神はどーだっていいとこに宿る


by god-zi-lla

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年金生活者にも手の届く「レコードの静電気とりのぞ器」、なんつて。_d0027243_10270349.jpg



つうわけで、こういうのはどーだ。

〈NON-STAT〉つう製品名がそのものズバリの、フィデリックスから出てるレコードの静電気をプラスイオンを発生さして中和するキカイなのであった(詳しい技術情報はここ見てたもれ)。

それというのもですね。もうずいぶんと長いこと使い続けてきたレコード静電気除去箱〈SK-EX〉がさすがにボロっちくなって、ハコそのものは壊れかかってるし中に貼ってある静電気除去シートもよーく見ると結構キチャナイ。静電気を取り除く代わりに汚れをくっつけられそうなくらいなもんじゃないですか。

そういやこれ買ったのって結構昔だったかなと古いブログをひっくり返してみると、ありゃま2008年の5月だからそろそろ11年になるんでやんの。そりゃあキチャナクもなるはずじゃん。

でまあ、根がシミッタレのおれもさすがにこれは買い換え時期ってモンだろうと調べてみたところ、どうやら今あるのは〈SK-EX III〉つうのが最新ヴァージョンならしい。お値段は28,000円ナリ。

んー、そんなにしたんだっけか。そうだよな10年前でもそんくらいした気がする。それにしたって結構たっけーじゃん。このおれがそんなお値段のブツを(しかもホントに効くんだかどうだか怪しげなハコを)よく買ったもんだ。

そういやその年の3月末で会社ヤメてきたんだった。

そーか、きっと退職金が出たから買ったんだな。

それにしちゃ28,000円はケチくせえ。結局おれらしかったってことか。ちぇっ。

まあそれはともかくとしてだな。退職金どころかそれから10年たって今は年金生活者のおれに28,000円の買い物はちょっと決心が必要である。なにしろアレだ。それ自体が音出すモンでもなく見たり聴いたりして楽しいモンでもないしさ。

それで、どうしようかなあなんて思ってたら去年の暮れあたり、フィデリックスのプラスイオン発射装置を雑誌で見つけたんでした。しかもお値段16,500円とある。なんとまああのハコより1万円以上安いじゃん。

フィデリックスといえば先般、上下に可動式のピンが出てるヘッドシェル〈MITCHAKU〉通称「みっちゃくん」(おれが呼んでるだけですけど)が理詰めな仕組みの音の良いヘッドシェルで立て続けに二つ買ってしまったくらいだから、ここの製品ならイケるんでないか。サイトの解説を読んでみれば、なるほどという感じだしさ。

写真のごとく、ケースの短辺のところに丸い穴が開いてる。上面のスイッチを押すと電源が入り、ケース長辺下のほうには銅箔テープが見えてますけど、それはケース下面を横断するように貼られていて、スイッチを押したらそこに指を触れたまま丸い穴をターンテーブル上のレコードに向ける。すると、その穴からプラスイオンが発射されるんである。プラスイオンはもちろん見えませんけど、ほのかに臭いがする(いわゆるオゾン臭ですかね)。電源は006P9Vの積層乾電池。

それをレコード片面ごとにやる。

このテのレコードの静電気除去のためのプラスイオン発射機ってずいぶん昔からいろいろ出てたけど、おれは初めて試してみたんだよ。まあそういうモンもあるんだなあと知ってはいましたけど、まわりに使ってる人もいなかったしね。それにやっぱりお値段は高かったし、そんなカネがあるんだったらレコード買ったほうがいいじゃんて気分は今よりずっと大きかったしね。

で、手に入れたのが静電気バリバリの冬の日々でもあったわけだ。まあSK-EXくらいの効果がありゃあ御の字だよなと思いつつ、スイッチ入れて盤面に穴を向け待つことおよそ5秒。それから針を下ろす。


なのであった。正直言ってここまでノイズが減ると思ってなかった。スクラッチノイズだと思ってたもののかなりの部分は静電気が引き起こすノイズだったってことか? いや、SK-EXだって入れるのと入れないのとじゃノイズの量がハッキリ違うんだが、そんなもんじゃなかった。

あたー。つまりアレか。こういう製品はおれが知ってるかぎりでも半世紀くらい前にすでにあったハズだよな。つことは、その頃からこういう効果について知ってる人がけっこういたってことなんでしょうか。いや、きっとそうなんだろうな。

フィデリックスの解説でもそういう製品が大昔からあったことに触れていて、たまたまこういう製品に活用可能なトランスが400個手元に残ってたので企画開発したと書いてある。しかもそういう先行製品をブッチ切るような絶大な効果があるなんてことはこれっぽっちも書いてない。なんとまあ奥ゆかしいことかとも思うけど、つまるところ昔からそれだけの効果があるということが知られてたから製品化しましたってことなんだろうな。

さて今日はもう春のような陽気の東京だ。ターンテーブルの上でA面B面ひっくり返すだけでバチバチきてウンザリする1月2月に使い、こいつはなかなかの優れモンだと大喜びしてましたけど、徐々に気温湿度の上がってくるこれからの季節はどう聞こえるんだろう。そのへんのところは1年通して使ってみなきゃわかんないけども、それなりに効果を通年で発揮する気がしてる。

ぼちぼち壊れかかって小汚いあのハコは処分してもいいかもな。





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by god-zi-lla | 2020-03-11 13:33 | 常用レコード絵日記 | Comments(2)
たまには王道の名盤でもどうっすか(The Popular Duke Ellington)_d0027243_17355083.jpg



来週は上野のコンサート、三宅坂の歌舞伎、池袋の芝居と三つもあったお楽しみが揃いも揃って全部中止になっちまって、なんかもう、ずずーんと気分が沈んじゃう今日このごろである。

まあこういときはやっぱ室内遊戯なんでしょうかねと思わんでもないが、どこも人出が少ないんであればお出かけしたほうが安心だったりしてさ。この時期、梅見はもう仕舞いかね。

しかしアレだよな。少なくとも根も葉もないデマに付和雷同してトイレットペーパー買うのに押し合いへし合い行列したりするのは、どう考えたって「本末転倒」ってモンだと思うよ(ホントに落とし紙が足らなくなって買いに行った人は困ったろうな)。

なんだか気詰まりなこういうときこそ、穏やかに心安らかに聴けるポピュラーな名盤だよ。あんましムツカシイもん引っぱり出して聴いてると眉間のシワがどんどん深くなっちまうんじゃあるまいかしらん。

つうわけで、たんなるコジツケなんですけど〈The Popular Duke Ellington〉である。ポピュラーなデューク・エリントンである。カタカナにしただけである。

いわゆるひとつの「エリントンナンバー」のなかでもひときわ有名どころが〈A列車で行こう〉を先頭に揃いも揃ってA面B面を占めている。だからポピュラー・エリントン。つまりそのまあ、なんつうか「ベスト盤」のようなモンといっても悪かないのではあるが、間違っちゃいけないのは既発盤からの寄せ集めじゃなく、このアルバムのために録音されたトラックがすべてである。

写真の右側は40年近く前に買った(最近こんなんばっかでスマンね)国内盤ですけど、そこに封入されている油井正一先生の日本語解説によればこのアルバムはハリウッドのRCAミュージック・センター・オブ・ザ・ワールドで66年5月9〜11日の3日間で録音されたとあり、それは二度目の来日公演の直前だったと油井先生は書いている。なるほど。

そして先生は続けてこう書く。


「エリントンはこれ以前にも何度か代表作の再演を行っておりましたが、ステレオ時代になってからは初めてのことであり、基本的なエリントン・カラーの上に、今日的なアダプテーションが施されている点でも、感動を誘わずにはおかぬ名盤となりました」


ここんとこ読んで、なるほどなあと思うまでに、じつは40年近くかかってしまった。なにしろ「ポピュラー」と名乗るくらいだから人口に膾炙したナンバーを一丁上がりで再演したお手軽盤くらいに思ってたし、実際聴くとハタチ過ぎの初心者の耳にもスルスルと入っていく心地良いオーケストラサウンドだからさ。

