっていいような音楽家だしさ。ECMがこれを再発するってのもそれはそれでアリかもな、と一瞬思っただけで特に気にも止めてなかったし、だいち廃盤なんだかどうだか売ってるのを見かけたことがなかった。

ここ5年ばかりの間、おれはジミー・ジュフリーのレコードが目に止まればその都度どんな音楽をやってるのかと買い求めてきたんだが(だれも探してないから安いしね)、この人は50年代なかばあたりからじつにいろんな「実験」をスタジオで重ねてきたらしい。なにしろ同じメンツで同じようなことをやってるアルバムに巡り合わない。買うレコード買うレコード、みんな違うことをやってる。この時期のハードバップのレコードのあれやこれやを思い出してみると、ちょっと信じらんないくらいなもんだ。

アメリカがいい時代だったんだな。もちろんジミー・ジュフリーにもいい時代だったんだよ、きっと。

それがこのブレイとスワロウとのトリオから以降、ジュフリーはこの路線(まあフリージャズか)を突き進む。いろいろジュフリーのレコードを買っちゃあ聴いてみた今になってみれば、そりゃあそうだよなと思うしかない。だってすごくいいもん、この2枚は。ジュフリー本人だって、よっしゃあコレだって思ったに違いない。ジミー・ジュフリーの行く先はこの2枚で決まった。たぶん。

そう思い当たってしまうとアイヒャーがリマスターしたECM盤もガゼン聴いてみたくなるじゃんか。

と思ってAmazon覗いてみたら、いままで見なかったECMのLPがある。なんてお誂え向きな展開なんだ。なんかおれが話作ってるみたいじゃん。最近になってLP再プレスしたのか? それともどっかから出てきたデッドストックか? まあ、そんなこたどーだっていい。買った。

というのがいちばん右のいかにもECMつう涼しげな顔つきをしたヤツである。

聴いてみると、これがまた音までいかにもECMつうあのクリスタルなんとかって言われるアレである。いやそれがアレなんだけど意外とアレなんだよ。バチっとハマってるのよ。

ECMのあのエコーが全編にかかってる。もちろん、もとのアルバムにはそんなエコーはかかってない。かかってるかもしれないけど、少なくとも、あーエコーかかってんなーと思わせるようなかかりかたは全然ない。それがなんちゅうかもう、多少遠慮ぎみと言えなくもないけど、もうモロにあのECMエコーなのよ。

でね。その魔術(ひょっとして詐術?)のせいかもしれないが音質自体がクリアで向上しているように聞こえる。言いたかないが、ホント言いたかないけど、オリジナルを聴いてるよりECM聴くほうが快適なんだよ。よしんばそれがなんらかの「詐術」であったとしても、このままダマされたままでもいいかなー、なんて。

考えてみりゃあ、そもそもジミー・ジュフリーの音楽は「クール」だとヨノナカ的には認識されてるわけだし、実際ジュフリーの音楽に暑苦しい瞬間てのはまるでない。なるほどなあ、ようするにECMのサウンドに合ってたんですね、この2枚のアルバムの音楽が。

もとのLP聴いててECMぽい音楽だよなーなんて思ったことなんかひとっカケラも鼻毛の先ほどもなかったんだけど、聴かされてみるとなるほどコイツはECMの世界ではある。さすがだぜアイヒャー。

しかしこれがね。買って聴くまで全然知らなかったんだが音も違うが中身も違うんだよ。2枚のアルバムをリマスターして2枚組のゲートフォールドアルバムにしただけじゃなかったのよ。下のラベルの写真見てもらってもわかるんだが(これはThesisのA面と、それに対応するECM盤のside3)、収録曲数と曲順が違う。

トータルのトラック数をみるとECM盤のほうが20でVerve盤が17と、3トラックECMのほうが多い。三つのうちのひとつは演奏後の『会話』だから演奏としては2トラックECMのほうが多いんだよ。あたた、そんなこと、どっかで紹介されてたか。ライナーノートもないし、そういうクレジットもない。

で、さらに仔細に見てみるとECM盤のが収録曲が多いにもかかわらずVerve盤にはあってECM盤にはないトラックがあるんです。んー。

とにかくECMのほうが2トラック多いとはいえ「コンプリート」じゃないってことだ。

ところでジミー・ジュフリーの過去のアルバムって、目立たないもののそれなりにCD化されてきてはいる。たぶん主だったアルバムは中古も探せばけっこうCDで手に入るんじゃあるまいか。

ところがこのVerveの2枚〈Fusion〉と〈Thesis〉は、AmazonでもタワレコでもDiscogsでもCDの存在を確認できない。あるのはECM盤だけなのよ。

つうことはフツーに考えればこの2枚の原盤権はECMに移っているってことなわけだな。んー。そうすると〈The Complete Jimmy Giuffre 3, 1961 Sessions〉なんつうCDをECM本体が出すとは到底思えない。

でも、まだ残りのテイクがあるんだったら聴いてみたいよなあ。そんくらいいいアルバムだと思うんだよな。


テーゼとくればアウフヘーベンで、だから中身が同じじゃないんだな。なんちて(ジミー・ジュフリーなんて知らなかった その4か8か246)_d0027243_08510035.jpg


ちなみにECM盤に収録されてない二つのトラックは〈Jimmy Giuffre 3 with Paul Bley & Steve Swallow Bremen & Stuttgart 1961〉(EMANEM 5208)つうCDに、なぜか収録されてるからまったくCDで聴けないってことでもないんだけどさ。

すまんね。ちゃちゃっと切り上げるつもりだったんだけど。

Fusion The Jimmy Giuffre 3(Verve V-8397)LP mono
THESIS The Jimmy Giuffre 3(Verve V6-8402)LP stereo
Jimmy Giuffre 3, 1961(ECM 1438/39)LP stereo





by god-zi-lla | 2019-11-25 12:03 | 常用レコード絵日記 | Comments(0)
トシとってココロが広くなったので聴いてみました盤(Karin Krog, Archie Shepp / HI-FLY)_d0027243_11535986.jpg