ところでね。このアルバムは音が良いことでも結構知られてるんじゃないかしら。そもそもビッグバンドジャズってのは、オーディオ装置にとっちゃなかなか厄介なシロモノではあるわけだ。少なくとも20代のころのおれのステレオ装置にビッグバンドジャズの再生は相当荷が重かった。とくにクライマックスでホーンが一斉に咆哮するとこにさしかかると、咆哮どころかほとんど音楽は崩壊状態でスピーカーは闇雲に絶叫するばかりで、慌ててアンプのボリュームを下げたりして。

それがこのアルバムだとそうはならなくて、安っちい装置でもそこそこ楽しめる音で鳴ってくれる。必然的にビッグバンドジャズといえばこのアルバムを聴くことが多くなるいっぽう、ほかのビッグバンドジャズのアルバムにはなかなか手が出ないっつう時期がずいぶんと続いたもんである。

で、ふと思ったんだけど、油井正一先生が「今日的なアダプテーション」と指摘したのは勿論その当時の音楽の流行だとかバンドメンバー、ソリストの顔ぶれとかに合わせてアレンジをアップデートしたってことが第一義ではあったんでしょうが、なにしろ大企業RCAの出すレコードだ。

もしかしたらレコード会社、プロデューサー、エリントン含め関係者は1966年当時の電蓄よりはちょっと高級なハイファイ装置でもって、中流家庭のオトーサンがリビングルームでゆったり快適に聞ける(つまりナイトクラブやダンスホールあるいはコンサート会場とは違った)家庭用ビッグバンドサウンドってのを拵えようとしたってことがあったりなんかしたんじゃないか。

つまりそういうアレンジに加えてレコードに刻むサウンドにまで「今日的なアダプテーション」を施した結果がこの無類の快適さなんじゃあるまいか、なんてことをちょっと思ったりもしたんでした。

いやもちろん、いつもの通りおれの勝手な妄想でしかないから信用しないように願いますけどね。

とにかくそんくらいこのレコードにはジャズリスナーの初心者・マニアを問わず、ステレオ装置の安物・高級も問わない快適なレコード音楽ってのがみっしりと詰まってる感じがするんだよな。

たとえばさ。油井先生が書いている通りこのレコードは日本およびアジアツアー出立前に録音されており、たぶん帰国直後にこんだは〈極東組曲〉を同じRCAに録音してるわけだ。

もちろんこれは全曲エリントンがアジアツアーの印象をもとに書き下ろしたもんだから、まあエリントンのコアなファン向けでもあったろうから内容からして前作とはまるで性格が違うわけなんだけど、収められたサウンドの傾向もなんかちょっと尖った感じで〈The Popular Duke Ellington〉とは違うような気がする(そう思って聴くからかもしれないけど)。

だからやっぱりね、選曲、アレンジだけじゃなくてサウンドやジャケットデザインまでトータルとして「ポピュラーなデューク・エリントン」つうレコードを非常に意識して作ったんじゃないかって思ったりするんだよ。

いやそんなことを考えるようになったというのも先日写真の左、ほとんど違いがわかんないでしょうけど〈The Popular Duke Ellington〉の初期盤を、飲み会の時間調整のつもりで入った新宿ユニオンで見つけて買ってしまったのがキッカケでね。もちろんおれが買うんだからジャケット表裏に手書きのラベルが貼ってあったり書き込みがあちこちにあったりするキチャナイ徳用盤なんだが、さいわい盤そのものはほぼ無キズでノイズもほとんどない。

いやー聴いてみると案の定というか、国内盤でもじゅうぶんいい音だと思うんだけど、もう40年楽しませてもらった国内盤を聴くことはないかもなあという、なんつうかもう一段艶が乗りパワーも加わった感じのする音でね。ひょっとしてこれはたんなるお手軽再演盤なわけはないぞ。最初から「気軽に聴けるデューク・エリントン・オーケストラの名盤」にするつもりでエリントンとレコード会社が練りに練って作り上げたアルバムに違いない。そう信じたくなる音なのであった。

ところで話は変わりますけども、我が家のスピーカーJBL L101ランサーは1965年に登場している。このアルバムの1年前だ。ひょっとしてこのへんのスピーカーで聴かれることを想定してたかもなあなんて、それはハナシとして出来すぎってもんですかね。

それで、いまちょっと検索してみたらあのAcoustic Research AR3aも1966年発売だった(オリジナルAR3は59年)。もしかするとこの時代、アメリカの中流家庭のリビングルームに無理なく収まる高性能な家庭用ハイファイスピーカーが次々登場したブレイクスルー期だったってことがありますか? そこをエリントンとRCAは狙い撃ちした? んー。ひょっとしたら、出来すぎということもないのかもしれない。




こうして芝居もコンサートも中止になった憂さを妄想で晴らす日々なのであった。


たまには王道の名盤でもどうっすか(The Popular Duke Ellington)_d0027243_17360776.jpg



国内盤 RJL-2515(油井正一の解説は必読。和文ライナーはこうでなくっちゃ)
米盤 LSP-3576








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by god-zi-lla | 2020-03-02 11:04 | 常用レコード絵日記 | Comments(2)
人生シンドイことばっかじゃないぜと(さようならライル・メイズ)_d0027243_16014292.jpg


ピーター・バラカンのラジオを聞いてたらライル・メイズが亡くなったんだという。なんでもここ10年くらいはもう音楽の仕事をしてなかったみたいだ。これでPMG=パット・メセニー・グループの最終アルバムは2005年の〈The Way Up〉になっちゃったってことだろうな。

ライル・メイズは上の写真の右端、グラブとボールが乗ったキーボードを弾いてる黒メガネの長髪野郎である。

もう何遍もブログに書いてる気がするけど70年代のケツから80年代はじめにかけて、おれはパット・メセニー・グループのレコードに助けられてきたようなところがある。人によっちゃあそれはチャラチャラした単なるハヤリもんのフュージョンミュージックにしか聞こえなかったかしんないけど、まあそういう人とおれはアカの他人だ。

そうクヨクヨしなさんな、今を抜ければきっといい日も巡ってくるさ。おれにとっちゃ40年くらいむかしのその時期、パット・メセニー・グループのレコードは日々そう励ましたり慰めたりしてくれる音楽なんであった。

もちろん今だってヤツらのレコードをかけるとそういうふうに聞こえてくるんだが、そういうふうに励ましたり慰めたりしてほしいと切実に思うことは(うれしいことなのか残念なことなのかわからないけど)おれのほうにもうない。

ライル・メイズの音楽については4年くらい前のエントリーでこういうふうに書いた。読み返してみると、いまもそのとおりのことを思ってるのでとくに付け加えることもない。

ただ、ここ10年くらいはもう音楽活動をしてなかったと聞くと、ライル・メイズの音楽というのはパット・メセニーとともにあってこそ光り輝く種類のものだったんだろうなあと、あらためて思わざるをえない。だけど逆にいうと、パット・メセニーもバンドにライル・メイズを得なければ、ああやって世界に出て行くためにもう少し余計な時間を必要としたんじゃあるまいかって気がする。

上の写真は80年のアルバム〈AMERICAN GARAGE〉のジャケットの裏だ。ECMはトリオが国内盤を出していて、ジャケットのまん中らへんに懐かしいロゴが印刷されてる。これをたぶん発売すぐに買ってきて(ECMの本国盤は枚数が出回らないうえに値段も高かった気がする)毎晩毎晩繰り返し繰り返し聞き続け、そして助けられる日々だった。

10年くらい前にドイツ盤のオリジナルも手に入れたけど、だけどまあライル・メイズが亡くなったと知ってごく個人的な感傷に浸るならこっちだと思った(おんなじ絵柄だけどさ)。

もうPMGのリユニオンは永遠にないんだな。メセニーが古希を迎えるころにはと少し期待してたんだけどさ。あったとしてもライル・メイズ抜きのPMGに意味を見出すのは難しい気がする。少なくともおれには。

ライル・メイズは53年生まれで享年66歳だったそうだ。



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去年手に入れた88年のライル・メイズのアルバム。そのうちブログになんか書いてやろうと思ってるうちに日が過ぎて、本人が死んでしまった。

ゲフィンのアルバムで、エグゼクティブ・プロデューサーとしてパット・メセニーの名前がクレジットされている。ジャケット右上に貼ってあるステッカーには「パット・メセニー・グループのキーボーディスト」とある。

それはそうなんだけど、ちょっと寂しいかな。



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(追記)
いま突然思い出したんだが、〈AMERICAN GARAGE〉はラジオでA面1曲目〈(Cross The)Heartland〉がかかってるのを聴いてイチコロでヤラれた。それですぐにアルバムを買いに走ったんだった。





by god-zi-lla | 2020-02-23 23:27 | 常用レコード絵日記 | Comments(0)
「天才少女歌手」タニヤ・タッカーを知ってますか and Grammy goes to …_d0027243_16534088.jpg




むかしむかし、たぶん75年ころ、インスタントコーヒーのCMソングに〈ハロー・ミスター・サンシャイン〉ていうのがありまして、これがけっこうヒットした。

ほら、この時代にテレビ見てた人は曲名見ただけでアタマのメロディ思い出してたでしょ。なんだっけかなあのCMは。マックスウェルコーヒーだっけ? マックスウェルはポール・アンカとかアンディ・ウィリアムズとかそういう大物路線だっけな。でもネスカフェじゃないよな。あれは「駄馬だー」とか、「アムステルダムの朝は早い」とか。まあいいや、ほかのコーヒーだったかもしれない。

ところでその〈ハロー・ミスター・サンシャイン〉は、ずいぶん後になって知ったんだけどムッシュかまやつの作品なんだってね。そう言われると、なるほどたしかにそうだよなーっつうまるで日本ぽくない音楽なのだった。

でそれを歌ってたのがタニヤ・タッカーで、タニヤ・タッカーはその何年か前に〈デルタの夜明け〉を13歳でヒットさせたカントリー系「天才少女歌手」つうことで日本でも話題になってたが、おれはあのころカントリーなんてまるで関心なかったから、あのCMで初めてタニヤ・タッカーを知ったようなもんである。

それから何年かたって、たまたまラジオを聴いてたら(考えてみるとよく聴いてたんだなラジオ)、プレスリーの〈ハートブレイク・ホテル〉を若い女性シンガーがやけにパワフルに、エルヴィスの歌い方をなぞるように歌っててさ。それがタニヤ・タッカーでニューアルバムに収録されてるってラジオがいうんだよ。へえー、こんなふうに「天才少女」は育ってんのかーってガゼン興味が涌いて、おれは初めてタニヤ・タッカーの(もっといえば初めてカントリーシンガーの)レコードを買ってみたんである。

それが上の写真だ。78年のアルバム〈TNT〉。芳紀まさに18歳のタニヤ・タッカー。ちなみにおれは21歳でした。どーでもいーけど。

けっこう聴きました、くりかえし繰り返し。だいたい女の子の歌ってるレコードなんてあんまり持ってないし。つか、そもそも21歳のときっつうと、持ってるレコードの枚数を数えるのに1分もあれば足りるくらいなんだから繰り返し聴くしかない。持ってるすべてのレコードがヘヴィーローテーションなんだから、当然タニヤのこれもヘヴィーローテーションです。

もともとカントリーシンガーとしてデビューしてこのあたりで5年くらい? これ聴くとカントリー風味のロック/ポップアイドルとしてやっていこうっつう感じだったんでしょうね、たぶんリンダ・ロンシュタットみたいな感じに。だけど、リンダよりハスキーな声で歌い方もちょっと伝法な感じでアクが強い。雰囲気もウェストコーストというよりかウェスタンつう雰囲気で、ちょっとあか抜けない(あのころのリンダ・ロンシュタットがあか抜けてたとはいわんけど)。

そしたら、そのうち名前を聞かなくなった。こっちもカントリーに興味があるわけじゃないし、なんとなく忘れてしまってたんだが、どうやら80年代に入ってからはヒットが出なかったらしい。

だけど自分のレコード棚にはいつもこのレコードが刺さってるから、時折目に触れることもある。目に触れれば、たまには聴く。20代のころは相変わらず買うレコードといえばジャズばかりで(それもドルフィーとかコルトレーンとか)、ポップ系女の子歌手のレコードなんて増えもしないから、なんとなく1年にいっぺんくらい聴いてた気がする。

それから時は移り、新しい世紀に入り、かつての若者は老いさらばえ、元号は二つも変わっちまってつい先日。

たまたまミュージックマガジンの後ろのほうにある輸入盤紹介のページを見たらタニヤ・タッカーが10年ぶりだかにニューアルバムを出したって記事があり、しかもなかなか悪くないらしい。そのうえグラミーにも数部門ノミネートされてるとも書いてある。そうか、そりゃあ懐かしいじゃないか。聴いてみるかな。



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そしてこれがそのニューアルバム〈While I'm Livin'〉。ジャケットの意匠にしてからが、この40年、アルバムの張本人がどのように変貌したかを物語ってるようなもんである。じつにまったく正々堂々、人生の酸いも甘いも知り尽くしたヴェテランカントリーシンガーのアルバムつう趣きではあるまいか。

前記マガジンの評文には「なかば引退状態の…」とあるんだが、聴いてみると「引退」じゃなくてレコード会社との契約がなかっただけなんじゃないかって感じの現役バリバリ感が充満してる。ひょっとして自分ちの近所のクラブとかパブとかバーとか、ツアーに出ずにそういうとこでずっと歌ってたんじゃないの。だって18歳の頃より衰えたという感じはまるでなくて、衰えないまま円熟味が加わって人生を歌えるシンガーに進化してる感じなんだぜ。「引退」してたらこうはいかないでしょ、ふつう。

いやー、陰ながら応援していた甲斐がありました(とか言っちゃって)。

そして先ほどグラミーの発表を見たらSong Of The Yearとカントリーミュージックのなかの3部門、合わせて四つの部門にノミネートされて、そのうちBest Country Song と Best Country Albumのふたつでウィナーに輝いている。おー、やるじゃんか。しかもこれまでのキャリアのなかでグラミーにノミネートされたことはあっても、ウィナーになったのは今年のふたつが初めてらしい。こりゃあまったく再出発に花を添える快挙というべきではあるまいか。とにかく、めでたいめでたい。

ところで、1978年おれが21歳のときタニヤ・タッカー18歳。そうすると2020年おれが63のいま、タニヤはめでたく還暦である。そうか還暦か。アメリカ合衆国でも祝うのであろうか(そんなわけないよな)。とにかく人生はこれからなのさ。



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While I'm Livin' ( Tanya/Fantasy 8 88072 10507 2 )


by god-zi-lla | 2020-01-29 23:25 | 常用レコード絵日記 | Comments(0)
テーゼとくればアウフヘーベンで、だから中身が同じじゃないんだな。なんちて(ジミー・ジュフリーなんて知らなかった その4か8か246)_d0027243_08151548.jpg




ジミー・ジュフリーのレコードを相変わらず見つけちゃあ買い込んでる。

まあ、あんまり興味のある人がいるとも思えんからさっさと終わりにしますけども、61年ジミー・ジュフリーcl、ポール・ブレイp、スティーヴ・スワロウbの三人による〈Fusion〉と〈Thesis〉が左の2枚なり。ざくっと言ってしまえばフリージャズである。

オーネット・コールマンの〈Free Jazz〉がアトランティックから出たときにフリージャズってコトバが出来たんだったら、同じ61年に吹き込まれたこのジュフリーの2枚を当時「フリージャズ」とは呼んでなかったでしょうし、聴きようによっちゃオーネットのアルバムと同類の音楽といえないこともないけど、別の聴き方すればとても同じコトバで呼べるような音楽とは思えない。

「フリージャズ」といったってイロイロであるという時代になって以降は、ジミー・ジュフリーのこの2枚も多分フリージャズである。わかったようでわからない言い方だが、しょせん音楽の「ジャンル分け」なんてものはわかったようでわからない程度のモンじゃんよ、つうことである。

で、おれがジミー・ジュフリーなんか全然気にもしてなかった92年ころにマンフレート・アイヒャーがこの2枚をリマスターし、ECMレーベルから〈Jimmy Giuffre 3, 1961〉つうタイトルで2枚組アルバムとして出てたっつうのをわりかし最近になって知ったんである。