というわけで、後輩たちの夏は終わったようだな。

だけど、たいしたもんだと思うよ。ノーシードで1回戦からトーナメント勝ち上がって5試合目ってば、県によったら決勝戦だかんね。近所から通学してる若者だけでそこまで行ったんだから、せめて身内の卒業生がホメてやるくらいならバチは当たらんだろ。

それはともかくとして〈HI-FLY〉ってアルバム知ってますか。

ぼくは知ってます。つか、発売された77年当時から知ってました。アーチー・シェップtsとカーリン・クローグvoが組んだアルバムで、当時ちょっと話題になった。

だけど正直、ケッ、って感じだった。もちろん聴きもせずに先入観だけで。

なにしろ最初に出た国内盤ジャケットのデザインがいけない。なんかさー、いっときはコルトレーンの後継者のひとりとかいわれて硬派で鳴らしたコワモテテナーのシェップが、北欧の著名白人女性歌手と共演してヤニ下がりやがってとしかハタチそこそこのガキには思えなかった。

カーリン・クローグはそれよりも以前、デクスター・ゴードンtsとアルバムを作ったというので名前は知ってたけど、そもそもおれはデクスター・ゴードンに全然興味がなかった。よーするにまあ二番煎じってヤツなんだろ、と。

しかもそれがスイングジャーナル誌のその年のナントカ大賞に選ばれたりして、根性もヘソも曲がりきった若造がそんなものを聴こうとするわけがない。

で、きっとこういうショーバイまる出しのアルバムは日本のレコード会社が作ったに違いないと、聴きもせず確かめもせずに思い込んでたのであった。

それから幾星霜。

数年前、どういう風の吹き回しかスコット・ハミルトンtsとカーリン・クローグのCDを買った。ガキのころのおれだったらスコット・ハミルトンも「ケッ」なサックス吹きである。若いクセにへろへろとタルい音楽やりゃーがって、みたいな。

それが、聴いてみるといいのよね。とってもいい。たぶんスコット・ハミルトンは昔も今も変わらない「へろへろとタルい音楽」やってんだと思うんだが、おれのほうが変わってた。「へろへろとタルい」はいまや「悠揚迫らず」とほとんど同義なんであった。

だから最近でもよく聴きますね。たぶん月に1回くらいはコンスタントに聴いてると思う。NASにリッピングして。

で、ふと思い出したわけだ。もしかしてもしかすると昔のあのシェップとクローグのアルバムも悪くないんではないの? 機会があったら買って聴いてみようじゃん。とまあ、いつものように探しもせずにアタマのすみっこに置いておくうちに我が手元にやってきたのであった。

そしたら上の写真のジャケットである。ありゃま、日本以外ではこれだったのかしらん。あはは、そして気づいたんだけどこのアルバムはノルウェイの会社によってオスローで作られたアルバムで、日本の売らんかな企画盤でもなんでもなかったんじゃん。あー自分でデッチ上げたウソの情報を42年も信じ続けてたんだ。バカバカバカバカ。おれのバカ。

たぶんこのジャケットデザインじゃあ売れないと思ったんだろうな日本のレコード会社は。ほんでカーリン・クローグに見守られて鼻の下思いっきり長くしてテナー吹くシェップの写真で作り直したと。よーするにそれだけのことだったんだ。売らんかなの国内企画盤なんて、おれのアタマん中にしか存在しなかった。んー、そのころからそんな程度のヤツだったから、こんな程度のジジイにしかなれず人生終えるんだなあおれって。

それにしてもまるで違うジャケットじゃん。写真じゃわかんないでしょうけど、落書きだらけの小汚い地下鉄の電車が高架線の上を走るのが写ってる。これってニューヨーク? 暴走する電車の直下の道路を鬼の形相のジーン・ハックマンがクルマでチェイスした、まさにああいう高架線。

まあしかし日本盤のジャケットデザインも困ったモンだけど、じゃあオリジナルのこれがいいかっつうとどうだかねえ。オスローのレコード会社的にはアーチー・シェップのいかにも今風アメリカンジャズのザラザラした雰囲気をまぶしてみたかったとか、そういうことだったんだろうか。

それはともかくとしてだな。聴いてみたわけだ。んー、そしたらやっぱ42年前聴きもせずに想像してたのとはかなり違う音楽なのであった。もちろんシェップはおとなしく吹いている。けど、おとなしいといってもシェップとしたらおとなしいっつうだけのことで、フリーキーな音はほとんど出さないもののジョニー・ハートマンの隣りのコルトレーンみたいな「オトナの雰囲気」ってのはほぼない。女性シンガーの横でヤニ下がる風でもない。

クローグはクローグでけっこう技巧的で、おれはほかに当時の彼女のアルバムを聴いたことないからいつもこうだったのかどうか知らないけど、歌い方もアレンジも相当に気張って技巧的で器楽的なヴォーカルで、ようするにシェップとクローグとツートップのコンボによる当時としたらちょっと先走った感じのジャズ演奏つう感じかな。

まあ80年代後半あたりから登場したカサンドラ・ウィルソンなんかのトンがった(ときに無調に転んだりもするような)ヴォーカルからすればそれほどのこともないけど、少なくともオサレなクラブかなんかでしっとり聴くような種類の音楽じゃないね。

いやいやこれは全然悪くないですよ。まあ当時はそもそもジャズヴォーカルのレコードを買おうっつう気が(お金がないのもあって)ほとんどなかったから、中身を正しく知ったとしても買わなかった可能性が高いけど、あらためてこのトシになって買ってみて良かったと思うね。

だけどアレだな。カーリン・クローグは当時は相当硬派のテナー奏者と目されていたアーチー・シェップを相手に、やれるだけのことはやってやろう、こっちだって負けちゃいらんないからね的な気分はあったんじゃないですかね。だからリラックスした雰囲気みたいのを期待してもムリというもんである。

スコット・ハミルトンとのアルバムのあの、酸いも甘いも知り尽くした同士の、それでもそこそこの丁々発止はありつつもことさら気張って技巧を見せつけるようなところのまるでないリラックスした音楽と比べると、あー二人とも若かったんだろうなあって思わざるをえないよな。