このVerveの2枚は前にも書いたか知んないけど、クラリネットとピアノとベースが三者対等で(ベースがちょっと引っ込み加減に聞こえるのはスワロウの控えめな性格のせいな気がする)、調性があったりなかったりするけど、やってる本人たちは調性の有無が重要なことだとは感じてないふうではある。

ひとりの出した音にほかの二人がそれぞれに反応し、それにまた誰かが応じるというようで、全員が一斉にガヤガヤとやり出す集団即興みたいなことはやらない。いっぽうでビート感は終始きっちり保たれてるから、音楽は「ジャズ」つう枠組みのなかにとどまっているふうに聞こえる。

話は戻りますけど、まあポール・ブレイもスティーヴ・スワロウもECMレーベルじゃあ常連さんといっていいような音楽家だしさ。ECMがこれを再発するってのもそれはそれでアリかもな、と一瞬思っただけで特に気にも止めてなかったし、だいち廃盤なんだかどうだか売ってるのを見かけたことがなかった。

ここ5年ばかりの間、おれはジミー・ジュフリーのレコードが目に止まればその都度どんな音楽をやってるのかと買い求めてきたんだが(だれも探してないから安いしね)、この人は50年代なかばあたりからじつにいろんな「実験」をスタジオで重ねてきたらしい。なにしろ同じメンツで同じようなことをやってるアルバムに巡り合わない。買うレコード買うレコード、みんな違うことをやってる。この時期のハードバップのレコードのあれやこれやを思い出してみると、ちょっと信じらんないくらいなもんだ。

アメリカがいい時代だったんだな。もちろんジミー・ジュフリーにもいい時代だったんだよ、きっと。

それがこのブレイとスワロウとのトリオから以降、ジュフリーはこの路線(まあフリージャズか)を突き進む。いろいろジュフリーのレコードを買っちゃあ聴いてみた今になってみれば、そりゃあそうだよなと思うしかない。だってすごくいいもん、この2枚は。ジュフリー本人だって、よっしゃあコレだって思ったに違いない。ジミー・ジュフリーの行く先はこの2枚で決まった。たぶん。

そう思い当たってしまうとアイヒャーがリマスターしたECM盤もガゼン聴いてみたくなるじゃんか。

と思ってAmazon覗いてみたら、いままで見なかったECMのLPがある。なんてお誂え向きな展開なんだ。なんかおれが話作ってるみたいじゃん。最近になってLP再プレスしたのか? それともどっかから出てきたデッドストックか? まあ、そんなこたどーだっていい。買った。

というのがいちばん右のいかにもECMつう涼しげな顔つきをしたヤツである。

聴いてみると、これがまた音までいかにもECMつうあのクリスタルなんとかって言われるアレである。いやそれがアレなんだけど意外とアレなんだよ。バチっとハマってるのよ。

ECMのあのエコーが全編にかかってる。もちろん、もとのアルバムにはそんなエコーはかかってない。かかってるかもしれないけど、少なくとも、あーエコーかかってんなーと思わせるようなかかりかたは全然ない。それがなんちゅうかもう、多少遠慮ぎみと言えなくもないけど、もうモロにあのECMエコーなのよ。

でね。その魔術(ひょっとして詐術?)のせいかもしれないが音質自体がクリアで向上しているように聞こえる。言いたかないが、ホント言いたかないけど、オリジナルを聴いてるよりECM聴くほうが快適なんだよ。よしんばそれがなんらかの「詐術」であったとしても、このままダマされたままでもいいかなー、なんて。

考えてみりゃあ、そもそもジミー・ジュフリーの音楽は「クール」だとヨノナカ的には認識されてるわけだし、実際ジュフリーの音楽に暑苦しい瞬間てのはまるでない。なるほどなあ、ようするにECMのサウンドに合ってたんですね、この2枚のアルバムの音楽が。

もとのLP聴いててECMぽい音楽だよなーなんて思ったことなんかひとっカケラも鼻毛の先ほどもなかったんだけど、聴かされてみるとなるほどコイツはECMの世界ではある。さすがだぜアイヒャー。

しかしこれがね。買って聴くまで全然知らなかったんだが音も違うが中身も違うんだよ。2枚のアルバムをリマスターして2枚組のゲートフォールドアルバムにしただけじゃなかったのよ。下のラベルの写真見てもらってもわかるんだが(これはThesisのA面と、それに対応するECM盤のside3)、収録曲数と曲順が違う。

トータルのトラック数をみるとECM盤のほうが20でVerve盤が17と、3トラックECMのほうが多い。三つのうちのひとつは演奏後の『会話』だから演奏としては2トラックECMのほうが多いんだよ。あたた、そんなこと、どっかで紹介されてたか。ライナーノートもないし、そういうクレジットもない。

で、さらに仔細に見てみるとECM盤のが収録曲が多いにもかかわらずVerve盤にはあってECM盤にはないトラックがあるんです。んー。

とにかくECMのほうが2トラック多いとはいえ「コンプリート」じゃないってことだ。

ところでジミー・ジュフリーの過去のアルバムって、目立たないもののそれなりにCD化されてきてはいる。たぶん主だったアルバムは中古も探せばけっこうCDで手に入るんじゃあるまいか。

ところがこのVerveの2枚〈Fusion〉と〈Thesis〉は、AmazonでもタワレコでもDiscogsでもCDの存在を確認できない。あるのはECM盤だけなのよ。

つうことはフツーに考えればこの2枚の原盤権はECMに移っているってことなわけだな。んー。そうすると〈The Complete Jimmy Giuffre 3, 1961 Sessions〉なんつうCDをECM本体が出すとは到底思えない。

でも、まだ残りのテイクがあるんだったら聴いてみたいよなあ。そんくらいいいアルバムだと思うんだよな。


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ちなみにECM盤に収録されてない二つのトラックは〈Jimmy Giuffre 3 with Paul Bley & Steve Swallow Bremen & Stuttgart 1961〉(EMANEM 5208)つうCDに、なぜか収録されてるからまったくCDで聴けないってことでもないんだけどさ。

すまんね。ちゃちゃっと切り上げるつもりだったんだけど。

Fusion The Jimmy Giuffre 3(Verve V-8397)LP mono
THESIS The Jimmy Giuffre 3(Verve V6-8402)LP stereo
Jimmy Giuffre 3, 1961(ECM 1438/39)LP stereo





by god-zi-lla | 2019-11-25 12:03 | 常用レコード絵日記 | Comments(0)
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一生に一度だっつう惹句にまんまと乗せられてラグビーのことがアタマん中に二六時中渦巻いてる今日このごろでございます。

いよいよ金曜日が3位決定戦、決勝のイングランドvs南アフリカが土曜日である。きっとすごい死闘になるんだろうなあ。ホント楽しみだよねえ。

正直いって準決勝ふたつを見ると、ジャパンがそこへ残るためには今までとは別の努力をこれから半世紀くらいつづけなきゃなんないじゃないかと思ったね。しかもその努力が半世紀後に実るかどうかはわからない。

たぶん1970年代コクリツの早明戦に5万人もの大観衆が当たり前のように集まってた頃から始めときゃ、次の次のワールドカップあたりに間に合ってた可能性もないわけじゃなかった気がする。

ほーら、また。油断するとアタマがラグビーへ行っちゃう。ヤメヤメ。

つうわけで、ここんとこレコード屋さんでエサ箱掘りなんてこともやってないです。そのかわりっちゃあナンだけど、ひとんちのレコードほじくり返したりなんかして、その結果がジェーン・バーキンである。いちばん上のジャケットね。

いいよねえ。たまんないよねえ。

しかしこの、ひとんちのレコードほじりなんですけど。おれの前にも大勢ほじくってるはずだから、ジェーン・バーキン救出に走ったのはおれだけだっつうことだもんな。ふつう、いらないのかね。古い国内盤だってのもあるかな。歌はもちろんヘタだし。

だけどアレだよ。このお姿でもって美声で朗々と歌われたりすると、それはなんかちょっとジェーン・バーキンではない。あの、どう考えたってヘタっぴで高い音はかすれて声出ないっていうんじゃなきゃ「小悪魔的」というような表現にはならない。