いや、どっちが良くてどっちが悪いとかそういうことじゃなくてね。


トシとってココロが広くなったので聴いてみました盤(Karin Krog, Archie Shepp / HI-FLY)_d0027243_11541020.jpg



シュルレアリスムっぽいラベル。A面だけこれでB面は文字情報の入ったふつうのラベルになってる。
(Compendium Records FIDARDO 2)





タグ:
by god-zi-lla | 2019-07-24 17:31 | 常用レコード絵日記 | Comments(0)
こりゃあガワがミを表してないんじゃないかと(Miles Davis / The Complete Birth Of The Cool)_d0027243_15135896.jpg




COOLなSUMMERだぜ。

なんちて。

マイルス・デイヴィスの〈BIRTH OF THE COOL〉である。ただし、せんだって出たばかりの、アタマにTHE COMPLETEとついた復刻LP2枚組である。

どういうもんか、おれは長年このアルバムをちゃんと聴いたことがなかった。それが数年前このアルバムのCDを突然買い求めたんである。

ある日の午後、突然思ったんですよ。ビ・バップの青年期といわずヒップホップの晩年といわず、いつの時代のマイルスだって好きなおれが、食わず嫌い的にこのアルバムを長年敬して遠ざけてきたっつうのも如何なものかって。

おれの人生ひょっとしたらもう晩年であるわけだし。つうことは三途の川はひょっとしてもうすぐそこなのかもしんないし。三途の川を渡れば閻魔大王だ。

その閻魔さまが唐突におれに問う。オマエはどの時代のマイルスが好きなのぢゃ。

するとおれは「マイルスならどんなスタイルの演奏も好きなんです」なんて答える。

じゃあオマエ〈BIRTH OF THE COOL〉はどうぢゃと、閻魔さまは重ねてお尋ねになる。

そして。

あーいや、そいつは聴いておりませんなんてウッカリ言ったばっかりに、おれはベロ引っこ抜かれちゃうんである。

そういうのって、やっぱヤじゃん。想像するだけでも。

なので、いざ閻魔大王からご下問があったときには(最終的に地獄行きが免れないとしても)ちゃんと受け答えができますようにってCD買ってきた。これも一種の「終活」ってヤツかもしれない(でもなぜ閻魔さまはおれにマイルスのことなんか訊くんだ)。

そう思ってなかばお勉強のつもりで買ったCDを聴いてみるとこれが案に相違して、良い。あれれ、こんなんなんだっけ? すごくカッチョいいじゃんこの音楽てば。でも多分、若い頃に聴いてたらダメだった気がしますね。なんか品がいい。のたくったり暴れたりしない。音が濁らない。じつに流麗にアレンジされたアンサンブル。そういうのは年寄り臭い音楽だと思ってた。

そうなんである。おれは今や押しも押されもしない年寄りなのであった。

そしたら、こんだは復刻LPが出るというんだ。それも復刻専門レーベルがスポットでマスター借りて出すんじゃなく現在CAPITOLを傘下に持つユニヴァーサルが自分で出すっていう。しかもなんだか、過去に出た盤はどれもオリジナル・マスターから切られたものじゃなかったのが、今回初めてホンマモンのマスターに遡ってカッティングしたとかなんとか言ってるじゃん。

これって、ある意味ズルいよね。そんなテープがあるの知ってて復刻専門の会社には教えずに、自分で出す段になっておもむろに引っぱり出してくるんだから。

それはともかくモノの本などひっくり返してみると〈BIRTH OF THE COOL〉ってのは、もともとが1949年、SP盤にして12面分だか13面分だかの録音を当時のキャピトルレコードが行って、それを順繰りに売り出したもんだったらしい。だからもちろん「オリジナル盤」はSPレコードだった。当然バラ売りで「アルバム」ではない。

しかも、これがあんまし売れなかったらしいな。

それを初めて12インチLP盤に「アルバム」としてまとめ、現在知られている〈BIRTH OF THE COOL〉として上の写真とほぼ同様のジャケットに収めて発売されたのが1957年なんだそうだ。57年といえばマイルスはスター街道驀進中でインディーズのPrestigeレーベルと縁を切ってメイジャーのColumbiaに移籍したころだ。

よーするにキャピトルとすれば、売れなかった「有望新人」マイルスのアレをLPに焼き直してモト取るなら今しかない。しかもヨノナカじゃ似たようなのを「クールなジャズ」とか言い始めてるし、ここはいっちょうコイツが元祖だ本家だっつうことにして売り出しちまえ! 

まあ、ぶっちゃけそういうことだろ。

で、写真の〈THE COMPLETE BIRTH OF THE COOL〉を買ってみた。聴いてみるとたしかに音がいい。もちろんモノラルだけども70年前の録音だなんて到底思えない。ヴァン・ゲルダー録音なんかとはちょっと趣きの違う、ふくよかなアメリカンサウンドつう感じ。ノイズもあんまりない。そのマスターから過去にレコードを製造したことがないっつうのは、もしかしてホントかもしれない。

もちろんおれは57年の初LP化された盤なんて持ってないし聴いたこともないから比べるもなにもないんだけど、これ聴いた感じでは、さすが大企業キャピトルのレコーディング技術とマスターテープの管理はたいしたもんだったんだなあと思うほかないね。

いやーそれにしても、おれはなんでこんないいアルバムを今まで買わなかったんだろか。音がいいのも手伝って、ここんとこ一番よく聴いてるジャズのレコードになっちゃったじゃないの。

まあ「名盤」といわれてるわりにはあんまり聴かれてないというような雑音をまき散らすギョーカイの有名人に惑わされたってのもあったでしょうが、もしかしてこの、なんだかまっ黒けのジャケット写真のせいもかなりあったんじゃないかしら。

背景はスタジオの黒い天井で写ってるのは黒人のマイルス・デイヴィスで、しかもサングラスをかけている。そのうえシャドウは潰れハイライトは飛び、いったいこれはどういう冗談なのでございましょうか。

便乗商法のわりに、本気で売る気あったのかキャピトル。

その罪ホロボシのつもりなのかなんなのか、こんだの復刻アルバムにはマイルスの若い頃の写真だのスタジオの録音風景だのが綴じ込みブックレット(綴じ込みってのが昔を思い出させますね)を麗々しく飾ってる。


こりゃあガワがミを表してないんじゃないかと(Miles Davis / The Complete Birth Of The Cool)_d0027243_10042138.jpg

いいよねえ、不敵なツラダマシイのマイルス。



こりゃあガワがミを表してないんじゃないかと(Miles Davis / The Complete Birth Of The Cool)_d0027243_10052330.jpg


49年1月21日。向かって左側にいるのはチューバのジョン・バーバー、ホルンのジュニア・コリンズ、トロンボーンがカイ・ウィンディング。ピアノにはアル・ヘイグ、ベースがジョー・シャルマン。ブースのガラス窓にチラっと顔の一部が見えるドラムスのマックス・ローチ。マイルスは立っている。メガネがリー・コニッツasで椅子の背にジャケットかけて足伸ばしてるのはジェリー・マリガンbs。

こういう写真が外側にあったら、とっくに買ってた気がする。

だって、河原のジャケウンコ座りも、ずっと昔に買ってんだからさ。
この内側の写真みたいのだったら、もう御の字ってもんだぜ。

ところで、2枚組のもう1枚のほうはキャピトルがこのバンドをレコーディングするきっかけになったロイヤル・ルーストからのラジオ中継番組の、あの有名なボリス・ローズによるエアチェック音源なんだけど、これがエアチェックにしてはずいぶん音がいい。

ローズって人はジャズクラブからのラジオ実況放送をエアチェックして、アセテート盤に切ったのを売って商売にしてたらしいが(もちろん昔だって合法じゃなかったんでしょうが、おかげで今でもいろんなライヴ音源が残ってるんだからありがたい人だ)、このアルバムのライナーによればひょっとしたらエアチェックじゃなくて、この高品位な音質からして現場で放送局のラインからラジオの電波になる前の信号をもらってたんじゃないかというようなことが書いてある。たしかにシンフォニー・シッドのナレーションがかぶってるからマイクから直でないのは判る。つうことはラジオのクルーもローズとグルってことか。

それはともかく、ライヴだけでスタジオでやってない曲もあるから、これも貴重な聞き物だよな。



(UNIVERSAL MUSIC 00602577276408)

by god-zi-lla | 2019-07-12 11:14 | 常用レコード絵日記 | Comments(0)
今年いちばん待ってたものが来た。しかし_d0027243_14154271.jpg



えーとね。このエントリは結果として自分のためのメモになっちゃったから多分わかりにくいです。なので適当に飛ばして読んでいただくか、ハナっから全部無視してくだされたく存じますです。



アメリカのResonance Recordsつう会社からエリック・ドルフィーの未発表録音を出すってアナウンスが最初にあったのはもう2年くらい前だったんじゃないかね。漏れ聞こえてくる情報によるとそれは63年のアラン・ダグラスがプロデュースしたレコーディングセッションの残りのテイクだっていうんだな。

Resonance Recordsってのはジャズの未発表録音の発掘を精力的にリリースしてる会社で、最近じゃビル・エヴァンスとかウェス・モンゴメリーなんかの重要録音をつぎつぎ掘り出して話題になったようだが、おれが買ったのはコルトレーンの66年テンプル大学のライヴ盤とサド・メル楽団のこれも66年ヴィレッジヴァンガードにおけるデビューライヴのふたつだけだ。

そして待つこと2年、やってきたブツは〈ERIC DOLPHY MUSIAL PROPHET - THE EXPANDED 1963 NEW YORK STUDIO SESSIONS〉ってタイトルの3枚組のLPだ。こいつは今年の「Record Store Days」限定商品のようで、そのステッカーが貼ってある。じつはこれとは別に国内盤のCDも予約してあるけど、まだ発売されてない。

なにしろ立派なブックレットが付くと予告されてたからさ。ならばきっと国内盤のCDには対訳が付くでしょうから、英語不如意なおれはCDも買うことにしたんでした。日本語版ブックレットの付いた国内盤のLPが出るってわかってりゃいいんだけど、現時点でも出るのかどうかわかんないんだからLPもCDも買えるときに買っとくしかない。

それはともかく、肝心の3枚のLPの中身はというとダグラスのセッションのうちアルバムとしてリリースされた〈CONVERSATIONS〉と〈IRON MAN〉のすべて。これでほぼLP2枚ぶんになっている。つまりこの2枚についていえばすでに何枚も持ってるアルバムをまた買わされたわけだ。まあ昨今同じ中身を何度もくるみ替えて売り出しちゃあ同じ人間に売りつけるというのがレコード業界の当たり前の商売ですから(『ビジネスモデル』ってヤツね)いちいちあげつらったりしませんけどさ(あげつらってるって)。

で、残りのLP1枚分とちょいが「Previously Unissued」だってわけだ。なんかさ、このコトバに弱いのよね。つい買っちゃう。ときどきダマされもする。でも買わずにいられない。

その「Previously Unissued」の内訳ですけど、アルバム〈CONVERSATIONS〉(VeeJayの〈ERIC DOLPHY MEMORIAL ALBUM〉も同内容)が収められた1枚目の余白にドルフィーとベースのリチャード・デイヴィスのデュオ〈Muses For Richard Davis〉が2テイク。

それからアルバム〈IRON MAN〉が収録された2枚目の余白にボーナストラックとして〈A Personal Statement〉という曲が収められている。なんでこれだけが「ボーナス」なんだと思ったらこのトラックのみダグラスセッションではなく87年にBlue Noteから突然登場したドルフィーの完全未発表アルバム〈OTHER ASPECTS〉に入ってる〈Jim Crow〉と同じ曲の別テイクとある(それはそれでびっくりだ)。

そしていよいよ3枚目が「PREVIOUSLY UNISSUED OFFICIAL STUDIO RECORDINGS」と銘打たれて、〈CONVERSATIONS〉と〈IRON MAN〉に収められた合計9曲のうち6曲の別テイク7トラック(どれも完奏した完全テイク)が、時間にして53分超収録されている。