いやそれにしてもいいわ。なにしろ曲も詞もアレンジもいいんだから、さすがセルジュ・ゲンズブール、最高。

ジャケットだけに惹かれて持って帰ってきたんだけどね。

コルトレーンが映画のサントラ用にヴァン・ゲルダー・スタジオで録音したっつう発掘盤はタワレコに予約してあったのが届いた。

つい買っちゃう未発表発掘盤。

お馴染みの名曲〈ナイーマ〉が2テイク、〈ヴィレッジ・ブルーズ〉という曲が3テイク、それから〈ブルー・ワールド〉1テイク。おれ的にはナイーマもいいんだけど、1テイクずつ入ってるこれもお馴染み曲の〈ライク・ソニー〉と〈トレイニング・イン〉がよかった。

それにしてもどのトラックも短くってね。前にも書きましたけど、コルトレーンにはLP片面くらい延々とプレイしてほしい。せめて最低1曲10分いや12分いや15分は聴きたい。

これから先、繰り返し聴くかなあ。どうかなあ。

ビル・エヴァンスはAmazonでなんか他のものを探してたときに見つけたか、「あなたにオススメ」とかって勝手に出てきたのか覚えてないんだけど、あの有名なヴィレッジヴァンガードのライヴのコンプリートだっていうLP4枚組のボックスセット。

おれべつにビル・エヴァンスの大ファンてことは全然ないんだけど、それでもやっぱスコット・ラファロとポール・モーシャンとのトリオはすごくいいなあ、こういうピアノ音楽は古今ここにしかないよなあと思って聴く。

ところが、おれの持ってる〈ワルツ・フォア・デビー〉のLPが大昔新品で買ったOJC盤で、それだけ聴いてたときはなんとも思わなかったんだけど、あるとき運悪くコイツのオリジナル盤を聴かせてもらったんである。

おれのOJCは音がヨレてる。なんなんだこれは。サイテーじゃん。

もちろん大ファンということじゃないからオリジナル盤を買おうなんてことはユメユメ思いもしませんでしたけど、もうちっとマシな盤に買い換えるくらいはしたいもんだ。

ところがさすがの大名盤、古い国内盤すらめったに見ないし米盤はセカンド、サードといわずそれ以降のプレスでも結構なお値段でちょっと買えない。

そうこうしてるうちに幾星霜。そしたらこんなものを見つけたんであった。4枚組で1万2千円くらい。発売されたライヴアルバムは2枚だから、こんくらいがおれのような中途半端なヤツにはちょうどいいんじゃあるまいかと買ってみたんであったが、これは正解だったね。OJCよりずっと音いいし(同じOJC盤でもいくつかのリマスターがあるらしいけど、そういう追究はしない)ブックレットもゴーカだ。

おれとしたらもうビル・エヴァンス・トリオといえばこれを聴けばオッケーな終着駅。

その下にあるのはシルヴィ・バルタンの〈アイドルを探せ〉。

湯島のスタジオでジェーン・バーキンをほじった後、少しだけあったドーナツ盤を漁ってたところ、このカラー写真の歌詞カードだけがペラっと出てきた。あ、こんだはシルヴィ・バルタンじゃん。今日はフレンチ・ガールポップの日なのね。

と思ったら盤がない。あのペラっとした歌詞カードってけっこうなくすんだよね。むかしドーナツ盤てわりかし雑に扱ってたから、ウチにも歌詞カードない盤けっこうあるもんな。

だけどカードがあって盤がないってことはめったにない。そしたらやっぱりありました。めでたしめでたし。

こうなったら先にジェーン・バーキンほじくり出してんですからシルヴィ・バルタンもいただきというのが人の道ってもんでしょ。

ついでにニッパー君の意外と四角いオデコも鑑賞して下さいまし。

最後はこの1枚だけ盤の記念撮影。センター付きです。






by god-zi-lla | 2019-10-31 10:00 | 常用レコード絵日記 | Comments(0)
おじいさんの京みやげ その1レコード編_d0027243_09315519.jpg



旅といやあミヤゲであるが、旅先でレコード買うことはあんまりない。
だいち、奥さんと一緒に行動してんだからレコ屋に入るってわけにはいかない。

つかレコード屋に入れば、それが町の小さなレコ屋だろーが繁華街のビルのワンフロア占めてるようなメガストアだろーが、気の済むまでエサ箱というエサ箱を掘り続けたいじゃんか。どこから始めて、どこでヤメるか。いつ始めて、いつヤメるか。それは自分で決めたいじゃん。

ツレがいるとそれが出来ない。

ゆっくり見てていいよ、とか言われたって結局1時間もパタパタやってたりすりゃあ、ツレ自身もエサ箱掘りが道楽の人じゃないかぎり必ず顔色が変わってきます。だから言ったでしょ。

なので旅の道すがらにレコ屋があっても入らない。
ウッカリ見つけても見えなかったことにする。

エサ箱掘りは単独行にかぎる。これジョーシキあるね。

そしたら、寺町通りのとある賑やかでないあたりの雑居ビルに「レコードCD」などと書いてある看板を見つけてしまった。あっ、と思ったがそのまま例によってやり過ごそうとしたところ奥さんが、せっかくレコード屋さんがあるんだから見てったらなんて言う。

おれは、いや見てかないよ。買えば荷物になるし。レコード買いに京都来たわけじゃないし時間もないし、とかグズグズうだうだ言って通過しようとしたのに、奥さんを見れば何を思ったかもうずんずんその古くてちっこい雑居ビルへ入ってくぢゃないの。

入ったのはビルの2階のうんと小さなレコード屋で、肩から背中側へ斜めがけしてるショルダーバッグを脇へ回さないと反対側のエサ箱にバッグが当たっちゃう。そのくらい狭い店だった。

そもそも初めて入ったレコード屋を手ぶらで出たためしがないんです。必ずなんか買う。めぼしいブツがなくても買う。めぼしくないブツでも買う。それが人の道ってもんだと信じて疑ってないからね。

こうなったら仕方ない。

奥さんは片隅に並んでる本の棚を見てる(古本も置いてる店ってよくありますね。古着並べてる店だってあるし)。んー、まあとにかくチャチャっと見て、なんか掴んで買って出よう。こんな小さな店でも気の済むまでパタパタやってりゃ1時間はかかる。でもね、これから約束だってあるわけですし。

で、およそ10分、いや20分、 いや30分か。ざあーっと見たものの、とくにめぼしいブツはなかったので初めて見かけた2枚を掴んでレジへ行く(こういうとき、パタパタしなかったエサ箱にひょっとしてお宝があったんじゃないかと思っちゃうんだな)。

1枚はウィリー・ボボの〈BOBO'S BEAT〉。この人たしかラテンジャズとかサルサの人だったな。ライナーに初めてのアルバムと書いてあるように読める(英語の素養がないもんで自信ない)。

もう1枚がスコット・ジョプリンのラグタイムミュージックのアルバム〈THE RED BACK BOOK〉。シュリンクに貼ってあるステッカーに〈The Entertainer〉〈The Easy Winner〉〈The Rag Time Dance〉は映画〈スティング〉で流れる演奏と同じアレンジです、みたいなことが書いてある。

なんか、いかにも便乗商法なステッカーだな。

ひっくり返してライナー見てみると、プレイヤーは知らない人ばっかりだけど指揮はガンサー・シュラーと書いてある。なるほど、じゃあそんなイイカゲンなレコードではあるまいて。

つうわけで初めてのレコード屋さん、お近づきのシルシにレコード2枚しめて3千円ちょうどお買い上げ。

これでまあ奥さんお店そしておれ、三方一両損、あーいや、三方良し、か。

帰って聴いてみるとラグタイムのほうはじつにお行儀のいい演奏で、なんちゅうか普段乱暴な音楽聴いてるニンゲンからすると少し物足らない。

だけど、調べてみるとこれは73年当時けっこう売れたレコードみたいである。

ラグタイム音楽がちょっとしたブームになったのはもちろんあのロバート・レッドフォードとポール・ニューマンの映画〈スティング〉のおかげだけども、それに便乗するように当時ラグタイムのレコードがいろいろ出た。これもそういう1枚なのか、たまたま巡り合わせで売れたのか、ネットで見たこのレコードの国内盤のオビにはクラシックチャートで半年間ナンバーワンを走る、みたいなことが印刷されてる。