ところでさ。5年前のちょうど今ごろの季節、横浜のマシュマロレコードからドルフィーの〈MUSES〉ってアルバムが突然出た。そのアルバムについてはここに書きとめておいた。今回のアルバムと同じようにアラン・ダグラスのレコーディングセッションから未発表のトラックをLP1枚にまとめたもので、とくにアルバムタイトルになっている〈Muses〉って曲はそれまでまったく知られてなかったドルフィーのオリジナル曲だっていうのでめちゃくちゃ驚いたもんだった。

つうことはアレですか。

ダグラスセッションにはその〈MUSES〉収録の未発表テイクに加えて、さらに今回のResonance Recordsのアルバムに収められた「Previously Unissued」なテイクが半世紀以上にわたって日の目を見ずに眠っていたってことなのか。

ちょっと待てよ。整理してみるか。

で、基本的な身元調べだ。池田版〈ERIC DOLPHY DISCOGRAPHY〉(2011年10月改訂再版)の「83 ERIC DOLPHY/CONVERSATIONS - IRON MAN」の項によれば、くだんのダグラスセッションについて

Jul.1, 1963
〈Muses〉(unissued)
〈Alone Together〉FM308(アルバム〈CONVERSATIONS〉に収録の意。以下同)
〈Ode To C.P.〉SD785(アルバム〈 IRON MAN〉に収録の意。以下同)
〈Come Sunday〉SD785
〈Alone Together(alternate take)〉(unissued)

Jul.3, 1963
〈Burning Spear〉SD785
〈Music Matador〉FM308
〈Iron Man〉SD785
〈Jitterbug Waltz〉FM308
〈Mandrake〉SD785
〈Love Me〉FM308
〈Iron Man(alternate take)〉(unissued)
〈Mandrake(alternate take)〉(unissued)

ということはつまり2011年10月時点で13テイクの存在が確認され、そのうちの九つのテイクが60年代に2枚のアルバムとしてリリースされているということだ。

で2013年マシュマロレコードの〈MUSES〉に収録されてるトラックは

〈Alone Together(alternate take)〉
〈Muses〉
〈Iron Man(alternate take)〉
〈Love Me (alternate take)〉*
〈Mandrake(alternate take)〉

「*」を付けた〈Love Me〉は上の池田版ディスコグラフィには記述がないから2011年以降の新発見てことなんだろう。

そして今回のResonance Recordsのアルバムで「Previously Unissued」とされるトラックは

〈Muses For Richard Davis(alternate take 1)〉
〈Muses For Richard Davis(alternate take 2)〉△
〈Music Matador (alternate take)〉△
〈Love Me (alternate take 1)〉
〈Love Me (alternate take 2)〉△
〈Alone Together(alternate take)〉
〈Jitterbug Waltz (alternate take)〉△
〈Mandrake(alternate take)〉
〈Burning Spear (alternate take)〉△

ちなみに〈Muses For Richard Davis〉は〈Muses〉と同じ曲。

つうわけで池田版ディスコグラフィにもマシュマロレコードのアルバムにもないのが「△」を付けた五つのトラックってことになる。ということは「△」のない四つはマシュマロとダブってて「Previously Unissued」の看板はそこについては偽りアリってことか。

前にも書いたことだけど5年前バスクラのドルフィーとベースのリチャード・デイヴィスのデュオ〈Muses〉を初めて聴いたとき、んー、こんなに素晴らしい曲と演奏が半世紀も埋もれたままだったなんて信じられない。だけどそれをこうやって聴くことが出来るようになって幸せだよなあとつくづく思ったものだった。

それが今になってもうワンテイク出てきたっていうんだからすごい。そう思いながらこのふたつの〈Muses〉を聴いたわけだ。

でさ。じつはひととおり聴き終わったあとすぐにこのエントリを書き始めた。それで書き進めながら、さてディスコグラフィにもない「新発掘」らしい別テイクと既存テイクはどんなふうに違ってるものかと聴き比べるのもいいかなと思ったんだよ。で、あらためてふたつの〈Muses〉を聴いてから、マシュマロレコードのアルバムをターンテーブルに乗せてこっちの〈Muses〉を聴いてみたわけだ。

音質についていうとマシュマロよりも今回の新しいアルバムのほうが断然いい。たぶんResonance Recordsのほうがマスターテープに近い音源で、マシュマロのはだいぶ世代が下ってる感じのもごもごした音。最初はそのせいじゃないかとも思ったんだが、聴いてるうちになんとなくマシュマロ所収の〈Muses〉はResonance Recordsに収められた二つの〈Muses For Richard Davis〉のどちらとも違うような気がしてきてさ。

演奏時間もちょっとずつ違うんだよ。ジャケットに記載された時間を見るとResonance Recordsの最初のテイクが7分39秒、ふたつめが8分31秒。そしてマシュマロレコードの〈Muses〉は8分49秒。

演奏の構成は三つともまったく同じなんだよ。穏やかで短いビート感のないテーマを、バスクラのドルフィーと弓弾きベースのデイヴィスのどちらかひとりがニュアンスを微妙に変化させながら繰り返し演奏していくところに、もう一人がオブリガートを付ける。その「主」と「従」が何回か入れ替わりながら演奏は静かに続く。

何回か聴いてるうちにResonanceのふたつのトラックのエンディング近くにはどちらもデイヴィスのベースのごく短いアルペジオ(ふたつのトラックのアルペジオはわずかに音数が違う)があるのに、マシュマロのトラックではそれが聞こえない気がする。

Resonanceのふたつの〈Muses〉のどっちかとマシュマロの〈Muses〉が同一テイクだと勝手に思い込んでたけど、こりゃあもしかして三つとも別のテイクなんじゃあるまいか。

じゃあ〈Muses〉以外はどうなってんのかしらん。

そう思って両方のジャケットにある演奏時間を見比べてみるとマシュマロの〈Mandrake〉は4分19秒、Resonanceの〈Mandrake〉は6分48秒になってるじゃんか。上記ディスコグラフィによれば〈Mandrake〉の未発表別テイクはひとつになっている。だけど聴いてみると明らかにマシュマロのほうがドルフィーのソロが短い。編集で切った感じでもない。すると〈Mandrake〉も3テイクあったわけか。

いやあ、最初このエントリを書き始めたときは、「やっぱドルフィーはいいよな。この新しいResonance Records盤は音もいいし初めて聴くテイクもあるし、ブックレットにもいい写真がいっぱいあってGOODなニューアルバムよね」つうような能天気なお買い物自慢にするつもりだったのが、ちょっと雲行きが変わってきちゃったぜ。

じゃあそれ以外のトラックはどうなのか、マシュマロ盤とダブってるようだけど実はそうじゃなかったりするのか。あと何回か聴き比べてみなきゃいけないかな。

こういうことはドルフィー研究家とかディープなコレクターの皆さんは先刻ご承知のことばっかなのかもしれないけど、おれみたいに市販の音源を手に入れて楽しんでる一般庶民にはまったく未知の世界なんだよな。

来週あたり出る日本盤CDの解説にひょっとしてそのへんのことが整理されて載ってたりしないかと思うんだけど、あんまり期待はできない気がする。LPのブックレットには見た感じそういうディスコグラフィカルな解析は載ってないようだし(英文ちゃんと読めないの)。

というわけでおれの聴いた感じでは、いまのところ七つのトラックが正真正銘の「未発表」ってことかな。



今年いちばん待ってたものが来た。しかし_d0027243_22021833.jpg

上はジャケットを開いた外側の3面。
下はブックレットに載ってる写真。

エリック・ドルフィーはおしゃれでフォトジェニックだよね。


(Resonance Records HLP-9035)







by god-zi-lla | 2018-12-02 22:43 | 常用レコード絵日記 | Comments(0)
とうとうSP盤に手を出してしまった_d0027243_12060592.jpg




この春先だったかGEのバリレラカートリッジというのを初めて聴かせてもらったんだよ。しかもLP(ステレオがまだない時代のモノラル)とSPを切り替えて(カンチレバーをぐりんと180度回す)聴くことができるタイプで、そのときはSPもLPも聴かせていただいてね。

おれはSP盤てのは1枚も持ってなかったのでSPのすごくダイレクトに音楽が飛び出してくる感じは何度聴いてもたまらんなあと思いつつも、針をぐりっと回してモノラルLPをかけてもらったときの、なんつうか持って回ったようなところのない素直にずぼずぼずぼっと出てきたような音がけっこう気に入ってね。

手元にあるオルトフォンCG25Diも持って回らない音なんだけど、言ってみればもっと若々しいような音というのかな。これがそんなに高価じゃなくて手に入るんだったら欲しいかもなあと思ったんだった。

で、おいくら万円ほどのものでございましょうかと伺うと1万5千円くらいなもんだそうで、どうやらGEのカートリッジをLP・SP切り替えノブが使えるようにヘッドシェルに加工し取り付けたうえでヤフオクなんかで売っている人がいるというんだな。なーるほど、そういうお値段ならおれだって買えるじゃんよ。

つうことで帰宅してヤフオクを覗いてみるとたしかにくだんの人の出品のほかにも結構な数が並んでるじゃないですか。極東の島国のネットオークションにこれだけの数が揃ってるとこをみると、さすが米国の巨大総合電機メーカーGE、並や大抵の数のカートリッジを世の中に出したわけじゃないんだろうな。

なんて思いながらしょっちゅうヤフオクを覗いてたんだけどね。なにしろ人間がしみったれで優柔不断に出来てるもんですから買おうかどうしようか悩んでるうちに半年経っちゃった。

そしたら、ふと思ったのさ。たしかに1万5千円とか2万円とかでモノラルカートリッジをもう1個買うと思うとなれば、いまCG25Diになんの不満もないんだからなんかもったいない買い物のような気がするんだけど、グリっと回すとSPカートリッジだぜ。実質2個じゃん。そうするとSPカートリッジが1万弱、LPカートリッジも1万弱。アルプス1万尺。おー、そしたら安いじゃん。

それで納得するところが自分でもほんとにバカだと思う。

とにかくそうやってGEのバリレラカートリッジ〈VR II 4G-052 Golden Treasure Triple Play〉はやってきたのであったが、当然のことながらおれんちにモノラルLPレコードは山のようにあってもSPレコードは1枚もないんだからね。

かけるSP盤がなきゃやっぱり1万5千円か2万円のモノラルカートリッジである。

ならばSP盤を買うまでのことぢゃ。

なんか自分でも釈然としないものを感じないわけじゃないけど、買おうSP盤。買えばいまは1個のカートリッジなのが、あーら不思議や2個のカートリッジに早変わり!

なんちて。

かといってSP盤ならなんでもいいってわけじゃない。さいきん浪曲の実演に接して、あー浪曲ってのはいいもんだなあと思い始めたからといって戦前の広沢虎造つうわけにはいかない。じゃあ大昔おれんちにたしかにあった松田トシ先生が紺色の着物を着てグランドピアノに向かい(すごいよね)、その脇で子どもたちがおおきな口をあいて歌ってる写真のペラジャケに入った童謡のSP盤というわけにもいかない。

チャーリー・パーカーのDial盤を10年以上前に聴かせてもらったときもその音の鮮度に度肝を抜かれたもんだが、じゃあパーカーっつうのもなんか安易な気がしてならない。そうだジャンゴ・ラインハルトはどうだ。

ジャンゴが生前残した録音というのはただ1枚を除いてあとは全部SP時代に吹き込まれたものだ。んー、どうせなら人生初SP盤はジャンゴがいいなあ。LPに復刻されたジャンゴ・ラインハルトのレコードは1枚2枚と見つければ買ううちにそれなりの数になってきたし。そしてそれらは当然すべてSP盤の復刻だから。できればちょっとだけ遡ってみたいよな。

しかしね。なにしろSPレコードなんて買ったことないから、どこ行けばジャンゴのSPがあるのかわからない。神保町の富士レコードとかにSPを売ってるのは知ってますが、必ずあるとも思えないのでこういうときはヤフオクで張り番するにしくはなし。

というわけで左が英DECCAでA面の〈I've Got My Love To Keep Me Warm〉がジャンゴのギターにステファン・グラッペリのピアノ、B面はジャンゴのソロでたんに〈Improvisation〉とあるのみ。もう1枚は米DECCAでジャンゴとグラッペリを含む名高き五重奏団の〈Djangology〉と〈Ultrafox〉のカップリング、という2枚を求めたんでした。