たしかにこの良くいえばお行儀のいい、悪くいえば退屈な演奏はクラシックファンにはちょうどいいのかもしれない。いやそんなこといっちゃイカンな。クラシック好きながらドシャメシャな音楽も滅法好きっつう知人は何人もいるもんなー。まあとにかく楽隊は粛々と演奏し、録音も楽隊がスピーカーの奥に並ぶクラシックっぽいサウンドになっている(いい録音だと思いますけどね)。

お行儀がいいってば、もう1枚のウィリー・ボボ選手。この人は奥ゆかしい控えめな性格の方だったんですかね。ラテンパーカッションの人のリーダー作だからもっとチャキチャキにはじけて、コンガやティンバレスが四方八方暴れまくるのかと思ったらそうでもない。

トランペットがクラーク・テリー、サックスにジョー・ファレルとライナーにあり、名前はわからないんだけどトロンボーンなんかもかなりの手練れで、ハモンドB3も相当にイケてる演奏でけっこうな聴き応えではあるんだ。

でもなー、リーダー作なんだし、もうちょっとパーカッションに暴れて欲しかったなあ。全体にジャズっぽいのはもしかしてウィリー・ボボの希望なのかしらん。クラーク・テリーとかジョー・ファレルとかってビッグバンド・プレイヤーの手練れ連中にどこかお任せ的な雰囲気もあって、NYのラテンだぁー! サルサだあーっ! っていうようなアクはあんまりない。これはラテン風味のリビングルームミュージック的ビッグバンドジャズというのが間違いのないとこかな。

だけど、これはこれでなかなかの味わいだよ。しかもこういう音楽はわが家のランサーL101に良く合ってるってことがバレバレである。とりあえず小難しい講釈は抜きにして(ナット・ヘントフがライナー書いてたりしない)、あんまり騒がしくもなく、だけどそこそこメリハリの効いた明るい音楽をアメリカのアッパーミドルのパパさんがリビングルームでくつろいで聴くって感じ。

奥さんに引っぱられてレコード屋さんに入るってのも悪くなかったな。
(つぎは注意。図に乗るのがキケン)





(写真のニッパー君は本文とカンケイありません。どかすのメンドくてね)


by god-zi-lla | 2019-09-08 08:54 | 常用レコード絵日記 | Comments(0)
トシとってココロが広くなったので聴いてみました盤(Karin Krog, Archie Shepp / HI-FLY)_d0027243_11535986.jpg




というわけで、後輩たちの夏は終わったようだな。

だけど、たいしたもんだと思うよ。ノーシードで1回戦からトーナメント勝ち上がって5試合目ってば、県によったら決勝戦だかんね。近所から通学してる若者だけでそこまで行ったんだから、せめて身内の卒業生がホメてやるくらいならバチは当たらんだろ。

それはともかくとして〈HI-FLY〉ってアルバム知ってますか。

ぼくは知ってます。つか、発売された77年当時から知ってました。アーチー・シェップtsとカーリン・クローグvoが組んだアルバムで、当時ちょっと話題になった。

だけど正直、ケッ、って感じだった。もちろん聴きもせずに先入観だけで。

なにしろ最初に出た国内盤ジャケットのデザインがいけない。なんかさー、いっときはコルトレーンの後継者のひとりとかいわれて硬派で鳴らしたコワモテテナーのシェップが、北欧の著名白人女性歌手と共演してヤニ下がりやがってとしかハタチそこそこのガキには思えなかった。

カーリン・クローグはそれよりも以前、デクスター・ゴードンtsとアルバムを作ったというので名前は知ってたけど、そもそもおれはデクスター・ゴードンに全然興味がなかった。よーするにまあ二番煎じってヤツなんだろ、と。

しかもそれがスイングジャーナル誌のその年のナントカ大賞に選ばれたりして、根性もヘソも曲がりきった若造がそんなものを聴こうとするわけがない。

で、きっとこういうショーバイまる出しのアルバムは日本のレコード会社が作ったに違いないと、聴きもせず確かめもせずに思い込んでたのであった。

それから幾星霜。

数年前、どういう風の吹き回しかスコット・ハミルトンtsとカーリン・クローグのCDを買った。ガキのころのおれだったらスコット・ハミルトンも「ケッ」なサックス吹きである。若いクセにへろへろとタルい音楽やりゃーがって、みたいな。

それが、聴いてみるといいのよね。とってもいい。たぶんスコット・ハミルトンは昔も今も変わらない「へろへろとタルい音楽」やってんだと思うんだが、おれのほうが変わってた。「へろへろとタルい」はいまや「悠揚迫らず」とほとんど同義なんであった。

だから最近でもよく聴きますね。たぶん月に1回くらいはコンスタントに聴いてると思う。NASにリッピングして。

で、ふと思い出したわけだ。もしかしてもしかすると昔のあのシェップとクローグのアルバムも悪くないんではないの? 機会があったら買って聴いてみようじゃん。とまあ、いつものように探しもせずにアタマのすみっこに置いておくうちに我が手元にやってきたのであった。

そしたら上の写真のジャケットである。ありゃま、日本以外ではこれだったのかしらん。あはは、そして気づいたんだけどこのアルバムはノルウェイの会社によってオスローで作られたアルバムで、日本の売らんかな企画盤でもなんでもなかったんじゃん。あー自分でデッチ上げたウソの情報を42年も信じ続けてたんだ。バカバカバカバカ。おれのバカ。

たぶんこのジャケットデザインじゃあ売れないと思ったんだろうな日本のレコード会社は。ほんでカーリン・クローグに見守られて鼻の下思いっきり長くしてテナー吹くシェップの写真で作り直したと。よーするにそれだけのことだったんだ。売らんかなの国内企画盤なんて、おれのアタマん中にしか存在しなかった。んー、そのころからそんな程度のヤツだったから、こんな程度のジジイにしかなれず人生終えるんだなあおれって。

それにしてもまるで違うジャケットじゃん。写真じゃわかんないでしょうけど、落書きだらけの小汚い地下鉄の電車が高架線の上を走るのが写ってる。これってニューヨーク? 暴走する電車の直下の道路を鬼の形相のジーン・ハックマンがクルマでチェイスした、まさにああいう高架線。

まあしかし日本盤のジャケットデザインも困ったモンだけど、じゃあオリジナルのこれがいいかっつうとどうだかねえ。オスローのレコード会社的にはアーチー・シェップのいかにも今風アメリカンジャズのザラザラした雰囲気をまぶしてみたかったとか、そういうことだったんだろうか。

それはともかくとしてだな。聴いてみたわけだ。んー、そしたらやっぱ42年前聴きもせずに想像してたのとはかなり違う音楽なのであった。もちろんシェップはおとなしく吹いている。けど、おとなしいといってもシェップとしたらおとなしいっつうだけのことで、フリーキーな音はほとんど出さないもののジョニー・ハートマンの隣りのコルトレーンみたいな「オトナの雰囲気」ってのはほぼない。女性シンガーの横でヤニ下がる風でもない。

クローグはクローグでけっこう技巧的で、おれはほかに当時の彼女のアルバムを聴いたことないからいつもこうだったのかどうか知らないけど、歌い方もアレンジも相当に気張って技巧的で器楽的なヴォーカルで、ようするにシェップとクローグとツートップのコンボによる当時としたらちょっと先走った感じのジャズ演奏つう感じかな。

まあ80年代後半あたりから登場したカサンドラ・ウィルソンなんかのトンがった(ときに無調に転んだりもするような)ヴォーカルからすればそれほどのこともないけど、少なくともオサレなクラブかなんかでしっとり聴くような種類の音楽じゃないね。

いやいやこれは全然悪くないですよ。まあ当時はそもそもジャズヴォーカルのレコードを買おうっつう気が(お金がないのもあって)ほとんどなかったから、中身を正しく知ったとしても買わなかった可能性が高いけど、あらためてこのトシになって買ってみて良かったと思うね。