じつは10年以上前、ジャンゴ・ラインハルトを聴き始めるきっかけになった京都の〈YAMATOYA〉で聴いた〈Parisian Swing〉(英DECCA、ACL1189。65年頃リリース)というLPにこの4曲は収録されてるんだよ。もちろんSPからの復刻でどれも35年前後の録音とクレジットされている。

ヤフオクに何枚も出たジャンゴのSP盤の出品商品のレーベル写真を端から全部じいーっと見て、これは同じ録音かもなあというのを確認したんです。英DECCAのほうはLPのライナーのデータによれば38年9月1日にロンドンで録音されたということだから、もしかしたらこのSP盤がオリジナルかもしれない。同じデータによれば米DECCA盤収録の2曲は35年の4月と9月のパリ録音と記されている。

でLPのライナーノートを拾い読みしてみると「ジャンゴの戦前の青ラベルの10インチ盤はわれわれにとって宝物だけど、四半世紀の間愛聴され続けて盤面はすり切れて灰色になってしまったのでLP盤で復刻したのよね」みたいなことが書いてある(『超訳』です)。

おー、まさしくその青ラベルでないのかい、この青ラベルは。

かたや米DECCAはこのころまだ英DECCAの傘下にあったのでしょうから本国から配給を受けてアメリカでプレスしたんだろうな。それが右の赤盤だと。



とうとうSP盤に手を出してしまった_d0027243_12063767.jpg


こうやって遡ってこられて、なんかうれしい。

初めてのSP盤お買い物としちゃ上出来なんじゃあるまいか。

でもなー。こんなことやって喜んでると泥沼にぜってーハマりそうだから大概にしとかなきゃなーとココロのなかで強く誓う今日このごろでもあったのであった。なにしろSPレコードだけは折に触れてひとさまに聴かしていただくことで満足しようと思ってたものですからね。


(この盤の音のこととGEバリレラカートリッジのことはまた後日あらためまして)

タグ:
by god-zi-lla | 2018-10-31 12:08 | 常用レコード絵日記 | Comments(6)

コルトレーンのコミック

コルトレーンのコミック_d0027243_09404398.jpg



涼しくなったらアレしようコレしようって、なんでもかんでも問題先送りしてるうちに9月も3分の1じゃんよ。けど暑い。だからまだアレもしないコレもしない。涼しくなったら忙しいぞお。

でもね、涼しくなったらなったでいろいろ口実作ってモンダイ先送りするだけのことなのさ。おれのような怠惰な人間というのは年がら年中そんなもんよ。

ついせんだってのことだが、なんだったか忘れたけど紀伊國屋書店のウェブショップで本の検索してたらコルトレーンの知らない本が一冊引っかかってきた。それがどうも外国産のコミックらしい。表紙の画像を見ると〈Blue Train〉のジャケット写真をもとにしたらしいイラストで、文字通り「目が点」なのだった。

こういうふうにコルトレーンを描くかよ。これってギャグマンガか。

まあこういうときはウダウダ迷ってるよりも買ってみるに如くはない。

ところがね。これが読んでみるとしみじみとして面白い。コルトレーンの生涯がコミックで語られるんだけど、コルトレーンの音楽をある程度熱心に聴き続けてそれなりに本も読み散らしてきたような人間からすると、とくに知らないエピソードがあるわけでもない。しかもコルトレーンの人生が時系列に語られてるわけでもない、というか意図的に前後を行ったり来たりするように描かれている。

で、全体は四つの章から成り立ってる。承認。決意。追求。讃美。この四つの章の名前がどこから取られたかは説明不要だけど、中身がこの四つのコトバに沿って描かれているともいえない。

おおまかな伝記的要素は事実のとおりだと思うが一部フィクションが挟まれてて、アレっ?と思うとそれは承知のうえの改変だと作者が「あとがき」で触れている。

それからおそらくその全部が作者の想像(創造)だと思われるシーンはコルトレーンが折に触れて悩んだり苦しんだり決意したりするところのあらゆる描写で、だけど読み進むとその部分こそがこのコミックのなかでいちばんイタリア人作家が描きたかったところなんだろうと判る(そのために伝記的事実の一部をあえて改変し省略し並べ替えてるわけだ)。

だからなんというかこれは伝記や評伝でなくてコミックで表現された詩のようなもので、作者のコルトレーンへの「至上の愛」の表明なんだろう。

つうわけでコルトレーンといえば〈Ballads〉と〈And Johnny Hartman〉というような聴き手にこのコミックは不要で、長期にわたってもうちょっと中毒的にコルトレーンを聴き続けてしまって取り返しのつかないことになってる古臭くて石頭の、おれのような聴き手への「解毒剤」として結構有効な気がする。

ようするにまあ、ココロを動かされてしまったんだな。このスレッカラシが不覚にも。

下はコルトレーンがアリス・マクロードとの出会いについてドルフィーに語っているシーン。こんなふうにコルトレーンとドルフィーが酒場の止まり木で並んで酒を飲んでいるなんてことを、おれはいままで一度も想像もしなかったけど、思えばそんなことはいくらでもあって不思議じゃなさそうだ。なんで想像もしなかったのかな。

そのへんが「解毒剤」なのよ。



コルトレーンのコミック_d0027243_09410297.jpg


COLTRANE パオロ・パリージ/石原有佐子・訳(Pヴァイン・発行/日販アイ・ピー・エス・発売)

*巻末に大谷能生の短いけど気の利いた解説が付いている。コルトレーンのことをよく知らないで買っちゃった人はせめてこの解説を先に読むのがいいと思うね。B5判128頁。



by god-zi-lla | 2018-09-09 07:54 | 本はココロのゴハンかも | Comments(6)
ピラミッドのなかに未知の石室があるのを発見したようなもんだってソニー・ロリンズはいうんですけど(John Coltrane / THE LOST ALBUM)_d0027243_15545989.jpg




夏だ! 海だ! コルトレーンだ!
ンなわきゃねーだろが。

コルトレーンの「最新発掘盤」は63年3月6日、ヴァン・ゲルダー・スタジオで収録された正式のレコーディングセッションだってところがキモである。ところがそのマスターテープはとうに失われて(レコード会社が廃棄したらしい)、コルトレーンが持ち帰ったチェック用のモノラルテープを遺族がこんにちまで保管してたっていうんだな。

クラシック業界でいうとフリードリヒ・グルダのモーツァルト・ピアノソナタ全曲〈The Gulda Mozart Tapes〉に似たケースかもしれない(グルダのほうはカセットらしいがコルトレーンは時代が時代なのでオープンリール)。

63年のコルトレーンつうと非常にビミョーな時期である。なにしろ今回リリースされたセッションの翌日、あのジョニー・ハートマンとのレコーディングを同じヴァン・ゲルダー・スタジオで行ってるわけだ。するってえと何かい。この日の演奏もあの手の「軟弱路線」で、ひょっとして62年に出て発売当初からセールス好調だった〈Ballads〉の二匹目のどぜう狙いか、なんて一瞬不安に思わないでもないわけだ。まあそのほうがいいって人もヨノナカには大勢いらっしゃるんでしょうけどさ。

だけどね。CDが届いて曲目みたら〈Impressions〉が演奏されてるのでちょっと安心。この曲はモーダルなコルトレーンチューンの代表中の代表というようなナンバーだから、コイツでもってソフト&メロウな演奏をコルトレーンが繰り広げてるわけないもんな。

聴いてみるとたしかにソフト&メロウ路線ではなかった。いやあこれは悪くありませんよ。悪くない。いや悪くないんだが、なんかどっかもうひとつ煮え切らないような演奏にもきこえる。

アルバムしょっぱな〈Untitled Original 11383〉(ボブ・シールが”ワン・ワン・スリー・エイト・スリー”とマトリクスナンバーをコールする声がトラック冒頭に聞こえる)はコルトレーンのテーマ吹奏からソロに入って、つぎにマッコイ・タイナーに受け渡すところがなんか不自然で、ひょっとして大ざっぱな編集(ただハサミを入れて短くしただけというような)が施されてるんじゃあるまいか。

ほかにもコルトレーンがちょっとつっかえたように聞こえるところとかがいくつかあって、コルトレーンの既成アルバムにきかれるあの自信に満ちて力感たっぷりの、どこか万能感さえ漂わせるようなサウンドと比べるとおれのようなシロートにもアラが見えるトラックが一部ある。

んー、タイトルのついてない新曲ふたつもなかなかの佳曲だし、レハールのオペレッタのナンバー〈Vilia〉も「ゴキゲン」だ。〈Nature Boy〉のあやしげな雰囲気だって悪くない。だけどなんかこの全体に食い足りない感じがするのはなんなんだ。

で何度か聴いて、しばらく考えた。もしかしてどのトラックも短すぎるんじゃないの。れいの〈Impressions〉は4分36秒、〈Nature Boy〉は3分24秒、いちばんの「長時間」が〈Untitled Original 11386〉で8分43秒。

ちなみに64年にリリースされたアルバム〈Impressions〉に収録された同名曲(ヴィレッジヴァンガードのライヴ録音)はたしか14、5分の演奏だったんじゃないかな。このくらいはコルトレーンとしたらごくフツーの「尺」ってもんである。それが4分ちょいなんていったら、あっ、もう終わっちゃったの、困ったねえって。

そうか、このなんとなく食い足らない感じは、長い長い演奏に慣らされている長年のコルトレーンファンにとっちゃ想定外の短いトラックの連続に、ひょっとしたら原因があるのかもしれない。

でもなー。そう思ってみると長尺トラックのない3月6日のセッションって、いったいなんだったのかね。

そういうことは音楽を聴いてても絶対わかることじゃないから、是非そこいらへんのところはジャズ・ジャーナリストによって解明ないしは推理をしてほしいもんだけども、アシュリー・カーン(コルトレーンにかんする著書多し)のライナーはちょっとばかし歯切れが良くないうえに、やや説得力に欠ける気がする(国内盤にだけある藤岡靖洋氏の解説はこのテープがどうやって日の目を見ることになったかについての経緯のみ。これはこれで非常に興味深い必読の一文なんだけど)。

で、おれは勝手に思うんだけどさ。

もしかしてこの3月6日の録音セッションから単独のアルバムを作る気はコルトレーンもボブ・シールも最初っからなかったんじゃあるまいか。

翌日予定されてたジョニー・ハートマンとのセッションでもって、ひょっとして何か問題が生じて(ハートマンが意外とドン臭いヤツだったとか)アルバム1枚分のトラックを作れないときのために、あるいはアルバムに変化をもたせるために(ようするにハートマンとのセッションだけじゃつまんないものになりそうなときのために)使い勝手の良い長さのトラックをあらかじめクァルテットだけで用意してたってことはないのかな。

で、そういうトラックつうのは今後制作されるコルトレーンのアルバムの長さ調整用(フィル・アップとか埋め草とかいうアレ)にも使えるからムダになることはないと踏んだんじゃないかしらん。だからわざわざ「前日」に、その夜はバードランドでギグがあるというにもかかわらず、ヴァン・ゲルダー・スタジオに集合した。

〈Ballads〉と〈John Coltrane and Johnny Hartman〉以外のimpulseレーベルのアルバムを通して眺めてみても、どう考えたって8分半以下のトラックだけでこの時期にコルトレーンのオリジナル曲中心のアルバムを制作する意味があったとは思えないんだよな(Balladsの二番煎じってのが大いにあり得ても、だ)。

だからこの「未知の石室」はぶっちゃけ災害用備蓄倉庫みたいな場所だったのかもしれない。

いやもちろん、おれの勝手な想像ですから、ここだけのハナシってことで。




JOHN COLTRANE / BOTH DIRECTIONS AT ONCE THE LOST ALBUM
CD: UCCI9295/6 国内盤2CD
LP: B0028317-01 US盤2LP
中身は同じもんですが、藤岡靖洋氏の解説は国内盤のみ。

by god-zi-lla | 2018-07-21 15:00 | 常用レコード絵日記 | Comments(4)