だけどアレだな。カーリン・クローグは当時は相当硬派のテナー奏者と目されていたアーチー・シェップを相手に、やれるだけのことはやってやろう、こっちだって負けちゃいらんないからね的な気分はあったんじゃないですかね。だからリラックスした雰囲気みたいのを期待してもムリというもんである。

スコット・ハミルトンとのアルバムのあの、酸いも甘いも知り尽くした同士の、それでもそこそこの丁々発止はありつつもことさら気張って技巧を見せつけるようなところのまるでないリラックスした音楽と比べると、あー二人とも若かったんだろうなあって思わざるをえないよな。

いや、どっちが良くてどっちが悪いとかそういうことじゃなくてね。


トシとってココロが広くなったので聴いてみました盤(Karin Krog, Archie Shepp / HI-FLY)_d0027243_11541020.jpg



シュルレアリスムっぽいラベル。A面だけこれでB面は文字情報の入ったふつうのラベルになってる。
(Compendium Records FIDARDO 2)





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by god-zi-lla | 2019-07-24 17:31 | 常用レコード絵日記 | Comments(0)
こりゃあガワがミを表してないんじゃないかと(Miles Davis / The Complete Birth Of The Cool)_d0027243_15135896.jpg




COOLなSUMMERだぜ。

なんちて。

マイルス・デイヴィスの〈BIRTH OF THE COOL〉である。ただし、せんだって出たばかりの、アタマにTHE COMPLETEとついた復刻LP2枚組である。

どういうもんか、おれは長年このアルバムをちゃんと聴いたことがなかった。それが数年前このアルバムのCDを突然買い求めたんである。

ある日の午後、突然思ったんですよ。ビ・バップの青年期といわずヒップホップの晩年といわず、いつの時代のマイルスだって好きなおれが、食わず嫌い的にこのアルバムを長年敬して遠ざけてきたっつうのも如何なものかって。

おれの人生ひょっとしたらもう晩年であるわけだし。つうことは三途の川はひょっとしてもうすぐそこなのかもしんないし。三途の川を渡れば閻魔大王だ。

その閻魔さまが唐突におれに問う。オマエはどの時代のマイルスが好きなのぢゃ。

するとおれは「マイルスならどんなスタイルの演奏も好きなんです」なんて答える。

じゃあオマエ〈BIRTH OF THE COOL〉はどうぢゃと、閻魔さまは重ねてお尋ねになる。

そして。

あーいや、そいつは聴いておりませんなんてウッカリ言ったばっかりに、おれはベロ引っこ抜かれちゃうんである。

そういうのって、やっぱヤじゃん。想像するだけでも。

なので、いざ閻魔大王からご下問があったときには(最終的に地獄行きが免れないとしても)ちゃんと受け答えができますようにってCD買ってきた。これも一種の「終活」ってヤツかもしれない(でもなぜ閻魔さまはおれにマイルスのことなんか訊くんだ)。

そう思ってなかばお勉強のつもりで買ったCDを聴いてみるとこれが案に相違して、良い。あれれ、こんなんなんだっけ? すごくカッチョいいじゃんこの音楽てば。でも多分、若い頃に聴いてたらダメだった気がしますね。なんか品がいい。のたくったり暴れたりしない。音が濁らない。じつに流麗にアレンジされたアンサンブル。そういうのは年寄り臭い音楽だと思ってた。

そうなんである。おれは今や押しも押されもしない年寄りなのであった。

そしたら、こんだは復刻LPが出るというんだ。それも復刻専門レーベルがスポットでマスター借りて出すんじゃなく現在CAPITOLを傘下に持つユニヴァーサルが自分で出すっていう。しかもなんだか、過去に出た盤はどれもオリジナル・マスターから切られたものじゃなかったのが、今回初めてホンマモンのマスターに遡ってカッティングしたとかなんとか言ってるじゃん。

これって、ある意味ズルいよね。そんなテープがあるの知ってて復刻専門の会社には教えずに、自分で出す段になっておもむろに引っぱり出してくるんだから。

それはともかくモノの本などひっくり返してみると〈BIRTH OF THE COOL〉ってのは、もともとが1949年、SP盤にして12面分だか13面分だかの録音を当時のキャピトルレコードが行って、それを順繰りに売り出したもんだったらしい。だからもちろん「オリジナル盤」はSPレコードだった。当然バラ売りで「アルバム」ではない。

しかも、これがあんまし売れなかったらしいな。

それを初めて12インチLP盤に「アルバム」としてまとめ、現在知られている〈BIRTH OF THE COOL〉として上の写真とほぼ同様のジャケットに収めて発売されたのが1957年なんだそうだ。57年といえばマイルスはスター街道驀進中でインディーズのPrestigeレーベルと縁を切ってメイジャーのColumbiaに移籍したころだ。

よーするにキャピトルとすれば、売れなかった「有望新人」マイルスのアレをLPに焼き直してモト取るなら今しかない。しかもヨノナカじゃ似たようなのを「クールなジャズ」とか言い始めてるし、ここはいっちょうコイツが元祖だ本家だっつうことにして売り出しちまえ! 

まあ、ぶっちゃけそういうことだろ。

で、写真の〈THE COMPLETE BIRTH OF THE COOL〉を買ってみた。聴いてみるとたしかに音がいい。もちろんモノラルだけども70年前の録音だなんて到底思えない。ヴァン・ゲルダー録音なんかとはちょっと趣きの違う、ふくよかなアメリカンサウンドつう感じ。ノイズもあんまりない。そのマスターから過去にレコードを製造したことがないっつうのは、もしかしてホントかもしれない。

もちろんおれは57年の初LP化された盤なんて持ってないし聴いたこともないから比べるもなにもないんだけど、これ聴いた感じでは、さすが大企業キャピトルのレコーディング技術とマスターテープの管理はたいしたもんだったんだなあと思うほかないね。

いやーそれにしても、おれはなんでこんないいアルバムを今まで買わなかったんだろか。音がいいのも手伝って、ここんとこ一番よく聴いてるジャズのレコードになっちゃったじゃないの。

まあ「名盤」といわれてるわりにはあんまり聴かれてないというような雑音をまき散らすギョーカイの有名人に惑わされたってのもあったでしょうが、もしかしてこの、なんだかまっ黒けのジャケット写真のせいもかなりあったんじゃないかしら。

背景はスタジオの黒い天井で写ってるのは黒人のマイルス・デイヴィスで、しかもサングラスをかけている。そのうえシャドウは潰れハイライトは飛び、いったいこれはどういう冗談なのでございましょうか。

便乗商法のわりに、本気で売る気あったのかキャピトル。

その罪ホロボシのつもりなのかなんなのか、こんだの復刻アルバムにはマイルスの若い頃の写真だのスタジオの録音風景だのが綴じ込みブックレット(綴じ込みってのが昔を思い出させますね)を麗々しく飾ってる。


こりゃあガワがミを表してないんじゃないかと(Miles Davis / The Complete Birth Of The Cool)_d0027243_10042138.jpg

いいよねえ、不敵なツラダマシイのマイルス。



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49年1月21日。向かって左側にいるのはチューバのジョン・バーバー、ホルンのジュニア・コリンズ、トロンボーンがカイ・ウィンディング。ピアノにはアル・ヘイグ、ベースがジョー・シャルマン。ブースのガラス窓にチラっと顔の一部が見えるドラムスのマックス・ローチ。マイルスは立っている。メガネがリー・コニッツasで椅子の背にジャケットかけて足伸ばしてるのはジェリー・マリガンbs。

こういう写真が外側にあったら、とっくに買ってた気がする。

だって、河原のジャケウンコ座りも、ずっと昔に買ってんだからさ。
この内側の写真みたいのだったら、もう御の字ってもんだぜ。

ところで、2枚組のもう1枚のほうはキャピトルがこのバンドをレコーディングするきっかけになったロイヤル・ルーストからのラジオ中継番組の、あの有名なボリス・ローズによるエアチェック音源なんだけど、これがエアチェックにしてはずいぶん音がいい。

ローズって人はジャズクラブからのラジオ実況放送をエアチェックして、アセテート盤に切ったのを売って商売にしてたらしいが(もちろん昔だって合法じゃなかったんでしょうが、おかげで今でもいろんなライヴ音源が残ってるんだからありがたい人だ)、このアルバムのライナーによればひょっとしたらエアチェックじゃなくて、この高品位な音質からして現場で放送局のラインからラジオの電波になる前の信号をもらってたんじゃないかというようなことが書いてある。たしかにシンフォニー・シッドのナレーションがかぶってるからマイクから直でないのは判る。つうことはラジオのクルーもローズとグルってことか。

それはともかく、ライヴだけでスタジオでやってない曲もあるから、これも貴重な聞き物だよな。



(UNIVERSAL MUSIC 00602577276408)

by god-zi-lla | 2019-07-12 11:14 | 常用レコード絵日記 | Comments(0)
Blues Brothers は遠くなりにけり_d0027243_10541979.jpg





Amazonのプライムビデオに〈Blues Brothers〉があるのに気づいて、すごい久しぶりに見た。土曜日の早朝で奥さんはまだ寝てるから、テレビをつけてヘッドフォンを繋いでテレビ内蔵のAmazonのアプリを起動し、ヴォリュームをグイっと上げて耳が痒くなるくらいの爆音で見た。ヘッドフォンだから音量に遠慮会釈は不要ってもんである。

しかし、いつ以来でしょうかね。本邦公開は81年だっていうからその時見たとしたら38年目ですか。封切り直後かどうかは別として、とにかく20代のなかばに初めて見たのは間違いない。そのあと、テレビで放送されたのも見たような気がするけどよく覚えてない。

なにしろジョン・リー・フッカーなんて全然、当時おれは名前も知らなかったからな。アリーサ・フランクリンのいるダイナーに二人が入る直前の路上で歌ってたブルーズマンを、ただの歌とギターのうまいエキストラのオッサンだと思ってた。まったく無礼千万な話である。映画見る前にちったぁ予習くらいしてらっしゃいな。

かろうじて、画面を見ただけで誰だか分かったミュージシャンはJBとアリーサとレイ・チャールズだけじゃなかったですかね。バンドでギター弾いてんのがスティーヴ・クロッパーだなんてことはずうーと後になって知った。

ジョン・ベルーシのブラザーズ兄が出所して孤児院を訪ね、そこで世話になった黒人のジサマと久しぶりに会って抱き合う、そのジサマがキャブ・キャロウェイだなんてことはなおさら思いもしなかった。

ずうーっと後のほうの、あの有名な白い燕尾服で〈ミニー・ザ・ムーチャー〉を歌い踊るシーンを見て初めて、あーもしかしてこのジサマってあのキャブ・キャロウェイなのか? と、しかも疑問符付きで思ったくらいなもんである。

何故かといえば、おれのアタマん中じゃキャブ・キャロウェイといやあアメリカ黒人音楽史に必ず出てくる「歴史上の人物」なのである。始皇帝や織田信長やアレキサンダー大王が生きてる人だなんて思いもしないのとおんなじである。

だってアレだぜ。キャブ・キャロウェイ楽団といやあ1920年代だか30年代だか禁酒法時代のNYコットンクラブでデューク・エリントン楽団とバンドスタンドを分けあった「スター」つう認識じゃんか。しかも、かたやデューク・エリントンはこの映画を見たころから遡ること7、8年前にはそれなりの年齢になって亡くなってたんだから、おれはてっきりキャブ・キャロウェイもアノ世の人だと思い込んでたのであった。

だから、たしか見終わってから雑誌かなんかの記事で読んで初めて、あーやっぱあのジサマは本物のキャブ・キャロウェイだったんだー、と知ったんじゃあるまいか。

で、さっき調べたところキャロウェイさんてエリントン翁より七つ八つ年下だったのね。

いやまあ、それはともかくとしてだな。久しぶりに見てもこの映画のトンでもなさぶりの価値ってものは少しも減じてませんね。多分アメリカ映画史上初のブラックミュージックの「ミュージカル映画」(しかも、すごいメンツだらけ)なのに主役はよりによって白人のチンピラである。しかも目茶苦茶に暴力的なまでのアクションシーンの連続で、且つその圧倒的な破壊力のアクションに必然性のひとっカケラもない徹底したスラップスティックコメディときたもんだ。なんかもう心底クダラナイくて、そこがすごく面白い。

いやー、これから何度でも繰り返し見たいもんだ。

たしかにアリーサ・フランクリンもJBもキャブ・キャロウェイもジョン・リー・フッカーもたいしたモンだと思います。みんな、短い登場シーンなのにすごい存在感だ。だからもちろん「音楽映画」としてすごく楽しめる。けどね。あらためて感じたこの映画の真骨頂は、たとえばショッピングモールでのハチャメチャなカーチェイスや、たった二人を警察と軍隊と消防の大集団が入り乱れて市役所で追いかけ回す、あのほとんど(つか、まったく)無意味なシーンに精力と予算をつぎ込んでしまうアブナさにあるんだと、あたくしは思いますね。

いやまったく。

それにしてもと今回見終わって思ったんだが、おもな出演者はみーんな死んじゃってんだな。

まあキャブ・キャロウェイ翁は当時すでに老境にあったから仕方ないし(94年に86歳でお亡くなりになったとのこと)、レイ・チャールズもジョン・リー・フッカーもそれなりのお歳ではあったから今世紀初めに亡くなってる。だけど、ジョン・ベルーシはこの映画から何年もたたないうちにあっけなくドラッグで死んでるし(あのニュースには当時結構びっくりした)、JBが亡くなったのは10年くらい前だったか。

そして、狂気の女ストーカー(そんなコトバは当時なかったでしょうが)を演じたキャリー・フィッシャーが3年くらい前に急死して、とうとうアリーサ・フランクリンが去年この世を去ってしまった。それからベーシストのドナルド・ダック・ダンもだいぶ前に亡くなってる。

そういえばアレだったな。当時キャリー・フィッシャーが出演してるのを知らずに見て、あの女優さんて、もしかしてスターウォーズのレイア姫やってる人? と思ったもんである(つまり名前を知らなかった)。

だけどキャリー・フィッシャーがやったあの役(固有名詞を与えられてない)は、ブルース兄弟をバズーカ砲で狙撃したり爆弾仕掛けてビルごと吹っ飛ばしたりして、要所要所で映画の意味不明さをパワーアップさせていくブースターみたいなもんだったな。

こんど、ああいう超クダラなくて偉大な「ミュージカル映画」を見られるのは一体いつのことなのでしょうか。いや、きっともう二度とあんな映画が作られることはないんだろうな。

つうわけで冒頭の写真のレコードはなんだっつうと、直接関係あるってわけでもないんだが当然ブルースブラザーズのアルバムではあるから無関係ってことでもない。まあ、殺人事件の報道かなんかで写真がなんにもないとき新聞とかテレビのニュースで、なーんとなく「桜田門」のビル正面の写真が使われてたりするでしょ。まあ、アレと同じようなモンです。

でもそれもあんまりアレだから触れておきますけど、何年か前にどっかのレコード屋さんのエサ箱から引っこ抜いてきたジョン・ベルーシとダン・エイクロイドのバンド〈Blue Brothers〉の、たしかこれがデビューアルバムなり。

78年か79年あたりのライヴ録音だからもちろん映画よりも前のリリースで、だからここにはJBもアリーサもキャブ・キャロウェイもレイ・チャールズもいません。

スティーヴ・クロッパーもドナルド・ダック・ダンもいるからもちろんバンドはちゃんとしてるんだけど肝心の「ブルース兄弟」がウマいかどうかっつうと、映画見てるぶんには何も気にならないけどレコードだと多少ビミョーなとこがあるよねえ。やっぱ二人ともシロート芸というべきか。いや、それにしちゃあ結構聴かせるぜというべきか。

だけど気合いはスゴい。とくにジョリエット・ジェイク・ブルースことジョン・ベルーシは人生これに賭けてるような勢いで歌い叫び喋くりまくる。ひょっとして架空の人物「ジョリエット・ジェイク・ブルース」に人生賭け過ぎた挙げ句、そっちに生命を吸い取られて死んじゃったんじゃあるまいかと思ったりもするのであった。





Briefcase Full of Blues (ATLANTIC ATL50 556 ドイツ盤)

by god-zi-lla | 2019-06-17 20:31 | 常用レコード絵日記 | Comments(0)